ここはディズニーランドじゃないんだからね、ナイアガラの滝で転落した女学生の死に思う

今日、浜村さんのラジオを聴いていたら、ナイアガラの滝で記念撮影をしていた日本人の若い女性がバランスを崩して滝底へ転落、死亡したと見られているというニュースを聞いた。いくら「柵を乗り越えないでください」と看板が立っていても、こうやって柵を乗り越える観光客は絶えないという。ここ数週間のうちにも柵を乗り越えて転落したのは三人とか、そのうちの二人は死亡。一人は重傷を負ったが助かったとか。この話を聞いて、私はもうずっと以前になるが、私とミスター苺がグランドキャニオンに行ったときのことを思い出した。
最初の数日は二人で大峡谷をハイキングしたのだが、その後でラバに乗って峡谷の中腹まで下りていくツアーに参加した。その時にガイドのおじさんから言われたのが、「ここはディズニーランドじゃないんだからね、すっごく危険なんだ。注意事項には必ず従ってくださいよ」だ。
峡谷にあるギフトショップで買った「グランドキャニオンでの死」という本には、峡谷における死亡事故や事件がつづられていたが、そのなかに、写真をとろうとして柵を乗り越えた日本人の若い女性が谷底に転落して死亡したという事故があったのを覚えている。この事故はもう30年くらい前の話だと思うが、いつの世にもそういう不注意な人がいるのは残念なことだ。
我々苺畑夫婦はハイキングの最終日にコロラド川のある底辺から、ブライトエンジェルトレイルという全長15km、標高1335mのハイキングコースを歩いて、峡谷から登り出た。
その時、コースの終わり付近3kmくらいのところになると沢山の観光客が散歩気取りで歩いているのに出会った。その時点ですでに6時間登り続ける真剣なハイキングをしていた我々には非常に邪魔だった。特に我々が出会った若い日本人の団体は行儀が悪かった。

団体ツアーの観光客はマナーがなってない。登りハイカーに道の優先権があるのは常識なのに、団体観光客は群れになって道のまん中をどんどんおりてきてハイカーの邪魔になっていることなど全くおかまい無し。あんまりその態度がひどいので私は頭に来て、「登りハイカーが先です! どいてどいて!」と持っていたハイク用の杖を振り回すと観光客はこぞって崖の外側によけるのです。それで私は「壁側、壁側!」と怒鳴るはめになりました。 

そのなかの一人の若い女の子が、ひとり遅れをとったとおもったのか、あせって私を追いこした。 追いこすときは後ろから声をかけるのが礼儀なのだが、彼女は何も言わずに追い越し、しかも追い越しざまに私の杖を蹴ったので、私はバランスを崩してもう少しで転ぶところだった。もしもあの時そのままよろよろと崖からおちてしまったらと思うと空恐ろしい。
人の杖を蹴飛ばしておいて、この子は謝りもせずに通り過ぎたので、私は「ちょっとあんた!」と日本語で呼びかけた。その声にその子は振り向いたが、その子が手で口を隠しクスっと笑ったのを見て私はものすごく腹が立った。もし6時間のハイクで疲れていなかったら杖をかざして追いかけてって殴ってやるところだった。そのくらい頭にきた。

その後も日本人の団体がハイカーが休むのに最適な岩をぶんどっていたり、写真を取るからといってハイカーに待つように合図したりしてるのをみて私はカッとなり「あんたらを待ってる余裕なんかない」とどんどんカメラのまえを通り過ぎました。私の後ろから続いていた 何人かのハイカー達もそうだそうだといいたげに通り過ぎました。全く無神経にもほどがあります!

最近は日本人も旅行慣れしているので昔のように恥かしい観光客は少なくなったとはいえ、まだまだ観光地における危険を実感していない人が多いのは困る。もっともこれは日本人に限ったことではないのだが、ハワイのワイキキなどでは、観光客が信号など完全無視で道を渡るので、特に日本人が多いヒルトンハワイアンビレッジの中では車の運転はほぼ不可能である。
グランドキャニオンにしろ、ナイアガラの滝にしろ、危険はつき物。ディズニーランドじゃないんだからね、十分気をつけてもらいたいものだ。


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婚活20年? なにそれ?

昨日読売新聞で婚活20年で断られ続けてストレスが貯まったという女性の話を読んで、贅沢ばかり言って「行かず後家」になった女性という軽い話をしようと書き始めたのだが、色々考えていたら、最近の結婚活動の難しさの裏には日本社会の変化がかなり影響しているのではないかという気がして来た。
最近どこかで聞いたのだが、日本では一人暮らしの人が増えたそうだ。日本の一家族の平均は三人以下だという。確かに少子化が進んで各家庭に子供が二人以上いないとなると、独立した子供が結婚せずに一人で暮らすようになれば、三人以下の家族が増えるのは当然だ。
何故少子化と結婚活動が関係あるのかといえば、記事の冒頭の部分を読んで時代の変化を感じたからだ。

 結婚するために、結婚相手紹介サービスや合コンなどで、積極的に相手を探す「婚活(結婚活動)」。うまくいかずに疲れ果て、ひどくなると心の病まで患う「婚活ストレス」に悩む人が増えている。(岩永直子)

