父の病気で母の運転諦めない件に進展あり

この間私の87歳の母が未だに運転を諦めずに妹が苦戦しているという話をしたが、その後意外な展開があった。

あのエントリーを書いた後、母は自分で免許証センターに言って免許証を紛失したとして再発行してもらってきてしまった。妹が実家の掃除に寄った際に、母の様子がおかしいので母の財布を調べたところ、ちゃっかり免許証が入っていたというのだ。それで妹は再びその免許証を取り上げ自宅に持ち帰った。

それに気づいた母は大激怒。もう二度と妹を実家に入れないといい、妹が出勤前に毎日実家に顔を出してもドアにチェーンをかけて中にいれてくれないという。妹から父にチェーンを外してくれと頼んでも、お母さんが怒るからと協力してくれないと妹は嘆いていた。

どうしても運転を諦めない高齢者の家族を持つ悩みは多くの人が抱えている。先日もコメンターのhiromiさんがそうした悩みをどう解決したのかという体験談を色々紹介してくれた。(ひろみさんありがとう)

高齢の家族に運転を諦めてもらおうと人々が試した方法とは、

  • 母親が車をこすったので修理に出すといって車を処分。
  • 近所の車ディーラーにかたっぱしから電話をかけて車を売らないでくれと頼んだ。
  • 父親の免許証を取り上げ、車で出かけた父を警察に「無免許運転している」と通報して保護してもらった。
  • 父親が信頼している男性の医者から運転を諦めるように諭してもらった。

と、妹も試した方法なども含め同じような策を取った人が結構いるのだなと感心した。それをいくつか読んでいて、日本では公安委員会が免許証の差し止めの判断をするということを知り、さっそく妹にメールしたところ、妹はすでに公安にはなんども相談しているが拉致があかないと言うことだった。

これだけ高齢者の交通事故が問題になっているというのに、どうして行政はもっと家族の訴えに耳を傾けてくれないのだろうか。本当に歯がゆい。

そうこうしているうちに、妹からお父さんが救急車で病院に運ばれたというメールが来た。なにやら肺に水が溜まって、もしそのままにしておいたら後一年は持たないだろうと言われたという。手術が必要なのだが、何せ父はもう89歳という高齢。手術して寿命を一年二年延ばしたからと言って何が変わるというわけでもなし、などと考えていたが、医者の話では余命一年といってもその間かなり苦しい思いをする羽目になるとのことだった。だったら手術をして一年でも二年でも楽に余生を送ってもらったほうがいいだろうと妹とも話をしていた。

ところが父は手術はしないと母に言ったという。母が車のことで妹とケンカばかりしていて、その板挟みになり、生きていても辛いだけだと話したというのだ。

父を失うことになるかもと思った母は大慌て。それでもう運転は諦めるから、どうか手術を受けてくれと嘆願したそうだ。妹の方にも迷惑をかけてすまなかったと謝罪の電話が来たと言う。妹が散々言っても言うことをきかなかったのに、父の命が危ないとなってやっと心を入れ替えたようだ。

無論母のことなので、父を説得するためにその場しのぎの嘘をついた可能性は無きにしも非ずだが、父の入院などで今後ゴタゴタしている間に、母がそれどころではないと車の件を本気で諦めてくれることを願うばかりだ。


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87歳の実母が車の運転を諦めず苦戦する妹(アップデートあり!)

後日談があるので最後参照!

わが実母は今年87歳である。30歳過ぎて免許証を取ってから50年以上ずっと車生活を送ってきた。しかし歳も歳であり、腰の手術をしたりなんだかんだで入退院を繰り返し、病院へ車で行って駐車場で他の患者さんに当てて軽傷ながら怪我をさせるという人身事故を起こしたりで、周りがハラハラする出来事が多くなってきた。それで3~4年前から、近所に住んでいる妹や他の親戚たちとも相談して母に運転を諦めてもらおうと説得がはじまった。

しかし母は妹のいうことは全くきかず、母のすぐ下の弟で個人タクシーを長年やっていて80歳で免許返上した叔父から母に運転を辞めるように何度も言ってもらったが母は効く耳をもたない。母が運転出来ない時に送り迎えなどをしてくれている70代の別の叔父も母を説得したがまるで効き目なし。そうこうしているうちに母は妹に何も言わずに大して乗っても居ない車を新車に買い替えてしまった。

