アルト・ライトを白人至上主義と定義つけることの危険性

最近メディアがリチャード・スペンサーという男をアルト・ライト(アルタナ)のリーダーとして持ち上げている。右翼保守のベン・シャピーロもスペンサーが最近のアルト・ライト思想を代表するかのように話している。アルト・ライト親派だというマイロ・ヤナポリスによると、2010年にAlternativeRight.comというウェッブサイトを設立してアルタナ意見を掲載してきたスペンサーには人種差別的な要素があると書いている。
さて、このスペンサーなる男のグループがトランプ当選直後にメディアを招いて集会を開いた際に、参加者たちが熱狂的にナチス政権のハイルヒットラー腕上げをやってる姿が撮影され、そのビデオが出回って大騒ぎになっている。メディアはここぞとばかりに、いかにアルタナ運動が白人至上主義であるかを大々的に強調しはじめた。トランプは已む無く自分はアルタナとは関係ないと言うに至った。
しかし、トランプ支持の多くの自称アルト・ライトのブロガーやユートゥーバーたちは、スペンサーなる男はアルタナ運動の代表者などではないと主張する。カカシ自身もこの選挙運動期に保守系ブログやユートゥーブなどに注目していたが、スペンサーの名前はシャピーロが持ち出すまで聞いたことがなかったし、特に人気があるとは言い難い存在だ。
私が好んで聞いているポール・ジョセフ・ワトソンPaul Joseph Watsonユーチューブビデオを観ていたら、 彼がゲストのマイク・コーノビッチという人物とスペンサーについて話しているのに遭遇した。二人とも自称アルト・ライト運動家であるが、彼らによると、スペンサーのサイトやユートゥーブは彼ら二人のビデオヒット数に比べたら桁違いに少ないという。スペンサーよりずっと人気のある彼らがなかなかテレビ出演など出来ないのに、何故スペンサーのような弱小ブロガーが注目されるのかとコーノビッチは言う。
ま、誰が人気が高いかということはそれぞれのエゴもあるのでさておくとして、陰謀説が好きなコーノビッチによると、メディアがなぜこんなアルタナ運動のなかでも極一部の人しか参加していない弱小ブロガーに注目するのかといえば、彼らの白人至上主義に焦点を当てることで、アルタナ運動全体を白人至上主義運動だと定義付けることが目的だという。ワトソンなどはスペンサーは左翼メディアから金をもらって雇われている手先なのではないかとさえいう。
以下コーノビッチのブログから

今出回ってるアルタナビデオのンセンスと俺とは全く関係がないといっておく。だが真実は何だ?
ナチスを普通のものにしたいというのが目的だったとしよう。リチャード・スペンサーのところではそういわれている。君なら公共の場でハイル・ヒットラーと腕を上げたりするか?しかも100人ものフェイク(似非)ニュース記者たちを招いておいてだよ。意見を持つまえに考えても見ろよ。
どうしてこのイベント参加者たちは腕を突き上げたりしてるんだ?これが目的達成のための作戦として何の役に立つというのだ?
これが統括された反論というものだ。
ザ・アトランティック(そして多分CIA)はリチャードの銘柄を作り上げようとしているのだ。彼のために何百万ドルの宣伝費を使って似非ニュースメディアはリチャードとトランプを結びつけようとしている。その代償としてリチャードは腕を突き上げたんだよ。

この集会はメディアで多く取り上げられたが、それというのも、コーノビッチがいうようにザ・アトランティックというテレビ番組制作会社はスペンサーを特集したドキュメンタリー番組の撮影中で、この集会にはメディア関係者が多く参加していたのだ。それを充分承知のスペンサーが何故わざわざヒットラー敬礼をやったりするのか。
普通の政治運動がKKKだのニオナチだのと定義付けされたら信用度はがた落ちする。だから本気でそういう思想を持っているとしても、公共の場でそれを全面的に押し出すのは作戦として愚かとしかいいようがない。それをわざわざやったということは、スペンサー自身の計画的なパフォーマンスだったのか、もしくは彼自身は知らなくても、集会には左翼メディアのサクラが居てヒットラー敬礼を煽ったのではないかという説もある。
なんにしてもスペンサーは知ってか知らぬか左翼メディアの駒として使われていることは確かである。


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ビクトリアシークレットはレイシストだ!多様文化主義さえ人種差別になってしまう昨今の文化盗用思想

先日コスモポリタン女性雑誌のファッションコラムを書いてる中国系記者のへリーン・ジャング(Helin Jung)という女性が先日発表されたビクトリアシークレットの東洋テーマのデザインが文化盗用だとして批判的なコラムを書いて話題になっている。元記事のリンクは何故か切れているので本文を読むことは出来ないのだが、それを取り上げた記事がいくつかあったので抜粋だが読んでみた。
ジャングのコラムは「なぜビクトリアシークレットは人種差別的下着デザインを止められないのか」という題名。 “Why Can’t Victoria’s Secret Stop Designing Racist Lingerie?” なんで下着が人種差別主義だということになるのかというと、ジャングによれば、最近発表されたデザインで、白人や黒人のモデルたちが東洋文化に感化されたデザインの下着やネパール女性がデザインしたというアクセサリーなどをつけていたとして、これは人種差別だ!というもの。なにそれ?

『ビクトリアシークレットがウインクで明らかな文化盗用を異文化を祝福するものだなん言い換えるのに騙されちゃ駄目よ。(略)同社と製作幹部は恥知らずにも気に入ったイメージだけあっちこっちからつまんで継ぎ接ぎに縫い合わせただけ。それで世界的だとかいうのよ。冗談じゃないわ。こんなの滅多切りデザインよ。』

ま、こんな感じ。きちんとしたA hack jobの訳語が見つからないのだが、要するにまとまりのつかない滅多切りといった感じだ。引用した記事によるとジャングはさらに中国製の布を使っているのは中国人を「馬鹿にしている」という。

『東洋的な表現は理解度もなければ会話をしようともしていない。(略)溝を埋めてもいない。モデルに竜を巻きつけることで中国の消費者と結びつけると思うなんて馬鹿にしてるわ!』

『ビクトリアシークレットは、グローバリズムとか多様文化主義とかいう好意的な言葉で私の反応に先制攻撃をかけたみたいで、『私たちは皆人類という人種のメンバーだから世界の全てが全ての人たちのものだといいたいらしい。『でも世界がより接続するにつれて人種差別や父系組織や主に白人企業が自分らの収益を得ようとするのよ。私は騙されないわ。』