記事で取り上げられた44歳になるという女性は、短大卒業後三つもの結婚相談所を渡り歩き、30人以上の男性を紹介されたが、すべて断られ、立て続けに両親が他界、派遣社員の契約も切れて完全に鬱状態になったという。
結婚活動という言葉も比較的新しいが、私が適齢期だった大昔には、親戚や近所で仲人をほぼプロ並みに専門にしている中年女性が必ず居た。私の場合は大叔母(祖母の妹)がそれだった。また年頃の子供を持つ親が、知り合いにお見合い写真をばらまき「いいご縁があったら、是非ご紹介くださいませ。」と頼んで回るのも極々普通のことだった。
つまり、昔は婚活といえば家族ぐるみの活動だったから、断られても家族が親身に相談に乗ってくれて一人で悩む必要はなかったのだ。もちろん当時は女性は25歳、男性は30歳くらいまでに結婚出来ないと、社会からの圧力は非常に大きかった。
それに家族が大きく兄弟姉妹が多く居た場合、上から順番に結婚していくのが普通だったから、長女がぐずぐずしていると次女が婚期を失うという下からの圧力もかかったわけだ。
まだ22〜3歳くらいで遊びたい年代の男女だと、親や親戚から「早く結婚しろ」と騒がれるのを煩く感じたのは事実。親がいうから仕方なしにお見合いはしても、結婚する気がないのでわざわざ断られるような行動をとった人も多かった。
子供の結婚は親の責任だと考える人も多かったので、私の同年代の女性が30歳半ばになっても結婚していなかった時、母が「あそこの家は親が悪い。」と責めていたのを思い出す。だから当時は「女性も年収700万円以上、有名な大学出身との条件は譲れない。」なんて現実離れな理想を持ち続けるなんてことは考えられなかった。
大叔母のところに結婚の相談に行った時点で大叔母から「あんたね〜、現実を考えなきゃ駄目よ。贅沢いってると行き遅れるわよ。」とひとつお説教されたに違いないから。
昔のしきたりは面倒くさいし窮屈なようにも思えるが、ひとりで結婚相談所を渡り歩いて、自分には釣り合わない理想だけを追い求めて20年もさまようのであれば、親や親戚の紹介で適当な人と早い時期に一緒になっていたほうがよっぽども幸せだったのではないだろうか。
最初は年収など少なくとも、そのうち出世するかもしれないし、このご時世、最初はエリートだってリストラされるかもしれないのに、何故最初から年収700万以上とか決めなきゃ行けないのだろう?第一、20年も断わられ続けているのに「条件は譲れない」と相手にそんなことを求めるだけの価値が自分にはあると本気で考えているというとこからしておかしい。
記事内でも、

 「この不況で、男が養い、女が家事・育児をするという『昭和的結婚』はますます不可能になっているのに、古い結婚観から抜け出せず、ないものねだりを続ける男女が多い」

と専門家の分析が載っているが、これも少子化が進んで婚期が遅れている背景があるのではないだろうか。
自分がまだ20代前半の女性なら、相手もまだ若いわけだから出世の可能性はあっても年収がそれほど多くないのは当然。お互い若いのだし今は何もないけど二人で頑張って家庭を築いていこうという気持ちにもなれるだろう。
だが、少子化が進み家族からも早期の結婚が求められなくなると男女ともに婚期が遅くなった。今や25歳を過ぎた女性が「婚期を逃した」なんてことは思われないだろう。だが、30代半ばの結婚が普通になると結婚観というものも変わってくる。
その年頃になれば男女ともにキャリアも進んでいるだろうし、独身生活にも慣れているから、妥協してまで結婚する意味を持てなくなってしまうのかもしれない。だから苦労して二人で家庭を築いていこうなんて面倒くさいことを考えるより、すでにきちんとしたキャリアを持っている人と一緒になりたいと思うのかもしれない。記事内の専門家も、

「婚活ストレスの裏には、将来の生活不安が隠れていることが多い。女性は本気で働き、男性は家事などの生活能力を鍛えて、一人でも生きられ、共働きでも支え合える力を身に着けるのが生活不安の予防にも、結婚への近道にもなる」

と語っている。
好きでもない人と親のいいなりになって結婚を強制されるような伝統はなくなり、相手を自由に選べる時代になったのはいいが、家族からの介入が減った分その援助も減り孤独な結婚活動をする人が増えたのだろう。婚期が遅れれば必然的に生める子供の数も減る。
核家族化が進むと少子化が進み、少子化が進むと結婚が減る、、現代社会の深刻な問題だ。


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恒例独立記念日ホットドッグ大食いコンテスト、ジョーイ・チェスナッツが5年連続勝利!

7月4日といえば、アメリカは独立記念日。カカシの近所の家々でも星条旗が飾られている。もちろん苺畑家も国旗を掲げた。
我々が南カリフォルニアのこの家に越して来て一年ちょっと。それまでは都会の狭いマンション住まいでベランダがマンションの中庭に面していたので旗など立てても今ひとつ気分が出なかったのだが、やはり一軒家で通りに面していると星条旗も見栄えがするというもの。
さて、独立記念日につきものなのは、毎年恒例ニューヨークのコニーアイランドで行われるネイサンズ主催のホットドッグ早食いコンテスト。数年前までは日本人の小林君がチャンピオンの座を独占していたが、5年前にアメリカ人のジョーイ・チェスナッツ君が小林君を破って以来、彼の連続独走戦となった。
そして今年も、チェスナッツ君は10分間に62本という記録で5年連続制覇を実現させた。これは彼の最高記録ではないが二番のパット・バートレットより9本多い数で悠々勝利。チェッスナッツ君の世界記録は2009年の68本。
長年のライバルである日本代表の小林尊(たける)君は契約上の理由から二年連続で欠席。別会場で独自の早食いイベントを行って同時間内で69本という記録を作ったが、残念ながら公式記録とはならない。


