先日カナダ:イスラム批判は人権迫害?で、カナダの人権擁護審議会(HRC)が新聞やブログなどの記事を対象に言論弾圧を行っているという話をしたばかりだが、実は今日になってイスラム教徒の法律学生数人がマクリーン誌を相手にHRCに苦情を申し立てたきっかけとなった記事は、私がこのブログでも何度か取り上げたマーク・スタインというカナダの作家の書いたThe Future Belongs to Islamであったことを知った。
当のマーク・スタインのブログによると、ことのきっかけは2006年10月にスタインが書いた欧米に増えつつあるイスラム教徒の人口に関する記事に数名のイスラム教徒法律学生が記事を載せたマクリーン誌に反論を載せたいと申し出て断られたことから始まる。(スタインのコラムの内容は私が以前に紹介した彼の著書の内容を短くまとめたものだ。)
これについて、HRCに訴えた学生たちのいい分はこうだ。自分らは言論の自由を重んじるため、スタインの記事を掲載したマクリーン誌の編集者と合ってスタイン氏の示すイスラム恐怖症見解の内容への反論をお互いに同意できる著者によって書くことを話しあった。
マクリーン誌はそんな反論をのせるくらいなら破産したほうがましだと答えたため、我々は人権擁護審議会に苦情を申し出た。これは少数民族が自分達に関する議論に直接異論を唱える言論の自由を持つのか、それとも迫害されるのかという問題だ。我々の調査によればマクリーンは過去に2005年の1月から2007年の7月にかけて18件にもわたるイスラム恐怖症内容の記事を掲載している。イスラム教組織からの反論は何回掲載されているかといえば全くゼロである。
しかしマクリーン誌側のいい分は原告のそれとはかなり食い違っている。
当事者の法律学生たちは記事が掲載されてから5か月も経ってから我々に合いにきた。彼等は反論する機会を与えてほしいと言った。我々はすでに多くの反論を投書欄で掲載したが、穏当なものであれば掲載を考えてもいいと答えた。彼等は5ページにわたる記事を彼等の選んだ著者にかかせ、つづりや文法の間違い以外の編集は認めないことを要請した。また彼等は反論が表紙のアートで紹介されることを要求した。我々はそれはとても穏当な要求とは考えられないと答えた。彼等がその要求を主張し続けたため、外部の人間に我々のやり方や雑誌の内容を逐一口出しされるくらいなら破産した方がましだと答えた。いまでもその気持ちは変わらない。
むろん学生たちの目的はもともとマクリーン誌に反論を載せることにあったのではない。それが目的ならマクリーン誌に拒絶された時点で、リベラルなライバル紙にでも「マクリーン誌のイスラム教恐怖症を暴く」とでもいって原稿を提出すればどこかの新聞が取り上げてくれたことは間違いない。いや、それをいうなら、マクリーン誌も指摘しているように穏当な条件で反論を提出すればよかったのである。
だが、彼等の目的はもともとスタインの記事に反論することではなく、マクリーン誌のような保守派の雑誌や新聞がイスラム批評をするのを阻止することにあったのだ。つまり、彼等はもともとわざとマクリーン誌が受け入れられない無理難題を要求してそれが断られたら人権を迫害されたといって人権擁護審議会に訴える計画だった。カナダのHRCは親イスラム教で反保守派なので、彼等が原告の訴えに同情的な判決をくだすことは十分に期待できたし、そうでないまでも訴えられたマクリーン誌は弁護のために多額の金額を浪費しなければならなくなる。
この訴えに勝っても負けてもマクリーン誌がうける損害は多大だ。となれば、今後マクリーン誌のみならず、他のメディアもHRCへの訴えを恐れてイスラム批判の記事を掲載できなくなる。学生たちの狙いはここだ。カナダのメディアからいっさいのイスラム批評を弾圧させようというのだ。彼等は自分らの言論の自由が迫害されたの何のといいながら、彼等の最終目的はイスラム批判をする人々の言論を弾圧することにある。自分らの人権が迫害されといいながら、本当の目的は他者の人権を迫害することにあるのだ。
そしてカナダの人権擁護審議会はその人権迫害言論弾圧の共犯者と成り果てているのだ。
これについてスタイン自身はこのように語る。
結論からいうならば、私は自由にカナダで生まれた市民がカナダ政府の許可なくして私のコラムを読めないという考えそのものを拒絶する。腹立たしいのは(苦情を提出した)エルマスリー教授やその仲間たちの苦情ではなく、カナダの似非裁判所が彼等の訴えを真剣に聞き入れたことだ。私は判決など全く興味がない。ただ無実に終わることはかえって民間経営の雑誌の編集長として政府が口出しする行為を正当化することになる害があると思うが。 デイビッド・ワレンも指摘しているように罰は判決そのものではなくその過程にあるのだ。何千万ドルも使って自分らが正しいと議論することは言論の自由に何の役にもたたない。これは新聞の編集者や書籍の出版社や本屋の経営者たちに、この種の本を出版したり掲載したり販売したり掲示したりするのはやっかいなだけで何の得にもならないという合図をおくることになり、カナダにおける言論の自由を弾圧することにつながるのだ。
これは政治的起訴なのであり政治的に反撃すべきなのだ。「原告」は明らかにそのことを承知している。彼等が(編集長の)ケン・ホワイトに合いに行ってマクリーンから賠償金を要求した時から承知していたのだ。私は憲法上においてこの過程自体を転覆させたい。そうすることでカナダ人がアメリカやイギリスやオーストラリアの読者と同じように(自分達で)私の著書の善し悪しを判断し、市場がその価値の有る無しを決めるようになってほしい。ノルウェーのイマームがノルウェーについての発言ができるというのに、カナダの雑誌がその発言を掲載することが「憎悪犯罪」になるなどというのは、すべてのカナダ人にひどい恥をかかせることになる。
皮肉なことに、スタインはトルコやインドネシアのイスラム教出版社からコラムの掲載を打診する話がきているという。イスラム国の出版社よりもカナダの人権擁護審議会は偏狭だとは全く嘆かわしいとスタインは語る。