ジェンダーフリーからトランスジェンダーへ、ゲイからクィアへ、文明社会を破壊する危険な思想

日本では同性結婚などというものは起こりえないとみなさんがお考えなら、甘い、と申し上げる。(略)男女共同参画の基盤となっているジェンダーフリーという性別解消の思想が横行すれば、それが必然的に同性結婚へと結びつくことは目に見えている。性に違いがないなら同性同士の結婚になんの問題があるというのだ、という理屈になるからだ。ー 苺畑カカシ(2008年3月8日、「ジェンダーフリーは自由社会を破壊する」より)

上記はアメリカでまだ同性婚が合法となっていなかった頃に、同性婚を反対する意味で書いたものだ。私は当時、同性婚を受け入れたら、別の形の結婚も受け入れざる負えなくなり、いずれ文明社会の基盤となっている一夫一婦制の結婚制度が破壊されて文明社会の破壊をもたらすと考えていた。しかし私の理論は話が逆さまだった。「ジェンダーフリーという性別解消の思想」が同性婚をもたらすのではなく、同性婚が合法化されたことによってジェンダーフリーという性別解消思想が正当化されたのである。

人間は歴史を通じて結婚は子孫を残すための男女の結合であると考えて来た。文化によって結婚の形は必ずしも一夫一婦制ではなかったが、それでも子孫繁栄のために男女には子育てに置いて全く違う役割が課されていた。なぜなら男女の差は単なる肉体的なことだけではなく、その特性によって子育てにもたらす貢献が全く違っており、健康な子供の成育には男女双方の力が必要であると、どんな社会も理解していたからだ。

同性婚では親が二人いても、どちらの貢献も同じであり、異性親のもたらすもうひとつの要素が欠けてしまう。同性愛者によって育てられた子供の特徴が片親で育った子供のそれに似ているというのも非常に納得のいく現象である。両親というのは二人いればいいというものではないのだ。

しかし同性婚は法廷によって国民の意思を無視して認められてしまった。それによって男でも女でも親としての役割は同じであり男女には性差はないという意味となり、男/女の出来ることは女/男にも出来る、であるから男は女に女は男に性転換することが出来るのだという思想へと繋がってしまったのだ。

我々はえてしてLGBT活動家の目的は同性婚の合法化であると考えがちだが、実はそれは違う。同性婚は単なる布石であり、本当の目的は全く別なところにある。

最近地方自治体で次々に発案されているパートナーシップ制度を例に考えてみたい。こちらは多摩市の例だ。強調はカカシ。

パートナーシップ制度とは

パートナーシップ制度は、戸籍上同性であることなどを理由に入籍することができない2人が、市に対してパートナーシップ関係にあることを宣誓する制度です。市はその思いを受け止め、「パートナーシップ宣誓書受領証」と「パートナーシップ宣誓書受領証カード」を交付します。

この制度に法的拘束力はありませんが、広く制度の趣旨をご理解いただき、多様な性的指向・性自認に対する理解が進むことで、将来的に婚姻と同等のサービスを受けられるようになることが期待されます。

この「戸籍上同性であることなど」という言葉がどうもひっかかる。同性である以外のどんなカップルを想定しているのだ?

実はそれがLGBTQ+である。

LGBTQ+(エルジービーティーキュープラス)とは

LGBTQ+は、L(レズビアン)・G(ゲイ)・B(バイセクシュアル)・T(トランスジェンダー)・Q(クエスチョニングまたはクィア)の頭文字と、「+(プラス)」(それらに当てはまらない多様な性)を組み合わせたもので、多様な性のあり方を表す言葉として日本のみならず世界各国で広く使われています。

そしてLGBTQ+の解説はこちら。

レズビアン  同性を好きになる女性
 ゲイ 同性を好きになる男性
 バイセクシュアル 同性も異性も恋愛対象になる人
 トランスジェンダー 出生時に登録された性別に違和感のある人
クエスチョニング(クィア) 自分は何者なのかわからない、決めたくない人
 +(プラス) 定義しきれない多様な性

読者諸氏もおかしいと思われると思うが、パートナーシップとは合法に結婚出来ない人たちが、行政上合法なカップルとして扱われるための制度のはずだ。現在日本の法律では血縁関係の薄い大人の男女以外の結婚は認められていないので、この制度で利益を受けるのは戸籍上同性同士のカップルのみのはずだ。なぜその制度にTQ+の人たちが含まれるのだろうか?

