差別をする自由は尊重されるべきか?

先日ネットでとある女性と同性婚について話をしていた。彼女のツイッターを読む限り、彼女は離婚専門の弁護士であり共同親権に反対する立場の人であると推測される。ま、それはいいのだが、私の主張は同性婚が合法になったら、宗教上の理由から同性婚にサービス提供を拒否する人が訴えられる可能性があるという話をしたら、彼女は「誰にも差別をする自由などない」と断言した。

これは非常に興味深い宣言だ。人権屋の皆さまは、やたらにこの「差別」という言葉を使いたがる。なんでもかんでも「差別だあ~」と言えば相手を黙らさせることが出来る魔法の呪文ででもあるかのように。だが私は差別も自由人の大事な権利だと考えている。

差別という言葉を使うから語弊があるが、これが区別であれば、特に問題はないはず。我々は日常生活において色々なものを区別している。私は甘いものは好きだが塩辛いものは好きではない、ズボンは好きだがスカートは嫌い、
Aさんは好きだがBさんは嫌い、といったように。そして私たちは皆、その好き嫌いを基本にして自分らの行動を決めている。これはれっきとした差別だ。だが、何を好み、誰と付き合うか、それは個人の自由であるはず。

無論これが個人単位ではなく企業など商売になったらどうなるかという問題はある。例えば私がキリスト教の神父だとして、自分の協会に同性婚の結婚式を挙げてくれという依頼が来たら、私は宗教上の理由からお断りするしかない。だが私には法律上この依頼を断る権利があるのだろうか? いや、宗教の自由が保証されている日本では、断る権利を守る必要があるのでは?

私は「~は差別されなければならない」という差別的な法律さえ取り除けば、個人や民営の企業が誰をどのように差別しようと認められるべきだと考えている。昔アメリカで黒人と白人が一緒の施設で行動することを違法としたジム・クロー法などは、例えレストランの経営者が黒人客にも入ってほしいと思ったとしても、経営者にはその自由はなかったのである。つまり、法律が差別を強制していたのだ。だからこのような悪法は撤廃されて正しかった。

しかし、差別法を撤去することと、差別をしてはいけない、という法律を通すことは違う。私は差別を撤廃するのは法律ではなく市場だと考えている。例えば黒人の多い地域でレストランを営む経営者が黒人客を拒否したとする。こういう行為は店の客数を減らすことになり不経済だ。それに黒人の友達や家族の居る客や、差別者の店を好まない客など、客数は極端に減るだろう。だから経営者もこんな不経済な差別はやらなくなる。

反対に○○人は行儀が悪く、大して物も頼まないのに長居をするため不経済だと思えば、経営者が「○○人はお断り」と言っても構わないと私は思う。そうなれば、今度はまた別の経営者が「○○人大歓迎」という店を始めればいい。そうすれば、それなりに儲かるだろう。

だから私は本当に差別をなくしたいなら、法律を通すのではなく市場に任せておけば自然と是正されると考えている。資本主義がきちんと機能していればそういうことになる。(残念ながら現状のアメリカではそのような差別は許されていないが。)

ただし、誰もが必要な公共施設の場合はこういう差別は許容できない。水道局とか市役所とか銀行とか、一般人にとってなくてはならない組織での差別は人権迫害であるから、そういう企業に限っては、個人の好き嫌いによる差別はあってはならない。

しかし、「~を差別してはいけない」という法律はいったい何をして「差別した」ということになるのか、それをはっきりさせる必要がある。これがはっきりしないと左翼活動家によってなんでもかんでも差別だと騒がれて訴えられたり、政府によって罰せられたりする可能性は出てくるからだ。

しかし、同性婚推進者にしろLGBT活動家にしろ、この差別の定義をはっきりっせようとする人はない。

たとえば、LGBT差別解消法なるものが通過した場合、男性性器のある女性自認の人物を女湯に入れないのはトランス差別とみなされるのか、といったことは、事前にはっきりさせる必要があるが、活動家の方々は、そんな心配はいらない、そんな問題は起きない、というだけで、我々が聞いている差別の定義をはっきり示すことは絶対にしない。それだけ強く変化を要求するのであれば、何故変化が必要なのかしっかり説明する義務が彼らにはあるのではないか?

彼らは知っているのだ。同性婚もLGBT法も、当事者たちの人権を向上させるためなどというのは表向きで、本当の理由は一般人の自由を迫害することにあると。左翼は特に宗教家が嫌いなので、宗教の自由が迫害されることは弊害ではなく計画的だ。

だから我々は騙されてはいけない。彼らの目的は差別撤廃などというものではない。彼らの目的は自由社会を破壊することだ。よって、差別する自由は守られなければならないのだ。


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同性婚を憲法24条の解釈次第で合法に出来るなら9条はどうなる?

松浦大悟参議院議員がツイッターでLGBT論争に潜む憲法学者のダブル・スタンダードという村田晃嗣(同志社大学法学部教授) のエッセイを紹介していた。実はこれは憲法24条の解釈を変えて同性婚を合法にすべきだという意見を聞いた時に私も即座に考えたことだった。

憲法24条第一項には 「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」 とあるが、憲法新解釈派の言い分は、憲法起草当時は同性結婚などは想定外のことだったので、この場合の「両性」とは必ずしも男女という意味ではなく、同性同士の結婚を明確に禁じているわけではないというものだ。

しかし、こういう理屈が通るとなると必然的にある疑問が生じる。


ところで、9条と自衛隊、日米安全保障条約の関係については、中学生が普通にこの条文を読めば自衛隊は違憲だと思うだろうと、しばしば批判されてきた。同じ事が24条と同性婚にも該当しよう。


