批判的人種理論は次の公民権運動ではない!

拙ブログでも何度かお話してきている批判的人種理論、英語ではクリティカルレースセオリー(CRT)と呼ばれている理論について、また言及していきたい。アメリカでは過激派左翼によってこの理論があちこちで推進されている。もっとも質が悪いのが義務教育機関における子供たちの洗脳である。これはトランスジェンダーリズムと同等に非常に悪質で危険な思想だ。危険を察した保守的な州のあちこちで、学校や職場でCRTを強要していはいけないという法律が通り始めている。過激派左翼はCRTを次の公民権運動だと言い出しているが、絶対にそうではない、それどころかその正反対だというエッセーを見つけたので紹介したい。

題して「否!批判的人種理論は新しい公民権運動ではない。(実はその正反対である)」ケニー・シュー&クリスチャン・ワトソン共著。No, Critical Race Theory Isn’t a New Civil Rights Movement. (Just the Opposite)written by Kenny Xu and Christian Watson

CRTは人々を「特権」と「弾圧されている」という二つの階級にきっぱりと分けた思想だ。わかりやすく日本語で言うなら支配階級と被支配階級と言ったところだろう。こういう考え方は非常に人種差別的であるとして多くの公立学校でこの理論を教えることが禁止されるようになった。しかしCRT推進者たちは人種差別を排除するためには必要不可欠な理論なのだと主張する。人種差別が蔓延するアメリカ社会においては、生活の隅々に至るまで人種に関する政策を作り続けていくことこそが人種差別を排除する唯一の方法だというのである。

この記事によると、アメリカでも最大の弁護士協会であるアメリカンバーアソシエーション(ABA)がこの理論を公民権運動となぞらえて強く推しているのだという。1964年の公民権法成立までの過程は確かに法律家にとっては非常に興味深い歴史的な判例である。弁護士たるもの当時のことを勉強するのは当然である。だが、今のCRTと公民権運動を結びつけるのは無理がある。

何故なら人々が肌の色に関係なく個人の人格や才能で判断されるべきという人種色盲社会を目指した公民権運動と、すべての人々が肌の色によって判断されるというCRTとでは根本的に相いれない正反対な思想だからだ。

公民権運動は希望と楽観に満ちた見識で、現代アメリカ社会を理想社会に近づけようという思想だった。一方CRTのほうは、アメリカが醜い偏狭心と弾圧に満ちたディストピア(暗黒郷)だと定義づける思想だ。

米弁護士協会は弁護士による分析能力を使って「社会における人種と人種差別の役割」を分析すると主張するが、実際には彼らは漠然とアメリカには不均衡が存在するといいながら、それが人種差別によるものだという確たる証拠を全く提示していない。

トランプ大統領が大統領命令で連邦政府によるCRT取り入れを禁止した時、120以上の人権団体がトランプ批判の声明文に署名した。左翼はずっとトランプを人種差別と言い続けてきたことでもあり、これはまさにその証明だと言う理屈である。しかし、トランプ支持者でなくとも、CRTのあからさまな人種差別に気付くのは容易である。

CRTは肌の色を前面に押し出し中心としているだけでなく、人々の人格は潜在的に肌の色で決まっているというのだ。白人は「白さ」という悪の思想をもともと持って生まれた弾圧者であり、非白人は犠牲者としての階級を授かって生まれたと言い張るのだ。

これってまるで宗教だな。人間は生まれながらにどんな人間になるかという運命を背負っているというわけか。記事の著者たちもCRTの思想は神話的な陰謀論の領域に入ると語る。CRT理論家のリチャード・デルガドとジーン・ステファニスィックは人種差別は白人エリートたちが労働階級の非白人たちを弾圧するために使っている道具だという。

CRT理論家たちによれば、人種差別とは個人が持っている偏見ではなく、支配階級が自分らの独裁的政治力及び経済力という利権を守るための手段に使われているというもの。しかしながら、著者らは言う。そんな漠然とした思想をどうやって弁護士たちが証明することが出来るのかと。

公民権運動の父と言われるマーティン・ルーサー・キング牧師は、黒人だけの方針や白人だけの方針というものはなく、どちらも協力しあってこそ人間の尊厳と自由は得られるという思想を持っていた。キング牧師は愛と道徳を通じて誰でも平等を獲得することが出来ると信じていた。無論キング牧師もアメリカが常に理想に届いていなかったことは理解していた。だが彼はそれはアメリカが基本的に人種差別の国だからだなどとは思っていなかった。キング牧師はアメリカの憲法を信じていた。そして実際に1964年公民権法は成立したのだ。

しかしCRTはその考えを真っ向から拒絶するものだ。CRTによれば、白人は人種差別意識を持って生まれており、それを克服できる白人は「同盟者」と呼ばれる特権階級の白人エリートだけなのである。このようなエリート主義が公民権運動の成れの果てTだとしたら今頃キング牧師も草葉の陰で嘆いておられることだろう。

生まれながらにして肌の色で人々の正確が決まっているとするCRTと、人種色盲を目指した公民権運動とでは根本から考えが対抗する、まったく折り合いのつかない思想だ。それをあたかも同じ運動であるかのように言う左翼たちのやり方は汚い。

左翼民主党は何かと右翼保守や共和党こそが人種差別の思想を持っていると主張するが、人種差別を根本としているのは左翼たちの方である。民主党は奴隷制度を固持するために生まれた政党であり、KKKの政党であり、黒人をセカンドクラス市民として弾圧したジム・クロー法の政党なのである。その政党が人種差別を根本としたCRT政策を推進するのも、全く納得のいく話である。


