デザインと生活習慣の関係を知る、IKEAの茶碗が駄目な件

うちにあった茶碗が古くなり、いろいろ欠けたりしていたこともあり新しい茶碗に買い替えることにした。本来ならば日系の陶器屋に行ってきちんとしたものを買うところだが、別の買い物で行ったスエーデン系家具及び雑貨屋のイケア・IKEA(アメリカではアイキアと発音する)で可愛いお茶碗を見つけたので一揃い買って来た。しかしいざ使ってみて自分の間違いに気づいた。ご飯を入れて持ち上げると熱くて持っていられないのだ。何故?と思ってよくよくみたらお茶碗の高台(こうだい)と腰が繋がっており腰の熱を高台がそのまま伝達してしまっていたからだった

こちらネットで検索した茶道具のおはなしのサイトから引用。

茶碗の部位名称

茶碗に限らず、茶道具は博物館や美術館で比較的よく展示される美術品です。たいてい解説が付いていますが、このなかで各部位の名称が使われることも少なくありません。しかし、普段よく使う用語ではないため、聞き馴染みのないものも多いと思います。これを知っていると鑑賞のときに便利ですから、簡単にまとめてみました。

茶碗の部位名称

茶碗の部位名称

上記の写真を観ていただくと解るが⑧の高台は⑥の胴とは分かれている。この部位は別に作られて後から胴の下の部分付けられてから焼かれたことがわかる。高台は単にお茶碗を立たせるための脚ではなく、お茶碗を持った時に腰の熱が伝わらないように出来ている。ところがIKEAで買った茶碗は高台の部分は違う色に塗ってはあったが、明らかに腰の部分を引き延ばして台の形に作ったもので腰と一体になっており、続いているから熱もそのまま伝達されてしまい熱くて持っていられなくなるのだ。形もデザインも可愛いし見た目は普通のお茶碗なのだが機能性が全く違っていた。

小さい器を手に持って食べるという習慣は日本独特のものらしい。中国では道端の屋台で大きな丼鉢を持ったまましゃがんでお蕎麦を描き込んでいる人の様子を動画で見たことはあるが、普通食卓について食べる場合は食器を持ち上げるということは先ずしない。

韓国の鉄のお茶碗には高台部分はなく、お茶碗の底が平になって卓に置けるようになっている。鉄なので絶対持って食べられない。学生時代に韓国人の友達に「韓国人はどうやってあんな熱いお茶碗を持って食べられるの?」と聞いて、韓国ではお茶碗を持って食べる習慣はないと笑われたことがある。

無論西洋では食器を持って食べるのは完全にノーノ―である。だからスエーデン発のIKEAでは食器を持つための機能など考えも及ばなかったのだろう。

faviconIKEA

高台と胴と繋がっている茶碗

というわけなので、結局日系のお店にちゃんとしたお茶碗を買いに行くしかないだろう。「下手な近道遠回り」(トールキン著指輪物語より)


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クリスマスツリーの悲劇

アメリカは11月最後の木曜日感謝祭が終ると、本格的にクリスマスシーズンに突入する。毎年苺畑家では人工のツリーを飾っているのだが、10年以上前に主人が買って来たこの木は2メートルもある大きなもので、組み立ても飾り付けも大仕事になるので毎年先延ばしにしていて、酷い時はクリスマス一週間前というぎりぎりまで飾らないこともあった。

この大きな木はだいぶ古くなり枝があちこち折れたりしていたので2年前に捨てた。去年は色々あってツリーどころではなかったので、友達からもらった机上に置く小さなチャーリーブラウンのツリーだけ飾ってお茶を濁した。

それで今年こそは早めにツリーを飾ろうと思い、趣味の店マイケルスで120センチくらいの小ぶりのツリーを買ってきて数日前に飾りつけを完了させた。これまでよりずっと小さい木にしたのは、もう梯子に登っての飾りつけは危険だからである。以前よりも小さい木なので持ってるオーナメンツをぜんぶ飾りきれない。それで古いものは思い切って処分してしまった。

ところが昨日悲劇が起きた!豆電球のコードに足をひっかけてしまい、ツリーが転倒したのだ!もろいオーナメンツがガッシャーンと音を立てて割れてしまい、そこら中に破片が飛び散った。ツリーを立て直そうとしたが何故か立たない。よくよくみると土台の足がひとつ折れていた。これでは無理だ。しょうがないのでネットでツリーの台ようと調べてみると、台の方がツリーより高くつく。これならツリーを買い替えた方が安い。まだ買って一週間しか経ってないのに、もう~!

仕方なく壊れたツリーを捨てて再びマイケルスへ。すると前に買ったのと同じスタイルのツリーが半額セールになっていた。ラッキー!