逆に、24条が同性婚を否定していないという理屈を9条に当てはめれば、先の大戦の反省に立って侵略行為を行なわないというのが条文の沿革であり、集団的自衛権の行使を明示的に禁止してはいないことになろう。

私は憲法9条は日本の安全保障のためにも改正されるべきだと考えるが、既存の憲法をその解釈だけ変えて好き勝手に歪曲してもよいという考えには全く賛成できない。もし同性婚推進派がどうしても同性婚が日本に必要だと考えるのであれば、その是非をしっかり国民に示し説得し議会で十分に議論した末に憲法を改正すべきである。それをせずに憲法の解釈だけを変えて自分らの主張を押し通そうとするのは法治国家ではあってはならないことだ。

もしこのようなことが通るなら、同じ理屈が9条にもあてはまってしまうのだということを後退派左翼たちは十分に考える必要がある。

憲法の想定していなかった現実に、われわれは直面しているのである。憲法の精神は尊重されるべきだが、憲法が想定していなかった現実までその枠に押し込めるのは、知的傲慢である。


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どんなに理解を示しても、トランスを女子トイレに入れたくない人は差別者にされる絶対服従の掟

最近ちょっとツイッターではかなり危険区域とされているトランスジェンダーについて色々な人と議論しているのだが、その流れで下記のような発言を目にした。この特定の会話には私自身は参加していない。著者はなんと私の昔馴染み、基(もとい)、宿敵(?)の小山のエミちゃん。

エミちゃんはトランス女性を女性だと認めるなら女子トイレに入っても良いことにすべきであり、変態女装男と見分けがつかないからトランスも入ってくるなというのはトランスをセカンドクラスシチズンとして扱うことになり、全くの偽善だと言っている。これは「トランスが性犯罪を犯すと言っているのではない。ただトランスを装った痴漢が立ち入ることを防げなくなるからトランスの立ち入りも禁じなければならないのだ」という議論への反論だ。

確かに、もしトランス女性が本当の女性なら女子施設から排除されるのはおかしい。本当の女性ならどれほどごつい人でも女子施設入室は許可されなければならない。

私のように最初からトランス女性などというものは存在しないと思ってる人間には全く無関係な討論だが、トランス女に対しても同情的であり、理解を示そうと考えている女性たちが、それでも男子が女子施設に入ってくるのは抵抗がある、怖い、と思う気持ちを、こうやって差別者だと言って責め立てるのは如何なものだろうか?

こういう意見を読むと、結局トランス活動家の本当の目的は自分たちが安心して使える施設に入りたいということではなく、女性を恐怖に陥れて弾圧するという、女性の完全服従が目的なんだなとあらためて感じさせられる。


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トランスジェンダー女性を自称しても変わらない男性の狂暴性

ツイッターでかなりのフェミニストと思われるコノミ@konomigoodさんという人が、トランスジェンダーに対して同情的な気持ちを持ちながらも、やはり自称女性の男性が女子施設に入ってくるのは抵抗があるというツイートをしていた。

トイレ等をトランスと自称するだけで出入り自由にしてしまうと男性は通報を恐れずに女装していくらでも入れてしまうその事に対してどうするか?という問題を話し合う前から、女性が不寛容無理解であるという見方をして批判してしまうと反感から対立を生み、マイノリティの潰し合いになりかねません。

トランスへの差別意識ではなく、ずっと自衛しろと言われ、加害男性はそっとしておかれるような社会の中、トランス女性に擬態してでも性犯罪をしようとする男性が出るだろう、それをどうするか?まずはそこからであり、そこを飛ばして女性の恐怖に対して云々しても議論はすれ違うだけではと思うのです。

私はこれは非常にもっともな意見だと思う。この人はトランスに関して理解を示そうと非常な努力をしているので、トランス自身が犯罪を犯すというよりも、トランスの振りをしている痴漢や変態が女性施設に自由に立ち入りできることを懸念しているのだ。それでもトランス活動家からすると、彼女の意見は「トランスを排除しようとしている」とか「トランス差別」とみなされる。

私はコノミさんほどトランスに対して同情的ではない。私は男から女のいわゆるMTFと呼ばれる男たちの犯罪について色々調べてきたが、手術をして女性と自認している男たちの中にも少なからず女性を対象とした性犯罪者が居ると確信している。

フェデラリスト掲載のこの記事には、男性は性転換手術をした後でも男性的な犯罪傾向を保持すると書かれている。著者は自身も性同一障害に悩む退役軍人でジェイミー・シュープという男性。この人は元陸軍一等兵。戦場にも何回か出動したことがあるが、退役後四年近くトランスジェンダー女性として生きた後、その願望に抵抗して今は男性として生きている。

犯罪傾向は生物学と一致する

ジェイミーは長年に渡ってメディアで報道されたトランスジェンダーによる犯罪を収集。彼の集めた67件の殺人事件と49件の性犯罪事件でその犯罪内容を生物学上の性別で比べた場合、その犯罪傾向は普通の男女のそれと一致するという結論に達した。

彼の調べた67件の殺人犯のうち14人は複数の人間を殺しており、何人かは連続殺人犯で、何人もの女性を殺していた。彼の集めた記事のなかで67件中63人が女性を自認している男たちで、3人は男と自認する女、もう一人は中性とあり生物学的性は不明。

性犯罪においてもこの男女の傾向は似ていた。75件のうち49件が18歳未満の未成年に対する犯罪で、女性自認MTFによるものが66件、男性自認FTMによるものが9件。しかしFTMによる性犯罪は相手に自分は男だと思わせて女性と性行為に至るものがほとんどでいわゆる合意によるセックスであった。

ジェイミーはさらに、公衆トイレや更衣室及び試着室における事件に関して何年にも渡り何百という時間をついやしてネット検索をし、1000件に渡る事件を収集した。これらの事件で1000件中952件までが生物学的に男性による犯罪だった。