同記事の記者はジャングによると「多様文化主義までレイシストになってしまうらしい」と締めくくっている。
この記事のコメント欄に「文化盗用というなら中国がアメリカから盗みまくってる軍事機密はどうしてくれるんだよ」というコメントがあって笑ってしまった。
文化盗用というなら中国は文化盗用の王様だろう。しかもジャングがいうような外国文化の影響を受けたという合法的なものではなく、世界中の商標や特許を無断で使って偽者をどんどん製作している。アメリカのディズニーや日本のアニメキャラなど中国ではあふれかえっているし、アップルの携帯電話そっくりの偽者とか衣類とか鞄とか、中国製の偽者が世界中にあふれているではないか。ビクトリアシークレットは他人のデザインを盗作したわけでもなく、他文化の影響を受けた自分なりのデザインをしただけ。他社の商品を無断で盗作している中国が文句を言えた立場じゃないだろう。
もっともジャングが中国系だからといって中国代表面するのもなんだけどね。
1980年代にラスベガスのショーで日本をテーマにしたディナーショーを観たことがある。ただ、ベガスのショーだからショーガールたちの脚も乳房も露(あらわ)に見せなければならないこともあって、振袖や襟の部分は着物風だったがあとはなんだかわからないハチャメチャな衣装だった。もちろん髪の毛はお団子をいくつもくっつけた大きなアップにお箸を何本も差し込んだような不思議な髪型だった。
これを日本人観光客で満席の会場で観たので、日本人たちは大笑い(男性陣は大喜び)で大歓声が上がった。あの時は誰も日本人が「馬鹿にされている」なんて考えも及ばなかった。
余談だが、同時期、同じベガスでカカシはコンピュータ会社のコンパニオンガールとしてコンベンションに参加したことがある。昼間はミニスカでがんばったのだが、夜のパーティでは着物を着ることになった。当時髪の毛が長かったカカシは髪をセットするためにベガスの大ホテルにある美容室に行ったのだが、ここで着物を着ると白人美容師に言ってしまったのが大間違い。「あ、日本髪結ってあげる」とばかりに美容師さんが張り切ったのはいいのだが、出来上がった髪は火山のよう高くそびえており、それにド派手ななスパークリングの蝶々がドテっとくっついていた。
カカシはパーティ会場に行き着くまでに日本人に会いませんようにとずっと祈っていたのだが、なにせばブル全盛期だからホテルは日本人観光客が一杯。アメリカ人や他の外国人からは賛美の目で見られたが、日本人からは軽蔑と呆れみの目で見られた(様な気がする)。
とにかく恥かしかった!


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アルト・ライトを破壊する12の手段

この間ちょっと触れたが、マイロ・イヤナポリスによるアルト・ライトを破壊する方法12段階を紹介しよう。
1) アイデンティティー政治がすべての人に当てはまるか、誰にも当てはまらないのかを決めるべき。多々の少数民族を守る団体は存在するのに白人男性の人権擁護の団体は存在しない。大学構内やメディアや政治社会における白人差別を今すぐ止めること。人種差別は誰に対してであろうと受け入れるべきではない。
2) ユーモアのセンスを持つこと。これによってちょっとしたきつい冗談程度で若者が傷ついたりしないようにすること。
3) 犠牲者ぶって苦情ばかりの文化を終わらせること。誰かの意見に傷ついたとか気分を害したからといって、あなたに特別な権利が与えられるべきじゃない。感情なんて糞食らえよ。
4) 移民受け入れを止める。特にイスラム教圏からは。
5) 愛国心を悪者扱いしないこと。(カカシ注:反トランプデモ行進で、愛国心はレイシズム、という看板を持ってる人間がいた。)
6) グローバリズムの廃止。
7) アニメオタクを消去せよ。(カカシ注:なぜここでアニメが出てくるのか理解不能)
8) 明確な男女の差を否定することを止める。すべてが社会的構造ではない。
9) 安全地帯とかトリガー警告といった扱いを止める。事実を人種差別とか男女差別とか言い張るのはやめること。人々が自由に好きなものを読み、書き、発言することを受け入れること。
10) 意味のない高額な外国との戦争を止めること。
11) ブラックライブスマター(BLM)運動を犯罪として扱うこと。BLMは黒人至上主義の人種差別運動で黒人居住区の崩壊につながるだけだ。アルト・ライトの多くが参加のきっかけはメディアによるトレボーン・マーティンやマイケル・ブラウンの殺害事件でメディアの大嘘に騙されたと気がついたことだったと語る。BLMが似非運動なのは創設者ショーン・キングが黒人に扮した白人であることが象徴している。
12) 壁を建てろ!
ぺペ蛙に激怒していても駄目だ。人々の人生を破壊していても駄目だ。そういうことはかえって才能ある人々をアルト・ライトへと導いてしまうのである。


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アイデンティティー政治を巡って揺れるりべラルと左翼

前回は体制派右翼保守と新しい世代の右翼アルト・ライトについて書いたが、今回は左翼の中で起きている極左翼とポリコレに挑戦する新左翼アルト・レフトとの争いについて書いてみたい。
参考にしたのは11月23日付けのイブ・ペイザーのこのコラム、The F*cking P.C. Culture Problem. How do you handle political correctness in the age of Trump? By Eve Peyserである。
先日もちょっと触れたが、まっとうな左翼の間ではこのたびのクリントン及び民主党の敗北は、リベラルによる行きすぎたポリコレ、特にアイデンティティーポリティクスと呼ばれる市民の細分化に問題があるのではないかという意見が聞かれるようになった。
ポリコレの危険性について色々書いているニューヨークのコラムニスト、ジョナサン・チャイト(Jonathan Chait)によると、クリントンの敗北はポリコレが原因というよりも、

あまりにも多くのことを人種差別とか男女差別とかという範疇に分類してしまう現象があり、そのためトランプについてきちんと分析したり議論したりすることができなくなっています。この現象の問題点のひとつは、トランプのような人間が自分たちの人種や男女差別の本性を人種差別や男女差別でない他の思想を隠れ蓑として隠すことを可能にしてしまう点です。

なにもかも人種差別だ男女差別だと言い張れば、本当の人種差別や男女差別との見分けがつかなくなってしまう。またチャイトは、ポリコレ文化は社会的に恵まれているとされる人々を差別者扱いすることによってこれらの人々の感情を傷つけていることにはまるで無関心だという。