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「名誉白人」という人種差別用語

私はアメリカ在住40年になるが、この40年間、自分の人種について意識したことはほとんどない。私が住んでる地域が特別なのか、それとも職場に恵まれたせいなのか分からないが、東洋人だとか日本人だという理由で嫌な思いをしたことは特にない。アメリカに住んでるほとんどの人は自分の人種など意識しないで生きていると思う。

しかし10数年前にオンラインのチャットルームを始めた時、私がアメリカは良いところだと言う度に、日本の反米主義の人たちから、お前はそんなに白人になりたいのか、どんなに白人のふりをしてもお前は結局はイエローモンキーだと思われてるんだぞ、という批判をする人たちに出会った。私は彼らの発想が非常に不思議だった。

アメリカ社会イコール白人社会ではない。彼らがアメリカには白人しかいないと思ってることからして偏見丸出しだし、日本人がアメリカ文化が好きだと言ったら、それは白人への憧れからにちがいないという考えには稚拙すぎて反論する気にもなれなかったが、一番の問題は、東洋人なら、さらに日本人なら、特定の考えを持っているべきだという先入観にはどうしても納得いかなかったものだ。

そういう偏見を持っているのは無論日本の反米主義者だけではない。アメリカ左翼もまったく同じ考え方だ。有色人種はそれぞれの人種によって特定の考えを持っているべきというのがアメリカ左翼の思想。バイデン爺さんが「トランプと自分との間で誰を応援すべきか未だに決められないなら、おみゃ~ら黒人じゃねえ」と言ったのはまさにその偏見から来るもの。

さて、最近またよく聞くようになった東洋人への侮蔑語で「名誉白人」というのがある。私がこの言葉を最初に聞いたのは、旧南アフリカにアパルトヘイトがあった時代、黒人でも白人でもない日本人はどういう扱いになるのかという時、日本人は名誉白人として白人として扱われるという話をきいた時である。実際それが本当だったかどうかは定かではない。

だが今誰かが他人を「名誉白人」と呼ぶとき、これは決していい意味で使われているのではない。左翼思想を示さない黒人がアンクルトムとかハウスニガーと言われたりするのと同じで、これは「白人に迎合して特別扱いをしてもらおうとする、あさましい東洋人」という意味になる。

しかしこの言葉こそ白人至上主義の思想だと、使っている人たちは気が付いているのだろうか?

誰かに迎合するということは、その誰かが自分より目上の人間である必要がある。自分より下の人間に迎合してもなんの意味もないからである。ということは白人に迎合してるという言い方は、白人が東洋人より上の立場にあるという解釈になる。これが白人至上主義でなくて何なのだ?

人種が人権がと騒ぐ左翼たちのほうこそ、よっぽども白人至上主義者だとういことに、もっと多くの人に気付いてもらいたいものだ。


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増えるユダヤ人への暴力を正当化する左翼メディア

イスラエルとパレスチナがもめると、世界中でユダヤ人攻撃が増加する。アメリカもその例外ではない。人種差別やヘイトクライムはいけないと騒いでいた左翼メディアなので、これを完全無視することは出来ない。しかし、その報道の仕方はユダヤ人への差別丸出しだ。このニューヨークタイムスのコラムなど典型である。実は最初に読んだ時の見出しは”Attacks on Jews over israel are gift to the right” だったのに今読んだら “The Crisis of Anti-Semitic Violence”に変わっていた。最初の見出しの意味は「イスラエルを巡るユダヤ人への暴力は右翼への贈り物」で、二つ目は「反ユダヤ主義暴力の危機」となる。最初の見出しはツイッターでかなり批判を浴びたのでこっそり差し替えたのかもしれない。

最近のユダヤ人を狙った暴力をいくつか挙げてみると、ロサンゼルスではウエストハリウッドの歩道レストランで寿司を食べていたユダヤ人たちの前に車が何台か停車したと思うと、中から出てきたパレスチナ人の男たちがユダヤ人たちに殴りかかった。目撃者の話では「どいつがユダ公だ?」と聞きながら殴っていたという。またニューヨークでも29歳の松葉づえをついたユダヤ人青年が数人のパレスチナ人に囲まれて殴る蹴るの暴行を受けた(犯人の一人は捕まったがたった100万円の保釈金を払って保釈された。反省するどころか、またやってやると息巻いていたそうだ。)フロリダでもわざわざユダヤ人が多く住む地区にパレスチナ人たちがやってきて、道行くユダヤ人家族にゴミを投げるなどし、「お前の娘を強姦してやる、お前の女房を強姦してやる」などと叫んでの嫌がらせをした。

著者のミッシェル・ゴールドバーグは、すでにトランプ政権によって反ユダヤ思想が高まってきていたが今回の紛争で余計に酷くなったと書いている。ちょっと待った!近年アメリカで反ユダヤ主義が増加しているという事実に異存はないが、それがトランプ大統領のせいだというのはどういう理屈だ?トランプ政権ほどイスラエルに友好だった政権はない。

ゴールドバーグは名前からしてユダヤ系だが明らかに保守派ではない。彼女は同胞のユダヤ人たちが暴力を振るわれていることや反ユダヤ思想が増加していることを憂うというよりも、イスラエル政府への不満を在米ユダヤ人への暴力という形で表してしまうと、せっかくパレスチナ人の人権について理解を得るために努力してきた左翼民主党の運動の妨げになってしまうといって嘆いている。

拙ブログで何度も紹介してきたが、アメリカのユダヤ系、特に世俗主義のユダヤ系は、ほとんどが民主党支持で左翼である。だからアメリカのユダヤ人は必ずしもイスラエル支持ではない。

