Jブロガーから学んだ不思議な日本

ユーチューブでは英会話を流暢な日本語を使って教えているガイジンさんが結構いるのだが、日本語で日本語を教えているアメリカ人のブロガーを発見した。Dogenさんがその人。日本語教室と銘打っているのだが、普通に日本人が聞いてても面白い内容だ。彼のブログには必ず脚本があって、自分の体験談とか気持ちをエッセーにしてる感じ。この謎の男というエントリーは自分がどこかの旅館に行ったときの体験談で非常に面白い。
彼の日本語ははっきり言ってカカシの日本語より優れており、特に漢字能力はカカシより数倍上。日本のポップカルチャーに関する知識はカカシ0.1なのに対してドーゲン100かな?
こういう人に「日本語お上手ですね」と言ったりしたら失礼を通り越して決闘申し込みくらい侮辱のレベルかも。彼自身冗談ごかしに、「あ、漢字かけるんだ」とか言われると腹が立つと言っている。ただ彼の場合、ちょっといらだつとはいうものの、結構寛容に受け止めている感じがする。
とても興味深いと思ったのは、アメリカ人のドーゲンさんが日本で体験したことの多くが、カカシがアメリカで体験したことと、とても似ているということだ。つまりこれは、日本だから起きたということではなくて、外国で住む人には共通した体験がかなりあるということだ。ちなみにミスター苺にこのビデオを見せたら、ちゃんと英語の字幕があるのに何がおかしいのかわからないと言われた。私も今更「英語お上手ですね」とか言われたら腹立つし。
季節外れだが、ドーゲンさんが日本のクリスマスについて語っていたちょっと古い動画は興味深かった。日本のクリスマスではなぜか楽しいジングルベルとか赤鼻のトナカイとかという音楽よりも、失恋テーマのラストクリスマスがポピュラーだとか、クリスマスにはケーキを食べるのはもとよりケンタのフライドチキンを食べる習慣があって、クリスマス前何日も前から予約をしておかないと買えないとか、、(ケンタに予約って何それ?)ミスター苺にその話をしたら、もしや日本人はカーネルサンダースおじさんをサンタと間違えているのでは、、なんて言ってたけど、まさかそんなことないよね。ちなみにカカシが子供の頃はこういう習慣はなかった。ま、ケンタ自体がまだ存在してなかったけど。
ところで、ドーゲンさんはあまり迷惑そうには言わないが、他のJブロガーの人たちの間で聞かれるのが「ガイジンハンター」という言葉。これは外国人とみると英語の勉強相手として相手の都合も考えずに話しかけてくる日本人のこと。実は大昔にカカシが日本に居た頃、カカシの当時のカレ(白人アメリカ人)が英語で話しかけられると必ず日本語で「エイゴワカリマセン。ドイツジンデス。」と言ったかと思うとすぐにドイツ語で「ドイツ語話せますか」と聞き返していた。私がこういうガイジンハンターが嫌いだったのは、カレが一人でいる時ならともかく、カノジョが横にいるのに話かけてくること、男性ならともかく女の子だったら、これってかなり失礼でしょう。
ガイジンハンターではないが、こちらがきちんと日本語で話しているのにカタコト英語で答えてくる人にはちょっと苛立つということはあるようだ。でもそう文句を言ってさんざん日本人を馬鹿にした動画を作った人にはガイジンさんたちからも批判殺到。「お前の発音が悪すぎるから、相手が気を使ってくれただけだろう。文句言うな!」なんてコメントもあった。
しかし、日本で日本語を学びたいと思っているのに、日本人が英語で話したがるので困るという人は多い。でも一人のJブロガーはそういう人が近づいてきたら「英語を教えてあげるから、僕に日本語を教えてくれる?」と交換条件をだしたらいいんじゃないのと提案していた。そういわれて嫌だという人は先ず居ないとも。
今思い出したけどアメリカに来たばっかりの頃に大学のキャンパスで「今授業で日本語習ってるんだけど日本語で話してもいい?」と近づいてきたアメリカ人男性がいたなあ。あの人もガイジンハンターだったのだろうか、、、美形だったから許してやったけど(笑)。


