英語だけ出来ても新しい扉は開かない

最近、英国で英語教育関係の仕事をしている人のツイッターをフォローしているが、彼女は自分が仕事だから「英語が出来れば未来は明るい」とか「英語が出来れば給料が上がる」と常に宣伝している。そして怖いのになると「英語が出来ないと置いてけぼりを食う」みたいな表現も出てくる。しかしそれに対しての反論ツイッターも結構あり、英語だけ出来たって食べていけない、もともと何か技術があるから英語が役に立つんでしょう。などという意見も見る。どちらも本当のことだと思うが、これはあくまでも英語圏で暮らすという前提があっての助言なのではないだろうか。日本で暮らしていく人々が英語が出来たら有利なのかどうか、これはかなり怪しいという気がする。

徳久圭さんという中国語と日本語の通訳や留学生の日本語教育をしている人のブログを読んでいて、日本で語学を専門に生きていくのは非常に難しいことなのだなと感じた。特に徳久さんの「英子の森」を読んでの感想は「身悶えする」とまでおっしゃる。

どうも日本て国は通訳に関する理解がないようで、あれだけ一生懸命に時間とお金を投資して得た技術を持っている人々に対して評価が低すぎる。登場人物の英子が観たと言う求人広告では国際会議での受付嬢で英語が出来る人の時給が1100円。英語が出来ない人の時給が1050円とたった50円しか違わないと嘆くシーンがあるそうだ。そして徳久さんも中国語の通訳の求人募集で時給1200円+交通費1000円までという広告を載せている。これが2018年の日本の現状なのか?

実は私はアメリカで一年暮らした後に、一旦帰国して日本で職探しをしたことがある。当時の私の英語は普通に会話が出来る程度で、英作文が出来るとか翻訳が出来るといったレベルではなかったが、それでも多少英会話が出来れば何かの足しになるのではないかと色々探してみた。外資系の会社とか、ガイドの仕事とか。しかし適当な仕事は全く見つからなかった。たまに簡単な通訳みたいな仕事もあったが、時給800円とかお話にならないレベルだった。これだったら喫茶店でのアルバイトと全く変わらない。結局英語など全く関係ない普通の会社で事務員になった。一年もアメリカに語学留学した意味は全くなかった。もしあのまま日本に留まってあの会社に勤めていたら、いつの間にか英語は忘れてしまっていただろう。

でも英語が出来てもこの程度の扱いを受けるなら、何故日本ではあんなに英語教育が盛んなのだろうか?今年の三月に日本に行った時も、電車内や駅の構内には多々の英語学校の広告があったし、駅から見える駅ビルにも英語学校の看板があちこちにあった。日本で働きたい欧米人のほとんどが英語教師で身を立てている。どうしてこんなに役に立たないことに日本人は身をついやするのだろう?

はっきり言って私は日本人が英語を学ぶべき理由は大きく分けて二つしかないと思う。

第一は仕事やキャリアで必要に迫られている人。

仕事でどうしても英語が話せないと顧客と文字通り話にならない環境にあるとか、勤め先の会社が外国に支店を出し自分も駐在員としていかなければならないので英語が必要とか、自営業の人で外国に市場を拡大したい人とか、英語圏の会社との取引で英語が必要とか。

第二は英語が好きで趣味で勉強してる人。

別に英語が出来ても出来なくても困るわけではないが、とにかく外国語を学ぶのが好きで、特に英語が好きだから勉強してる人。こういう人は視野が広がるとか英語の本を言語で読みたいとか色々あるだろうが、まあ、趣味の域を出ない。

英語を学ぶ動機として一番不十分なのは「将来英語を生かした仕事につきたい」だと思う。こういう漠然とした理由では英語がうまくなること自体が難しいし、よしんば英語を習得出来たとしても、じゃあそれでどうするんだということになってしまう。以前にも書いたかもしれないが、私が日本で行った英語専門学校で講師に言われたことで一番心に残っているのは、「君たちは英語を話せるようになることにばかり気を取られず、英語で何を言いたいのかを勉強しておく必要がある。」という助言だ。

英語圏で生きようと思うなら英語は出来て当然。他に何か売るものがなくては意味がない。また、日本で暮らしていても、英語だけでやれる本業というのはなかなかない。通訳や翻訳や映画の字幕などで生計を立てられるのはほんの一握りの人たちだ。元々何か技術があるからこそ、英語が出来ることが有利になる。

そう思うと、普通の日本人が躍起になって英語を学ぶ必要は特にないようだ。それに最近は翻訳アプリなども発達しているので、数年語には世界中の人達が普通にアプリで話が通じるようになるだろう。そうなったら通訳なんて本当に必要ない仕事になってしまうのかもしれない。


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英検一級の第一次試験を試してみた!

なあんてユーチューバーのサムネイルのような書き方だが、ツイッターで出会ったとある御仁のご意見を聞いて英検にちょっとした興味を持ったのだ。この男性は在米14年の経験があり、アメリカでMBA修士を取り、アメリカと日本の企業のどちらでも働いた経験があり、今は日本に帰国して企業コンサルタントをしているらしい。その方が、実際に自分の英語の実力がどのくらいあるのかを知るには、やはりTOEICや英検を受けて客観的に審査してみる必要があると書いていたのを読んで、ふ~む、確かに一理ありだなと思ったのである。

実際に英検を受けるかどうかを決める前に、先ず英検一級のレベルとはどのくらいのものなのか調べてみることにした。そこで2018年一回目の英検一級一次試験をダウンロードして、筆記とヒアリングを試してみた。

筆記試験は4部に分かれていて、1部は語彙、2部は短文の読解力、3部は長文の読解力、そして4部は作文。作文は採点のしようがないので一応飛ばして1から3までやってみた。一部は25問あり、文脈から正しい単語及び熟語を選ぶ。先ずこんな感じ。

Kim was annoyed when her colleague Dan kept giving her advice on how to raise her son. She told him to stop being ( ) and keep his opinion to himself.