無論保守派からは民主党のイルハン・お丸議員らがイスラエルのハマスへの迎撃をテロリズムと批判したことに関して、アジア人への暴力がトランプ大統領がコロナウイルスをチャイナウイルスと呼んだことによるものだと言うなら、お丸議員の発言はパレスチナ支持暴徒らによるユダヤ人への暴力を煽ったということになるのではないか、という問いかけがあちこちで出てきている。

だがその理屈でいくなら、アジア系アメリカ人へのヘイトクライムが心配だから、中国によるウイグル人ジェノサイドを批判していけないということになる。イスラエルによるパレスチナ人への扱いは時として衝撃的であり、そんれを中立に表現すること自体が侮辱に思える、、、

ちょっと待った。それは話が逆だ。アジア人差別につながるから中国政府を批判するなと言ったのは左翼の方だ。その理屈でいくならイスラエル批判はユダヤ人差別につながるからすべきではないと言われても文句は言えないはずだ。

左翼がイスラエル政府の正当防衛をテロリズムと呼ぶことが許されるなら、中国の武漢ウイルス研究所から来たウイルスをトランプがチャイナウイルスと呼ぶことの何がいけなかったのだ?トランプ大統領は武漢ウイルスは米国に住む中華系の責任だなどとは一言も言っていない。

それから中国共産党がウイグル人にしているジェノサイドとイスラエルのパレスチナ人政策を同列に並べるのも汚いやり方である。パレスチナ人が強制収容所に入れられたり、臓器を取り出されているなどという話しは聞いたことがない。イスラエルにはアラブ人市民もおり、アラブ政党まであってイスラエルの政治に参加している。アパルトヘイトがあるというなら、何故アラブ人がイスラエルで市民権を得られるのだ?

ゴールドバーグは反ユダヤ主義者の暴力はユダヤ人が犠牲になるからダメなのだとは言わない。ユダヤ人へのヘイトクライムは不道徳だと批判もしない。ユダヤ人への暴力はかえって反パレスチナの右翼を助けることになるからやめるべきだというのだ。

だがゴールドバーグは解っていない。ウエストハリウッドで食事中のユダヤ人を襲ったパレスチナ人は、ゴールドバーグがどれほどパレスチナ人に同情しているかなど興味はない。彼女がユダヤ人だというだけで彼らは彼女のことも喜んで殴るだろう。アメリカに住むユダヤ人が必ずしもイスラエル政府支持ではないのとは違って、アメリカ在住のパレスチナ人は先ず99%以上がハマスのユダヤ人皆殺し政策を支持している。パレスチナ人たちにとって良いユダヤ人など居ないのだ。イスラエルはそういうパレスチナ人と隣り合わせで暮らしているのだ。

ユダヤ人というだけで、その個人の思想も政策もまったく興味がなく、ただただユダヤ人を殺すことしか興味のない国がお隣にあったらどうする?

ゴールドバーグが学ぶべきなのは、今アメリカや世界中で暴れているパレスチナ人こそがパレスチナ人の代表だということだ。あれがパレスチナ人の本質なのだということだ。それでもイスラエルのやっていることは悪だと言えるのか?それでもイスラエルには他に選択肢があると言えるのか?

アメリカの左翼たちは、無差別にユダヤ人を襲いまくっているパレスチナ人の行動から学ぶべきだ。ユダヤ人暴徒がアメリカ中でパレスチナ人に襲いかかっていると言う話は聞いたことがないのも、偶然ではない。

よく反ユダヤ主義者が自分の人種差別意識を正当化するために、自分はシオニズムに反対なのであってユダヤ人が嫌いではないという。だが、何故ユダヤ人たちがイスラエルに国を作らなければならなかったのか。それは今世界中で起きている反ユダヤ主義の暴力を見ていればあまりにも明確だ。


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エクイティー(平等)という人種差別、激化する左翼による東洋人弾圧

カリフォルニアの教育委員会は人種平等のため、同州の数学英才教育プログラムを廃止することを提案した。それというのも、このプログラムでは東洋系生徒が圧倒的に優勢であり、白人はもとより黒人やラテン系の参加が非常に少ないという現実があるからだ。

カリフォルニアでは2004年から2014年にかけて、32%の東洋系生徒が英才教育プログラムを受けた、比べて白人は8%、黒人生徒は4%、ラテン系生徒は3%だった。

これは英才プログラムを受ける32%が東洋人という意味ではなく、東洋系生徒の1/3以上が英才プログラムに入ることが出来たという意味。2020年現在のカリフォルニア人口配布はウィキによると、一番多いのがラテン系39.29%、白人36.64%、東洋系14.52%、黒人5.51%、混血その他が約4%となっている。パーセンテージを四捨五入しプログラムの定員を100人とすると、多い順に東洋系50人、白人30人、ラテン系12人、黒人及び他の人種は10人以下となる。なるほどプログラムの合格者半分が東洋系になってしまうというわけだ、これでは左翼連中が『完全に人種エクィテイーの思想に反する!』と怒るのも無理はない。だが、もしもこれがラテン系と黒人が半数以上を占めるという結果だったなら多分誰も文句は言わなかったんだろう。

アメリカにはAPというテストがある。これはAdvanced Placement Examと言われ、各科目で個々の試験があるのだが、これは大学レベルの課目試験を高校時代に受けることが出来るものだ。この試験に受かれば大学に行ってから基礎コースを受けずに直接高レベルの単位を取ることが可能となる。UCバークレーやUCLAの理数系に入るためには、このAP試験に受かっていることは必要条件だ。だからこそ、成績の良い子供たちが受験に有利になるために高校時代からAP試験を目指す英才教育が存在するのだ。このプログラムを廃止するということは、カリフォルニアの学生たちが将来STEM(Science, Technology, Engineering, Math)と呼ばれる理系分野に進むうえで不利になるということである。

無論裕福層の親たちは公立学校ではなくレベルの高い私立高校や公文などの進学塾に子供を通わせることは出来る。だが、貧困層に生まれながら勤勉で才能のある生徒たちはどうなる?彼らの将来はどうなるのだ?コンビニやガソリンスタンドで長時間働きながら子供を学校に行かせている東洋人移民たちに、どれだけの負担がかかるようになるだろうか?