妹は母に激怒したが、同時にどうして80過ぎの年よりに新車を売りつけるのだとディーラーにもカンカン。とはいえ向こうも商売、ちゃんと免許証があって代金が払える人に買うなとも言えないだろう。しかし母の運動神経はかなり鈍っているようで、この新車もすぐにあちこちにぶつけたりこすったりで、運転してるより修理に出ていることの方が多い位だった。

去年の終わりごろ、母がまた車をこすって修理に出したのを利用して、妹がディーラーに車を暫く預かってもらうことにした。その時全く事情をしらない私の元に母からラインメッセージが届き、「(妹)ちゃんが私の車をもっていって返してくれない!」と言って来た。この時妹から事情を聴いて母の認知に問題が生じているなと悟った。母は自分で車を修理に出したことをすっかり忘れていたのである。

母は以前にうるさく言う妹を黙らせようと、自分の知り合いの若い人に車を譲るつもりだという話をしていた。母はその人にも車を譲ると約束していたので、妹はさっさとその手続きを進め、車はその知り合いに譲り、母が使っていたディーラーにも事情を話、地元の新車ディーラーシップではどこも母に車を売らないように手配をしてもらった。

これで一件落着と思いきや、数日前妹からメールで母が中古車を買ってしまったと連絡があった。新車ディーラーは扱ってくれないと解った母は、なんと今まで一度も買ったことのない中古車を買う手続きをひとりでやってきてしまったのだ。妹は母の行動力には感心すると呆れていた。私も妹も母が免許証を返上しない限り、こういうことは起こり得るとは思っていたが、まったく油断も隙もあったものではない。

幸いにして妹が納車前に気付き車はキャンセルし代金も返金してもらえた。中古車ディーラーの人も、自分の父親が同じようなことを何回かやってその度にキャンセルするのが大変だったと言って同情してくれたそうだ。

怒った妹は母から免許証を取り上げてしまった。警察署に連絡し、母から申請があっても新しく免許証を発行しないでほしいと頼んだそうだが、警察はうけつけてくれなかったという。高齢者による運転で悲惨な事故が何件も起きているのに家族にはそれを止める手立てはないのだろうか?

苺畑家の老人は脳内外科の専門医から認知症と診断された途端に医者から直接役所に連絡が行き、DMV(車関係の役所)から連絡が来たので、こちらから出向いて返上し運転はできない身分証明書に書き換えてもらった。日本でもそういうことは出来ないのだろうかと妹に聞いてみたが、母が自分から進んで認知診断など受けに行くわけはないので、それは先ず無理とのことだった。うちの老人は自分から進んで診断に行ってくれたので助かったが。

今のところ、妹は母に嘘をついて、警察が新しく免許証を発行してくれることはないと言っているらしいが。母は行動力も情報力もあるので、いつまでその嘘が通じるかわからないとのこと。

そこまで出来るなら認知症などではないのではと思われるかもしれない。実は認知症の症状は軽い時期は家族以外は気が付かない場合が多いようだ。私も母とは同居しておらず、たまに電話で話す程度なので、その短い時間だけだと母はしっかりしているように見える。しかし、ある時母と長電話をした数日後に再び母から電話があり、数日前の電話がなかったことのように全く同じ話を始めたのを聞いて、あ~、やっぱりどっかおかしいと私も気づいた。

高齢化の進む日本では、こういう問題で悩む家庭は多くいるだろう。地域によっては車なしでは生きていけないところもある。近くに家族が居なければ買い物にも行かれないし通院も大変だ。独立心の強いひとほど運転を諦めるのは本当に大変だ。私自身今運転出来なくなったらどうすればいいのか真剣に悩む。

ともかく母がまた何かやらかさないことを祈るばかりである。

アップデート 1月18日現在。さっき妹からメールが来て、母が免許証を再発行してもらってきてしまったという。妹が実家の掃除に寄った時に母の財布を見て発見。再び免許証を取り上げて帰ってきたら、母が大激怒してメールしてきたそう。またもらいに行ってくると頑張ってるらしい。


