久しぶりの友達との電話で色々語った思い出話し

友人のLが入院したと言う話を北カリフォルニアに住む共通の友達Dに連絡をしたことがきっかけで昨晩遅く久しぶりの長電話をした。Lの事情を一通り説明してから、そういえば最後に私たちが会ったのは4~5年前だったねという話になり、色々と昔話に花がさいた。友人のLとDとミスター苺を含めた仲間たちと私が出会ったのはなんと1979年のことである。

私とミスター苺が出会ったのがお互いに10代だったので、ハイスクールスィートハートだと誤解する人が多いが実は全くそういうわけではない。

私がアメリカに初めて来たのは1979年(昭和53年)のことである。私が19歳の春であった。当時私はウエストウッドというUCLA(カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校)のある町でホームステイをしていた。歩いていける距離に大学があったので、そこの付属の英語学校に通っていたのだ。私は大学の学生ではなかったが、学食では「Student? (学生?)」と聞かれて「イエ~ス!」と偽って学割を使った食事をしたりしていた。キャンパス内は学生でなくても入れたので、あたかも留学生であるかのように歩き回っているうちにとある男子学生と知り合いになり、彼が所属してた大学のサークルに誘われた。

学生でもないのにサークル活動に参加したのがきっかけでミスター苺やLやDや他の仲間と出会った。よく日本人留学生は日本人や他の外国人留学生とばかり付き合って地元のアメリカ人とは友達になれないという話を聞くが、私の場合はその反対で、アメリカで知り合った人たちは英語学校で知り合いになった2~3人の日本人以外はすべてアメリカ人だった。それというのも、初級クラスに集まる外国人ばかりの英語学校には早々に見切りを付けてサンタモニカビーチで甲羅干しばかりしていたからなのかもしれない。

ミスター苺とLとDはサークルの中でも凄く仲が良かった。私はこのサークル仲間のパーティにも参加したし、一緒に当時話題だったスターウォーズを含め色々な映画鑑賞やSFコンベンションにも行った。Lと私は同い年でDとミスター苺はまだ18歳だった。Lは卒業後ロサンゼルスの法律学校へ進み、ミスター苺とDは北部の大学院へ進み後に海軍に入隊してしまった。そして私は日本に帰国。

というわけで我々の交際は数年間途絶えたのだが後に私は再び渡米し、その間にも電話や手紙(手紙!)などで交流は続いていた。大学のサークル仲間たちはそれぞれ大学卒業後も交際は続いており、Dが軍隊の出動から帰国した際にはダウンタウンのユニオン駅にみんなで迎えに行った覚えがある。サークル仲間の誰かの結婚式にはミスター苺が白の海軍制服で出席した。制服姿のミスター苺を見た時は馬子にも衣裳とは良く言ったものだなと感心したものである。

我々が出会って10年が経った頃、Lは法律事務所勤め、海軍を除隊したDはカリフォルニア北部の大学で数学の教師、除隊後ロサンジェルスに戻ったミスター苺は会社員となっていた。私は長年勤めていた日系企業からリストラに遭い今後どうしようかと迷っていた時期だった。近所住まいになったLとミスター苺と私はしょっちゅう食事に行ったり映画を観たりハイキングをしたりしていた。Lとミスター苺は週末にラケットボールをしていた。

そのうち私とミスター苺は男女交際をするようになり、なんと出会ってから20年後の1999年の春に私たちは結婚した。

Lは付き合っていた女性が脳卒中で倒れ介護施設くらしになった彼女の最後の数年を献身的にすごしたが、その後はずっと独身生活を続けている。DはDで除隊後にゲイだとカムアウト(清潔で痩身で独身と三拍子そろった彼がゲイなのはみんな知っていた)しその後もずっと独身だ。

ミスター苺と私が結婚してからは、毎年冬になるとサンフランシスコで休暇を過ごし、必ず一日はSF郊外に住むDを訪ねてイングリッシュパブでサイダーを飲むなどして過ごしていた。コロナ禍になる直前の冬、ずっとDに会っていなかったLを誘って三人でSF旅行をし久しぶりの再会を果たした。今にしてみれば本当にあの時三人で一緒にSF旅行をしておいて良かったと思う。あの後Lの病状は悪化し、とても旅行など出来る状況ではなくなったからだ。

そんなこんなで昔話は尽きなかったが、二時間の長電話の後名残を惜しみながら電話を切った。


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溶けたアイスクリームが引き出し中に!

ナイフを出そうと引き出しを開けたらアイスクリームのカートンと溶けたアイスが引き出し一杯に広まっていた。なにこれ~!お爺ちゃん!冷蔵庫開けちゃだめっていったでしょ!

「冷凍庫を開けるなとは言われてない」

屁理屈言うな!