1. nonchalant, 2. dispassionate, 3 obtrusive, 4. tortuous

2部と3部は写すと長いので省くが、私がとちったのはこの最初の25問のうち5問。これは最初からまずいなと思ったが、気を取り直して2部3部と挑戦した。こちらの読解の方は全く問題なく全問正解。

次はヒアリング。ヒアリングは30分強あり4部に分かれて27問。部が進むにつれて難しくなり、問題は一度しか言ってくれない。私はヒアリング100%は出来なければ恥ずかしいだろうと思っていたのだがダメだった!(恥かしい)

四部では最初に設定となる文章と質問を10秒で読み、そのあと音声がはいって、その質問の答えにを4つの選択肢から選ぶというもの。この選択肢を読む時間も10秒。私が戸惑ったのはこの最初の10秒で問題を読み切ることができなかったこと。だから問題の意図が理解できないままに音声が始まってしまったので、完全に混乱した。これは聞き取りが出来るかどうかというより、いかに早く読み取って意味を理解するかにかかっているなという印象。

最後の作文は与えられたテーマにそって、賛成か反対かどちらかの立場を取り、三つの理由を述べて半ページくらいの短い文章を書く。こういうのはESLの授業でもずいぶんやらされた覚えがある。

全体的な印象としては、英検一級は普通のアメリカ大学で一年生ならだれでも必須で取る英語作文の授業、English101でAを取れるくらいの実力が必要。これだけ出来たら英語圏の大学に留学しても英語では苦労しないだろう。

さて、それで肝心のスコアだが、採点の仕方がよく解らないので正解の割合から言うと、筆記は88%、ヒアリングは89%だった。英検について詳しく説明していた人のブログによると、だいたい80%くらい取れれば合格するということだったので、ま、これならいけるんじゃないかなと思う。語彙を勉強して早く読み取る練習をすれば、多分大丈夫だろう。

この次は二次試験に挑戦してみよう。それにしても、最近はネットで色々情報が入るから勉強はしやすくなった。最近の人は恵まれているな。


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過労死は選択である、改善のカギを握っているのはあなた

私の体験した長時間就労と同僚の過労死についてお話してきたが、読者の皆さんは疑問に思われたのではないだろうか、これらの人々は、どうしてそこまで自分を追い詰めたのであろうかと。

コメンターのシマさんもおっしゃておられたが、アメリカではすぐ訴訟になるのでそういう環境で勤める人が居るというのは意外かもしれない。

偶然というか、私が上司と喧嘩をしたこの頃から、長時間にわたる残業に関する苦情が上部でやっと取り上げられるようになった。

そのきっかけとなったのは、とある新人が働いているのに残業手当を出さないのは法律違反だとして実際に働いた時間をすべて申告したのだ。実は我々には知らされていなかったのだが、残業は一日4時間までという規則はあくまで基本で、それ以上になる場合は、あらかじめ許可を得ていれば例外として認められるというシステムが会社にはあったのだ。幹部はこの事実を従業員に知らせるのを「うっかり忘れていた」らしい。この新人君のおかげで我々はそのシステムの存在を知ったのだ。

このシステムが明らかになってから、一日8時間以上の残業時間申告をする人が激増し、はじめて幹部はこんなに多くの従業員が長時間働いていることを知ったらしい。そこで会社では幹部役員と週に40時間以上の残業申告をした従業員を集めて緊急会議が開かれた。

この会議において、従業員の怒りは爆発。これまでの不満がいっぺんに表に出ることとなった。

幹部は残業手当の額を減らしたいこともあって、残業時間を本当に減らす努力を始めた。今までのような無償残業は厳しく取り締まられるようになった。最近は出張先で特に用もないのに職場に居ると「帰れ!帰れ!」と叱られるようになった。(笑)

なんだ、こんなことならもっと前に文句を言っておけばよかったな、などと言ってみても仕方ない。長い間苦情を言わずに我慢していた我々にも責任はある。でもどうして我々は苦情を言わずに長年こんな待遇に耐えたのであろうか?

よくアメリカ人は正直に思ったことを口にするとか、自分の権利はきちんと主張するとか言われるが、現実はそんなに甘くない。例えば私が上司に出張が多すぎるので減らしてほしいと言った時の上司の対応。

「出張出来ないなら他で仕事を探すんだね。」

私は腹が立ったので、その時は確かに「わかりました」と言って立ち去ったのだが、だからといってそのまま辞職するだけの勇気はなかった。それに私は仕事そのものが嫌いだったわけではないのだ。出来ればその分野で出世したいと思っていた。

アメリカで長時間就労を頑張ってしまう人というのは、必ずしも会社から強いられているとは限らない。いや、むしろ、会社はそこまでの奉仕を求めているわけではなく、本人がその会社で出世したいから、認めてもらいたいから、といった理由で頑張ってる場合が多いのである。だから仕事が好きな人ほど自分を追い詰めてしまうものなのだ。

日本やアメリカは奴隷制度を敷いているわけではない。だから辞めたければ辞めればいいのだ。自分を殺すほど会社にこき使われる必要はない。確かに日本は転職がアメリカほど普通ではないので、こんなに残業が多いなら辞めますとはいえないかもしれない。だが、病気になったり、ましてや過労死してしまっては元も子もない。

最近日本では人手不足だという。だったら企業は従業員が疲れ果てて死んでしまうまでこき使うのではなく、多くの人が雇われたいと思えるような勤務体制をつくるべきだ。安易に外国人を雇って働かせても根本の問題は解決できない。

日本人労働者はもっと強気になって企業と勤務待遇について話あってもいいのではないだろうか?