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正月早々風邪をひいた

いやはや新年早々風邪をひき、三日からの出勤が出来ずお正月休みが延長しているカカシです。ここ2年間やたら風邪をひくことが多いのだけど、今回の風邪はこれまでよりかなり重症。日曜日にガラージの掃除をしていて、鼻水が止まらなくなった。これは多分ガラージの埃が原因だろうと思っていたら、月曜日にはくしゃみが止まらなくなり、夜分には咳き込みはじめた。火曜日になったら鼻水は止まったけど今度は悪寒に見舞われ咳はどんどんひどくなり微熱あり。夜は横になると咳き込むのでソファで座ったまま寝た。水分を取らねばとハーブティーを飲み続け、火曜日はさすがに家事は無理ということでピザの出前を頼む。やっと水曜日の夕方ごろから咳も収まってきて熱も下がった。

今朝木曜日、だいぶ気分が良くなって、近所の薬局でビタミンD3とCとZinkを購入。Quercetinという薬がコロナ予防と治療に効くと聞いたが、近所の薬局には売ってなかったので後でビタミン屋さんに行こう。もしかしてオミクロンに感染したのかもと思ったのだが、PCR検査が出来るのは来週の火曜日が最初と言われたので諦めた。その頃には治ってると思うし。

サンディエゴに居る知り合いの話では、彼女の職場でも風邪が大流行りだそう。みんなコロナワクチンは打ってるけど、ただの風邪なのかオミクロンなのかは不明。彼女曰く、コロナワクチンのせいでみんな免疫が下がっているのではないかとのこと。

ところで同じ時期にワクチンを打った仲間の間でオミクロンが大蔓延という人の話を聞いた。私がよく聞いているポッドキャストのホスト達が一斉にオミクロンに感染。彼らによると彼らの家族や親せきも一斉にかかったそうだ。クリスマスにみんなで一緒になったから誰か一人でもかかっていればそれがみんなに移ったというのは考えられる。しかし彼らの話によると、ワクチン打った人も打たなかった人も皆症状は一緒で非常に軽かったという。

私が愛聴しているマット・ウォルシによると彼の症状は2~3日微熱が出た程度で治ったとのこと。彼の同僚のマイケル・ノールズも感染したが、ただの鼻風邪程度だったという。

正直な話、もうコロナ禍は終わったと私はおもっている。元の武漢ウイルスが変化して感染率は高いが軽症で済む弱体なオミクロン株になったことでCovid-19によるパンデミックは終わったのだ。オミクロンにかかっても死ぬことはない。単に2~3日軽い風邪にかかる程度のものだ。

だからもう無理やりワクチンを打つ必要はないし、マスクも必要ない。もちろん咳き込んでる人はマスクをすべきだが、何の症状もない人は心配することはないのだ。ただこの2年間で学んだ病気の予防はこれからも続けるべきだろう、手を頻繁に洗うとか、ビタミン剤を接種するとか。

私はワクチンを早急に打ったが、ブースターを打つ気はない。ともかく早く社会がもとにもどってくれればいいと思う。私には年老いた両親が実家におり、二人に何かある前に日本に行きたいので。


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苺畑夫婦の断捨離五年計画、ガラージで6万円発見

年末で私が楽しみにしてるユーチューバーさんたちが揃って冬休みにはいってしまった。私も今週一杯来年二日まで休暇なので、久しぶりにガラージの掃除でもしようということになった。実は私はあと5年もしたらこの家を売って、どこか物価の安い州に引っ越そうと思っている。それというのも、あと5年すると日本でいうところの厚生年金がもらえるようになるからだ。それと同時に今の仕事も辞めてゆっくり隠居生活を送ろうと思っているわけ。

ではどうして持ち家を売るのかというと、この家にはローンがまだだいぶ残っていて、収入がなくなったらローンが払えなくなってしまうからだ。家を売ることで家のローンは帳消しになり、もし買った値段より高く売れれば、多少の収益もあるはずだ。その余ったお金で他所の州でマンションでも買って、なんとか年金暮らしが出来るのではないかと思っているわけ。

さて、五年後に引っ越すと言っても、この家には10年以上暮らしており、その間に貯めたがらくたが沢山ある。引っ越す際には多分、業者に頼んで色々もっていってもらうことにはなるだろうが、その前に自分らで片付けられるものは片付けておこうと決めたのである。

題して苺畑夫婦の断捨離五年計画!

