WOKEお目覚め文化に反旗を翻したサンフランシスコの東洋系市民たち

アメリカでもWOKE(ウォーク)というお目覚め文化の首都といえばサンフランシスコだが、最近サンフランシスコの教育委員会役員たちが次々にリコールの対象になっているというウォールストリートジャーナルの記事を見つけたので読んでみる。著者はウィリアム・マックグイン(William McGurn)。

サンフランシスコといえばアメリカでも特に左翼リベラルの都市なのだが、最近、義務教育世代の子供を持つ父母たち、とくに東洋系の間で、このウォーク思想に反発する動きが顕著になってきた。

ウォークとはなんでもかんでも人種によって社会の階級が決まるという思想。常に白人が弾圧者でありその他の人種は被弾圧者となる。しかし東洋系は被弾圧者のカテゴリーに入るはずなのに、東洋系生徒たちの学力は白人平均を超える。差別をなくすために学力主義制度を廃止しようという動きで一番迷惑を被るのは白人ではなく東洋系生徒ということになる。

東洋系はリベラルな人が多いが、直接自分たちに影響があることが解って、この平等だの多様性だとのいったきれいごとが実は単なる東洋人差別になっていると気が付き始めたようだ。

そこでサンフランシスコの父母たちは市の教育委員会のガブリエラ・ロペズ会長とファウガ・モリガ副会長とアリソン・M・コリンズ委員をリコール対象にし、リコール選挙のための署名集めを始めた。締め切りは9月7日だがすでに半分以上の署名が集まっている。世論調査によると、なんと69%のサンフランシスコ保護者たちがリコールを支持しているという。

ことの起こりは、今年初め、サンフランシスコのエリート高校ローウェル高校の入学資格を、少数民族の数を増やすという理由で、これまでの成績順ではなくくじ引きで決めることにするという政策を教育委員会が打ち出したこと。だがローウェル校の生徒はすでに80%が非白人。だがウォークとって東洋系は少数民族には含まれない。東洋系が優秀なのは組織的人種差別の表れだということになるようだ。

アジアンアメリカンリーガルファウンデーション代表リー・チェング氏は最近とみに増えている対東洋人暴力とも掛け合わせて「街のチンピラと教育委員会とは共通点が多くある。どちらも人種差別者だ。ただ片方はちょっと身なりがいいだけ」と皮肉たっぷり。

リコールの対象となってる三人はどれも学力主義制度に反対票を投じ、学力重視は基本的に人種差別だと言い張る。コリンズに関しては以前にもお話したように、東洋系へのひどい人種差別ツイートが暴露され副会長の座を追われた人物。しかしまだ一応委員会のメンバーとして居座り、委員会相手に8700万ドルの損害賠償を求めて訴訟をおこしたりしているふてぶてしい奴。

インド系弁護士のハミール・ディリオン氏はアジア系アメリカ人は教育委員会を相手どって訴訟を起こす覚悟があると14ページにわたる声明文を委員会に送った。同じような訴訟はすでにバージニアのフェアファックス市で起きている。東洋と一口にいっても中国・韓国・日本のみならず東南アジアやインドも含まれる。特にインド系生徒たちの成績は非常によく、年収もインド系がどの人種よりも高いことは有名である。

マックグインも指摘しているが、SF教育委員会は黒人やラテン系の生徒達をより多くエリート高校に入学させるために、いかにして彼らの学力を上げるかという努力をせずに、単に学力のある他の人種から席を奪おうという単純な方法しか考えていない。学力が追いつかないのにくじ引きや下駄を履かされてエリート高校になど入ったら、入った本人の方が苦労するだけで結局落ちこぼれてしまうのがオチだ。入学してからも成績に下駄を履かすなら、今度は大学入試に失敗するだろうし、ここでもまたアファーマティブアクションで黒人やラテン系が優遇されるという悪循環を生む。

アメリカではなぜか東洋人への差別だけは許されている。前期のディリオン氏はこの風潮は止めさせなければならないと語る。

ウォーク連中は反人種差別者だと言い張るが、彼らこそ人種に拘るグループもない。加えて彼らのいうマイノリティー(少数民族)には注意書きがあり、東洋系やユダヤ系は含まれない。結局ウォークの言うマイノリティーとは黒人と一部のラテン系だけだ。(同じラテン系でもキューバ系が含まれるかどうか疑問)

この何かと黒人を甘やかす風潮は決して黒人のためにならない。

東洋系アメリカ人は民主党支持が多いのだが、これを機に、批判的人種理論を推し進める民主党は決して東洋系の味方ではないということに早くきがついてほしいものだ。


Comment

批判的人種理論はアメリカの義務教育で教えられていないという嘘

今日ニュースフィードに上がって来た記事で、多くの州で次々に批判的人種理論(CRT)を義務教育で教えるのを禁止するという法律が通っているが、保守派の政治家や父母たちが騒ぐほどCRTは社会に浸透していないだけでなく、義務教育で教えている学校など存在しないという内容の記事を読んだ。記事の著者はこのバックラッシュは単なる保守派の過剰反応であり被害妄想で、現実とは全く異なるものだ、リベラルは真面目にとりあうべきではないと締めくくっていた。

なんか胡散臭い記事だなと思いながら読んでいたが、リンクのURLを保存する前に誤って閉じてしまい、後で色々探したていたら、なんとCRTは学校で強制的に教えられているなどという事実はないという記事が続々と出て来た。どうして急に示し合わせたよう同じような記事があちこちから出て来たのだろう。しかもその内容がマニュアルでもあるかのように同じなのいである。

アメリカの公共放送NPRは「バージニアの学校で間違ったCRT説に反感が集まる」と言う見出しでCRTは1970年代にハーバード法律学校で組織的人種差別の理解を促進するために生まれたとし、ラウダン郡公立学校教育委員会(LCPS)の委員の言葉を借りて、CRTを義務教育で教えているなどということは「恐怖を煽って白人のもろさを誘う無知なデマである」としている。同委員会のスコット・ズィーグラー委員長はCRTはを教えない教師が罰せられたり解雇されたなどというのはSNSで広まったデマであり真実ではないと主張している。

NPRはまたジョシュア・コールというバージニアの教育大学の重役の言葉を借りて、CRTは世界をどういう見解でみるかという論理であり、特別に教えているわけではないと言っている。

ポリティファクトでも話が大袈裟になっているとし、ほとんどの教師たちはCRTについて詳しい指導など受けていないという内容の記事を掲載。NBCのチャック・トッドもCRTが問題になっているということ自体が創作だと断言した。

MSNBCの司会者ジョイ・リードはCRTが学校で子供たちに教えられているという記事を多く書いているクリストファー・ルフォにインタビューしておきながら、ルフォにはひとこともしゃべらせず、「そんなバカげた嘘をつく人に答えさせるわけにはいきません」と言い切った。(だったらなんで番組に呼ぶんだよ。)

いったいどうなっているのだ?CRTは左翼にとって大事な理論ではないのか、どうしてそれが義務教育で教えられているという事実をこうも躍起になって否定する必要があるのだ?教育委員会に苦情を述べた父母たちは間違っているのか?本当にCRTは学校で教えられていないのか?