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ユーチューブでみつけた面白いサイト色々

この間もちょっとお話したのだが病気で静養中に日本やアメリカのユーチューバーのチャンネルを色々観てて面白いなと思ったことをちょっと書こうと思う。
韓国でおきた僕の最初の人種差別体験 -TerryTV(英語)
テリーは韓国人とアメリカ人の混血。最近韓国で英語教師を始めた。いろいろ期待して韓国へ行ったのだが、始めた学校での待遇があまりにもひどい。とにかくこき使われ過ぎるうえに彼のやることなすこと事務局長の女性が文句たらたら。そんな状況が二か月くらい続いたので、ついにテリーはこんな状況では働けないと苦情を述べたところ事務局長は「辞めたいなら辞めてくれていい」と極めてあっさり言ったのだという。それでテリーは一体自分に何の落ち度があるというのか、どうして他の教師よりも冷遇されるのか、と色々聞いてみると、女局長は初めて正直にその理由を話した。
この英語学校は子女に高度な英語教育を受けさせようと両親が多額の授業料を払って入学させている。親たちは本物の英語を子供たちに習わせたいと思っているため、英語教師らはこの親たちのイメージする理想な英語教師像を醸し出す必要があるというのだ。平たく言えば、英語教師は西洋人に見えなければならないということ。正直なところカカシから見るとテリーは韓国で居そうなイケメン男優かアイドルかというくらい美形で格好いい。実を言うと私はテリーのブログは彼が韓国へ行く前から観ているが、彼は韓国系アメリカ人だと思っており、ハーフだとは言われるまで気が付かなかった。それがいけなかったらしい。つまり、テリーは女事務局長が期待していたほど白人に見えない、いや、それどころか東洋人、特に韓国人に見せすぎるのだ!それで前々から辞めてほしかったけど、まさか白人に見えないから辞めてくれとも言えず、意地悪していびり出そうと思っていたらしい。
韓国に居て韓国人に見えすぎることで人種差別をされたという不思議な話であった。
在日外国人が発信するユーチューブ、J-Blog
韓国の英語学校における外国人への対応の悪さもそうだが、日本にも無知な外国人を悪用する悪徳業者はたくさんある。それについて色々紹介している外国人のブロガーも結構いる。日本在住の外国人が日本語もしくは自分らの母国語で日本での生活についてアップしている動画サイトのことはJブログと呼ばれ、やってるブロガーたちはJブロガーと呼ばれる。最近発見した二つの対照的なサイトをちょっと紹介。二つとも英語サイト。
GivemmeaflakemanのビクターとRyan Boundlessライアン・バウンドレス。
どちらも日本生活歴が長く、ビクターはもう20年以上、ライアンは10数年。二人に共通していることは日本で長年英語を教えているということ。だが、対照的なのはビクターは日本での生活をエンジョイして完全に日本に融和しているのに対し、ライアンは日本が嫌いで何かについて日本の悪口を言い、日本で暮らしている自分がいかに惨めであるかを常に語っている。はっきり言ってライアンのブログは気が滅入るからちゃんと見たことはない。ビクターは楽観的だが話がまとまらずに長ったらしいので好きではないが、一緒に飲んだら面白いおっさんかもしれないという気がする。友達になるなら絶対にビクターの方だね。
外国人が日本で仕事をするのであれば、やはり下調べは必要不可欠だ。相手が外国人だと思って足元を見る悪徳日本業者はいくらもいる。そういう意味で今日本に暮らし、嫌な体験もしているほかの外国人の話をユーチュブのブログを通じて聞くことが出来るというのはこれから日本へ行こうという外国人にとっては非常に助かることだろう。ところで外国人英語教師の最低月収は25万円(手取りではない)だったそうだが、最近は法律が変わってそれ以下のところもあるとか。これは1980年代から全然変わっていない。いくらデフレといっても、これはかなり低いのではないかと思う。
カカシが好きな日本語ユーチューバー
最後にカカシが好きな日本語のユーチューブチャンネルを二つ紹介しよう。一人はカカシがもう数年前から登録しているKAZUYAチャンネル。もうひとつはPDRさん
カズヤ君は保守的な政治に関する話をしており、カカシは慰安婦問題の件で4~5年前に知った。まだ20代で高卒だというが、アメリカの名門大学に行ってる学生なんかよりずっと博学。大学なんか行かなくても教養は身につくという例だね。最近では本を出したり政治雑誌にコラムがあるなど結構な活躍ぶり。声も声優並みで上品。
「PDRさん」のダンカンはイギリス人と日本人のハーフで30歳前半。15歳までイギリスで育ったがその後は日本住まい。彼は時々英語のブログもアップしているが日本語の方がメインなようだ。ヒューモアがイギリス風な皮肉っぽいものなので日本人には通用しないとか言ってるが、結構人気があるので通じてるのではないかと思う。彼は若いころコンビニに9年も働いていたとかで、「コンビニにくるうざい客」シリーズは面白い。彼の奥さんのメイミーさん(英語と日本語)もJブロガーとして日本に興味のある外国人からも人気がある。


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ブログ復帰します

「苺畑より」の愛読者の皆さま、大変長らくお休みしてしまい申し訳ありませんでした。実は三月の終わり頃、私のパソコンが突然ぷっちーんと真っ暗になり、近所のイスラエル人の修理屋さんに持って行ったところ、どうしようもないほど完全に壊れているといわれてしまいました。仕事用のパソコンは日本語が打てないし、ノートパッドでは指一本での入力しか出来ません。こんなんじゃタッチタイピストの私にはとても文章なんか書けたもんじゃない。
それで新しくコンピューターを購入しようと考えていたのですが、一年以上も調子が悪く手術を薦められていた左目がいよいよ視力がた落ちでコンピュータースクリーンも見えない状態で、もうこれ以上手術を延期することはできないこととなり、ついに四月に手術を受けました。
手術後の回復はまあまあなんですが、最初はノートパッドを顔にひっつけてユーチューブのビデオを観るくらいしかできず、とてもとてもブログを書くなんて余裕がありませんでした。
とまあ、そういうことで、色々あり、一か月以上のお休みということになってしまったわけです。お休みを心配してユーリさんからお問い合わせをいただき感謝しております。先週末やっと新しくパソコンを購入。マニュアルみながら昨日なんとか日本語ソフトをダウンロード。まだ使い方があやふやなんで間違えることもあると思いますけど、どうぞその辺はご了承ください。
ユーチューブあるある
実はカカシは日本のポップカルチャーにものすごく疎い。ま、アメリカ生活30余年だから当たり前と言えば当たり前なのだが。目の手術後に長期の自宅静養を強要されたとはいうものの、本も読めないしコンピュータースクリーンの字なども読めない。テレビも全然観えないので、ノートパッドを顔にひっつけてユーチューブの動画を観るとか、ネット配信のラジオ番組を聴くくらいしか楽しみがなかった。それでこれまであまり親しみのなかった日本人ユーチューバーたちの動画をまとめ観してしまった。英語ではこういうのをビンジウォッチングというのだが、日本語では何というのだろう?
それで最近学んだ新しい日本語。
なんとか「あるある」 - 「あ~、そういうことってあるよね」と感じるような状況を言うらしい。「コンビニに来るうざいお客」とかいう例をたくさん出すときに「コンビニあるある」というふうに使うみたいだ。
ジする、ディする - 不敬な態度を取ること。これはもともとは英語の”disrespect”から来るもので、英語の隠語で “dissing”と言ったのをそのまま日本語に当てはめたものと思われる。こんな隠語まで日本語に取り入れられるとは驚いてしまった。
ばずる - これも英語の “Buzzing” をそのまま日本語の進行形にあてはめたものなんだろうと思われる。Buzz というのはちょっと耳障りな音の意味だが、この場合は評判になるという意味でつかわれている。
ユーチューバー -ユーチューブに動画を挙げて生計を立てているプロのことを言うらしい。アメリカではVlogger (Video Blogger) と呼ばれる人たちのこと。
ま、ほかにも色々あるのだが、そのうち追って紹介しよう。もっとも読者諸氏はすでにご存知のことなので今更言われたくないと言われそうだが。
明日からちゃんとまともなエントリーを書こう。


