アメリカ人はクィーンズイングリッシュに憧れている

先日ちょっとご紹介したイギリス在住の東大出の凡人さんのブログを読んでいたら面白いことが書いてあったのでちょっとお話したいと思う。凡人さんは自称イギリス人より発音のいいクィーンズイングリッシュを話せるということで、それに比べて最近のイギリス人はまっとうなクィーンズが話せないと嘆いている。彼のブログエントリーには必ず冒頭の部分を英語で読んだ音声が張ってあるので日本人が話すクィーンズイングリッシュとはどういうものなのか聴いてみる価値はある。
さて、彼が話題にしているのは、イギリス人は往々にしてクィーンズイングリッシュを話さないということ。クィーンズに憧れてイギリスに行った外国人はロンドンあたりに居る一般の人のクィーンズとは程遠い発音には困惑する。いったいこれは本当に英語なのかあ~?と思ってしまう。それはまさにカカシも一度だけロンドンに行った時にそう思った。
日本ではイギリスとひとくに言って、スコットランドもアイルランドもイングランドもウェールスでも一緒にしてしまっているが、正式にはユナイテッドキングダム(UK)とかグレーとブリテンとか呼ばれ、領土が小さい割りには方言が何十とある。しかもそれぞれの方言で発音が全然違う。ロンドンのコクニーとかスコットランドの訛りなんかは語彙も違うから慣れてないと全く違う言葉であるかのように聞こえてしまうのだ。
ま、日本でも東北や九州の方言は字幕なくしては理解できないようなのがあるから、UKのそれも全く同じ理屈。
で、凡人さんはUKに行った最初の頃、このロンドン訛りの人の英語が全然理解できなくて、相手からかなり馬鹿にされたんだそうだ。

女王陛下の英語を東京弁、アメリカ英語を大阪弁、カナダ英語を京都弁、オーストラリア訛りを河内弁になぞらえると、イギリス庶民の英語は「ウチナーグチ」(沖縄弁)に例えるのが適当だし、的確だと私は思う(^_^;)
話してる相手が英語版の「ウチナーグチ」で、何を言ってるんだかチンプンカンプンで全く聞き取れないんですから、当然聞き返す。んでもって、何回も、何回も、何回も、何回も聞き返していると、奇妙なことが起きます。
こちらは相手の言うことが理解できない。でも、向こうはこちらの言うことを理解できるという状況だと、相手は次第にいらだってくるのよ。そもそも話している相手は、誇り高い“クイーンズイングリッシュ”の本家本元の(はずの)英国人。
その英国人の立場からすると、「自分は訛っている」との自覚はあっても、それはあくまでも“多少 訛っている”のであって、外国人が理解不能なほど自分の訛りがひどいとは全く思っていない。
これ、本当の本当!(>_<)。イギリス人に限らず欧米人は私達・日本人みたいに謙虚な国民性ではありませんから、本当に夢にも思ってませんです。(略)
人間にはプライド(=うぬぼれ)があり、それはまあ仕方ないのですが、でもでも、この「自分の英語はそれほど悪くない」式の自惚れが大問題。その結果起きるのは、自分の英語–コックニーでもヨークシャー訛り、はたまたアイルランド訛りでも–それほど悪くない(はず)なのに、それを理解できないなんて、理解できないほうに非がある。極端な場合、お前はバカか!に近い見下した態度になることがある。
こちらとしては「あんたが訛ってるから、言ってることが分からないんだよ。BBCの話し手みたいな英語を話せよ!このバカ!」とか心の中で思っているのですが、そんなこと口に出せませんから、本当につらい口惜しい思いをしました。

あははは、、私も始めてニューヨークのブルックリン訛りの人と電話で話していて、相手の言ってることが全然理解できなくて同じような思いをした。あんまりこっちが理解できないので、(明らかに私の英語は日本語訛りだし)、「ちょっと、あんたじゃ話しになんないわ。英語の解る人と換わってよ!」と言われてすごい悔しい思いをした覚えがある。お前の英語が訛ってんじゃねえか!標準語話せ!と凡人さん同様思ったものだ。
実はカカシが子供の頃の義務教育英語はクィーンズイングリッシュだった。私が自宅で使っていた英語の教材もすべてクィーンズだった。独自に通った英語学校の先生もイギリス人だったので、私の英語の基礎はクィーンズイングリッシュだったと言って差し支えない。それで始めてアメリカ英語と接したときの私の驚きは凄まじいものだった。よくアメリカ人の英語が理解できないと、自分の未熟さを棚にあげて、「私の英語はクィーンズイングリッシュだから、、」とかなんとか言い訳していた。実際はクィーンズだの米語だのと言ったレベルではなかったのだけどね。
ま、それはともかく、凡人さんによるとアメリカに行くとクィーンズイングリッシュを話す人はもてはやされるという。彼自身がアメリカで英語を話すと「わ、クィーンズイングリッシュだ!」と即座に尊敬の眼差しで見られるんだそうだ。
確かにアメリカ人がイギリス英語に憧れているというのはその通り。でもアメリカ人にはクィーンズイングリッシュも標準語もどきの英語でも同じに聞こえるから、アメリカで「あ、イギリス訛りだ!」と思われるとピアース・モーガンみたいな無知蒙昧な馬鹿でも頭がいいと錯覚される。それでこれは聞いた話なのだが、イギリス人はアメリカに来てもイギリス訛りがなくならないように、アメリカ訛りに感化されないように、常にイギリス訛りを磨いているんだそうだ。そういえば、最近アメリカのテレビ番組ではイギリス訛りの司会者やタレントがごちゃまん出てる。ニュースのアナウンサーですらアメリカのニュースなのにBBCさながら訛りの人が結構いる。彼らは絶対に米語風の発音に直さない。
凡人さんの言うとおり、彼らの英語はクィーンズではなく、学校で教わる標準語もどきのようなものらしい。UKの上流階級の人たちが話す言葉使いはボッシュと呼ばれるが、最近は上流階級の人たちでもポッシュを話すと気取っているとか相手を馬鹿にしているとか言われかねないので、わざとポッシュを庶民的に崩して話す人が増えたそうだ。これは凡人さんに言われるまでもなく、以前にユーチューブで見たポッシュ発音の先生が話していたのを聞いている。
さて、それではアメリカの標準語とUKの標準語がどのくらい違うのか、それを比べているビデオがあったので張っておこう。最初に自己紹介をしている女性がイギリス標準語、彼女が紹介するレイチェルという女性がアメリカ標準語で同じ文章を発音している。英米の違いに興味のある方はちょっと聞き比べてみてはどうかな?
個人的に言うと、クィーンズイングリッシュの方が日本人にはわかりやすいし発音しやすい英語だと思う。特にポッシュの人たちは早口で話さないし、ひとつひとつの単語を綺麗に発音してくれるので日本人には向いている。ただしそう思ってロンドンあたりに留学しても本当のクィーンズにめぐり合えずに失望してしまうのかもしれないが、、