 


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ちょっとした外国暮らしで出羽守(でわのかみ)になってしまう誘惑

最近ツイッターで出羽守(でわのかみ)という言葉を聞くようになり、それってなんですかと聞いたら、こういう人のことですと言って、1960年代の日本のミュージカルで雪村いずみさんが歌ってる「あめり~かでは!」というビデオを紹介された。(エンベッド出来ないので、リンク先をご参照のこと)要するに、日本のシステムや慣習を批判する時にやたらと外国のやり方を持ち出して、「アメリカでは~」とか「おふらんすでは~」と言って、さも自分が国際人でいかに日本が遅れているかを示そうとする人のことを指すらしい。

まあ、自分もそうだったから解るのだが、ちょっと外国のことをかじったくらいの人が一番こういうことをするのではないかなと思う。かくいう私もアメリカに住み始めて5-6年くらいまでは帰郷するのが嫌でしょうがなかった。なにしろ帰るたびに日本の嫌なところが目に付いたからだ。特に実家の母とは会話が噛み合わず、だいたい一日二日で喧嘩になり、2週間の予定で帰っても一週間に切り上げて戻ってきてしまうというのが定番であった。よく子供の夏休みを利用して子連れで二か月くらい帰省する日本人奥様たちを見ると、よくそんなことが出来るなあと感心したものである。

さて、そんな関係でネットサーフをしていたらオーストラリア暮らし16年と言うマフィントップさんという人のブログを発見した。彼女の過去のエントリーで留学やワーホリなどで海外に短期滞在した人たちにありがちな行動をまとめているものがあったので読んでいたら、先日読んだキヨミさんのブログエントリーと対象的だったので、並べて読んでみた。引用したのはキヨミさんの「日本社会は自分にあわなすぎ」とマフィントップさんの「留学帰りあるある」。

ファッションが外国かぶれになる

先ずはマフィンさん。

海外留学中に「自分は人とは違うユニークな人生を歩んでいる」と勘違いし、浮かれ気分になってしまう日本人は、「私は他の日本人とは違うんだぞ」のアピールのために、嬉々として体に穴をあけます。そんなことしたって、誰も注目しませんし、「バカなことしやがって」としか思えません。

女子はそろいもそろってセレブ女優風ドデカサングラスを好みます。オーストラリアは日本に比べ紫外線が強いので目を守るためにサングラスは必需品なのですが、日本の梅雨時にセレブサングラスですかしていても、その姿は滑稽なだけです。

そしてこちらがキヨミさん。

私は耳と鼻に合わせて7つピアスをつけていて、小さいけどタトゥーもあります。もうこの時点で私の事をまともに取り合ってくれる日本人は少ないです。

kiyomi
kiyomi
別に誰にも迷惑かけてないのに…

ただ自己表現しているだけなのに、なぜここまで窮屈な思いをしなければいけないのでしょうか?

ピアスとサングラスの話がばっちりはまっててつい吹いてしまった。

何故か反日になる

マフィンさん

留学を終えた海外かぶれは帰国したら、まずこの一言「日本って本当に息苦しいよね」そういうのって、ちゃんと現地で現地人に混ざって働いて、不動産屋から家を借りて、光熱費払って、税金払って、地に足をつけた生活を経験してから言えっつーの。短期の留学じゃ、その国の上っ面の部分しか見えてないですよ?日本のことも、留学先の国のことも、実際は何にもわかっていないのにわかった気になって、「海外=良い」「日本=悪い」みたいなおかしな思考回路になっちゃだめですって。

全くその通りだね。私は学生の時にアメリカで一年弱のホームステイをして帰国したが、それから社会人としてアメリカに戻って移住してからでは全く体験が別だった。学生時代は責任などなにもないし、親のすねかじりだったから何の心配もなく遊び惚けていられたが、仕事もして家賃も払ってとなると話は全く別だからね。

キヨミさん

周囲の意見を気にして、自分がやりたい事ができなくなるというのは本当に息苦しいです。アメリカ人なんかは、「常に自分優先」という考えが根本にあるので周囲の事は気にしません。絶対空気読んだりしない

アメリカだって他人に合わせなければならないことは結構ある。その場の雰囲気で自分の意見が言えないこともある。常に自分優先なんて勝手なことやってたら首になる。世の中そんなに甘いもんじゃない。

留学して視野が広がる

マフィンさん、

「留学すると人生変わる」「価値観変わる」と口癖のように言って、他の人よりワンランク上の自分を演出する海外かぶれがいます。ほんの数週間、数か月の留学で人生や価値観が変わってしまうような、私は薄っぺらな人間です、とアピールしているも同然です。そう簡単に自分の軸になっている考え方って変わりませんよ、、、、しかもそんな短期間で。

キヨミさん、

私が、「就活せずにオーストラリアにワーホリに行って本当に良かった」と思った一番の理由はこれ。視野が広くなったという事。やりたい事がない、どんな仕事をしたいのかわからないっていうのは、視野が狭いというのが原因のひとつだろう。自分が本当にやりたい事はなんなのか知るためには視野を広げるとい事が必要。私はオーストラリアにいる間、超どん底の貧乏になったりホームレスになったりで、日本にいたら絶対経験できないような事をたくさん経験した。

これに関してはキヨミさんに賛成だ。短期間でも外国社会と接すると、自分の常識が根底からひっくり返される。今まで真実として受け入れ疑わなかったことを真剣に考えさせられる。だから視野が広がるというのは本当だと思う。

この他にも、マフィンさんの「外国人とつきあう日本人にはブスが多い」に対してキヨミさんの「ブスブスっていうな!」とか、別にお互いに会話しているわけではないのだが、そういうふうに読めるところが多くて面白かった。

全体的に私はマフィンさんに同調するが、その理由は多分、マフィンさんはすでにオーストラリアに根を下ろして生活しているから、オーストラリアのいい面も悪い面も観ているからなのだろう。生活するということは単なる滞在者とは違う。いくらすばらしい国に住んでいても色々苦労はあるものだ。だから海外生活が長くなればなるほど、最初は持っていた日本に対する批判的な見解も、徐々に変化していくのかもしれない。

私が日本を出たのは、日本社会が窮屈で決められたレールの上を走るのは嫌だったからだが、今思うと、お見合い結婚して普通の主婦になってお母さんになって今頃は何人もの孫に囲まれる生活をするのも、決して悪い人生ではなかっただろう。

ま、キヨミさんもご主人と一緒にアメリカだかカナダだかで長年住んでいればだんだんと考え方が変わってくるのではないかな。


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アメリカにも過労死はある、、私が見た長時間就労の実態その2

さて、証券会社をリストラされてから色々あって数年後、私は別の仕事に就いた。今回は私の回りで起きた同僚の死についてお話したい。

この職場はとにかく出張が多かった。同僚はみな出張ばかりしていて、本社で顔を合わす同僚などいなかった。出張先の現場では、現場の状況に合わせて時間はまちまち。残業は一日四時間までという規則になっていたが、残業が一日四時間で済む日などほとんどなかった。