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ステレオタイプなんて笑って吹き飛ばそう!、

もうず~っと昔、20年以上前だったか、ミスター苺とカカシは観光でアイルランドのベルファスト市を訪れた。長時間の列車の旅で疲れていた我々は、駅付近にあったアイリッシュパブ(居酒屋)で休憩した。次の宿までのバス停の位置を確認すべくミスター苺が席を立つと、かなり酔っ払ったアイルランド人(酔っ払いとアイルランド人は同義語だけど)の男性が私に近寄ってきた。彼は片手に大きなビールジョッキを掲げ、もう片方の腕を私の肩に回してきた。これはフレンドリーな感じでまるで嫌らしさを感じさせなかった。男性は私の顔をじっとみると、「俺は君を知っているよ。君はちゃいに~ずだあ。」と言い、「ミスターチャンを知っている?俺の友達だよ。」と続けた。ミスターチャンとは彼が知っている唯一の東洋人で、多分中華料理屋の店員か誰かで、カカシは彼が人生で二度目に会った東洋人だったんだろう。あのへんで東洋人といえば中華料理屋の店員くらいしか居なかったから。
カカシがアメリカに来たばかりの頃は、中国人と間違われるのは普通だった。私が長年住んでいたマンションの居住者はほとんどが白人の高齢者だった。私のすぐ下の階に住んでいた当時80歳を超えていたおばあちゃんは、私の名前がどうしても覚えられずに、常に「ザットチャイニーズガール(あの中国人の女の子)」と呼んでいた。それで近所の白人居住者たちも皆私のことを「ザットチャイニーズガール」と呼んでいた。
だいたいその頃のアメリカメディアが映画にしろテレビ番組にしろ「日本」を表現しようとしたとき、正しく日本が現されることは稀だった。女性はおおっきなおだんご頭に箸を刺して、顔を小麦粉でもまぶしたように真っ白けに塗って、きものを右前にしてバスローブみたいに着てゴムぞうりを履いていたりした。背景は日本なんだか中国なんだかわからないセットを使い、中国鐘のごわ~んという音響効果。もういい加減にしてくれよ~、と思ったものだ。
最初の頃は私も「中国人じゃありません、日本人です!」とか、「日本の音楽はそんなんじゃありません」とか、ことあるごとに主張していたのだが、こういうことが何度も続くといちいち正すのも面倒臭くなった。そのうち、どうでもいいや、と思うようになった。別に相手は悪気でやってるわけではないのだし。
というわけで、もう何年も前に悟りを開いてしまったカカシにとって最近BBCが掲載して「食べ物ブロガーは人種ステレオタイプを促進するか」みたいな記事を読むとかえって苛立つ。
ま、これは主に欧米における料理メディアのことなのだが、欧米のフードメディアは主に白人による白人のためのメディアなので欧米に馴染みのない異邦の料理に対する扱いがおかしくなるという内容。
たとえば、東洋の料理の場合、ベトナム料理だったらお皿が竹で出来たマットの上に置かれているとか、バナナの皮があしらえてあるとか、日本色の白いご飯の上にお箸が突き刺さってる写真とか、お箸を使わないフィリピン料理に箸を添えたりとか、、
ボンアパティートと呼ばれる料理マガジンで「フォは新しいラーメンだ」というキャッチフレーズを使ったところ、フォとラーメンでは国が違う!と苦情が殺到。雑誌はついていたビデオを取り下げ平謝りに謝罪。
別にいいではないか、そんなこと。だいたいラーメンからして日本による中国汁麺の文化盗用だ。日本の中華料理と実際の中国料理は似て非なるものだが、中国人も結構日本風ラーメンを好む。いいじゃないかお互いにいいところを取り合って別なものを作り上げたのだから。
フォだって元々はベトナム料理だが、白人のシェフがそれなりに作り変えてアメリカ人の口に合うように作ったというだけの話。フォをメキシコのトティーヤにくるんでブリートにしてるシェフだっているのだし、一昔前のラーメンがそうだったようにフォもアメリカで流行る可能性があるよ、という意味で「フォが新しいラーメンだ」というなら別にフォがベトナム料理でラーメンが日本料理だなんてことに拘る必要は全くないはず。(個人的に私はラーメンの方が断然好きだけどね。)
後退派左翼は常にマイクロアグレッションと言って要するに「些細な苛立ち」に注目しすぎるのだ。人種的なステレオタイプを押し付けられたら、冗談を言って応戦するくらいの根性が必要。いちいち「マイクロアグレッションだ!」「人種差別だ!」とか下らないことを言わないで、ましな応戦を考えるべき。カカシが昔よく使った手段は、
職場でポットラックと言って家庭料理を持ち寄るパーティーがあった。同僚は皆私の料理はシュウマイでも餃子でも魚だと思い込んでいて「それってふぃっしゅ~?」と聞くので、「そうよ、でも大丈夫、まだ生きてるから新鮮よ。」などと真剣な顔で言う。
「生魚を食べるなんて野蛮だ」といわれたら、スタートレックに出てくる異星人「クリンゴン星人の料理と同じだよ。時々動くし、、」とおいしそうに言う。
中国人と間違われたら、「あ~ご先祖様に顔向けできない。切腹しなければ~!」と大げさに騒ぐ。
日常でおきる些細な苛立ちをいちいちマイクロアグレッショなどと言って気にしていたら身が持たない。後退派左翼が常に怒っているように見えるのも、これが原因なのだろう。道理で彼らは常に不幸せなわけだ。