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お爺ちゃんは料理などしないので火の危険はないのだが、冷蔵庫のドアを開けたまま閉めるのを忘れたことがあるので、冷蔵庫は開けちゃだめと言ってあったのだが、アイスクリームの誘惑には勝てなかった模様。


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星条旗掲揚

午後8時。

「カカシ、見ろ!」

え?なあに?

「見ろ!」

と窓の外を指さすお爺ちゃん。国旗が外に出ている。

「ちゃんと掲げたぞ!」

確かに。でも今夜の8時だよ。日没には国旗は下げるんだよ。さっき二人で降ろしたじゃん。

「駄目なのか?」

ううん。いいのよ。ちゃんと掲げられたんだもんね。よくやったよ。でも夜だから私が降ろしておくね。また明日の朝お願いね。でも偉いよ。一人で掲げられたんだから。

「そうじゃろ。わっはっは!」

これでいいのよ。


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用意しておきたい1人暮らしの連絡先リスト

昨日遅く私の知らない人から自宅の電話にメッセージが残されているのに気づいた。それは私とミスター苺とは40年来の友達のLが入院したというメッセージだった。私は電話の主を知らなかったので多分Lが入院した先の看護婦さんか病院の事務の人なんだろうと思い、すぐかけ直したのだが出なかったので連絡して欲しいと伝言の残しておいた。

看護婦にしてはどこそこの病院だとも言わない不思議なメッセ―ジだったので、なんだこの役に立たないメッセージはと思い、近所の救急病院に電話してLが居るかどうか聞いてみた。Lの自宅とうちは目と鼻の先なので救急病院へ行くとしたら大きな病院は二つしかなかった。一つ目の病院には居なかったが、二つ目の病院では入院していると言われ部屋番号も教えてくれたので、今朝仕事を休んでミスター苺とお見舞いに行った。

病院の受付で病室番号を言うと、向いの棟だと言われたのでその階に上がって気が付いた。私も去年入院したので解るのだが、これは一人部屋の隔離病棟で、ここにいるということは相当の重病だと考えることが出来る。

部屋に入ってみると髪の毛の真っ白なLが弱弱しい感じで寝ていた。「ハイ、L、具合はどう?」そう声をかけると「良くないね」と消えそうな囁く声が返ってきた。Lと私は同い年だが、彼はもう誕生日が来ているから64歳。だいぶ前から甲状腺、パーキンソン病、糖尿病と色々持病があり、今回は糖尿病で部屋で意識を失ったのだそうだ。

「もっと早く連絡しなくて悪かったよ。最初の2週間は意識が無くてね」

え?いったい何時から入院してるの?

「ちょうど一か月前からだ」

ええ~!全然知らなかった!Lは一人暮らしで色々持病を持っていることでもあり、近所に家族は居ないので私とミスター苺が唯一家族のような存在だった。お互い何かあった時のための緊急連絡先にしておこうと以前から言っておいたはずなのに、なんで一か月も音信不通になるんだと不思議だったのだが、これには訳があった。

私はなるべくLとの連絡が途絶えないように2週間に一度くらいの割で電話を入れていた。だがここ一か月ほど私自身の体調がすぐれないこともあり電話を怠っていた。それで三日ぐらい前にLに電話をしたのだが通じなかったので昨日も電話をしたところだった。Lは外出などしないので、電話をすれば昼寝でもしていない限りすぐに出るのだが、二回も電話しているのに出ないとなると何かあったのかもしれないと少し心配だった。やはりその心配は当たっていた。

Lの話によると、一か月前に部屋で意識を失って倒れた。どのくらい意識を失っていたのか分からないが時々意識が戻ったと言う。だがパーキンソンのせいで身体を起こすことが出来ず、電話までたどり着くことも出来ずそのまま横たわったまま数日が過ぎてしまった。発見されたのは、郵便配達の人が彼の手紙が貯まっていることに気付き、配達時には何時も挨拶をしていて彼が旅行に出るような人ではないことを知っていた配達人は不審に思い彼のマンションの部屋の上の住人に連絡して様子を聞いたのだと言う。Lは上の住人とは結構親しかったので、彼女は絶対なにかあったに違いないと救急車を呼んでくれた。救急隊員は鍵がないためドアを壊して中に入ったところ、倒れているLを見つけたのだ。

Lの意識が戻った時、Lが連絡先を空で覚えていたのは彼の元の職場の番号のみ。元同僚でLとは個人的に仲の良かった女性が病院に駆けつけ、Lの自宅に入って連絡先の控えてあるノートを見つけ、ようやくうちの電話番号が見つかったというわけである。Lは必死に私の携帯番号を思い出そうとしたが駄目だったそうだ。それでうちに電話をくれたのは病院の人ではなく、この元同僚の女性だったのである。