ある現場監督は朝4時くらいから出勤して午後10時くらいまで帰らなかった。そういう人が居ると、私なども上司が働いているのに「時間だから帰ります」とは言えない雰囲気があり(アメリカなのに!)結局4時間以上の残業はサービス残業となっていた。(無論いくらなんでも彼には付き合いきれないので適当に引き上げたが)

ほとんど毎日がそうだったというわけではないが、集中的に二週間くらい職場に缶詰になって合宿生活を強いられることがあり、そういう時は一日18時間の就労なんて普通だった。一度夜10時に始めて翌日の午後10時までぶっ続けで仕事をしていたことがあり、現場の上司に「もう24時間一睡もしていません。」と言ったら「俺は36時間寝ていない。」と言われた。だから寝なくていいって話じゃないだろうが!

出張が次から次と続くと、土日は移動に使われてしまい、ほとんど休みなし。有給休暇も使う暇がなく、一定期間に使わないと失くなってしまうというUse or loseというシステムだったので、無駄にしてしまう人も多くいた。

キャロル54歳女性:

そんな中で私の先輩が54歳の若さで肺がんで亡くなった。彼女は亡くなる前に私に「今年、私が家に帰ったのはほんの一週間。しかもまとめてじゃない。」と語っていたのを覚えてる。彼女は大酒のみでチェーンスモーカーだったから、これが過労死と言えるかどうかは議論の余地があるかもしれないが、常に家族から離れる出張続きの上に長時間労働。ストレスが溜まってお酒やたばこに憩いを求めていたとしても不思議ではない。

ニール59歳男性:

同じく一緒に働いていたやはり50代の男性は、仕事が忙しく風邪気味なのに医者に行かなかった。あまりにも咳き込んでいたので、周りの人間が「休んで医者に行きな」といっていたが、「これが終わったら行く」と言って働いていた。この男性は数日後、出張先のホテルの部屋で同僚と日程の打ち合わせをしている時に倒れ、そのまま息を引き取った。肺炎だった。

ボブ65歳男性:

この会社は特に定年はないので、働いていたければ働ける。それでも彼はそろそろ引退しようと考えていた。それで最後に一年がかりの企画が終わったら辞めると決めていたが、彼の就労時間も朝早くから夜遅くまでで、スタッフに送ってくるメールの時間などから見て、いったいこの人は何時寝てるんだろうと思うようなことが多かった。ある日彼は心臓発作を起こし入院した。これを期に辞めるのかと思ったら、退院してすぐ復帰。企画は終了して引退したが、その数週間後に亡くなった。引退したので世界旅行でもしようと計画中だったと未亡人は語っていた。

その他にも二人、引退を間際に控えた50代後半の男性が亡くなった。彼らの状況は私はよく知らない。彼らの死は出張先でオフィスから送られてきたメールで知った。

私の出張も多い時は一年に8か月というのがあった。こうした状況が5~6年続いたある日、私は上司に出張の数を減らしてもらいたいと直談判した。上司からは「出張出来ないなら他で仕事を探すんだね。」と言われた。私は腹が立ったのでその場で立ち去った。

アメリカでこんな状況があるというのは信じがたいことかもしれない。だが私はこういう企業があるということを責めるというより、働く側にも問題があると考える。

犠牲者を責めるのはおかしい。だが、過労死をしてしまうまで自分を痛めつけた労働者にも責任がある。こういう劣悪な労働条件を改善するためには、労働者ひとりひとりの考え方も変えていかなくてはならない。それについては次回お話しよう。


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アメリカにも過労死はある、、私が見た長時間就労の実態その1

私は日本に住んでいたころ、アメリカ人はみんな定時に帰ると聞いていた。たとえ仕事が残っていても、きっちりタイムカードを押して帰るという印象があった。確かにタイムカードを押すような現場では無償残業や長時間就労というものはない。何故かというと、法律上タイムカードの枠以外で働いた場合、雇用主が罰せられるからである。従業員もそれをよく知っているので、そのような違法行為があれば黙ってはいない。それでも改まらなければ従業員は辞めてしまう。そういうレベルでの転職はそれほど難しくないからだ。

そういう点ではアメリカは日本の事情よりも良いと言えるだろう。しかし、アメリカでも職種によっては就労時間が半端ではないものもある。特にタイムカードなどなく、結構高給な職種の方が仕事はきつかったりする。今日は、私が実際に体験したアメリカにおける長時間就労の実態をお話しよう。

私は1980年代後半にロサンゼルスのダウンタウンにあった(今はつぶれた)とある証券会社に就職した。タイムカードを押す低賃金の職場から給料が二倍になる転職で喜んだのも束の間、その就労時間の長さにびっくりした。

私は日本語が出来るということで、日本企業担当だったが、証券会社だから株市場が開く時間にはすでに出勤している必要がある。ロサンゼルス勤務でもニューヨークに合わせて朝の6時にはすでに仕事準備が整っていなければならない。しかし日本の市場が開くのはロサンゼルス時間で午後5時か6時。日本に居る顧客が昼食を取る時間くらいまではオフィスに居る必要があるので、そうなると帰宅は午後8時くらいになる。だが、私の経験では、そんな早く帰った覚えはない。一度東京のオフィスに居る父にファックスを送ったことがあり、父は「こんな時間まで働いているのか?」と驚いていた。借りていたアパートの管理人はたまに会うと「あなたが部屋に居るのを見たことがない」と言っていたほどだ。

それでも私はただの平社員。出張もなくオフィスで仕事しているだけだったが、重役となるとそうはいかない。私の上司はこうした長時間勤務の上にニューヨークやロンドンや東京を飛び回っていた。出張の多い今の仕事になってわかったが、旅行というのは非常に疲れるものである。

一度、上司に使い走りを頼まれて上司の運転免許証を見たことがあった。その時驚いたのは、彼の年齢と証明写真。その時の上司は金髪が禿げ上がってげっそりした40過ぎの中年男に見えたのだが、免許証に写っていたほんの2~3年前の写真は髪の毛ふさふさの長髪のイケメン。そして生年月日を見るとなんとまだ20代!どこかで睡眠不足や過労は早期老化につながるという話を聞いたが、まったくその通りだった。