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冬の雨水にしたたる雑念の朝

だ~めだなあ、俳句なんてざらじゃない。今年の冬は、カリフォルニアはものすごい雨続き。ま、ここ五年間くらい干ばつ続きだったので、このくらい降ってくれないと間に合わないということもある。週末はずっと雨らしい。といっても今はちょっと晴れてきたが、、
私は普通のサラリーマンで通勤時間も長いので、週日は帰宅してからブログエントリーを書くということは先ず不可能。なので、週日貯めておいた考えを週末になって一挙に書こうとするのだが、大抵の場合ひとつかふたつ書いたら気力が続かずばててしまう。また、これは結構いいネタだな、と思っていても、いざ書こうとするとあまりエントリーとしてまとまらない話題も多い。
なので本日は、個々に書くほどの内容ではないが、多少は書いておきたいちょっとした話題を拾ってみようかと思う。
台頭するアンタイセメティズム
アンタイセメティズムというのはセマイト種族への人種差別という意味なので、厳密的にはアラブ人も含まれるのだが、今は単に反ユダヤ教徒という意味で使われている。ユダヤ教徒及びユダヤ系に対する差別や迫害はユダヤ教徒を宿敵とするイスラム教徒が権力を得るに連れ欧州では激化しているが、世界中でイスラエルの次にユダヤ人が多いアメリカですらも、最近は反ユダヤ傾向が強まっている。それが特にひどいのが大学。
カリフォルニア州のエリート大学スタンフォード大学新聞に投稿されたこの記事についてちょっと。
記事を投稿したのは同大学の新入生マイカ・キャッシュ。スタンフォード大学ではドナルド・トランプが大統領に選ばれて以降、トランプの当選によって傷ついた生徒たちのために学校側はかなりの資源を使って幅広いネットワークで学生たちの相談に乗っている。ところがトランプ就任後、構内中あちこちに出没しだしたナチスドイツの卍(まんじ、スワスティカ)の落書きは全く放置されたままだ。反トランプ学生たちのために多大な費用を惜しみなく使っている学校は、スワスティカ落書きを消すための清掃費も出せないのか、とキャッシュは抗議する。
キャッシュによると、このスワスティカ落書きは今年の一月だけで学校中あちこちに出没し、彼がみつけただけでも17はあったという。落書きは卍のほかにも明らかに反ユダヤな人種差別的文章が書き加えられていたり、ナチスドイツが配ったような反ユダヤのビラが構内あちこちでばらまかれたりしている。にも関わらず同大学の無行動はどういうことなのか。

僕はスタンフォードの生徒みんなに、同じようなヘイト犯罪が他の少数派グループに対して向けられた場合のことを想像してもらいたい。最近の調査ではユダヤ系生徒は全校生徒の約10%で明らかに少数派の部類に入る。もしこんなふうに明らかで直接的な不寛容な行為がモスレムやアフリカ系アメリカ人生たちに対して何度も行なわれたら、学校側がどう対処するか自分に問いかけてみて欲しい。

そうなのだ。他の少数派への批判はちょっとしたことでも「ヘイトスピーチだ!」と容赦なく対処する学校側も何故かアンタイセメティズムは無視するのだ。
これとは別に、この間私はベン・シャピーロがとある大学で講演した後の質疑応答の際に白人の大学生からの質問を受けていた動画をみたのだが、その大学生の質問というのがおかしかった。その内容というのはこんな感じだった。
「シャピーロさん、あなたは白人として自分が有利な立場にあるとは思いませんか?もっと少数派の立場になって彼らの気持ちを考えてあげるべきではありませんか?」
これを聞いて私が笑ってしまったのは言うまでもないが、当のベンシャピーロも苦笑を隠せない様子だった。ベン・シャピーロはオーソドックスユダヤ教徒。オーソドックスというのはユダヤ教宗派のなかでも特に教えの厳しい宗派で、信者の象徴であるヤマカという小さな丸い帽子を常に頭につけている。  シャピーロが弾圧されている少数派の気持ちがわからないどころか、彼こそ世界中で一番弾圧されている少数派グループの一員なのだ。そんなことも解らないというこの大学生は、いったい大学で何を教わっているんだろう。
地雷ばかりの左翼社会に生きる危険
この間もちょっと触れたが、自分は左翼リベラルだと感じている人は、自分が左翼という泡のなかに存在しているという事実に気がつかないことが多い。周りに居る人が全て自分と同意見だから、そういう考えが普通なんだと思い込んでいる。ハリウッドや左翼メディアのジャーナリストたちなんかがそのいい例だろう。ところが、自分がそうした多数派文化の中に居るから自分は安全だ、批判の対象にならないと思って安心していると、思わぬところに落とし穴があることに気づく。
先日カバーガールという化粧品会社初の男性モデルとして評判になったジェームス・チャールズ君(17歳)が、アフリカについてツイッターに書いたことが人種差別的な要素があるとして大攻撃を受けるという出来事があった。
ジェームス君は男の子なのに女性用の化粧品をつけて大手化粧品会社の宣伝広告に使われたことでトランスジェンダー大好きな左翼リベラル連中からちやほやされて、人気トークショー番組に出演したりして一躍人気者になっていたのだ。そのジェームス君が自分のツイッターで

