言論と暴力を混同すると、かえって暴力を煽ることになる

最近アメリカでも日本でも「言葉の暴力」といった概念が後退派左翼の間で流行って。ごく普通のことを言っただけで、「それは差別だ!ご暴力だ!」と言い出す輩がやたら多い。ある人などは「言葉で人は死にます」とまで言い張った。いったい私がどんな呪文を唱えればそういう奴を殺すことが出来るのか、是非とも教えてほしいものだ。

聡明な読者諸氏はもうすでにご承知のことと思うが、そうやって相手の言論を暴力だとか暴力を煽る行為だとか言う奴らに限って自分たちは平気で暴力を振るう。平和平和とがなり立てながら、辺野古基地前で基地に出入りする人々の車を囲って車を叩いてる奴らなんぞは、その典型である。

先日も極左翼で悪名高いカリフォルニアのUCバークレー大学で、保守派活動家が左翼暴徒に殴られるという事件が起きた。上記はその時の模様。被害者はハイデン・ウイリアムスという男性でターニングポイントUSAという保守派団体への勧誘活動を手伝っていた。ブースには「ヘイトクライムのやらせは真の犠牲者を傷つける」 ( “Hate Crime Hoaxes Hurt Real Victims”)といったサインが掲げられていたという。これは先日二人の保守派白人に襲われたという自作自演の犯罪を訴えて問題になっている黒人俳優のことを比喩している。

さて、このサインに怒った二人の男がウィリアムスに近づきウィリアムスに罵声を浴びせかけた。ウィリアムスによると男たちはウィリアムスを「レイシスト」と呼び「撃ってやる!」といって脅したという。私が見たビデオの中でも黒い服を来た男が「お前は暴力を煽っている」と言いながらウィリアムスを殴っている姿が写っている。

最近の大学キャンパスは保守派にとって非常に危険な場所になっている。とターニングポイントUSAの創設者、チャーリー・カーク氏はいう。保守派は単に意見が違うというだけで罵倒され暴力を振るわれるのが普通になっている。もしこれが反対にマガハット(トランプ支持の象徴)を被った保守派学生による暴行であったら、メディアは「ヘイトクライム」だと言って大騒ぎしたに違いない。なにせマガハットをかぶって微笑んでいただけの高校生をあれだけ吊し上げたメディアであるから。

なぜ左翼連中は保守派というだけで殴ってもいいと思うのか。それは「言論は暴力だ」という危険な思想を信じ込んでいるからだ。言論は言論だ、言論で誰も怪我をさせることなど出来ない。だがそれを「暴力だ」と言ってしまえばどうなるか。暴力なら暴力で応戦しなければならないという理屈になる。だから後退派左翼にとって保守派の言論は暴力なのであり、暴力によって対抗するのは正当防衛なのだという考えなのである。私が口を酸っぱくして言論と暴力を混同してはいけないと言っているのはこれが理由だ。

そしてこれはヘイトスピーチは暴力だとするならば、政府による暴力で弾圧されて当然という理屈になる。

先日イギリスでは38歳の母親がフェイスブックで「トランス女性は男だ」と書いただけで警察に連行されて何時間も拘束されるという事件が起きた。イギリスではこういうことがもうすでに何度も起きている。その話を上記のようにツイッターでしたら、「ミスジェンダーはヘイトスピーチだから規制されて当然」と答えて来た人が居た。

この人は自分が言っていることがどれほど恐ろしい言論弾圧であるかわかっているのだろうか?SNSで何気なしに言ったこと、しかもトランス女は男だ、などという明確な事実を言っただけで逮捕されるような世の中に本当に生きたいと思っているのだろうか?こういう人は自分は常に権力者側に居ると錯覚している。自分の意見が多数派だから自分は安全だと思っているのだろう。だが、ほんの10年くらい前ですら、男を男と呼んだらヘイトだと言われる時代が来るなんて、誰が予測しただろう?ということはいつ何時、今はポリコレな言論が明日はヘイトになるか解らないのだ。ずっとリベラル派だといってバージニア州の知事にまでなった人が30年以上も前に冗談でやった黒塗りで辞任を迫られるなんて世の中だからね。

余談だが、バージニア州の知事の黒塗り写真を検索していたら下記のようなツイートを見つけてしまった。ここまで来ると黒塗りというより変装だね。


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人種差別の歴史を教えるのは人種差別という左翼の歪んだ理論、「アラバマ物語」は白人至上主義?

カナダはオンタリオ州のピール教育委員会において、アメリカ小説の傑作ハーパー・リー原作”To Kill a Mockingbird”(放題:アラバマ物語)(グレゴリー・ペック主演で1962年に映画にもなっている。)を子供たちに教えないようにとメモを発表したという記事を読んだ。その理由というのが、「黒人生徒に有害で暴力的で抑圧的であり、救世主としての白人登場人物によって黒人登場人物を人間以下に見せているから。」というもの。

「人種差別の文献が人種差別に関する討論の入門となることはすでに差別を体験している黒人生徒たちにとって、とても有益とは思われない」「これはまず一旦休止すべきだ。誰がこの文献の中心なのか、だれのためになるのか、どうしていつまでも教え続けるのか?」

とメモは問いかけ、この小説のなかには19回も黒人侮蔑語であるNワード(いわゆる黒んぼを意味する言葉)が含まれており、有害なのはそれだけではないが、それがこの本の暴力さに加わっているとしている。

メモはさらに、黒人の父母たちは「子供たちがこの小説を読むことを毛嫌いしている。」本を廃止することは検閲であり、検閲は言論の自由を制限するものだと思われがちだが、人種差別を主題にしたこのような本を読書リストに入れておくことは黒人生徒に対して人種差別で暴力的で抑圧的であるとしている。

このメモを書いた人間は、原作を全く理解していないか、人種差別の恐ろしさを生徒たちに理解させまいとする企みを持っているかのどちらかだろう。

これは、やはりアメリカ小説でマーク・トウェイン著の「ハックルベリーフィンの冒険」が人種差別小説だとしてアメリカ各地の学校で排除されているのと全く同じ理由だ。

ご存知のない読者諸氏のために説明すると、アラバマ物語は著者の少女時代の多少自叙伝的なおもむきもある話で主人公は8歳くらいの少女。舞台は1930年代のアラバマ地方にある架空の小さな町。ひとりの黒人男性が白人女性から強姦されたと告発され裁判になる。この被告人の弁護をする白人弁護士は主人公の父親。問題なのは当時この地域では黒人差別がひどく、特に黒人男が白人女を犯したなどという問題になると、裁判で黒人が正当な裁断を受けられる見込みが非常に少なかった。町民たちはすぐにでも黒人を吊し上げてリンチにかけようといきり立っている。そんな中で地元に住んでいて自分も白人の弁護士が、近所の地元民たちの反感を買いながらも必死に黒人被告人を弁護するという話。

この小説の主題は、いかに人種差別が不当なものであるか、どんな人間も偏見ではなく事実に基づいて正当な裁判を受ける権利があるというもの。この小説が出版されたのは1960年代の人権運動の真っ最中だったということにも注目せねばならない。

この小説はせんだってのカバノー判事のセクハラ疑惑でも持ち出された。小説では、アメリカには「証明されるまでは無実とみなす」という原則があるにもかかわらず、被告が自分が嫌いな集団に属している場合には裁判もせずにつるし上げることの危険性を示している。黒人だというだけで特に告発者が白人の場合、裁判もなしに殺されるという人種差別が如何に悪であったかを訴えているのがこの小説なのだ。

人種差別の恐ろしさや正当な裁判の大切さを訴えるこの小説が、人種差別だとか黒人を人間以下に扱っているから黒人生徒に対して有害だという歪んだ理屈は一体どこから出てくるのか?