ある日、職場の若いアナリストが新聞記事を同僚たちに見せていた。ニューヨークのオフィスに勤める弁護士見習いの20代の男性が、働きすぎのストレスから、職場の窓から飛び降りて自殺するという事件が起きたのである。このアナリストは、このまま出張が続けば自分もこの若い弁護士のように死んでしまうという内容のメールをオフィス全体に送った。このアナリストの就労時間が減ったかどうか私は知らないが。

結局この会社は日本のバブル崩壊のあおりを食って買収され、私を含み多くの従業員がリストラされた。失業して困ったことは困ったが、あんな会社にいつまでも居たら、こっちの身が持たなかっただろう。

次回に続く


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何年も外国に住んでるのに日本語しか出来ない日本人って、、と責めないで

先日、2012年に放送された中国は大連にある日系企業のコールセンターで働く日本人労働者に関するドキュメンタリー番組を観た。その中で中国に渡って2~3年という日本人の数名が全く中国語が話せないことに関して、コメント欄で「三年も中国に居るのに中国語話せないってどういうことだよ」という批判が幾つもあった。しかし言葉と言うものはその国に何年か住んでいれば自然に覚えるという簡単なものではない。そういうふうに他人のことを批判する前に外国語を学ぶことの難しさについて、もう少し理解を示してもいいのではないかなと思った。

言葉を覚えらえるかどうかは、当人が置かれた環境や当人の意欲がどのくらい強いかにかかってくる。それで外国語を学ぶために必要不可欠な動機を三つほど掲げてみたい。この三つのどれかを満たしていなければ外国語習得は先ず無理。

1)外国語を使わないと生きていけない環境にある場合。

何故か外国暮らしが必要となり、自分の周りで日本語が解る人が一人も居らず、地元の言葉を習得しなければ暮らしていくことも出来ない状況にある。こうなってくると言葉の習得は死活問題なので何としてでも覚えようとする。

2)外国語を習得すれば利益があがる場合。

この番組の中で、地元の日本語のコールセンターで働けば地元の一般の仕事より三倍も高い給料がもらえると必死に日本語を学んでいる中国人が何人か現れた。特定の外国語を習得すれば将来利益があると確信できれば学ぼうという意欲は高まる。

3)特定な国や言語に対して異常な興味がある場合。

特定の国や文化に異常なほどの興味を持ち、いつかはその国に行って暮らしたいというような強いあこがれを持っていれば、その国の言葉をどうしても学びたいという気持ちになれるだろう。だがこの願望は他人から見れば異様なほど強くなくては無理。

では私の場合はどれだったのかといえば、三番目が最初にあって、そのために一番の環境に自分を追い込んだというのが実情。

もともと私はどうしても外国で暮らしたいという思いがあった。それで高校卒業後、日本で英語専門学校に通い始めた。ところが学校のレベルは低すぎて、こんな学校に二年くらい通っても英語なんぞ話せるようにならないと判断した。

そこでどうしても英語が話せなければならない環境に自分を追い込もう思い学校を辞めて一年間の予定でアメリカに渡った。一年も居れば英語なんて自然に覚えるという甘い考えがここにあった。

ところが当時の南カリフォルニアは日本のバブル景気のせいで日本企業がわんさか進出しており、地元の英語学校にも日本人が大勢居た。それで渡米一か月にして出来た友達は日本人ばっかり!英語なんか話せなくても十分に生きていける環境だった。私は焦った。これでは高いお金を出して渡米した意味がないと。

というわけで、私はせっかく親しくなった日本人の友達に暇乞いをし、日本に関係のあるものはすべて捨て去り、日本食すらも口にしないと決心してひたすらに自分を英語社会に追い込んだ。どんなにつらくても日本語は口にしない。どんなに大変でも英語のラジオ番組を聴き、英語のテレビを観て、アメリカ人とだけ付き合った。内向的な私が進んで見知らぬアメリカ人に声をかけた。私には一年しかないんだ、親の大反対を押し切ってお金を出してもらったのに、このまま帰ったら恥かしくて親に見せる顔がない、という必死の思いで頑張った。

それが功を成して、一年後には簡単な日常会話くらいは話せるようになっていた。英語のテレビ番組や映画も結構解るようになったし、映像のないラジオニュースも理解出来るようになっていた。

後から思えば、あの程度の英語などアメリカ社会で通用するようなものではなかったのだが、それでも一年程度の滞在で習得したにしては、まあまあなレベルだったと思う。無論本当の苦労はその時から始まったわけだが。

それで先の中国在住の日本人たちに話を戻すが、彼らには上記に挙げた三つのどの条件も満たしていない。中国に在住しているとはいっても職場は日本語だけで通用する。付き合う人々も日本人ばっかり。割高ではあるが日本のスーパーや書店や美容院なども近くにある。オンラインで日本語のテレビも観られる。何の努力もしなくても生きていけるので、特に今差し迫って中国を覚えなければならない理由がない。

こんな状況で中国語を学べるはずはなし、学べないからといって責めるのは酷だ。彼らは中国で一旗揚げてやろうという野心で中国へ行ったわけではなく、日本より就職の機会がありそうだという理由だけで渡っただけであり、地方都市に仕事がないから東京に上京するというのと大した変わりはない。

あの番組は数年前のことで最近の日本の景気は良くなっていることでもあり、この番組の登場人物たちも今や日本でちゃんと生活しているのかもしれない。若い頃に外国で暮らした経験があるのも悪いことではないし、今はみなさんがしっかり日本で生活されていることを願いたい。


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外国人への思いやりで疲れる日本人

この間、カカシが皮肉で書いた「カカシはアメリカ人で日本人の繊細な神経を理解できない。「アメリカ人の私には、『暗黙の了解』や『約束事』は全く読み取れなかった。「最初からきちんと提示されていないものを外国人が理解できるはずだと思い込むのはどうかと思う。」という文章について、コメンターのシマさん(ハンドル名は5555shimaさん)から興味深いお便りをいただいた。全文公開および引用の承諾を頂いているので、ちょっとお話したいと思う。先ずはシマさんのメールから。

