左翼の暴力は無視して右翼とテロの関係をでっちあげる左翼メディア

前回も書いた通り、アメリカの左翼・リベラルメディアは、先日のニューヨークのテロ未遂事件の犯人がパキスタン出身のテロリストであるにも関わらず、それを無視してテロは右翼の仕業だとかティーパーティーのメンバーに違いないとか、お門違いの批難を繰り返している。
だいたいだ、なんで愛国心の強いティーパーティーがアメリカ打倒をうたいあげるイスラム過激派テロリストと手を組んだりするのだ?それをいうなら対テロ戦争に反対の反米エーコーンとか労働組合暴力団とかとのつながりの方を究明すべきではないのか?
テロをテロと呼ばず守りが甘いオバマ政権の国土安全保証局が、搭乗禁止になってる犯人をもう少しで見逃した事実はお咎めなしなのか?
左翼リベラル連中の新しい作戦は、ティーパーティーは過激で暴力的な人々の集まりであり、人種、性別、性嗜好などへの差別者ばかりの団体だという印象付のための情報操作に余念がない。それで主流メディアは、ティーパーティーの反高税の抗議や防衛強化精神をヘイトスピーチだとか何だか言っていかにも危険な運動であるかのように報道している。
あげくの果てに、ニューヨーク知事のブルームバーグなどは、国内のパキスタン出身者やイスラム教徒へのバックラッシュは断固許さんなどというくだらない発言をしている。そんなありもしないバックラッシュなんかに気を取られる前に、過激派イスラム教徒が合法にアメリカ市民として帰化できたこと、テロ容疑者とされていた人間がやすやすとパキスタン行きの飛行機に搭乗出来た事に関する警備の不行き届きについて言及すべきなのではないのか?
ニューヨーク市民の安全を守ることと、イスラム系移民へのバックラッシュ阻止と、どっちが重要なんだよと、カカシは聞きたい!
意見の違う相手を暴力で威嚇するのは左翼連中のすることではないか。先日もメーデーのデモ行進で、サンフランシスコで反移民を唱える保守派抗議者が左翼連中によって殴る蹴るの暴行を受けるという事件があった。それだけではない。サンタクルーズ市では、左翼連中がデモ行進をした商店街で商店が焼かれたり破損されたりという被害が続出した。
メディアはこういう左翼団体の暴力を無視し、ありもしない右翼団体の暴力をでっちあげ、根拠もないイスラムテロリストとの関係まで示唆するという信じられない行為に出ている。
もちろんこういう情報操作はオバマ王のお墨付きだ。
このままオバマ独裁政権を放置すれば、いずれオバマ王が保守派の意見そのものがヘイトスピーチだと言ってとりしまり、人権擁護法に触れるとかなんとかいって(そんな法律は今のところアメリカには存在しないが)保守派や右翼が自分らの意見を述べただけで逮捕される日が来るだろう。


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左翼フェミニスト?そんなの常識じゃん!

この深町さんて人のサイトにコメントしたかったのだが、なぜか『はてな』は私のメールアドレスを認めてくれないので登録できないでいる。

で、深町さんのエントリーを読んでいて面白いなと思ったのは、彼が私の意見よりも、私の文章のスタイルに苛立ちを覚えたということである。

特に私の「〜と反対に問いたくなるのは私だけだろうか?」という部分にかなり引っかかったらしい。しかし、深町さんが「個人的にイラッと」きた部分の話をする前に、私が苛立った部分からコメントしよう。

早々に「左翼のフェミニスト」とレッテルを貼り、「おれは議論なんかするつもりはなく、ただカラオケがしたいんだ」という意思表示が示される。ご本人も「議論の余地はない」と書いてらっしゃるのだが……。

私が討論の相手にすぐレッテルを貼りたがるという批判は、以前に掲示板で議論していた頃から良く言われたことだ。しかし、私のように長年左右討論をしているものから言わせたら、話している相手が左翼か右翼かということは簡単に解る。左翼フェミニストともさんざんやりあったことがあるから、彼らのやり方はすぐに気がつく。「防犯は個人責任ではなく政府の責任である。」はどう見ても左翼思想だし、特に「自己責任を問うのは犠牲者を責める行為である。黙れ」と言って討論相手を加害者扱いして黙らせるやり方は左翼フェミニストの常套手段。こういう相手には左翼フェニストのレッテルがぴったりはまるのだ。

だが私はこういった左翼連中と違って意見の違う人間を黙らせようなどとはしない。相手に左翼というレッテルを貼ったからといって、だからそれで議論は終わったなどと片付けたりもしない。深町さんの文章を読んでいるといかにも私がそう書いたように解釈出来るので原文を添付すると、、、

女性が強姦魔から自衛する行為を促すのは女性差別なのかという問題が議論されていた話はしたが、、、思った通り、(曾野綾子さんの原文は)左翼のフェミニストたちが大騒ぎするほどの内容ではない、過激な左翼フェミニストでなければ常識と取れる内容だった。(略)
曾野さんが、男尊女卑の最たるアラブの保守的な国の慣習を持ち出すのは不適当だと思うが、夜中に危険な場所で一人歩きをすべきではないというのは常識すぎて議論の余地はない。

さて、それでは深町さんが苛立った部分はというと、、

しかしそのわりには「常識」とか「私だけだろうか?(議論の余地はないと仰っているにもかかわらず)」という個人的にイラッとくる言葉があった。レッテル貼りと「常識」「私だけだろうか?」たったひとつのエントリにこうもイラつきワードを盛り込むってなかなかできないなあと感心すらしてしまった。また書き手自身が自分の意見をたいして信じていないのだとも。

「私だけだろうか?」や、それに政治家や新聞の論説委員が使いたがる「その考えはいかがなものか」というフレーズ。森達也氏がかつて著書でさんざん述べていたことではあるが、「私」という主語をやすやすと放棄して、姿の見えない不特定多数のなかに埋没しようとするいかがわしい言葉である。たいがい力強い主張の後に用いられることが多い。「郵政民営化には絶対反対……と思うのは私だけ?」といった感じ。自分の主張の重さに耐えきれない弱さが思わず露呈してしまうというか。

私はこれを読んでいて、日本語にはレトリカルクエッション(rhetorical question《文法》[U]修辞疑問, 反語;[C]修辞疑問文, 反語文)という文章スタイルは存在しないのだろうかと不思議に思ってしまった。

ここでいう私の「〜と思うのは私だけだろうか?」という文章は、文法的には疑問形になっているが、実は疑問文ではなく、「〜と思うのは私だけではない!」という断固たる断定文である。これは自分の意見に不安を持って相手に問いかけている文章ではない。

例えば、「政治家による汚職は許されるべきであろうか?」という文章は、文法的には疑問文であるが、明らかに「許されるべきではない」という意味であり、疑問文にすることで断定した書き方よりも印象深い効果を与えようとしている単なるスタイルである。別に読者をだまくらかそうというような「いかがわしい言葉」使いなどではない。