前回もニューヨーク市で東洋人生徒ばかりが受かってしまうエリート高校への入学試験を廃止しようという動きがあることをお話した。左翼連中のいう人種エクイティー(平等)とは公平という意味ではない。単に結果が平等であるというだけだ。つまり、大学入学の配分が人口の配分と同じにならなければ不平等だというのである。しかし、これまでに何度もお話してきたように、それぞれの民族にはそれぞれの文化というものがあり、すべての民族が同じようにふるまうわけではない。よって同じ学校に行ったからと言ってすべての生徒たちが同じ成績を取るはずがないのだ。だが、それが自由社会の良いところではないのか?それが自由競争というものではないのか?

左翼連中がエクイティーという時、必ずその名のもとで無実の一般人が犠牲になる。昔はジェンダーエクイティーと言えば、単に学業や就職や昇進の際に男女差別をせずに能力で判断すべきという意味だったのが、今ではLGBTQ+(特にトランスジェンダー)の理不尽な言い分を無条件で受け入れるという意味になってしまった。だから女子スポーツに自称女性の女装男を受け入れることがジェンダーエクイティーだなどという理屈がまかり通るようになったのだ。

これらのことで共通しているのは、正直に努力したり才能のある人たちが公平な立場で競争できず馬鹿を見る社会である。

もしカリフォルニアの教育委員会が黒人やラテン系の学力が伸びないことを本気で心配しているなら、成績の悪い学生のための補修プログラムを作るなどして成績を上げることを奨励したらいいではないか。それを彼らの成績が悪いのは人種差別のせいだから彼らには責任はないといって、成績のよい生徒たちを犠牲にするなど、話が逆さまである。

東洋系の成功はアメリカは人種差別の国だという左翼の主張には非常に不都合である。何故白人至上国で少数派である東洋人が成功できるのかという問題が生じてしまうからだ。だからこそ、東洋人は学生のうちから潰しておかなければならないのだ。

最近黒人による東洋人への暴力行為がとみに増えているのも、左翼連中が組織的に東洋人を差別していることと深い関係があると思われる。


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努力したことを謝罪するな!中華系市民団体が新高校生たちに叱咤激励

以前にも拙ブログで紹介した中華系アメリカ人の市民団体、CACAGNY (Chinese American Citizens Alliance Greater New York)という団体が新しく特別エリート高校に入学した中華系学生たちに向かって祝辞を贈ったのだが、その内容は祝辞というよりはアジア系アメリカ人を差別する教育委員会への抗議文というものだった。

最近、我々東洋系アメリカ人はBLM(Black Lives Matter)とかCRT(批判的人種理論)といった運動により、不思議な標的となっていることをひしひしと感じている。表面的にはBLMもCRTも黒人差別をなくすための運動であるということになっているが、その中身は単なる黒人至上主義理論でしかない。これらの運動や理論では黒人は常に崇高であり、白人は常に悪者となっているが、その中で東洋系市民への配慮などまるでない。これらの理論では黒人以外の少数民族は多少考慮されているとはいうものの東洋人は完全に無視されている。にもかかわらず、BLMやCRTを実行に移すとなると、なぜか一番被害を被るのは白人ではなく東洋人なのである。

CACAGNYとニューヨーク市教育委員会は特別エリート高校の入学試験(the Specialized High Schools Admissions Test)を巡ってかなり以前から争っている。この特別高校というのはNYC学校区で特に優秀な生徒だけが入学できるエリート高校のことだ。アメリカでは高校までが義務教育なので、特に入学試験を受けなくとも公立高校であれば自分の住む地域への入学は可能だ。しかし、この特別高校は特別な入学試験に受からなければ入学できないことになっている。

ただ、ニューヨーク市には中華系市民が多いこともあり、この学校に受かる学生の大半が中華系学生になってしまうという現実がある。以前から書いているように、東洋系学生たちは両親がしっかり揃っている家庭が多く、子供の教育にも熱心である。よって必然的に東洋系学生たちの成績は他の民族より高くなる。これは別に特別東洋系が優遇されているからというわけではなく、単なる努力の問題である。

しかしそれが気に入らないのが会長をはじめ多数議席を閉める黒人支配のNYC教育委員会である。先日そのメイ―シャ・ポーター(黒人女性)会長は公式ツイッターのなかでこんなことをつぶやいた

21年にわたる教育者としての経験から、もっと多くの生徒達が機会を与えられさえすれば特別高校で才能を伸ばせることを知っている。しかし特別高校入学試験が引き続き起用されたことにより、また同じ受け入れることのできない結果が何度も何度も繰り返されている。今こそ我々の生徒たちが公平にこれらの学校で代表されるようにする時である。入学に入学試験を必要とする州法は撤回されるべきだ。我々は地域と協力してもっと平等で、すべての子供たちにとって正しいやり方を進めていくべきである。

学校区のすべての人間が同じ基準で審査される入学試験の何が不公平だというのか、全く意味の分からないつぶやきだ。これを読んで激怒したのが先に述べたCACAGNYである。

入学試験に受かった学生たちに心から祝福の意を捧げたいとした後で、このような祝福が特異なもであることは非常に嘆かわしいと続く。CACAGNYは特にポーター会長のツイートについて言及。

つまり君たちの合格は「受け入れられない結果」であり、審査の経緯は不公平であったというのである!諸君らが特別学校に籍を置くことは「平等ではない」というのである。諸君らが長年勤勉に努力してきたことが「正しくない」というのである。これが教育委員会会長の発言なのだ!