The lady doth protest too much, methinks.. (思うに彼女は抗議しすぎじゃないか?―ハムレット)

左翼が何かを必死になって否定するとき、真実はそこにあると考えるのが妥当だ。去年の夏中全国各地で起きたBLM暴動を「概ね平和的な抗議運動」と言ってみたり、ANTIFAは単なる概念でありそんな集団は存在しないと言ってみたり、彼らはなんとかして真実を人々から隠そうとする。だが彼らが躍起になればなるほど、真実はその正反対であり、非常に危険な状況にあると考えるべきだなのだ。

CRTは1970年に1960年代の公民権運動の後、批判的法律学と過激派フェミニズムから生まれたとされているが、実はこれは1930年代のドイツで始まった批判的理論というマルクス主義とフロディアン思想に深く影響を受けた運動が始まりである。

2001年に出版されたRichard Delgadoと Jean Stefancic著のCritical Race Theory: An Introduction(批判的人種理論入門)のなかで著者はCRTについて「活動家や学者が人種及び人種差別や権力の関係を改造するための運動を集めたもの」と説明している。そしてこの運動はLGBTやラテン系や東洋系など様々な人種の人権運動へと広がっていった。

そして無論CRTは小学校や中学校の教師たちに、多様性トレーニングという名目で長年教えられてきたのだ。教師たちがそういう訓練を受けているのに、それが子供たちの教育に影響を及ぼさないはずがない。ジョイ・リードなどが義務教育でCRTが教えられていないと主張するとき、ハーバード法律大学の講義で学ぶようなCRTという哲学を研究するような教え方はされていないというだけであって、その内容は子供にわかるように平たく教えられている。CRTという名前の授業がないからCRTは教えられていないなどというのは詭弁である。

義務教育でCRTという名前の授業はないかもしれない。だが、CRTはあらゆる分野に影響を及ぼしている。例えば、人種差別は組織的であり故意に行われると言う思想。

CRT入門によれば、「人種差別は普通であり例外ではなく(略)社会の普通に機能するやり方である」とある。人々が認める認めないにかかわらず人種差別はいたるところに存在し、特に法律は「白人至上主義」「白人特権」もしくは「白さと言う所有権」によって構成されている。白人が人種差別をなくそうとするのは、白人が利益を得られる時だけであると教える。

メイン州のとある教育委員会が生徒の父母たちに送った手紙には、「白人至上主義が継続的に強調される文化において、正裁が行われる唯一の方法は社会の隅々にまではびこる反黒人主義に立ち向かい修繕することだ、そしてそれは家庭、学校、職場、近所付き合い、宗教の場そして政府と言った場所で行われなければならない」とあった。

サンディエゴの教育委員会は多様性教育を必須課目とし「人種学」を取り入れ人種間の問題に焦点をあて、宿題を期限通りに提出する義務を失くすとした。教科書の一部には「アメリカの学校は黒人の子供たちの精神殺害の罪を犯している」とまで記述されている。同学校区は「反人種差別区」を目指すとのことだ。

インターセクショナリティー(Intersectionality)というのもCRTの一部である。これは人々のアイデンティティーが人種、性別、性自認、言葉、民族、そして宗教によって決まるという思想で、人々がこれらのどれに当てはまるかによって優越の順位がつけられている。例えば白人ヘテロ男性は「特権階級最上位」とみなされるので左翼の世界では最低の位置。黒人女性でノンバイナリーなんて言えば被差別で一番弾圧されているから左翼の世界では最上位。いや、一番は黒人トランス女性かな? 

クパーションの小学校三年生は自分の人種や性指向を吟味して自分が「権力と特権」階級のどの位置に属するかを解明するなどという授業を受けさせられている。

なるほど、これでは中学や高校で自分のことをノンバイナリーとかクィアーとかいう生徒たちが続出するわけだ。普通に白人学生だったら何も良いことがない。インター、、で上位になるためには、なにかしら被差別の要素を持っている必要があるからだ。

ブラックライブスマター(BLM)もCRTの思想に深く影響を受けたマルクス主義思想だが、これもまた多々の教育委員会や市民団体が義務教育で熱心に教えている。

そして最後にアクティビズム(Activism)これは活動主義とでも訳すのだろうか。CRTは単なる概念ではない、活動を通して既存の文化を破壊していくことが必要だ。

前出のLCPSは2020年の6月、「すべての生徒とその家族と界隈が白人至上主義と組織的人種差別、および人種や宗教や出身国や性志向や性自認に関するヘイトスピーチを破壊し崩壊させることを呼びかける」と訴えた。破壊して崩壊させることこそアクティビズムの典型である。

同委員会はCRTを基盤にした多様性トレーニングになんと42万ドル以上を使っている。そして同学校区は幼稚園児に「社会正義」を教えると発表し、あの悪名高い左翼ヘイト団体サザンパバティーロウセンター(SPLC)と協力して寛容について教える計画だという。

というわけだから、左翼政治家や学者やジャーナリストが義務教育でCRTが教えられていないなどというのは、左翼特有のお惚けであり大嘘である。しかし常識ある父母たちはそんな詭弁には騙されていない。だからこそ各地の学校区で父母たちがCRTを禁止するよう抗議しているのだ。左翼はすっとぼければ我々が騙されると思っているが、彼らが思うほど我々はお人よしではないのだ。

参考記事:Is ‘Critical Race Theory’ Being Taught in Public Schools? CRT Deniers Claim it Isn’t – Daily Citizen (focusonthefamily.com)


View comments (2)

子供を性洗脳する左翼の目的は何か?