確かに自分が知らない異文化の物事を教えられることなく理解する(察する)のは難しいことです。難しいというよりほとんど不可能だと言った方が良いと思います。発言する側の人間が心の端に留めておくべきことです。私も外国人と話すときは十分に気を付けなければならないと感じています。

ただ、個人差はありますが、外国人と比較して「察する」ことが得意な日本人が日頃から感じている「外国人に対する不満」については理解して頂きたいのです(略)
1しか理解出来ない外国人のために日本人は一生懸命自分の考えていることを1から10まで順番に口に出して説明したり文章を作ったりします。日本人同士ならやらなくて済んだことを、「外国人に気を遣って」時間と労力を割いているのです。本来やらなくていいことをやっているので、余分なコストがかかります。
ところが、外国人はこの状況を直接言葉に出して指摘されない限り「察する」ことが出来ないので、日本人は不満を持ちます。何故なら、外国人は日本人が普段から支払っている余分なコストに対してほとんど気付かないし、感謝もしないからです。そうやって積もり積もった不満は、「外国の文化への無理解及び偏見」へと姿を変える場合があります。
もしも日本人をコミュニケーションを取る外国人の大多数が「普段やっていないことをわざわざ私のためにやってくれて本当にありがとう」「私のために時間と労力を割いてくれてありがとう」「あなたの気遣いと思いやりに感謝します」などと表現出来るようになっていけば、日本人の不満もなくなっていくのではないかと思います。

元米防衛庁のラムスフェルド長官が言った「知らないことを知らない」というのがまさにこれだろう。つまり、外国人は日本人が色々気を使ってくれているということに気が付いていない。だからお礼の心を持つことさえ出来ない。
もしもシマさんが、日本に来る外国人観光客やビジネスマンについて語っているのだとしたら、これは外国人にもかなりの責任がある。他国へ行けば習慣が違うのは当たり前だ。たとえ短期間の観光でも日本での心得くらいは勉強はしてきてほしいし、観光会社もガイドブックなどで細かく教授してほしい。
観光客に多く来てほしいと思っている日本側がおもてなしの気持ちで外国人の祖業の悪さを多めに見るのも実は逆効果になっている。これは日本だけではないが、欧米における現在のモスレム移民の問題も、ホストカントリーによる行きすぎた「寛容さ」に期を発していると私は思う。
アメリカでは公式文書が何か国語にも翻訳されて発布される。この間うちの近所で選挙があったが、たった一つの項目の住民投票の文書が何十ページもあった。それというのも同じことが何十か国の言語で書かれていたからなのだ。投票権があるということはアメリカ市民のはずだ。それなのにこの程度の英語も理解できないで選挙もなにもあったもんじゃないだろう。そこまで外国生まれの人間に気を遣うローカル政府の「寛容」さは行きすぎだ。
外国人であろうと何であろうと地元政府は徹底的に地元の法律を施行すべきだなのだ。たとえば歩きながらの喫煙や吸い殻のポイ捨てが違法ならば、単に注意するだけに留まらず、きちんと罰金を課せばいいのだ。英語でいうところの、”Ignorance of the law is no excuse” 「法律は知らなかったでは済まされない」である。
それに私から言わせると中国人観光客の行儀の悪さは確信犯だと思う。どこの国でも普通の道路上や他人の庭で脱糞や排尿が許されるはずはないし、商店に置かれている食品をやたらに手掴みにしてもいいとは思えない。これは日本人が文句を言わないのをいいことに好き放題をやっているとしか思えない。だったら日本人も寛容だの思いやりだのと言ってないでこういう輩は徹底的に取り締まればいいのである。
これは日本に限られたことではない。今や欧州で起きているモスレム野蛮人に対する信じられないような「寛容」や「親切」は言ってみれば、野蛮人に文明国の規則など理解できないはずだという人種差別の裏返しである。これらの国々は自国民同様外国人も同じ法律で裁くべきなのだ。地元の規則が理解できないなら、そういう教育をする機関を設けるなりなんなりするのはいいが、それでも規則を破る人間は徹底的に厳しく取り締まり、最終的には国外追放くらいの覚悟をしてほしい。そうすれば野蛮人が我が物顔で欧州を闊歩するなどということは防げるはずなのだ。
それと日本人を19年やったカカシの中にも染み込んでいることなのだが、日本人は他人が自分に気に入らないことをしても、相手にも色々あるだろうから今回は黙っておこうと我慢してしまう傾向がある。だがこれをすると相手はこちらの気も知らずに同じことを繰り返す。それが何度も続いてついにこっちは堪忍袋の緒が切れて爆発してしまう。何も言わなくても解ってもらえるはずだという日本人の甘えが通じない相手だとこういうことが生じる。
私はアメリカに来たばかりの頃にこれでかなり損をした。最初に住んだホームステイの家族とは、何か言われたらとにかく謝っておけば「素直な子だ」とわかってもらえると思っていたら、間違いばかりをする間抜けな子と思われた。付き合った何人かのアメリカ人男性に対しても「私がこれだけ気を使ってやってるのに、なんなのよ、あんたは!もう知らない!」と爆発して決別を迎え、相手は私が何を怒っているのかさっぱりわからずに終わってしまうという経験を何度かした。カルチャーショックというのはこういうことを言うのだろう。
日本人には面倒臭いことだが、今や嫌が応でも外国人と接しなければならない時代だ。日本人らしくないことでも場合によっては正直に言った方がいい。最初から正直に言ったほうが相手に対してかえって親切ということもあるのだから。


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Strange case of translation – 翻訳における奇妙な出来事

この間コメント欄でちょっと書いたのだが、ネットおともだちでダニエル・パイプス氏の著書の専属翻訳家でもあるリリーさんから私の訳語が適切でないというご指摘を受けた。下記はそのコメント欄から抜粋。