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日本人は英語が下手?ユーチューブで英会話口座を色々みてしまった結果、、、

連休だったのでユーチューブのまとめ観をしてしまった。英語で言うところのビンジウォッチングである。つまり長時間にわたってテレビとか動画を観続ける行為。そのなかで何故か色々な人がアップしている英会話口座が目についた。
それにしても、こんなに日本人は英会話に力を入れているのに、未だに日本人は英語が出来る人が少ないとか、英語が下手だとか思い込んでいるのは何故だろう?ユーチューブの動画でも「なぜ日本人は英語が下手なのか」とか「日本人は英語の発音が悪い」とかいう題のものが多い。しかしアメリカで信じられないような英語を平気でしゃべってる外国人をたくさん見ているカカシから言わせてもらうと、日本人の英語はそんなに卑下するほど下手ではない。
ある動画でアメリカ人の英語講師が「日本人は英語が出来るということが何かすごく偉大なことであるかのように扱う」ので英語を習得するのが何かとても大変なものだと思ってしまうのではないかと言っていた。確かにテレビのバラエティ番組などで外国育ちの帰国子女らしき若い芸能人たちが英語で何気ない話をしているのを、周りの出演者たちが「すごいなあ」といった顔で見ている図をよく見かける。何年も外国に住んでいたらその国の言葉を覚えるのは当たり前だ。別にえらくもなんともない。言葉は使っていれば自然に覚えるもの。かえって力まないほうがいいのだ。
さて、そんななかで若い女性芸人の「ゆりやんレトリーバー」という人の動画を見て大笑いしてしまった。彼女の「英語」はBack to the futureなどのアメリカ映画を見て学習したとかで発音や抑揚がすごく自然。彼女のギャグは英語をしゃべっているようで実は日本語という女優とか、アメリカにかぶれてしまって日本語が変になってる通訳といったキャラクター(ビデオ)なのだが、よく観察しているなあと感心した。特に日本語が変な通訳のキャラが「あ~ん、あ~ん、フレンドリー、フレンドリー、フレンドリーって日本語でなんだっけ?」とやるあたりがすごいなと思った。私がまさしく自分でやってしまう仕草そのもの。
自然な英語を学びたいのであれば、学校で勉強するだけでなく、ゆりやんさんみたいに映画とかで自然な英語に常に触れることが大切だと思う。文法や語彙は確かに基礎として大切ではあるが、言葉というのは自然に覚えたほうが身になりやすい。
好奇心に駆られて英検のヒアリングのテストの例題をいくつか聞いてみた。1級は別として2級までの会話は非常にゆっくりで、もし日本人の英語聞き取り能力に問題があるとしたらこれかなと思う。
私が英語を学び始めた頃、私はネイティブの人に常に「もう少しゆっくり話してください」とお願いしていた。だが、今思うとそれは間違いだったと思う。私がネイティブの人の言ってることがわからなかったのは、彼らが早口で話しているからではなくて、彼らの言葉のなかの単語をひとつひとつ区切って聞き取ることができず、すべての言葉がつながっていてひとつの長い音のように聞こえたからなのである。だからそれをどれだけゆっくり言ってもらっても理解にはつながらない。それよりも何度も同じことを繰り返してもらって英語(特に米語)の言葉の流れに耳を慣らすことが必要なのだ。
また知っている言葉は浮くので、なるべく語彙を増やすことが必要。語彙さえあれば、並び方が多少理解できなくてもだんだんと文章がどのように区切れているのかが理解できるようになってくる。わかる部分とわからない部分の区別がつくようになり、そこだけ繰り返してもらうということも出来るようになる。
日本人は英語が下手なのではなくて、自分が下手だと思い込んでいることに問題があると思う。私が日本人の英語を聞いていて一番気になるのが声が小さいこと。言ってることに自信がないせいで声が小さくなるのかもしれないが、声が小さくて聞き取れずに相手が聞き返すと、あ、やっぱり下手だから通じないんだと、余計小さい声になってしまうか、「もういいです」といって諦めてしまうかするため、会話がつながらないのだ。特に他人の前で恥をかきたくないと思っている男性にこの傾向が強い。うちの父なんかその典型。
ある動画では「英語声」というのがあるといっていた。確かに英語は複式で話すというのを聞いたことがある。日本人、特に若い女性は口先だけで発音する傾向がある。英語は複式にして大きい声を使うと通じやすいというのである。だから、文章は完璧でなくてもいいから大きい声でゆっくり話せばいいのである。よっぽどとんちんかんなことを言っていない限り相手には何とか通じるはず。
日本人の発音が悪いというのも単なる思い込み。日本人は単語の子音を母音にして強調しすぎる嫌いがあるが発音しないよりはずっといい。この正反対なのがベトナム人。語尾の子音をはしょるので何を言っているのか解らない。たとえばI don’t understand youをベトナム訛りにすると「アイド アンダスタ ウ」みたいになる。英語の発音が最悪なのはベトナム人といっても過言ではない。英語は語尾がはっきりしないと絶対に伝わらない。
ユーチューブの動画でも日本人がきちんと英語で話しているものが結構ある。今や日本人は英語が下手だなどという偏見は捨てて自信を持って話してもらいたいな。


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またも出張中

多分読者諸君はお察しのことと思うが、最近更新が滞っているのは出張中だから。普段なら出張中の方がブログ更新はしやすいのだが今回の出張は毎日午前10時から夜10時までという勤務時間12時間強。ずっとコンピュータースクリーンをにらんだまま数字との戦いなのでホテルにもどったらモニターなんて見たくない。というわけでここしばらく私のエンターテイメントは視力を使わない聴力だけに限られている。
まるでテレビ時代前みたいにラジオかポッドキャストのみの生活をしているカカシなのだ。はっきり言ってインターネットがすべてビデオというのもいただけない。もっと音中心のラジオ番組をユーチューブなどで作ってくれないかなと思う。
明日は久しぶりに休みなので(先週末はずっと仕事だった!)ブログ更新が出来ることを願っている。フランスはニースでのテロ事件、トルコの軍事クーデターなど書きたいことは一杯あるんだけど、時間がないのだ!