Lは自分が何かあった時の用意を全くしていなかったと反省していた。持病があり、以前にも倒れたことがあったのだから、連絡先をまとめて書いたリストでも誰でもわかるところに貼っておくなりすればよかった、何かあった時ボタンひとつで救急車を呼べるアラートを買っておけばよかったのに、と色々いっていた。以前に私も、そろそろ介護士さんに週に何回かでも来てもらったらどうかという話もしていたのだが、「まあ、ちかいうちにな」と言いながら先延ばしにしていたのだった。

Lはずっと独身で何十年も一人暮らし。特に贅沢をするでもなく、海外旅行に出るでもなく、まじめに一つの会社で2020年に病気で退職するまでひたすら働いていた。それで貯金は使いきれないほどあるのだ。以前に病院へ行く時にバスに乗っていこうとしてバス停までの道で転んでしまったという話を聞いた時、「なんでタクシー呼ばないのよ、馬鹿ね!そんなところでケチってどうすんのよ!」としかり飛ばしたことがある。「今度お医者に行く時はせめて私に電話しなさいね!」と念を押しておいたのだが、まあ今となってはしょうがない。

彼が自宅のマンションに戻ることはもうないだろう。もう病気の緊急事態は終わったのでいつまでも入院しているわけにはいかない。それで次は介護施設に移動することになった。考えてみれば今回のことは不幸中の幸いというか、これで彼はもう一人暮らしをすることはなくなり、何かあったらすぐに治療を受けられるようになるのだ。結果的にはこれで良かったのだろう。

それでつくづく考えさせられたのは、何かあった時の連絡先リストをきちんと作っておく必要があるということだ。60代などまだ若いから大丈夫などと言っていても、病気をすることもあるし怪我をすることもある。まだそんな心配はいらないなどと言っている場合ではない。やはり私もきちんとした遺書を作っておこうと思った。

Lと同じで私も必要なことをついつい先延ばしにしてしまう悪い癖がある。今回のことを教訓に色々用意しておかなければならないなと思った。


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皿洗い機を一年ぶりに使う

3年前の夏にうちは台所と風呂場の改装をしたのだが、今思うと使った業者の腕がかなり悪かった。多額の費用を払った割には、まだ大して時間が経っていないにも関わらず、すでにあちこちでガタがきているのである。まるで中国人の仕事のようである。

トイレが詰まることすでに数回。取り付けられた便器が最低の物だったこと、下水工事の不良さが指摘され、新しい下水業者が穴を掘ってバイプを敷き替える(パイプが道路側ではなく内側に向かっていたとか、上から下へ流れるようになっていなかったとか信じられないことが発見された)など数回の大工事になり多額の出費。

そして一年ほど前に、取り付けてまだ2年も経っていない皿洗い機が停止。何を推しても起動しないのでこれは皿洗い機事態が壊れたのかもと思った。10年保証とステッカーは貼ってあるが、業者が設置したものなのでどこへ連絡したものかもわからない。

そうこうしているうちに台所の電灯が点滅しだして暗くなり、四つの電灯がすべて消えてしまった。これは普通の電球を取り替える旧式の電灯ではないため、素人が簡単に交換できるようなものではない。最初にこれが取り付けられた時に電灯が切れたらどうすればいいのかと業者に聞くと、これは何年も持つものなので交換の必要はない。もし何かあったら連絡してくれと言われた。それで二年も経っていないのにすでに電灯が切れるのはおかしいのではないかとテキストを送ると、すぐに行くと返事があったが、すぐに来なかった。何回かテキストを送ったり電話を試みたが返答はなく数週間が過ぎてしまった。

仕方なく私はうちにあった私の背丈ほどある電気スタンドを台所に持ち込み、それを台所の電灯として暫く使っていた。これは単に電灯が切れただけだと思ったので、ネットでアンジーズリストという業者あっせんサイトから頼んで電気屋さんに来てもらった。しかしやってきたのはプロの電気技師ではなくテクニシャン。彼は原因は電灯ではなく配線で、それを直すのには法外な値段がかかるとふっかけてきた。私はそれが信じられなかったので、今すぐ必要ではないから考えさせてくれと言って断った。

極めつけは二か月前くらいに流しのディスポーザーが停止してしまったこと。というより流し側の壁についているすべての電源が切れてしまったことだ。これでコーヒーマシンも電気釜も使えなくなってしまった。第一ディスポーザーが使えないと流しにたまった生ごみが流れないため非常に非衛生だ。

これはもう改装業者に連絡などしている余裕はない。それで私は近所の電気屋さんに来てもらった。プロの電気技師は台所全体の配線がおかしいと指摘。使っているスイッチも変だし、どうもプロの技師ではなく単なるテクニシャンがマニュアルでも見ながら適当につなげたような感じだと言うのである。ついでに電灯も見てもらうと、なんのことはない、私が思った通り電灯が切れていただけだった。最低質の電灯であるためすぐに切れてしまっただけだったのだ。やっぱりね。配線工事など頼まなくて正解だったよ。

結局流し側の配線を全部やり直し、電灯も高質のものに換えてもらい、またまた大金をはたいてすべて直してもらった。すると皿洗い機が作動し始めた。問題は電源であり皿洗い機ではなかったのだ!