アメリカの幼稚園児対象の人気番組セサミストリートが、今回男性二人のゲイカップルとその娘というキャラクターを紹介した。リベラル左翼たちは画期的な番組だなどと歓喜しているが、これもまた最近とみにひどくなった幼児洗脳の一貫である。

前々からアメリカの小中学校における性教育は、かなり行き過ぎな感があったのだが、最近だんだんと対象が幼少化しており、しかもその内容が小学校一年生に自慰の仕方や同性愛セックスのやり方を教えるとか、幼稚園児対象にドラアグクィーンというけばけばしい化粧をした男がLGBTの絵本を読み聞かすなど、あまりにも破廉恥すぎて授業の内容を知った父母たちが激怒して教育委員会の会議上で抗議することも多くなった。

イリノイ州では今年から、幼稚園ではトランスジェンダーについて、小学校ではLGBTQの歴史を教えることになったそうだ。How Illinois Schools Teach Preschoolers To Celebrate Transgenderism (thefederalist.com)

こういう背景があるからこそ、今回のセサミストリートのゲイカップルも、単にそういう家族があるという紹介のみでは収まらないと私は思うのだ。

その話をツイッターでしていたら、何もヘテロ夫婦だけが普通ではないのだから、ゲイカップルが出てきて何が悪いと言う人が居た。確かに世の中の家族構成は父母が揃っている家庭以外にも色々ある。それをいうならゲイカップルより母子家庭などのほうが地域によってはよっぽども普通だろう。しかしあえて言わせてもらうなら、男女の両親が揃っている家族こそが普通の状態であり、そうあるべきなのである。

子供が最初に覚えるべきなのは基本となる理想の家族構成だ。我々は何かを学ぶ時、一番シンプルな基礎から学ぶ。算数の応用問題も、まず足し算引き算の原理がわかってから応用できるのであり、最初から応用問題や例外を持ち出したら子供たちは混乱するだけである。先ずはお父さん、お母さん、そして自分や兄弟姉妹という家族構成を学んでから、母子家庭や父子家庭や同性カップルという例外もあることを徐々に教えていけばよいのだ。なぜ幼稚園児という自分の名前もまだ書けない子供たちに、そんな特殊な例外の話をする必要があるのか?

もちろんその答えは簡単だ。先のツイッタラーさんがいうように、左翼たちは子供に同性愛は普通の状態だと教え込みたいのである。いや同性愛だけではない、いまやトランスジェンダーすら普通の状態であると子供たちを洗脳しようとしているのだ。

思春期前の子供に男女の性行為を教えるだけでも問題なのに、同性愛行為まで教えることの意味はなにか。そんなふうに子供に性に興味を抱かせることで誰が得をするのか。

この間日本の国会議員が14歳の少女と50歳の男性が性行為をしても犯罪ではないという発言をしたと聞いた。確かに法律上日本での合意年齢が13歳だとのことなので、これは違法行為ではない。だがそんな法律で誰が得をしている?あきらかに少女の方ではない。子供の合意年齢を下げたままで得をするのは幼児性愛の大人だけだ。

だが左翼といえどもすべての人たちがペドフィリアではあるまい。ではどうして子供たちにこれほどまでに執拗に性を教えたがるのか?そして何故それがLGBTなのか?

左翼は常に基本的家族の破壊を目指す。なぜなら家族の絆が強ければ強いほど、政府が子供たちを支配することが困難になるからだ。先ず健全な家族形勢を破壊し、子供たちを孤立させ、政府が子供たちの思想を支配する。それこそが彼らの目的だ。だからLGBTのような家族として生産性のない形を道具として使っているのだ。

独裁者は先ず子供たちを狙う。だから我々は常に学校や幼稚園で子供たちがどんな教育を受けているのか目を光らせていなければならない。最近父母たちがそれに気づいて教育委員会へ抗議に出かけているのは非常に良い傾向である。


Comment

誰でもキャンセルカルチャーの犠牲になりうる

たった一人のクレームで反ワクチン本がアマゾンのリストから消えたのは、良いことなのか?

昨日ツイッターで、とある日本人女性がアマゾン社に対して、内海総氏の新著「コロナとワクチン」が売れ筋ランキングで一位になっていることにクレームをつけた。

「アマゾン社は多くの日本人を殺す可能性のある反ワクチン本を日本ベストセラーリストに載せている責任を取るべきだ。これは公共の健康に対するテロ行為だ。このようなことは見過ごされてはならない。」

その直後、この書籍はベストセラーリストから外されていると別のツイッターさんが報告。元のクレームをした人は感激して

わ〜!!こんないちユーザーからの声を聞いてくれるなんて、本当に感激です。単なる傍観者でいなくて良かったです

とツイート。周りの人たちも「よくやった」と喜んでいた。しかしこれは本当に喜ばしい出来事なのだろうか?

私を含め数人の人々が、たった一人のクレーマーが苦情をツイッターで書いたくらいで、アマゾンが特定の書籍をベストセラーリストから外すなんて怖いという反応を示した。時間的にいって、アマゾンが書籍の内容をしっかり吟味する暇があったとは思えない。アマゾン社は反ワクチンという面倒くさい本をそのままベストセラーに載せておくのはよくないと判断したのか、面倒くさいことに巻き込まれたくないと思って外したのか、それともただの偶然なのか私には解らない。私が気になったのはアマゾンの行動もさることながら、人々がこれが良いことだったと思っている点なのだ。

私は内海氏がどんな人かは知らない。彼は単なる陰謀論説者なのかもしれない。彼の流す情報は有害なのかもしれない。だがずっと本当のことを言い続けている多くの人たちが陰謀論者扱いを受け、そのキャリアを潰されている現実を考えると、たとえ中身がどんなものであったとしても(個人情報や国家機密や暴力扇動と言ったものでない限り)そう簡単に弾圧されてしまう文化が社会にとって良いことだとは思えないのだ。

前置きが長くなったが、ワクチン関係のでやはり言論弾圧の身をもって体験している人の話をしよう。アメリカの生物学者にブレット・ワインステイン博士と言う人がいる。この人はもともとはエバーグリーンステートカレッジという小さな大学で生物学の教授をしていたが、あることがきっかけで辞職を余儀なくされた。事の発端は2017年に学生たちが「欠席の日」という恒例行事を行った時、それまでの黒人及び有色人種生徒が学校を休むというやり方ではなく、白人の教授や生徒や職員が一日欠席させるという提案をした。この「欠席の日」というのは、もともと黒人たちの価値を再確認するために黒人が一日居ないことで出る弊害から、その価値を認めてもらうために出来た日だった。ワインステイン教授は黒人たちが自発的に欠席するのは彼らの自由だが、他人に対して行動を強制するのはリベラリズムの精神に反する、それこそ逆差別だとして欠席は拒否。その日もいつも通りの授業をしていた。

ところが50人からなる生徒達が教授の教室に乗り込み、教授を廊下の壁に追い詰めて吊し上げた。生徒たちは教授をレイシストと罵り、辞任しろと迫った。

もし読者諸氏がワインステイン教授がバリバリ右翼で敬虔なキリスト教徒だとお考えなら全くそれは違っている。教授は共産主義のバーニー・サンダースに投票したような左翼リベラル。若い頃から左翼の学生運動精神を持っていた。それで教授は反人種差別の学生たちとは共通点が多くあるはずで、話せばわかると思っていた。