「わ、アフリカに行くなんて信じられない、イボラに感染したらどうしよう?」「大丈夫、うつるものなら去年チポートレでうつってるよ。」

と一緒にアフリカ旅行をする友達との会話をそのまま書いた。(カカシ注:チポートレというのはメキシコ料理のファーストフードレストランで、去年衛生上の問題から一時期営業停止になっていた。)
するとたちまちの間にジェームス君のツイッターは人種差別だとし、ツイッター上で炎上してしまった。

(カバーガール社に向けて)彼が宣伝している限り、あなたの会社の製品は買わない。

こういう人に宣伝をやらせるということは社も同じステレオタイプの思想があるってことだと思う。
彼の無知さ加減には吐き気がする。

当人のジェームス君はすぐさま自分の間違いに気づき一応会社に言われるとおりの謝罪をしたが、それでも事が収まらなかったので長々とお詫びのツイッターを書いた。ま、彼としては化粧品会社の宣伝から降ろされたくないという商業的な理由もあるから「あんなのただの冗談じゃん、何をそんなに怒ってるんだよ。」と思ったとしても正直なことはいえなかったんだろう。
私は男のくせに女の化粧品なんかつけてモデルやるような変態に同情する気なんか全くない。だが、そういう変態的なことまでして左翼リベラルに迎合していても、こんなちょっとしたことで叩かれて仕事を失う危険すらあると言うのは、そういう社会に生きることというのは、どんなに不安なことだろうか、そう思うと、ジェームス君に限らないが、そういう生き方をしている左翼リベラル連中は可哀そうな人々だなと思う。
こういうことがあると、以前にマイロ・イヤナポリスがツイッターで自分のフォロアーたちが書き連ねた悪徳なメッセージに関しても全く糾弾せず、自分の挑発的なツイートに関しても一切謝ろうとしなかったことの意味が理解できる。
一度謝ったら、謝り続けなければならなくなるからだ。
ちょっとだけの話をしようと思ったのに長くなりそうだから後は次回に回す。
ハブアナイスウィークエンド!


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ぶってるわけじゃない、英語が未熟なほど日本語を忘れる不思議な現象

最近、るりらんレトリーバーとか横澤夏子のコントで、帰国子女ぶってるちょっと嫌味な女の子の描写があって気が付いたことがある。二人のコントで共通しているのは、最近英語圏(多分アメリカ)に行って返ってきたらしい若い女性が日本人と話をしている時、やたらにおおげさなアメリカ人ぽい身振りをしてみたり、簡単な日本語を忘れて、「あ~ん、あ~ん、フレンドって日本語でなんていうだっけ~」とか「きゃんぱ~い?あれ、きゃんぱ~いでよかったんだっけ?」などとやること。多分二人ともこういう帰国子女との交流があって観察したのだろうが、実はこういう態度をとってる帰国子女って別に嫌味でやってるわけではないと思う。彼女たちは英語力を自慢してわざと日本語を忘れたふりをしているわけではなくて、本当に日本語が思いつかないのだろう。それは彼女たちの英語がうまいからではなくて、実は反対に英語が未熟だからこそ日本語が出てこないのである。
これについては前にも書いたことがある

この間、アメリカ人と結婚してホノルルに住み始めて数年という日本人の友達と食事中、彼女が「英語がそれほどうまくなってるわけでもないのに、日本語を忘れちゃうのよね。」と言う。「カカシちゃんはアメリカ生活長いのに、よく忘れないわねえ。」とも言われた。実は私もアメリカに住み始めてほんの数ヶ月という時にそういう体験をした。英語もろくろくしゃべれないのに日本語忘れてどうすんだよ、と自分でも情けなくなったのだが、実はこれは外国語を学ぶのに誰もが通り過ぎる関門であるようだ。

外国語を習いたてのときはまだ頭に二ヶ国語の言葉を自由に操る機能が働いていないので母国語を忘れやすくなるらしい。私自身アメリカに暮らしが短い頃は簡単な日本語が思いつかないことが多くあったが、アメリカ生活が長くなると日本語が混乱することが少なくなった。下手をすると日本語がかえって上手になったような気さえする。
実際この拙ブログの最初の頃(10年前)のエントリーを読んでいると、よくこんな日本語で恥かしくなく書いてたなあ、と思うことがある。
日本語が変なのは英語がうまくなったからじゃなくて、まだまだ英語が未熟だから。でもその過程を踏んで乗り越えれば英語も日本語もうまくなる。
それとは別に、海外で振り付けをしているというアメリカ暮らし10何年という日本人ダンサーが日本のある番組で、英語の解らない司会者に半分以上英語で話していたのをみて「嫌味~!」と思った。単語のひとつふたつが英語になるのはしょうがないとしても、相手が理解できない英語の文章をだらだら言うことに何の意味があるのだろう?相手がわからないことを完全に馬鹿に仕切った態度。
ああいう人のことはコメディアンの皆さんに大いにおちょくってもらいたいと思った。