家に持ち帰り早速組み立てているうちに、私はあることに気付いた。それは新しい木の土台が非常にしっくりと嵌ったことだ。前のツリーの土台は部品がきっちりと嵌らずにグラグラしていたのだが、そんなもんなのかと思って気にしていなかった。だが実はあれは最初から不良品だったのだ。足がきちんとはまっていなかったせいでバランスが悪かったのである。だからちょっとコードが引っ張られた程度で転倒したのだ。私のせいではなかったのだ(いや、多少は責任あるでしょ)。

余分だと思ったオーナメンツを大量に処分してしまったため、ちょっとスカスカだが、その分色付きの豆電気優を余計に飾った。本当はこれも処分するつもりで箱につめてあったのだが早まらなくて良かった。

ともかく12月に入る前にツリーを飾れたので良しとしよう。


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友達から引き取った冷凍食品が不味すぎた!

入院している友人のLの後見人から電話で、今日彼のマンションに来て掃除しているから、欲しいものがあったら持って帰っていいと言われたので行って来た。私の家も断捨離中なので他人のものをそうそうもらってきてもしょうがないのだが、まあDVDとか観たことないものがあれば多少は引き取ってもいいかなと思ったのだ。

以前にも話した通り友達のLは貯め込み癖があり、彼のマンションはガラクタでごった返しており、一か月前に行った時には玄関から足の踏み場もない状態だったのだが、今回は大分片付いていた。今日は掃除の業者が来て二つあるトイレと風呂場を掃除しているところだった。ベッドや本棚などいくつかの家具を廃棄したとかで、ベッドルームと書斎は多少すっきりしていた。しかし戸棚をひとつ取り除いたらその後ろ側に本が詰まった別の本棚が出て来て驚いたと後見人さんは呆れていた。

瀕死の状態で発見された友達

Lの部屋にはLの上の階に住む老婦人が来ていた。Lが倒れた時、何日も貯まっている郵便を不審に思って配達の女性が連絡したのがこの女性だったのだ。彼女からその時の様子を聞いたところ、Lの話よりも事態はもっと深刻だったのだということを知った。

Lは何かに躓いて倒れたのか糖尿病の発作で意識を失くしたのか自分では覚えていな言っていた。そしてどのくらい倒れていたのかも覚えていないと言っていた。郵便が貯まるくらいだから2~3日は倒れていたのだろうと思っていたが、老婦人の話だと二週間近かったという。彼女が警察に連絡をし警察が消防隊と救急車を派遣してくれたという。しかし部屋の中がごった返していたため、救急隊員は担架ではなくシーツを使ってLを寝室から運びだしたのだそうだ。その時シーツから零れ落ちたLの片腕を見て、婦人は彼はもう死んでいるのではないかと思ったほどひどい状態で、思わず「ああ、彼は死んでいるの?」と叫んでしまったという。しかし救急隊員が「いいえ、大丈夫、間に合いました。」と答えたそうだ。

本当に危ないところだった。それにしても二週間近くも、糖尿病患者が飲まず食わずで生き延びられたとは奇跡のような話だ。

幸いLはかなり回復し、今は歩行器を使えば多少は歩けるようになった。

たくさんもらってきた冷凍食品

前に行った時は部屋の中が誇り臭くて息が詰まる思いがしたのだが、今回はだいぶ換気が出来ていた。しかし掃除の人が使っている洗浄液の臭いがひどくて私は別な意味で息が詰まった。それであまり長居はできなかったのだが、後見人さんが冷凍庫に詰まっている冷凍食品を引き取ってくれというのでいくつか貰って来た。実はこの金曜日にちょっとした手術をすることになっており、その後一週間は運転が出来ない。また動き回ってもいけないということなので冷凍食品を買いだめしておかねばと思っていた矢先だった。それで渡りに船と沢山の箱をもらって来た。

ところがうちの冷凍庫はそんなに大きくないので沢山は入らない。それでちょうどお昼時になったことでもあり、試しに今日のお昼に食べてみることにした。全部違う料理だったのでスイディッシュミートボール、鳥のフライとヌードル、ミートソースとマカロニの三つを開けてみた。見た目はまあまあだったが、私はミートソースを食べてみた。そしたら一口食べて「おえっ」となった。ま、不味い!お爺ちゃんが食べていたミートボールのソースだけ味見したらこれも不味かった。鳥フライのヌードルは不味くはなかったが味気なかった。

いやあ冷凍食品てこんなに不味いもんなの?