その内訳は、大人の男性839件、少年70件、女装男25件、MTF7件、大人女性25件、FTM1件、少女12件。女性による犯罪は性犯罪は非常に稀であるが、犯罪の犠牲者は女性が大半を占める。

ジェイミーはこれらの調査結果から、女性が女性施設に男性が立ち入ることを恐れるのは正当な感情であり、女性たちが安全な場所を要求するのは全く当然のことだと語っている。

男性が女性より狂暴なのは誰もが知っている事実。男女施設が分かれていても男性によるこうした犯罪が発生している以上、施設を分けなければ上記の調査で犯罪を犯した952人が堂々と女子施設に入って来ても、女性たちは何も言えないという状況を作り出すのだ。これが女性にとって安全であるはずがない。

それにトランス活動家たちが無視している一番の点は、女性が女子施設で男性と遭遇した際の「恐怖心」である。男性が肉体的に女性に脅威を与えることは当然である。たとえ何も起きなくても、女性はプライベートな場所で家族以外の男性と居ることには非常な不快感と脅威感を持つ。これはMTFへの差別意識とかそんなものではなく、我々女性のなかに深く刻み込まれている生物学的な防衛本能である。自称女性のトランスたちがそれを理解できないとしたら、しれは、彼らが本当の女ではない証拠だ。もし理解した上でMTFの立ち入りを要求するなら、これはまさにミソジニー/女性蔑視による女性弾圧だと言わざる負えない。



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国民の意志を無視して訴訟で同性婚を押し通そうという策略

前回のエントリーで日本ではまだ同性婚を禁止するのは違憲だとする訴訟が起きていないのだろうかと書いたが、やはり日本ではすでにそういう訴訟を起こそうという計画があった。これがハフィントンポストの記事

「同性同士が結婚できないのは、憲法に違反している」として、複数の同性カップルが2019年2〜3月、東京地裁など全国数カ所の地裁で国に損害賠償を求める訴訟を一斉に起こす。「同性婚ができないのは、違憲」だとして、同性カップルが国を提訴するのは日本初となる。 11月28日のメディア懇談会で代理人の弁護士や、木村草太・首都大学東京教授(憲法学)らが訴訟の目的について解説した。

やっぱりねえ。これは時間の問題だと思っていたが。憲法改正だの国民投票だの面倒臭いことをするよりも、既存の憲法の解釈を訴訟を使って変えさせたほうがずっと近道だ。これを使わない手はない。 さて、では日本における結婚の定義をしめす憲法24条に何と書かれているのか。

婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない

明らかに「両性の合意」とあるので、これは男女両性の意味だと解釈するのが妥当だが、同性婚推進者はそうではないと言い張る。

しかし木村氏によると、この条文が意図するのは「男女のみが結婚できる」ではなくて「当事者のカップルが、自分の意思で結婚できる」ということ。
旧民法では「婚姻には戸主(父や母など)の同意を必要とする」と書かれていて、本人たちの合意だけでは結婚できなかった。それを、当事者(両性)の合意だけで結婚できるようにするために、憲法24条は作られた。
ただ憲法が起草された当時、自由に結婚できずに困っていたと想定されたのは異性カップルだけ。同性カップルが結婚できない、という問題が認識されていなかった。(強調はカカシ)
つまり24条の指す「両性」は男女を指すものではあるが、憲法24条自体は、同性カップルの結婚を否定はするものではない、と木村氏は解釈した。

この理屈はどう考えてもおかしい。確かに憲法24条設立当時、同性婚を念頭に置いていた人は居ないだろう。だがそうであるならば、何故発案者は「当事者」とせずにわざわざ「両性」としたのであろうか?わざわざ「両性」と断っている以上、この結婚は男女の間でのことだけだとはっきり明記しているのだと解釈するべきではないだろうか?それを『当時は同性結婚は念頭になかったがもし念頭にあったら「当事者」としていただろうからこの「両性」は当事者と解釈すべきなのだと』というのはあまりにも屁理屈ではないか?

原告側はさらに憲法13条と14条の「婚姻の自由の侵害」と憲法14条の「平等原則違反」の二つ を持ち出してくる。


「第十三条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

憲法13条は、幸福追求権に基づいて「人は自分のことは自分で決定できる」という自己決定権を保証するもの。
そのため「婚姻をするかどうか、いつ誰と婚姻をするか」は、相手が異性・同性に関係なく(強調はカカシ)、個人の決定に委ねられるべきことであるはずだと、弁護団は主張する。 寺原真希子弁護士は「憲法13条と24条1項で、同性カップルにも結婚の自由を認めるということが、要請をされている。それができていない現状は、婚姻の自由の侵害に当たります」と述べる。 (略)

この解釈には無理がある。日本人は誰とでもいつでも好きな時に結婚できるわけではない。同性に限らず、近親や、未成年(親の承諾なくしては)や、複数の人間とはいくら好きでも結婚は許されていない。ここで「相手が異性・同性に関係なく」というのは原告の勝手な解釈であり、第24条ですでに「両性」と限定されている以上、ここで同性を持ち出してくるのはおかしい。

では続けて憲法14条。

「第三章 国民の権利及び義務
第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない。
② 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
③ 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。」

憲法14条は、「すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分または門地によって、区別することが許されない」と定められている。
今回は「社会的身分」と「性別」が平等原則に違反するという。寺原弁護士はこう説明する。
「性的指向は自らの意思で自由に変えられないもので、社会的身分に該当します」
性別についても、憲法制定当時は男性・女性を想定していたことは否定できません(強調はカカシ)が、人間の性のあり方が多様になった現代社会では、性的指向に基づく差別も性別による差別に含めるべきであるという風に考えます」