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アメリカ人はクィーンズイングリッシュに憧れている

先日ちょっとご紹介したイギリス在住の東大出の凡人さんのブログを読んでいたら面白いことが書いてあったのでちょっとお話したいと思う。凡人さんは自称イギリス人より発音のいいクィーンズイングリッシュを話せるということで、それに比べて最近のイギリス人はまっとうなクィーンズが話せないと嘆いている。彼のブログエントリーには必ず冒頭の部分を英語で読んだ音声が張ってあるので日本人が話すクィーンズイングリッシュとはどういうものなのか聴いてみる価値はある。
さて、彼が話題にしているのは、イギリス人は往々にしてクィーンズイングリッシュを話さないということ。クィーンズに憧れてイギリスに行った外国人はロンドンあたりに居る一般の人のクィーンズとは程遠い発音には困惑する。いったいこれは本当に英語なのかあ~?と思ってしまう。それはまさにカカシも一度だけロンドンに行った時にそう思った。
日本ではイギリスとひとくに言って、スコットランドもアイルランドもイングランドもウェールスでも一緒にしてしまっているが、正式にはユナイテッドキングダム(UK)とかグレーとブリテンとか呼ばれ、領土が小さい割りには方言が何十とある。しかもそれぞれの方言で発音が全然違う。ロンドンのコクニーとかスコットランドの訛りなんかは語彙も違うから慣れてないと全く違う言葉であるかのように聞こえてしまうのだ。
ま、日本でも東北や九州の方言は字幕なくしては理解できないようなのがあるから、UKのそれも全く同じ理屈。
で、凡人さんはUKに行った最初の頃、このロンドン訛りの人の英語が全然理解できなくて、相手からかなり馬鹿にされたんだそうだ。

女王陛下の英語を東京弁、アメリカ英語を大阪弁、カナダ英語を京都弁、オーストラリア訛りを河内弁になぞらえると、イギリス庶民の英語は「ウチナーグチ」(沖縄弁)に例えるのが適当だし、的確だと私は思う(^_^;)
話してる相手が英語版の「ウチナーグチ」で、何を言ってるんだかチンプンカンプンで全く聞き取れないんですから、当然聞き返す。んでもって、何回も、何回も、何回も、何回も聞き返していると、奇妙なことが起きます。
こちらは相手の言うことが理解できない。でも、向こうはこちらの言うことを理解できるという状況だと、相手は次第にいらだってくるのよ。そもそも話している相手は、誇り高い“クイーンズイングリッシュ”の本家本元の(はずの)英国人。
その英国人の立場からすると、「自分は訛っている」との自覚はあっても、それはあくまでも“多少 訛っている”のであって、外国人が理解不能なほど自分の訛りがひどいとは全く思っていない。
これ、本当の本当!(>_<)。イギリス人に限らず欧米人は私達・日本人みたいに謙虚な国民性ではありませんから、本当に夢にも思ってませんです。(略)
人間にはプライド(=うぬぼれ)があり、それはまあ仕方ないのですが、でもでも、この「自分の英語はそれほど悪くない」式の自惚れが大問題。その結果起きるのは、自分の英語–コックニーでもヨークシャー訛り、はたまたアイルランド訛りでも–それほど悪くない(はず)なのに、それを理解できないなんて、理解できないほうに非がある。極端な場合、お前はバカか!に近い見下した態度になることがある。
こちらとしては「あんたが訛ってるから、言ってることが分からないんだよ。BBCの話し手みたいな英語を話せよ!このバカ!」とか心の中で思っているのですが、そんなこと口に出せませんから、本当につらい口惜しい思いをしました。

あははは、、私も始めてニューヨークのブルックリン訛りの人と電話で話していて、相手の言ってることが全然理解できなくて同じような思いをした。あんまりこっちが理解できないので、(明らかに私の英語は日本語訛りだし)、「ちょっと、あんたじゃ話しになんないわ。英語の解る人と換わってよ!」と言われてすごい悔しい思いをした覚えがある。お前の英語が訛ってんじゃねえか!標準語話せ!と凡人さん同様思ったものだ。
実はカカシが子供の頃の義務教育英語はクィーンズイングリッシュだった。私が自宅で使っていた英語の教材もすべてクィーンズだった。独自に通った英語学校の先生もイギリス人だったので、私の英語の基礎はクィーンズイングリッシュだったと言って差し支えない。それで始めてアメリカ英語と接したときの私の驚きは凄まじいものだった。よくアメリカ人の英語が理解できないと、自分の未熟さを棚にあげて、「私の英語はクィーンズイングリッシュだから、、」とかなんとか言い訳していた。実際はクィーンズだの米語だのと言ったレベルではなかったのだけどね。
ま、それはともかく、凡人さんによるとアメリカに行くとクィーンズイングリッシュを話す人はもてはやされるという。彼自身がアメリカで英語を話すと「わ、クィーンズイングリッシュだ!」と即座に尊敬の眼差しで見られるんだそうだ。
確かにアメリカ人がイギリス英語に憧れているというのはその通り。でもアメリカ人にはクィーンズイングリッシュも標準語もどきの英語でも同じに聞こえるから、アメリカで「あ、イギリス訛りだ!」と思われるとピアース・モーガンみたいな無知蒙昧な馬鹿でも頭がいいと錯覚される。それでこれは聞いた話なのだが、イギリス人はアメリカに来てもイギリス訛りがなくならないように、アメリカ訛りに感化されないように、常にイギリス訛りを磨いているんだそうだ。そういえば、最近アメリカのテレビ番組ではイギリス訛りの司会者やタレントがごちゃまん出てる。ニュースのアナウンサーですらアメリカのニュースなのにBBCさながら訛りの人が結構いる。彼らは絶対に米語風の発音に直さない。
凡人さんの言うとおり、彼らの英語はクィーンズではなく、学校で教わる標準語もどきのようなものらしい。UKの上流階級の人たちが話す言葉使いはボッシュと呼ばれるが、最近は上流階級の人たちでもポッシュを話すと気取っているとか相手を馬鹿にしているとか言われかねないので、わざとポッシュを庶民的に崩して話す人が増えたそうだ。これは凡人さんに言われるまでもなく、以前にユーチューブで見たポッシュ発音の先生が話していたのを聞いている。
さて、それではアメリカの標準語とUKの標準語がどのくらい違うのか、それを比べているビデオがあったので張っておこう。最初に自己紹介をしている女性がイギリス標準語、彼女が紹介するレイチェルという女性がアメリカ標準語で同じ文章を発音している。英米の違いに興味のある方はちょっと聞き比べてみてはどうかな?
個人的に言うと、クィーンズイングリッシュの方が日本人にはわかりやすいし発音しやすい英語だと思う。特にポッシュの人たちは早口で話さないし、ひとつひとつの単語を綺麗に発音してくれるので日本人には向いている。ただしそう思ってロンドンあたりに留学しても本当のクィーンズにめぐり合えずに失望してしまうのかもしれないが、、