実はそれは正しくない。うちの近所にはトレーダージョーズ(略してトレジョ)という多少グルメのスーパーがある。そこで私は最近しょっちゅう冷凍食品を買っている。アメリカの店なのだが餃子や焼売や照り焼きチキンなど中華や日本風のものも結構あるし、インド料理やメキシコ料理などもある。色々試してみたが結構おいしいので私は忙しい時はトレジョの冷凍食品を愛用しているのだ。

しかし友人のLが持っていたのは近所の普通のスーパーで買った安いものばかり。安かろう悪かろうとは良く言ったものだ。


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感謝祭の思い出いろいろ

昨日11月23日はアメリカの感謝祭だった。実はうちは家族の日程の都合で家族で集まるのは日曜日の予定。それで今日はこれまでの感謝祭の思い出をちょっと集めてみようと思う。

2006年:本日の感謝祭でメインコースとなるはずの七面鳥が、なんと食卓から逃げようというのか電車に乗ろうと大急ぎしているのをニュージャージーの駅員さんが発見。

電車を待つ七面鳥

お父さん、早く早く、乗り遅れますよ!

上記のエントリーは実父が大喜びして親戚中に見せて回った。平和だったなあ。

ところでこの年の感謝祭直前私はバージニアに居た。何度もお話しているように私は一年中しょっちゅう出張をしていたので、祭日だからといって家で過ごせるとは限らなかった。この年も感謝祭は出先で過ごすと覚悟していたのだが、突然予定が変わり土壇場で帰れることになった。しかし土壇場なので航空券をとるのに一苦労。しかも通常より割増料金。職場と10ドルの割り増し料で揉めた。そして当日の天候は最悪。

しっかしバージニアの朝は寒かった。気温はせいぜい10度程度で特に低いというほどでもなかったのだが、まあ風がひどい。風による冷却効果を入れると零下10度以下。(笑)厚手のセーターの上にノースフェイスのウィンドブレーカーを着ても寒い。しかもすごい風だからまっすぐに歩けない。
それでも空港についてしまえば、後は車をガレージに返してすべてビルの内部だからいいかと考えていたら、レンタルカーを返すところが空港のビル内部ではなくターミナルから数十メートルはなれた野外。大きなスーツケースに、ラップトップ、それに寝袋と折り畳みの椅子をかかえて号風のなかをジグザグに歩く姿は外からみたら滑稽だっただろう。 平たいラップトップを風があおり、私は何度も足をすくわれそうになった。かぶっていた帽子がで回って目を覆い途中で前が見えなくなったが手いっぱいの荷物なので帽子がなおせない。しかも空港についたら雨が降り出す始末。もう泣きっ面に蜂とはこのことだ。

2007年:この年は私はパールハーバーで勤務していた。しかし前年と同じでこの年もなんとかぎりぎりセーフでロサンゼルスに帰ってこれた。

「昨日の木曜日はアメリカでは感謝祭だった。(略)だから今週の月曜日から水曜日まであらゆる交通機関は大混雑。私も日曜日にホノルルからかえってきたが朝から空港はごったがえしで、出発一時間半前に空港についたのに搭乗は最後のほうで滑り込みセーフだったくらいだ。」

同エントリーには香港についた空母艦が突然中国の差し金で停泊できなくなったことも書かれている。家族と一緒に香港で感謝祭を過ごそうとしていた人々の休日が台無しになってしまった事件であった。

2008年:この年はサンディエゴに居た。この年だったかどうか記憶にないのだが、私は一度感謝祭をサンディエゴで過ごしたことがある。うちはサンディエゴからは車で3時間弱なので、帰って来ようと思えば帰ってこれない距離ではない。感謝祭は木曜日だが金曜日が休みになれば四日連中だから長期出張中でも一時帰宅は可能である。ところがある年、感謝祭の翌日の金曜日の朝から仕事ということがあった。それで木曜日一日のために帰るというのも大変なので感謝祭を出先で過ごすことになったのだ。しかしアメリカでは感謝祭の日はレストランがどこも開いていない。やはりサンディエゴに居残った同僚と一緒にホテル付近のレストランをいくつか当たってみたが結局あいていたのはデニーズだけだった。

デニーズは便利だがまずいという評判だったのでずっと行っていなかったのだが、背に腹は代えられない。それで仕方なくデニーズでターキーディナーを食べた。それが意外にもおいしくて、一緒にチェリーパイもデザートに注文。寂しい感謝際だったが、なんとかほっこりしたものである。