よかったと思い、即流しにたまっていたお皿を詰め込み皿洗い機のスイッチを入れたところ、数分後、排水が流しに大量に放射され、台所が水浸しになってしまった。何なんだもう!

電気屋さんに多額の修理代を払ったばかりなので、配管工を呼ぶ気にもなれず、結局皿洗い機はそのままにして二か月が経った。しかし、いつまでも修理を先延ばしにしていても埒が明かないし、第一毎日皿洗いをするのも大変。ということで思い切って配管工に来てもらった。こちらは単にパイプが詰まっているだけだということで、(多分ディスポーザーをつかえなかった間詰まったゴミが貯まっていたのだろう)掃除をしてもらい、最低額の修理代で済んだ。

そして昨晩、一年ぶりに皿洗い機を使った!

お皿って本当にその都度きちんと洗わないとどんどん流しにたまってしまう。しかし根が怠慢な私にはその都度洗うなど出来ない。それで毎晩遅くに一日で使った皿を洗うか、翌朝コーヒーを淹れながら前日貯まった皿を洗い、皿洗い機はお皿の水切りに使うということを一年もやっていた。それでも朝食が終ると再びお皿が、、Never ending cycle!

いやあ、皿洗い機って本当に便利だなあ、とつくづく思ったのであった。


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クレイジーキャッツの魅力再発見

YouTubeで植木等さんのコンサート模様の動画を見つけたので観ていたら、お爺ちゃんが部屋に入ってきた「何を聴いておる?」あ、昔のコメディーバンドだよ。「最初からかけろ」ギャグは日本語だからわからないかも。でもドタバタだから解るかな。

最初からかけ直すとお爺ちゃんは音楽が気に入ったと見えて大はしゃぎ。しかもバンドが途中でクラッシックなのにジャズ風になったり童謡になったりしてずっこけるところで大笑いしてる。しかも日本語のジョークの部分でもちゃんと笑っている。お爺ちゃんにも通じるクレイジーキャッツのギャグは凄い。

お爺ちゃんがもっと見たいというので検索してクレイジーキャッツ結成10周年記念コンサートの一時間近い動画を観た。クレイジーキャッツの全盛期は1960年代で私がまだ幼少の頃である。私は子供だったのでクレイジーキャッツは面白いコメディーバンドだと思って好きだったが、彼等がどれほど音楽的に技術の高いジャズバンドだったか知らなかった。

バンドリーダーのハナ肇(ドラム)を筆頭に植木等(ギター)谷敬(トロンボーン)石塚弘(ベース)安田伸(テナーサックス)石橋エータロー(ピアノ)桜井センリ(ピアノ)とそれぞれミュージシャンとしても一流のメンバーが揃っている。特に石橋のピアノはクラッシックのオーケストラで通用するレベル。

このコンサートではクレイジーキャッツだけでなく、バックにビッグバンドも揃っていた。私はもともと日本のジャズ音楽は世界的に一流であると思っていたが、それがすでに1960年代の時点でそうだったということを知らなかった。あのレベルなら1940年代のアメリカでも通用したはずである。

クレイジーキャッツなので真面目にジャズを演奏したかと思うと、途中でギャグが入ったり、しかも後のドリフと違って品のいいギャグ。今でも子供を連れて見に行ける本当の意味でファミリーフレンドリーなギャグだ。だから時代遅れにならない。時代だけじゃなく文化も超える。最後の方ではお爺ちゃんは一緒になって「ほんだらほだらあかホイホイ」と口ずさんで踊り出したほどだ。

お爺ちゃんがもっと見たいというので、色々検索してたらシャボン玉ホリデーの動画を見つけた。出演者の面々が豪華で、しかもすべて生放送!

動画についていたコメントを読むと、今のバラエティー番組とはくらべものにならないほど内容が濃く質が高いとのことだった。ああいう大人のミュージシャンが人気のあった頃にもっとそのありがたさを理解できていたらなあと思う。しかしユーチューブのおかげで少しは昔の文化を垣間見れるというのはありがたいことである。


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X(Twitter)から永久凍結くらいました!