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ホテルの風呂場で転倒、頭を打って過労死を考えたカカシ

「苺畑より」読者の皆様、ご無沙汰しております。一週間以上海の上におり、インターネットアクセスはゼロにちかく、イーメールアクセスですら一日に数行書ければいいほうだった。しかも団体口座でチームの連中には筒抜けなので、プライベートなメールなど全く書けない状態だった。(ミスター苺へのメッセージは送信が確認できたら即消していた。)
そんな生活が先日やっと終わって、一昨日はホテルの部屋で一晩だけだが一人でゆっくりする事が出来た。ひさしぶりに一人の部屋。ゆっくり髪の毛でも洗おうとバスタブ付きのシャワー室へ。シャワーの水の出を調節しようと手を延ばした瞬間、濡れたバスタブの底で素足がすべってすってんころりん。頭の横のほうを湯船の端のほうにあった大理石に強くぶつけてしまった。
転んだ時にシャワーカーテンをつかみ、湯船の淵をつかんだことで、多少転倒の速度を緩めたのか、頭をぶつけた割にはさほど痛くなかった。しかし、すぐ立ち上がるのも危険かもしれないとそのまま湯船にねそべり、顔にかかるシャワーのお湯を無視してじっとしていた。
その時ふと私は「こんなふうに死んじゃったら、かなり格好悪いよなあ〜」と思った。翌日に掃除のおばさんが湯船でひっくり返ってる素っ裸の中年女性の遺体を発見、なんて絵にもならない。同僚や親戚などから「カカシさんはホテルの風呂場ですべって転んで死んじゃったんだって」なんて言われるのも嫌だしな。
風呂場で転んだくらいで、なんで死ぬとか考えるんだ、と言われればそれもそうなのだが、(でも意外と風呂場での事故死ってのは多いらしい)私のように出張が多いと、出張先のホテルで一人寂しく死んでしまうという恐怖は常に脳裏にある。何故ならそうやって死んでしまった同僚や仕事関係の知り合いが結構いるからなのだ。
普通、過労死というと、法律上は脳や心臓の疾患のみが考慮されるが、過労によって誘発される他の病気、たとえば肺炎、胆石、胃潰瘍、なども立派な過労病だと思うし、睡眠不足で居眠り運転して事故死した同僚の死も、過労死だったと言えると思う。
私のやってる仕事は、肉体的にも精神的にも非常にキツい仕事だ。理想的には若い男の仕事だ。カカシみたいな中高年のおばさんがやるような仕事じゃない。それをいうなら50過ぎのおじさんがやるような仕事でもない。ただ、問題なのはそのくらいの年にならないと経験上このような立場には立てないから、必然的に中高年のおじんやおばんが老体にむち打って頑張ることになる。
一時、日本人ビジネスマンは世界でも働き者と評判だった。だが、アメリカ人がそれほど働き者だというイメージはないかもしれない。だが、どうしてどうして、私の回りには働き過ぎのモーレツ社員はざらで、過労死候補者がいくらでもいる。
一年半くらい前、担当の部長が突然辞めて、定年間近(62歳)の他の部長が代わりに企画担当にされたが、担当になって数週間もしないうちに、この部長は肺炎にかかってホテルの一室で死んでいるのを発見された。彼が亡くなる一週間くらい前に、私もその企画に参加するしないで、その部長と電話で話したばかりだったので、彼の死を知らされた時は非常なショックだった。
彼が亡くなる数日前から、咳き込んで息苦しそうにしている部長に回りの人が医者に診てもらうように薦めていたそうなのだが、忙しさにかまけて、後回しにしていたことが病気悪化の原因らしい。今時、肺炎で死んでしまうなんて、医学がいくら進んでいても、利用しなければ意味がない。
実はここ2〜3年の間に、同じような仕事をしている40代後半から50代の同僚や仕事関係の知り合いがばたばたと逝ってしまった。同年代のカカシとしては身につまされる思いである。
もっともこうした人々に共通する点としては、日頃から健康管理が良く出来ていなかったこと(飲み過ぎ、吸い過ぎ、食べ過ぎ)、多忙を理由に適度な休暇を取っていなかったことなどが上げられる。
私も出張中は生活が不規則になるので、仕事の合間に仮眠を取るようにしている。出張前にはちょっとした風邪でも病欠をとって自宅静養したり、毎年の健康診断は欠かさず受けている。
人から怠けているとか言われても気にしない。無理して死んだら誰が責任をとってくれるというのか? 一年のうち90%は出張していて、55歳で肺がんで死んでしまった先輩の女性の二の舞はしたくない。
なんだか本日はとりとめのない話になってしまったが、出張帰りで疲れているので、ブログ更新は明日から。
帰宅した南カリフォルニアは、朝から雨である。


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家事手伝いを要求しすぎて旦那様に逃げられないように、、、

