カナダ:イスラム批判は人権迫害? 

以前に人権保護という言論弾圧でイギリスにおける人権保護とか擁護とかを口実にした言論弾圧について書いたことがあるが、今回はカナダの例をご紹介しよう。
カナダではイギリスや他の欧州諸国ほどひどくはないとはいえ、イスラム教市民団体による横暴がかなり幅を効かすようになってきている。これについては過去にも何度か述べてきた。

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カナダの教育界を乗っ取るイスラム過激派
北米キャンパスを乗っ取る聖戦主義のユダヤ弾圧
今回はカナダのマクリーンマガジンがカナダイスラム議会(The Canadian Islamic Congress, CIC)という市民団体から人権擁護審議会に苦情を申し立てられいるという ナショナルポストに載ったこの記事からご紹介しよう。
CICがマクリーンマガジンを訴えている理由というのが、同誌が掲載したイスラム教移民に関する記事への、CICによる5ページにも渡る抗議文掲載を同誌が拒否したというだけというのだからひどい。しかもこの記事の著者、Ezra Levantによれば、多分マクリーンマガジンは負けるだろうというのである。
いくらカナダでも雑誌の編集者に自分の下らない投書を載せろと強制するのが人権保護などであるはずがない。しかしイスラム議会はそうは見ていない。ブリティッシュコロンビアの連邦人権保護評議会に苦情を訴えたイスラム議会のいい分は、マクリーン誌は「明らかにイスラム恐怖症」であり、「カナダのイスラム教徒を憎悪と嫌悪の対象としている」というものだ。「私は個人的に被害にあった。」と最近の記者会見でCICのKhurrum Awan氏は述べた。しかし、CICが怒っている理由となったマクリーン誌の記事とは単に西洋諸国でイスラム教徒の数が増えているという人口分布に関するものだったのだという。
実はカナダのイスラム議会は過去にも数々の新聞社を名誉毀損で訴えてきたがすべて敗訴で終わっている。カナダの民事では、原告側は実際に自分達が明らかな被害を受けたことを証明しなければならず、これには弁護士を雇ってめんどうくさい裁判を経なければならない。そこまでして負ければ、かえってイスラム議会は恥をかく。また負けた側が買った側の弁護費用も負担しなければならないため、やたらな訴訟は害あって益なしである。(こういう点はアメリカも見習って欲しいものだ)
民事訴訟がうまくいかないと悟ったイスラム議会は今度は極端な悪質な差別用語や一部の人間への暴力を促進するような演説に限られて作られたヘイトスピーチ取締法という刑事裁判も試みたが、これは民事よりもっと証明が難かしく最初から無理。
そこでCICが考え出したのが人権保護審議会への苦情申し立て。これなら弁護士を雇う必要はないし、一旦苦情が取り上げられれば後の審議は税金がまかなってくれるので、訴えた側の経費はゼロ。しかし訴えられた側のマクリーンは弁護士を自腹を切って雇ってCICの苦情が根も葉もないことを証明しなければならない。審議会では一般の裁判や法律で取り決められた証拠は必ずしも取り上げられない。しかも審議会はおよそ中立とはいえないのだ。審議会のメンバーの多くは弁護士だが、それでもカナダの言論の自由を保証する憲法を理解しているメンバーは少ないとナショナルポストの記事は述べている。
この審議会が課す罰というのがまた不思議なのだ。政府と原告への罰金もさることながら、被告は許容できない政治的もしくは宗教的な意見を持ったとして「謝罪」を強制される。
これはハッキリ言って罰金よりもひどい。なぜならこの罰は、政府がよしとしない思想をもったことを悔い改め、個人や雑誌の個人的意見を弾圧して、政府の決めた思想を発表せよと命令するものだからだ。カナダの人権保護審議会はマクリーン誌が正しかろうがどうしようが「謝罪」を強制することができる。同誌の編集者であるケン・ホワイトに「自分は人種差別者だ」と無理矢理言わせる権限があるのだ。ひどい時になるとホワイトは強制的にイスラム教の勉強をさせらえる可能性もある。
私はもともと人権保護だの擁護だのの目的で作られた政府機関など頭から信用していない。こういう機関は最初の意図はどうあれ、絶対に一部の団体を保護するためにほかの団体が弾圧されるという悪結果をもたらすからだ。声が大きく政治力のある少数民族が政府に取り入り、彼等のいい分はどんな理不尽なことでも通るが、彼等を批判すればそれが「人種差別だ」「人権侵害だ」と騒ぎ立てて政治的に対立するグループの言論の自由が奪われる。人権保護機関がそうでない理由で使われることなど稀なのだ。
カナダの場合も例外ではない。カナダの人権保護審議会が設立されたのは1960年代で、当初の目的は人種などによって住宅を拒絶されたり就職できなかったりといった差別を阻止するために作られた。しかしそれはすぐに、なんらかの理由で仕事を首になった従業員による苦情申し立てや、くだらないセクハラ苦情受付の機関へと変化してしまった。(セクハラそのものが下らないと言う意味ではない。これは何かあるとすぐセクハラといって大げさに騒ぐ下らないケースのことを指している。)
人権保護審議会が設立当初審議すべきだとしていた「出版物」とは、「ユダヤ人お断り」とか「白人のみ入場可」といった差別的な看板などであり、マクリーン誌の掲載したような人口分布調査などがあてはまるはずがないことは常識的に考えて明白だ。しかし今やカナダの人権保護審議会は新聞や雑誌が自由に意見を述べらるのを規制する、いわゆる言論弾圧の道具となりはてている。
げんに以前に審議会のメンバーだったリチャード・ワーマンという弁護士は、審議会に26件もの苦情をうったえており、その苦情は半分以上も受け入れられ、多額の「賠償金」を勝ち取っているという。ワーマンはリベラルな政治活動家で、弁護士など雇って反論できないような個人的な零細ブログを対象に苦情を申し立てている。
もっと恐ろしいケースでは、キリスト教神父が新聞に寄せた投書において、神父が「同性愛は道徳上の罪で」であり同性愛者には社会的な「目的」があると書いたのを、地元の教師が反論を新聞に投書するかわりに人権保護審議会に訴えた。審議会ではたった一人の離婚独身の弁護士によってこの手紙の「掲載によって同性愛者に対する憎悪と嫌悪は言論の自由を逸脱するものである」と結論つけられた。つまり神父の信教は人権迫害だというのである。
この結論こそが、まさに言論の自由と宗教の自由を迫害するものではないのか?これこそ自由社会の基礎となる自由な思想を弾圧する人権迫害ではないのか?
自分の気に入らない意見や思想の公表を容認してこそ本当の意味の言論の自由は保証されるのだ。気にいった意見だけはきいて他を弾圧する人間に人権云々の議論をする資格はない。