昨晩おそくまでツイッターでBlahさんとKwさんのスペースでカナダ人ニュースさんをゲストに色々とお話して楽しい時をすごして寝たのですが、今朝起きてみたらツイッターが完全凍結状態。アピールしてみましたが駄目でした。

理由というのがすごくくだらなくて、誰か特定の人に送ったツイートではなく、環境団体のアホどもが高速道路を封鎖しているビデオに「轢いちまえ」と英語で書いてリツートしたのが駄目だったとのこと。10年以上やっててこれまで色々問題発言をしてきたはずなのに、凍結の理由がこんなくだらないこととは驚き。しかも新しいアカウントを作ることも出来ないんだそう。一応読むことはできる。

色々トリックはあるらしいけど、今は身体の調子が悪いのでしばらくTwitterはお休みして今後どうするか考えよう。

ツイッター上でしか連絡を取ってこなかった人たちにはお知らせの方法がないので、まあ多分私のアカウントが凍結してることは他の人からは見えるのだと思うから、もしこのブログエントリーに気付いてくれたらGmailのほうに連絡してくれるとうれしいな。

ichigobatakekakashi@gmail.com

では久しぶりにツイッターに張り付かない一日を過ごしてみよう。


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お爺ちゃんがデイケアセンターから追い出されてしまいました 2023年8月9日

これは先月掲載したエントリーだが、お爺ちゃん日記を日付順にするために再掲載する。

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お爺ちゃんは今年に入ってから週に2~3回デイケアセンターに通っていた。毎日家にいても退屈だろうし、介護をしている家族にも、お爺ちゃんの世話をしないでいい時間が出来るのは精神的にもやすらぎになるので私は歓迎していた。しかし、ここ何回か迎えに行く度にお爺ちゃんの機嫌が悪くなっており、なにかセンターの内部の人について文句を言っているような感じだった。もっともお爺ちゃんの言うことは私は半分以上意味が解らないので、具体的に何が起きているのか把握できずにいた。

そんなある日、デイに行く朝、お爺ちゃんが泣き出していきたくないとごねた。私はその日は出勤の日だったので、お爺ちゃんを家に置いて行きたくなかった。お爺ちゃんのことは私でないと解らないことが多いからだ。それで何とか説得してデイに連れて行ったのだが、その数日後、お爺ちゃんを迎えに行くと、デイセンターのマネージャーさんと看護婦さんに話があると言われ、別部屋に通された。

マネージャーさんによれば、お爺ちゃんは誰とも打ち解けず、どんな活動にも参加せず、何か言うと怒って怒鳴ったり机をたたいたりして、他のメンバーを怖がらせているという。介護士たちにも喧嘩腰で、今は暴力を振るようなことはないが、そのうち乱暴になるのではないかと恐れているというのだ。

通された部屋には大きな窓があり、それは一方通行の鏡になっており、向こうの部屋の様子がこちらから見えるようになっていた。そこで患者さん達は歌ったり踊ったり楽しそうにしていたが、ひとりお爺ちゃんだけはしかめっ面で何かぶつぶつ文句を言いながら歩き回っていた。

「最近、いつもあんな感じなんです。」

とマネージャーさんは言う。

「とても楽しんでいるようには見えません」

確かに。お爺ちゃんは何かに怒っているようだった。見ているのも心苦しくなったので、今日は連れて帰ると言うと、マネージャーさんから「うちではお爺ちゃんの役にたっているようには思えません。家に来てくれる介護士さんを雇った方がいいと思います」と言われた。

「私はあと2か月くらいで引退しますから、それまで預かって頂くわけにはいきませんか?」

「残念です」

はあ~。無理か~。

最初の頃はお爺ちゃんも楽しんでいるように見えたのだが、どうして駄目になってしまったのだろう。家ではそんなに変わった感じはしないのだが。

私は今年いっぱい働くつもりだったが、それも無理なようだ。仕方ない。さっさとやめて専業主婦になろう。お爺ちゃんのことは誰か介護の人に来てもらうしかないだろう。


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警察に通報されたお爺ちゃん (2023年3月11日)

納税申告終わった。

アメリカでは4月15日が納税申告の締切日。

毎年私は一月末か二月中旬くらいまでには申告を済ませてしまうのだが、今年から主人が仕事をやめて隠居生活になったこともあり、例年とは違うフォームを使うということでかなり焦っていて、すごく不安だった。

実は私は家計に関することには結婚以来全く関与してこなかった。お恥かしい話なのだが、私にはそういうことは分からないと思い込んでいて、なにもかも主人任せだった。まあそういう家庭はアメリカでは珍しくない。家計の財布の口を主婦が握っているの普通の日本と比べて、アメリカの女性は意外と家庭内での権力はない。

しかし数年前から主人は視覚がかなり弱まり細かい文字を読むことは無理になった。コンピュータースクリーンも長く見ていることもできないので、こういう面倒くさい仕事はすべて私がすることになったのだ。そして、もう今年で4年目なので主人は完全にノータッチ。「任せるよ」と言ったまま手伝ってくれそうにない。書類はすべて1月中に整っていたので、やろうと思えばいつでもやれたのだが、なんか億劫というかなんというか、ぎりぎりまで後回しにしてしまった。しかし何かあった時のためにも、三月中には済ませてしまわねばと本日本気で取り組んだというわけ。