またCACAGNYはNYCのリポーターたちが、黒人やヒスパニック系学生の入学率が去年より落ちたことや、今年は黒人が8人しか受からなかったとツイートしたことに関して、

つまり諸君らの功績は諸君の人種によって完全に無視されたのである。アジア人が多すぎる。「お前たちはここに属さない。」それこそがブライアン・エリオットが4月6日、日中に65歳の女性を襲い腰の骨を折るほどの重症を負わせた時に使った言葉だ。これこそがアジア人への憎しみの実行だ。アジア人差別の実行だ。

と続く。この祝辞では言及していないが、この65歳の中国人女性を襲った男が黒人であることは言うまでもない。

最近のアメリカでは、なぜか努力して成功した人々が、あたかも他人を差別することで伸し上がってきたかのように責められる傾向にある。黒人が何世代も生活保護を受ける貧困層から抜けられないのも、黒人の間で犯罪者や麻薬中毒者が多いのも、警察官に歯向かって射殺されるのも、すべて白人(及び東洋人)の責任なのであり、黒人には全く責任はないと主張するのだ。

だが、努力したことを謝るな!成功したことを恥じるな!と祝辞は続く。

努力したことを絶対に謝罪するな。諸君を愛し支えてくれる家族がいることを謝罪するな!諸君の考えではなく、諸君の人種が罪なのだと思い込ませようとするガスライティングに騙されるな!中国人は前にも同じことを体験した。中国人排除法によって中国人が働きすぎることで標的にされた。今後さらにこれまでの倍以上努力し成功したまえ。そして見せつけてやるのだ。我々は乗り越えると!

中華系市民にはこんなことを言ってくれるリーダー達が居るのか。まったく羨ましいことだ。黒人の中にもBLMだのCRTだのといった似非市民団体や理論ではなく、「努力せよ」「成功を恥じるな」と言ってくれるリーダーたちが居てくれたらどれだけ良かっただろうか。だが、その代わりにポーターNYC教育委員会長のように、試験を廃止して成績の悪い黒人をエリート校に入学させろなどという馬鹿がリーダーをやっているのだ。そんなことをしてレベルの高い高校に入学しても、他の生徒達についていけずに苦労するのは下駄をはかされた黒人生徒本人ではないか?

それに、きちんと試験を受けて入学できた8人の黒人生徒たちの努力はどうなる?この制度が黒人差別をしているなら、黒人生徒が一人でも受かったことはおかしいではないか?黒人生徒たちの成績を上げたいのなら、レベルの低い中学校に才能ある教師を配属させて、黒人生徒達の教育レベルを上げる努力をしたらいいではないか?それが教育委員会の仕事ではないのか?黒人は努力しなくても常に優遇されるということを教わった黒人たちは将来どんな大人になるのだろうか?

それは今の状況が良く物語っているだろう。


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人種差別について黒人に説教する左翼白人至上主義者たち

先日元副大統領ジョー・バイデンが上院と下院議会の前で演説を行った。私は一分も観ていないし、何が話されたのかもよく知らないのだが、それにこたえる意味で共和党のティム・スコット上院議員が演説をした。スコット議員は南部のサウスカロライナ代表の黒人議員。彼は1960年代隔離された南部で育った。彼は自分の両親が子供の頃に離婚し、貧しい母子家庭で育ったにも関わらず、数々の恩師や宗教との出会いで今の自分があると語った。しかし民主党はやたらと人種を持ち出してアメリカを分裂しようとしていると批判。

大学や企業や文化を通じて我々が全く進歩していないかのようにふるまうことで金儲けをしている人たちがいる。我々が賢明に努力して埋めてきた溝を再び深めようとしている。

これが間違っていることを誰もが知っている。よく聞いてほしい。アメリカは人種差別の国などではない。差別を別の差別で戦うなど後進だ。つらい過去を悪用して正直に現在を語れないようにするのは間違っている。

この演説の後、ツイッターではアンクルトムをもじってアンクルティムという言葉がトレンドに上がったと言う。アンクルトムというのは昔の奴隷時制度の悲劇を描いた有名な本だが、今では白人の奴隷主に迎合して自分だけ好待遇してもらう黒人奴隷の裏切り者という意味で使われる。言ってみれば黒人にとっては黒んぼの意味のNワードよりひどい侮蔑語である。

左翼連中は共和党や右翼保守をしょっちゅうレイシストだと呼んでいるが、一旦黒人が左翼リベラルな考えから外れると、その黒人に対してどんな人種差別用語を使って侮蔑しようが構わないと思うらしい。彼が黒人でなかったら、ここまで叩かれていなかっただろう。「黒人の癖に自分の意見など言うな。黒人は黒人らしくおとなしく左翼リベラル白人様の言う通りにしていろ、この生意気な黒んぼめ」というわけだ。

In this image from Senate Television video, Sen. Tim Scott, R-S.C., delivers the Republican response to President Joe Biden's speech to a joint session of Congress on Wednesday, April 28, 2021, in Washington. (Senate Television via AP)

このスコット議員のスピーチを受けて、ジョイ・ベイハーという白人女性のテレビタレントが、自分が司会を務める朝番組で、スコット議員は差別意識と組織的な差別の違いを理解していないと批判した。

エクスキューズミー?長年人気テレビ番組の司会をやってる白人能無しタレントのあなたが人種隔離時代に母子家庭で育った黒人のティム・スコットよりも組織的人種差別の意味がわかるっての?