2010年:この年は私は感謝祭の帰省で忙しい空港でセキュリティーがとみに厳しくなったことで起きた色々な混乱について書いている。面白かったのはインディアナ州兵100名を含む陸軍兵330名が、軍の特別チャーター機でアフガニスタンから帰還した際の出来事だ。帰還兵らは玉ははいっていないとはいえ、皆武器を持っていた。全員がM4カービンライフル、数名はM9ピストルを所持していた。人に寄ってはM−240Bマシンガンを持っていた。兵士たちはすでに航空機に乗り込む前から色々厳しい審査を受けていたのだが、アメリカのインディアナポリスで給油のため着地した際、アメリカのTSAから審査をうけることになった。列の前のほうにいた兵士のポケットナイフが没収された後、著者の前にいた兵士のポケットから爪切りが発見された。

TSA職員: これは飛行機に持ち込めません。
兵士: へ?国を出た時からずっと持ってたんだぜ。
TSA職員: 持ち込めない事になっています。
兵士: なんで?
TSA職員: 武器をとして使われる可能性があるからです。
兵士: (ライフルを触って)これは本当の武器だよ。そしてこれを持ち込むことは許可されてるんだぜ。
TSA職員: はい。でもそれで飛行機乗っ取りは出来ません。銃弾が入ってないんですから。
兵士: でも爪切りで乗っ取りは出来るって訳?
TSA職員: [困った顔で沈黙]
俺: おい、爪切りなんぞ渡しちまえよ。そうすれば早くこっから出て行けるんだからさ。欲しいなら俺が新しいのを買ってやるよ。
兵士: [爪切りを職員に渡し、無事審査を通過する。]

だいたい飛行機はチャーター便であり、兵士ばかりが乗っているのに誰がハイジャックなんかするんだ?バカバカしい。

2020年:うちでは七面鳥の料理はずっとミスター苺がしていたのだが、ミスター苺の健康状態の問題もあり、この頃から私が料理担当になっていた。そして今や悪名高い「カカシ10kgの大型七面鳥解凍に苦戦するの巻」である。主人は自分は料理担当を降りたくせに沢山の客を招いてやっていたパーティの時と同じように10キロという七面鳥を買ってきてしまい、しかもそれが冷凍だったため、解凍にものすごい時間がかかってしまったという話だ。

大きい鳥だが三日もあれば十分だろうと四日前の夕方にアイスチェストに氷水を張って鳥を入れ一晩おいた。一応確認のためと思ってネットで調べたら、このサイズの鳥の解凍は冷蔵庫のなかで5日かかると書かれていてびっくり!調理前24時間ブラインに漬けておく必要があり、それまでには完全に解凍出来てないとダメと書かれていた。ということは三日足りない!感謝祭に間に合わないよ~、とパニック。

しかしここで、冷水による解凍方法があったはずと思い出し再び検索。プラスチックの包装をそのままにして氷水ではなく冷水に浸せば、完全に凍っていても12時間かければ解かせるとのこと。だが30分毎に水を換えないとバクテリアが湧く可能性ありとあって絶望。しかしこの時点で鳥はすでに一日半氷水につかって4度Cを保っていたので、かなり解凍は進んでいるはず、12時間も冷水に漬けなくても大丈夫かもと思い、風呂桶に冷水をはって解凍に挑んだ。

案の定二時間もすると鳥は半分以上解凍状態になった。それで再び氷水に移して一晩置いたところ翌朝には完全に解凍完了。包装を解いて大き目のビニール袋に入れつけ汁に浸して一晩置く。この時も上から氷をどっさり被せてチェストに入れた。

アイスチェストに入れて時間をかけて解凍する場合は、摂氏4度に保つことが大事。ちなみにこれは普通に冷蔵庫の温度なので、冷蔵庫に場所が取れるならそれが一番安全。ただブラインに漬けるときにはアイスチェストが一番楽。たとえ漬け汁が漏れても他の食品が汚染される心配はないから。

2024年:2020年の教訓から私は七面鳥は余裕をもって解凍することにしている。しかし家族はさほど沢山七面鳥を食べるわけではないので、今年は5ポンドの半ターキーを購入。日曜日のためにすでに冷蔵庫で解凍中。


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窓際族になったカカシ

前回仕事を引退したと書いたが、そうなった経緯について少し書いてみよう。三年くらい前、職場では大規模な人事異動の計画が発表された。新入社員もたくさんはいってくるということで、席が足りなくなるので、普段あまりオフィスに居ない出張の多い職員を中心にオープンスィーティングというシステムを取り入れる予定だと言われた。オープンスィーティングというのはラップトップ(ノートパソコン)を設置できるドッキングステーションのある机をいくつか並べておいて、誰の席とは指定せず、オフィスに居る人が好き勝手に交替で使えるシステムである。

アメリカのオフィスというのは大企業の場合、一人ひとり仕切りのあるキュービクルというところで仕事をするのが常なので、となりと仕切りのない日本のオフィスのような職場は皆ちょっと抵抗があった。しかしこれが実現するかしないかという時にコロナである。コロナ禍でまさか隣と仕切りのない席に座って仕事をすることもできないというので、この計画は一時棚上げにされた。そして始まったのが在宅勤務とフレキシタイム。(職場内での混雑を防ぐために時間をずらしての出勤制度である)