今日はクリスマスイブということで、ちょっと軽い話題から。
クリスマスが近づくと、イギリスでは家事の分担が原因で離婚する家庭が増えるという面白い記事をイギリスのデイリーメイルという新聞で見つけた。著者はマリー・ゴールド。
欧米ではクリスマスというと、日本でいうお正月みたいなもので、知り合いや親戚一同招いて自宅で宴会なんて家も少なくない。
しかし楽しい日であるはずのクリスマスも、プレゼントの買い物にはじまって、普段は一緒に居ない家族が帰省していたり、宴会の用意のため大掃除したり御馳走を料理したりと、主婦は結構忙しく大変である。
商店街はクリスマス用の買い物客でごった返しており、駐車場はどこもかしこも一杯で車ひとつ駐めるのも、まるで障害物競走にでも参加しているようだ。こんななかを主婦はひとりで大忙しに走り回る。まさしく師走である。
そんな思いをして家に帰ってくると、散らかった居間を放ったらかしで、クリスマス休暇をとってお膳に足をあげてビールを飲みながらフットボールなんぞを見てる亭主がいる。たまに家に居るんだから、お膳の上くらい片付けてよ、くらいは言いたくなるだろう。
といってここで休暇中のご主人に色々な用事を言いつけるのは禁物だ、とマリー・ゴールドは言う。
「最近の女性は旦那さんに多任務を期待し過ぎる。自分たちの父親なら絶対しなかったことや、それ以上のことを期待している。」とゴールドは言う。
ゴールドはある日、上司の女性が旦那さんにお風呂場の掃除を何週間も前から頼んでいるのにやってくれないと言って泣いているのを見た。そんなこと自分でやればいいじゃないと言ったら、「あんたみたいな女性がいるから、男どもはつけあがるのよ」とものすごい剣幕。その後しばらくしてこの夫婦は離婚してしまったという。
嫌がる旦那さんに無理に片付けを手伝ってもらって喧嘩になって、あげくの果てが離婚なら、自分でさっさとやってしまった方が楽なのでは? 何故旦那さんに掃除してもらうことがそんなに大切なのだ、とゴールドは問う。
ま、最近は女性も外で仕事をしているから、家事は女性の仕事だと決めつけることは出来ない。子育てもあることだし、夫婦が分担して家事をするのは当然だろう。だが、家のローンを支払うために職場から遠くに住んで長い時間かけて通勤し、毎日残業やって、しょっちゅう辺鄙なところへ出張して、家計を支えている旦那さんに向って、たまに家に居るんだからこれもやって、あれもやってと、箇条書きになったリストをつきつけるのは考えものだ。 これじゃあ、お父さんも家になんか帰ってきたくなくなるだろう。たまの休みくらい休ませてくれ〜、と悲鳴も上げたくもなるだろう。
日本でもさほど変わらないと思うが、欧米では旦那さんが家庭内でする伝統的な仕事というものが決まっている。たとえばゴミの日にゴミを出すこととか、バーべーキューパーティでバーガーだのリブを焼くのは旦那さん。庭の芝刈りとか、ガラージドアの修理とか高いところにある電球を取り替えるとか、子供の机の上の棚作りとか。アメリカ車が粗悪だった1970年代頃までは、日曜日にガレージで車の修繕をするのも旦那さんと相場は決まっていた。
ところが最近では、男性が女性の出産に立ち会うのは普通になってきたし、家事手伝いを分担するのもあたり前になってきた。男性はこれをそれまでの伝統的な男性の仕事の上にやらされているのだ。
それで女性から感謝されているかといえばそうでもない。ゴールドの知り合いに、自分では車にガソリンもいれないし、車のタイヤに空気など入れた事もないという女性がいるそうだ。そういうことは男の仕事だから当たり前という顔をしている。そのくせ子供のお守りや料理を男性に手伝わせることには抵抗がない。
ゴールドのある女友達は仕事もできる優しい男性と結婚していたのに、自分が旅行に出る時に、夫がするべき仕事のリストを箇条書きで残して行った。多分それまでにも色々と用を言いつけられてかなり参っていたのだろう。それを見た旦那は一目散に遁走してしまったという。
私にしてもゴールドにしても、世の奥樣方に反っくり返って何もしないご主人を甘やかしてもいいと言ってる訳ではない。ただ、ご主人方に何かをやってもらいたいのであれば、真っ向から仕事リストを突きつけるのはかえって逆効果だろう。
第一、奥さんの指図をはいはいと素直に聞くような男と本当に一緒に暮らしたいのか、とゴールドは聞く。最近の日本でいう草食系とかいうのがこういうタイプだろうか、カカシはお断りだね。
それにカカシはちょっと古くさいところがあって、自分の台所に主人も含め、他人が入ってくることには非常な抵抗がある。主人が一人で料理するために台所に立つことには抵抗はないが、私が料理しているところに主人が入ってくるのは我慢できない。
うちで宴会を開いた時でも友人たちが私の台所に入ってくるのは嫌なので、飲み物が足りなくなると私はさっさと立ち上がって取りに行く。私がどれだけ台所を神聖な場所にしているかを充分心得ている主人は私が料理中は台所の敷居の向こうに立って「あのさ〜ビールとってくれる〜」などと話かけてくる。
ところが、そういうことを良く知らないアメリカ人の知り合い達は、主人が自分では何もとりに行かず皆私にやらせている、なんという亭主関白なんだ、と腹を立てたりする。私にいちいち飲み物を取りにいかせては悪いと思って、自分から冷蔵庫を開けに行く人がいると、主人が慌てて「いや、うちのはちょっと変わってましてね、台所に他人が入るのをもの凄く嫌がるんですよ。」と止めにはいったりしている。
ま、それは余談だが。
イスラム諸国やアジアの途上国の極端な男尊女卑の国は別として、文明国の男性は優しいから、女性が重たい荷物を持って苦労していれば手伝おうくらいの気持ちは持ってくれるだろう。女性にはちょっと無理な力仕事や簡単な大工仕事は男性に任せればいい。
うちの主人は料理が好きだし、台所の片付けはカカシよりうまい。だが洗濯や掃除は絶対にしない。風呂場やトイレ掃除など死んでもやらない。(独身時代の彼のアパートのトイレは国鉄時代の駅のトイレくらい汚かった!)
まあ、そんな人に無理にトイレの掃除をやらせても仕方ないし、得意なことをやってもらえばそれでいい。
だいたい掃除をするしないで喧嘩になるような夫婦なら、他にもっと深刻な問題があるのではないか、とマリー・ゴールドも書いている。
確かにね。
それでは皆様、夫婦ご円満に、良いクリスマスをお迎えください。
メリークリスマス!


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ソーシャルネットワーキング、実名登録に抵抗ないアメリカ人

アメリカではフェィスブックというソーシャルネットーワキングサイトが非常に人気を呼んでいる。日本では何故かフェイスブックはあまり人気がないが、ツイッターは爆発的な人気だそうだ。私が思うに日本人はPCより携帯でネット参加する人が多いから、短い文章で色々かける手軽なツイッターが人気を呼ぶのではないだろうか。
ただ、フェイスブックは実名登録だが、ツイッターは匿名も可能。ネットで実名が暴露された事件が続発して日本では実名登録が嫌煙されているという理由もあるらしい。
ソーシャルネットワーキングについては、私もここで書いたことがあるが、私と以前に何度かネットで討論したことのある小山のエミちゃんが、これについて面白いエッセーを二つ続けて書いている。特に実名登録と匿名登録の日米の違いについてのエッセーは彼女の左翼的なアメリカ像が現れていて非常に面白い。

Facebookが日本で広まらないのは、当初から言われていたように、実名登録制が日本のネット文化に合わないからである、という説明がよく聞かれる。

Facebook以前は、あるいはそれ以降においても、実名登録制SNSは実は米国でも一般的ではない——というより、MySpaceやFriend-sterを含め、SNSの最も顕著な使われ方は「出会い系」としてのそれであり、Facebookのように「実名登録により、現実社会の友人と繋がる」という使い方はあまりされてこなかった。
となると、求人・求職目的のLinkedInは別として、むしろ問われるべきなのは、なぜFacebookだけがほかのSNSを一線を画す「実名登録制」という特色を掲げ、そしてこれほどまでに成功したのかという点だ。それはつまり、Facebookはどのようにして米国で「実名制への抵抗」を乗り越えたのか、ということでもある。
その答えは、米国に特有の階級文化のあり方と、それを背景としたFacebook自体の出自——あくまで一利害関係者の視点を通してという形でだが、今秋の映画公開が予定されているベン・メズリック著『facebook』に詳しい——にあるとわたしは考えている。