普通に考えて自分が自分をどちらの性だと思っていようと、身体的な異性と結婚したいと思っているなら別にパートナーシップなど起用しなくても普通に結婚すればいいだけの話だ。戸籍を変えない以上、戸籍上の男性が戸籍上の女性と結婚することは全く問題ない。自分の性別が何か解らない人なども、相手が戸籍上同性でない限り特にこの制度から得られるものはない。

ゲイ評論家の松浦大悟氏によると、東京都がパートナーシップを発案する以前に行った同性愛者を対象とした世論調査において、同性愛者であることで困難な体験したと応えた人は全体の7割で、残りの三割も子供の頃にいじめられた程度の体験だった。自治体ですでに同じような制度のあるところに住む人でも8割が活用しておらず、まるで必要性を感じないと応えたという。

こうした制度を施行する自治体が意見を聞く当事者というのは左翼活動家ばかりであり、一般の当事者の声などまるで反映されていないと松浦氏は言う。では一体活動家たちの目的は何なのか?

松浦氏がいうに、戸籍上男女のカップルでも、どちらかが性自認は異性だとして、同性カップルとしてパートナー制度を利用すれば、「男」が出産したり「女」が子供をはらませるといったことが起きかねない。そうしたら自治体は彼らの性別自認を認めることになりはしないか。

同性パートナーシップ制度はそれだけでは終わらない。アメリカの例を見ればわかる通り、この制度は同性婚への第一段階に過ぎないのだ。すでに日本では同性婚合法化への訴訟が起きているが、パートナーシップ制度が全国に広がれば、すでに事実上同性カップルは社会に認められているという既成事実をつくることになる。

そして本当は異性カップルなのに、同性カップルとして登録しているからという理由で、戸籍の性別も変えられるべきだと言い出す人も出てくるだろう。そうやって既存の特例法も全く意味のないものと化してしまうのだ。

松浦氏によれば、同性婚もパートナシップ制度も同性愛者の間ではまるで人気がない。実際に求めているひとたちは同性愛者たちではなく、LGBTQ+活動家たちだけなのだ。

Qはクエッションマークを意味しない

ところで多摩市によるQの説明だが、Qは「クエスチョニング」という解釈は正しくない。このQは「クィア」のことであり「自分は何者なのかわからない、決めたくない人」などという無難な人々をさすのではない。

ではクィアとは何ぞやという話になる。

実は私は2008年にこの質問を投げかけている。何故かと言うと、当時フェミニズムについて議論していた小山エミが自分のことをクィアだと言っていたからだ。変態たちが押し進めるジェンダーフリーという神話 – Scarecrow in the Strawberry Field (biglizards.net)

英語でいうQueerとは形容詞で使われる場合は「一風変わった、おかしな」という意味になるが、それが名詞として使われると「一風変わった人」というよりも「変態」という意味になる。昔の人は同性愛者は変態だと思っていたので、それがだんだんと同性愛者への侮蔑語へと変わった。そして同性愛者を迫害していたイギリスなどでは、ちょっと女々しいと思われる男性を「クィア」といって罵倒し暴力を振るったりすることが結構おきていた。だから中高年以上の同性愛者たちは活動家が自分らを指してクィアと言う呼び名を使うのを嫌がる傾向があるのだ。

そういう背景があるので、小山エミが実は自称女の男だということを知らなかった私は、女性であるエミがクィアだというならレズビアンを指すのだろうと非常にナイーブな解釈をしていた。しかし小山エミはクィア=同性愛者という意味ではないと断言したため私は非常に混乱したのである。

ではいったいクィアとはどんな人たちなのか?