英語でいうシステミックレイシズムとは、政策的とか組織的とかいう意味で、つまり法律で黒人が差別されていた1960年代の公民法が通るまえの南部のようなシステムを言う。聡明な読者諸氏はご存じのことと思うが、当時のアメリカ南部では学校も劇場もホテルもレストランも公共施設はすべて白人と黒人に分かれていた。黒人側の施設はたいていが劣悪な状態で、病院の前で黒人が怪我をしても、白人専用病院であれば目の前の病院では診てくれないというようなひどい差別状況だったのだ。こういうのを組織的差別といい、今ではそんなものは全く存在しない。

ジョイ・ベイハーはアメリカのどこにそんなものが残っているというのだ? ベイハーは住居や銀行のローンで黒人は未だに差別されているというが、そんな証拠があるというなら是非出してもらいたい。だいたい若い頃から芸能界で成功して高収入の白人タレントが組織的人種差別の何を知っているというのだ?そんな人間がよくも偉そうに黒人に説教など出来るな!

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左翼連中がアメリカは人種差別の国だと言い張るのは、自分たちが人種差別者だからその罪悪感で言っているだけだろう。確かにベイハーのような連中ばかりをみていれば、アメリカは人種差別の国だと思われても仕方ないのかもしれない。


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数学は白人至上主義?

前にも選挙で投票する際に身分証明書を要求するのは容易に証明書を入手できない黒人への差別だと主張する人間がいる話はした。興味深いことにそういうことを言うのは当の黒人有権者たちではなく、黒人の知り合いなど多分一人もいないような左翼リベラル白人ばかり。はっきり言ってこんな決めつけは、黒人には身分証明書も碌に入手できない無能な人間が多いという非常に失礼な先入観ではないだろうか?

The phrase “the soft bigotry of low expectations” 「低い期待によるやんわりした差別」とは、2000年に時の大統領ジョージ・W・ブッシュが黒人生徒の教育レベルについて語った言葉だが、最近はとみに左翼リベラルによる「低い期待による差別主義」が公然とまかり通るようになった。一番酷いのは教育界で、大学入試の際に黒人は白人や東洋人より成績が低くても一定枠は合格できるアファーマティブアクションがいい例である。黒人はどうせ頭が悪いから最初から下駄を履かせてやるという特別扱いはまさに「低い期待による差別」である。

無論黒人は成績が悪くても大学に行かれるとなれば、必然的に小中高の時から黒人への期待は低まる。最近では数学は白人至上主義な思想なので、黒人が数学が出来ないのは当然だなどと言いだす「教育者」まで出てきている。数学にどのように白人至上主義が蔓延しているか、そしてそれをどのように是正するかという教師への教育ガイド(1_STRIDE1.pdf (equitablemath.org))を途中まで読んだが、あまりにもハチャメチャな内容で頭が痛くなった。(リンクが直接つながらない場合はブラウザにコピーして開けてください)

先ずは冒頭から「このガイドブックは教師たちが数学を教えるにあたり、彼らの行動や信念や価値観を見直すための道具である。」とはじまり、これによりいかにして数学に潜在する人種差別や白人至上主義を破壊していくかを教えるもので、これを通し、どのように反人種差別の基盤を作っていくかを教えるものだとしている。

正しい答えを出すことに焦点を当てすぎることは白人至上主義文化である。

数学の概念は純に客観的であるという考えは完全なる誤りであり、そのように教えることは誤りである。常に正しい答えと間違った答えがあると決めつけるのは客観主義を強制するものであり、衝突を恐れさせるものだ。

これに受けて常に答えは一つとは限らないので、問題を解くときには一人でやるのではなく、グループで色々な意見を出し合って決めろなどという部分もある。数式の答えを多数決では決められないのに、何を言ってるんだこいつらは?

またもう一つ、低い期待こそが人種差別だという考えは、努力しさえすれば成功できるという「誤った」考えを強調し、努力しても成功できない立場にいる人々への差別だというわけの分からない主張をする論文も読んだが、これもあまりのまとまりのなさに驚いた。ながったらしい文章を私なりにまとめるとするならば、『数学はもともと白人至上主義思想なので黒人が努力しても出来るようにはならない、にもかかわらずそれを黒人が努力すれば出来るようになるなどと教えるのは人種差別主義だ』と言っているように読める。どれだけ読んでみても数学がどのように白人至上主義なのかという説明は全くない。

はっきり言ってこれら二つの書物は全く読むに値しないクズである。明らかに自分らが数学が出来なかったことを正当化しようというくだらない言い訳である。こんなことを書いてる人間が自分らを学者だの教育者だの言えると言うこと自体、人種研究なんて学部がどれだけ無価値な、いや有害なものであるかがわかるというものだ。こんな奴らに数学はもとより学問を教えられる学生こそいい迷惑である。

アメリカの大学では理系専攻の学生は生物学部であろうと工学部であろうと微分積分レベルの数学は必須課目となっている。実際に将来そこまでの数学知識を使うかどうかは問題ではなく、その程度の数学を理解できない人間はそれぞれの分野で先へ進むことが困難になるからという考えからだ。私個人の考えを言わせてもらうならば、たとえ文系の人でも、特に哲学を学ぶ人は、この程度の数学は学んでおいた方が後でずっと楽である。

数学は物事の基本だ。ものを順序だてて論理的に語るには数学を取り入れることが一番簡単なのである。もちろん物事は一筋縄ではいかない。なにもかも答えが一つだけということはない。だからこそ、答えが一つだけという単純なモデル(数学)を使って基本的な理論を先ず理解することが大切なのだ。その基本があってこそ応用があるのだ。

そんなことも分からずにおかしな理屈をこねるのは、彼らがちゃんと数学を勉強してこなかった証拠である。


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なぜ犯罪者の命の方が被害者の命より大切なのか?