「米国に特有の階級文化」というのは非常に不思議な表現だ。アメリカには貴族だの華族だのは存在しないので、特に階級文化というものはない。金持ちで有名大学に行ったりしてエリート意識を持ってる人間がいるというならそれはそうだが、イギリスや昔の日本のように侯爵だの伯爵だのといった位は存在しないので、親の世代がいくら金持ちでも子供が浪費して破産してしまえばそれまでだし、親が一文もない移民でも、自分の代で事業に成功して大金持ちになれば、身分が低いからといって特定のソーシャルクラブに所属できないといったこともない。
小山の話だと、フェイスブックが実名登録なのは、もともとフェイスブックがハーバード大学の学生及び卒業生の間だけで普及したものだったからだという。

Facebookは、米国ハーヴァード大学の学生だったマーク・ザッカーバーグによって二〇〇四年に創設された。(略)Facebook(当時はThefacebook)はハーヴァード大学のメールアドレスを持っている人だけが参加できる仕組みにすることで、実名登録への安心感を担保すると同時に、特権性・排他性を演出した点が新しかった。

そして当初Facebookを学内に広めるのに大きな役割を果たしたのが、ハーヴァード大学に多数あるさまざまな社交クラブの存在だった。(略)
…….ハーヴァード大学ともなると、普通の大学にあるフラタニティだけでなく、さらに排他的な社交クラブも多数存在していて、本人の資質だけでなく家柄や財産などによっても選別されることになる。普通の大学よりも、より将来に向けた——あるいは在学中にはじめるビジネスの——人脈作りという傾向が強いのだ。
ハーヴァード大学という排他的・特権的なコミュニティにのみ開かれたネットワークを作ることによって、実質的な利用目的はそれまでのSNSと同じく「出会い系」——クラブで開かれるパーティや宴会の目的と同じ——だったしても、それに「信頼できる仲間を作る」「将来のための人脈を築く」といった建前を用意することによって、出会い系そのものにしか見えないサイトへの登録をためらうエリート層が加入しやすいようになった。

はあ、そうなのか。と、一見納得できないこともないのだが、ハーバード大学の学生が裕福な上流家庭の子息子女だけで成り立っているというのであれば、確かにそういうこともあるかもしれないが、実はそうではない。ハーバード大学は奨学金で入学した学生が非常に多く、およそ七割の学生がなんらかの奨学金をもらっている。また少数民族や貧困過程を対象にした奨学金制度もあり、ハーバードに行っている学生は頭脳の面ではエリートかもしれないが、経済面では別にそれほど豊かな家の出身者ばかりではない。
有名校以外の学生は加入禁止という規則でもあるなら、確かにそれは排他的と言えるが、始めはそうでも、最近はフェイスブックがエリートたちの排他的なサイトというイメージはまるでない。誰でも気軽に参加できるし、日本のミクシーみたいに招待されないと参加できないというものでもないから、フェイスブックに参加する事がステータスシンボルになるなんてこともない。
有名大学の生徒や関係者のみサイトというエリート意識に対抗して、高校生や学歴の低い下々の者たちの間で広まったのがマイスペースなのだと小山は言うが、はっきり言ってそんなイメージないなあ。私の印象としては、マイスペースのほうがフェイスブックより出会いサイトという感じがする。私は当初友人のすすめでマイスペースを開設したが、水着姿をプロフィールにしたのが間違いだったのか、変な男達からの誘いばかりが殺到し、日本語で書いたら日本のミュージシャンからの広告リクエスト以外はもらったことがない。
フェイスブックでは、あまり知らない人からのフレンドリクエストが来ないし、変な出会いを期待した誘いも余りもらったことがない。それより、長年合わずに音信不通になっていた学生時代の友達や、出張先で出会ってしばらく会ってなかった人からのリクエストなどがほとんどだ。
小山はアメリカ軍隊の将校と下士官の差についても、それが階級や富の差にあると思っているらしい。

人気ブロガーでSNS研究者のダナ・ボイドは二〇〇七年に発表したエッセイで、Facebookが二〇〇五年に高校生の参加を認めて以来の変化に注目しつつ、FacebookとMySpaceのあいだでユーザが階級に沿って分離しはじめていると指摘している。

またボイドは、米軍内部でも貧しい家庭の出身が多い前線の一般兵士たちの多くがMySpaceを使っており、より恵まれた背景を持つ士官の多くがFacebookを使っていた——軍は二〇〇七年にこれらのサイトの使用を禁止する通達を出した——という点も指摘している。
一般兵士たちの多くが貧しい家庭の出身で高校卒業直後に入隊するのに対し、士官たちは大学卒業後に入隊することを考えれば、高校で既に見られる分断がそのまま軍隊にも持ち込まれているのは当然だろう。

ボイドと言う人がどういう人かは知らないが、確かに士官は大学出でなければならないから下士官より教養はあるが、下士官には貧しい家の子が多く、士官は裕福な家の子が多いというのはアメリカの軍隊を知らない人間の偏見だ。
高校卒業してすぐに志願して下士官になる人というのは、家が貧しくて大学に行けない人というより、高校は出たけど大学には行きたくない、かといってそのまま社会人にはなりたくない、という人が意外に多い。軍隊は、特に下士官は仕事は厳しいが高校時代の延長線みたいな雰囲気がある。回りに年代の同じ仲間が沢山いるし、上から言われた事をしっかり守ってさえいれば特に自分でキャリアを考える必要はないし、昇進に必要な試験にきちんと受かっていれば途中で追い出されたりしないし、精神的には結構楽なもんなのだ。(もちろん戦争に行くのは大変だけど)
大学出で士官として入隊する人は、最初からリーダー格の仕事を望んでいる。士官だからかならず部下がいるわけで、どんな位の低い士官でも自分で判断し下のものを率いる素質を持たなければ昇進できない。私は士官でも若くして部長並みの地位についた人たちと一緒に研修を受けたことがことがあるが、彼らは誰もが頭脳明晰、リーダーシップ抜群で、私の隣に座っていた海軍少佐などは、私の息子くらいの年代なのに、彼に「カカシさん、これやってください。」と言われると、つい「はい!」と言って立ち上がってしまいたくなるほどだった。あの人がリーダーなら素直に付いて行って間違いないと思わせる何かが彼にはあった。
軍隊で士官と下士官は友達関係を結ばないというのは軍隊の規律になっている。これは士官と下士官はプロフェッショナルな関係であり、友人になってなあなあとした関係を持たないための規則である。だからもし、下士官がマイスペースを好み士官がフェイスブックを好むということが事実だったとしても、それは別に彼らのエリート意識云々とは関係がないのだ。
ところで軍隊がソーシャルネットワーキングを禁止したというのは、もしそんなことがあったとしたら一時的なことであって、今では承認している。私は一等兵が軍のコンピュターでフェイスブックを観ていたのをちゃんとこの目で目撃しているから間違いない。軍隊のコンピューターは、色々なサイトに行かれないようにしてあるが、なぜかマイスペースは駄目なのにフェイスブックは観られるという不思議な状態がある。
小山エミが実名登録のフェイスブックの拡大はアメリカ特有の階級文化である排他的なエリート意識にあると言いたいらしいが、アメリカには階級文化などというものは存在しないし、有名校の学生や卒業生たちのエリート意識も、その経済面から来るものではない。
ただ、バラク・オバマ王の例でも解るように、左翼リベラル連中にはこのエリート意識を持った人間が非常に多い。特にお金のかかるアイビーリーグ系大学に行ったひとたちにはその傾向が強い。小山の過ちは、自分が左翼なのでそういう左翼エリートとしかつきあってこなかったから、左翼エリートの階級主義やエリート意識がアメリカのそれだと思い込んでいる点だ。
もっと軍人も含め一般のアメリカ人ともつきあってみてはどうか。そうすれば、アメリカに階級文化などというものは存在せず、貧乏人の子供でも金持ちになれるというアメリカンドリームが健在であることを知るはずだ。