2008年に小山エミから「読め!」と勧められたクィアースタディー入門から読んでみよう。強調はカカシ

クィアをとてもうまく説明したものに、“Anything that is not straight(ストレートでない者はすべてクィア)”という表現がある。ストレートは、「真っすぐ、まっとうな」の意。とすると、クィアは「まっとうではない」ので、そういう意味では「変態」という日本語がいちばん近い。

つまり、クィアとは、自分はまっとうなものとは違う、という差異を示す言葉であって、どう違うかを示す言葉ではない。違いの内容に言及すると、なにがまっとうかを認めてしまうことになるから。中身の違いを言わずにただ「違う」とだけ主張するのがクィアだから、究極的には態度の問題であるといえる。クィアとは、「自分たちはまっとうじゃないよ」という態度のこと。…

したがって、クィアとは特定のグループを指す言葉ではない。ましてや、同性愛者やバイセクシュアル、トランスジェンダーやトランスセクシュアルを指す用語でもない。原理上は、「自分はまっとうじゃない」と言えばだれでもクィア。なにがまっとうかまっとうじゃないかは決めない。そんな線引きはせずに、みんな変態でいいじゃないか、という感じ。だから、クィアとはある意味、非限定的な言葉。いろんなものを含む包括的な用語概念。ーーーミヤマアキラ著クィア・スタディ入門(2)より

昔からこの手の人たちは「自分は○○ではない」とは言うが、じゃあ自分は何なのかという質問には絶対に答えずに、こうやってはぐらかすのが得意だ。しかし何が「まっとう」な状態かを定義したら、それがまっとうだと認めることになるから出来ないなんて、いったいどういう屁理屈なんだ?

ただここで解ることはクィアと自認する人たちはLGBTですら「まっとうな人たち」だと思っているほどの変態なのだということだ。今自分らのことをクィアと呼んでいる人たちを観察してみれば良く分かる。

TikTokなどで髪の毛を紫やピンクに染めて顔にピアスをいくつもつけて体中入れ墨してる男か女か解らない人たちが、幼児に極端な性嗜好を植え付ける洗脳を行っていることを観てほしい。つまり、クィアとは文字通り変態を指すのだ。彼らは幼児性愛含む非常に危険な性嗜好をもった人々であり、自分のことをクィアだなどと呼ぶ人には容易に近づいてはいけない。ましてや子供を近づけたりしてはいけないのだ。

日本のLGBT活動家たちが訳の分からない横文字を並べて、もっともらしい議論を展開するときは、我々一般人は非常に警戒して対応する必要がある。彼らは我々が理解できないことを良いことに自分らの非常に悪徳な企みを水面下で進めていこうとしているからだ。意味の分からない頭文字やカタカナ英語は我々を煙に巻く手段なのである。

ジェンダーフリーだのトランスジェンダーだのクィアだのLTBTQ+だのを連発する人に出会ったら、彼らは文明社会を破壊しようとしている奴らなのだということを我々常識人は肝に銘じて挑まなければならない。


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女性を「生理のある人」などと呼ぶな!消されつつある女性の存在

以前に作家のJ.K.ローリング女史が女性の健康に関する記事で「生理のある人」という表現をおちょくって「生理のある人、、確かそういう人を表現する言葉があったわよねえ、なんだったかしら、、」とツイートしたことがあったが、なぜか先日発表されたエリスのコマーシャルを巡って、またぞろその話題が持ち上がった。

このCM事態では明らかなレズカップルが現れて「女の子の日とか呼ばれたくないかな」と言ってる以外には、とりたてて女性のことを「生理のある人」とは言ってない。ただ、コマーシャルのなかで「女性」という言葉は一度も出てこなかった。アメリカではもっとあからさまに生理用カップのコマ―シャルで「生理のある人」という表現が出てきて、何気なく聞き流していて、はっとしたことがある。

当然のことながら多くの女性達が、女性を生理機能で表現するのは侮辱的だ、として怒っている。だが、肯定派の意見は「生理のない女性もいるし、生理のある男性もいるので、これは包括的な表現だ」という。

読書諸氏はもうお分かりだろ思うが、ここでいう「生理のない女性」とは思春期前の少女のことでも閉経後の熟女のことでもない。彼らがさす「生理のない女性」とはトランスジェンダー女性と呼ばれる男たちのことであり、「生理のある男性」とは女性としての生殖機能を保持していながら、自分は男性だと言い張るトランスジェンダー男性と呼ばれる女性達のことである。

