国産イスラム過激派に怯えるスカンジナビア

実は一週間前にこのスカンジナビアの国産イスラム過激派に関する記事を読んで、当ブログで紹介しようと思っていてそのままになっていたのだが、(The Danger of Homegrown Terrorism to ScandinaviaBy Lorenzo Vidino)、欧州における過激派イスラム教徒の台頭は非常に深刻である。
この前もちょっと触れたように、フランスでは本当のインティファーダが起きているという気がする。 インティファーダとは現政権に対する反対運動だが、いってみれば革命運動というべきものだろう。 これがイスラム教という過激派思想と混合して、ただの抵抗運動ではなくテロ行為へと動きが過激化していくことが現代の欧米及び東南アジア、アフリカなどでも問題なのだ。
ただフランスのインティファーダが主にイスラム系移民によって行われているのに対し、カナダ、ニューヨーク、ロンドンなどで最近起きたり未然に防がれたテロ陰謀は国産のイスラム教徒改宗者によるテロリストらによるものだった。 イスラム過激派というテロ団体がなければ、彼らは単に地元のギャングか暴力団に加わって普通の犯罪をおかすちんぴらで終わっていたか、あやしげなカルトに入って壷でも売っていたのだろうが、現代社会では世界的に広まっている聖戦主義イスラム教が彼らの飢えた精神を蝕んでいる。
この問題が深刻になっている地域にスカンジナビア諸国、デンマーク、スエーデン、そしてノルウェーがある。
これらの国々では多少ではあるがアルジェリアやエジプトのテロリストが多少の活動を行っていた歴史はある。 だがこれらの組織は規模も小さく、スカンジナビア諸国に危険をもたらすほどのものではなかった。 だが近年になってこれらの国々で危険な活動をしているのは、国産のテロ組織である。
2年ほど前にデンマークでは警察があるテロ組織を崩壊したばかりだが、去年の10月27日にコペンハーゲンで逮捕された16歳から20歳の若者が所属するテロ組織はまた別のものであるらしい。 去年の逮捕のきっかけとなったのはボスニアの対テロ作戦によるものだった。 逮捕の一週間前にサリエボの対テロ警察が二人の若者Mirsad Bektasevic とAbdulkadir Cesurを逮捕したが、この二人はスカンジナビアと深いつながりがあった。19歳のBektasevic青年はボスニア系スエーデン国籍で、 サリエボに爆発物を購入にきていたところを逮捕された。 21歳のCesurはトルコ系のデンマーク生まれ。 二人はサリエボで20kgの多種の爆発物材料を購入。これをすでに購入済みの自爆テロ用ベルトに装着する予定だったという。 彼らは自分らの野望を述べた映像をビデオに撮り、「ヨーロッパに対しイラクやアフガニスタンにいる奴らに対して」戦うと宣言していた。 彼らの標的はサリエボのイギリス大使館だったらしいとボスニア警察当局は考えている。
Bektasevicの電話通信を盗聴して、ボスニア当局はデンマーク当局に連絡。彼らの仲間はコペンハーゲンにアジトがあると告げた。 デンマークで逮捕された4人は地方当局ではテロリストとして全くマークされていなかった。 彼らは中東系デンマーク生まれの普通の若者で、普通に学校に通いサッカーチームに参加し、ごく普通の生活をしていたという。 それが何故か突然過激派イスラム教に興味を覚え、ネットで聖戦チャットルームに参加したりしているうちに、スエーデン国籍のBektasevicと出合った。後になってBektasevic はスエーデンを基盤にしたオンライン聖戦グループの重要陣部であることがわかった。このネットワークはオンラインを通じてイギリスや多のヨーロッパ諸国、そして海を超えてカナダやアメリカにまでひろがっているという。Bektasevicは MaximusというHNを使ってヨーロッパのイスラム教徒を募ってイラクでテロをやらせようとたくらんでいたという。
スエーデンで見つかった別の事件でも、やはりオンライン活動が重要な鍵を握っていた。スエーデン当局はこの5月国の各地で三人の若者を学生街のアプサラにある福音書協会爆撃陰謀の疑いで逮捕した。イラン系スエーデン人のNima Nikain Ganjin(22)と生粋のスエーデン人Andreas Fahlen(25)はストックホルムの郊外でつかまった。19歳のAlbert Ramic スエーデン南部の Trelleborgで取り押さえられた。三人はオンラインのチャットルームで聖教戦士について話し始めたのがきっかけで仲間になったという。 Ganjinは2005年にストックホルムのイラク投票場に火炎瓶を投げた疑いで調査の対象となっていた。彼らは具体案は何も持っていなかったが、イスラエルに同情的な姿勢を示す協会を爆破してやるつもりだったと語った。裁判の結果彼らは禁固8ヶ月から3年の刑が言い渡されたが、控訴の結果かなり刑が軽くなったようだ。
これらの若者に共通する点は彼らが普通テロリストになるような背景をもった青年らではないということだ。特に暴力的な問題児というわけでもなく、経済的に恵まれた中流クラスの平凡な若者達である。にも拘わらず彼らはネットのチャットルームなどに参加するに従い突然過激派ジハーディストへと変貌してしまったのである。ストックホルムのイラク投票場を火炎瓶で爆破した後、Ganjinはアルカエダ本部にメールを送って自分あちはアルカエダのスエーデン支部だなどと豪語したりしていた。
ムジャハディーンネットワークと呼ばれるこの組織のメンバーは、10年前までの過激派などとは違い、イスラム教に関する知識はほとんどない。彼らが興味がるのは暴力を使った抵抗の思想だけだ。
この9月、ノルウェー当局はオスロのユダヤ教寺院に銃弾を打ち込んだ4人の男を逮捕した。 彼らはアメリカとイスラエル大使館を襲う予定だったと語っている。 この男達は地方警察にはこそ泥もしくはギャングメンバーとして知られていたといい、イスラム教に対する知識もほとんど皆無だったという。
この記事の著者Lorenzo Vidino氏は、イスラム系移民でもなければ、特にイスラム教にそれほど関心がなく、家庭があれているとか、貧困生活をおくっているとかいう背景ではないスカンジナビアの普通の若者が聖戦主義・ジハーディズムに誘惑されるのか解らないと困惑している。
だが私にはこれは珍しい現象ではないと思う。どこの世界にも心のよりどころを求める不安定な若者はいくらでもいる。 もし彼らがキリスト教でも仏教でもいいからなにかすがれる宗教を信じて育ってきたならまた別だが、親への反発や自分らにとっては伝統的な宗教への反動がおかしな思想へと彼らを追い立てるのだ。 一昔前なら、欧米や日本などではハーレクリシナや統一教会といった比較的無害なカルトへ入会するような人々が、いまはオンラインを使って勧誘するジハーディズムへと魅かれて行く。 感受性の高く自分の無力を感じている若者が世界を変えることが出来るという破壊的な宗教にひかれたとしても私には不思議でもなんでもない。
だが、ここ数年の国産のテロリスト組織発生は、スカンジナビア諸国では深刻な問題だ。彼らには組織的な破壊力はないが、ひとつの自動車爆弾でも何十人何百人と殺すことができるわけだから、直接中東のテロ組織と関係があるかないかは問題ではない。 
デンマーク当局はデンマーク軍がイラクやアフガニスタンに出動していることや、モハメッドの漫画が2005年にデンマークの新聞に掲載されたことなどが原因となって、デンマークで大規模なテロが起きるのではないかと心配している。 そしてスカンジナビア諸国で起きるテロは国産のテログループによって行われるだろうと予測している。
最初に書いたように、イスラム過激派というテロ組織がなければ、彼らは別のおかしなカルトやギャングに参加していたような馬鹿者たちだ。 デンマークがイラクやアフガニスタンに出兵しているなどということなどテロの口実に使われこそすれテロが起きる本当の原因ではない。 
スカンジナビアが将来の国産テロを未然に防ぎたいのであれば、オンラインを注意深く観察し、ネット上でのテロネットワークを厳しく見張ることにあるだろう。 そして私はこれが一番大事なことだと思うのだが、世俗化したヨーロッパ諸国は伝統的なキリスト教などの宗教をもう一度見直すべきである。心によりどころのある若者はおかしなジハーディズムなどという死と破壊のカルトになど誘惑されないからだ。


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パリは燃えている

私はこの間フランス国内のイスラム問題はイラク戦争にある?! において、フランスで起きているインティーファーダ(過激派イスラム教徒による反政権運動)について、やたらにメディアが遠慮がちであることを書いた。 アメリカのメディアは重体者を出した数台のバス放火事件の犯人を単に「若者」とか「移民を祖先に持つ若者」もしくは「低所得者住宅地の若者」といった言葉で表現し、明らかにイスラム系移民であることを必死に隠そうとしていた。

しかしこの傾向は当のおふらんすメディアでも同じことらしい。

だがその話をする前にちょっとマイネ・ザッヘさんのブログに載ったこの記事(日本語)から紹介しておこう。 去年のイスラム教徒による暴動のきっかけとなった二人のちんぴらが感電死した記念日に、なんと市長さんが慰霊碑にお見舞いをするという珍動。 いくらイスラム系移民の多い地区とはいえ、ここまで迎合する必要があるのか、といいたくなる。

しかし過激派に対して迎合すること以外にフランス政府には政策がないというのも事実なのだろう。 そしてその迎合の姿勢を必死で守っているのがフランスメディアである。

前にもちょっと書いたが、フランスでは毎晩のように乗用車が平均100台は焼かれているという。 しかも今年にはいってすでに2500人のフランス警察官が暴徒によってなんらかの怪我を負わされているというのである。 こんな異常な状態を「比較的平穏な日」などと表現するフランス社会とはいったいどこまで狂ってしまったのだろうか?