私が議論の余地がないと言ったのは曾野さんのエッセーの内容についてだ。だが、私が議論しているのは曾野さんの書いていることをヒステリックに批判している左翼フェミニストについてである。彼女達には「強姦犠牲者を二次被害から守る」という表向きとは違った、もっと個人の力を弱めて政府の力を強めようとする社会主義的な、それこそいかがわしい思想が伺われるということだ。それについては、もっと解りやすく説明しているので、深町さんにも是非このエントリー「左翼リベラルが自衛の自己責任を恐れる本当の理由」を読んでいただきたいものだ。

さて次に深町さんがひっかかったのが「常識」という言葉。

「常識」というのも謎の言葉である。「そんなのは常識!」などとあらゆる場で登場するけれど、あるときは自分の説明不足を不特定多数の誰かにすがろうとして、またあるときはやはり自分の主張の重さや尖りに我慢できないときに用いられる。「温暖化なんて嘘……と思うのは私だけ? えーと……それが今の常識!」というような。「おれ、なんだか過激な主張したけど心配だなあ。リスクを回避したいなあ。いっちょ手を打って置くか」という打算と臆病が入り混じったような思考と、つねに主語を「私」ではなく「私たち」「みんな」にしていないと不安で仕方がないという自分レスな人にとってはきわめて便利なフレーズだ。「あいつ死ねばいいのに。ホント、マジでみんな思ってる」と、なにかにつけて「みんな」をつけなければ安心できない人種だ。

個人の防犯は自己責任という考えは、個人主義の保守派思想を持った人なら常識だと思うだけだ。それが過激な意見に聞こえる深町さんは多分左翼リベラル思想の持ち主だろう。

この曖昧&主語のすり替え言葉がいつごろから広まったのだろう。(略)

大人になるにつれ、なかなか何事も断定的な物言いなどできなくなってくる。曖昧なところに落ち着かざるを得なくなる例のほうが圧倒的に多い。(略)しかし他の言葉がいかにぼんやりとしていても、発言の主だけははっきりさせておきたいという自覚ぐらいはある。「そんなのは常識だ!」と言われても、どこの誰の常識なんだとむかっ腹を立てるようにしている。

では「温暖化は常識だ今更議論の余地はない」と言い張って、どんどん経費のかかる政治政策を施行している政府に対して、「いったいどこの誰の常識なんだ?」と深町さんは腹を立てたのだろうか?
もし、右翼や保守の常識だけが受け入れられないんじゃ片手落ちだ。しかし左翼リベラルの常識でも疑う余地ありとするならそれはそれでいいだろう。他人の言うことを鵜呑みにすべきではないという意見には異論はない。

ところで、私が非常に嫌な気持ちになったのはこの部分。

新聞の社説やブログで見かける「私だけであろうか」というフレーズ。「おれ信念あり」「おれ逞しい」と言いたげな人ほど自覚もなくよく使ってる。「共感しろオラ。お前も思うよな?」と、力強く主張しながら数を恃むというヤンキー的なもたれ方というか。

ここでいう深町さんの「ヤンキー」というのは誰をさすのかな? 厳密的には「ヤンキー」とはアメリカ南部の人々が北部の人々に対して使った侮蔑的な差別用語。アメリカ人一般をさすなら「ヤンクス」となる。アメリカには人種が多様であるように思想もまた多様である。それをひとくくりにして、「ヤンキー的」という表現は感心しないね。で、この「感心しない」という動詞の主語は「私」カカシである。念のため。


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米保守派連合が全米ツアー開始、人気のサラ・ペイリンに左翼が必死の攻撃

左翼の暴力について書くつもりだったのだが、サラ・ペイリンの話をするならやはり保守派の全米ツアーの話から始めた方がいいと思うので、まずはこのニュースから。

【3月28日 AFP】米国で反民主党、反増税を掲げる保守派の支持組織連合「ティー・パーティー・エキスプレス(Tea Party Express)」が27日、2008年米大統領選挙で共和党の副大統領候補だったサラ・ペイリン(Sarah Palin)前アラスカ(Alaska)州知事を迎えたネバダ(Nevada)州での集会を皮切りに、3週間で44都市をまわる全米バスツアーを開始した。
「サーチライトの対決」と銘打たれた幕開けイベントが行われたのは、民主党の重鎮、ハリー・リード(Harry Reid)上院院内総務の地元ネバダ州ラスベガス(Las Vegas)、砂漠に近い街サーチライト(Searchlight)郊外。…
 主催者発表の参加者数1万人を確かめるすべはないが、砂漠の中にあるサーチライトにつながる4車線の高速道路はまれにみる大渋滞。米国旗を掲げる数百台が連なり、数日前に成立したオバマ政権肝入りの医療保険改革法案を批判し、「オバマケア、医療の社会化はあなたを殺す」といったスローガンもみられた。

リンク先にも色々写真が載っているが、集まった群衆の数は相当のものらしい。ペイリン人気もさることながら、オバマケアに対する人々の怒りが解ると言うもの。
昨日も書いたが、今アメリカ左翼リベラル連中は、健康保険改正案のごり押しで国民の怒りを買って次回の選挙で大敗することを非常に恐れている。そこで、ティーパーティなどの市民運動を暴力的な過激派の運動であるかのように情報操作に余念がない。
主流メディアはこれまでに一般的に使われて来た比喩的な言葉使いを文字通りに解釈してあたかも保守派が暴力を煽っているかのように報道している。
左翼がもっとも恐れる保守派の人気者サラ・ペイリンなどは、ことあるごとに言葉尻をとられて批判されている。例えば、彼女が自分のトゥイッター(Twitter)ページで使った言葉使いや民主党政治家の顔を標的にする画像を掲載したのが不適切であるなどという批判はその典型。

ペイリンのツイッターの「常識ある保守派及びアメリカを愛する人たちよ、『退くな、(銃弾を)詰め替えよ!』私のフェイスブックページをみてください。」というメッセージはペイリンの多くのエントリーのように期待通りの反響を集めた。一部の共和党の間ではこのやり方はアメリカ国民をもっとも大事な健康保険の話題から気をそらすものだと見る人もある。

NBCテレビのトゥデイショーで、司会者のアン・カリーは、この点についてジョン・マケイン上院議員に、ペイリンは暴力を煽動しているのではないかと意見を聞いた。私はこのいきさつをラジオの音声だけで聞いたが、それだけでもマケインが苦笑しているのがよく伺われた。

「そういう言葉使いは私の政治生命を通してずっと使われて来た物ですよ。」「標的になる地域であるとか、戦場となる州とかいったように。そういう言い方や言葉使いは政治用語の一部ですよ。脅迫だの脅しなどは問題外ですが、戦場となる州などという言い方は何も今はじまったわけではありません。」