人口の1%も占めないこうした人々の感情を気遣うために、人口の50%を占める女性達の意見は無視してもいいというのが、昨今のトランスジェンダーリズムである。

すべての女性に生理はないが、生理のあるすべての人は女性だ。そして、まだ生理のない少女たちも生理が終った熟女たちも、生理のある人たちが女性と呼ばれることに全く異存はない。反対に生理のある女性達のことを「生理のある人」と表現されると、特に私のように閉経した女性達からしたら、自分らは女装男と同じ扱いで、すでに女性とは認められない存在になってしまったのかと非常に嫌な気分になる。

何度も書いているが、トランスジェンダーリズムという概念は女性の存在を抹消する概念だ。たかが言葉使いだから妥協してもいいということではない。私たちはことあるごとに「女性」という言葉を使って行こう。決して活動家達に奪われてはいけない。


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風向きが変わった?トランスジェンダーリズムの狂気から正気を取り戻しつつあるイギリス、その2

数か月前に私は拙ブログでイギリスがトランスジェンダーリズムの狂気から正気をとりもどしつつあるのではないかというエントリーを書いた。今回はその続編。

先日イギリスのボリス・ジョンソン首相がトランス女性は女子競技に出るべきではないいう発言をした。それにこたえるかのようにイギリスのサイクリング協会、ブリティッシュサイクリングがトランス「女性」やノンバイナリを名乗る男子の女子競技参加方針を一時停止する旨を明らかにした。先月男子競技で優勝したエミリー・ブリジスによる女子競技参加資格を巡って、国際サイクリング協会のUnion Cycliste International [UCI]と方針が違っていることが問題視されたためだ。ブリジスが女子競技に参加できるかどうかの決断はまだ下っていないが、BCもUCIも今後トランスジェンダー選手をむやみやたらに迎え入れてはいけないと気が付いたようだ。

今月アメリカの大學水泳競技大会の200メートルで女子競技で優勝したリア・トーマスの件で、世の中の人々は男子が女子競技に参加することの理不尽さを目の当たりにした。トーマスは身長190センチ近く、体型も仕草も声も完全に男だ。彼の場合女性に見せようと言う努力すらしていない。「トランス女性は女性です」を認めることは、こういう男を女性として受け入れるということなのだ。そのことに多くの人がやっと気づいたのではないだろうか?

実は私はトーマスはもしかしたら世の中の人にトランスジェンダーリズムがどれほど狂気じみた概念であるかを知らしめるためにわざとやっているのではないかとさえ考えたことがある。多分彼は単に注目を浴びたいだけの偽女なのだろうが、トーマスやブリジスのおかげで人々が正気に目覚めるというのであれば、それに越したことはない。

ジョンソン首相の発言で、反トランスのフェミニストの間から、J.K.ローリング女史が同じことを言ったら散々叩かれているのに、ジョンソン首相が言ったら「よくぞ言ってくれた」となるのは何故なんだ。やっぱり男が言うと皆いうことをきくのか、と批判の声が聞こえた。

デイリーワイヤーのマット・ウォルシが人気テレビ番組に出演して「女性とはなんぞや?」という質問をして話題になった時も(ウォルシ制作の同名のドキュメンタリー映画は5月に公開予定)、イギリスのフェミニストが私は何年も同じことを言ってきて誰も注目してくれなかったのに、男のウォルシが言ったら一気に注目されるのは何故なんだ、女性差別だ!と息巻いているを聴いた。

しかしフェミニスト諸君、この問題が女性だけの問題だとされている間は何も変わらないのだということに気付くべきだ。フェミニズムが欧米で広く受け入れられない理由はフェミニズムが女性だけの問題だとして男性を敵に回して来たことにある。もしトランスジェンダーリズムによる女性差別から女性の人権を守りたいなら男性を味方につけなければ勝ち目はないのだ。女子トイレに女装男がはいってくるとか、さほど人気のない女子スポーツで女装男子が活躍するとか言ったことだけだったら、多くの男性は、フェミニストとトランスジェンダーの間で解決してくれと思って興味をもたないかもしれない。だから、この問題はトイレやスポーツだけの問題ではない、世の中全体の問題なのだと世の男性達に理解してもらう必要があるのだ。