先日オハイオ州のコロンブスで16歳の黒人少女が警察官によって射殺されるという事件が起き、またまたBLMテロリスト達が暴力を扇動してコロンブス警察署の前で暴力的なデモが行われた。コロンブス警察は即座に警官のボディカメラがとらえた映像を発表。ビデオは非常に観にくいが、下記の写真がすべてを物語っていると思う。

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この16歳の「少女」の体重はなんと230ポンド!これは100キロを優に超える体重(104kg)で、うちのメタボ旦那のミスター苺よりずっと重たい。ま、それはいいとして、この少女はピンクのスエットスーツを着ている少女を刺す直前に射殺された。

これまでにBLMが暴動を起こしたすべての事件で、警察官が撃った容疑者はすべて凶悪犯罪者だった。凶悪犯罪者ということは彼らによって被害を受けた人々が存在するということだ。BLM活動家たちは殺された容疑者の話ばかりしているが、これらの容疑者らによって被害を受けた人々のことなど完全に忘れている。

もしこの警察官がこの少女を止めなかったら、ピンクの少女は殺されていたかもしれないのだ。射殺された少女の命の方が刺殺されたかもしれない少女の命よりも大事なのか?最近警官に殺されて話題になった黒人犯人について、なぜかメディアは彼らの犠牲になった被害者の話を全くしない。例えば、、

ジョージ・フロイド:女性の家に強盗に入り、女性の子供が観てる前で女性から金を奪った過去がある。事件当日も偽札でたばこを買おうをし、追及した店員を脅して警察に通報されていた。

ジェイコブ・ブレイク:家庭内暴力で裁判所から近づかないように言われていた元彼女の家に押し入り、元カノを性的に虐待した後に彼女のクレジットカードと車の鍵を奪い、子供二人を連れて逃げようとし、駆け付けた警官の指図に従わずに撃たれ半身不随になった男。警察官が撃たなければ子供二人はどうなっていたのだ?

ダンテ・ライト:デート相手の家に行き、女性の首を絞めピストルを使って脅して金品を奪った罪で逮捕状が出ていた男。警察に呼び止められて指示に従わなかったため、婦人警官がテイザーを使って取り押さえようとしたが、誤って射殺してしまった。

アメリカで犯罪者が逮捕されても、裁判で有罪になる可能性はかなり低い。警察も裁判所も面倒くさいことは嫌うので、たいていの場合は減刑されて元の罪よりずっと低い軽い罪にして禁固刑にすらならないことが多い。それでも何年か臭い飯を食った体験があるということは、よっぽど何度も犯罪を繰り返してきたか、かなりの凶悪犯罪を犯したかのどちらかか両方だろう。

なぜBLMはこんな奴らの肩ばかりもって、こいつらの犠牲になった被害者のことを無視するのだ?こいつらの被害者はほとんどが若い女性達。強姦された人もいれば、殴る蹴るの乱暴を受けた人もいる。そして彼女たちも黒人だ。黒人の命が大事だというなら、こいつらの犠牲になった黒人被害者たちの命は大切ではないのか?彼女たちの人権はどうでもいいのか?

コロンブスの事件に話を戻そう。ナイフで少女を刺そうとしていた16歳少女を射殺した警官を批判する人々に聞きたい。ではこの状況で警官は何をすべきだったというのだ?直接攻撃している少女を引き離すには遠すぎる。テイザーは外れる確率が非常に高い。腕や脚を撃つなどという芸当は外す可能性があるだけでなく、被害者の少女に当たってしまう可能性も高い。他にどんな方法で被害者の少女を救うことが出来たというのか、ちゃんと説明してほしい!

こうなったら黒人が暴れているという通報があったら、白人警察官は出動を避けるべきだろう。黒人の騒動は黒人警察官だけにやってもらえばいい。いや、こんなことが続くなら警察官なんかやってらんねえよ、という人たちが増えるだろう。警察の予算削減などしなくても、どんどん警察官が辞めてリクルートすら不可能になるだろう。それでいったい誰の命が一番危険にさらされると思うのか。

そ、その通り。黒人だ。


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リンチマブが勝ったジョージ・フロイド事件裁判

去年ミネアポリスでジョージ・フロイドという黒人男性の首根っこを膝で押さえつけて死に至らしめたとして殺人罪など三つの罪に問われていたデレク・シャービン元警察官に有罪判決が下った。実際にシャービン被告が有罪だったかどうかは別としてこれ以外の判決は予想できなかった。

去年BLM/ANTIFAがアメリカ中で暴れまくった暴動のきっかけになった事件でもあり、この裁判はメディアも活動家も非常な感心を持っていた。だが、メディアは完全にシャービン被告は有罪であるという姿勢を崩さず、偏見に満ちた報道をしていたため、これだけの注目を浴びた事件であったにも関わらず事件の真実を学んだ人は少なかった。検察側の最終弁論が行われている最中に、すでに暴徒らはミネアポリスに集まっていた。この裁判中に同じミネアポリスで、また別の黒人男性が女性警官に誤って殺されるという事件があり、ところどころで略奪が始まっていた。