しかし生徒たちは教授の話には聞く耳を持たず、そのまま校長室に乱入。大学側は教授を弁護するどころか学生たちの言い分をそのまま受け入れてしまい、挙句の果てにはキャンパス警察が学生たちの暴力から教授の身の安全を保障できないとさえいう始末。身の危険を感じた教授は同じく同大学の教授をしていた夫人とともに大学を辞任した。

学生たちは被弾圧者として抗議をしたかったのではなく、単に自分らが弾圧者になりたかっただけだと教授は言う。不幸なことにそれは達成されてしてしまった。

教授はその後夫人とともにダークホースというユーチューブチャンネルを開設。一般メディアが取り扱わないような科学説をデータや証拠を元に多々の専門家を招いてインタビューする番組だ。そのスタイルが人気を呼んで彼のチャンネルは成功していた。

ところが最近になって教授のチャンネルはユーチューブから二回の警告をもらう羽目になった。ユーチューブの規則では警告を三回もらうと永久凍結になるので、ワインステイン教授にはもう後がない。ワインステン教授が警告を食らったのはアイバーアクティンという薬の効果についてピエール・クロイ博士にインタビューした回と、武漢ウイルスのワクチン効力に関してロバート・マローン博士にインタビューした回である。マローン博士とのインタビューは削除されるまでになんと58万回も再生されていた。

ワインステイン博士は去年の当初から武漢ウイルスの武漢研漏洩説を唱えていた人でもある。一度はただのデマとしてユーチューブや他のSNSが検閲していた説が実は正しかったと最近になって認められるようになったのは、これだけでなく、ヒドロクロロキンの効果などがある。

最初はデマだとか陰謀論だとか言われながらも、やはりおかしいのではと言い続ける人が居たからこそ、真実がだんだんと解るようになってきたのだ。SNSとはそういう主流ではない考えを独自の考えを語り合える場所だったはず。だが、最近こうしたプラットフォームにおける検閲は中国共産党を思わせる激化ぶりだ。

私がいつも見ているスティーブン・クラウダ―も、549万登録者がいる人気チャンネルであるにも関わらず、度重なる規約違反ということで、もうずっと無収益が続いている。それでクラウダ―は最近ユーチューブ相手に訴訟をおこした。

こんな大物人気ユーチューバーでも、ユーチューブ様の鶴の一声でチャンネルは永久凍結されてしまう。今まで得ていた何百万ドルという収益が一瞬にして消えるのである。一つの会社にこんな権力があってもいいのか?

ユーチューブもアマゾンもグーグルもフェイスブックも民間企業だから誰に遠慮なく好き勝手に検閲する権利があるという人がいるが、彼らのサービスはすでにアメリカ人の生活の隅々まで入り込んでおり、彼らから締め出されたら買い物も容易に出来ない状態になっている。彼らは言ってみれば水道やガスや電気と同じような公共サービスの役割を果たしており、それが思想の違いで差別されるとしたら人々の死活問題にかかわってくるのだ。

数年前陰謀論者と言われた過激派右翼たちのSNSアカウントが次々に閉鎖された時、左翼たちは一斉に歓喜の声をあげ歓迎した。だがワインステイン博士は左翼リベラルである。彼のような人までプラットフォームを奪われるのであれば、もう誰も安全とは言えないのだ。内海氏の書籍がアマゾンリストから外されて喜んでいる人たちは、その絶大なるアマゾンの力が自分たちに向けられないと自信をもって言えるのだろうか?

参考記事:Meet the Censored: Bret Weinstein – TK News by Matt Taibbi (substack.com)


View comments (11)

エクイティー(平等)という人種差別、激化する左翼による東洋人弾圧

カリフォルニアの教育委員会は人種平等のため、同州の数学英才教育プログラムを廃止することを提案した。それというのも、このプログラムでは東洋系生徒が圧倒的に優勢であり、白人はもとより黒人やラテン系の参加が非常に少ないという現実があるからだ。

カリフォルニアでは2004年から2014年にかけて、32%の東洋系生徒が英才教育プログラムを受けた、比べて白人は8%、黒人生徒は4%、ラテン系生徒は3%だった。

これは英才プログラムを受ける32%が東洋人という意味ではなく、東洋系生徒の1/3以上が英才プログラムに入ることが出来たという意味。2020年現在のカリフォルニア人口配布はウィキによると、一番多いのがラテン系39.29%、白人36.64%、東洋系14.52%、黒人5.51%、混血その他が約4%となっている。パーセンテージを四捨五入しプログラムの定員を100人とすると、多い順に東洋系50人、白人30人、ラテン系12人、黒人及び他の人種は10人以下となる。なるほどプログラムの合格者半分が東洋系になってしまうというわけだ、これでは左翼連中が『完全に人種エクィテイーの思想に反する!』と怒るのも無理はない。だが、もしもこれがラテン系と黒人が半数以上を占めるという結果だったなら多分誰も文句は言わなかったんだろう。

アメリカにはAPというテストがある。これはAdvanced Placement Examと言われ、各科目で個々の試験があるのだが、これは大学レベルの課目試験を高校時代に受けることが出来るものだ。この試験に受かれば大学に行ってから基礎コースを受けずに直接高レベルの単位を取ることが可能となる。UCバークレーやUCLAの理数系に入るためには、このAP試験に受かっていることは必要条件だ。だからこそ、成績の良い子供たちが受験に有利になるために高校時代からAP試験を目指す英才教育が存在するのだ。このプログラムを廃止するということは、カリフォルニアの学生たちが将来STEM(Science, Technology, Engineering, Math)と呼ばれる理系分野に進むうえで不利になるということである。

無論裕福層の親たちは公立学校ではなくレベルの高い私立高校や公文などの進学塾に子供を通わせることは出来る。だが、貧困層に生まれながら勤勉で才能のある生徒たちはどうなる?彼らの将来はどうなるのだ?コンビニやガソリンスタンドで長時間働きながら子供を学校に行かせている東洋人移民たちに、どれだけの負担がかかるようになるだろうか?

前回もニューヨーク市で東洋人生徒ばかりが受かってしまうエリート高校への入学試験を廃止しようという動きがあることをお話した。左翼連中のいう人種エクイティー(平等)とは公平という意味ではない。単に結果が平等であるというだけだ。つまり、大学入学の配分が人口の配分と同じにならなければ不平等だというのである。しかし、これまでに何度もお話してきたように、それぞれの民族にはそれぞれの文化というものがあり、すべての民族が同じようにふるまうわけではない。よって同じ学校に行ったからと言ってすべての生徒たちが同じ成績を取るはずがないのだ。だが、それが自由社会の良いところではないのか?それが自由競争というものではないのか?