この切断が今回の選挙で民主党におきた問題の一つです。恵まれた人々の気持ちは無視し取り合わなくてもいいという考えです。有権者の70%が白人という社会で、彼らの票がなければ勝てないのに、こういう考えは不適切です。こういう考えがリベラルに会話を交わす能力を喪失させ勝利への道を閉ざしたのです。

ペイザーはポリコレという概念そのものが人によって違うのであり、右翼保守が何かとすべてをいっしょくたにしてポリコレという範疇に振り分けてしまうのも問題だという。今やリベラルの間ではポリティカリーコレクトという表現すら「ヘイトスピーチだ」と言い出す輩もいるくらいだ。
体制派右翼保守のベン・シャーピーロはペイザーとの会話で、相手にラベルを貼るだけの行為は議論ではないと語る。トランス女は精神病の男性であると主張するシャピーロは、自分のことを「トランスフォビア」と呼ぶのは議論になっていないという。

それは議論ではありません。単なる名前です。「トランスフォビックとは何か、なぜ悪いことなのか、私の議論のどこが間違っているのか、それを説明する必要があります。「あなたは私の論と議論していません。あなたは私が議論をしているから悪者だといいます。私の論がトランスフォビアだというなら、なぜ私の論がトランスフォビアということになるのか説明しなければなりません。ただ単に私はトランスフォビアだから私の意見には価値がないというだけでは駄目なのです。

確かにそうだが、それをしないのが左翼リベラルの常套手段だ。何故なら彼らにも何がポリコレで何がそうでないのかなどわかっていないからだ。以前に拙ブログでシャピーロがテレビ番組でトランス女のことを「サー」という敬称で呼んで相手の女装男から暴力で威嚇されたという話を紹介したことがある。気に入らないことを言われて暴力で脅す行為はおよそ淑女たるもののすることではないが、元ガウカーというゴッシップ雑誌の編集者でチャイトに批判的なアレックス・パリーンは、この事件についてこのように述べる。

トランスジェンダーは精神病患者でありそのように扱われるべきだと触れ回るなら、トランスジェンダーから「ぶんなぐってやる」と言われてもしょうがない。公人が公の場でそういう意見を表現するならそういう結果を招いても仕方ない。

ペイザーはシャピーロとパリーンの意見の差が左右思想の違いを顕著に表すものだという。つまり、左翼にとって言葉は非常に強い意味を持つのであり、言葉によっては非常な憎しみを表すものであるから、それは実際の暴力に等しいと考える。だから暴力を暴力で応じて何が悪いのかという理屈になるわけだ。
パリーンは「特定の意見の表現は許可されるべきではない」と主張する。アメリカにはどんなひどいことでも礼儀正しく言いさえすればよしとする伝統があり、チャイトのような文化人は話せば解るという態度をとっているが、戦っている相手といつまでも話ていても拉致はあかない。議論をするのは左翼の責任ではない。「負けたら礼儀など何の意味もない」、正しい対応は「どんな手を使ってでも戦うことだ」という。
つまり、パリーンは自分らの側に理はない、議論をすれば負けると認めているのである。だからシャピーロやマイロなどの右翼保守が大学キャンパスで演説しようとすると暴力で阻止しようとするのだ。憎しみに満ちた演説は暴力なのであり、それを暴力で阻止するのは当然だという考えなのだ。
だが、チャイトが言うように、そういうやり方は民主党を勝利に導いていない。いやかえってマイロやシャピーロが言ったように、普通の人々をアルト・ライトの腕の中に追い込んでしまうのだ。
左翼リベラルの間では、これまでどおりアイデンティティー政治を進めていこうとする動きと、細分化されたグループごとの有益ではなく民主党全体のために良くなることを考えるべきという考えとで割れている。どちらが勝つかはトランプの勝利がよく物語っているのかもしれない。


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アメリカのネトウヨ、アルトライトとは一体何者?

最近、ちまたではアルトライトと呼ばれる政治思想が話題になっている。アルトライトとは体制派保守ではない過激的な右翼思想でアメリカ版2ちゃんねるの4ちゃんなどで一気に人気が出てきた、言ってみればアメリカ版ネトウヨ族である。
一般的には西洋白人文化崇高の国粋主義ということになっているが、自らがアルトライトのリーダーだとか言い出す輩がやたらに人種差別的な発言をするので、アルトライトとはそういう思想なのかと思い込んでいる人が左翼にも右翼にも多く居る。一般的にアルトライトに関する印象をよくまとめている日本語サイトがあったのでユーコのブログさん掲載からちょっと引用。

アルト.ライト運動( Alt-Right Movement)は最近頻繁にメディアが使うようになった表現であり、Altは Alternative (選択肢)の略語である。アルト.ライトは、従来の保守派のイデオロギーを遥かに超える極右派的思考に言及し、主流派共和党とのイデオロギーを明白に区別している。その極右派イデオロギーは白人至上主義、反多様文化、反移民、反ユダヤ主義、白人国家主義などが挙げられる。

*Alternativeという単語は日本のメディアは「選択技」と訳しているが、本当の意味は「別のやり方」という意味。つまり、既存の保守思想とはまたちょっとちがった別の視点で観ている思想ということだ。
ユーコさんは、アルトライトと白人崇高主義団体のKKKを同率に並べているが、KKKは民主党のグループ。アルトライトは文字通り右よりで共和党派である。
しかし、1980年代からネットの掲示板で左翼とやりあってきたミスター苺に言わせると、アルトライト運動は今にはじまったものではなく、創設当初から人種差別者とそうでない人たちとの間で、どっちが本物のアルトライトかでかなりもめていたという。
トランプを大統領に押し上げたアルトライトとは一体どんなものなのか、彼らの正体は左翼リベラルからも体制派右翼保守からも誤解されている。
主流メディアがアルトライトと決め付けている人々は必ずしもアルトライトとは限らない。例えばドナルド・トランプのチアリーダーで最近若い世代の保守派からアルトライトの王子様(クィーン?)とメディアから扱われているマイロ・イヤナポリスは自分自身はメディアが定義つけるようなアルトライトではないと言い張る。
その理由として、マイロは自分が親イスラエルであること、ジョージ・W・ブッシュのファンでイラク戦争には賛成だったこと、そして同性愛者のマイロの男性の好みは黒人男性であることを挙げている。
マイロに言わせるとアルトライト運動は単なる白人崇高国粋主義運動ではなく、もっと大きな運動だという。しかし左翼リベラルは彼らをあたかも「ツイッター口座を持ったスキンヘッド(丸坊主頭の人種差別者を指す)」だと思っているし、若い世代の動きを理解できない体制派右翼保守は左翼リベラルの定義付けを鵜呑みにしているという。
確かにアルトライトのなかには人種差別的な思想の人間が居るには居るが、彼らはごく一部であり全体のアルトライトを代表しないのだとマイロは主張する。