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今更英語が上手とか言わないでよね!

このあいだ、ユーチューブでアメリカ人の男性が日本語で「トリセツ」の替え歌を歌っているのに出くわした。そのなかで、「『日本語上手ですね』とかありきたりのこと言わなくていいからね」という歌詞を聴いて笑ってしまった。(カカシ注:「トリセツ」というのは「取り扱い説明書」の略だったということは後になって知った。)
実はこの間、カカシの職場で私が同僚男性たちとだべっていたとき、私が言った何かの言葉を一人の男性が理解できず、「え?なにそれ?」と聞き返してきた。私が何回か言いなおしてやっと解ってもらえたのだが、そこに居た別の同僚が「仕方ないよ、カカシは英語は母国語じゃないんだから。」と言った。かちんときた私は「私が外人だから英語が下手だっていいたいわけ?」というと、彼は「侮辱の意味で言ったんじゃないよ。外人の割りには英語がうまいって褒めてるのさ。」と返してきた。
「バカにするな、私はあんたらが生まれる前から英語しゃべってんだよ、いまさら英語がうまいとかいわないでよね!」
とぶち切れてしまった。もっとも彼らはそれほど若くはなかったのでこれは正しくないが。特に私を侮辱した男は私と同年代。この話を横できいていた若い後輩が「僕は30歳ですけど、僕が生まれる前から英語しゃべってましたか?」ときいてきた。「30歳ね。うん、そうだね」
カカシがアメリカに移住したのは1981年だから、その時から英語を話しているとしたら35年だ。それで英語が話せなかったらそれこそ恥かしいだろう。そういう人間に「英語がお上手ですね。」なんて言ったら、それは褒め言葉ではなくかえって侮辱だ。普通に英語を話しているアメリカ人に誰も「あなた英語がうまいですね。」なんていわないだろう。そういわなければならないということは、私はアメリカ人ほど英語がうまくないという意味にとれる。もっとも私がネイティブスピーカーでないことはその発音の悪さから明白なので仕方ないのかもしれないが。
他のユーチューブで、日本語を流暢に話しているボビーというアメリカ人男性が外国人にしないでほしい三つの項目を挙げていた。その項目は別に日本にいる外国人だけでなく、どこの国にいる外国人にとってもあてはまることだ。
外国人にしてはならない三つの項目。
1) 外国人の訛りを真似すること。本人は一生懸命訛らずにしゃべろうとしているのに、その訛りを真似されたらいい気持ちはしない。訛ろうと思ってしゃべってる外国人などいないので、真似されたら馬鹿にされたとしか取れない。ボビーはどこかのお店で「こんにちは~」と言って入ったら「オーコンニーチワ」とか言われて買う気を失くしたという例を挙げている。外国人は自分の発音の悪さを自覚している人が多いから、これはまさしくノーノーだな。
2) 外国人を適当な名前で呼ぶこと。ボビーは町を歩いているときに、知らない人から「ジョニー」とか「マイケル」とか話かけられることがあるという。アメリカ人だからアメリカ人の名前なら何でもいいという変な考えがあるらしい。カカシもよくカカシの日本語名を覚えられない人から「スシ」とか「サシミ」とか呼ばれることがある(笑)。ま、スキヤキよりはましかなと笑ってすましているが。
3) 外国人が母国人と一緒にいるとき、外国人と目をあわせず母国人とだけ話す態度。たとえ外国人がこちらの母国語を話せないとしても、一緒に居るのに完全無視するのは失礼。わからなくても相手の目を見て会話に加えるよう努力すべき。これについては日本のレストランで数人の外国人に見える日本人がちゃんと日本語で話しているのにウエイトレスから完全無視されて、ウエイトレスが日本語のわからない東洋人の女性にばかり話しかけるというたおもしろいビデオがあった。アメリカ人から英語が下手で無視されたという体験はないが、メキシコ人からはスペイン語がはなせずにまるで無視された体験がある。言葉が出来ないからって、まるで透明人間みたいな扱いを受けるのはいい気がしない。
これは外国人に対してというより単なる常識と礼儀の問題だと思う。


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中国人の行儀の悪さに閉口する日本、、日本人も行儀悪かったんだけどね、、