はっきり言って、ピール教育委員会がこの小説が人種差別の本で黒人生徒を圧迫するものだなどと本気で信じているとは思えない。この本が教育委員会の左翼どもにとって「有害」であるのは、この話は実際の人種差別がいかに恐ろしく醜いものだったかを示しているからで、それを現在の子供たちが学ぶということは、左翼どもが現在もあると言い続けている「人種差別」がいかに偽物であるかを暴露するものだからである。

左翼連中が人種差別の本当の歴史を抹殺しようと躍起になっているのは、アメリカにおける人種差別は主に左翼連中が行ったことだからだ。奴隷制度をかたくなに守ろうと南北戦争を起こした南部はすべて左翼の民主党。ジム・クロー法などの悪質な人種差別法を通したのも左翼民主党。人種混合は絶対にありえないと小学校の校門を遮ったのも左翼民主党議員。

現在の左翼が少数派を味方につけておくためには、自分らが行った過去の人種差別の歴史を抹殺し、現在の少数派をだまし続ける必要があるのだ。

カナダはアメリカではないが、過去の人種差別がどれほどひどいものであったかを現在の子供たちが学べば、今自分らに起きていることは人種差別などではないと気づいてしまう。そんなことは後退派左翼にとっては絶対に許されないことなのだ。

差別をされていると思い込み自分は弱者だと思っている人間は政府はコントロールしやすい。あなた方は弱い立場に居るのだから政府が守ってあげますと言いやすい。

ピール教育委員会は、これは決して検閲とか言論弾圧ではないと言い張っているが、それ以外の何物でもない。


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ハーバード大学入試審査に見る組織的な東洋人差別、訴訟で明らかになる

Systemic Discrimination/組織的差別という言葉をよく聞く。これは黒人やラテン系の人々が自分らが差別されているという時によく使う言葉だ。組織的差別と普通の差別のどこが違うのかといえば、後者は単に個人の差別意識によるものであるのに対し、前者は差別そのものが組織の中に組み込まれているため、個人的にはどうしようもないという意味。黒人と白人が使える施設を完全に分離していたジム・クロー法などがその典型。

このような組織的差別はもう何十年も前に法律で廃止されており、それどころか人種や出身国籍や性別や性嗜好などを理由に差別することは、あらゆる場所で違法となっているため、私はずっと「組織的差別」などというものは存在していないと主張してきた。ただし、東洋人やユダヤ人への差別を除けばの話だが、、

実は先日、東洋人学生を代表とするHarvard, Students for Fair Admissions (SFFA)という団体がハーバードの入試審査が東洋人受験生を不当に差別しているとして2014年に訴えていた件で、事実同大学が組織的に東洋人学生を低評価していたことが明らかになった

ボストン裁判所はハーバードに入試審査の統計を提出するよう求めていたが、大学側が奥歯を抜くほどいやいやながらに提出したリポートには、確かに受験生の人格や嗜好といった主観的な審査で東洋人学生は統計的に大幅な低評価を受けていたことが暴露された。

同リポートによると、学力のみで審査した場合、東洋系学生の数が現在の18.7%から43.4%にまで増えてしまうという。レガシーと言われる推薦学生やスポーツ奨学生の枠を取っても、東洋系学生の割合は31.4%を占めてしまうことになる。この事実は2013年ハーバード内部のHarvard’s Office of Institutional Research (OIR)による調査結果によって同大学はすでに把握していたにも関わらず無視してきたのだ。

またデューク大学ピーター・アーチディアコーノ教授の調査によると、合格率25%の東洋系受験生が、その他のことが全く同一であった場合、白人なら35%にラテン系なら75%、そして黒人なら95%の確率で合格する計算になるという。同教授のリポートにはハーバードが「人格審査」において東洋系受験生の成績を低く審査することにより、いかにして学生の望ましい人種分布が起きるように操作していたかを如実に提示している。

注目されるのは、差別されているのは東洋人だけではないということ。白人やラテン系でさえ少なからず差別されている。一番優遇されているのは誰あろう常に声高に差別を叫んでいる黒人。

同教授によれば、全国統一試験や高校での成績や課外授業などの成績だけで審査した場合、これは主観が入らないため同様系受験生の成績は高い。それで同大学は性格のよさだの協調性だの魅力的だのといった個人の人格に関する主観的な審査を東洋人の場合極端に下げて全体の成績を低評価したという。こういうことがハーバード大学では少なくとも過去十年は続いている。

入試の際に東洋人を差別しているのは何もハーバード大学だけではない。こちらのブログにもその例が載っている。

なお、「アジア系アメリカ人を差別的かつ不当に取り扱っている」との批判を受けているのはハーバード大学に限りません。2016年5月には、130のアジア系アメリカ人団体が、エール大学、ブラウン大学、ダートマス・カレッジなどいずれもアメリカ東海岸を代表する「アイビーリーグ」に属する大学に対して、「人種に基づくクオータ制」を悪用して、アジア系アメリカ人を締め出していると主張して、司法省に対して調査を要求しています。

大学入試において東洋人が極端な差別を受けているということはすでに周知の事実であり、もう二十年以上前から色々取りざたされてきた。訴訟が起きたのもこれが最初ではない。

カカシ在住のカリフォルニアでは1995年にワード・コネリー氏が主体となって、白人や東洋人が極端に不利になる人種による入試審査アファーマティブアクションを州立大学入試から撤廃する案を推し進めた。これがかの有名な法案209条で、州民投票により58.2%の支持を得て通過した。同様の法案はワシントン州でも通過した。

無論後退派左翼はアファーマティブアクション廃止は人種差別だと言って何度も訴訟を起こしカリフォルニア209条を撤廃しようと躍起になっている。何故人種による差別をしてはいけないという法律が人種差別だということになるのか不思議と言えば不思議だが、後退派左翼の理屈というのは常にこのように矛盾に満ちているのだ。

これについては過去のエントリーに詳しく書いているので下記参照。

東洋人を圧伏するカリフォルニアのアファーマティブアクション


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東洋人差別は人種差別どころか反人種差別と言える最近の後退派左翼