そのくらいのことは仮にもジャーナリストの端くれであるアン・カリーが知らないはずはないのだが、それでもカリーはなんとかマケインにペイリンの批判をさせようと必死で、次のように続けた。

「『弾を詰め替えるとか』『クロスヘアー』とかいった言い方が人々を心配させるんじゃないでしょうか?」

どちらも射撃用語だから、ペイリンが相手を撃ち殺せと言っているのだと言わんばかり。視聴者を馬鹿にするにもほどがある。これについて当のペイリンは、

「暴力が解決方法でないことくらい解っています。最近のアホメディアにいよる私たちが暴力を煽っているという言いがかりなどに気を取られてはなりません。こんな戯れ言に道をそらされてはいけません。」

と答えている。
サラ・ペイリンが共和党副大統領候補となった時から、ペイリンやその家族に対してありとあらゆる嫌がらせをしてきた左翼連中。ペイリンが美人であることから嫌らしい性的な侮辱にはじまって、左翼テレビトークショーの司会者などペイリンの娘の強姦を煽動するような話までした。左翼の間ではペイリン暗殺計画をずっと書き続けているトゥイッターまである。

@sEaTtLe_MeTrO ペイリン家、そして知恵おくれの田舎者のティーバッガーやろうたちに死を!

はっきり言ってこんなのはめずらしくもなんともない。カカシ自身某掲示板で保守派意見を言う度に左翼連中からひどいことを言われた体験がある。二年以上も精神異常者と思われる左翼女性につきまとわれ、匿名掲示板なのにカカシの実名入りで毎日数十回にわたって性的な侮辱と脅迫を掲載されたこともある。(カカシからの苦情で掲示板に投稿できなくなると、彼女はブログを立ち上げ、どっかから探して来たカカシの写真を掲載して毎日ブログで嫌がらせを続けた。)左翼連中にはこういう気違いが珍しくない。
だいたいだ、ここ数十年に渡って暴力を使って抵抗運動をしてきたのは、右翼より左翼のほうがよっぽども多い。パワーラインミッシェル・モルキンなどの保守派ブロガーたちが、左翼暴力の実態について色々書いているが、長くなるのでその話はまた次回に回そう。


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『右翼から脅迫された!』暴力をでっちあげる民主議員たち

過半数を超す国民の意見を完全無視して無理矢理に健康保険改正案を通してしまったオバマ王及びアメリカ民主党。即座にはじまった法律撤廃運動に牽制をかけようと、左翼リベラル側は非常に汚い作戦にでた。
人工中絶を医療保険が支払うかどうかという点で最後までごねた末に結局はペロシの圧力に負けて折れた骨無しの自称プロライフ(人工中絶反対者)のバート・ストゥーパック下院議員などは、自分のところに怒った国民から寄せられた留守番電話のテープを披露。私はこのように脅迫されていると言わんばかりに被害者顔をして記者会見をやった。
ストゥーパック議員だけでなく、主流メディアはこぞってどっかの過激派右翼が言ったとか言わないとか言う、いわゆるヘイトスピーチとやらを取り上げて、右翼や保守派は民主党議員や大統領に対して暴力を煽っていると大騒ぎを始めた。
何たる偽善!
ブッシュ大統領の頃は、左翼リベラル連中が堂々とブッシュ暗殺ドキュドラマを制作して賞までとっていた。アレック・ボールドウィンなどという大根役者がテレビのトークショーで共和党のヘンリー・ハイド議員の家におしかけて石を投げ込めとか、家族を引きずり出してぶっ殺せとか言っていた時に主流メディアは、左翼は暴力を煽って共和党議員を脅迫しているなどと一度でも批判したか?
それを言うなら、保守派ブロガーや政治評論家達が、毎日のように受け取る人種差別や女性蔑視やその他もろもろの紙面には書けないようなあくどいコメントはどうなるのだ?
保守派トークラジオの王様ともいえるラッシュ・リンボーが難聴の手術を受けた時、リンボーがそのままつんぼになってしまえばいいとか言ってたのは左翼連中。同じく保守派トークショーホストのローラ・イングラムが乳がんにかかった時も、そのまま死んでしまえばいいとデイリーコスなどの左翼ブログでは何百と言うコメントが殺到。あまりのひどさに自分も乳がんの体験があるジョン・エドワードのエリザベス夫人がたしなめると言う出来ごとなどは、主流メディアは完全無視だ。
はっきり言ってアメリカにしても諸外国にしても、暴力的な抗議運動をするのは普通左翼団体と定番は決まっている。平和的に抗議集会をしていたティーパーティの参加者に暴力を振るったのは労働組合暴力団の連中だし、選挙の度に共和党の選挙事務所を襲って物を破損したりボランティアの高齢市民をなぐったりして選挙妨害しているのは常に左翼連中のほうだ。
左翼リベラルや保守派に暴力を振るうのは当たり前すぎてニュースにもならないということだろうか。だから一部の保守派が暴力を煽ると珍しいからニュースになるとでもいうのか?
左翼連中が留守番電話に寄せられた批判にびびったふりをして保守派やティーパーティ運動を過小評価しようったってそんな小細工は成功しない。そうやってタウンホールに集まる怒った市民の声を弾圧できると思うならとんでもない。
民主党議員たちは、今回の議案が国民の間でどれだけ不人気であるかを充分に理解している。それをこんな形で無理矢理にごり押ししたことに関する国民からの制裁が多大なるものであろうことも予期している。だから今のうちにティーパーティ運動は単なる暴力的な過激派右翼団体の運動であり、正式な市民の草の根活動などではないという印象を国民に植え付けようとしている。であるからそんな活動に参加するのはテロ団体に参加するのと同じだとでも言いたいのだろう。
だが、偽善と矛盾に満ちたオバマケアがアメリカを社会主義にしようというオバマ王の陰謀であることを見抜いた国民が、こんな小細工にみすみすと騙されるものか。
特に、オバマ王を社会主義者と批判した国民を被害妄想者のようにあざ笑い、事実に基づかない恐怖をあおって反対しているなどと批判していた民主側は、法案が通ったとたんに、この案は『富の再配分が目的だった』とはっきり発案に重要な役割を果たしたマックス・バウカス上院議員が記者会見でその社会主義の真意をひけらかした。そのことを国民が選挙までに忘れるとおもったら大間違いだ。
左翼連中は常に国民を馬鹿にしている。国民は羊のように左翼政治家達に従うと思い込んでいる。オバマ王などは法律撤廃を唱える共和党に対して、やれるもんならやってみろ、と言った。よ〜し、やってやろうじゃないの。次回の選挙では法案に賛成票を投じた民主党議員を片っ端から打ち破ってやろうじゃないか。
だが、保守派市民は左翼連中と違って文名人だ。暴力などにうったえずとも選挙でその意志を表明するのだ。