そこへ人権屋のアル・シャープトンや民主党下院議員のマキシーン・ウォータースなどがやってきて、有罪以外の判決は認めない。もし無罪ならもっと激しく立ち向かう必要があるなどと暴動を扇動した。弁護側の証人の家と間違われて民家の玄関に豚の血が投げかけられたり、地元メディアが陪審員の住んでいる地域の名前を晒すなど、証人や陪審員を脅迫するような出来事があちこちで起きた。

この裁判は裁判を地元から別の地域に移さなかった時から結末が決まっていた。今の時代陪審員の身元を調べるなど簡単にできる。陪審員の誰かひとりでも被告は無罪だと言えば、その人物の家は焼かれ家族が危険にさらされることは火を見るよりも明らかで、いくら正しいことをしたいと思っていても、一生を棒に振るようなことを彼らに求めるのは酷というものだろう。それに、自分の身だけではなく、無罪判決やミストライアルになどなったら、町中がまた火の海になるかもしれない、気の毒でも被告には犠牲になってもらうしかない、そう思ったとしても私は彼らを責めることは出来ない。

だが、これは不正だ。これは悪だ。

どんな凶悪犯罪者であっても公正な裁判を受ける権利がある。検察側は100%疑いのない罪を証明しなければならない。もし彼らの説に少しでも疑わしい点があれば、陪審員は被告を無罪としなければならないのである。それが疑わしきは罰せずというアメリカの裁判の基本なのだ。そういう意味でシャービン被告の罪にはかなり疑惑が多かった。

裁判で明るみにでたReasonable doubt 合理的な疑問

日本でもアメリカでも被告は無罪を証明する義務はない。被告の有罪を完全に証明する義務は検察側にある。弁護側はその検察側の説の疑わしい点を指摘し、検察側は被告の罪を完全に証明していないとすればいいのである。この被告の罪には疑わしい点がある、というのを英語ではリーズナブルダウト、日本語では合理的な疑問という。私はこの裁判の中で、弁護側はこの合理的な疑問を提示したと考える。

1.ジョージ・フロイドの死因は他にあった可能性

ジョージ・フロイドはデレク・シャービンに首を押さえつけられて窒息死したとされていたが、検死の結果、彼の死因は薬物過剰摂取による中毒死であった可能性が指摘されている。フロイドは当日致死量の四倍のフェンタニルを接種しており、何もせずにいても数時間後には死んでいた可能性が大きいと弁護側の証人は証言している。フェンタニルを過剰に摂取すると呼吸困難を起こすが、フロイドは手錠をはめられてパトカーの後部座席に座らされた時から息ができないと訴えていたことから、シャービンに押さえつけられる前から薬の影響を受けていたことは確かである。もし、放っておいても数時間後には死んでいたのだとしたら、シャービンが押さえつけたことが死因であると断定することは難しい。

2.シャービンが押さえつけたのは首ではなく背中だった

メディアが何度も見せた9分強に渡るビデオは一方の角度だけで、シャービンがフロイドの首に膝を乗せているように見えたが、別の角度からの写真を見ると、実際は首ではなく背中に乗っているのが解る。これはミネアポリス警察で暴れる容疑者を押さえつける手段として普通に使われているやり方であり、これまでにも多くの容疑者がこの方法で制御されたが死者が出たことは一度もない。実際にトークショーホストのスティーブン・クラウダ―がこれと全く同じ方法で9分強シャービンと同じ体格のスタッフに押さえつけられるデモンストレーションをしたが、首や背中が後で多少痛かった程度で死に至るどころか怪我さえしなかった。このやり方で肺が圧迫されることはなく、容疑者が死に至ることは先ず考えられない。

私は裁判の生放送をずっと観ていたわけではないが、シャービンの有罪には、この二つの点だけでもすでに合理的な疑問があると思う。シャービン被告に落ち度があったとしたら、彼があまりにもフロイドに親切過ぎたという点だ。フロイドは自分は閉所恐怖症だとか息が出来ないとか大騒ぎしてパトカーに乗るのを嫌がった。シャービンはこの時点でフロイドを車の外に出したりせずに、そのまま車のドアを閉めてしまえばよかったのである。フロイドは大柄とはいえ後部座席には十分に空間があるし、第一犯罪者がパトカーの中で心地よいかどうかなど警官がそこまで思いやってやる必要はないのだ。逮捕されて心地よい人間など、どこにもいないのだから。

この事件は全くの無知か偏見に凝り固まっている人以外は、シャービン被告が有罪であるなどとは信じないだろう。だが、彼が有罪にならなければアメリカ中で暴動が起きる可能性を考えたら、これ以外の判決はあり得なかったのだろう。

ミネアポリスの現状は、アラバマ物語で、白人女性を強姦したとして裁判にかけられた黒人が、裁判で合理的疑問を提示されたにもかかわらず、裁判の結果を待つまでもなく被告の黒人男性をリンチしようと留置場に集まってきたリンチマブを思いだす。だが、このリンチマブは被告のみならず、裁判に関わった陪審員すらも許さないという形相だったのだ。

こんな状況で公正な裁判など行えるはずはなかったのだ。

それにしても、トランプ大統領が「平和的に行進しよう」と言ったことを暴力的革命を扇動したなどといって弾劾裁判まで行った民主党は、判決が有罪以外だったらもっと激しく抗議しようと、あからさまに暴力を煽ったマキシーン・ウォータースを罰する気はこれっぽちもないらしい。なんという世の中になったのだろう。


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