これはさらに苦しい解釈だ。ここでいう性別とは主に女性差別のことを言っているのであり、同性愛者差別のことを指すのではない。どこにも「性嗜好によって差別されない」とは書かれていない。同性愛者は少数派だから「社会的身分」に相当するなどこじつけもいいところだ。この場合に身分とは華族だの貴族だののことを指すのであって性嗜好を指すのではない。

原告側の主張は憲法にどう書かれていたとしても、当初の想定がどのようなものであったとしても、同性結婚を含まない解釈は時代おくれだから解釈を変えるべきなのだ、そうしないのは違憲なのだというもの。

しかしだったら何故同性婚推進者は憲法そのものが時代おくれなのだから憲法改正をすべきだと主張しないのだろうか?何故わざわざプレッツエルのように条文をねじ負けて解釈させようとするのか?

その答えは簡単だ。憲法改正となれば議会での議論が必要。そのためには一般国民の支持と理解も必要。多くの人が同性婚の是非について語り始めれば多くの人が反対意見にも耳を傾けることになり、ホモフォブ!レイシスト!と騒いでるだけでは国民を納得させることなど出来なくなるからだ。

同性婚推進者に確固たる理念があるならまだしも、単に「時代遅れだから」「欧米ではやってるから」というだけでは憲法改正は望めない。

その点訴訟をおこせば、同性婚の合法性を決めるのは裁判官だけ。リベラルな判事にかかれば国民の意志など完全無視であっという間に同性婚が合法になる。推進者たちの狙いはここにある。

これはアメリカで後退派左翼た使った汚い手だ。ま、アメリカでもうまくいったから日本でもうまくいく可能性は大いにあるだろう。はなはだ卑怯極まりない手口である。


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法の網をくぐって裏口から同性婚を合法化してしまおうという同性婚推進派の卑怯極まりない手口

昨日ツイッターで同性婚を日本で合法化するか否かという議論中に、以前にも絡まれたことのあるアレク慎太郎@alekshintarouという屁理屈男に絡まれた。この男は人に絡むので有名で、まともな話など出来る人間ではない。だが、おもしろいことに、彼とのやり取りで日本の後退派左翼の非常に汚い手口を学ばせてもらった。これはアメリカで後退派左翼が行ったことと酷似しているので、一筆の価値ありとみた。先ずアメリカの場合から復習してみよう。

アメリカの同性婚は国民の同意で起きたのではない。

拙ブログの読者諸氏はご存知だが、アメリカで同性婚が合法になったのは、国民投票や憲法改正によって認められたのではなく、一部の運動家による訴訟によって最高裁が決めたことだ。アメリカにおける結婚は一夫一婦制のみというのが原則であったが、特に同性結婚を禁じていたわけではない。なぜなら元々同性婚など誰の念頭にもなかったからだ。

それで10年以上前に同性婚の話が出始めた頃、各州で改めて結婚は一夫一婦制のみとするという州憲法改正案を通した。極リベラルのカリフォルニアですらも、この州憲法改正案は州民投票で過半数以上の支持を得て可決された。これを不服とした一部の同性婚推進派がカリフォルニア州を相手どって、一夫一婦制は違憲であるとして訴訟を起こしたのである。当時の最高裁は保守派のスカリア判事の急死で一人足りない状態。リベラル派が優勢だったことから、原告の訴えが認められ、結果的に同性婚が合法となってしまった。

つまり、アメリカでは同性結婚を合法にするという新しい法律が出来たのではなく、同性婚を認めないのは違憲だという裁断が下ったことで、同性婚が認められるに至ったのである。この裁断に国民の意見は全く反映されていないのだ。

同性婚推進派が同性婚の是非をきちんと議論しない理由

同性婚推進派は同性婚を合法とすることが何故そんなにも必要なのかという議論をしない。ただ単に異性夫婦が認められるのに同性夫婦が認められないのは不公平だというだけ。しかも反対派に対してどうして反対なのかきちんと説明しろ!同性婚が合法になったからってどんな弊害があるんだ!と開き直る。普通既存の法律を変えろという方が、何故法律を変える必要があるのかを説明すべきだろう。反対意見を述べるのはその後のはず。しかしアレク君との不毛なやりとりでひとつ重大な発見をした。同性婚推進派は法律を変えて同性婚を認めさせようなどという意図ははなからないのである。

法律を変えるのではなく、解釈だけを変える汚いやり方

アレク君が紹介してくれたこのサイト、の同性婚人権救済弁護団員という鈴木明絵と森あいの議論を読んでいると、日本でもアメリカと全く同じやり方で法律を変えずに法律の解釈だけを変えて同性婚を既成事実にしてしまおうという魂胆が見える。魂胆といっても彼らはその主旨を全く隠していないのだが。著者らはまず憲法学と民法学に分けて結婚の定義を吟味している。

憲法24条1項(「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し(以下略)」)を根拠に同性婚は容認されないというのが従来の通説とする見解がある (略) しかし、日本の憲法学上、同性婚はほとんど論じられてこなかった。そもそも、同性婚を論ずる際に問題とされがちな憲法24条についてさえ、著名な基本書に記載は存在しないか、または極めて少ない 。

もっとも、若干の議論はあり、学説は大まかには以下のようにまとめることができる。(略)


①非許容説  注6) 、 注 7) 憲法24条に「両性の合意」とあることから、文理解釈上現行憲法では許されないとする。

②許容説 注8) 憲法24条に「両性の合意」とあっても、婚姻両当事者以外の合意は不要であるとの趣旨であり、また、憲法制定当時は同性婚に対しては無関心であり、時代の変化に伴い同性婚の課題が顕在化した以上、憲法24条によって同性婚制度の立法が禁じられてはおらず、憲法上許容されるとする。 (強調はカカシ)