この間マルセーユで起きたバス放火事件だが、この事件が世界的なニュースになる前からフランスではバス放火事件は起きていたのである。 その際に被害者がでなかったとはいえ、放火されたバスには偶然誰も乗っていなかったというわけではないのだ。 大抵の場合暴徒が待ち伏せして放火しようとする直前に乗客らが危険を察知してバスから逃げ出したことがこれまで犠牲者を出さないでいた理由だ。 普通このような事件が起きれば命からがら逃げ延びた乗客やバス運転手らのインタビューなどが新聞やテレビででかでかと報道されてしかるべきところだ。 ところがフランスのメディアは単に空っぽのバスが「若者」によって放火されたという報道しかしていなかった。

だからこれらのバス放火に感化されたイスラム教過激派の暴徒が真似をしてバス放火をあちこちで始めたわけだが、数が増えればいずれどこかで犠牲者が出るのは時間の問題だった。 メディアが最初のバス放火の時にこの犯罪がどれほど深刻なもので、フランス社会は激怒している、フランス警察当局がどれだけ厳しい取り締まり対策を持っているかという報道をしていたなら、第2、第3の放火を防げたかもしれない。 だがフランス警察が犯人を逮捕して厳しい処罰がされたというニュースはないし、社会的な征伐もないとなれば、面白がって真似をするチンピラどもが増えるのは当たり前だ。
瀕死の重傷者がでたマルセイユの事件でさえ、メディアは犯人がイスラム過激派であることを隠しているだけでなく、必死に逃げた他の乗客らの話など全く報道していない。 今でさえマルセイユの市長はこの事件は独特な事件であり、普段このあたりは他民族が仲良く暮らしていて平穏だなどと、のたまう。 だが被害者の女学生、Mama Galledouさんの通っていた医学学校では付近のちんぴらによる暴力に日ごろから悩まされていたと病院に見舞いに来ていた同級生らは語っている。

いったいフランス社会は何時までイスラム過激派によるインティファーダに目を瞑っているつもりなのだ?

Pajama Media:はフランスが常識感覚麻痺症状に陥っているという。(Burning Buses: “She was black but she looked white, her skin was peeled.”

フランスは劇的な事件に劇的に反応するセンセーショナリズム意識の喪失に病んでいる。言葉は人々に命を与える。残酷な襲撃の犠牲者は庶民の心には存在しない。彼女の友達や家族が遠方から病院に向かって歩いている姿が報道され、(被害者の女学生が通っていた大学の)教授が言葉少なに何か言ったが、幸せだったときの彼女の写真は映されなかった。
もっとも印象に残ったのはレ・パリジャン誌に載ったRacidさんの供述だ。彼はバスが燃え始めた時バス停に立っていた。彼は若い女性がバスから下りるのを見たが、その焼け爛れた姿を見ても少しで気絶するところだったという。「彼女は黒人でしたが白く見えました。彼女の皮膚がまくれていたからです」彼女に障ることで余計に傷を深くしてしまうのではないかという恐れを乗り越え、彼は彼女をバスから離れたところまで運んだ。そばにいてはバスが爆発するのをより恐れたからだ。 彼は自分の上着で彼女の燃える炎を消そうとした、同時に友達に携帯電話を渡して救急車を呼んでもらった。
どうしてこの英雄的な Rachidの顔を報道しない?彼は付近のギャングたちに気づかれて復讐されるのを恐れているというのか? 警察の捜査官たちは逃げ切った乗客たちの間で自発的に警察に名乗り出ていないひとたち匿名で名乗り出るようにと呼びかけている

ビラピンは遅まきながら、今後このような待ち伏せにおいては、実際に待ち伏せを行った犯人以外にも犯人を擁護した者達も同じように罰せられると発表した。 けが人が出なければこんな常識的なこともできなかったのかフランスは?

私がここでも何度か紹介したフランスのブロガーle’eXtreme-cetre など一部のフランス人を除いて、フランス社会はまだイスラム過激派ジハーディズムがどれほどイスラム系移民の若者達の心を蝕んでいるか気がついていない。 いや気がついているのにそれを認めようとしない。
もっともフランスではたかだか30度程度の暑さで15000人のシニア市民が死んでもなんとも思わない感覚が麻痺した国民だから、我々のような繊細な神経では全く理解できない面がある。 しかしこの神経麻痺状態がいつまでも続くと、フランスは本当にインティファーダに負けてしまう。 私はいつもフランスおふらんすなどといってからかってはいるが、本当はフランスにはもともとのフランスで居て欲しいのだ。 イスラム過激派に乗っ取られて破壊されてなど欲しくはない。

最後に第二次世界大戦の時ナチスドイツに占領されたフランスを想って書かれた歌を紹介しよう。 何故か今私はこの歌を再び歌いたいムードなので。

最後にパリスと会ったのは
パリスという名で知られていたロマンチックでチャーミングな彼女は
視界から靄のように消え去ってしまった
寂しい男の目は彼女を無駄と知って探している
彼女がいた通りに彼女の姿はない
彼女はセーヌを去ってしまった
最後にパリスに会った時、彼女の心は温かく明るかった
僕は彼女の心の笑い声を通りのカフェのあちこちで聴いた
最後にパリスに会った時、彼女の木々は春の衣を着ていた
そして恋人達が木々の下を歩き鳥達が歌う歌を見つけていた
僕は何年もやっていたように、いつもの古臭いタクシーをよけながら
奴らのクラクションの合唱を僕の耳は音楽のように聴いていた
最後にパリスと会った時、彼女の心は温かく明るかった
彼女がどう変わろうと、僕はあの彼女を覚えておこう
僕は幸せだった時間を考えて、その時間を共にすごした人々を想おう
夜明けの市場で花を売ってた老婦
公園でパンチとジュディに声援を送っていた子供たち
そして夜中踊ってパリスを夜明けまで明るくしていたひとたちを


フランス国内のイスラム問題解決はイラク戦争にある?!

Update:!No Pasaran! has a wall-to-wall coverage on this issue.
The English language version of this article can be found here.
日本語版AFPの記事に目をとおしていたら、フランスのマルセイユで去年に続き今年も若者による暴力沙汰で停車中のバスが放火され一人が死亡、数人が大怪我を負うという記事を見た。 

【マルセイユ(フランス)29日】昨年秋に発生した若者らによる大規模暴動から1年が経過したばかりのフランスで28日夜、南部の都市マルセイユの路線バスが若者に放火される事件があり、警察および救助当局によると、乗客の女性1人がやけどで重体となった。
 警察が目撃者の話として明らかにしたところによると、28日午後9時ごろ、3人の若者がバスのドアをこじ開けて乗り込み、ガソリンを車内にまき散らしてマッチで火をつけたという。車内には十数人の乗客がいたが、26歳になる女性が体の約60%をやけどし、重体。このほか3人が煙を吸い込んで軽傷を負った。
事件が起きた場所はマルセイユ郊外で、これまで特に暴力事件が報告されたことはない地域という。 パリ郊外でも27日夜から28日にかけて路線バス2台が放火され、警官6人が軽傷を負った。警察当局は移民が多く住むパリ郊外に警官4000人を増員して警戒に当たり、47人を逮捕した。ルモンド紙によると27日には全土で277台の車両が放火された。
警察によると、仏北東部のランスや南西部のトゥールーズでも警官隊と若者の衝突事件が発生したという。

この記事では犯人の若者がイスラム教徒であるとは書かれていない。 しかしフランスで「貧しい移民」といえばイスラム教徒以外にはかんがえられない。 しかもフランスではイスラム教暴徒による乗用車への放火が去年の暴動以前から一日に何百という数で起きており、この事件の犯人も多分イスラム教暴徒であろうことは想像に難くない。 
この事件について犯人像などもっと詳しくしりたいと思い、「フランス、バス放火」で検索していたら、なんと数日前にも同じような事件が起きていたことが解った。(Youths set passenger bus alight in Paris