カカシ注:このエントリーは昔の日本人が今の中国人観光客と同レベルで行儀が悪かったという意味で書いたのではない。私の意図は日本人が短い間にものすごく民度が上がったと言いたかっただけ。中国人観光客の行儀の悪さは世界中にも稀にみるひどさなので、旅行慣れしていなかっただけの昔の日本人とは比べられないのは承知のうえである。
去年日本に里帰りした際、銀座とか浅草とか、大勢の中国人観光客が居るのをみて驚いた。電車の案内など地方によっては英語より先に中国語と韓国語の案内が入るところもあり、一昔前なら考えられないことだなと感じた。しかし中国人観光客が増えると、その行儀の悪さも目につくようになり、観光地の地元民はかなり迷惑を被っているようだ。
ユーチューブなどでその中国人の行儀の悪さについて特集している番組を幾つか観たのだが、確かに彼らの行為は非常に下品で民度の低さをあらわしているように見えるが、実は日本人もそう遠くない昔、同じようなことをして海外で顰蹙を買ったものである。中国人の行為に目をひそめる日本人は、それだけ短い間に民度が上がったんだなと外部から見ているカカシには思えるのだ。
こんな話をするとカカシの年がばれるが、と、もうばれてるが、、1960年代の高度成長期、日本では土地成金という言葉が流行った。その昔は広大な土地を持っていることは日本では何の価値もなかったのだが、1960年代頃から百姓をやって貧乏しているより土地を売ったほうが大もうけになる時代が来た。それで、それまで海外旅行は愚か近所の温泉旅行すらろくろくしていなかった、いわゆる田舎もんが海外にどっと団体で出かけていったのである。当時の農協さん団体がその言い例である。
決して当時の人々をバカにするわけではないが、日本の慣例と特に欧米の慣例は全く違う。今でこそ西洋風なマナーが日本でも普通になったが、当時は様式トイレなんぞ見たこともない人が結構居た。西洋のホテルで排水溝のない湯船の外で身体を洗って下の階の部屋を水浸しにしたり、部屋の外で寝巻きやスリッパで歩き回って顰蹙を買ったり、外では誰彼かまわず許可もなく写真を撮りまくったり、白人女性の身体に障ったり、きちんと列に並ばずに物を買おうとしたり、、
当時は諸外国で「日本人観光客」というと黒縁めがねに大型カメラをつけた背広姿の東洋人のイメージがかなりあった。
日本には「旅の恥はかき捨て」という言葉もあるとおり、日本人の海外での行儀の悪さは悪名が高く、私などはアメリカで日本人観光客団体と出くわすたび、日本人ではありませんという振りをして彼らを避けていた。一緒に居たミスター苺が言葉がわからず困っている日本人をみかねて「助けてやれよ、同胞だろう」というと「関係ない、一緒にしないで!」と逃げていたくらいだ。
海外まで行かなくても、今や歩きタバコやポイ捨てが禁止されるところが増えた日本だが、私が日本に居た頃はそんなことは普通だった。また男性がところかまわず痰を吐くのも1980年代中ごろまではごくごく普通で、私は買ったばかりのパンプスに痰を吐きかけられそうになって「きたな~い」と男をにらんだことがある。
所かまわず排便排尿というのも、ま、中国人観光客ほどひどくはないが、カカシが育った田舎では、子供たちが農地や空き地で遊んでいるときは普通に外でやっていた。小さい女の子のお守りをしていたとき、女の子の両足を抱えて、「はい、おしっこ、し~」とやらせた記憶がある。都会の大通りとか多くの人が通っているところではさすがに遠慮したが、夜の路地裏とかだったら、酔っ払いのおじさんたちの立ちションは珍しくなかった。
いまでこそ、日本の道や海岸はきれいだとアメリカ人の同僚から言われるが、私が居たころの観光地はひどいもんだった。海岸なんてごみだらけで足の踏み場もないくらいだった。お弁当の紙とかコーラ瓶とかあちこちにちらばっていた。
そんな日本人の態度が変わったのはバブル期に日本人がどっと海外に進出した頃だと思う。その頃になると観光ではなく長期的に海外に駐留する日本人が増えたことで、物見遊山の「旅の恥は掻き捨て」気分で居ることができなくなったからかもしれない。
日本人のいいところは学習力のあるところだ。観光にしろ海外駐留にしろ、欧米など海外に出ていいところは持ってかえって日本でも取り入れる。悪いところは切り捨てる。それを極端にすばやくやってしまうところが日本のすごいところだなと私は思うのだ。
カカシは日本へは数年ごとにしか帰国しないので、その変化の凄まじさを肌で感じる。道が綺麗になったことや、タバコの煙で蔓延していた喫茶店が消えて健康的なスタバやシアトルスベストのようなコーヒースタンドが増えたことや、小さな雑貨店がコンビニに変わったり、近所の薬屋さんが大型ドラッグストアに変わった様子など、ここ2~3十年の変化は目を見張るものがある。
日本人が中国人観光客の行儀の悪さに気がつくのは、それだけ日本の民度が上がったという証拠だろう。
ところで不思議に思うのは、私は中華が好きなので近所の中華街にはしょっちゅう行くが、中国人が団体でギャーギャー騒いでいる姿は見たことがない。中華街は他の地域よりかえって清潔できれいだ。
中国にも「旅の恥はかき捨て」という観念があるのかもしれない。


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アメリカ人でも困惑するホテルのチップ色々

拙ブログを検索でたどってくる人の多くが、私が昔書いた「ケチるとひどい目にあう、ホテルのチップ」を読んでいることをに気づいた。ホテルのチップで検索してたどり着いた人が多いらしい。で、そういう検索でアドバイスをしている人の意見を色々読んでみたが、長年アメリカ国内で長期出張を繰り返しているカカシからみても、「そうかなあ?」という意見もかなりあるので、ここでちょっとその話をしてみたいと思う。
ホテルのチップで検索して第一にぶち当たるサイトがこちら、チップの誤った常識という記事。アメリカの一流ホテルで10年間日本人マネージャーをしていたとかいう人が書いたもの。チップをもらう立場の人からの作文だから私としてはそうかなあ、と思うことが結構ある。たとえば、スーツケース3つ、買い物袋2つの荷物をベルマンに運んでもらった日本人がチップを2ドルしか払わなかったという例をあげて、

ベルマンには、荷物1つにつき2ドルを、ドアマンには、1人につき1ドル50セントを払う。端数がでる場合には切り上げる。これがチップのおおよその相場だ。荷物が5つあれば、ベルマンには10ドル。2人でタクシーに乗るのであれば、ドアマンには3ドルを払うことになる。

と説明されている。確かに荷物を5個預けてチップが2ドルは少なすぎる。著者がいうように非常識というのはわかるが、荷物ひとつに付き2ドルはちょっと多いのでは?ま、著者の勤めていたプラザホテルのような一流ホテルになるとそうなのかもしれない。カカシが泊まるビジネスホテルにはベルマンが居ないことも多いからそんな心配は必要ない(自分で持っていくためのカートを貸してくれるホテルは結構ある)。私の場合は荷物ひとつにつき1ドルとしている。ドアマンの1ドル50セントはまあまあかもな。でもタクシーに乗る人の数が増えるとチップも増えるというのは何か不思議。
ところで日本人はチップを払わないという評判がアメリカでは定着しているので、日本人がよくいくハワイのレストランなどではチップが最初からお勘定に加算されていることがある。合計に15%足して払う習慣のある我々は誤ってチップを二度払いするはめになるので要注意である。これについても記事の著者は、、