③保障説 注9) 憲法13条、24条等に基づき積極的に同性婚が憲法上保障されるとする。

そして民法学においては、

①否定説1・婚姻障害説  注10) 民法に明文の規定はないが、憲法24条の「両性の合意」、民法731条「男は」「女は」との婚姻適齢の規定から民法典起草者は当然のこととして書かなかったにすぎず、同性間の婚姻は生物学的婚姻障害であるとする。


②否定説2・婚姻意思否定説 注11) 婚姻する意思は夫婦関係を成立させる意思であり、夫婦関係とはその社会で一般に夫婦関係と考えられているような男女の精神的・肉体結合というべきであり、同性間にはこの婚姻意思がないとする。


③許容説 注12)現行民法では認められないとしても、憲法24条の趣旨は、親や戸主の意向のままに婚姻が決められるという慣例をなくし、女性の権利を確立することにあり、異性カップルのみに婚姻を保障する規定とはいえず、民法で同性婚を認めたり登録制度を設けたりすることは憲法に違反しないとする。

既存の法律で、あからさまに同性結婚を禁止していないのは、アメリカの場合と同じように憲法設立当時、誰も同性婚の可能性など念頭に入れていなかったからだ。だが明確に禁じていないから合法と解釈してよいという考えは非常に危険だ。

結婚制度を改正し同性婚を合法とすることが日本社会にとって必要なことなのかどうかという議論をせずに、既存の憲法で同性愛も許容できると解釈することも出来なくもないので、そういうふうに自分勝手に歪曲して解釈し、国民の意志や社会への悪影響など全く考慮せずに押し通してしまおうというのが日本の同性婚推進派の汚いやり方なのだ。

日本では同性婚を禁じるのは違憲だという訴訟はまだ起きていないのだろうか?アメリカの「成功例」から考えて、そういうやり方は十分に効果があると思う。特に日本政府はアメリカに比べたらずっとリベラルだから。

同性結婚が日本社会に必要だというなら、正々堂々とその議論をしたうえで国民の支持を受けて憲法改正に乗り出せばいい。そうした正規の過程を通さずに憲法の網の目をくぐって裏口から無理やり合法化させてしまおうという考えは全くもって卑怯極まりない。

付けたし:やっぱり同性婚を禁じるのは違憲だという訴訟は起きていた!当たり前だな、それが一番の近道だから。これについては別エントリーを改めて書くつもり。



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フェミニストの「男は女ではない」という言論を弾圧するトランスジェンダー活動家たちにツイッターも加担

カカシのブログをお読みの方は私がフェミニストのファンでないことはよくご存知のことと思う。しかしながら、フェミニストの中でもポリコレの圧力に負けずにトランスジェンダー女は本当の女ではないと勇気をもって言える女性には敬意を示す。彼女たちにとってトランスジェンダーに対して批判的なことを述べるのは我々一般の保守派がするより難しいことだからである。

この間もお話したように、ツイッターにおいてはトランスジェンダーを本人が好まない代名詞で呼んだり性転換前の名前で呼んだりすると口座を凍結される恐れがある。つまり、自称男/女を彼女/彼と呼んだり、デッドネイミングという規則が出来、今は女性名のケイトリンを名乗ってるジェナーを元の男性名ブルース・ジェナーと呼んだりするのは厳禁というわけ。

そういう理由でツイッターを永久的に追放されたのがメーガン・マーフィーというフェミニスト。彼女は来年の一月にカナダのバンクーバーで講演をする予定だが、トランスジェンダー活動家がなんとかその講演を阻止しようと開催会場となる図書館に圧力をかけている。フェミニスト自身もこれまで他人の言論を弾圧してきたグループなので、彼女たちに同情などする気はない。だが、私は言論弾圧は誰が誰に対してしても支持できない。トランスジェンダー女が自分は女だと主張するのはの権利だが、マーフィーがトランス女は女じゃないと言うのも彼女の権利であり、双方の言論の自由は守られるべきだ。

それにしても、ツイッターから永久追放されたり、トランス活動家からこれほど毛嫌いされるメーガン・マーフィー女史とはどういう女性なのだろうかと思い、彼女が過去に書いた記事を読もうと彼女が運営するフェミニストカレントというウエッブサイトに行ってみたら、今サーバーがダウンしていて開けられない。これはトランス運動家らによるサボタージュかな?

仕方ないので、彼女について書いている他の記事を読んでみた。マーフィーは今年の8月、ツイッターから警告を受け、数々のツイートを削除させられたり、口座を一時凍結されたりしていた。その内容というのは「男は女じゃない」とか「男は女になれない」「普通の男とトランス女の違いっていったい何?」といったもの。ツイッターをご使用の方々は、今やツイッターではこういう常識的発言がヘイトスピーチとして削除されるのだということをよ~く心得ておいていただきたい。

さて、そのマーフィーの口座が永久的に閉鎖される理由となったのは、ジョナサン・ヤニーブという男がとある美容院で睾丸の毛の脱毛を要求し、女性のスタッフから断れたことから美容師数人を相手に訴訟を起こしたことにある。男は自分はトランス女だと言い張り、女性専門の脱毛をしている美容院で女性スタッフ拒絶されたのは差別だと言いがかりを付けたのである。この件に関する感想をツイッターで述べた時、マーフィーはヤニーブのことを「彼」と呼んだことが原因で彼女はツイッターから追放され、彼女がツイッターでしていたウエッブサイトの宣伝なども出来なくなった。