左翼連中がエクイティーという時、必ずその名のもとで無実の一般人が犠牲になる。昔はジェンダーエクイティーと言えば、単に学業や就職や昇進の際に男女差別をせずに能力で判断すべきという意味だったのが、今ではLGBTQ+(特にトランスジェンダー)の理不尽な言い分を無条件で受け入れるという意味になってしまった。だから女子スポーツに自称女性の女装男を受け入れることがジェンダーエクイティーだなどという理屈がまかり通るようになったのだ。

これらのことで共通しているのは、正直に努力したり才能のある人たちが公平な立場で競争できず馬鹿を見る社会である。

もしカリフォルニアの教育委員会が黒人やラテン系の学力が伸びないことを本気で心配しているなら、成績の悪い学生のための補修プログラムを作るなどして成績を上げることを奨励したらいいではないか。それを彼らの成績が悪いのは人種差別のせいだから彼らには責任はないといって、成績のよい生徒たちを犠牲にするなど、話が逆さまである。

東洋系の成功はアメリカは人種差別の国だという左翼の主張には非常に不都合である。何故白人至上国で少数派である東洋人が成功できるのかという問題が生じてしまうからだ。だからこそ、東洋人は学生のうちから潰しておかなければならないのだ。

最近黒人による東洋人への暴力行為がとみに増えているのも、左翼連中が組織的に東洋人を差別していることと深い関係があると思われる。


View comments (4)

努力したことを謝罪するな!中華系市民団体が新高校生たちに叱咤激励

以前にも拙ブログで紹介した中華系アメリカ人の市民団体、CACAGNY (Chinese American Citizens Alliance Greater New York)という団体が新しく特別エリート高校に入学した中華系学生たちに向かって祝辞を贈ったのだが、その内容は祝辞というよりはアジア系アメリカ人を差別する教育委員会への抗議文というものだった。

最近、我々東洋系アメリカ人はBLM(Black Lives Matter)とかCRT(批判的人種理論)といった運動により、不思議な標的となっていることをひしひしと感じている。表面的にはBLMもCRTも黒人差別をなくすための運動であるということになっているが、その中身は単なる黒人至上主義理論でしかない。これらの運動や理論では黒人は常に崇高であり、白人は常に悪者となっているが、その中で東洋系市民への配慮などまるでない。これらの理論では黒人以外の少数民族は多少考慮されているとはいうものの東洋人は完全に無視されている。にもかかわらず、BLMやCRTを実行に移すとなると、なぜか一番被害を被るのは白人ではなく東洋人なのである。

CACAGNYとニューヨーク市教育委員会は特別エリート高校の入学試験(the Specialized High Schools Admissions Test)を巡ってかなり以前から争っている。この特別高校というのはNYC学校区で特に優秀な生徒だけが入学できるエリート高校のことだ。アメリカでは高校までが義務教育なので、特に入学試験を受けなくとも公立高校であれば自分の住む地域への入学は可能だ。しかし、この特別高校は特別な入学試験に受からなければ入学できないことになっている。

ただ、ニューヨーク市には中華系市民が多いこともあり、この学校に受かる学生の大半が中華系学生になってしまうという現実がある。以前から書いているように、東洋系学生たちは両親がしっかり揃っている家庭が多く、子供の教育にも熱心である。よって必然的に東洋系学生たちの成績は他の民族より高くなる。これは別に特別東洋系が優遇されているからというわけではなく、単なる努力の問題である。

しかしそれが気に入らないのが会長をはじめ多数議席を閉める黒人支配のNYC教育委員会である。先日そのメイ―シャ・ポーター(黒人女性)会長は公式ツイッターのなかでこんなことをつぶやいた

21年にわたる教育者としての経験から、もっと多くの生徒達が機会を与えられさえすれば特別高校で才能を伸ばせることを知っている。しかし特別高校入学試験が引き続き起用されたことにより、また同じ受け入れることのできない結果が何度も何度も繰り返されている。今こそ我々の生徒たちが公平にこれらの学校で代表されるようにする時である。入学に入学試験を必要とする州法は撤回されるべきだ。我々は地域と協力してもっと平等で、すべての子供たちにとって正しいやり方を進めていくべきである。

学校区のすべての人間が同じ基準で審査される入学試験の何が不公平だというのか、全く意味の分からないつぶやきだ。これを読んで激怒したのが先に述べたCACAGNYである。

入学試験に受かった学生たちに心から祝福の意を捧げたいとした後で、このような祝福が特異なもであることは非常に嘆かわしいと続く。CACAGNYは特にポーター会長のツイートについて言及。

つまり君たちの合格は「受け入れられない結果」であり、審査の経緯は不公平であったというのである!諸君らが特別学校に籍を置くことは「平等ではない」というのである。諸君らが長年勤勉に努力してきたことが「正しくない」というのである。これが教育委員会会長の発言なのだ!

またCACAGNYはNYCのリポーターたちが、黒人やヒスパニック系学生の入学率が去年より落ちたことや、今年は黒人が8人しか受からなかったとツイートしたことに関して、

つまり諸君らの功績は諸君の人種によって完全に無視されたのである。アジア人が多すぎる。「お前たちはここに属さない。」それこそがブライアン・エリオットが4月6日、日中に65歳の女性を襲い腰の骨を折るほどの重症を負わせた時に使った言葉だ。これこそがアジア人への憎しみの実行だ。アジア人差別の実行だ。

と続く。この祝辞では言及していないが、この65歳の中国人女性を襲った男が黒人であることは言うまでもない。

最近のアメリカでは、なぜか努力して成功した人々が、あたかも他人を差別することで伸し上がってきたかのように責められる傾向にある。黒人が何世代も生活保護を受ける貧困層から抜けられないのも、黒人の間で犯罪者や麻薬中毒者が多いのも、警察官に歯向かって射殺されるのも、すべて白人(及び東洋人)の責任なのであり、黒人には全く責任はないと主張するのだ。

だが、努力したことを謝るな!成功したことを恥じるな!と祝辞は続く。

努力したことを絶対に謝罪するな。諸君を愛し支えてくれる家族がいることを謝罪するな!諸君の考えではなく、諸君の人種が罪なのだと思い込ませようとするガスライティングに騙されるな!中国人は前にも同じことを体験した。中国人排除法によって中国人が働きすぎることで標的にされた。今後さらにこれまでの倍以上努力し成功したまえ。そして見せつけてやるのだ。我々は乗り越えると!