ユーチューブの片付け動画を見ていたら、たいていの人はあまりにも色々ありすぎて、いったいどこから手を付けたらいいのか分からないというそうだ。それでそういう場合はともかく、先ずこの部分を片付けようと決めて、そこが終わったら徐々に片付ける範囲を広げていけばいいというのが片付け専門業者さんのアドバイス。

というわけなので、では先ずガラージから片付けようということになった。前々からガラージのガラクタを少しづつ捨ててきてはいたのだが、今日は山積みになっている中身不明の箱の数々に挑戦。ともかく中身を確認して要らないものは捨ててしまおうということになった。

主人は何故か電気のコードとかケーブルとか充電池やたこ足を箱に一杯詰めて持っていた。なんでこんなもんが必要なんだ、と思ったが、いつか使うだろうと思ったんだろう。でも技術の進歩で使えないようなものばかり。その他いくつもある箱の中身は主人の昔の雑誌。一箱などすべてプレイボーイ!いちいち中身なんか見てないで早くすてろ~!

そして色々見ているうちに私のものと思われる箱を発見。

ん?なんだこれは?と思ったら小さながま口小銭入れが三つ出て来た。まさかと思って中身を見たら日本の一万円札が入っていたああ!それも数枚。一、二、三、四、五万円もある。まてよこれは五千円札と千円札。全部合わせて六万円なり~!

小銭入れにはさらに2~3千円はあると思われる小銭がびっしりはいっていた。以前に日本に行った時に使わずに持って帰ってきたものだろうが、一緒に見つかったもう一つの小銭入れはユーロ硬貨がびっしり!最後にヨーロッパに行ったのは10年以上も前なので、もしやこの箱はここへ引っ越して来た11年前からずっとここに置きっぱなしだったとか、、、ひょえ~!

実は他の箱と比べて、この箱だけが私のもので、しかも中には私がずっと探していて失くしたと思っていた昔のアドレス帳や、両親と一緒に行ったナイアガラ旅行の写真なども入っており、ガラージに無造作に置いておくようなものではなかった。どうしてこの箱が10年以上もガラージに置きっぱなしになっていたんだろう。

ふと考えて思いついたのは、10年くらい前に日常使わないものを箱詰めして、後で整理しようとガラージに入れてそのままになっていた箱がいくつもあった。その整理の最中に、私はこれは大事なものだからと一つにまとめて別にしていた箱があったのだ。他の箱の中身が主人のどうでもいい雑誌や使わないコードやケーブルだったことから考えて、主人が自分のものをガラージに移した時に、私の箱も間違えて持って行ってしまったのだろう。お金はともかく、アドレス帳は当時必死に探した覚えがある。まさかガラージで今まで眠っていたとは、、、

午前中かけてかなりの箱の中身を捨てたが、これ以上はゴミ箱に入りきらないので、残りは来週のゴミの日に持って行ってもらうしかない。まだまだガラージにはガラクタが沢山あるが、それでも歩いて入っていけるようになったのは進歩だ。


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一泊二日の旅、GPSに躍らされた帰り道

今週水曜日に一泊二日で出かける予定があったのだが、水と木曜日は大雨警報が出ているため、急遽予定を変えて金土で旅行に行って来た。行先は何度もいったことがある場所なので行き方は解っていた。(一つの高速を200キロ走って降りたらすぐ右に曲がるというだけの道順)。しかし最近は道路状況などをリアルタイムで教えてくれるGPSが便利なので、一応GPSをつけていた。

金曜日の天気は快晴で素晴らしい旅行日和だった。しかしなぜか高速では立て続けに三つの事故。1マイルを通過するのに一時間という酷い状況だった。やっと事故現場を通過してなんとか軌道に乗ったなと思ったら、GPSが下の道へ降りろとうるさく言う。私は事故通過で疲れていたので知らない道を行くのは億劫になり、GPSを無視してそのまま現地へ直行。一時間遅れで無事到着。

行きはよいよい帰りは怖いとはよく言ったもの。帰りは心の余裕があったのでGPSの言うことを聞いてみようと思った。翌日の土曜日も快晴で息が白くなるほど寒い朝だった。こんないい天気なら走ったことのない道を行くのも楽しいかもしれないと思い、高速に乗らずGPSのいう「近道」を通ることにした。これがいけなかった!