ところでツイッターが施行している新しいデッドネイミイングがもしも法律にでもなったら非常に危険だとスペクテイターのジュリー・ビンデルは言う。どのような理由があるにせよ改名した人間の本名を公開してはいけないということになれば、犯罪者が名前を変えてデッドネイミイングの陰に隠れていくらも犯罪を繰り返すことが出来るようになるからだ。

さて、ツイッターのこうした言論弾圧はかえって言論の自由につながるという訳のわからんことを書いてる記事があった。

著者はパーカー・モリーというトランス女(女装男)。モリーは、トランスジェンダー女(女装男)として、自分がトランスで大多数の人々から永久に妄想癖変態だと思われていると、常に思い知らされるのは屈辱的だと言う。デッドネイミイングはトランスの正当性やその生活態度に異論を述べるものであり、それこそが会話を遮断するのものだと言うのだ。

ミスジェンダーを弾圧するのは言論の弾圧だという人がいるが、何もかも自由にすることは権力のある人が会話を独占することになるとモリーは言う。つまり、モリーは本当の女性ではなく単なる変態の女装男だという偏見から話が始まると、それ以上の会話が出来ないと主張するのだ。

私には男を男と呼ぶことで会話が遮断されるという理屈にはどうしてもついていけない。

だいたいヘイトスピーチなどというものは存在しない。嫌な言論に対抗するのは良い言論だ。相手を負かしたいならこちらが理論正しい説をもっと提供すればいいだけの話。相手を黙らせなければ自分の意見が通せないなら、それは相手が自分に同意したのではなく、単に脅迫で屈服させただけ話だ。そういうことをしていれば、いつか自分より力のある人間が現れて自分を弾圧するだろう。言論の自由が言論弾圧で促進されるなどということは絶対にありえないのだ。

ところで保守派からのボイコットを恐れて、ツイッターの株が暴落しているという。

ツイッターの株はこの木曜日6パーセントも落ちたのだそうだ。フォックスニュースがここ二週間ほど全然ツイートしていないことが原因なのではないかという。フォックスニュースは同局のコメンテーター、タッカー・カールソンの住所がツイッターで公表され、彼の自宅に暴徒が押し寄せたことに抗議し、静かな抗議運動をしているのではないかというのだ。

ツイッターは保守派のツイートを次々に追放していることでもあり、今後こう言ったボイコットも広まる可能性がある。格言う私も何時なんどきツイッターから追放されても仕方ないと覚悟は出来ている。

しかしそうやって誰も彼も追放していたら、いずれ誰もツイッターをつかえなくなるのではないかな。

ま、最近はツイッターよりインスタグラムとか他のSNSが人気があるらしいので、ツイッターなど消滅したからといってどうということはないが。


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「ドラッグクィーンストーリーアワー」のさほど隠れていないトランスジェンダー養育計略

以前にも紹介したが、アメリカやカナダのあちこちの図書館で、ケバケバしい女装をしたドラッグクイーン(女装男)が子供たちの前で同性愛やトランスジェンダーについて物語を読んで聞かす「ドラッグクイーンストーリーアワー(DQSH)」なる催しが開催されている。日本風に言えば「オネエが語るおカマ話」みたいなもんかな?当然のことながら、多くの父母たちは、やたら破廉恥な恰好をした女装男が、あきらかなトランスジェンダー推進の動機を持って感受性の高い小さな子供たちに話をするのは教育上良くないのではないかと心配していたが、先日とあるドラッグクイーンの発言で彼らの心配が正当であったことが証明された。

ルイジアナ州にあるラファエテ市の図書館で10月にDQSHが催されることになった。対象は若い子になると3歳という幼稚園児。主催者はディラン・ポンティフというドラッグクイーン。これについて住民のなかで反対の声があがり、市議会においてイベント開催の是非を問う審議がされた。

ポインティフは市議会において、自分が子供の頃に他の男の子と違うということでいじめの対象となったことなどを語り、次の世代に他の子と違うことは恥かしいことではないと教えるのは大事だと語った。また、この件において同市民から色々な批判を受けたが、それは誤解や不寛容よるものだと語った。ドラッグクイーンは必要以上に性的であるという批評に関しても、ドラッグクイーンは時と場合に合わせて性的描写を制御することが出来るのでその心配はないと語る。

イベント反対派のラファエテ住民、レスリー・アレキサンダーは、これはいじめとか不寛容の問題ではない、これは、確固たる指導を一番必要としている時期の子供たちに対して性的混乱を招くことを意図的に目的としたものである。後々になって子供たちが自分の性に疑問を抱くように種を蒔こうという策略だと語った。

ポンティフは自分にはこれといった計略があるわけではないとしながらも、次の世代を養育することが目的だと自慢げに認めた。次の世代とはどんな世代だ?明らかに次のトランスジェンダー世代を育てるという意味だろう。反対派が心配している通りではないか?

根性のない市議会議員たちはこのことについて審議することを拒否した。しかし10月4日のニュースによると、私立図書館でのイベントは一応延期。ルイジアナコミュニティー大学でのイベントも警備の問題から延期になった。市立図書館は完全なる中止ではなく、あくまでも適当な会場が見つかるまでの延期だと主張している。

こういうことがあるごとに、良識ある市民が立ち上がって抗議しないと、どんどん子供たちが洗脳されていく。どれだけ相手がこちらを差別主義だのホモフォブだの不寛容だの騒いでも、子供たちの将来がかかっているのだ、我々は常に戦わねばならない。


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トランスジェンダーという精神病に世界が付き合うべきじゃない

トランスジェンダー関連の記事を二つ紹介しよう。

一つは、なんで調査なんかしなきゃわからないんだ、というような記事。その内容はというと、男女共用の更衣室は女性が性犯罪の被害者になる可能性が高いというもの

当たり前だろうが!そんなこと試してみなくても最初から解ってたことだろうが!いったいどれだけの人がそういうって反対したと思ってるんだ。あまりのポリコレで、どれだけの婦女子が犠牲になったことか。