アルトライトは文化の反逆軍です。今日のアルトライトの大多数は2000年世代で、10代から若いジェネレーションX(30歳代)を含みます。白人が主ですが少数派も多くなってきています。エリートによる親イスラム姿勢にうんざりしているユダヤ系とか アファーマティブアクションで差別されている東洋系とか、ホッテプスというブラックライブスマターに幻滅している黒人のグループとか。

これについて、憲法保守と自称するベン・シャピーロはアルトライトについてこんなことを語っている。 シャピーロは以前マイロと同じブレイトバート誌で働いていて、その創設者の一人で今やトランプの側近的存在のスティーブ・バノンとトランプの扱いについて決別した。

基本的にアルトライトという団体は西洋文明はヨーロッパの人種とかけ離せないもの、つまり人種差別、だと考えるひとたちの集まりです。これらの人々は西洋文化が異人種や異文化や異教徒を多く受け入れすぎると西洋文化は内側から崩れてしまうと信じているのです。(略)西洋文化の基盤はどんな人でも文明の価値観を参加することができるというものです。アルトライトはそれを信じていません。少なくともアルトライトを代表するとされるリチャード・スペンサーやジェラッド・テイラーやボックス・デイなどいった人物はそうです。

ツイッター上でトランプを巡ってマイロのフォロアーたちに反ユダヤ教の侮辱で散々叩かれて、マイロへの敵意丸出しのシャピーロは、アルトライトが人種差別者の集まりであると言って譲らない。シャピーロはアルトライト)はよい人々ではないと断言する。アルトライトはマイロ・イヤナポリスのような人間に新しい教養人としての発言の場を与えたという。

トランプ陣営が力を得てきたことでアルトライトがしようとしていることが二つ三つあります。そのひとつはアルトライトの定義を広げることです。(略)アルトライトの定義を広げて真髄の思想を信じていないひとたちまで(アルトライト運動に)吸い込もうとしているのです。

二人の言い分を比べながら読んでいたら、二人とも一つほぼ同じことを言っている部分に遭遇したので比べてみよう。強調はカカシ。まずはマイロ。

左翼はやりすぎることによってアルトライトの腕のなかに人々を追い込んでいるのです。怒鳴りつけるにしろジョークにしろ、体制派は愛国心を人種差別だといって侮辱するのをやめる必要があります。2015年のイギリスでの選挙のとき、左翼の議員候補がイギリスの国旗を掲げるひとは「単純でカジュアルな人種差別者だ」といいました。それでも、これなどは大学教授たちが愛国心の表現に対してする批判とは比べ物になりません。(略) (アルトライトが好んで使うシンボル)ペペザフロッグに憤怒しても駄目なのです。人々を破壊しても駄目なのです。そういうことはかえってより多くの才能ある人々をアルトライトへと導くだけなのです。

そしてこちらがシャピーロ。

左翼は右系の人をすべて「アルトライト」と呼んでいますが、これは大きな間違いです。 なぜならそれによって左翼は人々をアルトライトの腕のなかに追い込んでしまうからです。人々を人種差別者だといい続ければ、人々は、そうか、じゃあ俺を人種差別者と言わない奴のほうにつこう、と考えるようになるのです。

カカシはマイロもシャピーロもどっちも好きで、どちらのポッドキャストも聞いている。話し方としてはマイロの方が耳障りがいい。学歴の面ではシャピーロの方が高いかもしれないが、本当の意味での教養はマイロの方が長けていると思う。シャピーロはちょっとエリート過ぎる。つまり体制派保守なのである。
アルトライトは明らかに体制派右翼ではない。一時期はやったティーパーティー党でもない。しかし彼らが本当に人種差別者の集まりなのかどうか、そうやって簡単に考えるのは危険かもしれない。シャピーロはアルトライトのリーダーたちがそうでない人々も引き込もうとしているというが、そうやって人種差別とは無関係な本当の意味での愛国者がどんどん自分たちをアルトライトと呼ぶようになれば、アルトライトの真髄とシャピーロが信じている人種差別意識も変化せざる終えなくなるはずだ。
ところで、マイロはどうすればアルトライト運動を破壊することが出来るかどうかを箇条書きにしている。長くなるので、それはまた別の機会に紹介しよう。


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ポリコレ(PC)文化って一体なによ?アイデンティティー政治の終焉