GPSが導いた道は対向車と二車線のみで分離帯もないハイウエイ。高速道路から見える景色とは断然に違って美しい景色が広がっていった。左右に広がる野原、緑の木々、素晴らしい、美しい、などと思いながら走っていると、だんだんと道が山の方へと進んだ。そしてだんだん道の傾斜が急になり、道路もくねくね曲がり始めた。これは山を登るんだなと解ったが、登るということは後で降りることになるはずだがと不安になった。

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左右に広がる野原、緑の木々、素晴らしい、美しい

道はどんどん山を登る。カーブもかなり急になってきた。にも拘わらず対向車はビュンビュン飛ばしてくる。怖くなって私のスピードが落ちてくると、私の後ろに車の列が出来てしまった。こういう場合路肩に寄れれば一旦寄って後ろの車を先に行かせるのだが、いつまで行っても寄れるような路肩はない。それどころか、山が開けて突然崖っぷちの道が開ける。

オーマイガー!

そんなこんなで20kmは走ったと思ったら今度は下りが始まった。GPSによると、高速に合流するまでまだ20キロもあるという!下りは上りよりずっと怖かった。右側は絶壁の峡谷(というほどでもないが、私にはそう見えた)。そしてヘアピンカーブがくねくねと続く。まるで日光のイロハ坂の雰囲気。そして突然目の前に広がった碧い海!美しい、素晴らしい!でも怖い!

もし私がただの乗客として乗っていたなら、この景色を十分楽しめたのだろうけど、運転してる身としてはそんな余裕はなかった。ブレーキを踏みながらの下りは車に良くないとは思ったが、あんまり速く走りたくない。でも下りなのでスピードが出てしまいどうしようもない。手に汗を握らせながら、あと何㎞走ればいいんだあと思いながら走っていると、GPSの若い男性の声が(以前は女性の声じゃなかったっけ?)「あと5km」と言う。え~あと5kmもあるの~!

しかしこの頃には山を下り切って、今度は海岸沿いの平たい道になりホッと一息。そうか、解ったぞ。GPSのいう近道とは山を迂回する高速と違って、山を登って降りる道のことだったのか。そうと知っていれば絶対行かなかったのに。死ぬかと思ったよ。

確かに景色は素晴らしかったけど、あんな怖い思いをするくらいなら景色もなにもない高速をだらだら走った方がずっと良かった。

San Marcos Pass (California Hwy 154)--not one of my favorite places, but  crossed this going to Los Olivos. | Arch bridge, Bridge, California vacation

コールドスプリングブリッジ

ネットで調べたらこんな写真が出て来た!こんな橋を渡った記憶がないなあ。それとも恐怖で記憶がふっとんだのだろうか?(笑)


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クレジットカード番号を盗まれた件

クレジットカード番号を盗まれた!

最近あんまり日常的な話をしてこなかったので、私の身の周りに起きたちょっとした事件をご報告したい。先ずはクレジットカード番号が盗まれた件。

私はクレカの請求書は一か月に一回しかチェックしない。だいたい自分でいくらぐらい使ったかは把握しているので取り立てておかしな金額でなければ特に詳細を見ずに払っていたのだ。これがいけなかった。

先月、車の修理など色々出費があったので多少高い金額になってる可能性があると思いチェックしてみると、思っていた金額の三倍以上の請求が来ていた。おかしいなと思って詳細をみてみると、なんと10万円近いウーバーからの請求。私はウーバーは使ったことは一度もないので請求など来るわけがない。それでよくよくその前の月の請求書から一行一行読んでみると、いつもは買わない業者からネットで買い物をしたその日から、訳の分からないチャージがどんどん入っていたのである。もし先々月の明細をきちんと読んでいれば、最後の方でおかしなチャージがあったことに気付いていたはず。でもそれをしなかったおかげで泥棒は先々月の一か月間使いに使っていたというわけ。

しまったあ~やられた~!