記事は全部読むまでもなく、90%以上のセクハラや覗きや女性への性暴行は市民プールなどの男女共同更衣室で起きていることが使用者たちの被害届で分かったというもの。

もうひとつの記事はナショナルレビューのベン・シャピーロ著のコラムで、トランスジェンダーへの同情が社会の現実を変えてはいけないという意見筆者はトランスをめぐるいくつかの例をあげて、行きすぎたトランスへの同情が社会秩序を乱していると語る。

女性専門の運動ジムに女装男が現れ更衣室で着替えを始めた。経営者は彼に個室を使うよう求めたが、本人は自分は女だと言い張り個室使用を拒否。他の普通の女性会員が苦情を述べたが、経営者側はトランス女に個室を使わなければ会員権をはく奪すると言えば訴えられる可能性があるとして女性会員たちの苦情を受け入れることが出来なかった。結果多くの女性会員がジムを辞めてしまった。ジムの経営者はたったひとりの女装男のためにジムがつぶれる危機に陥っている。

ツイッターでは、本人が好まない代名詞を使った場合はその口座を凍結するというもの。つまり、自称トランス女を「ミスター」とか「彼」とか読んだりしたらもうアウト。ジョーダン・B・ピーターソン教授がカナダで通ったこの法律について抗議していたのは、これは言論弾圧だからだ。トランスジェンダー運動は本当に他人の言論を徹底的に弾圧する思想だ。

このオプエドでも紹介されているが、私が最近読んだ記事で、テキサスで離婚後の親権を巡り母親が6歳の男の子を女子として育て名前までルナと変えてしまったことに関して父親が抗議したところ、かえって母親の方から幼児虐待だと責められ、父親の方が親権を取り上げられそうだという話。しかもこの母親は別れた夫に対して子供のホルモン治療やセラピーや性転換治療費を払えと要求している。

だが肝心の男の子ジェームスはどうかというと、彼は自分が女の子だなどとは思っておらず、男の子として扱ってほしいと思っているというのだ!にも拘わらず法廷は父親に子供とセクシュアリティに関しての話をすることを禁じ、女子と男子の両方の服装を提供することを義務付けたという。だが父親は男の子は自分といるときに女子の服を着るのは断固拒絶しているという。

ジェームス君は母親が連れて行った精神科の医者によって性同一障害と診断され、母親が付き添いで行くセラピーでは女の子の性を好む行動を取っているという。しかし父親といる時や他の友達といる時はジェームスと呼ばれることを好み男の子として振る舞っている。ジェームス君が通う教会の牧師さんも、ジェームス君はどう見ても普通の健全な6歳の男の子に見えると語る。

はっきりいって精神科の医者にかかるべきなのは母親の方だろう。これはいわゆる代理ミュンヒハウゼン症候群(munchausen by proxy)という病気だ。つまり、母親が自分が病気なのにそれを投影して子供が病気だと思いこむ精神病。病弱な子供を献身的に支える母親として注目されたいと思うのが症状。これは明らかに母親が男の子をトランスだとすることによって自分が注目されたいと思っている症状だ。これによって本当にジェームス君がホルモン治療などされてしまったら、彼の人生はどうなるのだろうか?

しかし今や常識が通用しない世の中。この父親は自分の子供が母親の妄想によって虐待されるのを手をこまねいてみているしかないのか、抗議したらそれこそ子供を失う恐れがあるのだ。こんなことってあっていいのか?

自然な生物学を書き換えることは現実社会に多大なる悪影響を及ぼすとシャピーロは言う。客観的な現実を無視し誰かの主観的な社会観を押し付けるということは、ビジネスや学校や病院や言論の自由に至るまで、ありとあらゆることを根底から崩さなければならなくなる。性同一性障害に病む人々への同情が客観的な社会現実を破壊することになってはならない。

一部の人々の精神病に何故世界中が付き合わなければならないのだ?そんなことをしてみても当事者は救われないだけでなく、部外者が多大なる被害を被る。婦女子が安心して更衣室やトイレに行かれない。言論は弾圧される。子供は無理やり異性ホルモンを飲まされる。抗議する片親が親権を失う。

そんな世界に誰が生きたいのだ?


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フェミニストはトランスに仕えろ!フェミニストに完全服従を要求する女装男たち

もう数年前からMTFと呼ばれるトランス女(女装男)たちが生物学的な女子以外を女とは認めないと主張するフェミニストやレズビアンに圧力をかけているという話はすでに拙ブログでも何回かしてきたが、先日もそれにかかわる話題を二つ見つけた。

先ず東ミシガン大学はイーブ・アンスラー著の1994年作の戯曲で女性のセクシュアリティーを全面的に押し出した「バジャイナモノローグ」(膣の独白)を、トランス女性に対する配慮がないとして、今後上演しないことにしたと発表。ここ2~3年、アメリカではこの戯曲の排斥が広がっている。一時は女性の性解放を示すものとして大称賛され、どこの女性グループもこぞって上演したものなのだが、左翼社会のポリコレの変化はめまぐるしい。常にその時代にあった「政治的に正しい」ことをしていないと弾圧される。

さて、それに関連してハフィントンポストがすべてのフェミニストはトランス解放のため戦わねばならない」というオプエドを発表した。トランス連中は、特に女装男たちは、やたらとフェミニストを目の仇に完全服従を要求する。このコラムはその典型。