先日拙ブログでリンクをつけているユーリさんから、自分が右翼保守系のブログとして枠付けされているのはおかしいという苦情をもらった。拙ブログのメインページで横帯についているカテゴリーは10年前の創設当時にカカシが適当につけたもので、多種多様な思想のあるなか、あまりにも単純な区分けであるため、多分この欄で紹介しているほとんどのブログがその枠組みに入らないのではないかと思う。自分は右翼保守ではないとお感じのブロガーさんたち、そういうわけなので気にしないで頂きたい。他人に勝手なアイデンティティーを与えることがいかにやっかいな代物であるかを考えさせられる。
さて、この間のトランプ勝利について左翼リベラルの間で「何故負けたんだろう?」と本気で考える傾向が現れはじめた。左翼リベラルでも比較的まっとうな人たちの間では、行き過ぎたポリコレ(政治的に正しいとされる思想)特にアイデンティティーポリティクスが問題だったのではないかと反省する声が聞かれるようになったのだ。しかし同時に、右翼保守及び反ポリコレ人なら誰でも体験済みの恐ろしい攻撃を、従来左翼リベラルと自負していた連中が浴び始めると、突然にして自称左翼リベラルがポリコレによる恐ろしいバックラッシュに気がつくという爆笑ものの状況が生じている。
元来左翼リベラルの人々は自分らが左翼リベラルという特別な政治見解を持っているという自覚がない。彼らは自分らの考えていることが普通なのであり、違う意見を持っている右翼保守などという人種は異星人であるかのような認識しかない。だから政治をもちだすべきではない観劇中や誰かの引退パーティやアメフトの国家斉唱の最中に不適切な政治論を持ち出して、周りの人々の不快感などまるで気がつかない。
ところがこういう人たちの間で意見の違いが生じた場合はどうなるのか?
黒人の命も大事だ!賛成!イスラム教移民も受け入れろ!賛成!同性愛結婚を認めろ!賛成!トランスジェンダー奨励! 賛成! 後期人工中絶合! 賛成! 男も女湯に受け入ろ!。。。。え?????それって違うんじゃないの?
ナチ~!
これまで99.9%同意していた人たちが、最後の0.1%で違う意見を表明すると即座にナチ扱いされるのだ。そして裏切り者に対するポリコレ連中たちの報復は迅速かつ猛烈である。
サタデーナイトライブという土曜の夜の長寿バラエティー番組で、コメディアンのコーリン・ジョストがニュースアンカーに扮して「デイトアップのティンダーは今週新しいフィーチャーを紹介しました。これは37種の性別を選べるというもので、『なぜ民主党は選挙に負けたのか』という名前です。」と多種性別をおちょくったところ、ツイッターでものすごい攻撃を受けて炎上してしまった。
自分をノンバイナリーラティンクスクイアー(なんじゃこりゃ?)とかいう男か女か混乱している人間が「なんだこのファ、、、は!」とツイートしたところ、あっという間に5400のいいねと1900のリツイートがあったという。ひとりのトラニーは、トランスやノンバイナリー(非二性別)の人々の存在を選挙に負けたせいだとするのはどういうことだ!と怒り狂っている。
コーリン・ジョストはばりばりの民主党支持なのだが、そんな人間でもちょっと道をはずすとこういうことになる。ミスター苺いわく、左翼はユーモアのセンスがない。
ジョストは後に、自分はトランスジェンダーのことを批判したのではなく、行き過ぎたアイデンティティーリベラリズムを批判したのだと説明した。
さて、それではアイデンティティーリベラリズムとは何か。私なりな解釈をすると、要するに自分を何か特別な少数派団体の一員とすることによって多数派から特別な優遇をしてもらおうとするものだ。この少数派の性質は変っていれば変っているだけいい。今アメリカで一番優遇されているのはトラニー(トランスジェンダー)たち。だから本来なら人口の0.03%にも満たないといわれているトラニーが、全国各地の大学で多数出没するようになったのだ。しかし単なるトラニーではもう古い。最近は性別流動体(ジェンダーフルーイッド)とか非二性別体(ノンバイナリー)とか言って、30以上ある性別を常に変化しまくっていると主張する輩が現れた。しかも日によって個人の気分で変る性別を他人はその都度、別な代名詞を使って敬意を示さなければならないなどという無理難題をふっかけてくる。
そうやって誰も彼もが特別待遇を必要とする少数派になったのに、ひとつだけ特権階級の多数派としてすべての悪の根源であるかのように扱われているのが白人男性たち。それでも実際に恵まれた境遇にあるエリートたちはまだしも、産業が外国に行ってしまってリストラされた中流の白人たちはどうなるのか。彼らは白人として生まれたというだけで特権階級だと少数民族から責め立てられる。白人としてさまざまな優遇を受けてきたのだから何一つ文句を言う資格はないと言われる。黒人の血をちょっと引いてるだけのエリート大学生が親の金や少数民族特別奨学金で一流大学に通わせてもらいながら、「白人の特権性」などを説くのを聞いて、これらの白人たちはどれほど嫌な思いをしたことだろう?
他人の気持ちをこれだけ傷つけておいて、自分らは自分らと違う意見を聞いただけでトラウマになるとかいって安全地帯に逃げ隠れる。
白人と黒人の混血として人種を超えた政治をすると約束したオバマだったが、蓋を開けてみたら、誰も彼もが自分らの狭い枠組みに閉じこもって、「俺達対あいつら」意識で対立するようになった。今や人種間の亀裂は個々何十年で最悪の状態にある。そしてアイデンティティーリベラリズムこそが根源にあるのだ。
実はもうすこしポリコレについて書こうと思っていたのだが、アイデンティティーポリティクスの話がながくなってしまったので、続きは次回にまわそう。


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SJW(正義の戦士たち)の完全溶解に左翼も激怒

トランプが次期大統領に選ばれてからアメリカ各地で反民主主義の暴動が起きているが、それについて暴動は操作されていると書いているザウルスでござるという日本のブロガーさんが居た。写真つきでかなり詳しく暴動内容を説明してくれているので一見の価値あり。

相変わらず日本の新聞・テレビは、アメリカの主要メディア( MSM: Main Stream Media)の受け売りの垂れ流しで、たくさんのアメリカ国民が次期米大統領に決定したトランプ氏に反対しているかのような報道をしている。まったく現実を歪めた報道である。

こうした「反トランプ暴動」、「反トランプデモ」 のほとんどは自然発生的なものではなく、莫大な資金を投じて組織的に展開されている “演出イベント” である。報道記者はこのことを報道すべきなのである。
日当をもらってバスで運ばれて各都市を “地方巡業” している 有給の暴徒集団 なのである。その多くはメキシコ人などのヒスパニック系で、今回の選挙でも選挙権のなかった連中が、厳しい移民政策のトランプの当選に業を煮やして、金をもらって大暴れして憂さを晴らしている のが実態である (略)
すべて組織的にスケジュールが組まれて展開されているのである。それぞれの都市の市民のあいだから自然発生的に湧きおこっている反対運動などでは全然ないのだ。よそからやってきたゴロツキ連中が、同じくバイトを使ってあらかじめ用意されたプラカードやバナーを手渡されて大暴れしているだけなのである。
テレビや新聞の報道記者は現地でのそうした “アルバイトのドサ回りデモ”の演出 を知りながら、さも現地市民のデモであるかのように大きく報道しているのである。マスコミも共犯である。
。。。湯水のように資金を注ぎ込んでもこうした大がかりな大衆操作を必要としている人間がこの地球上にはちゃんといるのだ。こういうことにいくらでも金を出す人間がいるのだ。。。。、ほとんどは ジョージ・ソロス の差し金と見られている。この男はクリントンを大統領にするために、すでに莫大な金を注ぎ込んできた揚句、大負けをしてしまったわけであるが、今度は負けを取り戻そうと、何が何でもトランプを除去するために血道をあげているのだ。