中華系市民にはこんなことを言ってくれるリーダー達が居るのか。まったく羨ましいことだ。黒人の中にもBLMだのCRTだのといった似非市民団体や理論ではなく、「努力せよ」「成功を恥じるな」と言ってくれるリーダーたちが居てくれたらどれだけ良かっただろうか。だが、その代わりにポーターNYC教育委員会長のように、試験を廃止して成績の悪い黒人をエリート校に入学させろなどという馬鹿がリーダーをやっているのだ。そんなことをしてレベルの高い高校に入学しても、他の生徒達についていけずに苦労するのは下駄をはかされた黒人生徒本人ではないか?

それに、きちんと試験を受けて入学できた8人の黒人生徒たちの努力はどうなる?この制度が黒人差別をしているなら、黒人生徒が一人でも受かったことはおかしいではないか?黒人生徒たちの成績を上げたいのなら、レベルの低い中学校に才能ある教師を配属させて、黒人生徒達の教育レベルを上げる努力をしたらいいではないか?それが教育委員会の仕事ではないのか?黒人は努力しなくても常に優遇されるということを教わった黒人たちは将来どんな大人になるのだろうか?

それは今の状況が良く物語っているだろう。


View comments (4)

蘇る人種隔離、平等の名の元に激化する人種差別

先日アメリカのエリート大学、コロンビア大学が人種や性嗜好や経済環境ごとに学生を分けて卒業式を行うと発表して話題になっている。実は黒人だけの卒業式というのは近年色々な大学で行われているが、今回のコロンビア大学のように色々なグループに分けての卒業式というのは前代未聞だろう。ではそれらの区分けはどうなっているかといえば、、

  • 原住民
  • LGBTQ+
  • アジア人
  • 低所得者
  • ラティンクス(ラテン系の左翼的な呼び方)
  • 黒人

白人というカテゴリーがないのは、白人は人種不問の枠に入っているかららしい。これはひどい人種差別だという批判が出ているが、大学側の言い分だと、これらは一般生徒全般の式に加えて設けられたもので隔離は強制的なものではなく、個人的に好きなほうの式に出られるとかで、どの式でもその属性に属するひとでなければならないというものではないという。だが、彼らの目的が白人排除であることは明白だ。それにしても低所得者なんて枠の式に参加したい人なんて居るのか?

以前にも書いたが、もしもこれが卒業式だけでなくクラスや学部専攻でも人種分けが行われたら、どういう結果を生むかは火を見るよりも明らかである。

大学での人種隔離制度を実行したなら、一番被害を受けるのは黒人・ラテン系生徒たちである。だいたい人種多様な大学で各人種でクラス分けするなど可能なはずはない。それで大きく区分けすれば一方で白人および東洋人その他の少数民族、もう一方で黒人および色の濃いラテン系、といった二つのグループに分かれることが想定される。

しかしこれは誰もが知っている事実なのだが、大学は以前にも紹介したアファーマティブアクション(AA)制度を取り入れて学力の低い黒人やラテン系の生徒を多く取り入れている。AAで入った黒人の入試テスト成績は狭き門を通って入ったトップクラスの東洋人に比べて100点満点で30から40点も違うという事実があるのだ。

ということは、もし黒人およびラテン系のみのクラスが編成されれば、事実上これは大学の落ちこぼればかりのクラスという結果になってしまう。黒人やラテン系でも成績が良く高度の教育を受けたい生徒たちは白人側のクラスを好むだろう。白人側は人種差別の汚名を着たくないのでどんな人種でも受け入れるはずだからだ。

こうなっていったい誰が一番損をするのか、それは落ちこぼれクラスに押し込められた当の黒人やラテン系生徒たちだ。せっかく親に高い授業料払ってもらって有名大学に行かせてもらっているのに、二流の教育しか受けさせてもらえなくなるのだ。低い成績を取ればそれが人種差別だと騒ぎ立てて何も学ばずに卒業証書だけもらってみても、実際に実社会に出た時にそんな似非卒業証書など何の役にも立たない。特に自主的にしろ黒人ラテン隔離クラスに所属していた学生たちは、もうそれだけで企業から敬遠されること間違いなしだ。「隔離すれども平等」なんてことが事実上不可能なのは誰でも承知だからである。

アメリカで起きたひどい人種差別を遂行していたのは左翼の民主党の方である。学校や社会での人種隔離は民主党の方針だった。人種隔離よ永遠に、と言って小学校の門の前にたちはだかったのも民主党の政治家である。その左翼リベラルたちが、再び人種によって教育の場を隔離しようとしているのだ。

1960年代の公民権法によって我々は人種によって人々を分けてはいけないという考えに落ち着いたはずだった。それを左翼連中は再びよみがえらせようと言うのである。いったいそれによってどんな社会が生まれると彼らは期待するのだろうか?人種隔離が悪なのは昔も今も変わらないはずだが?


View comments (3)

東洋人をハウスニガー(優遇されてる奴隷)と呼んだ黒人教育委員会役員、辞任を拒否

サンフランシスコの教育委員会役員アリソン・コリンズが2016年にツイッターで東洋人に対して人種差別的な侮辱をSNSで連投していたことが発見され、周りから辞任を求められている。しかし本人は文脈を無視した引用だとし辞任を拒否している。

2016年5月、コリンズはツイートに東洋人に関する不満を連投。東洋人は批判的人種理論(CRT)を学校で教えることに消極的であること、BLMに興味がないこと、少数派優等生という神話を広げ、白人至上主義に迎合して自分らの立場を良くしようとしていると批判。そして最後には下記のように締めくくった。

トランプに対して声を上げる東洋人は何処に居るの?あの人たちは自分たちもトランプのリストに載っていることを知らないの?

彼らは自分たちだって強制送還されたりプロファイルされたり殴られたりするってことを知らないの?ハウスニガーだってニガーなのよ。所詮は「召使」なのよ!