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人権保護という名の言論弾圧

イギリスでは人権保護という名目で自由がいたるところで束縛されるようになったと、コラムニストのメラニー・フィリップスは書いている。
ゴードン・ブラウン首相は現在人権保護のための新しい法案を製作中だという。しかしこの法案は人権保護どころか言論の自由を弾圧するものだとメラニーは警告する。

これは非常に恐ろしいことだ。政府が自由という言葉を口にするたびに、私は歯ブラシをスーツケースに入れる。これはゴードン・ブラウンという自由社会の根本を破壊しようとし、ヨーロッパ連盟の憲法条約を議会で押し通し、わずかながら残された自治の権利を失うかどうかについては国民の意見を取り入れるという公約をやぶり、英国の自治を脅かしている同じ首相である。

英国には人権法というのがあるが、これが悪用されて人々の自由をどんどん束縛するようになっているのだそうだ。これはもともと少数民族が差別を受けないようにと設けられた法律だが、アメリカのアファーマティブアクションと同じで時がすぎるにつて、少数派が裁判所を使って一般民衆の道徳観を攻撃する道具となってしまったようだ。たとえばテロリストの容疑者が人種差別をしたと訴えて警察の捜査が邪魔されたり、違法移民が人種差別を言い訳に国外追放を免れたりと、国の安全にかかわることですら人権法が人々の前に立ちふさがっているのだ。
メラニーが気に入らないのは、ブラウン首相がヨーロッパ連盟(EU)の法律を英国人の意志を無視して押し付けようとしていることにある。メラニーが例としてあげている差別禁止法が与える影響として、スコットランドのNHSという政府の部署で発行された52ページにわたる”Good LGBT [Lesbian, Gay, Bisexual and Transgender]Practice in the NHS” という同性愛者、バイセクシャル、性転換者への正しい気遣いの仕方が従業員に配布された。これはLGBTの人々への差別をなくすという主旨でつくられた規則なのだが、そのなかに差別用語の禁止という項目がある。それでいったいどのようなひどい差別用語が禁止されているのかというと、、、

「夫」「妻」「結婚」といった言葉は異性同士の関係を前提としたものであるため自動的にLGBの人々を疎外することになるります。伴侶に対しては「パートナー」または「あの人たち」と呼ぶことにして問題を防ぎましょう。 これには結婚しているいないに関わらずすべての異性同士のカップルが含まれます。….子供と話すときは「両親」「世話人」「保護者」といった言葉を使い、「お母さん」「お父さん」という言い方は控えましょう。