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ネットで出会った不思議な日本人たち

以前に、カカシはネットサーフをしていて、とある日本人主婦のブログを見つけた。彼女はごく普通の中流家庭の女性で、関西地方の中都市郊外の中型の家に住み、子育ても終わって特に仕事らしいものもしていない専業主婦。その日のエントリーは。町内会の主催する日帰り旅行についてだった。バスの中で近所の中高年の主婦達と楽しい会話を交わし、行った先の景色や食べたものの写真などを掲載し、小さな孫達にお土産等を買った話をしていた。
私はこのエントリーを読んでいて微笑ましく思うのと同時に、なんと自分の人生とはかけ離れた生活なのだろうとつくづく思ってしまった。
カカシとこの主婦とは年代的にそれほど離れていないと思われる。日本人に生まれ日本人として育ったカカシが、もしごく普通の平凡な主婦としての生活を選んでいたら、カカシも日本で結婚して二児の母となり、今頃は子供たちの受験に追われてるところかもしれない。いや、もう二人の子供が大学生になっていて、ほっと一息入れているときかもしれない。
それがどうしてカリフォルニア南部に落ち着いて、年間何ヶ月も船上で過ごす船乗り紛いの生活をするに至ったのかというのは、それはそれで面白い話かもしれない。だが、世の中には、カカシなどとは比べ物にならないほど、奇想天外な生活をしている日本人がいる。
だいたいアメリカ、特にカリフォルニアやハワイあたりに落ち着くのは、日本人としてはそれほど珍しいことではないし、特に取り立てて冒険心も必要としない。だが、これが東ヨーロッパや中近東、東南アジア、などになってくると話は全然違ってくる。
カカシは数年前からネットを通じて、世界各地で活躍する日本人の方々に出会った。知り合いになって掲示板などを通じお話するようになった人もいれば、私が勝手にブログを読んでファンになった人たちもいる。
たとえば、某掲示板で知り合ったマレーシアで地域振興外国人スタッフとして活躍するアセアンさんとか、以前はイスラエルに住んでいて今はクロエチア住まいの写真家の千花さんなど、私など考えたこともないような場所での生活をしてらっしゃる。
そして本日、アフガニスタン関連の記事を探していて、ばったり行き当たったこのブログ。世界の笑顔に出会いたいのMESTさんという女性。
MESTさんも千花さんと同じように写真家で、アフガニスタンを含め中近東でボランティア活動などもしているようだ。ブログのトップページの紹介文では、

とても尊敬する写真家である”ボス”に出会い、彼の立ち上げたアフガニスタンのとある地域の学校を支援する活動にスタッフとして加わり、今年(2007年)初めて現地へ行ってきました。

この訪問で、あまりに多くの笑顔に出会い、この笑顔あふれる国アフガニスタンのことを少しでも多くの人に知ってもらいたい一心で始めました。
それと同時に以前から通い続けているエジプトの笑顔や現実もご紹介しています。

あんな危険な場所に頼まれてもいないのに出かけて行って働くなんて凄い人だなあ。
こうした感心する方々とは正反対だが、冒険心という意味では変わらない過激派のブログにも行き当たったことがある。例えばこのブログでも何度か紹介したテロ団体ISMに参加して、パレスチナまで行ってテロ援助をしたこともあるという女装趣味の自称変態運動家のひびの、なんていうけしからん奴もいる。ま、本人は慈善事業でボランティア活動でもしてるつもりらしいが、同性愛者は極刑に処すべき主義の過激派ジハーディストに同調して対イスラエルの暴力行為に加担するなど愚の骨頂だ。しかし、ISMのメンバーは逮捕されたり殺される可能性は多いにあるわけだから、情熱の矛先を間違えているとはいうものの、その度胸は認めざる負えない。
というわけで、今日は意図していたこととは全然違うエントリーになってしまった。(笑)