早速クレジットカード会社に連絡をし新しくカード番号を変えた。カード会社はすべて返金してくれると約束してくれ、その後ちゃんと返金もあったので一件落着と思っていたら、そうではなかった。

今月新しいカードの請求書を調べてみると、またまた訳の分からないチャージがある。私が先々月に一回だけ買い物をした会社からの自動引き落としが入っていたのだ!この会社での買い物がきっかけで番号が盗まれたというのに、なんで新しいカードでこの引き落としが入っているのか?

カード会社に連絡したところ、自動引き落としはカード番号を新しくしてもひきつがれるとのこと。そんな話は聞いてない!それに私はこの会社からは一回買っただけで自動引き落としに同意した覚えはない。

というわけでまたまたこのカード番号を凍結。今後一切自動引き落としはしないという設定に変えてもらった。すでに自動引き落とし契約をしている数社には他のクレカの番号を指定したので、こちからからの引き落としはないはず。すべての決着がつくまでこのカードには一切チャージにしないことに決めた。


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昔懐かしい団地生活

昨日誰かがツイッターで松戸市の博物館で1960年に建設された常盤平(ときわだいら)団地の複製を展示しているとして写真をいくつか載せてくれた。実を言うとカカシの両親はこの時代に全国各地で建設された新しい公団住宅の初代入居者だった。

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私たち四人家族(両親と私と妹)はこの団地サイズの2DKで(6畳間と4畳半間、台所、水洗トイレ、ふろ場)に10年間暮らした。上記の写真は6畳間の方だが、家族四人の家庭でソファや椅子を入れてた家庭はないと思う。そんなことをしたら寝る場所がなくなるから。しかしうちにはなんとピアノがあった!

下記は台所。いちおうテーブルを置くスペースがあったのでダイニングと呼ばれていたが、本当のダイニングルームがどんなものかを知っている私としては、単なる台所。それにしてもレンジがお粗末。こんなところで料理してたなんて母もよくやったものだ。確かうちは流しの左側に冷蔵庫が置いてあった。

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四畳半の方はこんな感じ。

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うちはこちらの部屋は子供部屋で私と妹が寝起きしていたが、私たちの勉強机が置いてあったので、本当に足の踏み場もないほど狭かった。

こんなところでよく家族四人が暮らせたなと思うかもしれないが、当時日本の住宅事情は非常にひどいものだった。両親が結婚したのは1958年。当時まだ法律事務所のインターンだった父は、母と二人で東京の三畳一間の下宿で暮らしていた。今では信じられないかもしれないが、三畳一間でトイレや台所は共同で風呂はついていなかった、そして翌年私が生まれてしまったので、この狭い猫の額みたいな三畳間で親子三人の暮らしとなったのである。

それで当時の政府は若い人たちが安い家賃で住める公団住宅の建設に力を入れた。上記のような2DKでもそれまでの暮らしよりはずっとまし。それで入居希望者が殺到したため、家賃の三倍以上の収入がある日本人という規定で、なんと抽選で入居者が選ばれた。我々は運よくその抽選に受かったのだが、父は申込用紙を届ける時に書類の記入を間違えて最初から列をならび直したのが幸いしたのかもしれないと何度も言っていた。

団地の生活は子供であった私たち姉妹には非常に快適だった。公団住宅は単なるアパートの集団ではなく、公園や市役所や託児所や銀行までも揃っていた。子供たちは安心して公園で遊べたし、あちこちにきれいな花が植えられていてきれいだった。


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ごぼうと豚腹を買ったので、今日は豚汁

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のっけから今晩の夕食の豚汁ときんぴらごぼう。実は先週末カリフォルニアにいくつか支店のある日系マーケット虹屋さんの広告が流れて来たので、ツイッターで知り合いになったカリフォルニア在住の方々と週末には何を買おうかにを買おうと井戸端会議になった。そこで私は去る日曜日、混まない時間帯を狙って買い物に出かけた。