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日本人は英語が下手?ユーチューブで英会話口座を色々みてしまった結果、、、

連休だったのでユーチューブのまとめ観をしてしまった。英語で言うところのビンジウォッチングである。つまり長時間にわたってテレビとか動画を観続ける行為。そのなかで何故か色々な人がアップしている英会話口座が目についた。

それにしても、こんなに日本人は英会話に力を入れているのに、未だに日本人は英語が出来る人が少ないとか、英語が下手だとか思い込んでいるのは何故だろう?ユーチューブの動画でも「なぜ日本人は英語が下手なのか」とか「日本人は英語の発音が悪い」とかいう題のものが多い。しかしアメリカで信じられないような英語を平気でしゃべってる外国人をたくさん見ているカカシから言わせてもらうと、日本人の英語はそんなに卑下するほど下手ではない。

ある動画でアメリカ人の英語講師が「日本人は英語が出来るということが何かすごく偉大なことであるかのように扱う」ので英語を習得するのが何かとても大変なものだと思ってしまうのではないかと言っていた。確かにテレビのバラエティ番組などで外国育ちの帰国子女らしき若い芸能人たちが英語で何気ない話をしているのを、周りの出演者たちが「すごいなあ」といった顔で見ている図をよく見かける。何年も外国に住んでいたらその国の言葉を覚えるのは当たり前だ。別にえらくもなんともない。言葉は使っていれば自然に覚えるもの。かえって力まないほうがいいのだ。

さて、そんななかで若い女性芸人の「ゆりやんレトリーバー」という人の動画を見て大笑いしてしまった。彼女の「英語」はBack to the futureなどのアメリカ映画を見て学習したとかで発音や抑揚がすごく自然。彼女のギャグは英語をしゃべっているようで実は日本語という女優とか、アメリカにかぶれてしまって日本語が変になってる通訳といったキャラクター(ビデオ)なのだが、よく観察しているなあと感心した。特に日本語が変な通訳のキャラが「あ~ん、あ~ん、フレンドリー、フレンドリー、フレンドリーって日本語でなんだっけ?」とやるあたりがすごいなと思った。私がまさしく自分でやってしまう仕草そのもの。

自然な英語を学びたいのであれば、学校で勉強するだけでなく、ゆりやんさんみたいに映画とかで自然な英語に常に触れることが大切だと思う。文法や語彙は確かに基礎として大切ではあるが、言葉というのは自然に覚えたほうが身になりやすい。

好奇心に駆られて英検のヒアリングのテストの例題をいくつか聞いてみた。1級は別として2級までの会話は非常にゆっくりで、もし日本人の英語聞き取り能力に問題があるとしたらこれかなと思う。
私が英語を学び始めた頃、私はネイティブの人に常に「もう少しゆっくり話してください」とお願いしていた。だが、今思うとそれは間違いだったと思う。私がネイティブの人の言ってることがわからなかったのは、彼らが早口で話しているからではなくて、彼らの言葉のなかの単語をひとつひとつ区切って聞き取ることができず、すべての言葉がつながっていてひとつの長い音のように聞こえたからなのである。だからそれをどれだけゆっくり言ってもらっても理解にはつながらない。それよりも何度も同じことを繰り返してもらって英語(特に米語)の言葉の流れに耳を慣らすことが必要なのだ。

また知っている言葉は浮くので、なるべく語彙を増やすことが必要。語彙さえあれば、並び方が多少理解できなくてもだんだんと文章がどのように区切れているのかが理解できるようになってくる。わかる部分とわからない部分の区別がつくようになり、そこだけ繰り返してもらうということも出来るようになる。

日本人は英語が下手なのではなくて、自分が下手だと思い込んでいることに問題があると思う。私が日本人の英語を聞いていて一番気になるのが声が小さいこと。言ってることに自信がないせいで声が小さくなるのかもしれないが、声が小さくて聞き取れずに相手が聞き返すと、あ、やっぱり下手だから通じないんだと、余計小さい声になってしまうか、「もういいです」といって諦めてしまうかするため、会話がつながらないのだ。特に他人の前で恥をかきたくないと思っている男性にこの傾向が強い。うちの父なんかその典型。

ある動画では「英語声」というのがあるといっていた。確かに英語は複式で話すというのを聞いたことがある。日本人、特に若い女性は口先だけで発音する傾向がある。英語は複式にして大きい声を使うと通じやすいというのである。だから、文章は完璧でなくてもいいから大きい声でゆっくり話せばいいのである。よっぽどとんちんかんなことを言っていない限り相手には何とか通じるはず。