10月23日:パリ南部の郊外で、30人に及ぶ若者がバスの乗客を強制的に降ろしたあと、バスに火をつけ駆けつけた消防士らに石を投げるなどの暴力を働いたと警察当局は発表した。

興味深いことに、このThe Ageニュースサイトでも暴徒がイスラム教徒であることを意識的に避けて報道している。 しかし記事の内容から暴徒がイスラム教移民の若者であることは間違いない。 さらに問題なのは暴徒の暴虐はバスや乗用車への放火にはとどまらず、警察菅を待ち伏せして石を投げたり暴行を働いたりして大怪我をさせる事件があいついで起きていることだ。

去年の暴動において、フランスの大都市を囲う低所得者居住区において移民を祖先にもつ無数のフランス市民が差別され一般市民から隔離された生活をしていることが明るみに出た。
この日曜日、5人の男性が警察菅暴行の疑いで捜査の対象となった。この5人は10月13日にパリの北側に位置するEpinay-sur-Seineにおいて、住宅街におびき寄せられた警察官は待ち伏せしていた30人の若者から石を投げられるなどの暴行を受け、警察官ひとりは顔面に30針も縫う大怪我を負った事件の容疑者である。
政府はいくつもの対策を採用して状況の改善を図っているが、問題は根が深く暴力が衰える兆しは見えない

現在のフランスの状況が去年の暴動の繰り返しになるようなものなのか私には解らない。 だが、フランス国内でもこうした状況にもっと強い対策をとらねばならないと考える人たちもいる。
私のことをご存知の方々なら、私がフランスの話をするとき、わざわざ「おふらんす」と皮肉っぽい言い方をするのにお気づきだと思う。 この理由はフランスのエリートと言われる人々は何かとアメリカ人を野蛮だ、下品だ、田舎者だといって馬鹿にする傾向があるからだ。 
しかし、フランス、フランスと言ってもひろうござんす、、中には既得な方々もいらっしゃる。 ひょんなことから見つけたこのフランス語のブログ、l’eXtreme-Centre がそのひとつ。 このブログはほとんどフランス語で書かれているからフランス語のできないカカシには読むことができないのだが、時々彼女は英語で書く。 本日もこの記事を読んで私は非常におどろいた。 ( Francifada、l’eXtreme-Centre

(フランス)では自由化はまったくない。 フランス労働市場は今までよりさらに頑固である。失業率はいまだに二桁代であり、特にもっとも失業率が高いのが移民や少数民族である。 これらは我々が書いたように気に入らないことがあるとすぐに暴動に走るイスラム教徒に、フランスは自らの姿を反映させていることと重なる。
シラク氏は国内のイスラム教徒問題を恐れてイラク戦争に参加しなかった。 しかるに、驚くべきことに彼らは何か不満があるとフランス政府に圧力をかけることで服従させることができると信じている。
フランスがこの状態から抜け出す方法は二段階に分かれる。第一に福祉制度を改正し、イスラム教徒が大半を占めている貧民窟をフランス社会に溶け込ませることである。 第二にフランスのイスラム教社会にフランスは脅迫にはひるまない、フランスは西側諸国の仲間であり、アメリカやイスラエルの同盟国であり、自由社会の一員なのだという姿勢を示すことだ。
国内においてはジュリアーニ(元ニューヨーク市長)式の犯罪容認ゼロのやり方を取り入れ、郊外をパトロールする。そして外交においてフランスはイラクへ軍隊を送って過激派イスラム教徒と戦い、我々が対テロ戦争連盟の一員であることを証明すべきである。 このままではフランスにおいてはブッシュ大統領がイラク戦争について語り始めたように、「もし撤退すれば敵は家まで追いかけてくる」という状態が真実となるであろう。

おふらんすにも、アメリカやイスラエルと同盟国であると誇らしげに言う人がいるのだと知って非常にうれしい。 まさかフランス人の口からこのような言葉を聴くとはおもっていなかった。 しかしそれだけフランスのイスラム移民暴走問題は深刻だということなのだろう。
イスラム移民の過激化に悩まされているのはフランスだけではない。 スカンジナビア諸国でも問題は非常に深刻である。 その話はまた追ってすることにしよう。


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我らが敵BBC(イギリス国営放送)

以前にイギリス在住のななっちさんが、イギリスのテレビや映画ではアメリカ人像といえばキリスト教に凝り固まった下品で田舎者で馬鹿だという描写が多いという話をしておられた。イギリスに住んでいたこともある龍之介さんも「BBCが世界の良識?嗤わせるな!」とかいておられる。今日BBC内部の会議内容が漏洩した記事で、お二人の言い分もさもあらんと思えるものがあった。この記事でイギリスの国営テレビ局BBCは左翼エリートに占領されていると自ら認めていることが明らかになったのである。
イギリスの国営放送局BBCが秘密裏に行った「客観的サミット」会議から漏れた情報を元に、デイリーメイル紙でサイモン・ウォルターが書いている記事によると、(We are biased, admit the stars of BBC News、By SIMON WALTERS, Mail on Sunday)BBCの重役達は自分らはこの会議においてすでに視聴者や批評家が昔から言っていた偏向を自らみとめていることがわかった。

その日はBBCの重役らやスター司会者らが批評家が何年にも渡って言ってきたことを認めた日だった。BBCはキリスト教徒に偏見を持ち、多種文化主義を好むトレンディで左翼リベラルに仕切られていると認めたのだ。

BBC会長、マイケル・グレード氏が主催した「客観的サミット」の漏洩した内容は BBCの大事な時事問題の報道の仕方、特にイスラム教徒や対テロ戦争に関して、新しい話題を巻き起こすことは間違いない。
この会議で明らかにされたのは、テレビのお笑い番組で重役らは聖書をゴミ箱に捨てることは容認するが、コーランは駄目、機会があればオサマビンラデンとのインタビューは放映する。さらにBBCの「多様化首領」はイスラム教徒の女性アナウンサーにベールをしたまま出演させたいと語っていたことが提示された。 I
ロンドンで先月行われたこの秘密会議は、ベテランのブロードキャスター、スー・ロウリー( Sue Lawley)の司会で行われ、重役たちは、BBC社は同性愛者、少数民族、多種文化主義をわざと広めようとする人々によって独占されており、反米で反地方のうえキリスト教徒の気持ちよりイスラム教徒の気持ちを気遣っていると認めた。
あるベテラン重役は「我々は政治的に正しい方向へ行き過ぎたのではないかという意識は広範囲にわたって認められています。」と語った。「残念ながら、BBCの文化に深く浸透していてそう簡単には変えられないのです。」

これについてアメリカのブログ、パワーラインではBBCワシントン支部の局長だったジャスティン・ウェッブ氏と話た時, BBCはアメリカに対する偏見がひどすぎるため deputy director general のマーク・バイフォード氏が密かに間違いを正してくれることに同意したという。ウェッブ氏によるとBBCはアメリカをさげすみアメリカには全く道徳的価値がないとしていることを付け加えた。
カカシはBBCのドラマは結構好きで昔から良く観ている。特に歴史者や文学者のテレビドラマ化は非常に質が高く、派手なだけで中身のないアメリカドラマよりもずっと味わいのあるものが多いからだ。1980年代に放映されたシャーロックホームズの冒険シリーズは原作に忠実な傑作集だった。(DVD持ってるもんね) 
コメディでも1970年代のモンティパイソンなどはカルトクラッシックで今でも全世界で親しまれている。
だが、最近のBBCコメディは面白くもなんともない。私がたまに観るリトルブリテンなどはその典型で、この間も傲慢なアメリカの大統領とハンサムなイギリスの首相が会談中、双方のオカマ男性アシスタント二人が口げんかをするという意味の解らないスキットがあった。同じ番組の別のスキットでは破廉恥な格好のオカマ男性(ミスター苺と同じ名前)の前でカトリック神父が男性の恋人とキッスをする場面があった。 まさにひとつの番組でアメリカとカトリック教を馬鹿にするというダブルパンチ。
アメリカのCNNといい、イギリスのBBCといい、どうしてこうも自分らの国や同盟国をこき下ろす放送局が多いのか。彼らは自由民主主義の恩恵にどっぷりつかりながら、常にその社会を破壊しようと励んでいる。どうにも理解できない心境だ。