要するに、人権保護とか差別禁止とかいう名の下に、ヨーロッパでは伝統的な家族構成の思想を破壊していこうというのである。
イギリスも例外ではないが、昨日お話したデンマークや、オランダや、フランスで、イスラム系移民にいよる暴虐が横行しているのも、ヨーロッパ社会が自分達の伝統を人権保護という名目でどんどん破壊していっているからだ。宗教心の強いイスラム教徒からすれば、ヨーロッパの崩壊は世俗化によるものだと判断されても当然であり、これは必ずしも間違った見解とは思えない。ヨーロッパは冷戦で共産主義のソ連に勝ったのにもかかわらず、内側から自由主義の背骨を砕いていこうというのである。なんという嘆かわしいことだろう。
さて、この傾向は少なからずアメリカにもあるので、決して他人事ではない。アメリカ社会でも人権保護とか多様性とかいう名目で思想の自由がどんどん奪われつつある。その最たるものがアメリカの大学キャンパスだ。
イヴァン・コイン・マロニー(Evan Coyne Maloney)という若い映画監督がアメリカの大学キャンパスをあちこち巡ってつくったIndoctrinate Uというドキュメンタリーでは、いかにアメリカの大学が思想の自由を弾圧しているかを描いている。(私はまだ見ていないが、パワーラインで予告編を見ることができる。)
アメリカの大学では「ヘイトスピーチコード」という規則を取り入れているところが多いが、要するに相手が嫌がる言葉使いをしてはいけないというものなのだ。しかしあらかじめ使ってはいけない言葉がきちんと列記されているわけではなく、少数派だと自分で考えている人が差別されたと感じれば、その言葉を使ったひとはヘイトスピーチを使ったとして罰せられるという恐ろしい規則だ。相手がどんな言葉で傷つくかなど人それぞれではないか、何が違反かもわからない状態ではやたらなことはいえない。
多様性を重んじるなどと表向きは言う大学も、この多様とは人種とかLGBTのような人々のことであり、決して思想の多様性ではない。特に左翼主義が横行し、保守派や右翼主義の生徒はやたらに政治の話などキャンパス内でした日には、教授から落第点をもらうだけでなく、差別者として大学を退学になったりひどい時には裁判沙汰になって賠償金を支払わされたりすることがあるという。
アメリカは熔解の鍋と言われるほど多様の人種や国籍が集まり、それがアメリカ人として融合するというのがその強さの基盤となっていた。ところが最近のアメリカの大学では、「女性の会」「黒人生徒サークル」「同性愛サークル」といったようにそれぞれのグループを区分けするやり方がごく普通になっている。私は大学生の頃、どこかのサークルの集まりでピザの箱が山済みになって学生達がピザを食べていたので、自分は関係なかったのだが、中国人のクラスメートと一緒にサークルのメンバーのふりをしてピザを盗んじゃおうかという悪いことを企んだことがある。ところが、集まっている生徒の顔をみていたらみんな黒人。我々東洋人がメンバーのふりをしようにもこれは不可能。仕方なく諦めたという笑い話になったことがある。
しかし、少数派が少数派で固まり、外部者を受け付けないやり方は差別をなくすどころか、かえって差別をひどくする。口を利くたびに差別用語を使ったとして処罰されるのでは、普通の白人男性は怖くて有色人種や女性と口が利けなくなるではないか?無論それが大学側の狙いなのだ。彼らは学生達が左翼の教授らと全く同じ思想をもつように洗脳するのが目的なのだから。
デューク大学でパレスチナのテロリストの看板組織ISMが大学のサークルを利用してメンバーを募っていたなんて話は有名だが、もしデュークでISMサークルはテロリスト組織だと学生達が疑ったとしても、それを口にするのは非常に危険だ。差別者として退学になるだけでなく名誉毀損で訴えられかねない。その挙句にパレスチナ系テロリストに暗殺される危険すらある。
人権保護法は法を尊重する善良な市民を守らず、テロリストや犯罪者を守り、政府に多大なる力を与える非常に危険な法律である。イギリスも他のヨーロッパ諸国も、そして無論アメリカも、この恐ろしい法律をもう一度見直して欲しいものだ。


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同和対策が導いた落とし穴

この間私は日本の人権擁護法案とアメリカのアファーマティブアクションが抱えている落とし穴について、日本とアメリカ、共通する差別問題と落とし穴においてこのように書いた。