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モスレムのゲイバッシングを黙認するアメリカゲイ社会

私は以前に、アメリカのフェミニスト達がモスレム(イスラム教徒)らによる女性弾圧について沈黙を守っていることを批判したことがある。アメリカのフェミニスト団体は女性の立場向上よりも左翼リベラルとしての立場を重く考える。というより、フェミニズムなど左翼主義促進のための一つの手段にしか過ぎない。だから、女性問題と左翼主義が対立した場合には、必ず左翼主義が優先される。(イスラム圏社会はおよそ左翼主義とは言えないと思われるかもしれないが、右翼保守のブッシュ政権が対抗していたので、敵の敵は味方という安易な考えがここで働くわけだ。)
どうやらこの傾向は同性愛者たちの間にもあるらしい。
ゲイペイトリアット(同性愛の愛国者)の著者ブルース・キャロルがビッグジャーナリズムで書いている記事によると、先月26日、(2/26/10)サンフランシスコで起きた同性愛男性がビービーガンで撃たれるという事件について、SFのメディアは驚くほど犯人像の表明に消極的だという。
ヘイワードから来た従兄弟同士三人は、サンフランシスコでビービーライフルを使って通りがかりの男性の顔に向けて撃ち、その状況をビデオ撮影した疑いで、パトロール中の警察官に取り押さえられた。車のなかにあったビデオカメラには攻撃の様子が撮影されていた。
犯人三人は、シャフィア・ハシミ(Shafiq Hashemi, 21)、サイード・バサム(Sayed Bassam, 21)、そしてモハメッド・ハビビザダ(Mohammad Habibzada, 24)。三人とも犯行を認めており、サンフランシスコにはゲイバッシングの目的で来たと白状しているという。
さて、これがテキサスやユタから来た白人が犯人だったら、今頃「右翼過激派のヘイトクライム!」とかいって大騒ぎになっていたこと必定。ティーパーティなども引き合いに出されて、「ティーバッガーの暴走」とかいって主流メディアはでかでかと書き立て、すぐさまドキュメンタリー映画にでもなっていたことだろう。
それが犯人が明らかにモスレムだと解ると、主流メディアどころか、ゲイで知られるサンフランシスコのテレビローカルニュースにしろ地方新聞やゲイ専門誌ですら、この事件の犯人像についておそろしいほどの沈黙を守っているというのである。
アメリカでも一番人気のゲイマガジン、アドボケート(the Advocate)でも、犯人像やその動機について全く触れていないという。
イスラムが動機のゲイバッシングについては、タウンロードやジョーマイゴッドといった左寄りゲイブロガーたちも完全沈黙を決め込んでいるが、すくなくとも彼らは犯行そのものが起きたという事実は認めている。それが極左翼のパムスハウスブレンドやアンドリュー・サリバンのデイリーディッシュになってくると、事件があったことすら無視。一時期、モスレムによるゲイバッシングもあると認識していたサリバンなどは、この話を取り上げそうなものだが、ニュースが耳に届いていないと見えて、何も書いていない。「好都合だな」とブルース。

アメリカのゲイコミュニティーに通じていない人たちは、基本から理解する必要がある。政策やアドボカシーの決断をするゲイリベラル活動家やリーダー達は、長いことモスレム過激派によるゲイやレズビアンへの脅威を無視してきた。ヒューニューマンライツキャンペーン(the Human Rights Campaign)ギルファンデーション( the Gill Foundation)ナショナルゲイアンドレズビアンタスクフォース(the National Gay and Lesbian Task)といったリベラルの「ゲイ人権」団体は、それよりもアメリカのキリスト教徒によるゲイやレズビアンへの攻撃について毎日のように心配している。

イスラム圏諸国では同性愛嗜好であるというだけで絞首刑になるなど日常茶飯事だ。にも関わらず、アメリカの同性愛活動家たちは法廷による同性愛結婚の強制や、税金を無駄使いした教育場での子供の同性愛勧誘に忙しく、イスラム圏政権による組織的なゲイ殺害に興味がない。外国で起きていることならまだしも、その脅威がアメリカ海岸にも乗り上げ始めていることにすら興味がない。
ほんの先月、クリーピングシャリアというブログがバンダービルト大学のモスレム司教によるこんなコメントを報告している。
イスラム教では同性愛への罰は死刑だというのは本当かという質問に対し、イスラム教学の教授であるアワディ・A・ビンハズィム司教は「はい、罰は死刑です。」と答えている。そして自分はイスラムの教えに従うとさえ断言している。
こうしたイスラム教学はサウジアラビアではなく、ナッシュビルやテネシーの大学でも教えられているのだ。
だが、アメリカのゲイ活動家が優先するのは、同性結婚に反対するアメリカのキリスト教徒への反撃のみ。

また、アメリカのゲイ活動家の基本的思想として、反資本主義、反民主主義、反戦、そして反イスラエル、といった感情が何十年にもわたって深く根付いている。2003年から2007年に行われた反イラク戦争の集まりに参加した人なら、親共産主義や反資本主義や反ブッシュのサインやスローガンに混じって虹色の旗(非公式のゲイ/レズビアンのシンボル)を見るのは避けられなかったはずだ。

この「コミュニーティー」においてアメリカでゲイであるためには、先ず最初に「主流」であることを拒絶し、個人主義や自由や資本主義や憲法や投票権や愛国心を放棄しなければならない。それがすべてチェックできたかい?そしたらクラブ参加大歓迎。
イスラム脅威に立ち向かうなどアメリカゲイ体制の遺伝子とは完全に異邦なものだ。彼らにとって敵は共和党であり、ストレートな男達であり、アメリカ軍隊なのだ。
サンフランシスコや世界中で起きるモスレムによるゲイバッシングに関して、アメリカのゲイコミュニティーの姿勢は、それこそまさに、「聞くな、言うな」なのである。( “don’t ask, don’t tell” )

これだからカカシが以前から指摘しているように、アメリカのゲイ達は同性結婚には躍起になるくせに、同性愛の正式軍隊勤務には興味がないというわけだ。彼らはゲイの味方なのではなく、単にゲイ達を左翼主義促進の道具につかっているに過ぎないのだ。これはフェミニストと全く同じこと。
左翼は常に少数派を利用するのだ。


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ペンタゴン乱射事件、なんでも右翼に結びつけるな!