男子を女子と認めろということは、四角を円と呼べと言うのに等しい。つまり男子は女子ではないという基本的な真実を否定できるのであれば、世の中どんな嘘もまかり通ってしまうことになる。三つしかない電灯を四つあると白状させられるウィンストンのように、トランスジェンダーリズムの最大の問題は、すべて偽りを基盤にしているということなのだ。

一方アメリカでは、現在共和党が多数議席を握る12の州で男子学生の女子競技参加を禁じており、ルイジアナを含む複数の州で同じような法律が提案されている。共和党を含む数人の知事が署名を拒否しているが、議会の三分の二を占める票が集まれば知事の拒否権を覆すことが可能なので、これらの州でもいずれは法案は通るものと思われる。

またテキサスを含む12以上の州で先日フロリダで通った「反子供手懐け法」が提案されている。これはLGBT活動家の間で「ゲイと言ってはいけない法」といって忌み嫌われている法律である。前回も紹介したが、これは幼稚園を含む幼い子供達に性行為や性自認に関する教育をして子供を洗脳するのを禁じる法律である。

遅ればせながら、イギリスもアメリカも正気を取り戻しつつあるようだ。まだまだ足並みは遅いが、、


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どんな些細な違いも許さないトランス活動家の不寛容, それに驚くナイーブなフェミニスト学者

なぜか私のツイッターフィードに上がってきた*千田有紀という人のツイートが面白かったので、今日は彼女の身に降りかかった火の粉についてちょっとお話してみたい。彼女についてウィキによると、、

*(せんだ ゆき、1968年12月- )は、日本の社会学者、武蔵大学社会学部教授。専門は家族社会学、ジェンダー論、フェミニズム論。
日本のフェミニスト、上野千鶴子の弟子 。大阪府生まれ。

だそうなので、完全な左翼フェミニストと考えられる。どうしてこんな人のツイートが私のフィードに上がってきたのか不思議だったのだが、どうやらトランスジェンダーに関して彼女が発した何気ないツイートが反トランスだとして炎上してしまったというのが理由らしい。ツイッターのアルゴリズムは私が話題にしていることを見張っていて興味がありそうだと思うテーマのツイートを紹介するようだ。

さて、では千田さんの炎上したとされるツイートの内容はというと、、

トランス問題はかなり複雑で、マイノリティ動詞が対立させられてしまう構造に、観ていて胸が痛いですね。

というもの。これの何が問題なのか。彼女がリンクした少年ブレンダという人のNoteにその理由が記載されていた。

実は前段階で千田さんは「性同一性障害のMtF」を自称するアカウントから「漫湖臭い」と中傷を受けていて、「マイノリティ同士の対立」とはその流れの中でぽろっと言ってしまった言葉です。

つまり千田さんとしてはトランス女性を差別したくない、擁護したい、それなのに酷い攻撃を当事者から受ける。これでは擁護したくても出来ない。2chなどで定着した女性に対する「性器呼び」は性差別であり、それは社会構造に問題がある。この性差別を生むシステムによって「シス女性」と「トランス女性」は対立させられているのだ!それが私には悲しい…と、流れから言うとそういうことなのです。まあ、分かり易いですね。

この少年ブレンダというのは悪名高い男性から女性へのトランスジェンダー活動家で、私はとっくの昔にブロックされている。

千田は自分は「トランスジェンダーは女性でないなどとは言ってない。トランス女性は女子トイレに入るなとも言ってない」それなのに何故攻撃されるのか理解できないと言っている。

ブレンダは千田が攻撃される理由をこう説明している。強調は原文のまま。

しかし「女性は男性から性暴力を受ける、そのことで被害者もいる。私も被害を受けた」だから「トランス女性を差別したくないけど排除しなければならない」というのは、TERFsの人たちがよく使うヘイトスピーチの「テンプレ」なのです。(略)