「勘定書きの中にチップの15%が書かれていた。失礼じゃないか!」こんな苦情を受けることがある。私は「計算する手間が省けるじゃないですか。いずれにせよ、チップとして、15%を払わなくてはならないのだから。」と、言いたくなる。
「チップはよいサービスをしてくれたことへの褒章だから、期待に見合ったサービスが受けられなかった場合には、少なくて良い。」という、誤った常識を持っている日本人が多くいる。ここアメリカでは、チップは労働賃金の一部であり、15~20%は彼等が受け取る当然の権利だ。だから、個人の主観で金額を変えてはいけない。チップを受け取る部署で働く従業員は、その分、給料が低くなっている。彼等の家計を支える主たる収入はチップなのだ。もしサービスに不満があり、チップを払いたくないのなら、チップの額を減らすのではなく、マネージャーに苦情をあげるべきだ。さもないと、日本人はチップの支払が少ないからということで、益々、勘定書きにチップの額が書かれることになる。

私はこの意見にはまるで賛成できない。チップは当然もらえる権利ではない。お客さんが言うように『よいサービスをしてくれたことへの褒章期待に見合ったサービスが受けられなかった場合には、少なくて良い。』というのは「誤った常識」ではない。
余談だが、最近アメリカでは最低賃金を生活賃金といって値上げをする州が増えており、ホテルのハウスキーパーの時給も昔から比べたらかなり上がった。なので、「チップは労働賃金の一部だから、、、15~20%は、、当然の権利」という常識は成り立たなくなってきた。
私はレストランでは普通20%のチップを払うことにしているが、15%のチップがすでに加算されていた場合そしてそれをウエイトレスがきちんと説明しなかった場合には15%以上のチップを払わないことにしている。もしサービスが気に入らなければ10%に下げる場合もある。サービスが良くウエイトレスがきちんと「15%のサービス料が含まれて居ます」と説明してくれれば20%に引き上げることもある。
ところで彼の計算でいくとホテルの宿泊料が一晩250ドルだったら、その15%にあたるチップの代金は一晩37ドル?え~たか~い!そんなチップ払ったことナイ!一流ホテルってのはそういうものか?やっぱ下々の者には理解できないね。最近ハワイのワイキキなどではリゾート料金とかいって20ドルから30ドルが宿泊料に加算されるので、250ドルの宿泊代といっても結果的には280ドル。それにチップも加えたら基本料金は250のはずが317ドルになる計算?これに駐車料を加えたら350を越してしまう。うわっ高い!
カカシが泊まるビジネスホテルでは、ハウスキーパーへのチップは一晩1ドルから2ドルが相場。私個人としては掃除が行き届いていなかったりコーヒーが置いていなかったりしたら払わないこともある。ただ、長期の場合、チップをけちるとサービスも低下するから時々チップを多く置いて「もっとタオルをください」とか「バスルームを汚したので特別の掃除をお願いします」とかメモを書いたりする。普通にやるべき仕事をしてもらうのにチップを大目に置くというのも変な話なのだが、長期滞在するつもりならそのへんの調整は大切。
ところで別のサイトでハウスキーパーへのチップは払うべきかという質問に、「置く必要はありません。日本人の悪しき習慣です。」ときっぱり書いた人が居る。「チップが必要な場合は何か、特別な注文をして手間かけた」時に限り、普通に掃除やベッドメイキングのをしてもらうのは当然の仕事だからチップはいらないというのだ。「因みに、私は一回も枕銭や置きチップをしたことありません。
置かなかったことにより、嫌がらせを受けたこととかは、今まで一度もありませんよ。」とのことである。そうかなあ、気がつかないところで復讐をされてると思うよ、きっと。
実は我がミスター苺もハウスキーパーにはチップを置かない主義。でも彼はカカシのように長期出張するわけではないし、同じホテルに何度も戻ってくるという可能性もないからそれでもいいのかもしれない。彼いわく、チップはその施設に(ホテルにしろレストランにしろ)今後どのくらい行く可能性があるかで決まるという。今後もお世話になる可能性があるなら、チップは弾んでおいたほうが何かのときに融通が利くからである。これは本当の話。
たとえば、ホテルの予約をドタキャンするとキャンセル料金を取られるが、普段からホテルとよい関係にあれば料金を帳消しにしてもらえたり、満室なのに部屋を用意してくれたり、何も言わなくてもアップグレードしてくれたりといったサービスを得られる可能性がある。またラウンジなどへゲストを連れて行った場合、本来ならゲスト料金を取られるところを無料にしてもらったり。同じドリンクを頼んでも量を増やしてくれたりといったサービスが得られる。
ところで最近アメリカでは、レストランというよりファーストフードみたいなお店でもレジのところにチップ瓶が置いてあるところがある。特にスタバのような専門店にそういうところが多くなった。まだマクドなどでは見られないが。カカシの常識としては、お客が自分で飲み物や食べ物を頼んで自分で席まで運ぶ場合、給仕の必要がないからチップは要らないはずという考え。そうでないとどんな場所に買い物に行ってもチップを払うことになり意味がなくなる。
給仕が居ないという点で、ホテルの朝食などブフェ形式になっているところでのチップはどうするかという疑問がわく。ブフェ形式とは日本語でいうバイキング。要するに食品がずらっと並んでいて自分で好きなものを取って食べる形式だから、ウエイトレスにものを注文する必要はない。それでもチップは必要なのかどうか、このへんカカシにはちょっと疑問なのだ。私個人の目安としては、ホステスが居て席に案内してくれるような場所で、ウエイトレスがコーヒーやジュースを持ってきてくれ、給仕の人が汚い皿を取り替えてくれたりする、といったサービスを受けられるのであれば$1くらいのチップを払う。オムレツなどを作ってくれる人が居た場合にはその人にまた$1ドルはらう。サービスが特によければ$2ドルくらい置くこともある。座っても飲み物のオーダーもききにこないようならチップはなし。
ビジネスホテルだと朝食はついていても、すべてセルフサービスのところもある。そういうところではチップはまるで要らない。が、これも長期滞在するなら朝食に携わっている従業員に時々チップをあげてもいいだろう。これは個人の自由だと思うね。
チップのなかでもカカシが一番嫌いなのが車を駐車場から出し入れしてくれるバレエパーカーにあげるチップ。セルフパークの場合はいいが、ハワイなどバレエパーキングしかないホテルも多い。それにセルフでもバレエでもそれほど料金が変わらないところも多く、狭くるしい駐車場を毎晩空いてる場所を探してぐるぐる回る手間を考えたらバレエのほうがずっと便利。しかしバレエパーカーへのチップは一回1ドルが相場だと同僚たちは言うが、毎日最低二回はバレエのお世話になるわけだから最低$2ドルは必要なわけで、荷物の乗り降りを手伝ってもらったらこれにもかばんひとつにあたり$1ドルというのも常識らしいから、車に乗り降りするだけで毎日$2ドルから$4ドルのチップである。前にも書いたがカカシはチップを出張経費として差し引けないので自腹である。バレエだといちにち30ドルから40ドルが普通なので、それを払っているのにさらにチップというのも変な話だよなあ。
というわけで、ホテルに泊まったらチップを払う場所はいくらでもある。その度ごとにチップをはずむと意外な出費になるので気をつけなければならない。カカシなんぞ一ドル札がなくなると部屋に「睡眠中です」のサインを下げてサービスを断ることもある。同僚からは「けち臭い」とけなされるが、、、