昇進を拒絶されて上司を殺した大学教授エイミ・ービショップにしろ、このあいだ国税庁のビルに小型飛行機を突っ込んだジョー・スタックにしろ、今回ペンタゴンのビルで警備員に近距離で発砲して軽傷を負わせ、反対に射殺されたジョン・パトリック・ベデルにしても、まだ詳細も解らないうちから左翼リベラルブログや一部のメディアは犯人達を『過激派右翼』と決めつけ、あげくの果てに反オバマ政権運動のティーパーティーと結びつけて、ティーパーティーが行き過ぎるとこうなる、みたいな報道を始めた。
しかし犯人が残した遺書から犯人像がもっとはっきりしてくると、最初のビショップにしろスタックにしろ今回のベデルにしろ、三人ともどちらかというと左翼的思想を持っていたことがはっきりしてきた。(ビショップはオバマ熱狂者、スタックは反ブッシュ反カトリック教、ベデルは民主党に登録しており、911はブッシュの陰謀といういわゆるトゥルーサーだった。)
とはいうものの、三人とも政治意識が強いというより、その不安定な精神状態から、意味のない理不尽な憎悪を近くにあったものにぶつけたに過ぎず、右翼とか左翼とかいう政治思想が行き過ぎて気が狂ったのではなく、気が狂っているから右翼とか左翼とかの過激な思想に走ったと解釈した方が正しいと思う。
にもかかわらず、こういう単なる気違いの行為を右翼に結びつけて、すぐに右翼を攻撃する左翼のやり方は汚い。
しかし保守派がそういう風にメディアの偏向報道に抗議すると、左翼リベラルは、それを保守派の被害妄想だとか、保守派には心当たりがあるから居心地が悪いのだろうとなどといって、保守派の抗議がいかにも過激派と結びつくかのような報道をする。
本日の左翼オンラインニュース、ポリティコなどはその典型であり、フォックスニュースやトークラジオに煽られた右翼過激派による暴力事件の方が左翼過激派のそれより多いという調査結果が出ていると指摘している。
ポリティコは左翼過激派プログのデイリービーストの著者の、右翼は恐怖心と憎悪を煽って暴力を煽動しているなどという、左翼特有の右翼へのステレオタイプ像を性懲りもなく掲載。ブッシュをヒットラーとか呼んで、911はブッシュの陰謀だったとかいう馬鹿げた陰謀説で人々の恐怖と憎悪を煽ったのはどっちなのかと聞きたい。共和党政治家の家に火をつけて家族もろとも殺してしまえと言ったチャーリー・シーンは左右どっちだったのか、エーコーンや労働組合などの暴力団を使って共和党有権者の投票を暴力で妨害しているのはどっちなのだと。
それを過激派とか暴力とかいうと、なんでもかんでもすぐ右翼に結びつける左翼リベラル。保守派が神経質になるのは当たり前だ!
よく、左翼は右翼や保守派を被害妄想だと批判する。確かに左翼リベラルの汚いやり方に注意を払っていない一般市民からしたら、左翼リベラルの陰謀を指摘する保守派は被害妄想の行き過ぎでどっかおかしいのではないかと思われるかもしれない。左翼リベラルのやり方があまりにも過激であるため、普通の市民には「まさか、いくらなんでも、そんなことはないだろう」と信じられないのは当然だ。
何も知らない人なら、オバマ王はファシストだと指摘している保守派の方が過激に思えるだろう。だが実際に金融企業や自動車企業を国営化してしまったり、健康保険の完全国営化を強制的に押し進めているオバマ王のやり方に注意を払えば、保守派の警告は決して被害妄想でも単なる陰謀仮説でもなかったことが解るはずだ。
過激思想は保守派のものではない。オバマ王が代表する左翼リベラルの考えこそが過激であり左翼暴力を煽動するものなのである。その右翼や保守派は単にその危険性に警鐘を鳴らし、ティーパーティーは左翼リベラル政権による独裁への抗議にすぎない。
ティーパーティーは暴力的な暴動に変化したことはないが、左翼のデモ行進は頻繁に暴力沙汰へと激化する。ワシントンDCで行われた反戦デモの時に、戦争記念碑が左翼連中によって破損されるという例がいくらもあった。ティーパーティーに参加している老人や婦人に暴力を振るっているのは労働組合の暴力団員である。
右翼や保守派を暴力的だの恐怖心や憎悪を煽動するなどと批判する前に、左翼リベラルは自分らの行動を反省してもらいたい。もっとも左翼リベラルのモットーは絶対に反省しないことにあるので、そんなことを期待しても無駄だが。
我々右翼保守派は常に左翼からの攻撃に対して断固対抗する必要がある。何もしないでいると左翼リベラルによって右翼保守の性格づけをされてしまうからだ。だから、暴力事件が起きるたびに、それを右翼に結びつけようとする左翼の陰謀には、そのつど立ち向かう必要があるのだ。(2010-03-07 09:50:48)
アップデート:
苺畑夫妻ともネット仲間のパテリコも、左翼のほうが暴力的な過激派がよっぽども多い事実を沢山例をあげて書いている。時間があったら後で詳細を紹介したいと思うが、英語に自身のある方はご参照のこと。(2010-03-07 10:13:00)


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左翼リベラルの反撃、コーヒーパーティーってあなた、歴史しらないの?

ティーパーティーの勢いに腹を立てた左翼リベラル達が、コーヒーパーティなる運動を始めた。設立したのはアナベラ・パークなる若い女性。フェイスブックにその怒りを書き連ねたのが始まりだと言う話だ。

コーヒーパーティを始めましょうよ、スムージーパーティでもレッドブルパーティでもいいわ。でもお茶は勘弁してよね。カプチーノパーティってのはどう?きっとあいつらを腹立てるわよ。エリートぽいってね。一緒になってカプチーノ飲みながら中身と思いやりのある本当の政治会話をはじめましょうよ。