「トランス女性」と「シス女性」を分けてはいけない時、排除して議論してはならない、という時があるのです。それはどんな時でしょうか。(略)

千田さんは明らかに「性暴力」を前提に「トランス女性」と「シス女性」を分けているのです。ここが第一のポイントです。

・千田さんは、「性暴力」を前提にした時「トランス女性」と「シス女性」を分けて考えている。

そして「対立させられてしまう社会構造がある」「それは性差別のせいだ」というわけですが、その説明がなぜ批判されるのかは「判らない」のです。これが第二のポイントです。(略)

しかし、我々「トランス女性」から見ると「現実にはあり得ない事を言っている」のです。

なぜならば、「トランス女性」が受ける「性暴力」というのは、「トランス女性」が「女性だと見なされるから受ける暴力」だからです。

ここで言う「トランス女性」とは「女性として暮らしている人」です。

要するに千田が自分が性被害に遭った体験から言って、「シス女性」の体験と「トランス女性」の体験は違うはずだと言ったことが「トランス女性」たちの勘に触ったというわけである。

実は私は千田がトランス活動家たちの反応に驚いているということ自体に驚いている。千田は昔気質のフェミニストで専門は家族社会学、ジェンダー論、フェミニズム論」でしかも上野千鶴子の弟子だという。そんな人がフェミニズムを長年かけて乗っ取ろうとしてきた(もしくはすでに乗っ取ってしまった)トランス活動家たちについて何も知らなかったというのは、あまりにも無知すぎないか?はっきり言ってジェンダー専門の学者としては完全に失格だ。

だいたいトランス活動家の使う「シス女性」などという言葉を受け入れてしまった時点ですでに千田の宿命は決まっていた。シス女性など存在しない。なぜならトランス「女性」は男性の一種であり、女性ではないからだ。女性の表現は女性性器でもなければ生理だの子宮だのを出産といった女性の身体の機能で表されるべきではない。女性のことをいいたいなら単に女性と言えばいいのである。

千田の間違いは自分が左翼でトランスにも理解を示して来たので批判からは免疫があるという甘い考えを持っていたことだ。左翼フェミニストとして神格化されていたJ.K.ローリング女史が、女性の安全を自称女の男性から守らなければならないと言った途端に袋叩きにあった事実を知らなかったのだろうか?

ところでブレンダは千田の言っていることがTERFの使うヘイトスピーチのテンプレだと言い張るが、反TRAの人々が自称女の性犯罪について議論していることに対して、きちんとした反論をしていない。批評家の言うことに対してターフだのヘイトだのと言い続けることは何の反論にもなっていない。

ブレンダはトランス女性による女性への加害は「現実にはあり得ない事」だと言っているが、拙ブログで何度も紹介したように、ブレンダのいう「女性として暮らしている人」による女性への性加害は諸外国では頻発している。いや、それをいうなら日本でも自称女性の女装男達による痴漢行為は後を絶たない。その事実について何の反論もせずに、そんなことはあり得ないといくら繰り返してみても、なかったことには出来ない。

また、「『トランス女性』が受ける『性暴力』というのは、『トランス女』が『女性だと見なされる』から受ける暴力』」というのも正しくない。

先ず私はトランス「女性」が受けているという性暴力というのが現実にあるのかどうかさえ疑わしいと思っている。しかしよしんばそういうことがあったとしても、トランス「女性」は性適合手術を受けていようがいまいが男性としての筋力は失っていない。であるから、たとえ女性と間違えられて暴行を受けたとしても、同体格の男性からの脅威は女性が瀕する脅威とは全く違うのである。

ブレンダが外見からどんなふうに見えるのか私は知らない。もしかしたら彼はいわゆる女性として通用する人なのかもしれない。しかし世の中には自称女でもどうみても男に見える女装男がいくらでもいる。そうした人たちが女子トイレだの女湯などに堂々と入ってきたら、普通の女性なら誰でも脅威を感じるはずである。その脅威を理解できないということが、ブレンダが女性ではないことの証拠だ。

もし千田が本気でトランスジェンダリズムを理解したいと思っているのなら、今回のこの教訓を生かし、トランス活動家たちが如何に不寛容で暴力的であるかを学ぶことだろう。


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着々と進む、女装男による女子スポーツ乗っ取り作戦、イギリスの状況から考える