著者はセンティ・ソジワルという写真からみて明らかな黒人女装男。ソジワルは先ず11月20日はトランスの日だと発表。これは暴力によって殺されたトランスを追悼する日なんだそうだ。ソジワルによると2017年暴力的に殺されたトランスの数は29人と記録的な高さであり、特に有色人種の被害の割合が高いという。この数が多いか少ないかという判断は、他の人口と比べてみないと意味がない。

左翼の黒人が「パーソンオブカラー、色のついてる人」という時は、まず黒人と限定しており、ラテン系や東洋系は年頭にない。残念ながらアメリカ国内で暴力的な死を遂げる黒人の割合は多人種よりも圧倒的に高い。それは、黒人が集中しているシカゴやボルティモアなどで暴力的犯罪が集中して起きているからである。であるから、黒人トランス女が殺される割合が他の黒人男性の殺される割合と同じであったなら、彼の死の原因は必ずしもトランス差別によるものとはいえない。

ソジワルによると、アメリカにおいてトランスにおける失業者やホームレスや健康保険のない割合は非常に高いという。そうして彼らは人種差別やホモフォビアやトランスフォビアの性差別や階級差別といったあらゆる差別の対象となって苦しんでいるという。今日こうした非常に厳しい環境に直面しているトランスコミュニティーが出来ることは、団結してトランスが平等に生きられる社会をつくるべく作戦を立てることだという。

彼に言わせるとトランスになると突然差別されて貧困に陥るかのようだが、もともと労働意欲のない人間がトランスライフに魅かれるという可能性も考えられる。トランスでも普通に仕事をしている人はいるので(明らかな女装男のパイロットを私は見たことがある)なぜトランスに失業者やホームレスが多いのかという問題は真剣に考える必要がある。

トランス人権獲得のための第一の作戦としてソジワルが克服しなければならないと考えるのは、伝統的なフェミニストたちによるトランス(特に女装男)の拒絶意識だ。フェミニストたちは自分たちの空間から女装男を排除してきた。女性弾圧や男性社会における平等といった会話にはトランスが含まれることは先ずない。当たり前だろう、女装男は女じゃないんだから。

フェミニストたちがトランス拒否をしてきた以上、今後はフェミニストたちこそがトランス解放のために最前線に立って戦う必要があるのだという。

トランプ大統領就任を抗議した「女性行進」と呼ばれる左翼女性たちの行進で、女性器を意味する「プシーハット」と呼ばれるピンクの帽子も、ソジワルにあってはトランス差別の象徴。この行進には多々の人種の女性が参加したが、トランス女は含まれなかった。プシーとは膣の俗語であり、それを女性の象徴として活動するということは、膣をもたないトランスやノンバイナリー(男女どちらでもないと主張する変態性の人々を指す)を差別するものだというのである。

ここまで笑わずに読めた人は偉い。今風に言うなら「まじかよ」といった感じの屁理屈だ。ま、彼に言わせるとトランプ大統領はトランスコミュニティーにとっては非常に危険な存在であり、反トランプ活動にトランスを含まないのは差別だというわけだ。

しかし彼はトランス差別はトランプ政権で始まったわけではないと認める。男女差別の問題でトランスは常に会話から排除されてきた、ミーツー運動にトランス女が含まれないのはおかしいとか。

ソジワルはトランス(男女ともに)が性的暴力を受ける割合は非常に高いというが、彼の出す例は要するに売春に携わる人々だ。売春というのは元々危険を伴う商売だ。アメリカのほとんどの州で売春は非合法なので、セックスワーカーなどときれいごとを言っても、顧客には変態が多く、売春婦/夫が暴力を振るわれる可能性は高い。これも、トランスだから受けた暴力なのか、それとも売春婦一般における暴力なのかをきちんと区別しないと意味がない。

しかし、ここでソジワルが無視している現実は、フェミニストが最初に戦った男女差別は個人の選択によって起きたものではないということだ。女性差別は女性という持って生まれた性質によって差別されることであり、本人にはどうしようもない。だが、トランスは自分で選んだ生き方だ。男性優先社会だと本気で信じるなら、なぜ差別されるような女装をわざわざするのだ? 差別が嫌なら普通の男性のように振る舞えばいいではないか。なぜ女装してわざわざ危険な売春という仕事を選ぶのだ?

しかしソジワルは、トランス弾圧を無視する人間にフェミニストを自称する資格はないとまで断言する。特にフェミニストたちのなかでもいまだに勇敢に女装男は女ではないと主張している一部の女性たちのことを彼は「TERFs、トランス排除的過激派フェミニスト」と呼んで侮蔑する。彼はこうした正常な女性たちは右翼保守の家族主義の人々よりもトランスにとって危険な存在だとしている。当然だ左翼同士での亀裂の方が右翼への敵対心より深刻なのは常にあること。

最近のフェミニストたちは全く不甲斐なくトランスの圧力に負けているが、それでもソジワルに言わせれば、まだまだ足りないというのだ。ソジワルにとってフェミニストたちの完全服従がない限り、トランスの人権が守られたことにはならないからだ。まったくなんという男性至上主義!これこそミソジニーだ。

私がトランスコミュニティーに全く同情できないのは、これは彼らが選んだ道だということ。自分らで人に嫌われる行為を選んでおいて、受け入れられないから差別だ、受け入れろと要求するのは理不尽だ。しかも自称トランス女という女装変態男による性犯罪は頻繁に起きている。明らかな男を女性施設に立ち入らせる危険はすでに顕著に表れている。そういうことを常に要求して、やれ平等だやれ人権だと騒ぐ奴らは本当にうっとうしい。

勇ましいことを言っていても、結局アメリカのフェミニストなんてだらしない女たちの集まり。女装男たちのこうした圧力に戦えるのはほんの一部の伝統的フェミニストおばさんたちだけ。まったく情けないもんだ。


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