まあ今は便利なソフトがあるので、言われるままにフォームを埋めていけばいいだけなのは助かる。昔は紙のフォームにいちいち記入して大きな封筒に入れて税務署に郵送していた。私が引き継ぐ前の年に、主人が言い張ってすべてを印字して署名して税務署に郵送したが、何週間、何か月経っても音沙汰がない。税務署は電話に出ないので悪名高いため、問い合わせもできない。結局オンラインで申請をしなおしたところ、数日後にリファンド(返金)が届いたという経験がある。というわけなので今はオンライン専門だ。

しかし自宅が職場だった主人が引退したことで、光熱費やガソリン代が控除対象から外れたのは痛い。収入はゼロでも主人の引退は黙っていて、そのまま無収入でも仕事は続けてる体を装おうかなとは思ったのだが、脱税の罪を着せられるのは嫌なので、やっぱり辞めた。

来年は私も引退してるかもしれないな、そしたらまた新しいフォームを使うのかな?本当に面倒くさいなあ。

警察に通報されたお爺ちゃん

うちのお爺ちゃんは認知症ではあるが、アルツハイマーのひとのように徘徊癖などはない。ただ土地勘はかなり狂っているので親しみのある道でも迷ってしまうことはある。だが行きつけのスタバくらいまでは行って帰ってくるくらいは出来ている。店のなかにはいってコーヒーを注文するなどは無理だが。

最近は昼間だけ面倒を診てくれるデイケアセンターに通うようになっていた。ただ一人で家にいても、特に危険なことをするわけではないし、足腰はしっかりしているので転んでけがをするといった心配もない。それで、デイケアの時間と外れ、どうしても用があって誰もお爺ちゃんの世話ができない時は、数時間お爺ちゃんを一人にさせることはたまにあった。

しかし昨日事件は起きてしまった。

昨日はどうしてもお爺ちゃんを一人にして出かけなければならない用事が出来てしまった。連れていけるところには連れて行っているが、どうしてもだめな場合もある。それで私はお昼用にサンドイッチや果物を用意してテーブルの上に置いておいた。テレビもつけっぱなしにしていれば何かやってるから大丈夫だろうと思って家を出た。

数時間後、帰宅途中に携帯に電話がはいった。出るとお隣の奥さんからだった。「お宅のお爺ちゃん、外のポーチでずっと座ったままだけど大丈夫かしら?」あ、そうですか、いや、いま帰る途中なんで、もうすぐ着きますし。どうもすいません。しかし道は混雑しており事故などもあり、結局すぐそこまで来ていながら帰宅したのはその電話を切った30分後だった。

帰るとお爺ちゃんが正面玄関の前でうろうろしていた。近づいて顔を見ると泣いていたような顔つきだった。すぐに家に入れ、寒かったのでホットチョコレートを用意して飲ませた。夕飯の支度をしようとエプロンを付けた時、玄関からノックの音が。

出ると二人の警察官がいた。

「お宅の家の前で、困惑した男性が歩き回っているという通報があったのですが」あ、うちのお爺ちゃんですね。もう大丈夫です。「お話させてもらえますか?」え?なんか信用されてない?お爺ちゃんを呼ぶと口の周りにチョコレートのついたお爺ちゃんが玄関先に現れる。

「お爺ちゃん大丈夫?どっか具合悪いの?病院行く?」と警察官は親切そうに私を無視してお爺ちゃんに聞いた。お爺ちゃんは憤慨した様子で「わしは大丈夫じゃ。何を騒いでおる」と答えた。警官らはその後もお爺ちゃんに話しかけ、何か自分らに出来ることはないかと聞いていた。しかしお爺ちゃんはこの時とばかりにふんぞり返って「大丈夫じゃ」を繰り返していた。

後でこの話をツイッターでしたら、ネグレクトだと思われたのかもと言われてはっとした。笑いごとでは済まされない。私は障害者の老人を放ったらかしで外出した無責任な家族だと思われてしまうということか?

では今後は一人で散歩とかにも行かせられないということなのだろうか?