しかしここは軍隊だ。誰もかれもが在宅勤務をするわけにはいかない。それで徐々にではあるが職員は出勤するようになっていった。だが人々が在宅とフレキシで時間をずらして出勤するため、出勤しても同僚と顔を合わすことが少なくなり、私はかなり寂しかった。

そのうちにコロナ禍で延期になっていた大規模人事異動が遂に実行されることになった。私は部署がかわり、長年座っていた席から移動し別の建物に引っ越しすることになった。運悪く私はこの頃開胸手術をすることになってしまい、一か月ほどの病欠と自宅療養のための在宅勤務で正味二か月間出勤できなくなった。しかし引っ越し先の建物での私の席は決まっていたので、荷物はすべて運送屋さんが私の留守中に移してくれることになっていた。

在宅になってすぐ、用があって職場に出勤した。荷物がきちんと移動されているかも心配だったし、新しい席も確認しておきたいと思ったからである。しかし私の席であるはずのキュービクルにはプリンターが置かれており、倉庫のように色々な箱が置かれていた。机はあったがイスもなく、凡そ私が座って仕事をできるような状態ではなかった。上司にその話をすると、引っ越しのごたごたで、空いているキュービクルを一時的にプリンターやがらくたの倉庫に使ったという。しかし私の在宅期間が終わって常時出勤するようになるまでには片付けておくから心配は要らないとのことだった。

しかし一か月後、週3で出勤することになり職場に行くと、私のキュービクルは一か月前と全く同じ状態であり、片付けた様子もなければ片付ける予定もないことが解った。つまり、私には戻る席が用意されていなかったのだ!

上司にその話をすると、新入社員もたくさんはいり、席が足りないので、在宅勤務や出張の多い人たちは空いている席をその都度探して使ってほしいと言われた。しかし席がないのは私だけのようで、長期出張でほとんどオフィスに来ない同僚にはきちんと席がある。しかもこれから入ってくるという新入社員の席は用意されていた。いったい何なんだこれは?

仕方なく空いている席を探してうろうろしていると、同僚Vと顔を合わせた。Vは「ああ、君も席がないの?僕も席がないんだ。」え~なんで?「引っ越してからオープンスィーティングになるからって言われたんだ。でも他の人には席があるんだよ。」Vは私と同年代でこの道のベテラン。それどういうこと?他に席がない人はいるの?「ああ、Fもないっていった」あれ、Fさんは私の先輩だった。どうしてこうもベテランの中高年ばっかり席がないわけ?それってもしかして、、、

私たち窓際族にされちゃったのか?

これのせいかどうかは分からないが、F先輩はその後すぐに引退してしまった。席がなくなった我々年寄りは数人で集まっては、そろそろ引退すべきかな、これって肩たたきなのかな、とか言いながら職場で肩を寄せながらお茶をすする毎日。な~んてのは冗談。いや、そろそろ引退の潮時かなと言う話はしていたが、仕事そのものは忙しく、週に3回くらいの出勤では追いつかないほどだった。どうして仕事はあるのに席はないんだ?リストラしたいなら仕事もないはずだろうに。

私は引っ越し先の建物のなかを色々歩き回った。すると席が足りないどころか席は有り余っていた。このビルはかなり大きなビルでドアで仕切ってはいないが、東西南北に大きな区域に分かれていた。南と西の区域の席は埋まっていたが、東は結構空いており、北にいたっては完全に空で、50以上あるキュービクルに誰も人が座っていなかったのだ!いったいこれはどうなってるんだ?

聞いた話では、そこには新しい部署が作られる予定だということだったが、一年経った今でも誰も入ってくる気配がない。

で、我々はどうしたかというと、誰も使っていない空席に自分の名札をはりつけ、ITの職員に言って大きなモニターをとりつけてもらい、ドッキングステーションもつけて自分の書類も戸棚に広げた。他にも席を失くした同僚達は同じように空席を分捕ってしまった。これは上の人も文句は言えない。なにしろ空いてる席を適当に使えと言ったのは彼等なのだから。

私が思うに我々の席がなくなったのは必ずしも意図的なものではなかったのだろう。引っ越しを期に、あまりオフィスに出勤してこない人からオープンスィーティングを試してみようと思ったのだろう。北ウイングにも本当に新しい部が出来るはずだったのだろう。しかし何せお役所仕事というものは往々にして計画倒れになる。オープンスィーティングの対象となる規則がまるではっきりせず適当だったため、人々の間から不満が溢れ、結局オープンスィーティングは大失敗に終わった。今後どうするのか私のしったこっちゃないわい!