ネットおともだちのリリーさんから、マレー氏の著書の題名は「ヨーロッパの不思議な死」というより「奇妙な死」と訳すべきなのではないかというご指摘をうけた。確かに「Strange」という単語を英和で引くと「奇妙な」と出てくるのだが、「不思議」を反対に和英で引くと「Strange]と出てくる。だからどちらを使うかは訳者の判断に任せられる。

私は「奇妙」という言葉自体を自分であまり使わないので、普段自分が使っている「不思議」という言葉を使ったのだが、言われてみると確かに「奇妙」という言い方もあったなと思った。その方がいいのかもしれないとも思ってツイッターではそう答えた。

しかしよくよく考えてみたら、やっぱり自分としては「不思議」の方がしっくり行くと考え直した。「奇妙」というのは物事を説明する時に使うような気がする。「奇妙な形」とか「奇妙な現象」とか。それで著者の感情移入がないような気がするのだ。

これを「不思議」と訳すと、著者にとってこの現象は何か異様な興味を抱かせる現象であると言っているように聞こえる。少なくとも私にはそう思えるのだ。

この題名だけなら、確かに「奇妙」でも「不思議」でも訳者の好みの問題だろう。いや、学術的な論文なら、多分「奇妙」の方が適切かと思われる。しかし、これまでマレー氏のインタビューやスピーチを色々聞いてきて、この場合は「不思議」の方があってるような気がするのだ。(強調は後から加えた)

無論これはカカシの独断と偏見に満ちた考えかた。私はプロではないからいい加減な訳なのもお許し願おう。

こんな生意気なことをど素人のカカシが言えば、国文学専門で多言語に堪能で翻訳を長年手掛けているリリーさんが黙っているはずはないと思っていた矢先、案の定ご返答があった。リリーさんのおっしゃることは全くもっともなのだ

著述の全体を読めば、「不思議な」というよりは、もっと強いニュアンスの「奇妙な」が適切だと、私は思います。事例の使い方や言葉の選択に、意図的な狙いとウィットと皮肉が込められているからです。(ツイッターより)

アメリカ東海岸への留学と駐在を計4年間、経験した主人は、理系だが、私よりも遥かに英語が正確でよくできる。パイプス親子先生の母校および職場でもあったハーヴァードでも(外国人向けの)英語のクラスを取っていたし、専門分野以外に難しい対米交渉もこなしてきて、ユダヤ系も含めたアメリカ人を採用する立場にもあった。

その主人が本件に関して一言。「奇妙な、でなければおかしい」。
なぜ、‘mysterious’という単語をダグラスさんが使わなかったかは、本書を読めば歴然としている。

ちなみに英語母国語のミスター苺にも「不思議」と「奇妙」の違いを私なりに説明して意見を聞いてみたが、リリーさんやご主人と同意見だった。(笑)

リリーさんが最初ツイッターで、私が「奇妙」のほうがベターかも、と書いたとき、「ベターはベストよりも低い」という返答をしてきた時、何を言っているのかよくわからなかったのだが、これを読んではっきりした。つまり、リリーさんはカカシのようにいい加減に「確かに『奇妙』でも『不思議』でも訳者の好みの問題だろう」みたいな態度は許せないようだ。リリーさんにとって翻訳は正確でなければならないからだ。

パイプス訳文については、「読みやすい日本語」よりも「正確さ」を第一にしている。学者を名乗り、シンクタンクを率いている方の文章だから、たとえ読みやすくても、間違っていたらダメだ。そのことは、繰り返し、パイプス先生に伝えている。

学術書では確かにその通りなのだ。私が「学術的な論文なら、多分「奇妙」の方が適切かと思われる」と書いたのもそれが理由。

私は10年以上も自己流で英文を訳しているが、最初に気が付いたのは、英文はそのまま訳すと日本語として成り立たないことが多いということだ。私の最初の頃の文章がどうもぎこちないのは、先ずは英語で考えてそれを訳すような書き方をしていたからだ。日本語は日本語で考えなけりゃダメなのである。
ちょっと例を出すなら、英語でI don’t know him from Adam という言い回しがある。これをそのまま直訳して「私は彼をアダムの頃から知らない」とやると何のことかわからなくなる。アダムとは聖書に出てくるアダムとイブのアダムであり男の原点を表す。だから意味だけ訳すなら「素性の解らない男」となるが、原文で古い言い回しが使われているのだから、日本語でも「どこの馬の骨ともわからない男」とした方が原文の雰囲気がより伝わる。

それで私はとうの昔に原文の英文を緻密に訳すという作業はあきらめて、先ず英語で読んだ原文を頭のなかで整理してその概念を自分なりの日本語で考えなおして書くというやり方に切り替えた。そうすると原文は英語でなく日本語なので書きやすいし読みやすいという結果が生まれる。少なくともそれが狙い。

しかし、忘れてならないのは、これをやると、細かい英語のニュアンスは失われる。著者のウィットや皮肉的な書き方も失われる。意味が解りやすく通じればそれでいいのかと言えば、それは原文が何なのかにかかわってくる。

カカシが拙ブログで扱っているような新聞記事なら、単に内容が通じればいいだけなので問題はない。しかし細かい論理が逐一吟味される学術書であればそれではだめだ。また芸術的な小説であったり詩であったりすれば、それはまた別。例えば、韻を踏んでいる詩を意味だけ訳しても原文の感覚はすべて伝わらない。だが日本語で韻を踏めば原文の意味が変わってしまう。

以前に源氏物語を英文に翻訳した人のエッセーの中に、翻訳する際には何を大事にして何を犠牲にするかという葛藤が常にあるとあった。

私が大好きなJRRトールキンの指輪物語の和訳が何種類もあるのも、版によって原文の何が強調されるかの解釈が違ってくるからだ。指輪物語の場合は原文がイギリス英語なのに、アメリカ出版の際にはアメリカ英語に直す色々な「翻訳」が加えられたという。

だからリリーさんのように原作者と常に交流して著者が何を一番強調したいのか、これはこういう意味で解釈していいのかと確認しながらの翻訳は理想だ。

翻訳は科学ではない、芸術だ。何が絶対的に正しいとは一口に言えないことが多くある。翻訳者の技量はいかに原文の意図を失わずに他国語の人間に解るように伝えるかにかかている。だから母国語が堪能な人でないと絶対に無理な仕事だ。