ハウスニガーとは、奴隷制度のあった頃に大農場で野外のキツイ野良仕事ではなく、屋内における比較的楽な家事担当の奴隷のことを指す。それで「ご主人に媚びて優遇された奴隷」という意味になり、現在では黒人の間では最悪の侮蔑語である。上記のツイートには非常に問題な前提がいくつかある。

  1. トランプ大統領は少数民族全体を差別している。
  2. 有色人種はすべてトランプ大統領に反対すべき。
  3. 東洋人は白人に媚びて優遇されている。

ハウスニガーという言葉に、彼女のこの人種差別的思想が集約されていると言える。はっきり言って彼女は東洋人のみならず黒人に対しても非常に失礼なことをいっている。この発言は有色人種はすべて白人の奴隷だと言っているも同然だからだ。

私は最近のキャンセルカルチャーは嫌いである。人が何年も前にまだ10代だった頃に書いたツイートが発見されて仕事を首になったりするのはおかしいと言ってきた。先日もティーンボーグの編集員になった黒人女性が10年前高校生だった頃に東洋人の先生について書いた悪口が暴露されて就いたばかりの編集員の仕事を辞任に追い込まれるという事件があった。高校生だった彼女が書いたツイートなど単に教師に対する典型的な生徒の悪口で、そんなことで10年後大人になった彼女が辞任に追い込まれるなどやりすぎだろうと私は思った。

だが、10年も前に子供だった頃に書いたツイートくらいで大人の人間が辞任に追い込まれるというのであれば、ほんの四年前にすでに役職についていた人間が東洋人を奴隷と呼んだことが免除されるとは到底思えない。いや、キャンセルカルチャーが大嫌いな私ですらそんな人間は教育という場に居るべきではないと考える。

さてそれでは本人はこのことについて何を言っているのか。一応謝罪にならない謝罪声明を発表したが、それは自分のツイートは文脈を無視して取り上げられたもので、ちょうどトランプが差別や分断を掲げて大統領に当選したばかりという背景があったと言い訳をした。そして今大事なのは最近ひどくなったアジア人への暴力も踏まえて、アジア人の兄弟姉妹たちと一緒に人種差別と闘うことだ、と綺麗ごとを言ってしめくくっている。だが、その「謝罪文」に寄せられた批判は結構て厳しい。

彼女が立て続けに連投したツイートはすべて紹介されているので、文脈を無視した引用という言い訳は通用しないし、トランプが人種差別者だったかどうかという話と自分が東洋人を侮辱した話とどういう関係があるのだ、これまでずっと東洋人の悪口を言ってきたくせに、今更そんなことを言うのは捕まったからだろう、言い訳はいいから早く辞めろというものがほとんど。彼女を擁護している人は誰もいない。

それにコリンズ自身がこれまでにも他人のキャンセルに積極的に参加してきていることからして、自分だけが例外だと思うのは驕りというものだろう。同学校区の黒人団体も彼女のツイートは人種差別であるとして批判。コリンズがこのまま職務についていられるとはとても考えられない。

結局差別差別と騒いでいる人間の方がずっと差別的なのだ。自分が差別主義者だからこそ他人も皆そうに違いないと思っているだけ。

キャンセルに値する人がいるとしたら、コリンズのような人を指すのだろう。

アップデート:このエントリーを書いた直後、サンフランシスコの教育委員会は投票でコリンズの退職を決めた。しかし3月31日のこの記事によると、コリンズはSF教育委員会を相手取って自分の言論の自由が損なわれたと訴訟を起こした。その訴訟の言い分はというと、、

黒人や茶人(ラテン系)の子供を人種差別的ないじめから守る代わりに、コリンズ女史が全ての過小評価され、植民地的及び弾圧された人々すべてを団結さえ人種差別と弾圧と闘うためにした、比喩的表現を歪曲してその使者を犠牲にすることにした、

コリンズは教育委員会の他にも同僚数人相手に訴訟をおこしており、なんと合計8700万ドルの慰謝料を請求している。自分のやってことの意味が全く理解できていないようで、全く反省の意図はみられない。やっぱりあの謝罪文はペテンだったのだ。


Comment

反人種差別を唱える批判的人種理論の一番の被害者は東洋人、中華系団体が強く糾弾

最近アメリカでは「批判的人種理論」(Critical Race Theory)と呼ばれる邪道が幅を利かせている。この思想は1980年代に法学者キンバリー・クレンショーという人が作った理論である。そしてこの理論は「人々を肌の色ではなく内面の人格で評価すべき」というマーティン・ルーサー・キングJr牧師が唱えた人種色盲という考えに真っ向から反発するものだ。

表向きは反人種差別の理論とされるが、実は白人は生まれた時から人種差別者であるといったような物凄く差別的な思想で、左翼活動家たちはこの理論を職場や教育の場で広めていくべく、多くの学校や企業に働きかけてきた。トランプ前大統領はこの思想は非常に危険であるとして、連邦政府機関やそれにかかわる企業においてこの理論を教えることを禁じたが、バイデン政権になって再びこの理論が猛威を振るい始めている。

そんななか、CRTは憎しみを増幅させ人々を分断させ巧みに操作された詐欺であるとして、アメリカで一番古い中華系アメリカ市民団体The Chinese American Citizens Alliance of Greater New YorkがCRTに強く糾弾する公式声明を発表した。

同団体CACAGNYはその声明文でCRTは人種差別思想であり弾圧的な差別主義でありマルクスやレニンといった共産主義思想に強く影響を受けていると語る。同団体は特にCRTの東洋人への扱いについて抗議している。CRTは東洋人が経済的にも社会的にも成功している人が多いことから、白人と同じようにCRTによって敵視の対象となっているとする。

拙ブログでも何度か紹介したように、アメリカの大学ではアファーマティブアクションと言って少数民族が大学入試で差別されないようにそれぞれの人種で枠が設けられている。しかし黒人やラテン系に比べ、白人や東洋人の応募者は圧倒的多数を占める。特に東洋人は成績が良く、受験の成績だけで合格者を選ぶとなると半数近くが東洋系になってしまうという現状がある。それで多くのエリート大学では学業以外の人格などの分野で東洋人を落とすという非常に人種差別的なことをやっているのである。

アメリカ社会において東洋人は微妙な立場にある。東洋人は白人ではないが、よく名誉白人などとおかしなことを言われ白人と同じ扱いを受ける。しかしこれは決していい意味ではなく、特に最近は悪い意味で東洋人と白人は一緒くたにされるのである。CRTの考え方は、人々が個人の努力や才能で成功するという前提を全く認めず、結果だけを見て誰が一番成功し誰が失敗しているかだけを見る。そして成功している人が多いグループは不公平な特権によって成功したのであり、失敗してるグループは人種差別のために失敗しているのだという判断をするのだ。

だから勉学に熱心で勤勉な東洋人が高い教養を得て経済的にも社会的にも成功すると、それは東洋人個人ががんばったからではなく、東洋人という種族が持って生まれた特権のせいであり、他の少数民族への差別が原因だと判断されるのだ。

先日アトランタの風俗店で連続乱射をして東洋人女性を含めた8人を射殺した白人男性の件で、メディアは最近とみにひどくなった反アジア人への白人至上主義者の仕業だと報道しているが、実は犯人は特に東洋人を狙ったというわけではなく、自分のセックス依存症に腹を立てて風俗嬢を狙ったと自白している。残念なことに風俗嬢には東洋人(特に韓国人)が多いため、犠牲者にも多くの韓国人が含まれていただけだ。