ジョージ・ソロスというのはアクションヒーロー映画の悪玉を地で行ってるひどい奴。やることは徹底して反人権、反自由主義、反資本主義である。彼がユダヤ人の血筋ということで未だにユダヤ金融の陰謀があるなどという馬鹿が絶えないが、ソロスは第二次世界大戦中にアウシュビッツのユダヤ人収容所に囚人として居た頃、同胞のユダヤ人を裏切ってナチスに密告していたという噂がある裏切り者だ。奴の目的はグローバリズム。アメリカだけでなく全世界をファシズムにして自分がその頂点に君臨しようというわる~い奴である。
さて、この反トランプ暴動は一般の左翼リベラルたちからも評判が悪い。私の同僚で完全な民主党支持派のPも「なんでデモをカリフォルニアでやるんだ!(カリフォルニアではクリントンが圧勝した)次回の選挙で勝ちたかったら共和党支持の州に引っ越して、そっちで投票しろ!」と息巻いていた。たしかにね、クリントンを支持した州で大暴れして民主党支持の州民に迷惑かけて何の意味があるんだというのは理屈だろう。民主主義の選挙結果が気に入らないなら、選挙で勝つことを考えるべきで、暴動なんかいくら起してみても意味がない。かえってお前らがそんなふうだから民主党は負けたんだという印象を人々に根強くもたせる結果を生む。
またイギリスの左翼コメディアンジョナサン・パイなども、史上最悪の大統領候補であるトランプにヒラリー・クリントンが負けたのは、民主党がヒラリーのような腐敗した候補を選んだこと、トランプ支持者をレイシストだホモフォブだと侮辱するだけで、実際に起きている問題解決についてなんら提案しなかったことなどをあげて、負けて当然だ、俺は驚いていない、とビデオで息巻いている。

こうなったのも左翼に責任がある。なぜなら左翼は自分と違う意見や世界を違う視点でみる見解はどんなものでも受け入れられないと決めてしまったからだ。俺達は文化戦争に勝ったからといって討論をしない。だから相手が右翼なら、『お前らはゲテモノだ、悪魔だ、人種差別者だ、馬鹿だ、救いようの無い惨めな奴らの集まりだ。』という。そんなことを言われたら相手はどういう風に投票すると思うんだ?侮辱やレッテル張りで説得された人間が何処に居るんだ?

自分が右翼だったり、いや、単に主だった意見とは反対だったりすれば、自分の意見を表明しただけで攻撃される。だから人々は投票場に行くまで自分の意見を言えなかったのだ。誰も見ていないところで誰からも責められずに恥じかしめられずに、やっと自分が本当に考えていることを言うことができるまで、これは非情に強烈なことだ。
(イギリスでは)トーリー党が政権を握った。イギリスEU離脱、そしてトランプ。世論調査は間違っていた。すべてがだ!なぜなら人々は自分が何を考えているかを認められなかったからだ。自分の考えを認められなかったのだ。認めることは許されなかった。左翼がそれを許さなかったのだ!俺達は人々が弾圧を恐れて自分らの立場をきちんと表現することを不可能した。彼らは口にするのを躊躇したのだ。左翼の誰かが「それを言ってはいけない」という度に、左翼はそういう文化に寄与してきたのだ。
今こそ嘆くのは止める時だ。EU離脱に泣くのも止める時だ。反対意見を無視したり、ましてや弾圧したりするのは止める時だ。フェイスブックにリポストすることが政治討論だと思うのも止める時だ。体操選手が誰かの宗教を侮辱したとかいって特技の活動を止めさせたりするのも止める時だ。悪いが、一体何時から体操協会は神冒涜を取り締まる機関になったのだ?
今こそ人々は気づくべきだ。ガーディアン紙を読んでもリベラルにはなれない。グリーンピースをリツイートしても二酸化炭素足跡を減らすことにはならないということに。
そして男の股ひらき(電車などで男性が大きく股を開いて座っている行為)が気に障るなら、どっかの安全地帯にでもいっちまえ。そうでないなら俺と討論をして俺のどこが間違っているのか指摘してみろ。トランプはホワイトハウスを勝ち取ったのだ。気分を害しているだけでは駄目なのだ。侮辱を投げかけているだけでは駄目なのだ。
何かをしようと思ったら、きちんと討論することだ。自分とは違う考えの人々を自分の議論で説得してみろ。簡単なことだ。なのに左翼はその技術を失ってしまった。自分に同意しない人間がすべて悪だとか人種差別者だとか男尊女卑思想だとか思うのはやめて、彼らと話をしてみろ、説得してみろ、それをしなければどうなる、それをしなければドナルド・トランプが大統領になるのだ。

ジョナサンは左翼が正しいと思っているので、「話せば解る」という伝統的な考えを表現しているが、左翼がこういう卑怯な手口に出るのも、左翼が正直に話しをすれば一般市民は決して同意しないということが左翼連中にはきちんとわかっているからだと思うね。
ジョナサンのようなバリバリ左翼は自分らは正しいと思っているが、卑怯な左翼リベラルは相手を完全に馬鹿に仕切っている。自分らの聡明な考えなど下々の者になどわかるはずがないと最初から考えているから、相手を説得しようなんて気持ちはさらさらない。
左翼リベラルが権限を持ちえるのは相手を侮辱し弾圧し支配しきることが出来たときだけ。ジョナサンは何度もEngage(エンゲージ)という動詞を使っている。これは適切な日本語が見つからないのだが、この場合はきちんとした討論に参加しろという意味。だが、長年左翼リベラルとネット上などで交流してきて思うことは、左翼リベラルは絶対に議論にエンゲージしない。なんど意見のやりとりをしても、物事の根本を議論しようとせず、相手の言葉の揚げ足取りをしたり、無関係な話題を持ち出してきたりするだけ。そして最後は必ず侮辱で終わる。左翼リベラルのこういう卑怯なやり方は今に始まったことではない。ジョナサンがそれを理解できないのはジョナサンは左翼で左翼リベラルではないからだ。
ここでカカシが数年前に書いた「立派な革新派市民となるための詭弁口座」をおさらいしてみよう。エンゲージの部分を強調しておく。

初心者の革新派同士の君たちは、相手とまともに議論をしても勝ち目がない。そういう君たちに最も効果のあるやり方は、スローガンをしっかり暗記し、それを何度もくりかえすことである。「戦争反対!」「教科書反対!」という具合に。記憶力のいいひとなら、誰かの書いたもっともらしい文章を2〜3節暗記して、意味がわからなくてもそれを繰り返すやり方もある。
この際なるべく相手に理解しがたい「不誠実誘導爆弾発言」といったような言葉使いや言い回しをすると効果がある。君たちがわかっていようといまいと問題ではない。相手を混乱させるのが目的だからである。
ここで大事なのは、決して相手の誘いのって質問に答えたりしないことである。初心者の君たちにはまだスローガンの中身を説明する技術はない。質問を受けたら相手が質問すること自体おかしいというふりをしよう。
「そんなこともわからんのか、あんぽんたん!」「こんなことは常識だ」「必然的にそうなるのだ!」と繰り返し、質問をはねつけよう。
それでもしつこい相手には、「人種差別者!」「男尊女卑主義者!」「ファシスト!」といったような決定的な個人的中傷誹謗でとどめをさそう。相手はこれで大抵黙る。

このシリーズは中級と上級編まであるが、最後に卒業編として「それでも相手を負かしきれなかったら徒党を組んで町で暴動を起す。」を加えておくべきかな?