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ネットビデオ、EUの言論弾圧陰謀

この間私はYouTubeの検閲が最近とみに厳しくなり、特に保守派のビデオが次々にブロックされている話をしたばかりだが、今度はヨーロッパ連合がネット上の活動写真(古い言い方だけどこれが最適な表現)はすべて、公共放送と同じような規約に従わなければならないという法律を作ろうとしている。現在これに反対しているメンバーはイギリスだけ。
テレビ、ラジオ、映画など、は放送規約というものがあり言葉使いやその他の内容まで厳しく取り締まられている。だが、このような規約をアマチュアビデオにまで拡大するとなれば、必ずこれは言論弾圧へとつながる。特にPC(政治的に正しい=左よりの意見)に気を使うEUが取り締まるとなれば、「北朝鮮を攻撃せよ」などというビデオは一発でお陀仏である。また私がここで繰り返しているような、ヨーロッパの過激派イスラム教批判などは、「憎しみを増発する言葉使い」(Hate Speech)として許可されないに決まっている。(その代わりイスラム教徒がユダヤ人はすべて海に追い込むべし、などとやるのは素通りすること間違いなし。)
個人個人が自分の意見を勝手にビデオにしてアップロードし友達の間だけで見ているものまでEUが取り締まることになったら、それぞれの国で保障されている言論の自由など投げキッスをしておさらばしなければならなくなる。冗談ではない!
EUのやることなので、アメリカや日本は口出しできないが、イギリスにはぜひともがんばってこのような言論弾圧提案はつぶして欲しいものである。
参考: EU wants to stifle videobloggers, By Michelle Malkin


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西洋が過激化する時、 その2

以前にも私は西洋が過激化する時と題して、ヨーロッパの穏健派がイスラム教徒による暴挙がおこる度に少しづつではあるが、過激化していくような気がすると書いた。
今、フランスではイスラム教徒の暴徒らの取り締まりにてこずり、日平均で14人という数の警察官が毎日のように怪我を負っているという。(Captain’s Quaters、France Facing Intifadaより)

フランスでは生活保護住宅地に住む過激派イスラム教徒により、警察に対して、宣言のされていない「インティファダ」もしくは反乱が起きており、この衝突により毎日14人ほどの警察官が負傷している。

内政省の発表によると今年になって2500人近い警察官が負傷をした。ある警察官労働組合はイスラム教徒住宅街でも、最も貧しいbanlieue(場末)ではすでに警察官とイスラム教徒の「内乱状態」に陥っていると宣言した。 Banlieueとは, 郊外とか場末とかいう意味だが、おもに北アフリカ系の失業者が集まっている低所得者の住宅街をさす。
警察組合は政府に、すでに立ち入り不可能になっているこの地域でパトロールする警察官を守るために装甲車を提供してくれるよう嘆願していると語った。
この2年で(警察への)攻撃の回数は三割増となった。フランスではパトロール中の警察官を襲うのはタブーとされていた慣習はやぶられ、それどころか二人や少数でパトロールしている警察官が地元民を逮捕しようとすると攻撃されるようになったと、警察の報道官はLe Figaro新聞に語った。

私がフランスにたいして持っていたイメージとしては、欧州でも指折りのフリースピリッツ(自由精神)の旺盛な文化で、その精神を頑なに守り通す人々というものだ。だからよその国がアメリカのまねをしてアメリカの音楽だの映画だのを無抵抗で受け入れても、フランスは頑固にフランス映画を作り続けるし、シャンソンを歌い続ける。こちらが英語で話しかけてもフランス語で答える。コマーシャルなどでも英語の外来語を使わずフランス語を強調するなど、外国人からみればたまに頭にくるほどごう慢だが、しかしそのくらい努力して自分らの文化を保っていこうとするその自国への誇りには敬意を表する。
そのフランスが、全く正反対の文化を持つイスラム系移民らによって、今真っ向から暴力による挑戦を受けている。誇り高いフランス市民がこれを黙って見ているとはどうしても信じられない。長年に渡るリベラル政治がフランス市民を完全に腰抜けにしてしまったとは信じたくない。
汚職と腐敗で警察のお世話にすらなりそうなシラク大統領は、引退を前にしてフランスの警備などたいして念頭にないようだ。少なくとも政府の対応は十分とはいえない。これについてフランス市民はどう感じているのだろうか? 
シラク大統領の後継はドミニーク・デ・ヴィレピン氏(Dominique de Villepin)とされていたが、最近になってもっと右翼系のニコラス・サコーズィ氏(Nicolas Sarkozy)が優勢になってきたという話をきいた。私は詳しいことは知らないが、サコ−ズィ氏はフランスの大幅改革をうたっているらしく、デヴィラピン氏のような現状維持方針ではなくなる可能性が強い。サコ—ズィ氏の人気はフランス市民の現状への不満の現れといえるのかもしれない。
ベルギーでもフランスと同じように最近のイスラム系過激派による暴走はかなりの顰蹙を買っている。(New York Times, Across Europe, Worries on Islam Spread to Center)
これまでイスラム教移民にたいして批判的な発言をするのは右翼の連中と相場は決まっていた。しかし最近ヨーロッパ諸国で起きているイスラム教過激派による「神の名の元に」行われる暴挙をみるにつけ、これまで穏健派といわれてきた人々の間でも、イスラム教の過激な行動に批判的な意見が聞かれるようになってきた。これまで無抵抗に寛容性を受け入れてきた穏健派は寛容にも限度があるのではないか、と問うようになってきたのである。

『法皇の件で何が起きたかを見たでしょう』とアントワープでファンキーなワインバーを営むパトリック・ゴンマンさん43歳。「法王はイスラム教は乱暴な宗教だといいました。そしたら次の日に尼僧を殺して彼等はそれを証明してしまいました。』

『常識がなくなってるんです。』

ゴンマンさんはおよそ過激派ではない。この間も右翼の反イスラム教デモ行進に抗議して近所の飲み屋にはたらきかけてデモの日に一斉に閉店したような人である。
しかしベルギーでもフランスと同じように右翼系の政治家が勢力をのばしてきている。ベルギーの極右翼党代表、 Vlaams Belang氏は先週日曜日の市の選挙で20.5%の票を獲得した。2000年にくらべて5%増である。オーストリアではイスラム系移民を強制送還しろなどと公約する候補者がかなりの票を集めるなど、ヨーロッパ各地で右翼が人気を高めている風潮がある。
無論、今の段階でイスラム系移民を全員強制送還するなど主流の政治家たちには考えられないことだ。しかし、このような状況に、地元のイスラム教徒らは不安を隠せない。

「そういう時がくると思います」アミアー・シャフさん34歳。アントワープの商店外で洋服屋を営み高い収入を得ているパキスタン人。彼はテロリストを憎んでいるといい、彼自身はベルギー人からの敵意は感じていないという。しかし、「その時がくる前に国へかえろうかと考えています」と語る。

欧州には十字軍の時代からイスラム教対キリスト教の対立が根底にある。何世紀にも渡ってこの二つの宗教は血みどろの戦いを続けてきた歴史がある。また、全盛期の帝国主義時代に欧州がイスラム諸国でおこなった植民地時代への罪悪感なども複雑にからんでいるのである。
この間イギリス在住のコメンターななっちさんがこんなことをおっしゃっていた。

イスラムに他の宗教と同じように厳しくするというのは、「まるで植民地支配のようだ」という意見を何度もイギリスで聞きました。つまり、ヨーロピアンがイスラムに寛容になるというのは「植民地支配に反対するリベラルな自分」の演出なわけ・・だとイギリスに来てから思うようになりました。

オランダでは1960年から70年代にかけてオランダ社会が勝ち取ってきた男女平等や差別のない自由な社会がイスラム系移民によって後退させられる恐怖を感じている人々が増えている。

「多くの人々が、しかも進歩的な人々がですよ、極右翼の国粋主義者とかじゃなくて、言ってるんです。『ここに自分達の60年代と70年代に学んだ常識に挑戦する宗教が存在する。」と」欧州議会グリーン左翼党のオランダメンバーで、イスラム問題に積極的な Joost Lagendik氏は言う。

「まるでタイムマシンに乗って時間をさかのぼって、移民たちに男女平等や、同性愛者をどう扱うかとか教えなきゃならないという恐怖があるんですよ。それをまたやらなけりゃならないという考えです。」