結局私は今年引退することに決めた。席がなくなったということだけでなく人事異動があってから何か職場がしっくりいっていない気がしていた。ずっと一緒に仕事をしてきた人たちがバラバラに別の部所に配置され、私は前と同じ上司だったとはいうものの、彼自身も部下を2/3に減らされてしまったことをぼやいていた。私はこの上司がまだ昇進する前からの知り合いだ。そんな彼は「僕専用の個室のオフィスが貰えたのはいいけど、みんなとすぐ顔を合わせらえる場所じゃないから、部下との交流が保てない。それにコロナ以来、在宅やフレキシでオフィスに居ない人も多くて、なんかつまらなくなったよ」と言っていた。

本当に引退するにはちょうどよい潮時だったのかもしれない。


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え?カカシさんは元軍人じゃない?違います!

本日、よもぎねこさんとこのコメント欄でよもぎねこさんが「カカシさんは軍隊に居たことがあります」とおっしゃっていて、え~いやいや、それは違いますよ誤解ですよ、と思った。でも私の書き方が悪くて、そういう印象を読者諸氏に与えていたのなら実際の退役軍人さんたちに失礼なのでここで正しておかなければならないと思った。

苺畑カカシは軍人だったことはありません!ここではっきり申し上げておきます。

ただそういう誤解を得るようなエントリーがいくつかあったことは否めないのでその説明が必要だろう。実は私は先週一杯で仕事から引退した。なので今まであまり詳細を語れなかった私の仕事についてちょっとお話してもいいかと思う。

私は軍人ではないが、アメリカ海軍に民間人として22年間勤めていた。皆さまもご存じとは思うが、軍隊というところは軍人だけで成り立っているわけではない。実際に戦場に行って戦闘をする軍人の他にも兵器開発をしたりその兵器の性能を確かめたり兵器の操作を軍人に教育したりするエンジニアリング関係の人も居れば、兵站(へいたん)といって「戦争において作戦を行う部隊の移動と支援を計画し、また、実施する活動戦争において作戦を行う部隊の移動と支援を計画し、また、実施する活動(ウィキより)」をする人たちもいる。大抵の民間人は内地で普通の事務職をしているが、極端な人はイラク戦争中に物資輸送をしていた軍隊の護衛をしていた民間人警備員などもいる。であるから軍隊所属の民間人の仕事というのは多種多様なのである。私の知り合いのお父さんは何と潜水艦に乗っていた!

というわけなので私も民間人従業員としてアメリカ各地にある海軍基地に派遣され色々仕事をしてきた。時には海軍の護衛艦に乗り込み何週間も水兵たちと一緒に仕事をしたこともある。「こともある」というより、ほんの数年前までは船に乗るのが私の仕事だったと言っても過言ではない。それで多分読者諸氏が体験したことのないような、日本の佐世保港から真珠湾まで護衛艦に乗って船の旅をしたり、フロリダからパナマ海峡を通ってカリフォルニアまで航海したり、ギリシャの軍事基地でイスラエルとの軍事訓練に参加したり、サンディエゴからパールハーバーを往復したりとか、まあ普通では出来ない仕事をやってきた。言うまでもないが護衛艦に乗っての旅は豪華客船の旅とは全然違う。

このブログを始めた当初はそんな話を時々していたので、もしかしてカカシさんて米海軍に居るの?とか思われたとしても不思議ではない。思わせぶりなことを書いてしまい申し訳ないと思っている。

私がこの仕事を始めたのは何と2001年9月11日の一週間前。というわけなので就職してすぐアフガニスタンやイラク戦争を体験した。もちろん戦地になど行ってないが、それでも戦争中の軍隊の仕事をしているというのは結構大変な話。それでヤフーの掲示板などで「そんなにイラク戦争に賛成ならお前が軍隊に入隊しろ!」とか言われる度に「お前らは何もしらない!」と思いながら沈黙を守ったのであった。

海軍でWWII戦争中から言われている注意事項に”Loose lips sink ships.”「軽い口が船を沈める」というのがある。やたらに軍事機密をぺらぺらしゃべると敵にこちらの動きを知られて危険だと言う意味。それで我々はフェイスブックなどのソーシャルメディアで仕事関係のことを話してはならないという決まりがあった。

数年前に人事異動があり長期間の出張や船に乗ることはなくなり、職場と自宅を往復するだけの普通のオフィスワーカーになった。その直後コロナ禍となり在宅勤務が普通になってからというもの、この仕事は全くつまらないものになった。ま、その話はいずれ引退の経緯をお話するときにでもするとしよう。