アファーマティブアクションの当初の目的は、雇用や大学などの入学審査のときに、人種や性別によって差別されないよう少数民族や女性の人権を守ることだった。 それまでジム・クロー法などといった悪法にいより、黒人と白人が同じ公共施設を使用できないという現実があり、同じ職業でも黒人と白人では給料に格差があったり、少数民族や女性がつける職業は限定されていたりと、色々な差別が存在していたことを是正するのが目的であった。

ところが人種・男女差別をしてはいけない、という法律がいつの間にか少数民族や女性を特別扱いする法律へと変貌してしまった…
アファーマティブアクションが適用されるのは大学だけでなく、雇用の際でも同じである。 黒人運動のリーダー的存在に、ジェシー・ジャクソンという人物がいるが、彼とその中間達は、大企業などの雇用方針が黒人差別を行っているといいがかりをつけては訴訟を起こすという行為をくりかえしていた。 大抵の企業は人種差別のレッテルを貼られて訴訟をおこされては会社のイメージにかかわるということで、裁判沙汰になる前に急いで示談にしてしまう。 つまり、ジャクソン氏の一連の訴訟は裁判を脅しにつかった恐喝に他ならない。 日本でも同和開放同盟などが同じような行為をしているのではないだろうか?

しかし板さんの同和対策事業はもう必要ない!を読んでいて、日本の場合はアメリカよりもっと組織的なレベルでの問題になっているということがわかった。

なぜ、本来は“差別の解消”が目的だった同和対策が、このような“特権の世界”になってしまったのか?

その最大の原因は“窓口一本化”にある。
そもそも同和関係の団体は、大きく分けて三つあった。部落解放同盟(解同)、全国部落解放運動連合会(全解連)、全日本同和会(同和会)。このうち全解連は共産党系であり、同和会は保守系、そして解同は社会党(現社民党及び民主党)と密接な関係があった。
被差別部落の住民が同和対策事業にともなう施策を受ける時、これらの団体が窓口になることが多かった。ところが、解同が「窓口一本化=全解連や同和会の排除」を要求し、行政がそれに屈服することで、解同が“特別な団体”になってしまったのである。
毎年、国と地方を合わせて何千億円という税金が同和対策事業に投入される。それを解同が一手に取り仕切る。
ここに、被差別部落民は解同に従わなければ同和対策事業が受けられない、また行政は解同の了解がなければ同和対策事業を進められない―そういう同和対策事業の頂点に解同が君臨する構図ができ上がったのである。
こうなると“利にさとい”連中は、皆、解同の下(もと)に結集することになる。そこでは理念も方針も関係がない。とにかく解同にいれば利権にあずかれる。だから暴力団や単なる利権屋も皆、解同ということになる。
そこで何が起こったのか?
“悪貨は良貨を駆逐する”という現象である。まじめに差別の解消に取り組む者より、威嚇と暴力でより多くの税金を分どる者の方が幅をきかせるようになる。

この「窓口一本化」はアメリカの労働組合と非常に似ている。私の職場にも組合があるが、組合のメンバーは毎月会費を給料から差し引かれ、給料の交渉などは個々で出来ず組合が一括してまとめて行う。だが個々の能力はそれぞれ異なるのであり能力のない職員も能力のある職員も一律の給料というのは不公平だ。私はこういう全体主義は非常に嫌いだ。
病気を理由に5年間で数カ月しか働かなかったという職員が交渉の際に机をひっくりかえすなどの暴力をつかって交渉相手を威嚇していたという話をきいて、カカシは私の職場で2年前に起きた事件を思い出した。
私より1年後に入ってきた同僚のAさんは学歴の高い期待の新人だった。カカシより学歴があるということで一年後輩といえどもグレードは私よりずっと上でお給料もずっといい。ところがこのAさん、何をやらしても失敗ばかりで全く役に立たない。Aさんが携わった企画部では部長からAさんはつかいものにならないといってはずされてしまったこともあった。先にはいったということで上司が私にAさんをトレーニングしろといった時も、訓練生を好まない出張先の職場の担当を拝み倒してAさんを加えてもらったのに、当日になって家族に緊急の用ができたのでいかれませんと飛行中に切ってあった私の携帯に伝言がひとこと入っていたきり。無理をいって訓練生を加えてもらったカカシは出張先で面目丸つぶれだった。しかしその後もAさんからは何の説明があるでなし、迷惑かけて申し訳ないというわびのひとつもなかった。
怒った上司は年度末の成績見直しでAさんの昇級を見送ることにした。 ところが次の日Aさんは労働組合のおっかないお兄ちゃんと連れだって上司のオフィスに乗り込んだ。そこでどういう交渉が行われたのかは分からないが、Aさんは単なる年功序列の昇進ではなく、二つぐらい級を飛び越えた大幅昇進となり給料も大幅に跳ね上がってしまったのである! 上司としては悔しかっただろうが「労働組合をおこらせるな」と上から圧力がかかったらしい。
Aさんはいまだにうちの職場にいるが、毎日いったい何をやっているのか誰も知らない。やたらなことをいうとやくざなお兄ちゃんから訪問を受けかねないので誰もなにもいわないでいる。ひとつの団体に給料交渉の権限を一括して与えてしまった以上こうなるのは最初から目に見えていたことだった。そしてこういう団体に暴力団がひっつくのも自然現象というものだろう。
アメリカの労働組合にしろ、日本の解放同盟にしろ、過去に必要な時期があったかもしれないが、いまやその役割をとおに超えて、いまやかえって差別を促進するような悪団体と成り果てた。このような団体はもういらない。