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左翼リベラルが弾圧する「35項目」言論に反論

前回紹介したマウラ・J・コリンズ女史のよかれと思って使われる馬鹿な言葉使い35項目について反論したいと思う。35項目全部に対しての反論は時間の無駄なので、この本の根底に流れるコリンズ教授自身の偏見について語りたい。

先ずコリンズ教授の本の原題名は”Dumb Things Well-Intentioned People Say”というもので、英語風でなく日本語風に意訳すると「悪気はないのに言ってしまう失礼な表現」となる。この題名からも解るように、これら35項目の表現をした人々は、決して相手を傷つけようとしてこういう表現を使ったのではない。コリンズ教授自身が認めているように、彼女の本が対象としているのは相手を傷つけたくないと思っている礼儀正しい人々なのである。彼女曰く、人は知らず知らずのうちに他人の気分を害するようなことを言ってしまう。気をつけないと友達や職を失ったり訴えられたりするので気をつけようというものだ。

しかし彼女の表向きの意図はどうあれ、彼女の真意は多数派の人々を常に不安定な状態にして、左翼リベラルが彼らを完全コントロールしようというものである。

35項目の中で一貫している主旨は『少数派には多数派には絶対に理解できない独特な体験がある』というもの。この根底には多数派は誰もが少数派に対して偏見を持っており、少数派は常に差別的な多数派によって弾圧されている犠牲者であるという前提がある。であるからして多数派が少数派の体験に理解を示したり、少数派が少数派特有の体験だと信じていることを多数派にも起きると指摘したり、多数派が自分は人種差別意識など持っていないと主張したり、多数派が多数派や少数派の違いなど意識したことがない、などという供述は少数派を騙すための偽りだと主張するのだ。

前回も述べたように、これはコリンズ教授自身の偏見に他ならない。自分が人種や男女差別やLGBTQへの偏見傾向があるからこそ他人もそうに違いないと思い込んでいるのである。コリンズ教授がレズビアンだから偏見がないというのはナンセンス。よく、白人以外は人種差別者になりえないと言い切る人がいるが、そんな馬鹿げたことがあるはずがない。差別意識は誰もが持ち得る意識である。

はっきり言って、この程度の発言が「~々差別だ」といえること事態、アメリカがどれほど差別意識の無い国なのかという証拠である。本当の意味での差別が存在する文化、たとえばインドのカースト制にしろイスラム圏に異教徒に対する差別にしろ、差別が当たり前に日常茶飯事にされて多数派も少数派もそれを受け入れている国々では少数派は文句も言えない。女性の権利など最初から認められていないイスラム文化では、名誉殺人などといって男性の言いなりにならない女性が簡単に殺されてしまう。そんな社会ではハニーとかスイートハートなんて言葉使いにいちいち腹を立てる女性はいないだろう。
左翼リベラルが本気で人権というものに興味があるなら、自由な国アメリカでまるで悪気のない人間の発言をもって重箱の隅をつっつくようなことをやってないで、本当に人権迫害をしている諸外国に挑戦してはどうなのか。本当の意味で差別や弾圧に抗議してはどうなのか?

こういうくだらない本を書き諸大学を講演して歩く人間が居るというのも、そしてそれを多用性だとかいって新入生の必読本にする大学があるというのも、アメリカの大学がいかに左翼リベラルに支配されているかを示すものである。


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日系人とユダヤ人は比較的裕福というアメリカ社会の謎

日本でも最近はアメリカで流行っているブラックライブスマター(BLM)と呼ばれる黒人運動について報道されているようだ。BLMの主張はアメリカ社会では未だに黒人が差別されて虐げられているというもので、その証拠として黒人層は経済的に貧困であり刑務所の受刑者の数が白人よりずっと多いことなどがあげられている。ソーシャルジャスティスウォーリアー(SJW)という社会正義の戦士と自負する左翼リベラルたちは白人特権とかいう言葉を作り上げて、白人は他の有色人種に比べ生まれつき色々な特権に恵まれて優遇されていると主張する。
しかし、SJWたちが白人特権を口にするとき、彼らの考えは白人と黒人という二進法でしかなく、黒人以外の有色人種はまるで考慮に入れられていない。もし白人特権というものが事実あったとしたら、白人層はすべての人種の中で一番裕福で一番学歴もあるといった結果が出て当然のはずなのだが、実はそうではない。経済力だけでいうならば、東洋人のほうが白人よりもずっと裕福なのである
東洋系アメリカ人は平均して白人アメリカ人より年収が高い。この差は年々広がっており、白人と黒人の収入の差よりも大きいのだ。もし白人と黒人の収入の差が黒人差別によるものだというなら、東洋人と白人の差は白人差別によるものだということになる。
何が何でも白人が悪の枢軸という考えを押し通したい左翼リベラルにとって、白人が差別をされている側になることは認められない。だからアメリカ社会で東洋系アメリカ人が特権階級だなどという考えは絶対に受け入れられない。
しかし、東洋人の成功が東洋人特権ではないというのであれば、東洋人が他の人種より裕福になってしまう現実をどう説明するのか。東洋人の成功が境遇のせいではないとすれば、その理由は東洋人のきわだった頭脳明晰や勤勉のせいだということになる。しかしそうだとすれば、底辺にいる黒人は低脳で怠慢だという結論になってしまうので、これも受け入れられない。
左翼リベラルたちはこの矛盾をどう説明するのか?(無論左翼リベラルの主張は常に矛盾だらけなので、彼らが説明などするはずはないが。)
以前にも書いたが、カカシが大学時代、化学の時間に実験班を組むときに、何故か私の周りに白人生徒たちが集まって困ったことがある。私は化学は大の苦手だったので、自分より頭のいい生徒たちと組みたかったのだが、日本人というだけでかなり誤解を受けたようである。これはブラジル人との混血日本人が自分は下手なのにサッカーがうまいと思われて困ったと話していたのと似ている。完璧なステレオタイプである。
ところで年収が多いというならユダヤ系と非ユダヤ系白人との間にもかなりのギャップがある。ユダヤ系のほうが圧倒的に年収が多いのだ。まさかアメリカでユダヤ系が優遇されているなど反ユダヤ差別者で無い限り言わないだろう。アメリカにおいてユダヤ系ほど弾圧されている集団もないのだから。それについてはまた改めて書こうと思っている。
さて、アメリカでもっとも年収が多いのが、なんと日系アメリカ人なんだそうだ。続いて中国系、次がユダヤ系、そしてイラン系と続く。左翼リベラルはやたらとアメリカはイスラモフォビアだとか言ってるが、それならなんでイラン系アメリカ人がアメリカ社会でこうも成功するのだ?およそ人種差別旺盛な国とは思えない現実がある。
それにしても、人種的にはトップ2になる日系とユダヤ系の夫婦なのに、我々苺畑夫婦が貧乏なのは何故なんだろう?ステレオタイプにあやかりたいなあ。