ま、そういう意味で長年のアメリカ生活で日本語がハチャメチャになっているカカシには絶対に出来ない仕事である。

リリーさん、カカシの素人談義にお付き合いくださりありがとう。


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夢を追うことはいいことなんだろうか

今日は時事と関係ない夢を追う話をしたいと思う。もう何年も前のことになるが、私はある日本人男性のブログを追っていた。彼はアメリカに留学したいという夢を持っていて、そのための準備を着々と進めていた。彼は若かったがすでに就職しているサラリーマンだった。彼が目的に向かって準備をすることへの興奮は私には親近感があった。私はただの読者で、彼のことを個人的に知らなかった。でも、私は彼を知っているような気がした。彼が毎日のように体験するひとつひとつを自分が体験しているような気がした。私も18歳の頃、あんなふうに用意していたんだよなと思い出がよみがえってきたのだ。しかしそんなふうに一年ちょっと経った頃、彼の夢が現実に近づくにつれて彼の心に迷いが生じているのが感じられた。そして突然彼は留学を諦めてしまった。
彼はなぜあきらめたのかを詳細に説明した。無論彼の理由は正当だった。安定した職を辞めて留学なんかしても、帰ってきた時に再就職ができるかどうかわからない。不確かな夢を追うより確実な現実を守っていくことの方が賢明だ。そりゃそうだ。そんなことは最初から解っていたことだろう。でもそうじゃないだろう。それは本当の理由じゃない。彼は突然怖くなったのだ。冒険に走る勇気を失ってしまったのだ。どんなもっともらしい言い訳をしてもその事実を変えることはできない。そしてそれを一番知っていたのは彼だ。
私の叔父(母の弟)は若い助教授の頃、ドイツの大学で教えないかという依頼を受けたことがある。これはすばらしい機会ではあったが危険もあった。今の大学の助教授という地位をいったんおあずけにしてドイツの大学へ行かなければならなかったからだ。そこで叔父は私の両親に相談した。もちろん保守的なうちの両親は行くなと言った。せっかく助教授になれたのに、途中で外国になど行ったら日本の大学に戻っても教授になれるかどうかわからないとかいう理由だ。私の両親は多分正しかったのだろう。叔父はその後教授になり大学でもかなり重要な地位についたのだから。
でも本当にこれは正しい決断だったのだろうか?叔父はきっとなんども自分に問いかけただろう。もしもあの時ドイツに行っていたら、自分の人生はどう変わっていたのだろうかと。今のドイツなら私も行くなといっただろう。だがこれは1970年代の話なのだ。私は何年も経ってからこの話を聞いて両親にも叔父にもとても失望した。なぜ夢を追いかけなかったのかと。
20代の頃、アメリカ人の女の子と友達になった。彼女はアリゾナに住んでいてコンビニでバイトをしていた。それでも、いつかスコットランドに留学したいといつも言っていた。あんまり何度もいうので、私は一度「じゃあ行けばいいじゃない」と言ったことがある。「え?」と彼女。「なんで行かないの?」と私。「え、だって今はだめよ。お金もないし。全然用意できてないし。」私はそれ以上問い詰めなかった。じゃあ、行く準備はしてるの?と本当は聞きたかった。でも、彼女が何もしていないことは私は十分に承知していたから。
あれからもう30年も経っている。彼女とはもうずっと会っていない。でも彼女はスコットランドには行かなかったと思う。彼女の場合先の日本人男性や叔父と比べて失うものは何もなかった。コンビニの仕事なんてスコットランドでもできるし、アメリカ人の彼女なら別に新しい言葉を学ぶ必要もないし、当時のスコットランドはアメリカからの学生ビサでの仕事なんてうるさく言わなかったと思うし、とにかく何とでもなったはず。彼女に必要だったのは勇気だけ。
多くの人が「機会さえあれば」という。でもその機会が現れた時、自分には夢を追う勇気がないのだと発見することはとても怖いことだ。誰が自分は臆病者だなどと認めたいだろう?だから多くの人が自分で自分の機会を壊してしまうのだ。
私が日本を後にしたのは19の春。高校卒業して一年後。このタイミングは偶然ではない。高卒ですぐにアメリカに行きたいと思っても、お金もないし、だいたいどこへどんな風にいけばいいのかという準備など全く出来ていなかった。英語専門学校に通いながらの、この一年の準備期間は必要だったのだ。学校は一年で休学した。卒業して就職してしまったら、もうアメリカに行くなんてチャンスはないと思ったからだ。
一年のアメリカ生活は私が思っていたほど楽しいだけのものではなかった。ホームステイのホストファミリーともしっくり行ったとは言えない。言葉も通じず大分苦労した。今思えばホームステイなどではなく、きちんと大学に留学すべきだったのだろうが、当時はそれなりに満足していた。
計画通り一年の滞在を終えた後、私は日本に帰国し、復学して専門学校を卒業して普通に就職した。もし私がそのまま日本に留まる決心をしていたとしても、私はそれはそれで幸せだっただろうと思う。子供の頃からずっとしたいと思っていた外国暮らしを実際にやったという満足感で生きていけたと思う。
最初に夢を諦めてしまった人の話をしたが、私はその後ネットを通じて海外で活躍している色々な日本人と出会った。実際に会った人も何人かいる。イラクやアフガニスタンで慈善事業をやっていた人、戦地で現地記者をやっていた人、インドネシアでNGOで働いてる人、イスラエルやクロエチアで写真記者をやっていた人、ヨーロッパ諸国の事情について視察団に加わった人。世の中にはこういう人たちも居るんだなあ、と思うとなんかうれしい。
無論、海外に行くことだけが夢を追うことではない。夢は人によって色々だ。
言い尽くされたことではあるが、人はやったことより、やらなかったことを後悔するのではないだろうか。
実は私もやらなかったことで後悔していることがある。昔、香港とアメリカを行き来して商売をしている女性から一緒に仕事をしないかと誘われたことがある。私はその時、給料は低かったが安定した仕事をしていたので断ってしまった。今思うとやっておけばよかったなと思う。「安定した仕事」からは結局リストラされたしね。(笑)


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