自尊と自律なくしては何一つ解決されない。差別する者と差別される者、加害者と被害者、という思考を脱皮しない限り問題は永遠に解決しないし、逆に差別もなくならない。
解同がなすべきことは、行政に特別扱いを求めることではなく、むしろ特別扱いを必要としない人間を一人でも多く養成することである。

まさにその通りだと思う。


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在日特別永住権とアメリカの移民問題

さて、昨日に引き続き、極右評論の瀬戸さんが掲げてらっしゃる二つの項目についてお話をしたい。

  • 安心・安全な社会      不法滞在外国人の強制送還、 入管法の強化・雇用者罰則強化
  • 在日特権の廃止      特別永住資格付与制度の見直し
  • 最初の不法滞在外国人とその雇用についての問題は、アメリカでも全く同じ議論が交わされている。 実はこのことでブッシュ大統領の提案が移民に甘すぎるという批評を保守派から買って保守派による反ブッシュ感情が高まったことが、今回の選挙に影響したことは否めない。 二つ目の在日と言われる韓国朝鮮系、中国系の移民とその子孫に関する永住権の問題も、実は最初の違法滞在外国人と同じく移民問題であるので、ここはひとつの問題として取り上げたい。
    日本もアメリカもそしてヨーロッパも同じように抱えている深刻な問題が、少子化問題である。 アメリカでは出生率はぎりぎり二人ということだが、欧州や日本などは1.5人を下回る。 これでは夫婦二人の代わりになる子供の数が全く足りなくなり、社会は人口減に悩まされることになる。 老齢化する文明社会の経済はいったい誰が支えるのか、この人手不足を補うのが外国人労働者である。
    欧米や日本がどれほど忌み嫌おうとこれらの社会の経済を支えていくためには外国人労働者の労力が必要なのだ。 しかしこれらの労働者をどのように受け入れるか、欧州でおきているイスラム教移民問題を考えれば、これはひとつ間違えるとたいへんなことになる。
    外国人労働者をどう扱うか
    何故外国からの不法滞在者が増えるのかといえば、彼らが合法に滞在する手段が容易ではないからである。 これはアメリカにしろ日本にしろ同じことだ。 貧困に悩む近隣の諸外国から比較的経済の豊かな日本やアメリカに移民が集中することはごく自然な現象であり、彼らを締め出そうとすればするほど不法入国者が増えてしまうのである。 
    また欧米にしろ日本にしろ外国人労働者なくしては経済が成り立たない以上、雇用者を罰するなどという方針をとっても無駄である。 大企業が政府に働きかけ法律を腑抜けにしてしまうか、法の網をくぐって違反は絶えずおきるだろう。 
    ブッシュ大統領は外国人労働者を季節労働者として扱い一定の時期だけ就労と滞在が可能な特別な旅券を与える法案を提案しているが、私はこれにも反対だ。 なぜならば一時的に外国に滞在している外国人労働者たちはその国の社会に所属しているという意識がない。 日本のことわざで「旅の恥はかき捨て」というのがあるように、自分が所属しない社会の治安維持に外国人が無頓着になるのは必定で、これが外国人労働者による犯罪を促進する原因となる。
    また、一時滞在を違反して長期滞在をするようになった外国人労働者たちは限られた一定の低所得職業に隔離されてしまい、社会に異民族を主体とした下層階級を作ることにつながる。それが欧州におけるイスラム教徒移民問題のそもそもの発端なのである。 
    では不法滞在を減らすためには外国人労働者の問題をどうすればいいのか。
    一番大切なのは合法に外国人を受け入れる方法を考えることである。 何故外国人の不法滞在問題が、合法な外国人受け入れ対策で解決できるのか不思議に思われる方もいらっしゃるだろうが、違法が起きるのは既存の法率に問題があるからなのである。
    外国には貧乏に困って日本で働きたい人々がたくさんいる。 日本は人手不足で外国人労働者を必要としている。 こうした需要と供給がある以上、日本は合法に外国人を受け入れるべきなのである。 その際、外国人が日本で働くための規則を具体的に明確にし、犯罪やスパイ行為などとつながらないと判断された外国人はそれほど面倒な手順を踏まずとも入国できる法律をつくるべきだ。 そしてこれらの就労者がつける仕事の内容にも外国人だからという理由で規制はせず、長年合法に日本で働き暮らしてきた外国人は資格試験などを通して、明確な基準を通過すれば永住権、ひいては日本国籍も取得することができるという機構を設けるべきである。