このロックダウンが始まってから、スーパーに一度に入店できる人数は限られているため、混む時間帯にいくと外で数十分待たされるのは普通だ。それで朝の10時ごろを狙っていったのだが、期待通り買い物客は少なく待たずにすんなり入店することが出来た。久しぶりに日系マーケットに行ったので、普段手に入らないごぼうやこんにゃくやさつま揚げなどを買って帰った。

カリフォルニアのスーパーでは、日本ではごく普通にある、ごぼう、大根、レンコン、里芋、といったものは売っていない。あったとしても古くてしなびていたり、ひどいのになるとカビが生えていたりする。仕入れをする人がどんなものが良いかを判断できないからだろう。

また肉類でもカリフォルニアの意識高い系市民は脂肪の多い部分を非常に嫌うので、肉バラだの豚の細切れなどというものには先ずお目にかかれない。また魚の種類も限られており、日本のよう多様な魚の切り身が手に入るということもない。しかしカリフォルニアは色々な国からの移民がいるので、移民系のエスニックマーケットに行けば結構色々なものが手に入る。ちなみに今回の豚バラはアルメニア系マーケットで購入した。

写真写りを気にして大盛にしたせいか、SNSに載せたら「ボリューム一杯ですね」「さすが具の切り方がアメリカ風で大き目ですね」「お汁というよりおかずですね」と言ったコメントが多くてちょっと意外だった。やはりアメリカに40年も住んでいると、日本食でも感覚がかなり変わってしまうようだ。

ご存じのようにアメリカ人の主食はごはんやパンといった炭水化物ではなく肉である。だから私の感覚では肉が入っているものが主品となるため、豚肉が入っている豚汁は必然的に主役。ごはんやキンピラは付け合わせである。逆に豚汁がおかずでないとしたら、日本の食卓では何が主品となるのだろう?やっぱり焼き魚とかかな?

ともかく美味しくいただきました。ごぼうが非常に美味しかったです。


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え?Heartfulって英語じゃない?だって辞書には載ってるよ

数日前ケント・ギルバートさんがファミリーマートで使われているHeartfulという言葉について、こんなことをつぶやきちょっと話題になった。「いい加減に、この和製英語をやめてもらいたい。Heartful は英語ではありません。カタカナ発音では「ハートフル」ですが、英語の hurtful(苦痛を与える、有害)と全く同じです。見るたびに、企業イメージを考える人たちの頭の悪さに呆れてしまいます。

たしかにHeartfulには「心温まる」という意味はない。そういう意味でつかったなら和製英語といえなくもない。日本では既存の英語を間違った意味で使う場合が結構あるのでケントさんはそれに苦情を言っているのだろう。しかし、「Heartful は英語ではありません」と断言するのは果たして正しいのだろうか? 

アメリカ英語ネイティブのケントさんに私が意見するのもおこがましいが、Heartfulは立派な英語であり、日本語にすると「胸が一杯」という意味がある。Heart(心・胸)がfull(満ちている・一杯)ということ。つまり心温まるという意味ではないが、その解釈は中らずと雖も遠からずなのである。

下記はマリオン・ウエブスターの定義。

heartful adjective: heart·​ful | \ ˈhärtfəl \ Definition of heartful : full of heartfelt emotion : HEARTY

ハートフル、助動詞。感情で胸が一杯であるという意味

ツイッターで話題になったので英語の解る人たちが、次々とケントさんに同意して、そんな言葉は存在しない、和製英語だと言い出した。私はこれにはひどく違和感を持った。なぜなら私はこの言葉を自分で見たことも聞いたこともあったからだ。

もしかして、自分の思い違いなのだろうかと色々検索した結果、この言葉は古風な言い回しらしく、文学などではよく使われるが一般の会話ではあまり使われない言葉なようだ。現に例文として乗せられていたのは文学小説からの抜粋がほとんどだった。

ある若いであろうツイッタラーさんが同僚に聞いてみたら、「それは言葉ではないと言われた、周りの人にきいてごらん100%知らないというから」と言っていた。それでミスター苺に聞いてみた。すると「もちろん知ってるさ」と言って辞書通りの定義を説明してくれた。

ハ!100%ね。

ケントさんやこのツイッタラーさんの言ってることは間違いではない。この言葉は多分あまり一般的ではないのだろう。ミスター苺は文学派なので昔の書籍で色々読んで知っているのかもしれない。私は私で時代物がすきなので、昔の映画で聞いて知っていたのかもしれない。

ともかく自分が当たり前の言葉だと思っていたものが古風で一般的ではないと知ってちょっと意外。年を取った証拠なのかな?