日本人の発音が悪いというのも単なる思い込み。日本人は単語の子音を母音にして強調しすぎる嫌いがあるが発音しないよりはずっといい。この正反対なのがベトナム人。語尾の子音をはしょるので何を言っているのか解らない。たとえばI don’t understand youをベトナム訛りにすると「アイド アンダスタ ウ」みたいになる。英語の発音が最悪なのはベトナム人といっても過言ではない。英語は語尾がはっきりしないと絶対に伝わらない。

ユーチューブの動画でも日本人がきちんと英語で話しているものが結構ある。今や日本人は英語が下手だなどという偏見は捨てて自信を持って話してもらいたいな。


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またも出張中

多分読者諸君はお察しのことと思うが、最近更新が滞っているのは出張中だから。普段なら出張中の方がブログ更新はしやすいのだが今回の出張は毎日午前10時から夜10時までという勤務時間12時間強。ずっとコンピュータースクリーンをにらんだまま数字との戦いなのでホテルにもどったらモニターなんて見たくない。というわけでここしばらく私のエンターテイメントは視力を使わない聴力だけに限られている。
まるでテレビ時代前みたいにラジオかポッドキャストのみの生活をしているカカシなのだ。はっきり言ってインターネットがすべてビデオというのもいただけない。もっと音中心のラジオ番組をユーチューブなどで作ってくれないかなと思う。
明日は久しぶりに休みなので(先週末はずっと仕事だった!)ブログ更新が出来ることを願っている。フランスはニースでのテロ事件、トルコの軍事クーデターなど書きたいことは一杯あるんだけど、時間がないのだ!


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今更英語が上手とか言わないでよね!

このあいだ、ユーチューブでアメリカ人の男性が日本語で「トリセツ」の替え歌を歌っているのに出くわした。そのなかで、「『日本語上手ですね』とかありきたりのこと言わなくていいからね」という歌詞を聴いて笑ってしまった。(カカシ注:「トリセツ」というのは「取り扱い説明書」の略だったということは後になって知った。)
実はこの間、カカシの職場で私が同僚男性たちとだべっていたとき、私が言った何かの言葉を一人の男性が理解できず、「え?なにそれ?」と聞き返してきた。私が何回か言いなおしてやっと解ってもらえたのだが、そこに居た別の同僚が「仕方ないよ、カカシは英語は母国語じゃないんだから。」と言った。かちんときた私は「私が外人だから英語が下手だっていいたいわけ?」というと、彼は「侮辱の意味で言ったんじゃないよ。外人の割りには英語がうまいって褒めてるのさ。」と返してきた。
「バカにするな、私はあんたらが生まれる前から英語しゃべってんだよ、いまさら英語がうまいとかいわないでよね!」
とぶち切れてしまった。もっとも彼らはそれほど若くはなかったのでこれは正しくないが。特に私を侮辱した男は私と同年代。この話を横できいていた若い後輩が「僕は30歳ですけど、僕が生まれる前から英語しゃべってましたか?」ときいてきた。「30歳ね。うん、そうだね」
カカシがアメリカに移住したのは1981年だから、その時から英語を話しているとしたら35年だ。それで英語が話せなかったらそれこそ恥かしいだろう。そういう人間に「英語がお上手ですね。」なんて言ったら、それは褒め言葉ではなくかえって侮辱だ。普通に英語を話しているアメリカ人に誰も「あなた英語がうまいですね。」なんていわないだろう。そういわなければならないということは、私はアメリカ人ほど英語がうまくないという意味にとれる。もっとも私がネイティブスピーカーでないことはその発音の悪さから明白なので仕方ないのかもしれないが。
他のユーチューブで、日本語を流暢に話しているボビーというアメリカ人男性が外国人にしないでほしい三つの項目を挙げていた。その項目は別に日本にいる外国人だけでなく、どこの国にいる外国人にとってもあてはまることだ。
外国人にしてはならない三つの項目。
1) 外国人の訛りを真似すること。本人は一生懸命訛らずにしゃべろうとしているのに、その訛りを真似されたらいい気持ちはしない。訛ろうと思ってしゃべってる外国人などいないので、真似されたら馬鹿にされたとしか取れない。ボビーはどこかのお店で「こんにちは~」と言って入ったら「オーコンニーチワ」とか言われて買う気を失くしたという例を挙げている。外国人は自分の発音の悪さを自覚している人が多いから、これはまさしくノーノーだな。
2) 外国人を適当な名前で呼ぶこと。ボビーは町を歩いているときに、知らない人から「ジョニー」とか「マイケル」とか話かけられることがあるという。アメリカ人だからアメリカ人の名前なら何でもいいという変な考えがあるらしい。カカシもよくカカシの日本語名を覚えられない人から「スシ」とか「サシミ」とか呼ばれることがある(笑)。ま、スキヤキよりはましかなと笑ってすましているが。
3) 外国人が母国人と一緒にいるとき、外国人と目をあわせず母国人とだけ話す態度。たとえ外国人がこちらの母国語を話せないとしても、一緒に居るのに完全無視するのは失礼。わからなくても相手の目を見て会話に加えるよう努力すべき。これについては日本のレストランで数人の外国人に見える日本人がちゃんと日本語で話しているのにウエイトレスから完全無視されて、ウエイトレスが日本語のわからない東洋人の女性にばかり話しかけるというたおもしろいビデオがあった。アメリカ人から英語が下手で無視されたという体験はないが、メキシコ人からはスペイン語がはなせずにまるで無視された体験がある。言葉が出来ないからって、まるで透明人間みたいな扱いを受けるのはいい気がしない。
これは外国人に対してというより単なる常識と礼儀の問題だと思う。


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