色々考えさせられる一日であった。


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お爺ちゃん日記⑬ (2023年5月6月)

5/3/23

認知症の人は同時に二つのことができない。だから何か一つに執着している人には、なにか他のことを提案して気を紛らわすのが大事。なるほどねえ~。自宅にいるのに「帰る、帰る」と駄々をこねるお爺ちゃんには、まずお茶でも飲んで迎えを待ちましょう、と提案するとよいそう。

介護者さんの不満は溜め込まずに日記を書いたり友達に相談したりするのが大事なんだそう。お爺ちゃんのデイでは無料で介護者さんへのメンタルセラピーを提供している。

お爺ちゃんは散歩が好きで、歩いてる間は機嫌がいい。近所のお庭の花や建物のデザインについて色々しゃべるのが好き。飛行機雲をみると興奮して写真を撮れという。今日は付き合って一時間も歩いたので私はぐったりだ。調子のいい時は長距離歩けるので付き合うのが大変。

今は亡き伯母は若い頃からジョギング大好きの健康な女性だった。でも認知症になってからも一人でジョギングに行ってしまって、脚が早すぎてお嫁さんはとてもついていけず、しょっちゅう迷子になって警察のお世話になっていた。少なくともうちのお爺ちゃんは徘徊癖はない。

年寄りなのになんでそんな距離歩けるんだと思いますよね。正気だったら途中で絶対ばてるはずなんですが。うちのお爺ちゃんも身体は元気なんでそれが怖いです。

5/9/23

自分が介護をしていないのに、突然現れてぐちぐち言う兄弟・姉妹がいるというのを聞いて、うちは妹が実両親、私がお爺ちゃんの介護をしているので、二人で話をすると介護の愚痴だらけになる(笑)。でも私はお爺ちゃんの方が実母より楽だと思う。母は昔から難しい人だったけど今は特にひどいから。

5/10/23

お爺ちゃんをデイに迎えに行く。介護士さん「すいません帰りたくないと駄々をこねてるので」お爺ちゃん、帰るよ。「話が終っとらん」横にいる他所のお爺ちゃんはきょとんとした顔で私を見る。ほら、迷惑だから帰るよ。「じゃ、続きは次な」「きょとん」話が通じていたのだろうか。

5/12/23 

お爺ちゃん「カカシ、なんじゃあれは?」ん?スーパーで並んだレジの前にガタイのいい中年おっさんがプラチナブロンドのかつらに短いブラウスで腹丸出し下尻の出るホットパンツに白いハイヒール姿。「レイディーじゃないぞ!」ハッシ!聞こえるよ。

証拠写真とろうかとも思ったけど、見つかって何か言われたら嫌なのでやめた。強面のおっさんだったもん。レジのおっちゃんも他の客も平静を保ってはいたが、お爺ちゃんがなにかいいたそうにもじもじしていたため、私の後ろにいた若い女性は笑いをこらえるのに必死。

5/13/23

お爺ちゃん、何がいい?スモークサーモンとベーグルってあるよ。ウエイトレス「今日スモークサーモン切らしておりまして」お爺ちゃん、ないんだって他のにしようね「何故ないんじゃ!」さあ、仕入れ忘れたんじゃないの「ユダヤ人差別じゃ!」メニューにあるのに差別なわけないでしょ。

お爺ちゃん「これは何じゃ。」お爺ちゃんが頼んだチキンオムレツだよ。「お前のはなんじゃ?」ベーコンだよ。「わしにもくれ。」お爺ちゃん、さっきまでユダヤ人がどうのって言ってませんでしたっけ?

5/14/23

今日は母の日なので叔母や義妹たちと食事に行く予定。それで朝からウキウキのお爺ちゃんである。「まだいかんのか?」いやまだ朝だから。「まだか?」お昼だから「まだか?」と一時間置きにきいてくる。そしてさっきから私の後ろに立ったまま五分毎に質問が!何度聞いても時間は早く経ちません!

5・15・23お医者さん「お爺ちゃんは着替えは一人で出来るんですか?」着替えを出しておけば一人で着ます。「お風呂は?」一人では無理なのでシャワーを浴びせてます。「食事は?」出されたものは一人で食べます。「アルツハイマーの症状が出始めてますね」お爺ちゃん「何?オールドタイマー?」

5/16/23

お爺ちゃんをデイに迎えに行ったら私の顔を見てオイオイ泣き出してしまった。どしたの?「もう迎えに来ないかと思った。置き去りにされるのかと思った」なんで?もしや、朝あまりにものろのろしてるから「もう介護施設にあずけるからね!」と言ったことを覚えていたのかな?

5/19/23

お爺ちゃん、中華の出前来たよ~。お箸でつんつんつついてないで食べなよ。なんで全然たべないの?チャオファン好きでしょ。「食べたくない」え?なんで?どっか悪いの?熱ある?「腹減ってない」え~?もしやお爺ちゃん、今朝買った大型シナモンバン食べた?「食った」何時?「さっき」脱力。

5/22/23

お爺ちゃんグラタン美味しい?「もぐもぐ」そんなに急いで食べないでもっと味わって食べなよ。「もぐもぐ」どう?美味しい?「何が?」グラタン「知らん」今食べてたじゃん。「何を?」今食べたやつ「知らん」そうか。もう明日から毎食シリアルだからね。覚悟しときな!