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カルチャーショック?それとも意思疎通の問題?お持たせお菓子に心揺れる女ごころ

今朝ツイッターでとっても面白いツイートを見つけた。それに関するコメントも非常に面白かったので私の感想を書いてみた。先ずは元のツイート。

男性社員が、おやつを社内の皆へ買ってきてくれたんだけど、切り分けが必要なやつで。「男性が買ってきたお土産を女性が切り分けて配る」という光景が、すごく嫌だなと思った。切れてるの買って来て、もしくは自分で切り分けて、と思うの私だけ??

このツイートに賛同する日本の女子社員から、「ほんと、ほんと、スイカを差し入れた人がいるけど切って配る人の身になってほしい」とか「カステラ持ってくる人がいるけど、切り分けて小皿に入れて配るのって大変」などとツイート者に同意する意見が殺到していた。

私はせっかく誰かが差し入れしてくれたのに、そこまで言うことないんじゃないかなと思ったが、あまりにも男子社員のお土産や差し入れは女子社員がきれいに切り分けして配るのが当然みたいに思われている職場が多いらしいということに気付き、自分の大昔の体験を思い出した。

古の昔、私が初めてアメリカの会社で勤め始めた時、いつも帰り際に自分の使ったコーヒーカップを洗っていたが、ある日流しに同僚が置いて行ったカップがあったので、自分のを洗うついでにそのカップも洗っておいた。次の日もまた他の人のカップがあったのでそれも洗って置いた。ところが毎日流しに置きっぱなしになっているカップの数が増えていく。

それでもついでだからと洗っていたら、ある日自分のカップを持って流しまで来た若い女の子が、「カカシ~、いつもカップあらってくれてありがとね。」と言って自分の汚いカップをそこへおいて立ち去ろうとしたのだ!私はブチ切れて「なんでアタシがあなたのカップを洗わなきゃならないのよ!カップ洗いは私の仕事じゃないわよ!」と怒鳴ってしまった。相手は非常に驚いた顔で、「いや、別に洗いたくないならいいわよ。」と悪びれずに答えた。そこで私は気づいたのだ。これはカルチャーショックってやつだと。

私の日本人の感覚では「いつもカカシさんにやってもらって悪いから、今日は私がやろう」って思ってくれるものという期待があったので、同僚たちの反応は非常な驚きだった。それでこれは日本とアメリカの文化の違いなのかもとずっと思っていた。ほんの今朝までは。

さて、それで男性社員が差し入れしたおやつを女性社員が切り分けして配るのが習慣になっている職場がある、という話を聞いて気が付いた。汚いカップを流しに置いて行った私の同僚たちに悪気がなかったように、女性が配るのを期待してる男性たちにも悪気はないと思う。

何も言わずに同僚のカップを何日も洗い続けて自分の好意を理解してもらえると思っていた私が間違っていたように、仕事以外の雑用を色々やって感謝してもらえると思っている女性社員たちも間違っているのだ。それが彼女たちの仕事だというなら別。昔はお茶くみという仕事もあったから。

ただし、それが自分の仕事ではなく、その雑用をすることで本来の仕事に支障を来すというのであれば、きちんと断る必要がある。ただこの場合差し入れした人は好意でやってくれており配る人の負担を理解していないだけなのだから、相手の好意を無駄にせず自分の負担を減らす解決策を考えるべきではないだろうか?

先の件は日本とアメリカの文化の違いだと思っていたが、おやつの切り分けの件で解るように、これは結局は意志の疎通の問題だと思う。配っておいてと頼まれた人は、台所におやつを置いてナイフと小皿を用意して好きな人は食べてくださいと同僚に言うだけでよいのではないだろうか?結構頼んだ人も、なるほど、その方が合理的だな、と納得するかもしれない。

もしかして日本の女性は必要以上の仕事を自分で背負い込んでいるのではないかな、そんな気がした。


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