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左翼リベラルによる女性への戦闘攻撃

米民主党は何年にも渡って「共和党による女性への戦闘」というスローガンを掲げてきた。しかし多々の問題を深く追求すると、実際に女性に戦闘行為を繰り返しているのは誰あろう民主党、否、いまや民主党を牛耳る極左翼リベラルたちである。
無制限移民受け入れ政策:
オバマ政権は米墨国境警備を完全に怠り、故意に無制限に違法移民の流入を許容している。これによって何度も米国で犯罪を犯して強制送還された犯罪者たちが幾度も舞い戻ってきている。こうして舞い戻ってきた犯罪者たちの犠牲になる大半は女性である。サンフランシスコで違法移民に殺された女性の例などをとってもわかるようにオバマの無制限違法移民受け入れによって、連続強姦魔が自由にアメリカを徘徊し女性を狙っている。メキシコ暴力団は中南米から逃れたい女性たちを騙して性奴隷として連れてくることも非常に多い。
モスレム優先の難民受け入れ政策
オバマ政権は難民と称してシリアなどアラビア諸国から危険なイスラム教徒を大量に受け入れている。同ブログをご愛読の諸氏には明白だろうが、モスレム難民を大量に受け入れて一番被害を受けるのは女性である。イスラム教の男尊女卑で野蛮な教えによる女児の性器切除にはじまって、ヒジャブをつけない女子への硫酸攻撃、姦淫の汚名を着せられた女性への名誉殺人、そして誰彼かまわず非モスレム女と見れば集団強姦しまくるモスレムレイプギャングたち。ヨーロッパで頻発している輪姦事件を見ればモスレム移民の大量受け入れが女性にとってどれほど危険なことであるかがわかるはず。しかもこうしたモスレム移民の悪行を指摘すればイスラモフォビアの人種差別者として沈黙を余儀なくされ、黙らなければ命を狙われる。
妊娠人口中絶無規制政策
ユダヤ・キリスト教を基盤とするアメリカにおいて、妊娠人口中絶は非常に深刻な問題である。女性が簡単に中絶手術を受けられることは女性解放であるかのように勘違いする人が多いが、実は妊娠した女性が容易に中絶手術を受けることによって一番被害を受けるのは胎児なのは言うまでもないが、妊娠中絶は女性にとっても非常なトラウマとなる
中絶が容易だと、性交という行為に女性と結婚して夫として父として生きるという責任がなくなる。となれば無責任な男どもが恋愛感情などまるでなしに女性を利用してポイ捨て出来る。セックスにさんざん利用された挙句に捨てられるのは女性のほうだ。妊娠したって中絶すればいいじゃないかと言われてしまい、結婚して子供を生み育てたいという女性たちの夢が壊される。
中絶は下手をすると後々の妊娠にも響くし、身体的には大丈夫でも精神的な打撃は計り知れない。フェミニストたちが教えない汚い事実がそこにあるのだ。
男女共同施設使用政策
表向きはトランスジェンダーの人権擁護ということになっているが、この政策で一番得をするのは女性施設への無制限な立ち入りを許された変態男たちであり、これによって一番被害を受けるのは女性たちだ。 男子トイレに女子が混ざったとしても男性は不快かもしれないが特に脅威は感じないだろう。だが、大の男が(男たちが)女子トイレに入ってくることによる女性が感じる脅威は計りしれない。トイレ程度ならまだ個室があるからいいとはいうものの、これが浴場の脱衣場や浴室だったらどうなるのか?普通の女性なら男性の存在に脅威を覚えないなどということはあり得ない。特に幼い子連れの母親だったらどう思うだろうか?
トランス女の女性競技参加許可政策
どんなに外見が女でも、医学的な男は普通の女より骨格も大きく筋力も強い。同じ訓練を受け、同じ才能のある男に対して女は立ち向き出来ない。男子を女子競技に参加させれば女子の身体を危険に及ぼす。男子ではまずまずの競技者でも女子の間ではダントツに有利だ。男子を女子競技に参加させることによって被害を受けるのは女子競技者たちである。
大学キャンパスのノープラットーフォーム政策
アメリカやイギリスやカナダの大学で横行している講演者拒否運動。どんな人々が講演を拒否されるのかといえば、イスラム教の女性弾圧を訴える元イスラム教の女性、トランスジェンダー女を医学的な女性より優先する方針を批判するフェミニスト、架空の強姦文化や男女賃金不均衡という嘘を暴くフェミニストなどである。ノープラットフォームは架空の危機を促進することによって女性たちが直面する真実の危険から目を背けさせ、女性を無知なまま危険な状況に追い込む女性弾圧行為である。真実の危険に無知であることによって一番被害を受けるのは女性だ。
銃法規制政策
銃は偉大なる均衡手段である。つまり、か弱い女性でも銃をきちんと使えば体重が二倍以上の筋肉粒々男からも身を守ることが出来るということ。強姦魔でなくても強盗が筋力では圧倒的に弱い女性を狙うのは当たり前の話し。銃法所持を規制するよって一番の被害を受けるのは女性だ。
このほかにも、左翼リベラルが押す反女性政策は色々あるが、彼らがいう表向きの理由ではなく、これらの政策が誰にとって一番得なのか、そして誰が一番損をするのか、それをよくよく考えれば、左翼リベラル政策の多くが対女性戦闘攻撃であるということがわかるはずだ。
本当に女性に戦闘攻撃をし続けているのは左翼リベラルなのである。


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