6/9/23

お爺ちゃん「腹減った」もうすぐ寝るんだしリンゴでも食べる?「いやじゃ、もっとちゃんとしたのが食べたい」チョコ食べる?「嫌じゃ」と冷蔵庫を開けるお爺ちゃん、だめだよもう寝るんだから。「食べる!」食べない!寝ろ~!数分後、いびきをかいてるお爺ちゃん。今日も無事終わった

6/11/23

昨晩お夕飯後、お爺ちゃん「散歩に行ってくる」一人で行っちゃだめだよ。迷ったらどうするの?「迷わん!何時もの道じゃ」それでも迷ったら私の責任だよ。「じゃ、一緒に来い」え~、今日はIKEAで散々歩いたから行きたくないよ。とすったもんだの末やっぱり散歩に出た。疲れた。

散歩後「あ~、これで晩飯がうまく食える」お爺ちゃん、さっきお夕飯食べたよ。「食っとらん!」さっき鳥の唐揚げ美味しい美味しいと食べたじゃん「あれはおやつじゃ」あんなおやつがあるか!今後お夕飯の時間をもっと遅くした方がいいのかな?

仙豚:カカシさんとお爺ちゃんシリーズいつも読ませていただいています。外部から見ると面白い話ですが、当事者のカカシさんはご苦労されていることと存じます。 それでもこれは言いたい。 書籍化希望! 絶対買います

カカシ:あはは、、どうやって本にすればいいのか見当もつきませんが。そのせつはよろしく。

やまぐし:『おじいちゃん、ごはんはさっき食べたでしょ。』が実在するとは目から鱗です。ときに、「おやつ」って英語でどう言うんですか?単なる「snack」とか、ややこしくは「between meals bites」?

カカシ:Snackですね。お爺ちゃんはよく、”but that was just a little thing”とか言います。ジェスチャー付きで。

6/17/23

お爺ちゃん「う~む、しぶとい奴じゃ」お爺ちゃんなにやってんの?「このアボカドの皮がむけんのじゃ」それマンゴだから。「アボカドではないのか?」違うね。「大きいアボカドかと思った」色も形も全然違うんですけど!

6/17/23

テレビを観てるお爺ちゃんが口笛を吹いている。よくよく聞いてみると番組のテーマソングに合わせて吹いているのだが、それが完璧なハーモニーになってる!お爺ちゃんには隠された音楽的才能があったのか。

6/27/23

お爺ちゃん、もうお夕飯終わったの?まだ残ってるよ。「終わっとらん」じゃなんでお皿そのままでテレビみてんの?片付けるよ「駄目じゃ!後で食べるのじゃ!」食べたのを忘れた時のために残しておくのかな?ややこしいなあ。

6/29/23

お爺ちゃん本棚で何探してるの?もう本なんか読まないでしょ。あれ?それはお爺ちゃんが昔書いた本だね。そんなのどうするの?「持っていくのじゃ」どこへ?「オフィスに」はあ?なんで?

デイの看護師さんと電話にて「お爺ちゃんは昔本を書いてたそうですね。入園記録に書いてありますが」はい、20年くらい前までは結構定期的に出版してました。「何冊か持ってきてくれますか?話題作りになるので」あ、その話お爺ちゃんにしましたか?「ええ」それでかあ。

数日後デイにて、職員の若い女性達に囲まれるお爺ちゃん。「へえ~これ全部お爺ちゃんが書いたの?」「ふむ」「すご~い~」「むふふふ」お爺ちゃんは超ご機嫌であった。

7/3/23

今朝散歩中、お爺ちゃんが「トイレ~」と叫ぶ。なんださっきスターバックスに行った時に行けばよかったのに。「行きたくなかったのじゃ」もう戻るには遠すぎる。このまま家に帰った方が速い。「もれる~」あいにく通りかかった公園のトイレは修理中で入れない。あと10分くらいだから我慢してよ。「出来ない」出来るよ大丈夫。男だろ、頑張れ!

「もれる~」あと少しだよ。「さっきもそう言ったぞ」あと100メートル。ほら家が見えるよ。「駄目じゃ~」駄目じゃない、頑張れ!「あああああ~もう漏れちゃった。」あ~あ、でもまだちびったくらいだから、あともうちょっとだから、「歩けない」しょうがないなあ。まあ家に入ってから中で漏らすよりは外の方がいいかもしれないな。

しょうがない、その木の陰でしな。私がここに立ってて人の目から隠してあげるよ。もっとも道路からは丸見えだが。「恥かしい、恥かしい」とお爺ちゃんは情けなさそうに言う。

散歩の途中でコーヒーを飲むのはもうやめた方がいいな。


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