    そうすれば、努力次第で日本に永住できるようになると考えた外国人は、日本の社会の一員としての自覚をもつことになる。
    在日特別永住権の見直し
    さて、ここで一般に在日と呼ばれている第二次世界大戦中に労働者として日本へやってきた朝鮮系、中国系の移民及びその子孫に与えられている特別永住権の問題について考えてみたい。 
    朝鮮系中国系の一世の方々は戦後、祖国の政治体制が変わってしまって帰国が不可能になった人たちが多い。そのことを考慮して日本がこれらの移民に特別永住権を与えたことは適当な処置であったと私は考える。 しかし日本においてこれらの人々の間で生まれた二世三世の人々にまでこの特別永住権が与えられるというのはおかしいのではないか、という右翼の人々の疑問には私は全く同意する。
    しかしながら、ではこの人たちをどうするのか、という点で私は日本の右翼のひとたちがどう考えているのかちょっと解らないのである。
    アメリカではアメリカで生まれた人間は親の合法違法にかかわらずすべてアメリカ市民になるという法律がある。 それで違法移民のなかでアメリカでなんとか子供を生もうとする人が絶えないため、この法律は見直しの必要があると考えられている。 アメリカの場合はいきすぎなのだが、日本はその反対がいきすぎで、親が合法な移民であるにもかかわらず、日本で生まれた二世や三世までが外国人として取り扱われているというおかしな現状がある。
    ここは間をとって、日本においてもアメリカにおいても、合法移民の間で生まれた子供は自動的に生まれた国の国籍を所持するという法律をつくってはどうか。 日本生まれの日本育ちの人々が特別な手続きを踏まなくても自動的に日本籍になり、親の国籍を保ちたい人々は日本国籍を破棄しなければならないとということにする。 日本国籍を破棄した時点で、永住権を授与するしないを判断すればいいのであり、特別永住権などという特権は時間と共に自然消滅すると思うのだが、どうだろうか?
    この新しい法律が出来た後でも、現在すでに特別永住権を所持している人々に無理やり帰化を強制する必要はない。 彼らは既存の法律に従って特権を得たのであり、いまさら新しい法律ができたからといって、その特権を取り上げるのは人権侵害となるからだ。
    しかし、特別永住権をもっていながら、北朝鮮や中国の共産主義政権のスパイ行為や、日本への背信行為を犯している人々に関しては厳重たる処置がとられねばならない。 特別永住権所持という立場で北朝鮮の議会に籍を置き、日本と北朝鮮をいったりきたりしているようなやからはいますぐ国外追放をすべきであり、スパイ行為をしていると断定された犯罪者は日本の法律によって裁かれ罰せられるべきである。
    私は違法移民問題にしろ、特別永住権の見直しにしろ、現在の状況を緩和したいのであれば、代わりになる方策を立てる必要があると考える。 違法移民を締め出すなら合法移民をどうするのか、特別永住権を剥奪するなら現在特権を持っている人々をどうするのか、そうして解決策が明確に提示されない限り、違法移民を追い出せ、永住権を見直せといってみても問題解決にはならないと思う。
     


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    日本とアメリカ、共通する差別問題と落とし穴

    先日、私が日本の保守派としてよく参考にさせていただいている極右評論の瀬戸さんらが主体となって維新政党・新風という新しい政治運動が結成された。 
    この新政党結成にあたり、瀬戸さんが大事な項目として次のことを挙げておられる。

    我々は次の項目を維新政党・新風に要望しました。
     教育の正常化        日教組の解体・道徳教育の復活
     安心・安全な社会      不法滞在外国人の強制送還
                      入管法の強化・雇用者罰則強化
     在日特権の廃止      特別永住資格付与制度の見直し
     人権擁護法案に反対   部落解放同盟の同和利権阻止
     外国人参政権に反対   国籍条項の完全徹底を図る
     「政教一致」問題      公明党の政界からの追放!
     国家反逆罪の制定     極左・総連・カルト宗教の解散
     国防体制の強化      非核三原則の廃止・核保有論議の推進
     偏向マスメディア      マスコミ監視制度の創設・特権の廃止