ツイッターで紹介されていたニューヨークタイムスのこのコラム、De Blasio’s Plan for NYC Schools Isn’t Anti-Asian.  It’s Anti-Racist. (デ・ブラジオ市長のニューヨーク市学校の新計画は反アジア人ではない、むしろ反人種差別計画だ。)を読んでぶっとんでしまった。カカシ注:イタリックをクリックすると元記事につながる。コラムの著者はMinh-Ha T. Pham(ミンハ・T・ファム)というベトナム系の学者でアジア系アメリカ人の教育に関する活動をしていると紹介にある。

で、デ・ブラジオ市長が提案している計画とはどういうものなのかというと、NY市のエリート高校八校への入学審査を従来通り単に高校入試統一試験で上位の受験生から選ぶのではなく、合格生徒の20%をNYの恵まれない地域にある中学の生徒のために枠を取るという計画だ。

市長はいずれ入学試験を一切廃止し、600に及ぶ中学から上位の生徒を受け入れる方針を取る意向だ。こうすることによってニューヨークの高校はNY内の住民の人種と階級を忠実に反映する人口分布になると言う。「これは単に良いということではない、これこそ正しいことなのだ!」とファム氏は言う。

「残念なことに」ニューヨークの東洋系父母たちは、これはアジア人差別につながるといって反発しているそうだ。しかしファム氏は、いや、これはアジア人差別ではない、それどころか反人種差別なのだ、と主張する。

市長の計画を実施すれば、高額な塾に通えない労働階級の子供たちをエリート高校へ進学させることが出来るようになる。ファム氏はこれは人種枠を作るいわゆるアファーマティブアクションでもないという。単に様々な背景を持つ学生たちにレベルの高い公立学校へ通わせる機会を与えるものであり、人種とは無関係だというのである。これらの高校は公立であり、ニューヨーク市民の税金で成り立っているのであるから、すべてのニューヨーク市民に使用の権利があるべきなのに、エリート高校に入れるのはNY高校受験生のたったの5%。去年これらの高校に受け入れられたのは600校あるNY中学のうち21校からだけだった。これは明らかに差別だ!というわけだ。

確かに差別は差別だが、それは学力による差別であって、高校入試が学力で受験生を差別するのは当然だろう。学校は水泳プールや図書館ではない。公営ではあるが、成績によって選りすぐられた生徒のみが勉強する機会を与えられている場所だ。中学でサボって勉強せず、試験もひどい点数を取って来た生徒たちに、両親が税金を払ってるから通わせるべきだというのはどう考えてもおかしい。他にいくらも程度にあった高校があるのだから。

ファム氏はこの計画は人種とは無関係だというがとんでもない。先日もハーバード大学が東洋系の学生が増えるのを懸念して東洋系受験生の判定を故意に下げていたことが判明していることでもわかるように、東洋系の家庭は教育に熱心なので子供たちも他の人種に比べて成績が良いというのは周知の事実。試験によって上位者から選べば必ず圧倒的に東洋人の割合が多くなる。だから試験を無視して程度の低い中学からの受験生枠を20%もとれば、そのぶん優秀な東洋人の入れる枠が減るのである。ただでさえ狭き門のエリート校の20%も試験免除組が取ることのどこが公平なのか?

ファム氏は統一試験が一番偏見のない審査だと言っているNY市会議員のPeter Koo(ピーター・クー、多分中国系)氏は間違っているという。試験では学生の学力を正確に審査できないことは数々の調査で証明されており、特に少数派の生徒に不公平であることも解っていると語る。本当に偏見のない審査をするためにはすべての学生が小学校の頃から同じ環境で勉強をしてこなければならないのだと。

ほ~ら来たあ!人種の問題ではないと言っておきながら「試験は少数派(マイノリティー)にとって不公平」と少数派人種を持ち出してくる。アメリカ後退派左翼の言葉使いをご存知ない読者のために説明すると、彼らがいう「マイノリティー」というのは黒人と中南米系人種のことであり、ここでいう少数民族に東洋人やユダヤ系が含まれていないことは言うまでもない。

だいたいアメリカに住む東洋人というのはどういう人種なのか?ファム氏自身がベトナム系なのだからよくわかってるはずだが、先ずベトナム人はボートピープルといってベトナム戦争後に難民として裸一貫でアメリカに渡って来た人々の子孫。一世目は明らかな労働階級でドーナッツ屋さんやったり日雇い労働したりして一生懸命働いて子供を良い学校へ行かせた人々だ。中国系や日系も100年以上昔に移住して最初は鉄道工事や農園で奴隷同然の仕事をしてきて二世代目三世代目の教育に力を注いできた。移民としては歴史の浅い韓国系も、最初は治安の悪い地域で命がけでコンビニ経営したりして、二世代目からは医者や弁護士になれるように教育熱心に頑張って来た人々。

どうして東洋系の子供たちがエリート小学校や塾に行けるのかといえば、それは親がそのぶんものすごい努力をしたからで、決して恵まれた環境にあったからではない。黒人やラテン系だってやろうと思えばできることで、現にそうやって頑張ってる人々はいくらでもいるのだ。

親が教育熱心だということが恵まれた環境だとはいっても、成績を上げるために努力したのは生徒本人たちだろう。そうやってがんばって受験勉強してきた子供たちを差し置いて、小中学校でさぼってきた学生を20%枠で受け入れるということは、結局成績の良い生徒=東洋人を差別することになるではないか。

ところで、ここでは話題にされていないが、ユダヤ系学生についても東洋人と全く同じことが言える。第二次世界大戦前後に移住して来たユダヤ系は皆貧乏だったが教育熱心だった。ミスター苺は1970年代に南カリフォルニアで中学高校に通ったが、当時エリート中高に設けられた英才教育カリキュラム入れた学生はほぼ全員ユダヤ系だった。(この間同窓会に一緒に行ったが、本当にそうだった。)

何故東洋人及びユダヤ人差別は差別ということにならないのだ?いや、ファム氏の言い分だと、むしろ東洋人を差別することこそ反差別だというおかしな理屈になる。

ファム氏のように、自らが東洋系でありながら、後退派左翼に頭が染まって全く論理だった理屈が考えられなくなるというのは非常に悲しいことであるが、日系でも民主党支持は多いから東洋人だから頭がいいとは言えないということだな。