上記の一節を読んだだけでパークがバリバリ左翼リベラルだということは明白。それにしても、お茶会に対抗してコーヒーパーティってのも全く芸がないだけでなく、彼女の歴史知識のなさを思わせる。彼女はアメリカ独立戦争のきっかけともなったボストン茶会事件の歴史的背景を知らないのだろうか?愛国者ぶる割には無知まるだしだという気がする。
リンク先のホットエアーに彼女がコーヒーパーティとはなにかを説明するビデオが載っている。その4分34秒に及ぶながったらしい割には中身のないだらだらした話ぶりを辛抱強く聴いてみたが、要するにパークはお茶会参加者は政府による問題解決への「妨害者」であり、今我々に必要なのは「多様性」を受け入れることと政治プロセスへの「協力」だ。お茶会のおかげでそのプロセスが妨害され、分裂され、会話を交わすことさえ出来ない状態にある。政府は我々の代表であり企業のためにあるのではない。といった内容だ。そしてパークは政府のプロセスを妨害する人間には責任を取らせる必要がある、とまで言っている。
だが、彼女のいう「協力」とは左翼体制への絶対服従であり、「多様性」というのは考えの多様性のことではなく、単に民主党を支持する少数民族を増やすといういみであり、「妨害」とは反体制派の正当な抗議運動であり、「分裂」とは単に異なった意見の健康的な交換をさす。
パークは議会が分裂しているから正当な政治過程が機能しないと言う。だが、左翼政府が独裁的政策を国民や野党の反対を押し切ってむりやり突っ切ろうとするのを野党が抗議することこそ正当な政治過程のはずである。
彼女は政治家は我々の代表だという。企業の代表ではないと。だが、民営企業に勤めて生計を立てている我々一般市民が民営企業をつぶすような政府の横暴に対して、我々の代表である政治家に闘ってもらうのも代表共和制度における市民の権利であり、議員の役目である。第一労働組合の言いなりになる左翼政府は市民の味方と言えるのか?
だから彼女の本音は『保守派連中は左翼政府がやることにつべこべ文句を言わずに服従しろ。左翼政府に反対する奴らは弾圧すべき。政府は左翼の一党独裁にすべきであり、野党の存在など許して政府を「分裂」させるべきではない。反政府連中に抗議の場など与えるな。問題解決は左翼政府に任せろ。じゃまするな、どいてろ!』というものだ。
パークはお茶会は国民の代表ではないという。もちろんそうだ。お茶会参加者自身そうは思っていないだろう。お茶会参加者はオバマ政権が国民の声を無視して勝手なことをやっていることに抗議しているにすぎない。それを「妨害者」とレッテルを張るパークは左翼体制派の独裁主義者なのだ。
ロナルド・レーガン大統領が言った有名な言葉がある。
「非常事態において、問題解決は政府にあるのではない、政府こそが問題なのだ。」
政府の横暴に抗議する権利は民主主義の基本だ。それを「妨害者」などと呼んで侮辱するパークは、左翼プロパガンダビデオなど作ってる暇があったら(それにしたってひどい出来。もう少しマシなスピーチ書けないのかね。)もう一度ボストン茶会事件の歴史を勉強して頂きたい。


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オバマの思惑が裏目に出た保健改革法案討論会

先週オバマ王が、健康保険改革案について民主党と共和党の代表を集めて討論会(保険制度サミット)を開き、その模様をテレビ中継すると発表した時、多くの保守派は共和党は出席すべきではないと主張した。オバマがコントロールする討論会など、どうせオバマと民主党が自分らだけの主張をし、反論する共和党を悪者扱いするだけで終わってしまうに違いないというのが理由だった。オバマ王も民主党も口で何と言おうと党を超えた歩み寄りなどする気は毛頭ない、そんなサミットに共和党はみすみす罠に嵌りに出かける必要はない。共和党は断じて出席を拒否すべき、という意見が大半だった。
しかし私は、共和党がうまく立ち回れば、国民にオバマケア(オバマ王と民主党の健康保険改悪案)がどれほど悪い案であるか、そして共和党にはもっと良案があるということを知ってもらう良い機会だと考えた。やり方によってはオバマ王と民主党に恥をかかせることも可能だ。
昨日7時間にも及んで、行われた討論会の結果は、どうやら私が期待した通り、オバマ王と民主党がどれだけ国民を馬鹿にしているか、その傲慢な態度があからさまになり、オバマ王は共和党の攻撃姿勢に反論できず歩み寄りは不可能という形で終了したようだ。

25日の会合は「合意できなくても誰も驚かない」(米紙ウォールストリート・ジャーナル)という事前の予想通りとなった。選挙も意識して、攻撃を仕掛けたのは共和党だった。

 2700ページの民主党案のコピーを机の上に積んで、「法案はわが国を破産に追い込む」(ベイナー下院院内総務)と指摘。「根本的な相違」(キル上院議員)があり、超党派の合意を目指すなら民主党案を廃案にし出直すべきと訴えた。

この討論会で、オバマ王の狙いが共和党が考えもなしにただ反射的に民主党の法案を阻止している悪者だという印象を国民に与えることだったとしたら、それは完全に失敗したと、オンライン新聞のデイリービースト紙は書いている。

オバマが、大統領というより生活指導の先生みたいに見えたテレビマラソンの結果は、民主党にとっては多大なる失望に終わった。民主党はこれといった点数稼ぎもできず、議論でも明確な勝利を得ることができなかった。
最初に苛立ったオバマが「ラマー、最後まで言わせてくれ」と礼儀正しいラマー・アレキサンダー議員(共和)に対して怒鳴った時から、これが寛大な心を持って問題の解決を色々吟味しようというものではないことは明らかだった。
それどころか、これはオバマがお膳立てした会話の振りをした虚偽の討論であった。にもかかわらず、オバマの事実や詳細について熟知していながら、反射的に傲慢な態度をとり、違う意見に対して不寛容で、大統領にふさわしくない辛抱の足りない態度が暴露された。(しかもオバマはやたらと他人の持ち時間には厳重で、他人の発言を何度も遮っておきながら、自分は制限もなく長々と話した。)
何よりも驚きだったのは、共和党の準備周到さだった。彼らは皆きちんと予習をしてきていた。ラマー・アレキサンダーしかり、トム・コバーン、ジョン・カイル、ジョン・マケイン、デイヴ・キャンプ、ジョン・バラソ、そしてポール・ライアンしかりである

なかでもウィスコンシン州代表ポール・ライアン下院議員の発言はオバマケアの経済的な落ち度を詳細に渡って暴露した。ライアン議員は自ら増税無しの効果的な健康保険改革案を打ち出しており、彼の発言は重みがあった。議員は保険制度改革における共和と民主の姿勢の違いを次のように説明した。

….違いはこうです。私たちはすべての答えがワシントンが何もかも規制することにあるとは考えていません。あなた方が示す問題への取り組み方は、私たちのやり方と非常に異なると信じます。私たちはこういったすべてのことをワシントンによって強制されたくないのです。

ですから、あなた方が人々がどのような健康保険を持つことが出来るかを明確にすることによって、人々がどのような健康保険を買うかを強制しています。
私たちが言いたいことはこれです、全国レストラン協会や全国個人経営企業協会などが会員のために健康保険を設立したいのであれば、彼らは会員たにち見合った良い制度を作れるでしょう。保険制度の競争を規制するのではないく、これらの人々自身にどうするか決めてもらおうではありませんか。
保険の規制を連邦化しその機能の仕方を隅々まで規制すれば、経費はもっと高くつき保険会社同士の競争を減らすことになります。
私たちはシステムの中央化をなくし、中小企業や個人にもっと権限を与え、保険制度にもっと競争させたいのです。しかし連邦化し統一化し強制すれば、これが達成できなくなります。
これが私たちの多いな違いです。