オランダではオランダ在住のイスラム教徒がイラクでテロリスト戦うオランダ軍よりもテロリストを支持する表明をしたことなども重なって、イスラム系移民への反感が高まっているようだ。それで最近はオランダに移民してくる人々に向けたオランダ紹介のビデオにはトップレスの女性や、濃厚な男女のキスシーンなどが含まれているという。イスラム教徒を名指しで対象にしているわけではないが、メッセージは明らかだ。
ヨーロッパの人々が一番恐れ、腹をたてているのが、言論の弾圧だろう。法皇の件にしろ、この間のフランス人教授にしろ、2年前のゴッホ映画監督暗殺事件にしろ、イスラム教を批判するとささいなことでもすぐに命を狙われたり暴動が起きたりする状況に穏健派のヨーロッパ人もいい加減我慢できなくなっている。
私が心配なのはヨーロッパのイスラム過激派に対する敵意がこうじて、ヨーロッパ社会に溶け込んでいる穏健派のイスラム教徒および、中東系、アジア系のイスラム教徒以外の移民や、ユダヤ教徒などにまでそのとばっちりがかかってくるのではないかということだ。ひとつの民族に対する差別意識が許されればそれが他の宗教や民族へまで広がるのは世の常だからである。
だから私はヨーロッパの過激化は決して好ましい状況ではないと考える。
ヨーロッパ諸国のとるべき道は、特定の宗教を特別扱いしないことだ。多種文化主義などと言って自分達の社会の価値観を脅かすような文化を寛容に取り入れることを今すぐやめ、自国の法律や慣習に逆らう行為は誰によるものでも同じように罰し拒絶すべきなのである。
しかし、私はフランスが一年前くらいに通した公共施設での宗教的シンボル着用禁止のような法律には大反対だ。法律は社会の秩序を乱すような行為から社会を守るために存在すべきなのであって、宗教を弾圧するための道具に使われるべきではない。
イスラム教徒が教えのひとつだからと顔も見えないベールをかぶって公共施設にはいってくれば、これは社会の治安問題につながるから違法だというのは当然だ。しかし女性がスカーフを着用していることは警備とは無関係。同じようにヒンドゥー信者が頭にターバンを巻いているから単車に乗る時ヘルメットがかぶれないというような言い訳を受け入れるべきではないが、職場でターバンを巻いて仕事をしている市役所の職員は社会の安全を脅かすわけではない。
つまり、ヨーロッパ諸国は個人の信仰の自由を尊重しながらも、社会の安全をまもるための法律がやぶられた場合には、それがどの宗教の掟に従っていようとも特例を作らずどの宗教の信者も同じように罰することに徹底すべきである。イスラム教徒の間で頻繁に起きる未婚女性への名誉殺人などは絶対に許してはならない。
そして繰り返すがヨーロッパの穏健派イスラム教徒は団結して自分らの社会に巣食う過激派を排斥していく必要がある。そうでないとアントワープの洋服屋さんではないが、店を畳んで故郷へかえらなければならない日が必ず訪れるだろう。


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心揺らぐラマダン、イスラム流祭日の過ごし方

ラマダンというのはイスラム教徒にとっては暴動をする季節らしい。一日中何も食べないで欲求不満がたまるからなのか、夜中じゅう食べ過ぎで消化不良がたまってのうっぷんばらしなのか知らないが、至る所で乱暴を働くイスラム教徒。
イギリスのイブニングスタンダード新聞のオンラインニュースよると、(Race clashes hit Windsor)ここ数日地元の白人とアジア系(注:イスラム教徒)の若者が衝突して暴動が起きているという。ことの起こりはイギリスはウィンザーにあるイスラム教徒が経営している乳製品販売店の前で白人の青年と店の従業員との間で起きた小競り合いがきっかけのようだ。
ウィンザーには他地域から機動隊が出動して暴動鎮圧に当たっている。暴徒たちはそれぞれ野球バットやピッチフォークなどを使って殴り合いをしているそうだ。

牛乳屋経営者が従業員用に事務所を改築して聖廟にしたいと市に申し出をしてからというもの、経営者と地元住民との間の緊迫状態は高まっていた。市からの許可がおりないまま、テクノーハウス(牛乳屋の店名)は従業員や訪問者による祈りの場所として使われていた。
暴力が最初におきたのは月曜日、建物の外、ウィンザーのデッドワース地区にあるベイル通りで起きた。祈りの途中、10代の少年と牛乳屋の従業員とのあいだでいざこざがおこり、それがエスカレートして数台の車の窓ガラスが割られた。この時少年と少年の母親と妹が襲われたという。火曜日の夜になると50人の若者が衝突した。
仮の聖廟の窓ガラスは割られ、牛乳屋の配達トラックが傷つけられた。住民らによると外部から白人のギャングとのけんかを探してアジア系のギャングがやってきたという。一人の青年は歯渡り12インチのナイフを所持していて逮捕された。

水曜日、牛乳屋の建物には火炎瓶が投げられ、店はかなりの損害をおったという。経営者の Sikander Khan, 50歳は50人からいる『アジア人』の従業員の安全が心配だと語る。
近所の人たちの話だと、前の経営者が去って新しい経営者になってからというものトラブルがたえないという。

地元住民の17歳の少年は「僕は生まれてからずっとここにすんでますが、前の経営者の時は全く問題ありませんでした。牛乳とかいろいろ僕らにくれました。』
『前にもこの辺で何回か喧嘩がありました。でも今度は深刻です。彼等にはデッドワースから出ていってもらいたいです。』

付近のひとたちはこれまでも夜中牛乳屋から聞こえてくるやかましい音に迷惑していたといい、ここに聖廟がたてば、問題はもっとひどくなるだろうと心配している。
私がこの記事を読んでいて腹がたつのは、イブニングスタンダードがこの暴動を「人種の衝突」と題し、アラブ人をアジア人と呼んでいることだ。これは白人対東洋人の衝突ではない。明らかにキリスト教徒とイスラム教徒の宗派衝突である。同新聞はイスラム教徒に気兼ねして、イスラム教徒による暴動とさえかけないのである。
そしてもっと頭にきたのは、この記事の最後のほうに付け加えられている部分で、ウィンザー城の一部屋が最近城のギフトショップに勤めるイスラム教徒のために祈りの場所として使用されることを女王が許可したという話である。
イスラム教の住む所では例外なく宗派争いが起きる。イスラム教はほかの宗派が何世紀も調和のとれた生活をしているところに混乱を起こす宗派である。にもかかわらず、なんでイスラム教徒ばかりがこう特別扱いされるのだ!


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仏テレビやらせ報道訴訟:経過報告 その2

この話が途中になっていたので、裁判の続きを話たいと思う。前回までのお話は下記参照:
仏テレビやらせ映像を指摘され訴訟起こす
仏テレビやらせ報道訴訟:経過報告 その1
ところでパレスチナによるやらせ映像について顕著にとらえたビデオを最近見つけたので、最初に紹介しておきたい。リンクがうまくつながらないので下記のアドレスをコピーして見ていただきたい。特に悲惨な映像はないのでご心配なく。ただ音がでるので職場で御覧になる方々はご注意のほどを。
イスラエル軍の拠点近くにおいて撃ち合いを演出するパレスチナ庶民。6分目くらいに葬式に運ばれる担架にのせられたホトケさんが担架から落ちて歩き出すという珍妙な映像もある。約20分。
http://video.google.com/videoplay?docid=-2152006111729790314
アルドゥーラ親子のやらせ映像はこちら。約14分。
http://video.google.com/videoplay?docid=-8500578539219029740
さて、では証人たちの証言を聞いてみよう。
フィリップ·カーセンティ、被告人のひとり、メディアレイティングの創設者。
カーセンティが最初にアルドゥーラ親子事件がやらせではないかと考えはじめたのは引導学の検査の結果、イスラエル軍の位置から直接に球が飛んでくることは不可能であると学んだ時からである。そのことが明らかになると、その反論としてパレスチナ側のみならずフランセ2からも跳弾によるものだと言い訳が出てきた。しかし父親のジャマールは9回も撃たれ、息子のモハメッド坊やは3回撃たれたという。12発の跳弾? 不可能だ。
フランセ2は数人の専門家をとジャーナリストを招いてNGビデオを披露したが、カーセンティは招待されなかった。裁判官と次のようなやりとりをした。

裁判官:デニスジャンバーとダニエルレコンテの両氏が27分のNG映像をみた。フランセ2の記者会見においてジャンバー氏は、ビデオのなかで父親が撃たれた証拠として傷跡を見せたと語っている。
カーセンティ:私はフィルムをみていません。記者会見への参加を許可されなかったからです。レコンテ氏はあとになって私にこの事件に興味があったので捜査したいと考えていたが、アルテ(フランス/ドイツ/スペイン共同の芸術テレビチャンネル)から捜査をやめなければ、今後彼のプロダクションとは一緒には仕事をしないといわれたとはなしてくれました。(略)たくさんの人たちが個人的に場面はやらせだと思うとはなしてくれましたが、公には語っていません。