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思想の多様性に敵意丸出しの後退派左翼

8月下旬から始まった移動続きの出張だが、本日四つ目のホテルに移動。今日は花金だし今週末は仕事がないので一足先に週末を始めよう。
昨日9/14日の夜、保守派政治評論家のベン・シャピーロがカリフォルニア州立バークレー大学で演説を行った。実は講演の瀬戸際まで実際に講演が実現するかどうか危ぶまれていた。それというのも、左翼ファシストテロ軍団のアンティファ・ファシスト連中がシャピーロの講演を妨害すべく集まってくることが充分に予測されていたからである。バークレー市は今年初旬にマイロ・イヤナポリスの講演を妨害したアンティファの暴力に対して全くといっていいほど警備を施さなかったことで批判を受けていたこともあり、今回はなんと60万ドルという警備費を投入して厳重な警備にあたった。おかげでシャピーロの講演は無事に行われた。
会場の外では1000人を超す反シャピーロ連中が集まり訳の解らないスローガンを叫び続けていたが、警察は武器を持っている人間や覆面をしている人間を次々と逮捕。法と秩序を守り通した。
保守派演説者を招待すると警備費が嵩むと文句を言ったり批判する前に、事態がここまで悪化する前に何故バークレー市は対策をとらなかったのかを考えるべきである。暴力沙汰を起こしているのは左翼過激派のアンティファ連中ではあるが、その暴力を許容どころか奨励してきた大学側やバークレー市にも多いに非がある。
全国各地のエリート大学が、保守派演説者を招待した学生たちに警備費と称して法外な金額を請求しておきながら、左翼暴徒らの暴力を学校側が全く阻止せず、警察に待機命令を出して、左翼の暴力を奨励している。
アメリカのエリート大学の多くが左翼連中たちに乗っ取られてしまった。大学の職員も教授もほとんどが左翼。1960年代の学生運動で過激派だった奴らが今や教授になってるわけだから、右翼や保守派の意見など最初から聞く耳持たないどころか、そういう意見はどんどん排斥している。そういう連中に育てられた現在の学生たちが左翼以外の言論を暴力で阻止しても良いと考えるのは当然だ。しかもそういう暴力的な行動を学校側が見て見ぬふりをするだけでなく奨励までしているとすれば、ことが激化するのはわかりきっていたことだ。
実は、本日のエントリーはこの間よもぎねこさんが多様性について書いているのを読んで、色々思うことがあったので私もそれについて書いてみようと思ってはじめたのだが、なぜアメリカの大学における保守派思想弾圧が多様性と関係があるのか説明しよう。
後退派左翼連中が言うDiversity(ディバースィティもしくはダイバースィティと発音)訳して多様性とは、思想や文化の多様性のことではない。彼らにとって大事なのは人種や国籍の多様性であり、顔や言葉のアクセントの違いは奨励しても、思想の違いは断固許さない。
この多様性という言葉はちょっと前まで使われていた多文化主義と同じだ。多文化主義は他国の文化を尊重するあまり、自国の文化を虐げるという本性がばれて人々から顰蹙を買うようになったので、後退派左翼は新しく多様性という言葉を使い始めたのである。だがどんな言葉を使おうとやっていることは全く同じだ。
後退派左翼の最終的な目的は共産主義を確立することだ。そのためには既存の自由主義文化を破壊することから始めなければならない。多文化主義だの多様性だのはそのための手段に過ぎないのだ。自国の文化と相いれない異文化の人間を大量に受け入れれば自国の文化は衰退する。それが彼らの目的だ。だから彼らの言う多様性とは決して思想の多様性のことを言うのではない。これらの人々に共通している思想はアメリカ文化の完全破壊にあるのだ。
アメリカは移民の国だと言うのは本当だが、だからといってアメリカ特有の文化がないのかと言えばそれは違う。いや、それどころか、他国からアメリカにやってくる移民のほとんどが、アメリカ特有の文化に魅かれ、その文化に自分もあやかりたいと思ってやってくるのだ。格言うカカシもその一人。私はアメリカに住む日本人で居たいと思ったことはない。私は日本を祖国に持つアメリカ人になりたいと思ってアメリカに移住したのだ。
だから私のような移民こそが、本当の意味でのアメリカ文化を守りたいと思っている。私のような移民は外国から来て外国の文化をアメリカに押し付けようとする奴らにものすごく腹が立つ。そんなに自分の国が良かったなら、なんでアメリカに来たんだよ、国へ帰れ!と言いたい。
多様性を唱える奴らは、このアメリカ独特の文化を破壊し共産主義を確立しようとするファシストたちなのだ。(共産主義もファシズムも同じ穴のむじなだ)彼らは暴力で他思想を弾圧し排斥する。であるから多様性などというきれいごとに騙されてはならないのだ。
ここでひとつ付け加えておく。「多様性」という概念は決してアメリカが生み出したものではない。これは欧米の後退派左翼連中が作り出したものだ。日本の保守派の人々がアメリカを誤解するのは、こういう悪い左翼思想がアメリカの左翼メディアを通して日本のメディアに引き継がれ、そのまま日本で報道されてしまうからだ。人種だけの「多様性」は決してアメリカ文化を代表するものではない。自国の文化を犠牲にして外国文化を取り入れるなどアメリカの精神に反する。
本当の意味での思想の多様性という意味であれば、自由社会ならだれでも奨励する。だが、後退派左翼の「左に倣え」の多様性などくそくらえである。日本がこういう悪い左翼思想に毒されないことを願うものである。


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「人種別卒業式で多様性を祝う」なんじゃそれ?

”Colleges Celebrate Diversity With Separate ‘Commencements’人種別卒業式で多様性を祝うというニューヨークタイムスの見出しを観て、「これって皮肉で書いてるのかな?」と一瞬目を疑った。しかし内容を読む限りNYTはこれは良いことだと思っているらしい。「多様性」と「人種別」という言葉を同じ文章でこのように書けるところがさすが左翼の二重思考。
6月といえばアメリカは卒業シーズン。これまでも黒人学生だけの卒業式を行ってきた大学はあったにはあったが、今年に入って人種別卒業式を大々的に行う大学が一挙に増えた。この間紹介したエバーグリーン大学での黒人学生による白人排斥事件でもわかるように、最近なぜか黒人および有色人種による自発的な人種隔離が流行りだしている。これは非常に由々しきことである。
読者諸氏もアメリカでは1960年代頃までアメリカ南部では白人と黒人を隔離する法律があったことはよくご存知だろう。
マーティン・ルーサー・キング牧師らが筆頭となって起きた市民運動は、まさにこの悪法を撤廃すべき運動であり、その激しい戦いは1954年から1964年公民権法の設立まで続いたのである。多くの黒人および白人の共和党人権派によって撤廃されたこの隔離制度を、なんと現在当の黒人たちが再び復活させようというのだ。彼らには「隔離すれども平等」がどれほど不平等な思想だったかが解っていない。それをやっているのが歴史上人種差別大好きな後退派左翼なのは頷けるが。
大学での人種隔離制度を実行したなら、一番被害を受けるのは黒人・ラテン系生徒たちである。だいたい人種多様な大学で各人種でクラス分けするなど可能なはずはない。それで大きく区分けすれば一方で白人および東洋人その他の少数民族、もう一方で黒人および色の濃いラテン系、といった二つのグループに分かれることが想定される。しかしこれは誰もが知っている事実なのだが、大学は以前にも紹介したアファーマティブアクション(AA)制度を取り入れて学力い黒人やラテン系の生徒を多く取り入れている。AAで入った黒人の入試テスト成績は狭き門を通って入ったトップクラスの東洋人に比べて100点満点で30から40点も違うという事実があるのだ。
ということは、もし黒人およびラテン系のみのクラスが編成されれば、事実上これは大学の落ちこぼればかりのクラスという結果になってしまう。黒人やラテン系でも成績が良く高度の教育を受けたい生徒たちは白人側のクラスを好むだろう。白人側は人種差別の汚名を着たくないのでどんな人種でも受け入れるはずだからだ。
こうなっていったい誰が一番損をするのか、それは落ちこぼれクラスに押し込められた当の黒人やラテン系生徒たちだ。せっかく親に高い授業料払ってもらって有名大学に行かせてもらっているのに、二流の教育しか受けさせてもらえなくなるのだ。低い成績を取ればそれが人種差別だと騒ぎ立てて何も学ばずに卒業証書だけもらってみても、実際に実社会に出た時にそんな似非卒業証書など何の役にも立たない。特に自主的にしろ黒人ラテン隔離クラスに所属していた学生たちは、もうそれだけで企業から敬遠されること間違いなしだ。「隔離すれども平等」なんてことが事実上不可能なのは誰でも承知だからである。
本当の意味での競争を身に付けずに世の中を渡るのに必要な教育も受けずに、君たちは黒人だからラテン系だから特別なんだよ、努力なんかしなくていいんだよ、成功しなかったらそれは白人の人種差別によるもんなんだから、と言われたことを鵜呑みにして、いったいどんな社会人になれるというのだろうか?
人種隔離制度は邪悪な制度だった。そして今もその邪悪性は変わっていない。
こういうことになったのも、アメリカの大学が黒人・ラテン系生徒を存分甘やかしてきたのが原因である。迷惑なのは若者たちだ。