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引越しブームのアメリカ、苺畑夫婦も便乗

読者の皆さん、更新が滞っていることをお詫び申し上げます。
今、アメリカは引越しブーム。それに便乗して苺畑夫婦も長年住み慣れたマンションを引き払って一軒家に引っ越した。場所は同じ町内で徒歩も可能なほどの近所。先週は一週間この引越しに追われていて、他には何も出来ない状態だった。
カカシが南カリフォルニアのLA郊外にあるこのマンションに越してきたのは今からかれこれ15年以上も前。ウィッティアーの大地震のあった年で、それまで住んでいたアパートの壁が地震で落ちてきたのが直接の原因。
私が引っ越してきた当初、このマンションの住人は引退後の中高年代夫婦か、つれあいを失くした老人の一人暮らしなどがほとんどだった。しかし15年もたてば、亡くなった人もいるし、年老いて一人暮らしが不可能になって老人ホームにはいったり、家族に引き取られたりする人も多く出て、4~5年前の不動産ブームの頃に、多少年代の若い中年世代の人々と叙々に入れ替わっていった。
それが今回の不動産市場崩壊で、ブーム時期に無理なローンを組んで入ってきた住人のユニットが次々に売りに出された。これはうちのマンションだけでなく、アメリカ全国で起きている現象だ。
捨てる神あれば拾う神あり。不動産を買うなら値段が下がっていて、金利も低い今が買い時とばかりに飛び込む人もたくさん居て、今やアメリカは引越しブームというわけ。
我々夫婦がマンションを売りに出したとき、70世帯あるうちのマンションだけで、10近くのユニットが売りに出されていた。これだけ競争相手があると、なかなか良い値段では売れないのではないかと心配だった。なにしろローンの方が実際の不動産の価値より高い人がほとんどだから、(こういうのを逆立ちローンというのだそうだ。)売値が低いユニットが多い。
ただ我々の場合は払いきれないローンがあったわけではないので、特に焦って二束三文で売る必要もない。かなり時間をかけて粘ったおかげで、まずまずの値段で売ることができた。
一番最近の不動産ブームが始まったのは10年近く前だが、2~3年前がそのピークだったのではないだろうか。今回、家探しの時も、まだ数年前に買ったばかりの家をローンが払いきれずに売りに出しているという家を何軒も見た。うちのマンションでも、ユニットの価値の三倍のローンを組んでいる人がいた。いくらなんでもあれはやりすぎだ。
さて、引越しブームと書いたが、我々が引越した週末だけでも、引越し会社の大型トラックがマンション前の道路にところせましと何台も駐まっており、下手をすると、よその家の家具を運んでしまうのではないかと思うほど引越しラッシュが起きていた。
「いや~お宅も引越しですか? で、どちらへ、へえ~」てな具合である。
そういえば、去年バージニア州のD市に行ったときも、ひとつの通りだけで、何軒もの家の前庭に不動産会社の看板が立っているのをみかけた。
今、アメリカでは家を無くす人の数が相当いるのだろう。
オバマ王の救済対策はまるで効果がないどころか、どんどん悪いほうへ向かっている。


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アメリカ左翼がティーパーティーを恐れる理由

今年から職場の担当が変わって、これまでの長期出張と違い、月曜から金曜までといった短期の出張がずっと続いている。ひとつひとつは長期ではないが、こう移動が多いとかえって疲れる。今月だけですでに四つ目のホテル。
あまりの忙しさにオリンピックを見る暇もなく。ルージュとスキージャンプをちょっと観た程度。ニュースもホテルから支店までの間に聴くラジオニュースくらいしか聴いてない。支店の研究室ではネットアクセス厳禁なので、ブログ更新は週末しか出来ない。
そんなおり、テキサス州に住む気違い男が自分の家に火を放った後、小型飛行機を盗んで国税庁のビルに突っ込んで自殺するという事件が起きた。飛行機の突入角度から言って何百人という職員が働いている階を狙い、多くの犠牲者を出すつもりだったらしい。これによって犯人のジョー・スタックと税務署の職員一人が死亡、何十人という負傷者が出た。
これはどこかのテロ団体に属する者の仕業ではなく、単に政府に腹を立てた男の単独行動だったようだ。
しかし興味深いのは左翼リベラルたちの反応だ。彼らはこの男がオバマ王の増税に腹を立てていたということだけを取り上げて、『今アメリカ中で起きている反オバマ政権のティーパーティー活動が、こういう危険な人間を生み出したのだ』と主張し始めたのだ。リベラルの人気サイト、ハッフィントンポストに寄せられた2000近いコメントには犯人のスタックとティーパーティーを結びつけて侮辱するものがほとんどだった。

  • 奴はティーパーティの会員なのは間違いない、ついでにグレン・ベックのファンクラブの会員もね。
  • ティーバッグ爆弾
  • 自然選択が機能して良かったね。ティーパーティ団結せよ。
  • この男はティーバッガーみたいだ。
  • たのむよ、ティーバッグがしたたってるぜ。
  • やつらが思わせたよりずっと自由に対して危険だよ。恐れよ、奴はティーパーティーテロリストだ!

犯人のジョー・スタックはソフトウエアのエンジニアーだったが、どこかのウェッブサイトにどうして自分がこのような犯行に及ぶに至ったのかという**遺言**を残している。それによると、彼が憎んでいたのはオバマ政権や国税庁だけではなく、ブッシュ前大統領やカトリック教会などへも強い憎しみを持っていたようで、スタックは『共産主義はそれぞれがそれぞれの必要に見合ったと主張する思想であるのに対し、資本主義はそれぞれがそれぞれの汚い欲望に見合った社会をつくることだ』といった内容のことも書いていたという。ポリパンディットがスタックの憎む相手を箇条書きしている、下記はその一部。
**アップデート:ヤスの備忘録さんがほぼ全文を翻訳してくれているので、興味ある方はご参照のこと。

  • ジェネラルモータースの重役たち「考え難い悪行を犯した」
  • アメリカの医療システム「年間何千何万という人々を殺している」
  • 政治家「泥棒、嘘つき、自分勝手で汚い奴ら」
  • カトリック教会「下品、腐敗」
  • 宗教団体「化け物」
  • アメリカ庶民「信じられないほどの馬鹿」
  • ジョージ・ブッシュ 「操り人形の大統領」
  • 国税庁「ビッグ・ブラザー」

これだけ読んでみても、スタックはおよそリベラル政権を憎む右翼過激派とは思えない。単に自分が不幸なのはすべて世の中のせいだと思い込んだせこい人間のように思える。
にも関わらず左翼リベラルたちの熱狂ぶりはどうだろうか?
これについてカカシはミスター苺に「どうして左翼はこうもティーパーティーを憎むんだろうね。」と聞くと、「いや、左翼はティーパーティーを憎んじゃいないよ。ティーパーティーに恐れおののいているのさ。」という答えが返って来た。ミスター苺に言わせると、リベラル連中はエリート意識が高く一般市民を馬鹿にしているが、左翼は市民に対してもっと現実的な恐怖心を持っている。だから市民の間でわき起こる草の根運動の力強さを正しく把握し、それに脅威を感じているのだ。