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お爺ちゃんの定期健診

先週お爺ちゃんの健康診断があり、血圧も血糖値もコレステロールも正常。身体はどこも悪くなく至って健康という診断だった。本日脳外科の検診も受けて来たが、認知症の病状は少しづつ悪化しているとはいうものの、身体は健康なのでこのままの状態がまだまだ何年も続くだろうと言われた。こういう病気では寿命はどのくらいなのかと尋ねると、「認知症は致命的ではありませんからね。アルツハイマーになると5~6年で亡くなりますが、お爺ちゃんの場合はアルツハイマーではないから他の病気にかからない限りこの病気で死ぬわけじゃありません。だから身体さえ元気ならまだまだ何年も大丈夫ですよ」と言われた。「ただ、、認知症が進んで本能的なことが出来なくなると、つまり食べ物を飲み込むという本能すら働かなくなったら終わりですね」と付け加えられた。

そういえば、認知症に関する動画で見たのだが、物が食べられない人のために、いろうと言って養分を直接胃に送り込む方法があるそうだ。しかし医療関係者の話ではこれはお薦めできないとのことだった。結局それはもう死にかけている人を無理やり生き延びさせているだけで、とても生きているとは言えない状態だからだそうだ。

お爺ちゃんが食べ物を飲み込めなくなったら、もうそれは死ぬ準備だと思ってあきらめるしかないだろう。ま、いまのところはそんな状態ではないが。

お爺ちゃんには長生きをしてほしいかといえば介護の身としては複雑な気分である。いまのところさほど手はかからないが、もっと手がかかるようになったら私ひとりではどうにもならない。やはり施設に入ってもらうしかないだろうが、お金もかかることだし。出来る限りうちに置いておいた方がいいと思うが、どうしたものやら。

トトロのDVD

お爺ちゃん、トトロのDVDが届いたよ。観る?「観る」トトロトトロと散々踊った後、「もう一回かけろ」今観たのにまた観るの?「もう一回かけろ!」はあ、良かったよ。買った甲斐がある。ところでトトロは英語吹き替えのほうが日本語よりずっといい。演技が上手。

お爺ちゃんはジブリの映画が気に入ったようだったので、キキの宅急便、千と千尋の神隠し、を購入。すでにそれぞれのDVDを三回以上観ている。でもやはり一番好きなのはトトロみたいだ。


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お爺ちゃん、なぜか本名が!

お爺ちゃん、「おい」じゃなくてちゃんと私の名前をよんでちょうだい。「ふむ」私の名前で呼んでね。「ふむ」ふむじゃなくて、まさか私の名前忘れたの?「忘れとらん!」じゃあ私の名前はなんですか?「あ~、あ~」はあ、遂にそこまで来たのか。私はカカシですよ。カカシちゃんって呼んでご覧。「かかか」かあかあしい「かあかあ煩いわい!」。

お爺ちゃん自分の名前言える?「言える」お爺ちゃんの名前はなんですか?「言えるわい!」名前は何ていうの?「○○じゃ!」え?

とまあ今朝はこんな会話を交わしていたのだが、お爺ちゃんが自分の名前だと言った叫んだのは、実はお爺ちゃんの本名。いや、本名を言って何が悪いと思われるかもしれないが、お爺ちゃんは本名がありきたり過ぎだということで親者とを離れて独立した時に改名したのである。そのことを知っているのは家族でも私を含めて2~3人だ。若い世代は全くしらない。それなのに今日は名前を聞かれて本名で答えているのだ。いったい記憶はどこまでさかのぼってしまったんだろう?

改名後の名前も覚えてはいた。その名前で呼んだらちゃんと答えていたから。でもこうやってどんどん若い頃の記憶だけになっていくんだろうか?


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お爺ちゃん、初めてのおもらし

題名からも明白だと思うので、そういう話を読みたくない人は読まないでください。

本日お爺ちゃんが初めてお漏らしをした。今朝いつものように散歩して折り返し点のベイカリーに寄りコーヒーを飲んで帰る途中、家の前庭にたどり着いた時点でお爺ちゃんがなにやらそわそわし始めた。もしかしてトイレに行きたいのだろうかと思って急いで家のドアを開けて「トイレ行きなさい」と言って振り向くとお爺ちゃんの半ズボンはびっしょり濡れており靴も靴下も濡れていた。あ~、ついにやっちゃったのか!

トイレ行きたいならどうして言わないの?「突然来たんじゃ」突然なわけないでしょ。男性は女性より我慢が効くはず。なんでベイカリーで言わないの、トイレ貸してくれたかもしれないのに!「あっという間だったんじゃ」そんなはずないでしょ!