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白人をキャンパスから追い出す日に抗議した教授吊し上げにあう(アップデートあり!)

アップデートあり:
先日、ワシントン州にあるエバーグリーン州立大学において、黒人を中心に有色人種の生徒たちが「白人が居ない日」という催しを決行し、退席を拒んで授業を続行した白人教授が暴力的な生徒たちから吊し上げを食うという事件が発生した。
エバーグリーン大学では1970年代から「黒人の居ない日」という催しが年に一回行われてきた。これは70年代に書かれた戯曲から原点を発しているとかで、黒人が世の中にどれだけ貢献しているかを白人に認識させるための、いわゆるストライキ運動が始まりだった。最近では黒人だけでなく、他の有色人種もこのストライキに参加していた。ところが今年から学生たちは趣向を変えて、有色人種が欠席するのではなく、生徒及び教授や事務職員に至るまで白人たちを一日学校から追い出すことを提案した。
これに異論を唱えたのが生物学のブレット・ウエインスタイン教授。自発的に欠席するのと他人の退席を強制するのとではまるで意味が違う。前者は弾圧に対する抗議であるが、後者は弾圧そのものだ。どんなグループも他のグループを追い出すべきではないし、出ていかない人々を悪者扱いすべきではない。大学構内において個人の権利はその個人の人種によって決められるものであってはならない。また特定の人種が他の人種を標的にするのは不適切である。私はその日も学校へ来るつもりなのであしからず。教授はそのような内容のメールを学校側と生徒会の双方に送った。
さて、一か月後「白人の居ない日」の当日、その日も教授はいつも通りに出勤して講義を始めた。すると数分もしないうちに教室の外に百人近い生徒たちが集まり大声で「ウエインスタイン出てけ」「ウエインスタインは辞任しろ」と騒ぎ始めた。なんだろうと教室の外に出た教授を待ち受けていたのは怒り狂った生徒たち。添付したサイトにその時の模様の映った動画がある。言葉はわからなくても、教授が冷静に生徒たちと会話を交わそうとしているのに生徒たちが怒って怒鳴っているのがわかるはず。生徒たちはバリバリなリベラルで自称「革新派」のウエインスタイン教授を「レイシスト!」と罵っているのだ。人種によって他人を差別してはいけないという教授がレイシストということになるんだから、まったく後退派左翼のやることは本末転倒。
誰かが警察を呼んだが、学校経営者側は構内警察に何もしないように支持。教授は身の危険を感じてその後数日学校に行かれなかったという。
教授はデイブ・ルーベンとのインタビューで、左翼生徒は普段ならリベラル革新派として左翼の味方であるはずの副学長や教授や警察署長がレイシストの汚名を着せられたのは偶然ではないと語る。後退派左翼連中は本来ならば味方であるほど意見が近い人々の、ほんのちょっとの意見の違いを取り上げて激しく非難することによって、どのような異見も許さないというファシスト的姿勢を明確にしているのである。
保守や右翼よりも、革新派やリベラルたちを恐怖におののかせ、少しなりとも他の考えを持つことを断固禁止する。これこそファシストの道である。宗派の違うモスレム同士の殺し合いの方が異宗教徒への暴力よりずっと激しいのとまったく同じ理屈だ。
大学キャンパスは本当に安全地帯からどんどん遠のいていく。
アップデート! 6/2/2017現在
エバーグリーン大学は大学への脅迫があったとして
本日木曜日突然閉鎖された
。警察はこれがどのような脅迫であったのか詳細は述べていない。


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マイロ・イヤナポリスを弁護する意外な人々

ちょっと最近私はマイロ・イヤナポリスに執着しているように思われるかもしれないが、彼に起きたことをきちんと理解するのは言論の自由こそが人類にとって一番大切な人権だと思うカカシとしては、言論の自由のチャンピオンを買って出たマイロを決して沈黙させてはならないと考える。
マイロについては左翼も右翼も色々なことを書いたり話したりしているが、どれもこれも表面的な批判だけ。もっと理解力があると思っていた人々が彼を完全に誤解していて、マイロに同情的な人々でさえも、彼の本質をしっかり理解できていないということを知って非常に残念に思っている。

私はとっても悲しい。これまで私自身が右翼保守だと思っていたのに、とっても失望している。

何で事の真相がはっきりしないうちからマイロが幼児虐待者だと決め付けるのだ?彼の釈明に少しは耳を傾けてやれよ。昔のビデオや音声なんてどんなふうにも編集できるではないか、全体を聴いて本当に彼が幼児性虐待を奨励しているという証拠があるなら別。でも単にテープの一部だけ切り取って継ぎ接ぎに編集した音声だけで、これまでのマイロのジャーナリストとしての功績を一切無視してしまうのか?
それが右翼保守のやることなのか?