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おせちを巡って今年も夫婦喧嘩

「一月一日は何を食べるの?」とミスター苺がいう。「おせちにきまってるでしょうが。」とカカシ。「え?おせちだけ一日食べるの?」ここでカッときた私がいう。「あんたが作れって言うから二日間台所にたちっぱなしで作ったんでしょうが、正月三が日は料理しないからね、おせちだけ食べて満足しろ~!食べないんだったらもう作んないからね!」
というのが苺畑家毎年恒例年末の夫婦喧嘩である。
日本時間の皆様、新年明けましておめでとうございます。2016年は苺畑よりブログを始めて十周年記念の年となりました。わ、すごい! 今年も皆様のご愛読にふさわしい内容のブログを書いて行きたいと存じます。是非よろしく。
新年早々夫婦喧嘩の話をして申し訳ない。苺畑家では毎年おせち料理をきちんと御重で三段作るのが伝統となっている。毎年年末になると面倒くさがりのカカシが「どうせ二人きりでちょっとしか食べないんだからセットで買っちゃおうよ。」というのを「駄目だよ、お前が作るおせちを食べるのが楽しみなんだから。」というミスター苺にせかされてしっかり作っているのだが、いざ作ると量が多すぎて食べきれないのが常。それで毎年上記のような喧嘩になってしまうわけ。ま、おせちなんて毎日食べたら飽きるからミスター苺にも一理あるんだけどね。
苺畑家におけるおせちに関する話をブログを始めたばかりの2006年の年末に書いていたので、繰り返すのもなんなので添付しよう。
皆様、よいお年を!
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December 29, 2006
おせち料理に見る日本人の心

本日ミスター苺と一緒に色々なスーパーを飛び回っておせち料理の材料を集めて参りました。
え、カカシさん、おせちなんて作るの? と言われそうだが、実は作るのです!
アメリカに移住してから私は日本を恋しいと思ったことはほとんどないのだが、お正月だけはどうしても日本風のお祝いをしたくなる。12月になると年末の慌ただしい商店街とか、町内会で父が先導してやっていた餅付きなどがなつかしくてたまらなくなる。日本にいる時は一瞥もくれなかったおせち料理も自分では食べなくても食卓に並ばないとどうも正月気分にならない。それで私はロサンゼルスのリトル東京にある日本食スーパーに行って出来合いの御節料理を買い込んでは、自分では食べきれずに日本人の女友達と一緒に豆きんとんを食べながらおとそを飲んだりしていた。
しかし、私がおせちに興味を持ちはじめたのは日本のバブルが弾けた後の1990年代初期の頃だった。当時は南カリフォルニアに住む日本人の数が激減し、世界中に手を広げていたヤオハンなどが店を閉めてしまい、ほかの店が開いた頃だった。
そんなある年の暮れ、私は小東京にあるちいさなスーパーに買い物に行ったのだが、どこにもおせち料理がおいてない。店員をしていた日系の若い男の子に「おせちはどこにあるの?」と聞くと「え? おせち? なにそれ?」と聞き返してくる。ショックを受けた私は「あんたそれでも日本人?」というと「ボク、アメリカジン」と日本語で言い返されてしまった。ううう、、、(涙)
小さい店だからないのだろうと気を取り直して、おおきな日本食スーパーへ足を運んだがそこでもうってない。かろうじて日本語のわかる店員にきくと早めにだしても腐るから30日まで売り出さないという。「だっておせち料理を作る人は一週間前から料理をはじめるのに、30日まで材料が買えなかったら待ちあわないでしょうに」というと「今時つくるひとなんかいないでしょう」といわれてしまった。
仕方なく30日に買い物をしたが、需要が少ないため供給もすくなくその値段の馬鹿高かったこと!一万円くらいの予算ではおつまみ程度のものしか買えない。しかもどうせ自分だけで食べるのだからとちょっとだけ買ったおせちをミスター苺に味見させたのが悪かった。おせち料理に魅せられたミスター苺は私の買った少量のおせちをたった一回の食事で平らげてしまったのだ。
これでは正月がくる度におせち料理で破産してしまう。仕方ないのでせめてミスター苺のすきな栗きんとんだけでも自分で作ろうと思い立ったのが、苺畑家のおせち料理伝統の始まりである。
しかしこれが思った以上に大変だった。実家でも忙しい母はおせち料理などつくらなかったので、おせちの作り方などカカシは全く知らなかった。くりきんとんの作り方など母はおろか日本人の友達や親戚に聞きまくったが誰もしらず、友達の友達という人から聞いてやっとわかったことがある。
ひとつでも自分で作ってみると、欲が出てきて、その後はどうせならすべて自分で作ってみようという気になり、料理の本を買い込んだり友達とレシピの交換をしたりして自分なりにおせちは三重の箱をきちんとうめられるくらいに腕があがった。
ところでここ数年気が付いたことがある。一時期は30日までおせち料理を出さなかった店で25日頃からおせち料理がおかれるようになったのだ。しかも、出来合いのものばかりではなく、おせち料理を作るのに必要な材料がおせちコーナーとしてもうけられた場所で大量に売られるようになったのである。日本ではどうなのかわからないが、ロサンゼルス界隈では自分でおせちを作ろうという日本人が増えたようだ。
数年前までは栗の甘露煮や練りごまをみつけるのに一苦労したものだが、いまやくちなしの実(くりきんとんを黄色く染める)などがきちんと売られていた。外国にいるとお正月が恋しくなるのはどうやら私ひとりではないようだ。


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読者の皆様、ご無沙汰でございます。長期の出張でiPadしか持ってこず、ブログエントリーがちゃんと出来ませんでした。今週から再開する予定です。キーボードがないと日本語がないと打てないのです。一本指のタイプってまるで駄目だあ。


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アメリカ独特の休日、感謝祭がおざなりにされるのは何故か?