私は前々からお爺ちゃんの下の世話は絶対にしないと言って来た。その時が来たら介護施設に入ってもらうとずっと言って来た。今回は外を歩いている時だったからまだしもだが、もしも家の中とかレストランとか映画館でこんなことになったらどうするんだ!もうおしめしなければならないのか?冗談じゃないぞ。

出来る限り介護施設は避けて自宅で介護しようと思っていたが、もう限界なのかもしれない。私だけが頑張っても無理だ。


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姪っ子の演劇発表会を見て来た

主人の妹の娘は現在16歳で高校2年生。中学校時代から演劇が好きでずっと演劇部に所属している。演劇部といっても日本のように放課後に集まってやるのではなく、演劇という選択科目として授業の一部である。祝日などで家族が集まった時に、これまでのお芝居の発表会の様子を見せてくれたりしたのだが、私も夫も子供の演劇になど全く興味がなかったのでずっと観たことがなかった。しかし最近になって、私はもっと家族との付き合いを親密にしておくべきだと考えが変わった。友人のLが天涯孤独であと一歩で孤独死をするところだったのを目の当たりにして、やはり近所にいる家族との絆はきちんと保っておくべきだと思うようになったのである。

というわけで昨日姪っ子の演劇発表会に行って来た。実は私は高校生の頃演劇部に入っており、県の演劇コンクールに参加したこともあった(入賞はしなかったが)。当時私は入賞した高校の演目をいくつも観て、彼等の実力の凄さに感心した覚えがある。また最近では、ユーチューブで高校生によるミュージカルなどがいくつも上がっており、演技だけでなく装置や演出やオーケストラに至るまで、プロの劇団かと思うようなレベルのものをいくつも観ている。なので姪っ子のお芝居がどの程度のものなのか、ちょっと期待して観に行った。

結論から言うと下手だった(笑)。いや、素人芸だから仕方がないし、普通の高校生なんてこの程度なのかもしれない。でもわたしの高校時代と比べるとかなり質が落ちるなと思った。いや、自分のことだからひいき目に覚えているだけなのかもしれないが。

ちょっと気になった点について書いておこう。

マイクを使っていること

お芝居はさほど広くない小さい会場で行われた。私とミスター苺がずっとシーズンチケットを持っていた劇団の劇場よりずっと小さい。にもかかわらず役者は一人ひとり小型マイクを付けていた。私が高校生の頃はこの会場の二倍はある体育館でマイク無で演じた。この違いはお分かりいただけると思う。

大昔は舞台はマイクがついていなかった。だから俳優は大きな声で大向うに届くような声で演技をする必要があった。遠くにいる人にもわかるように大袈裟な演技が必要だったし、声が大きいから活舌が悪いと何を言っているのか聞き取れない。それで役者は大声で活舌良く話せる人でないと務まらなかった。

しかし今はマイクがあるので怒鳴る必要はない。普通の声で話していても大丈夫なのはいいが、それが原因で声に張りのない子が多かったのである。それから活舌の悪い子が2~3人いて、声は聞こえたが一体何を言ってるのか分からない子たちが居た。

踊りやアクションシーンに迫力がない

大昔だがうちのミスター苺は剣劇を習っていた。主人は普通のフェンシングもやっていたが、舞台やドラマでの剣劇シーンは普通のやり方では迫力が出ない。オリンピックなどでフェンシングの試合を見たことがある人は多いと思うが、あっという間に勝負がつき、素人が観ていると何がおきたのか分からない。普通の人は、あんなものを映画で見てもちっとも面白くない。だから映画や舞台で観る剣劇は実際とはかけ離れたものであり、それなりの技術を要するわけだ。

素人のやることだし剣劇コーチがついてるわけではないから下手なのはしょうがないが、小学生のチャンバラでもましだろうと思うくらい酷かった(笑)。

だがもっとひどかったのは踊りである。プロのダンサーみたいな踊りをしろとは言わないが、もう少し楽しそうに元気よく踊ってほしかった。あれじゃあ幼稚園のお遊戯より酷い。

責任は演出者にある

これは演劇という授業の一貫だ。言ってみればこれは授業で習ったことのおさらい会である。にもかかわらずここまでひどいと言うことは、教えている教師の質が悪いということだ。私は生徒達の演技が悪いとは思わない。ひいき目かもしれないが姪っ子の演技は結構うまかった。彼女だけではなく演技のうまい子は何人かいた。しかしそれが生かされていないのは芝居を通じて元気が足りないからだ。そしてこれはやはり最初のマイクを使っているということが一番の原因だと思う。

お芝居の筋そのものは面白かったし姪っ子も上手だったので、それはそれでよかったのだが、なにせ芝居好きの悪い癖ですぐ批評家気取りがしたくなってしまう。


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