というのが私の事件直後の感想だが、最近になってマイロを弁護している二人のブロガーをマイロが自分のフェイスブックで紹介していたので読んでみた。特にこのレイチェル・フルトン・ブラウン教授(シカゴ大学歴史学教授)の洞察力はすごいなと感心した。、
マイロ同様、ブラウン女史もカトリック教徒で、去年の9月頃からマイロのファンになった。彼女曰く、マイロは道化師なのだ。この道化師というのはシェークスピアのリア王に出てくるようなピエロのこと。誰もが自分の社会的立場を失うのを恐れて思っていても言えないことを、王様のお墨付き道化師は遠慮もなく口にして笑い飛ばす。道化師だけが王の怒りを恐れずに真実を述べられるのだ。
多くの宗教保守はずっと左翼リベラルの笑いの種にされてきたが、クリスチャンだから反撃できないでいた。それをマイロは遠慮なくSJW(社会正義戦士と名乗る左翼連中)をおちょくって笑い飛ばした。フェミニストも、ゲイも、トランスジェンダーも、同じようにおちょくって、人々にSJWを笑ってもいいんだよと許可を与えてくれたのだ。
同時にマイロは犠牲者精神を完全に拒絶する。彼は本当の弱者は守るが、犠牲者気取りで、弱さを武器に他人をコントロールしようとする人間を嫌うのだ。しかしクリスチャンだからそうした犠牲者への攻撃は武力ではなく笑いで反撃する。だからこそ彼は自分の性虐待という被害に対してすらも、笑い飛ばして冗談にして反撃したのだ。そのことを道徳的に自分は崇高だと思い込んでるステファン・マリノーなどは理解できないのだ
マイロは道化師だから左翼とともに右翼や保守派もおちょくる。彼のどうみてもオネエな身振りや、敬虔なクリスチャンならとても口に出来ないような汚い性的な言葉使いは、とうてい右翼保守が浮け入れられるものではない。こんな下品な奴に保守派の代表みたいな顔をされたくないと忌々しく思っていた右翼保守は多かったはずだ。
右翼保守のナショナルレビューの社説より。

保守派の間では右系のハエが飛び回る度に声援を送るのが流行っているが、「アラシ」は保守派ではない。単に大学の民主党を怒らせることに価値はない。保守派のなかには常に左翼扇動者と戦っている立派な人格を持ち、落ち着いて気の効いたことを元気よく言える人たちがいくらでもいる。

つまり、右翼保守体制派はマイロの演説の内容より、その話方が気に入らないというのである。もっとお行儀よく威厳のある演説をやれというのだ。は!自分たちと違うスタイルの人間は受け入れないというのであれば、左翼連中のやっていることとどう違うというのだ?
こういうふうだから今回マイロに起きたことが右翼保守による計画的な政治的暗殺だったというのも納得がいく。
ブラウン女史はマイロは政治家ではなく、文化人なのだという。マイロにとって大切なのは西洋文明を守ること、本当の意味での正義を守ること、そして常に真実を述べることにある。だから、今回のことで彼がジャーナリストとしてのキャリアを引退し、今後はエンターテイナーとして生きていくと決めたことは良い結果になったと彼女は言う。
マイロを才能あるエンターテイナーとして認めているのがこの二つ目のブログ。自称アルト・ライト白人国粋主義のスペンサー・グイン。

マイロは素晴らしいドラマを作り出す。彼はともかく見ていて面白い。これは蔑みではない。 人々を楽しませることができるというのは授かり物であり、とても必要なものだ。マイロを愛いすも嫌うも、マイロはニュースを楽しくするだけでなく、興奮させてくれる。何百万という人たちが彼が次に何をするのか楽しみにしている。メディアに生きるものにとって、とてもよい商売だ。それに彼の格好は決まっている。あのおどけた金髪の髪型、奇抜な洋服、まるでデイビッド・ボウイかマドンナかといった感じだ。実際彼は劇画のヒーローか何かで物語りの展開を見ているようだ。先ず第一幕は毒舌で衝撃的な人物として颯爽と登場。第二幕は文化戦士として毎日のように活躍。第三幕は右から見放され左から毛嫌いされる。今我々は第四幕の彼の崩壊を見ている。次の幕は上がるのだろうか?マイロはこの危機を乗り越えられるのだろうか?

グインもブラウン女史同様、左翼がマイロを嫌悪するのはともかくとして、右翼保守がマイロを受け入れられないことや、リバタリアンのアルト・ライトのなかでもマイロを見放す人々が居る現象について語っている。グインもまた、一時はマイロの味方だったはずのステファン・マリノーのビデオについて、

42分間に渡るマリノーのマイロに関する話を観ていて、リバタリアン派のアルト・ライトもマイロの弁護には消極的だということははっきりした。これは残念なことだ。マイロにとっては痛手だ。

カカシもマリノーのビデオは半分くらい観たが、要するにマリノーはマイロが幼児性虐待に関して軽々しく物を言いすぎるということが気に入らないらしい。だが、自分には聞くに堪えない発言を守ってこそ言論の自由は守れるのだと、マリノーは普段から言っていたのではないのか?だからこそ一般人が口ごもるようなことを平気で言うマイロを支持していたのでは?
グインはアルト・ライトがマイロを躍起になって責めてはいないものの、積極的に弁護もしていない理由はわかるとしながら、それでもマイロはアルト・ライトにとって強い味方になりうると語る。
先ず第一に、グインはマイロがアルト・ライトに損害を与えるとは思えないと語る。彼自身自分はアルト・ライトだとは言ってないし、自分らも彼を同胞として受け入れる気はない。アルト・ライトの回りで活躍しているマイロが自分の性嗜好について何を言おうとアルト・ライトには関係がない。だったら左翼との戦いに有効なマイロを味方につけることに何の損があるというのか?
グインに言わせるとアルト・ライトではないが、左翼と戦っている他の人々のことを考えてみても、マイロほど効果のある人物はない。カカシも時々紹介しているロバート・スペンサー、パメラ・ゲラー、ミッセル・モルキンといった保守派もがんばって入るが、マイロほどのスターではない。
それにマイロとアルト・ライトを一緒くたにしてアルト・ライトを責めるような人間は、もともとアルト・ライトのことなど支持していない連中だ。マイロが居なくても別のことでアルト・ライトを責めていただろう。
右翼にとってマイロが味方についていた方が心強い。もしマイロが右翼からの攻撃に嫌気が差して敵に回ったらどうする?それこそマイロは手ごわい敵になってしまうだろう。マリノーは左翼のリナ・ダナムが自分の妹が子供の頃に性的虐待をしたことを平気で自分の自叙伝に書いていたことと比べて、確かにマイロはダナムに比べたら雲泥の差があるが、だからと言ってマイロの言動が許されるわけではないと語る。
だが、グインはそれに同意できないという。我々は戦争中なのだ。左翼との戦いに勝つためには、味方の些細な落ち度をいちいち重箱の隅をつっつくように攻め立てている余裕はない。マイロは自分の体験を軽々しく語ったかもしれないが、彼が実際に子供を虐待したという証拠があるわけでもなく、幼時と大人の性行為を奨励するNAMBLAなどという団体を支持しているわけでもない。
公開された音声についてグインとカカシの解釈は全く同一だ。つまり、マイロのキャラは人々が衝撃を受けるようなことを言うことにあるので、次から次へとショッキングな供述をしているうちに危険な境界に入ってしまったのだ。マイロが自分が13歳の時に自分を性的に虐待した神父のことを「オーラルセックスがうまくなったのも、マイケル神父のおかげだ」などと口走ったりしたのも、実際にマイロがそう思っていたからではなく、聞いている人々に衝撃を与えることが目的だった。それは文字通りに真に受けるべきではないのだ。
ブラウン女史もグインもマイロのそういう危険すれすれのユーモアを理解している。
カカシが残念に思っているのは、私が今まで頭がいいと思っていた右翼保守の人々の多くが、マイロの危険すれすれユーモアを全く理解できなかったということにある。ステファン・マリノーなどはその口だ。もっとも多くの人々が最初から忌々しい目の上のたんこぶだったマイロを破壊する絶好の機会とばかりに積極的に誤解することを選んだのも事実だが。
グインは最後にマイロは根本的に善良な人だと思うという。グインは以前にマイロがどこかの大学で演説した時、保守派の男子学生が大学構内の左翼とどのように戦ったらいいのかと質問した際、マイロはためらわず即座に、最大の復讐は、ちゃんと勉強してよい仕事につき、お金を儲けて美人の奥さんをもらい、たくさん子供を作って幸せになることだと語ったという。グインはそれを聴いて涙が出るほど感激した。
確かにマイロ自身は右翼や保守派の鏡ではないかもしれない。だがこれはマイロ個人の問題ではない。これは文明社会をどうするかという問題なのだ。そしてマイロは文明社会を守る強い味方なのだ。
ブラウン女史もグインもそういう意味でマイロを応援している。
そしてカカシも。
早くマイロには立ち直ってもらって、また前のように元気に活躍してもらいたいと思う。マイロは本当の意味での文明社会正義の味方なのだから。