左翼は恐れおののいている。なぜなら、他の政治団体に比べ彼らほどポピュラーフロントの恐ろしさを知っている団体はないからだ。そして彼らは今やまさに、その動きを目の当たりにしているのだ。

ポピュラーフロントとは非常に様々な政治力の共同体である。普段なら敵対し合うような団体のリーダー格が稀に同盟を結びはじめる。そうなると団体同士が同盟をむすぶ。結果は既存の体制のダムを押し流すような激しい動きとなるのだ。この動きにはすべての、いや過半数の市民でさえ含まれる必要はない。対抗する他の同盟を押しよけることのできる規模でさえあればいいのだ。つまり、フロントが求めるものをフロントは獲得する。
左翼はポピュラーフロントの止められない生の力を理解している。だから彼ら自身が国を制覇し「共産化」しようとする時の作戦は、かならず既存の体制に犯行するポピュラーフロントの結成であり、それを使って地方政府や植民地支配政府などに対して抗議運動を行う。

ポピュラーフロントが強大化すれば、それは革命につながる。だが革命を起こすのは左翼とは限らない。1979年の比較的資本主義だったシャー政権を倒したイラン宗教革命や、1930年代のナチスファシストらによる共産主義政権の打倒、それから1776年のイギリス帝国に対して行ったアメリカの革命運動などが、そのいい例だろう。
どの運動も、普段なら敵対し対抗しあうような政治団体が、この時だけは協力し合い、体勢に向かって立ち上がった。

愛国心旺盛で小さな政府を求める資本主義のティーパーティーは左翼にとっては最悪の悪夢なのだ。

ティーパーティーは特に共和党の動きというわけではない。だが、共和党の方がティーパーティとの共通点を多く持っていることは確かであり、ティーパーティーを味方につけるには民主党より有利な立場にあると言える。サラ・ペイリンなどの共和党リーダー達はこれまで自分たちが主張してきた政策をそのまま行動に移せばいいだけだからだ。しかし民主党はそういうわけにはいかない。ティーパーティーの要求と民主党が過去40年間に渡ってとなえて来た思想とは全く正反対だ。民主党がそれをすべて撤回し、しかも自分らが誠実であるとティーパーティーを説得するなどということは、そう簡単に出来ることではない。
ポピュラーフロントの力は、この間のマサチューセッツ上院議員特別選挙の時に顕著になった。選挙のほんの二週間前までは民主党の候補だったマーサー・コークリーが58対27で31%も優勢だった。それが二週間後の選挙では52対47でブラウンが圧勝してしまった。これは36%の逆転だ。こんなことは前代未聞である。
一年前に全国各地で細々と始まったティーパーティ運動は、リベラル達がティーバッガーなどといって馬鹿にしている間にも、どんどんその勢力を増している。マサチューセッツ州で起きたような保守派の逆転勝ちが、全国各地の地方選挙で徐々に起きれば、2012年の全国選挙では、民主党議員達が大敗する可能性が出てくるのだ。そうなれば2008年に絶対多数議席を獲得した民主党は、たった四年で全てを失うことになるのである!
リベラルは単に左翼にとって「役に立つ愚か者」でしかない。リベラル連中はティーパーティーの恐ろしさを理解できずにティーバッガーなどといっておちょくるくらいしか能がない。だが左翼は違う。左翼連中はティーパーティというポピュラーフロントのもたらす恐ろしい底力を理解し、それに恐れおののいているのだ。


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ソーシャルネットワーキングで浮気がバレた同僚

クリスマスも近いことで、ちょっと今日は嗜好を変えて、政治とは無関係な日常の話をしたいと思う。実は私は、ソーシャルネットワーキングというネット上でのグループに属している。
面倒なので本当は入りたくなかったのだが、友達や親戚からせっつかれて仕方なしに参加した。特に家族が写真などを沢山張っては「写真みてくれた〜?」とかメールを送ってくるので、まあしょうがないっていうかんじ。
人によってはリクエストがあると誰でも彼でもかまわずオンライン友達にしてしまう人もいるが、私は親戚と昔の同級生くらいで、あまり何人も友達にしないようにしている。特に仕事関係の人は避ける。ずる休みした話などを書いてしまってボスにばれたら大変!(フェイスブックで上司を「友達」にしていたことをすっかり忘れて、上司の悪口を言って首になった人の話を義弟が紹介していた。)
このネットワークでは友達と認定している人以外は自分の書いたことを読めないようにしておくことができる。掲載した写真なども、「友達だけ」と限定して友達でない他人が見る事は出来なくすることができるので、私は顔の写っている写真を掲載する時は必ず友達限定をしている。景色等、別に誰が見てもいいものなら特に限定しないこともあるが。
ただ、自分や自分の家族が写っている写真を無制限に公開してしまっている無防備な人もいるので、こういうのはどうかと思うこともある。
実は、私はそんな人の不注意で面白い体験をした。(本人はどう思ったかしらないが)
私とネット上で友達のA枝さんが、彼女のネット上友達のB男さんの写真にコメントを付けた。するとA枝さんのコメントは私に見えるようになった。私はB男さんとはネット上友達ではないが、B男さんは掲載した写真を友達限定していなかったので、そのアルバムに張ってある写真はすべて私にも見る事が出来るようになっていた。
実は、A枝さんと私は同僚ではないのだが、A枝さんのネット友達のB男さんは、カカシの実社会での同僚。B男さんが載せた写真は、彼が夏にバハマに休暇で旅行した時のもの。青い海の写真がきれいだったのでクリックしてみると、無限定のアルバムには美しい景色と共に、うら若き女性の顔があっちこっちに写っている。B男さんは既婚で彼の奥さんとは私も知り合いだが、この女性は断じて彼の奥さんではない。まてよ、この女性、どっかで見た事あるなあ。あ、この人、もしかして総務課のC子さん?
ちょちょっとB男さん、これって問題じゃない?
B男さんと奥さんが別居したという話をきいたのはそれから一ヶ月後だった。(告げ口したのは断じてカカシではない。)


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