本日11月最後の木曜日(11・26)はアメリカは感謝祭で祭日である。常に木曜日が休みになるので、金曜日も休みを取って四日連休にする人が多い。感謝祭は日本で言ったらお盆のようなもので、各地に散らばっている家族が実家に帰省する日でもあるので、前日の水曜日は一年でも非常に交通機関が混雑する日でもある。
しかしこのアメリカ特有の祭日である感謝祭は12月のクリスマスが近いこともあっておざなりにされることが多い。特にショッピングモールとかラジオ局とか、11日のベテランズデイ(軍人の日)を境にクリスマスムードに染まってしまう傾向がある。わが町の野外モールもすでにクリスマスツリーに明かりが灯っているし、クリスマス音楽ががんがん鳴っている。まだ感謝祭も終わっていないのに、やりすぎだ!と腹を立てているのは私だけなのだろうか?
どうしてクリスマスはあんなに大騒ぎなのに感謝祭は無視されるんだろう、とミスター苺と話ていたら、ミスター苺にはちょっとした説があるという。それは、感謝祭はアメリカ特有の宗教的なお祭りであることに問題があるのではないかというのだ。
では感謝祭とはいったい何に感謝する日なのかといえば日本語版ウイキペディアによると、、

感謝祭は、イギリスからマサチューセッツ州のプリマス植民地に移住したピルグリム・ファーザーズの最初の収穫を記念する行事であると一般的に信じられている。ピルグリムがプリマスに到着した1620年の冬は大変厳しく、大勢の死者を出したが、翌年、近隣に居住していたインディアンのワンパノアグ族からトウモロコシなどの新大陸での作物の栽培知識の教授を得て生き延びられた。1621年の秋は、特に収穫が多かったので、ピルグリムファーザーズはワンパノアグ族を招待して、神の恵みに感謝して共にご馳走をいただいたことが始まりであるとされる。イギリス人の入植者もワンパノアグ族も秋の収穫を祝う伝統を持っていて、この年のこの出来事は特に感謝祭と位置づけられてはいなかった。プリマス植民地で最初に祝われた1623年の感謝祭は食事会というよりもどちらかというと教会で礼拝を行って、神に感謝を捧げる宗教的な意味合いが強かった。

先ずアメリカの左翼リベラルの間では、イギリスからの入植者たちがアメリカインディアンを虐待したという観念が強いため、イギリス入植者が地元インディアンの援助を感謝して食事会に招待したなんて美談は許せない。また、収穫を神に感謝するという宗教じみた伝統も忌み嫌う。そしてこの祭日が世界的なものではなく、アメリカ特有のお祭りであることも国際派の左翼リベラルには我慢がならないというわけ。
アメリカ主流メディアはこうした左翼リベラルに牛耳られているため、やたらにアメリカを象徴する祭日は虐げられる傾向にある。今やクリスマス装飾いっぱいのわが町のモールでも、7月の独立記念日を象徴する装飾は一切なかった。私はモールの事務所で働く従業員に独立記念日の装飾はしないのかと聞いたら「しません!」ときっぱり言われてしまった。アメリカ国旗は非アメリカ人を差別するものだとか騒ぐ連中もいて、だったらなんでアメリカに住んでるんだよ、といいたくなることが多くある。
しかしながら、左翼リベラル連中が無視しても、一般アメリカ人は感謝祭を無視しない。感謝祭特有の料理を作る家族は多いので、この時期の商店は買い物客でごった返す。自分で作らなくても感謝祭料理を外注する客や多いから、この時期の商売を無視するのは商人としては失格である。
カカシが好きで見ているダンシングウィズザスターズ(DWTS)というダンサーではない芸能人がプロダンサーと踊って競い合う番組(日本でもシャルウイダンスといって何年か前に放映された)の今シーズンの最終回も感謝祭間際だったのにクリスマス一色に染まっていた。しかしながら、決勝戦に残った三組のうちの一人は、三ヶ月前にパリの高速列車の中でテロリストを友人と他の乗客数人と協力して取り押さえたオレゴン州兵アレック・スカーラトスだ。正直いって彼は決勝に残ったほかの二人に比べて技術の面ではかなり劣るのだが、重武装したテロリストを素手で取り押さえた英雄ということもあるし、まったくすれてない典型的なアメリカ人好青年という感じがして私は非常に良い印象を持った。この番組は審査員の評点と視聴者の投票で勝ち負けが決まるので、今シーズンが始まった当初から私はアレックは絶対に決勝に残ると予測していた。案の定、アレックは視聴者から非常な人気があったようである。そうでなければ他にいくらでも踊りのうまい芸能人がどんどん落とされていくのに彼が生き残った説明がつかない。
左翼リベラル連中がいくら嫌がっても、アメリカ人はアメリカたることを恥じてはいない。アメリカというすばらしい国に住み、その恩恵を受けている我々は、本日の感謝祭、心から神に感謝の意を示そうではないか。
おまけ:ちなみに今シーズンのDWTSの優勝者は誰あろうカカシが大ファンだったクロコダイル鰐ハンターで今は亡きスティーブ・アーウィンの愛娘ビンディ。女の子だがお父さんそっくりの人柄で、とっても可愛い。踊りも抜群にうまかった。


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なんでいつもユダヤ人ってことになるんだろう?