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激化する左翼過激派の暴力、奨励する左翼メディアと馬鹿芸能人たち

先日のカリフォルニア州立大学バークレー校で起きた暴動事件は日本のメディアも報道するほど話題になったようだ。下記はよもぎねこさん紹介の朝日新聞の記事より。

反トランプデモが暴徒化、米大学閉鎖 講演会場に花火も

ロサンゼルス=平山亜理
2017年2月3日00時50分
 米カリフォルニア州にあるカリフォルニア大学バークリー校で1日、トランプ大統領を支持する英国人コメンテーターが講演することに反対する若者たちのデモが暴徒化し、大学が閉鎖された。米CNNなどが伝えた。
 講演する予定だったのは、保守的なニュースサイト「ブライトバート・ニュース」のミロ・イアノポウロス氏(カカシ注:カカシが「マイロ・イヤナポリス」とカタカナ表記してきたMilo Yiannopoulosのこと。実際には「マイロ・ヤナーポリス」というふうに聞こえる)。数千人が集まったデモは、当初は平和的だった。ところが黒装束姿の数十人が加わり、講演会場に
花火などを投げつけたり、窓ガラスを割ったりした。講演は中止された。
 トランプ氏は2日、「カリフォルニア大バークリー校が言論の自由を許さず、異なる意見をもつ無実な人に暴力をふるうなら、連邦政府の資金を打ち切ろうか?」とツイッターに書き込み、デモを批判した。(ロサンゼルス=平山亜理)

マイロ大嫌いなベン・シャピーロに言わせると、この暴動はマイロの名前を広く知らしめることになり、今までマイロなんて聞いたこともなかった人に彼の新しい本の宣伝をするようなものだ。もし暴動主催者の意図がマイロを黙らせることにあったとしたら、これは全くの逆効果になっただろう。民主党のリベラル評論家のロバート・ライシュなどはこの暴動はアルタナライトの陰謀だとまで言ってるくらいだ。
さて英字のハフポの記者が現場に居たということで、現場からの報道という記事があった。
記者によると最初や平和的に大学の生徒たちが抗議に何百人か集まっていただけだったのが、講演が近づくにつれ黒装束に暴徒が集まり始めた。彼らは花火を警官に投げつけたり校舎に突進したりしはじめた。騒ぎが始まって20分くらいしてから警察は群集に解散するよう呼びかけた。スプロールプラザ広場で火事が起きたが、警察は消防署を呼ばなかったという。消防隊には危険な状況だったからというのがその理由。
この記者の報告で非常に興味があるのが、この記者がバークレー市警察及びバークレー大学警察が抗議者らに対して見せた自制に感動したとあることだ。やたらに必要以上の応戦をして事が荒立つのを防いだのは懸命だったというもの。荒立つのを防ぐもなにも事はすでに手がつけられないほど荒立っていたのだ。それというのも警察の見せた「自制」というより無行動のおかげだ。
さて、この暴動について左翼リベラルのラジオトークショー、リチャード・ファウラーは、マイロには全く同意できないが、マイロには演説をする権利があるのであり、あのような暴動は許されるべきではないと語った。そしてあのような行動に出た暴徒らは左翼リベラルを代表しないとも語った。残念ながらこういう意見の人は左翼リベラルのなかでは少数意見である。
しかしここで私がちょっと気になったのは、ファウラーがアルタナライトは白人至上主義の別名だと断言し、同席していたベン・シャピーロがそれに異論を唱えなかったことだ。無論シャピーロも常々アルタナライトは白人至上主義だと言い張っているから当然といえば当然だが。
この状況に対してトランプ大統領は、UCバークレーは連邦政府管轄化にある公立大学なので、憲法を守れないなら連邦政府からの支援金は差し止めるべきかもしれないというツイートをしたことに対し、ファウラーは暴動は大学の責任ではないと主張した。
それについてベン・シャピーロは、ナチスを殴っても言いということから始まって、自分と同意出来ない人間はすべてナチだとなり、だから異見者は殴っていいという理屈になってしまうとしたうえで、学校側がすべきことをしなかったことが問題だと指摘した。
噂によるとマイロを招待した大学の共和党学生たちは警備のために6千ドルからを支払ったという。ところが警察は確かに配置されていたとはいうものの、1000人を超す抗議者たちを扱うには全く不十分な少人数で、会場の前にいちおう鉄のガードレールを置いたりはしていたが、抗議者が演説参加者に物を投げたりこぶしを奮ったりしても彼らをすぐに制止するなどと言う行為には全く出なかった。
シャピーロは大学側が警察に何もするなと命令していたのではないかという。実はこういうことがおきたのは今回が初めてではない。シャピーロの演説もマイロの演説も他の大学で警備が必要だといわれて他の演説者よりも多くの警備費用を負担したにも関わらず、配備された警察官は抗議者が講壇に登ってマイクを取り上げたり演説者になぐりかかったりするのを黙ってみているなどということが何度も起きているのである。
大学側はトランプ大統領がいうような支援金の削除といった憂き目には合いたくない。だから自分らが受け入れ難い保守派の演説者でも建前上は招待を拒むわけには行かない。それで、一応は招待は許可するが、主催者に法外な警備費用を押し付けたり、それでも相手が怯まなければ警備費を取っておいてわざと抗議者を煽っておいて警備を完全に怠るというやり方で保守派意見を弾圧するのである。
実は皮肉なことにUCバークレーは以前に「言論の自由」活動が起きた大学だった。UCバークレーでは1966年にも学生ヒッピーたちによる暴動が起きたことがあった。その時は時の共和党知事が強硬な手に出て暴動を鎮圧した。その知事とは後にアメリカ大統領になったロナルド・レーガンその人だった。
その時のビデオはこちら。 
レーガン知事は3000人を超す学生たちが騒ぎ始め、地元警察の手に負えなくなると緊急事態指定をしカリフォルニア州軍を出動させた。皮肉なことにこの州軍にはデモに参加していたバークレー校の学生も混じっていたそうだ。ビデオのなかで知事の強行な手段に抗議する大学側の職員たちの姿が写っているが、レーガン知事は「何日も、生徒たちが脅迫していたのに、君らはなにもしないでいた。」と責めると、「我々は生徒たちと話し合いをしてきた、、」と職員。「話し合うことなど何があるというのだ!れっきとした大人の君たちがだらしないからこういうことになったんだろうが」と言う意味のことを言って立ち上がった。
元ヒッピーのジェリー・ブラウン(民主党)現知事にはこんな勇気も意志もない。なにせブラウン知事は学生や暴徒と同意見なんだから、暴徒が取り締まわれるわけがないのだ。ことが劇化したなら、本当にトランプ大統領によって州軍を出動してもらうことになるかもしれない。まったく困ったものだ。