    瀬戸さんが挙げておられる多くのことが、アメリカの社会問題とも非常に通じるところがある。 教育問題しかり、同和問題や不法滞在外国人や、在日朝鮮・韓国人への特別永住権の問題などはアメリカ社会の人種問題や移民問題と酷似しているといっていい。
    こういう問題を取り上げ、既存の法律を改正すべきであると唱えると、必ず左翼の方から「人種差別だ!」という脊髄反射的反応で批判されるので、保守派がこれらの問題を扱うときには充分な注意が必要だ。 特に改正案が講じて本当の人種差別になってしまう危険が存在することは事実なので、そのようなことは断固避けねばならない。 しかし、だからといって存在する問題にいつまでも目を瞑っていては事態は悪化するばかりである。
    そこで私が気になった人権擁護法案と移民問題の二つの項目に絞って日本とアメリカを比べてみたいと思う。 この際読者の皆様にご理解いただきたい点は、私は日本で大人をやったことがないので、日本の社会問題をきちんと理解しているとは言いがたい。 最近になってネットを通じ、日本の状況が以前よりはわかるようになってきたとはいえ、地元で肌で感じるものとは程遠いと考える。 いわゆる鼓動が今ひとつ聞こえてこないといったところだろうか。 だからもし私の比較のなかで日本の状況に関する無知から来る頓珍漢な解釈があったら、読者の皆様からご遠慮なくご指摘いただきたいと思う。
    人権擁護法案とアファーマティブアクション 
    人権擁護法案というものをネット検索でザット読んだ限り、この法案が言論の自由迫害につながる危険性は充分にある。 また企業などが雇用方針が差別的であるという理由で起訴されやすいという危険性も多く含まれている。 ここで訴訟社会のアメリカにおいて人権擁護の目的で1960年代に設立されたアファーマティブアクションがアメリカ社会にもたらした悪影響を少し考えてみよう。
    アファーマティブアクションの当初の目的は、雇用や大学などの入学審査のときに、人種や性別によって差別されないよう少数民族や女性の人権を守ることだった。 それまでジム・クロー法などといった悪法にいより、黒人と白人が同じ公共施設を使用できないという現実があり、同じ職業でも黒人と白人では給料に格差があったり、少数民族や女性がつける職業は限定されていたりと、色々な差別が存在していたことを是正するのが目的であった。
    ところが人種・男女差別をしてはいけない、という法律がいつの間にか少数民族や女性を特別扱いする法律へと変貌してしまった。 雇用、大学入試、アパートなどの賃貸契約、レストランのサービスに至るまで、アファーマティブアクションがやたら介入してくるようになったのである。 
    大学入試を例にして説明すると、大学入学の際、少数民族だからといって入学を拒否されないように、新入生の人種の枠をつける方針が多くの大学で取り入れられた。 この枠組みはアメリカ社会の人口比率が参考にされており、詳細は学校によって違うがここでは便宜上黒人20%、ラテン系10%、東洋系10%、白人60%としておこう。 ここで問題なのは大学志願者の比率が社会の人口比率とは一致しない点である。 これは文化の違いによるのだが、黒人やラテン系の若者が大学へ進む比率は東洋人や白人のそれよりもずっと低い。 ということは同じ大学へ志願しているにもかかわらず人種によってその倍率が全く違うということになってしまうわけだ。 
    たとえば単純計算である大学の100人の枠のなかで、黒人志願者が20人、東洋人志願者が100人だったとする。 同じ大学へ志願したにもかかわらず黒人の志願者は全員入学できるが、東洋人の合格倍率はなんと10倍。 嘘みたいな話だがこれは実際に起きたことなのである。
    数年前にカリフォルニアのバークレー大学に志願した中国系の女性が通知表はほとんど完璧、全国学力テストの成績もほぼ99%という優秀な成績だったのに不合格、同時に合格した黒人生徒の学力テストの成績は60%代だったという事件が発覚した。 東洋人も黒人ほどではないにしろ、人種差別の対象になってきたことは事実なのだが、持ち前の努力と勤勉さでいまやアメリカ社会では有能な人種として尊敬されている。 だが、それが裏目に出て東洋人を人種差別から守る目的で決められた下限の枠がかえって東洋人を差別する上限となってしまったという変な状況が起きてしまったのである。