カーセンティのいうことを信じるならば、国営テレビ局から独自の捜査に対するかなりの脅迫があったということになる。
フランシス·バレ (Francis Balle):メディア学の教授。元フランス公共放送委員会CSAのメンバー。
カーセンティのフランセ2暴露ビデオは説得力があること、元のアルドゥーラビデオは怪しげで、その効果は劇的だったと語った。
カーセンティの弁護士、Maître Dauzierは、フランセ2がNG映像を見せなかったのは情報源を守るためではないかと聞くと、バレ氏は「いえ、映像は公開されるべきです。真実は語られるべきです。」と答えた。
これは日本やアメリカでは考えらないことなのだが、フランスの名誉毀損裁判では、被告側が原告に対して言ったことが事実でも、いい方が過激だったということでも責められるというのである。そこで、カーセンティの弁護士はバレ氏にカーセンティの批判は「過激だった」のではないかと質問した。バレ氏はそうは思わないとし、このような状況の場合、強い言葉使いをする必要があったと語った。
ルーク·ロセンズウェイグ (Luc Rosenzweig) 元(Libération, Le Monde)のジャーナリスト/テレビ批評家。
彼はアルドゥーラ事件についてl’Express誌に載せるため独自の捜査を行おうとした。 l’Express誌の編集長は当時 デニス·ジャンバー氏(Denis Jeambar)だった。ジャンバー氏は Jacques Attali 氏から圧力を受けたため捜査を打ち切った。このAttali という人間がどういう立場の人なのか、カカシには分からない。
Rosenzweig氏は実際に何が起きたのかという推論を持ってはいないが、フランセ2の映像は怪しげだと語った。当初はRosenzweig氏はNG映像を見せてもらえなかった。ビデオは金庫にほかの書類と一緒にしまってあるという訳の分からない言い訳をされたという。 やっとNG映像を見せてもらった時はフランセ2がいっていたような27分ではなく、24分だったという。 この3分の差だが、フランセ2のエンダーリンが嘘をついていたのか、記憶違いだったのかちょっと気になるところである。
Rosenwzeig氏は本格的な取材をしようと、イスラエル側から色々な情報を集めた。しかしパレスチナ側を取材しようとするとカメラマンは病気でパリで治療を受けていると言われた。伝言を残しておいたが返事はなかった。つてを使って父親のジャマールへの会見を求めたが断られた。仕方なく親子が運ばれた病院の医師を取材に行った。病院の医者は事件が起きたのは午後3時だったのに、アルドゥーラ親子は午後一時に運び込まれたと証言していたからだ。しかしガザへの入るのは拒絶された。それでRosenweig氏はパレスチナ側での取材は不可能だとあきらめた。
映像がやらせだという確認することはできなかったが、エンダーリン氏がいうよりもこの映像がやらせである可能性はずっと高いと判断すると氏は語った。後にRosenzweig は la Ména’s のウェッブサイトに「チャールズエンダーリンはどの言葉でも嘘つきだ」というコラムを書いた。
ところで、先に紹介した最初のビデオのなかで、病院での取材の場面が出てくる。病院へ「取材」に行くパレスチナのジャーナリストたちは、病院へつくと患者と話をする前に医者と相談をして、患者にはカメラの前でどういう証言をすべきかを打ち合わせしている場面がある。病院で無難に出産した若い母親とその夫に医師は、道が危険で病院へたどり着けず、夫がひとりで妻に車のなかで子供を生ませたと証言するよう指導していた。
私は昔からイラク戦争などでも、「病院の医師の話によると、、」とか「地元救援隊員の証言では、、、」という話はあまり信用できないと思っていたのだが、このビデオを見てはっきり確信した。敵側の一般市民の証言は全くあてにならないのである。
この裁判ではまだまだ似たような証言が続くが、結局、フランセ2の放映したアルドゥーラ親子の襲撃事件は完全なやらせだということがこの裁判において明らかになった。フランセ2はその事実を言い逃れることはできない。
名誉毀損がなりたつとすれば、それはフランスが国営テレビ局の放映は今後一切内容の真偽を問わず批判してはいけないというメッセージを国民に送ることになる。言論の自由などどこへ行くである。フランスのメディアはそれでいいのだろうか、いやもっと大事なのは、フランス国民はそんな偽物の大本営ニュースを毎日文句もいわずに受け入れるのだろうか。自由精神の最たるものといわれたフランス文明は今危機にさらされている。
フランスは今試されているだ。


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西洋が過激化する時

よくテロリストとの戦いはイスラム過激派との戦いなどという限定されたものではなく、我々の戦っている敵はイスラムそのものであるという人がいる。ここでもそう考える人々の意見をいくつか紹介してきた。
だが私はそれは違うと考える。少なくともそうであってはならないと。しかしだからと言って、私は決してイスラムは「平和な宗教」などというイスラム過激派の表向きのいい分を買っているわけではない。イスラムの神の名の下にどれだけの人々が殺されているかを考えれば、イスラムが平和な宗教だなどとはどう考えても受け入れられないからだ。
西洋の多くの人々は、テロリズムとは一部の過激派による行為であると考えている。ほとんどのイスラム教徒は話せば分かる人々であり、文明社会がまだ発達が遅れているイスラム教徒に対して寛容な姿勢を示せば、イスラム教徒も西洋の文化に歩み寄ってくれるとまだ信じているのだ。
だが、数年前に起きたバンゴッホ映画監督暗殺事件といい、この間のデンマークの漫画事件といい、法王演説への過激反応といい、ドイツのオペラ座公園、フランス教授への脅迫と、なにか問題が起きる度に「話せば分かる」と考えている西洋の人々の間でひとつづつ「寛容」への箍が外れていくような気がしてならない。
聖戦主義者、ジハーディスト、たちは西洋の他民族や他宗教への「寛容」を我々の「弱さ」であると考えるからだ。我々が弱者をかばい、少数民族の自由を保証するやり方は、我々の「欠点」であると考えるのだ。そして彼等は我々の自由と生命を尊ぶ思想こそが我々を崩壊へ導くと信じてやまないのである。(以下National Reviewより。)

初期のイスラム歴史の章から、イスラム教徒が西側と戦争をする上で今日の教訓となるものがある。それは「死への愛」である。これは西暦636年のカディスィヤの戦いにおいて、イスラム軍の指揮者、カリード·イブ·アル·ワリードが敵側のKhosru宛てに使者に手紙を持たせた。そのなかには「そのほうたち、イスラムに改宗せよ、さすれば安全は保証する。さもなくば命を愛する貴様らを、我が輩がひきつれる死を愛する男たちの軍がその力を思い知らせてくれよう。」と書かれていた。このエピソードは今日のイスラム教の説教でも、新聞でも、教科書でも繰り返されている。

現にヒズボラの指導者ナスララも数年前イスラエルとヒズボラが人質交換をした後で、こんなことを言っている。

「我々はユダヤ人の最悪の弱点を発見した。ユダヤ人は命を愛する。だから我々はそれを奴らから奪ってやるのだ。我々は勝つ。なぜなら奴らが命を愛するように、我々は死を愛するからだ。」

これは話が完全に逆さまだ。イスラム勢力が歴史上何度も西洋社会に敗北したのは常に彼等の「死への愛」が原因なのである。男たちが敵を前に立ちはだかって死ぬまで戦い続けるのは命を愛するからであって、死を愛するからではない。死を愛するものに勇気は持てない。死への愛は希望ではなく絶望だからだ。
我々は命を愛するからこそ命を捧げて我々の自由のために戦う英雄を讃えるのである。我々は自由を愛するからこそ科学、技術、哲学などで最先端をいっている。自由主義であるからこそ戦力も優れているのである。自由な国の軍隊では個々の部隊で優れた指揮官が融通の利いた判断をくだすことができる。個人の才能が生かされ状況に臨機応変に対応できる軍隊ほど危険で強力なものはない。
ジハーディストたちがそんな自由主義の西洋と戦って勝てるなどと思うのは馬鹿げている。彼等は西洋の血なまぐさい歴史を全く知らない愚か者だ。西洋の軍隊ほど効率良く大量殺人をやってきた軍隊はない。その犠牲者の数はイスラム勢力のすべてをかき集めても足下にもおよばないのである。
最近の歴史において、戦争における最新技術を生み出してきたのはすべて西側である。自由主義の国々における技術発展は凄まじい。融通の利かない独裁社会は武器を自分らで開発できず、ライフルから戦車からすべて技術を西側諸国から買い取るか盗み取るしか能がない。このような西側がイスラム勢力と本気になって戦争をやったらイスラム勢力はひとたまりもない。
その悲劇的結末をいまはまだかろうじて止めているのが西洋社会の弱者への「寛容」である。だが、「イスラムが悪いのではない、一部の過激派が問題なのだ」といまはまだ考えいる人々も、イスラム教徒らの暴走がある度に、そして「穏健派」といわれるイスラム社会から暴力を糾弾する気配が全く感じられない度に、、ひとり、またひとりと、「悪いのはイスラムそのものだ。イスラム教徒は皆殺しにせよ」という過激派に変化していくのではないだろうか。
西洋の人々が過激化する時、「イスラム教徒は皆殺しにせよ」という過激派の思想が西洋を支配した時、崩壊するのは西側ではない。完全崩壊するのはイスラム教のほうなのである。だがその時大量に殺されるのは、「死への愛」を唱えるイスラム過激派だけでない、過激派に抗議しなかった穏健派も道ずれとなるのである。西洋の過激化を防げるのはイスラム教の穏健派だけである。
関連記事:イスラム教徒はテロリスト予備軍なのか? 灰色の思考算術さんより