私はずっと、どうしてアメリカの東洋系は民主党を支持するのだろうかと不思議だった。民主党は東洋人をマイノリティーの枠が必要なときだけ数に入れるが、実際民主党の政策は東洋人にとってよいことなどひとつもないのだ。にもかかわらず、いまだに在米邦人の多くも民主党にべったりで共和党支持者やトランプ支持者をまるでカルト信者扱い。いい加減に目を覚まして欲しいと感じる今日この頃である。


View comment

ドクタースースがキャンセルされる本当の理由

日本の人たちにはあまり親しみがないかもしれないが、アメリカではドクタースースの絵本は過去40年にわたって子供たちから愛読されてきた。いくつか映画にもなっており、ドクタースースのキャラクターを知らないアメリカ人は居ないといっても過言ではないだろう。日本でいうところのドラえもんみたいな存在だ。ところが、先日ドクタースースの誕生日に、スース作品のいくつかが人種差別描写があるとして絶版になると発表された。

(CNN) 米国の絵本作家、故ドクター・スース(本名=セオドア・スース・ジーセル)氏の著作のうち6冊が、人種差別的な内容を理由に出版中止となった。同氏の権利を管理するドクター・スース・エンタープライズ社が2日に発表した。

2日はスース氏の誕生日に当たる。同社は教育者らと相談してラインナップを見直した結果、「マルベリーどおりのふしぎなできごと」「おばけたまごのいりたまご」など計6冊の人物描写が「有害で間違っている」と判断し、出版中止を決めたという。

スース氏の著作は世界で発行部数が計6億5000万部を超えたとされるが、長年に及ぶ差別的な描写が指摘されてきた。

児童文学の多様性に関する2019年の研究によると、学生時代の作品では黒人ボクサーをゴリラになぞらえ、ユダヤ人をけちな人物として描いていた。

同氏の著作50冊を調べた結果、非白人の登場人物45人のうち43人が反アジア系、2人が反アフリカ系の描写に当てはまるキャラクターだったという。

出版中止が決まった6冊のうち、2冊はこの研究が具体例として挙げていた。

「The Cat’s Quizzer」には「日本人」として、鮮やかな黄色の顔で富士山の上に立つ人物が登場する。

「If I Ran the Zoo」には、白人男性がアジア人3人の頭上に乗り、銃を手にした場面がある。アジア人たちは全員「目がつり上がり」、「だれもスペルを知らない国」の出身だと書かれていた。

はっきり言ってこれらは言い掛かり以外のなにものでもない。興味があったので私は上記に上げられた二冊にざっと目を通してみた。

The Cat’s Quizzerでは一ページの下の方に、山のふもとに立つ東洋人らしき人の姿が描かれているが、顔が鮮やかな黄色ということはない。ドクタースースの絵は誰もが誇張されているので、特に日本人を馬鹿にしたようには描かれていない。

Dr. Seuss Enterprises To End Publication of Six Titles Over “Hurtful and  Wrong” Imagery - Bounding Into Comics

If I ran the zooは、少年が自分がもしも動物園の経営者だったら、という想像の世界を描いたもの。少年は色々な想像の国から想像の動物を集めて来るという空想をしている。問題の画像を見てみたが、たしかに昔の典型的な中国人風の男性三人の頭に動物が入った檻が乗り、その上に主人公の子供が銃をもって座っている絵がある。そしてそこの住人は目が吊り上がっているとある。しかし、それは少年が想像する国であって、特にどことは言ってない。また、「誰もスペルを知らない国」はその次のページでしかも別の想像の国。つまり東洋人は字が読めないとバカにしてるわけではないのだ。

Tackling Racism in Children's Books: Conversations in Seussland | Nashville  Public Library

ハリウッド映画で描かれる東洋人像を見慣れてる私としては、この程度は単にアメリカ人が想像する東洋人のステレオタイプであって、別に差別意識があって故意に悪く描こうとしているようには見えない。これらの本が書かれたのは1970年代のことなので、当時の一般アメリカ人が東洋人に関して持っていたイメージをそのまま描いただけのこと。

もしこれがドクタースースの絵本に描かれた人種差別の典型だとするならば、このように重箱の隅をつつくようなことをしなければ人種差別を見つけられなかったということになる。なぜならドクタースースは人種差別者などではなかったからだ。

フォックスニュースのタッカー・カールソンはドクタースースがキャンセルされるのはドクターが人種差別者だったからではなく、彼が反人種差別者だったからなのだと言う。

ドクタースースは人種差別者などではなかった。彼は反偏狭の宣教者だった。彼は反人種差別に関するいくつもの本を書いた、しかも曖昧な書き方ではなかった。これらの本は明確に反人種差別を示すものだった。子供たちに人種差別者になってはいけないと教えることこそがこれらの本のを書いた理由だったのだ。

ドクタースースをキャンセルするのは計画的だったとタッカーは言う。

ドクタースースをキャンセルするのは馬鹿げたことではない。ドクタースースを排斥するのは彼が人種差別者だったからではない。いやむしろ彼が人種差別者ではなかったことが理由なのだ。

タッカーはドクタースースが1961年に書いたスニーチスという本を例に出す。これはマーティンルーサー・キング牧師が反人種差別の行進をする前に書かれたものだ。この中でスニーチスと呼ばれる架空の動物が出てくる。彼らはお腹に星模様のあるかないか以外は全く区別がつかないどう種族である。ところが誰かがが星印のついている者の方が偉いと言い出し、星印対無印の対決が始まる。しかし最後には星があろうがなかろうが個人の価値に差はないことにスニーチスたちが気づくという内容。

これは明らかに肌の色で優越を決めることの愚かさを描いた本だ。こんな本を書く人が人まで人種差別者ということになるのか?いったい今の左翼リベラルの基準というのはどうなってるんだ?

しかしタッカーは、ドクタースースが唱える人種色盲社会こそ意識高い系ウォークと呼ばれる過激派左翼にとって都合が悪いのだと言う。確かにそうだ。もし肌の色など問題ではないということになるなら、今左翼が推してるクリティカルレースセオリーという「白人は生まれながらに人種差別者だ」などという思想は崩れてしまう。

過激派左翼の思想はすべて人種差別で成り立っている。人種によって派閥を作り、人種によって優越が決まる。この世の悪はすべて白い肌で生まれた人間の罪なのである。そんな思想を推し進める左翼にとって人種色盲社会などあってはならないのである。

ドクタースースはいわゆるクラシックリベラルである。しかし人種差別こそが一番大切な現代の左翼にとってドクタースースの反人種差別メッセージは不都合な存在なのである。

Image
And to Think That I Saw It on Mulberry Streetより、「箸でご飯んを食べる中国人の少年」



Comment