    それで生徒達の間でも、黒人生徒は頭が悪いという先入観をもたれるし、学力不足で落第する生徒もあいつぎ、かえって黒人への差別意識を高くしてしまうという悪影響がおきた。 ちなみに東洋人生徒は頭がいいという先入観があることも事実である。 特に理系は得意だというステレオタイプがあるため、私など大学時代化学の実験パートナーになってくれという申し込みが殺到して困った。 カカシは化学は大の苦手なのに~! (カリフォルニアの公立大学では人種による枠決めは14~5年前から廃止されている。)
    さて、アファーマティブアクションが適用されるのは大学だけでなく、雇用の際でも同じである。 黒人運動のリーダー的存在に、ジェシー・ジャクソンという人物がいるが、彼とその中間達は、大企業などの雇用方針が黒人差別を行っているといいがかりをつけては訴訟を起こすという行為をくりかえしていた。 大抵の企業は人種差別のレッテルを貼られて訴訟をおこされては会社のイメージにかかわるということで、裁判沙汰になる前に急いで示談にしてしまう。 つまり、ジャクソン氏の一連の訴訟は裁判を脅しにつかった恐喝に他ならない。 日本でも同和開放同盟などが同じような行為をしているのではないだろうか?
    アパートの賃貸などでも差別をしてはいけないことになっているが、白人のおばあちゃん一人で管理人をやっているところに、人相の悪い黒人のギャングバンガーのような男がひとりでアパートを借りにきても、おばあちゃんはやたらにこの男性を断れない。 実際に夜中に仲間のギャング達がアパートにおしかけ夜毎大騒ぎをしたり、麻薬売買などをやることは目に見えていてもである。 また私の昔の知り合いのメキシコ系アメリカ人女性は、メキシコ人には部屋は貸さないと私にささやいたことがある。 それはメキシコ系夫婦に部屋を貸すと、いつのまにか親戚一同50人近い人間が合同宿舎のように寝泊りするようになるからだという。 だが、もしこの女性がメキシコ人だから部屋は貸さないなどと言えば、人種差別の法律に触れることになるのである。
    また最近では、アラブ系の若い男性に照準をあてて空港などの警備の対象にするいわゆるプロファイリングも、人種差別だと言われて出来ない状態にあることも付け加えておこう。
    人種差別をなくす法律はあるのか?
    私はそんなものは存在しないと考える。 人種差別という個人的な感情を法律で規制することなど出来ない。 差別をするなといって強制的に嫌いなもの同士を一緒に勉強させたり仕事させたりしては、かえって反感を買うのがおちである。 
    ではどうすればいいのか。
    私は人種や男女を差別する法律さえ取り除けば、後は市場が解決すると考えている。 (人種差別をする法律とは、過去のジム・クロー法のように、同じ公共施設を黒人と白人が使ってはならないとか、黒人や女性が一定の職種につくのが禁じられているとかいうような悪法を意味する。)
    たとえばあるレストランの経営者が、「黒人お断り」の看板を出したとしよう。 このレストランがどういう場所にあるかによるが、黒人客は無論のこと、黒人を含んだ他人種のお客や、白人客でも、「こんな人種差別をするような店で飯など食えん」といって敬遠するだろう。 お客がこなければ商売にならないのに、わざわざ一定の客を遠ざけるような商売方針は愚の骨頂というものだ。
    また黒人だからという理由で有能な人材をみすみす見逃せば、企業にとっても痛手である。 たとえば黒人だからとか女性だからという理由で多くの企業が彼らを雇わなかったとする。 これを利用したある企業が有能な黒人や女性を白人男性より低い給料で雇ったとしよう。 雇われたほうも別の企業で低レベルの仕事をしているよりは給料がいいので、この会社にとびつく。 他では雇ってもらえないことがわかっているから企業への忠誠心も強い。 そこでこの企業は人件費を節約して儲けが上がるという寸法だ。
    金の力は強いから、他の企業もこれを見習ってだんだんと黒人や女性を雇うようになる。 そうすると彼らの給料はだんだんとあがり、いつの間にか白人と変わらない状態になる。 これにて人種差別は事実上消えてしまうのである。
    このように人権擁護法などというものは、一見少数民族の人権を守るために作られるもののように見えるが、現実問題として一部の市民団体の政治勢力強化に悪用されるのがおちであり、実際に差別を受けているひとたちは、この法律によって一般市民が得る反感によってかえって差別がひどくなる可能性の方が大きいと考える。 差別をなくすために必要なのは特別な擁護法ではなく、差別が悪いことだという道徳的な教育からはじめることだ。 差別意識のある人々に法律で差別をするなと押し付けてみてもかえって逆効果である。
    長くなるので移民問題に関しては次回へ続く。


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