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イスラム過激派におびえるヨーロッパ

English readers: scroll down for an English-language translation of this post
昨日ドイツのオペラ座がイスラム過激派の脅迫に屈して、モーツァルトのオペラ上演を中止した話をしたが、ここ数年、欧州におけるイスラム教過激派による横暴は目に余るようになってきている。
先ずはおふらんすの話題から:
この間法王の何気ない演説で逆切れしたイスラム教徒が世界中で暴動を起こしてカトリック尼僧とボディーガードを殺した事件があったばかりだが、それについてイスラム教の暴力の元凶はコーランの教えにあるのではないだろうかという記事を書いたフランスの大学教授が命を狙われ身を潜めなければならなくなった。
この教授の名前はロバート·レデカー(Robert Redeker)。彼の書いた記事の英語訳はle eXtreme-centreで読むことが出来る。(以下一部抜粋)
自由社会はどのようにイスラムの脅迫に対応すべきか?

ベネディクト16代法王によるイスラムと暴力の分析に対するイスラム教徒の反応は、イスラム教徒がイスラム諸国では存在しない西洋が一番貴重に思う価値、言論と思想の自由を封じ込めようとしたことで顕著となった。
イスラムはその規則をヨーロッパに強要しようとしている。公共水泳プールにおいて女子専用の時間をもうけたり、宗教をいいわけに学校の給食でもモスレムの子供たち専用の特別なメニューを要求したり、学校でベールをかぶる規則を強要しようとしたり、自由主義をイスラム恐怖症などと責めたりしている。
パリの浜辺でTバックのビキニを禁止することをどう説明するのか? その理由は「平穏を脅かす」危険という摩訶不思議なものである。欲求不満の若者が美女の姿に侮辱を受け暴力に走るという意味だろうか。それとも当局はイスラム教道徳警察のデモにおびえているせいだろうか?
しかし公共の道路でベールをかぶらせるということのほうが、よっぽども公共の平穏を脅かすことにある。なぜなら女性への弾圧だという苦情を招くからだ。このTバック禁止はフランスのイスラム過敏症の現れである。イスラム横暴への降参と服従ともいえるのだ。 少なくとも精神的なイスラム教徒の圧力 の結果である。ジョンポール2世広場の建設に抗議した人々もモスクの建設には反対できない。イスラムはヨーロッパを彼等の理想に服従させようとしているのである。

残念なことに、これだけのことを書いていたレデカー教授にも、フランスのイスラム教徒のがどれほど過激であるかその理解力が足りなかったようである。
レデカー教授は哲学の教授だが、イスラムに批判的な記事を書いてからというものインターネットに教授の顔写真、住所や電話番号はもちろんのこと、自宅付近の地図や勤め先に学校の連絡先なども公開され、こいつの首を切れとでかでかと暗殺命令が載せられてしまったのだという。24時間の警察警護の世話になりながら、各地を点々としている教授は自由社会のフランスにおいて言論の自由が保証されずにホームレスになってしまったと友人に手紙を書いている。
記事の載ったLe Figaroの編集長Pierre Rousselin氏はアルジェジーラ紙で謝罪を発表した。エジプトを含む数カ国のイスラム諸国Le Figaroの販売禁止が起きたからである。Rousselin氏は、記事を掲載したの紙の誤りであった。内容は当新聞の意見ではないと平身低頭の謝罪ぶりだ。
勤め先の教育委員会もイスラム教過激派の報復を恐れて教授を全く援助してくれていないという。教授は学校へもいかれず、予定されていた講演会もすべてキャンセルせざるおえなくなった。
ベルギーの暴動:
数日前に拘留中のモロッコ人の囚人が不審な死を遂げたことで、囚人が毒を盛られたという噂がたち、ラマダンで腹をすかせて欲求不満のイスラム教徒らがブルッセルの町中にくり出して壊す燃やす騒ぐの暴動をすでに三日も続けている。付近の商店街は火炎瓶を投げられるなどして大被害を受けている。Gate of Vienaより
しかしアメリカの主流メディアではロイターが一度取り上げただけで、この大事件はほとんど報道されていない。加害者がイスラム教徒である犯罪は、報道そのものがイスラム教徒への配慮から遠慮がちになるようである。
ブルッセルの新聞によると、政府は暴徒の気分をしずめるため一旦逮捕した暴徒を数人釈放したという。これではベルギー政府は地元のイスラム教徒らに、気に入らない時は騒ぎさえすれば何でも思いどおりになると教えたようなものではないか。なんという腰抜けぶりだろう。
最後にアイルランド移民で始まったオーストラリアの場合だが、さすがオージーの反応は北半球の欧州とは対照的だ。
下記は前出のGate of Vienaに寄せられた豪州のある女性からのメールだ。オーストラリアもアメリカと同じように移民で出来た国である。最初はアイルランドの受刑者の島流しの行く先となっていたが、後にはヨーロッパからの冒険家などによってどんどん人口は増えていった。1960年代から1970年代はベトナムからの難民がとっと押し寄せたが、彼等は働き者で地元の文化を尊敬し自然と国に溶け込んだ。1970年代後半から80年代に訪れたレバノンからのキリスト教徒らも、短期間のうちにオージーへと変身した。
しかし1980年代中頃からやってきたレバノン、シリア、パレスチナのアラブ人たちは全く質が悪かった。彼等は親戚一同で移民してきて、メルボルーン郊外で第二次世界大戦の退役軍人らの家族の隠居地となっていた住宅街を含め、あちこちの町々で住宅を買いあさりはじめた。自分の欲しい住宅があるとペットを殺したり、ゴミを庭に捨てたり、家主にやくざまがいの嫌がらせをしておびえたお年寄りに二束三文で家を売らせて追い出したというのである。そしてあっというまにオーストラリアの郊外がアラブ社会へと化してしまったという。
そうなるとレバノンの暴力団らによって凶悪な犯罪が頻発し、車の窃盗はおろか、殺人、幼い少女への連続強姦などが相次いだ。
いまやオーストラリア全体の二千万人の人口のうち、イスラム教徒の人口は30万におよぶという。そのうち比較的穏健なアジア系の10万をのぞくと悪質な20万というアラブ系過激派が残るという。彼等は数はまだ少ないが、彼等の過敏な感情を満たすため、周りの社会に彼等に迎合するよう要求する。

幸いなことに、オーストラリアではほとんどの人たちがこの要求に耳を傾けていません。オーストラリアの政治的に正しい多様文化主義の人々の堪忍袋の緒が切れたのは、2001年にタンパにおいて沈みかえた船からノルウェーの船に救出された違法移民たちが救援船を乗っ取って船長を脅迫し、オーストラリア領へ上陸しようとした時です。
オーストラリアは特別部隊を送り込み上陸を阻止した。ジョンハワードは雪崩勝利で当選。ハワードは移民法を改正し、イスラム教徒による違法入国は停止しました。

と、投稿者は語る。その後何年かたってから、オランダ、デンマーク、スイス、スエーデンなどもイスラム教移民の入国をかなり規制するようになった。だが、解き既に遅しという観もしないではない。
テロリストと戦うことによって社会がより危険になるなどという人々にお聞きしたい。欧州政府はことあるごとにイスラム過激派の要求に服従してきたではないか? 彼等に迎合し自らの伝統や文化を彼等にあわせてきたではないか? その結果、欧州は安全になったのか? 欧州は平穏なのか?
去年フランスでもイスラム教暴徒による暴動が何日も続いた。いまだにフランス各地では毎晩のように何百台という乗用車が焼かれているという。大学教授が新聞記事を書いたくらいで命が危険にさらされる。デンマークではたかが一こまマンガで新聞社に爆弾が仕掛けられたり、オランダではイスラム教の女性弾圧を描写した映画を作成した映画監督が日中暗殺されるなど、イラク戦争に参加もしてないこれらの国々においてイスラム教徒らの暴走は甚だしい。イギリスはやっと最近強行手段をとるようになってきたが、、
イスラム過激派に真っ向から立ち向かったオーストラリアやアメリカではこのような問題は起きない。イスラム過激派の攻撃に対して何もしなかったクリントン政権時代のアメリカでは、毎年のようにアメリカ人に対するテロが行われていたが、ブッシュ大統領の指揮で反撃して以来、戦場は別として世界のどこでもアメリカを標的にしたテロは起きていない。(無論アメリカでもテロリストの人権を守れなどと左翼連中がうるさくいうのはヨーロッパと同じだが。)
過激派の過激化をとめるのは、妥協でも迎合でも服従でもない。過激派をとめるのはこちらの反撃のみである。敗北した過激派の士気は落ちる。死んだ過激派はそれ以上過激化されることはない。

~

The following is the English translation of this post. I have changed the wording slightly; it’s my article, and I can do what I want!
I have just written about a German opera theater which submitted to the threat from local Muslims and decided not to continue a production of one of Mozart’s operas. Over the last few years, Muslim intimidation against Europeans has been growing more extreme.