ライアン議員は続けて、オバマケアがどれだけ国家の赤字を増やすか、オバマや民主党がいかにして色々な策略を使ってその経費を隠しているかを詳細に渡って説明した。その間オバマの表情はどんどん固くなり、顔の下半分を片手で覆いながらオバマが激怒しているのを必死に抑えているのが明白だった。
数字や統計や予算など、きちんと勉強して準備周到だった共和党に比べ、民主党の議論ときたら、くだらないお涙ちょうだいの単独例で、しかも、健康保険に加入できなかったお年寄りが死んだ妹の入れ歯をつかっていたとかいう、信じられない作り話をでっちあげて、国民の同情心を買おうというくだらない議論に終始した。
こんな子供騙しの作り話をいくつも連ねるだけの議論で、民主党は国民がアメリカ経済を破綻させるような保険制度改悪案になびくと思っているのだから、民主党の連中がどれだけ国民を馬鹿にしているか明らかというものだ。
討論自体は7時間もあったので、そんなものを普通の週日にきちんと見ていた物好きはそれほどいないが、それでもところどころハイライトはニュースやブログなどでも報道されているので、興味のある人は結構色々観ていることだろう。
オバマケアは、国民にその詳細が知られれば知られるほど支持が減って行く。今回の討論会で明らかになったことは、共和党が保険制度改革を考えもなしに邪魔しているのではなく、民主党が共和党並びに国民の意見を無視して、経済的にも無謀で国民に制度を強制する悪質な案を無理矢理通そうとしているということだ。そしてそのなかで民主党がいかにエリート意識が高く、一般市民を馬鹿にしているが暴露されたのである。
共和党を一方的に悪者扱いしようというオバマ王の思惑は見事に裏目に出たと言える。


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アメリカ左翼がティーパーティーを恐れる理由

今年から職場の担当が変わって、これまでの長期出張と違い、月曜から金曜までといった短期の出張がずっと続いている。ひとつひとつは長期ではないが、こう移動が多いとかえって疲れる。今月だけですでに四つ目のホテル。
あまりの忙しさにオリンピックを見る暇もなく。ルージュとスキージャンプをちょっと観た程度。ニュースもホテルから支店までの間に聴くラジオニュースくらいしか聴いてない。支店の研究室ではネットアクセス厳禁なので、ブログ更新は週末しか出来ない。
そんなおり、テキサス州に住む気違い男が自分の家に火を放った後、小型飛行機を盗んで国税庁のビルに突っ込んで自殺するという事件が起きた。飛行機の突入角度から言って何百人という職員が働いている階を狙い、多くの犠牲者を出すつもりだったらしい。これによって犯人のジョー・スタックと税務署の職員一人が死亡、何十人という負傷者が出た。
これはどこかのテロ団体に属する者の仕業ではなく、単に政府に腹を立てた男の単独行動だったようだ。
しかし興味深いのは左翼リベラルたちの反応だ。彼らはこの男がオバマ王の増税に腹を立てていたということだけを取り上げて、『今アメリカ中で起きている反オバマ政権のティーパーティー活動が、こういう危険な人間を生み出したのだ』と主張し始めたのだ。リベラルの人気サイト、ハッフィントンポストに寄せられた2000近いコメントには犯人のスタックとティーパーティーを結びつけて侮辱するものがほとんどだった。

  • 奴はティーパーティの会員なのは間違いない、ついでにグレン・ベックのファンクラブの会員もね。
  • ティーバッグ爆弾
  • 自然選択が機能して良かったね。ティーパーティ団結せよ。
  • この男はティーバッガーみたいだ。
  • たのむよ、ティーバッグがしたたってるぜ。
  • やつらが思わせたよりずっと自由に対して危険だよ。恐れよ、奴はティーパーティーテロリストだ!

犯人のジョー・スタックはソフトウエアのエンジニアーだったが、どこかのウェッブサイトにどうして自分がこのような犯行に及ぶに至ったのかという**遺言**を残している。それによると、彼が憎んでいたのはオバマ政権や国税庁だけではなく、ブッシュ前大統領やカトリック教会などへも強い憎しみを持っていたようで、スタックは『共産主義はそれぞれがそれぞれの必要に見合ったと主張する思想であるのに対し、資本主義はそれぞれがそれぞれの汚い欲望に見合った社会をつくることだ』といった内容のことも書いていたという。ポリパンディットがスタックの憎む相手を箇条書きしている、下記はその一部。
**アップデート:ヤスの備忘録さんがほぼ全文を翻訳してくれているので、興味ある方はご参照のこと。

  • ジェネラルモータースの重役たち「考え難い悪行を犯した」
  • アメリカの医療システム「年間何千何万という人々を殺している」
  • 政治家「泥棒、嘘つき、自分勝手で汚い奴ら」
  • カトリック教会「下品、腐敗」
  • 宗教団体「化け物」
  • アメリカ庶民「信じられないほどの馬鹿」
  • ジョージ・ブッシュ 「操り人形の大統領」
  • 国税庁「ビッグ・ブラザー」

これだけ読んでみても、スタックはおよそリベラル政権を憎む右翼過激派とは思えない。単に自分が不幸なのはすべて世の中のせいだと思い込んだせこい人間のように思える。
にも関わらず左翼リベラルたちの熱狂ぶりはどうだろうか?
これについてカカシはミスター苺に「どうして左翼はこうもティーパーティーを憎むんだろうね。」と聞くと、「いや、左翼はティーパーティーを憎んじゃいないよ。ティーパーティーに恐れおののいているのさ。」という答えが返って来た。ミスター苺に言わせると、リベラル連中はエリート意識が高く一般市民を馬鹿にしているが、左翼は市民に対してもっと現実的な恐怖心を持っている。だから市民の間でわき起こる草の根運動の力強さを正しく把握し、それに脅威を感じているのだ。

左翼は恐れおののいている。なぜなら、他の政治団体に比べ彼らほどポピュラーフロントの恐ろしさを知っている団体はないからだ。そして彼らは今やまさに、その動きを目の当たりにしているのだ。

ポピュラーフロントとは非常に様々な政治力の共同体である。普段なら敵対し合うような団体のリーダー格が稀に同盟を結びはじめる。そうなると団体同士が同盟をむすぶ。結果は既存の体制のダムを押し流すような激しい動きとなるのだ。この動きにはすべての、いや過半数の市民でさえ含まれる必要はない。対抗する他の同盟を押しよけることのできる規模でさえあればいいのだ。つまり、フロントが求めるものをフロントは獲得する。
左翼はポピュラーフロントの止められない生の力を理解している。だから彼ら自身が国を制覇し「共産化」しようとする時の作戦は、かならず既存の体制に犯行するポピュラーフロントの結成であり、それを使って地方政府や植民地支配政府などに対して抗議運動を行う。

ポピュラーフロントが強大化すれば、それは革命につながる。だが革命を起こすのは左翼とは限らない。1979年の比較的資本主義だったシャー政権を倒したイラン宗教革命や、1930年代のナチスファシストらによる共産主義政権の打倒、それから1776年のイギリス帝国に対して行ったアメリカの革命運動などが、そのいい例だろう。
どの運動も、普段なら敵対し対抗しあうような政治団体が、この時だけは協力し合い、体勢に向かって立ち上がった。