明日胃の検診があるんで、今日は一日断食しているカカシである。まだ朝9時なのにお腹すいたなあ。月曜日を検診の日にしたのは前日に色々用意することがあったからで、断食もそのひとつなのだが、仕事しながらでは出来ないこともあるからである。ま、そんなことはどうでもいいのだが、本日は外出も不可能なのでネットサーフを色々していたら、ヨーロッパの移民問題とかフェミニズムなどで、結構意見が合うブログを見つけた。黒木頼景( くろき よりかげ )という人が書いている「無敵の太陽」というサイト。
アメリカの保守派とはなんぞやという興味深い記事に惹かれて読んでみたのだが、どうもこの人反ユダヤ偏見丸出しで、何の話をしていても最後には「ユダヤ人の陰謀」ってな話に収まってしまうのである。ヨーロッパの移民問題もユダヤ人の陰謀、フェミニズムもユダヤ人の陰謀、米保守派の分裂もネオコン(ユダヤ人)の陰謀、ハリウッドはユダヤ人に牛耳られてる~!
他のことでは完全にまともなことを言っているひとが、どうして最後にはユダヤ人の陰謀とかって話になってしまうのか、私には不思議でしょうがない。
元々ユダヤ民族はどこの国でも嫌われる存在にあった。歴史的にそういう運命を背負った民族なのだ。近年欧米では多文化主義などでユダヤ人差別はよくないということで表向きはユダヤ差別はあまりなかった。特に第二次世界大戦中ナチスドイツによるユダヤ人虐待がひどかったことから、ナチスと一緒にされたくない欧州の人々はあからさまなユダヤ人差別は避けてきた。
しかし最近になって、イスラム教圏の勢力が旺盛になってくると、反ユダヤ感情をあからさまに出す人が多くなってきた。イスラエルとパレスチナの問題では国連は常にアラブ人の味方をしイスラエルを一方的に悪者扱いする。主流メディアの報道も、パレスチナから何千と飛んでくるスカッドミサイルの応戦をしているだけのイスラエルに対して過剰防衛だと批判する。最近頻発しているアラブ人が包丁振り回してユダヤ人を殺している事件にしたって、悪いのはユダヤ人といわんばかりの報道。挙句の果てにユダヤ教の神殿テンプルマウントは元々アラブ人のものだったなどと言い出す始末。
私が怖いなと思うのは、今ヨーロッパで起きている反移民運動がモスレム移民を追い出すのと同時に、その嫌悪感が何世代もヨーロッパに居住し完全に融和しているユダヤ教徒にも向けられるのではないかということだ。ユダヤ人は反移民運動に協力してモスレム移民を追い出したいかもしれないが、17世紀にもヨーロッパに侵攻したアラブ人を地元民と一緒に追い出した直後にヨーロッパから追放された歴史を持つユダヤ民族。今回も同じようなことが起きる可能性は大である。特に黒木のようにヨーロッパの行きすぎな移民受け入れ政策はユダヤ人の陰謀だなどと言い出す人間が居たのではイスラム排斥と同時にユダヤ排斥につながるのは自然な成り行きだ。
ところでアメリカの保守派のなかでネオコンサーバティブ(新保守)と呼ばれる人たちが居るが、ネオコン=ユダヤ系と位置づける人が多いのはちょっといただけない。ネオコンというのは元々リベラルで民主党支持だった人たちが、1980年代、ロナルド・レーガン大統領の思想に感化されて共和党支持に変わった人たちを指した。無論現在のネオコンはすでにレーガン世代ではないから、そういう定義には当てはまらない人も多い。ミスター苺に言わせると、ネオコンは感情的にはリベラルだが結論的に保守に収まる人と定義している。理屈で保守的思想に収まる人々との違いはこの思考過程にあるというのがミスター苺の見解。
黒木はアメリカとイスラエルの同盟についてかなり批判的である。湾岸戦争もイラク・アフガン戦争もユダヤロビーの陰謀であるかのような言い方だ。孤立主義の米保守派にはそういうことを言う人が多いのは事実。だが、イスラエルにかこつけて、単なる自分らのユダヤ人種差別意識を正当化する口実に使う人が多いのも事実。
皮肉なことに超リベラルや左翼の間でのユダヤ人嫌いは全く普通。オバマ大統領はじめ、民主党大統領候補のひとりヒラリー・クリントンのユダヤ人嫌いは悪名高い。
だからユダヤ人は保守派からも左翼リベラルからも嫌われるといういつもながらのシナリオになるわけ。反モスレム運動をくりかえしているパメラ・ゲラーが嫌われるのも彼女が反モスレムだからというだけでなく、彼女がばりばりのユダヤ系だからといってもまるで差し支えないだろう。
カカシは大昔からユダヤ人嫌いの人種差別には大きな疑問を持っていた。我が父などもイスラエルはユダヤ人が捨てた国で、何世紀も経ってからアラブ人から奪い取ったりするから問題が起きるのだ、などとアラブ人が広めた嘘八百を信じ込んでいた。にも関わらず、私がユダヤ嫌いにならなかったのは元々私が人種差別が嫌いだったのと、私が10代のときに起きたミュンヘンオリンピックでのモスレムテロリストによるイスラエル選手たちの惨殺事件。ユダヤ嫌いなオリンピック協議会は一日も競技を休まず、まるで何事もなかったかのようにオリンピックは進められた。惨殺されたイスラエル選手たちへの黙祷すらなかった。あの時私はいかに世界中がイスラエルをユダヤ民族を忌み嫌っているかを知り、ものすごい憤りを覚えた。同時に世界を敵に回しても堂々と独立国を作ったユダヤ民族に尊敬の念も抱いた。カカシのユダヤ民族びいきはここから始まる。
アメリカとイスラエルの同盟は世界平和には欠かせない条件だと私は信じている。モスレム台頭の世界に住むくらいなら、ユダヤ人が牛耳る世界に生きたほうがよっぽども平和である。だが、私はユダヤ人の陰謀などという説は全く信じていない。
ところでミスター苺がユダヤ系なのは拙ブログの読者諸君ならもうご存知だろうが、ミスター苺は全然敬虔なユダヤ教徒ではない。単にユダヤ民族の家系に生まれたというだけの話。ユダヤ人が世界の金融市場を牛耳っているというのが本当なら、俺にもそのおこぼれを頂戴したい、と彼は常に言っている。


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