News from France

We just witnessed a horrific incident: a Muslim man, enraged by an academic speech given by the pope, shot to death a Catholic nun and her bodyguard in Somalia. A French professor of philosophy, Robert Redeker, wrote about the incident, arguing that the violent behavior of Muslims is rooted deep in the Koran itself… and now more Muslim extremists have threatened his life, driving him into hiding.
You can read the English translation of Redeker’s article in eXtrem-cetre. Following is an excerpt:

What should the free world do while facing Islamist intimidation?

The reactions caused by Benedict XVI’s analysis of Islam and violence highlight the underhanded maneuver carried out by Islam to stifle what the West values more than anything, and which does not exist in any Moslem country: freedom of thought and expression.
Islam tries to impose its rules on Europe : opening of public swimming pools at certain hours reserved exclusively for women, ban on caricaturing this religion, demands for special diets for Muslim children in school cafeterias, struggle to impose the veil at school, accusations of Islamophobia against free spirits.
How can one explain the ban on the wearing [of] thongs on Paris-Beaches this summer? The reasoning put forth was bizarre: women [wearing] thongs would risk “disturbing the peace”. Did this mean that bands of frustrated youths would become violent while being offended by displays of beauty? Or were the authorities scared of Islamist demonstrations by virtue squads near Paris-Beaches?
However, the authorization of the veil on the street is more disturbing to public peace than wearing a thong, because it invites complaints against the upholding the oppression of women. This ban represents an Islamization of sensibilities in France, a more or less conscious submission to the diktats of Islam. At the very least it is the result of the insidious Muslim pressure on the minds: even those who protested the introduction of a “Jean Paul II Square” in Paris would not be opposed to the construction of mosques. Islam is trying to force Europe to yield to its vision of humanity.

Unfortunately, Professor Redeker who alerted us of Muslim extremism did not realize just how extreme they can be (he should have read his own paper).
After Professor Redeker wrote an article critical of Muslim, his face, address, phone number, a map to his house, and his work place were published on the internet with a message calling on the faithful to cut off his head. He is now under 24 hour police protection, staying with unnamed friends a few days at a time. He has written that he has become homeless in a supposedly free country.
Pierre Rousselin, editor of Le Figaro, the newspaper that published Prof. Redeker’s article, apologized in the Arab-Muslim newspaper Al-Jazeera. Why? Because several Muslim countries, including Egypt, banned that issue of Le Figaro. M. Rousselin stated that it was wrong for his newspaper to publish such an article. Prof. Redeker’s opinion does not reflect the newspaper’s view. Rousselin’s apology is filled with humility — that is, cowardice.
The high school that employed Redeker, and the school district, are not supporting him for fear of Muslim retaliation. The professor cannot even go to school, and he has had to cancel all his lectures.

Riot in Belgium

A few days ago, a Moroccan prisoner died mysteriously in a Belgian prison. Somebody spread the rumor that he was poisoned. That set off hungry Muslims who had been observing Ramadan. They went outside the city of Brussels and set fire to a number of stores; the riot has been going on for the last three days.
According to Gates of Viena, except for the newswire service Reuters — which reported it once — the American news media has kept mum about this ongoing violent protest. When it comes to Muslims committing crimes, the American news media finds virtue in silence.
According to the Brussels Journal, the police released those rioters who had initially been apprehended. Belgian authorities therefore demonstrated that they will roll over for threats: all you have to do is to scream, and they will yield. What cowards!

Thunder down under

Finally we come to Australia, a country which was founded by Irish prisoners involuntarily transported to the island-continent against their will, and their families and friends who followed as immigrants. The Aussies’ reaction to the problem of Muslim extremism is completely opposite that of Europe.
This e-mail was introduced in the above-linked Gates of Viena:

As the Lebanese civil war continued into the 1980s a new wave of immigrants arrived. Families, clans, almost entire villages from the notorious Bekkhar Valley [in Lebanon], a muslim stronghold with close palestinian and syrian links barely 50km from the Israel border. More than 100,000 migrated to Sydney alone, to unsuspecting multicultural arms. This new population proceeded to occupy a series of suburbs with an aggression and speed I still find breathtaking. In the south-western suburbs of Bankstown, Punchbowl, Lakemba, Lidcombe, among others, a home in a suburban street was bought, then another & another. These suburbs were originally settled by returning Australian soldiers and their families post-WW2, and in the 1980s were largely occupied by older retired people either singly or as elderly couples.

As one home after the other was acquired, it happened that a suggestion would be made: you might like to sell to my brother, my cousin, my uncle, because life might not be so pleasant as it has been. Pets were killed. Rubbish was tipped onto doorsteps of elderly widows. Vandalism was done to houses. And the old people sold their homes to these people for undervalued prices to escape the threat…
There are now, I believe, 300,000 muslims in Australia in a population approaching 20 million. As I understand it, 200,000 in Sydney, the bulk of the rest in Melbourne and Perth. If you subtract the Indonesian and Malay muslims, who are nice people in my experience and come to Australia mainly for education, the ugly face of Islam in my country is Arab Islam….
There are comparatively few of them here, yet there’s still such insistence that we defer to their cranky sensitivities. Happily, hardly anyone in Australia is listening. Patience with the MC/PC [multicultural/politically correct] creed broke down completely after the Tampa hijack in 2001 when hundreds of illegals rescued from a sinking boat by the Norwegian ship committed piracy on the high seas in order to force the captain to land them on Australian territory.
Australia sent SAS troops to repel the landing, John Howard won a landslide election, changed the migration laws and illegal arrivals of muslims have ceased. Nobody bothers now because they know they will be sent to a denuded, bankrupt Pacific Christian island to endure years of legal proceedings. Might as well stay in a nice islamic country such as indonesia or malaysia, eat good food and pray at the local mosque.
Years after the decision by our Prime Minister to refuse entry to uninvited aliens, the Netherlands, Denmark, Switzerland, Sweden have all reversed course. I believe Australia woke up in time. Not sure about Europe, though, less so the UK.

The solution

I would like to ask a question of those of you who argue that, by fighting against terrorists, we make the world more dangerous: what happened to Europe, which has accommodated every crazy, unreasonable demand from these extreme Muslims? Did it make Europe safe? Is Europe peaceful?

  • The riots last year in France by Muslim sons of Algerian immigrants continued for weeks; hundreds of cars were torched every single day. Now, after the riots have “ended,” such burnings have dropped to their normal level… of about a hundred cars each day.
  • Also in France, a professor whose only crime was writing an article critical of Islam has lost, if not his life, his ability to live. (This is nothing new… does anybody still remember Salman Rushdie after publishing the Satanic Verses in 1988? He is still in hiding today, eighteen years later.)
  • In Denmark, a newspaper was bombed because of a silly Mohammed cartoon. (Iran then retaliated by holding a “Holocaust cartoon” competition, evidently on the theory that Christians in Denmark were driven to draw cartoons of Mohammed by the Jews of Copenhagen — all eight or nine of them.)
  • In Holland, a movie director who made a movie about the Muslim abuse of women was assassinated in Amsterdam, shot to death in broad daylight at the corner of Linnaeusstraat and Tweede Oosterparkstraat.

These are all countries which refused to participate in the Iraq war. It made no difference to the extreme Muslims, who killed, bombed, and burnt anyway.
But countries such as the United States and Australia, who deal head on with Muslim extremists, do not face the same problem. During Clinton era, when the United States did nothing to defend itself — and even went to war against Christians on behalf of Muslims in Bosnia and Kosovo — the US was attacked by Muslim extremists every single year. Since President George Bush started to fight back, American targets have not been attacked.
Compromise, appeasement, or even obedience and “dhimmitude” will not stop extremism. Standing up to the Islamists and fighting them when necessary is the only way.
If they lose, their morale will suffer, and they will withdraw. In any event, dead extremists cannot become any more extreme.


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