愛国心旺盛で小さな政府を求める資本主義のティーパーティーは左翼にとっては最悪の悪夢なのだ。

ティーパーティーは特に共和党の動きというわけではない。だが、共和党の方がティーパーティとの共通点を多く持っていることは確かであり、ティーパーティーを味方につけるには民主党より有利な立場にあると言える。サラ・ペイリンなどの共和党リーダー達はこれまで自分たちが主張してきた政策をそのまま行動に移せばいいだけだからだ。しかし民主党はそういうわけにはいかない。ティーパーティーの要求と民主党が過去40年間に渡ってとなえて来た思想とは全く正反対だ。民主党がそれをすべて撤回し、しかも自分らが誠実であるとティーパーティーを説得するなどということは、そう簡単に出来ることではない。
ポピュラーフロントの力は、この間のマサチューセッツ上院議員特別選挙の時に顕著になった。選挙のほんの二週間前までは民主党の候補だったマーサー・コークリーが58対27で31%も優勢だった。それが二週間後の選挙では52対47でブラウンが圧勝してしまった。これは36%の逆転だ。こんなことは前代未聞である。
一年前に全国各地で細々と始まったティーパーティ運動は、リベラル達がティーバッガーなどといって馬鹿にしている間にも、どんどんその勢力を増している。マサチューセッツ州で起きたような保守派の逆転勝ちが、全国各地の地方選挙で徐々に起きれば、2012年の全国選挙では、民主党議員達が大敗する可能性が出てくるのだ。そうなれば2008年に絶対多数議席を獲得した民主党は、たった四年で全てを失うことになるのである!
リベラルは単に左翼にとって「役に立つ愚か者」でしかない。リベラル連中はティーパーティーの恐ろしさを理解できずにティーバッガーなどといっておちょくるくらいしか能がない。だが左翼は違う。左翼連中はティーパーティというポピュラーフロントのもたらす恐ろしい底力を理解し、それに恐れおののいているのだ。


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激化する左翼リベラルのペイリン攻撃

先日のナッシュビルにおけるティーパーティ大会で、その花形的存在を獲得したサラ・ペイリンだが、保守派の間で彼女の人気が上がるにつけ、左翼リベラルによるペイリン攻撃は激化の一途を辿っている。
先ず、ペイリン女史の演説中の写真が公開された時、彼女の手のひらにいくつかのキーワードが書かれていたことを取り上げて、左翼オンラインサイトのハッフィングトンポストなどは、サラ・ペイリンはオバマ大統領のテレプロンプター使用をさんざん批判しておきながら、自分は手のひらのあんちょこを見ながら演説しているじゃないか、などというくだらない批判から始まった。

「エネルギー」「税金」「アメリカ精神の向上」という言葉が明らかに見える。加えて「予算削減」という言葉の上に横線が引かれている。

はっきり言うが、このメモは多分演説のために使われたのではないだろう。演説は準備したものを使ったはずだから。それよりもこれは演説の後に続いた質疑応答の際に、質問の後ちらっと見るためのものだったのだろう。
だが私に言わせれば、それは一層悪い。
メモには詳細がない、単なる一般的な概念であり、しかも彼女が支持するものだ。
大統領候補になるかもしれない人にしては、自分が支持する根本的な信念すら暗記できずにあんちょこをみなければならないってことだ。

アホか!ペイリンのメモは確かに質疑応答中に書かれたものだろう。そしてそれは、自分の信念というより、質問内容の要点をメモったと考えた方が説明がつく。質問がいくつかの部分に別れていた場合、ひとつのことに答えている間に、別のことを忘れる可能性があるからだ。横線が引っ張ってあったのは、そのことについてはすでに済みだったからだろう。
ペイリンの演説を見る限り、彼女はテレプロンプターは使っていなかった。それよりも自分のメモを見ながら演説していたので、時として下を向き過ぎる傾向があったほどだ。あれは少し改める必要があるとしても、演説の練習もせず他人が書いたものを、内容も理解せずにただ読んで発音を間違えたりしてるオバマ王に比べ、自分の書いた下書きを見ながら演説したり、質問の内容をメモったりているペイリンとどっちが市民に好感を持たれるか、ハッフィントンポストの左翼エリートには理解できないのかもしれない。
次にペイリンへの攻撃に使われたのは、ティーパーティ大会でフォックスニュースのクリス・ワラスによるインタビューの際に、ワラスがペイリンの返答に呆れて白目を見せたという噂だ。
ワラス自身は、自分は白目を見せたりなどしていないと言っている
フォックスニュースのメーガン・ケリーの番組でケリーから、「本当に白目を見せたの?」と聞かれたワラスは

答えはノーだよ。サラ・ペイリンに対するインタビュー後の印象は賞賛以外のなにものでもない。ペイリンかく乱症候群とか人は言うが、彼女は第一級の仕事をしたよ。2008年選挙の共和党大会やその後の選挙運動中にあったような鹿にヘッドライト的な反応とはほど遠いね。

ペイリンかくらん症候群に陥っている左翼ブロガーニュースハウンドのエレンなどは、ワラスがペイリンのスタイルだけを賞賛してインタビューの内容について何も言わなかったと書いているが。そういうエレンこそ、ペイリンの演説内容やワラスとのインタビュー内容については何も触れず、ペイリンのスタイルだけを批判している。
本当に左翼リベラルってのはその偽善主義があまりにも明白でお話にならない。彼らは自分らの言ってることや書いてることをきちんと読んでいるのだろうか、そのうえで真顔でこういうことが言えるというのは、さすが左翼リベラルならではの恥知らずといったところだろう。
ともかく、彼らがペイリンの話している内容に反論できないのは当たり前だ。だが、ペイリンのスタイルだけをとってみても、左翼リベラルのエリート達は何故彼女のスタイルが人気があるのか理解できない。
ペイリンはハーバードやプリンストンといった一流大学の法科を出たような大学教授のような話し方はしない。彼女自身、自分はアラスカのアイスホッケーママ(子供をアイスホッケーの試合につれていくような母親)であると誇り高く自負している。そして彼女の、アメリカに必要なのは軍事総司令官でありテレプロンプターを見ながら格好いい演説をする大学教授ではない。というオバマ批判に我々一般庶民はかなり共感が持てる。
左翼リベラルは常に自分らこそが一般市民の味方だとしながら、彼らほど一般市民を軽蔑し見下している人種もいない。だから我々がオバマ王の国民を馬鹿にしきった話かたに怒りを覚え、逆にペイリンには親しみを感じるのだということが理解できないのだろう。
私個人としては、次の選挙でペイリンが大統領に出馬するのはまだ時期尚早だと思う。だが、彼女が左翼リベラルのエリート意識に脅威を及ぼすというなら、どんどん頑張ってほしいと思う。


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