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左翼過激派による暴力激化、マイロの演説でバークレー大学暴動

昨日も書いたように、最近左翼過激派による暴力行為が頻発している。昨晩アルタナライトの王子様ともいうべきマイロ・イヤナポリスがカリフォルニア州立大学バークレー校において前売り券売り切れの演説をする予定だったのが、現れた反マイロ抗議者百人以上に混じって黒装束にスキーマスクをつけた暴徒らが花火やレンガを警備員に投げつけたり鉄棒で参加者の殴りかかったりマイロファンの女性たちにペパースプレーをかけるなどの暴力行為に出た。暴動は会場前の出入り口のみならず近所にあった銀行のATMが壊されるなど、手のつけられない状況となったため演説はキャンセルされた。
ここでも何度か紹介しているが、保守派の演説者による講演が暴力的な抗議デモで阻止されたのはこれが初めてではないし、また特に今始まったわけでもない。だが、一年くらい前からこの傾向はかなり激化しており、阻止される演説者の数も増えてきた。
マイロやベン・シャピーロなどは過激派が邪魔するリストのナンバー1と2かもしれないが、他にも旧フェミニストのクリスティーナ・ホフソマーズやゲイ活動家でトークショーホストのデイブ・ルービンや哲学者のピーター・ボゴシアン教授(Christina Hoff Sommers, Dave Rubin, and philosophy professor Peter Boghossian)など、保守派でなくても充分に左翼思われない演説者はやはり同じような目にあっている。
最近、対ファシストという意味でアンティファと名乗る非常に暴力的な過激派グループが台頭しており彼らはブラックブロックという黒装束でスキーマスクという忍者みたいな格好で現れ暴れまくる。彼らはシャピーロがスノーフレーク(雪片)と馬鹿にしていた傷つきやすい左翼リベラル連中とは違ってブラックライブスマターやモスレム野蛮人のように非常に暴力的で危険な奴らである。異見者は暴力で黙らせるというそのやり方はモスレムそっくり。黒装束に隠れてモスレムテロリストが混ざっていたとしても不思議ではない。無論こいつらはおよそアンチファシストなどではない。
シャピーロは長年に渡る大学での左翼教育がこうしたキャンパスファシズムを生み出したのだという。
教授たちは生徒たちには「安全地帯」といって自分の考えに挑戦する考えを聞かなくてもいい場所が必要だと教えた。微細な攻撃には過大な反撃が必要だと教えてきた。それはどんな言論であろうとも自分を傷つけるものは暴力なのであり、暴力には暴力で対応すべきだというふうに生徒たちには理解されてしまったのだ。
私は左翼連中によるこの安易な言葉の定義拡大や縮小に非常な脅威を感じていた。また、彼らは敵側が使う言葉を奪い取って全く違う意味で使って言葉を無意味にする方法も良く使ってきた。これについて私は以前にも話したことがある。
たとえば単なる性的なからかいをハラスメントもしくはレイプなどと呼ぶ。つまり、道を歩いていて可愛い子に男たちが「お姉ちゃん、かわいいねえ」とからかう行為をハラスメントと呼び、デートでお互い納得してセックスしたのに後で後悔した女性が「レイプ!」と叫ぶなどがそれだ。マイロやシャピーロの演説を聴いて反感を持った学生たちは「保守派に攻撃を受けた」と言い張る。言葉は「暴力だ!」と言い張る。だったら言葉の「暴力」に本当の暴力で反撃して何が悪い!という理屈になるのである。
問題なのは、本来ならば若い学生たちのこうした短期な行動を大人のリベラル達が諌める(いさめる)べきなのに、彼らまでが一緒になって若者をたきつけているのだから始末が悪い。下記は大人であるはずのリベラル連中からのツイート。
ハリウッド映画監督ジャッド・アパトウ、「こんなの序の口だ。何時になったら未だにトランプを支持している奴らは何がかかっているかがわかるのだ?」
バークレー市のアレグイン市長「言論をつかって人々を差別し偏狭を促進することは許されない。ヘイトスピーチは我が市では歓迎されない。」
ハリウッドやリベラル政治家らによってこうした暴力行為が奨励されれば、暴力行為は激化する一方だろう。そしてそんな行為が誰のためになるのかといえば、馬鹿左翼はわかっていないが、トランプ政権そのものだ。
暴力行為は明らかな違法行為である。違法行為は取り締まりがやりやすい。なぜなら新しく法律を通したりしなくても既存の法律を施行すればいいだけの話だからである。左翼過激派が本当に独裁政権を恐れているのなら時期尚早な攻撃は命とりである。なぜならもしトランプが本当の独裁者なら治安維持を理由に左翼活動家の運動を厳しく取り締まる口実を作ってしまうからだ。自分らの普通の生活をやたらにデモだ暴動だで邪魔される普通の国民はトランプ大統領の法と秩序を歓迎するだろう。
ファシズムでないものをファシズムと呼び、そうでない人々をレイシストだホモフォブだ外国人疎外者だといい続ければ人々はいい加減に堪忍袋の緒が切れる。それでこれまでは移民にしろリベラルにしろ同情的だった人々の感情すらも逆撫でしてしまうのだ。もしトランプが本当の独裁者なら、こんな格好な口実はない。
左翼リベラルエリートたちが馬鹿過激派の暴力を奨励していると、必ずや自分らの党が危機に陥る結果となる。それでいいならどんどんやって頂戴よと私は言いたい。こんなデモでマイロやシャピーロや多の保守派演説家が痛手を受けるかといえばとんでもない。敵側に騒がれれば騒がれるほど彼らの言論が正当化され彼らの人気が上がるのである。
それでいいならどんどんやってよね。ただ地元のカカシは充分の身辺の安全に気をつける必要があるが、、


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