アメリカでは、大學水泳競技女子200メートルで優勝した女装男リア・トーマスが話題になっているが、実はイギリスでは続々とトランスジェンダーを名乗る女装男たちが女子スポーツを侵略しつつある。先日もこんな記事を目にした。

身長180センチ、元男子サッカー選手、イギリスの女子サッカーチームに入部が認められる。ブレア・ハミルトン(32歳)はタビストック・トランスジェンダー・アスレチック調査団の調査主任で、現在ブライトン大学で博士号取得中。彼は兵ステインングユナイテッドフットボールクラブ(略してUs)の女子チームに参加することになった。タビストックはイギリス政府公認のトランスジェンダークリニックである。

ハミルトンの専門はテスタストロン値と運動能力の関連性に関する調査だ。非常に利害相反だと思うけどね。しかし彼自身が女子チームで目覚ましい活躍をすれば、それはホルモン値を下げても男子の運動能力には効果がないことを証明することになるのでは?

さて、これはほんの一例だが、イギリスではすでにアマチュアの女子競技における女装男の進出で若い女性達がスポーツを諦めているという状況が起きているという。

こちら奥田幸雄さんが紹介してくれてるのでその一部をお借りする。アマチュア女性たちが男性体の相手と対抗させらてスポーツをやめているという記事

女性のスポーツを守ろうという団体、フェアプレイフォーウイメン(FPFW)によると、イギリス各地で女性や少女たちが「トランスジェンダー女性」と対抗させられてスポーツを諦めてしまっているという。すでにエリートスポーツへの女装男の参加は問題になっているが、実はリクリエーションのためのアマチュアの競技でも女装男の侵攻はかなり進んでいる。しかも多くの女性たちは沈黙を守るよう圧力をかけられている。それで男子と競うのが嫌でスポーツを完全に諦めてしまう女性や少女たちが続出しているというのだ。

特に10代の少女たちは所属するクラブにTG女性がいると知ると、更衣室やトイレなどで遭遇することを恐れてスポーツそのものを諦めることが少なくない。

FPFWの調査団は色々な女性達からの証言を集めているが、ロンドンのアマチュアフィールドホッケーリーグのある女子選手は、TG選手をみてその場から立ち去ったと語る。

「その人は身長が190センチはあり、のどぼとけもありました。私がボールに向かう度にTG女性の方がずっと速く、数分後には競技から去りました。私は涙を流しました。女性の相手と対戦するために来たのに、ピッチに男性がいたんです。公平感がないなと思ったんです。 トランスフォビアの烙印を押されたらと思うと、文句も言えません。」

南イングランドのある親とクリケットのコーチは、トランス女性を含むチームと対戦するよう頼まれた12歳の少女たちの安全性を心配しているとFPFWに語っている。 「この少女たち(14歳と16歳)の父親として、道徳的にも身体的にも受け入れがたい、不快で危険なことだと思います」と書いている。

サイクリストのBo Novakは、南西イングランドで参加した女性だけのロードサイクリングセッションで、トランス女性がリーダーを務めていることを知って参加しなくなったと語った。「そのセッションは、女性が引率する少人数制の女性向けレジャーライドと宣伝されていたんです」とBo Novakさんは言う。 「でも、男性の体格の人が、参加するだけでなく、グループを率いていたんです。彼は他の人よりずっと強くて、スピードも出るんです。」

また、高齢で運動能力の低い選手が参加する、走ることを禁止された女子「歩くサッカー」クラブのメンバーも、トランス女性の加入に狼狽したことを明かしている。 ランカシャーのクラブの内部告発者は、「ショックを受けたが、何も言ってはいけないと思った者もいた」と語った。

「その後、クラブを運営するチャリティ団体は、 トランスジェンダーのプレーヤーを受け入れるか、退会するか をグループに告げたのです。」

以前ミスター苺と二人で団体ハイキングに参加したことがある。このハイキングは中高年夫婦向きのもので参加者も50代以上の人ばかり。夫婦対象なので半分が女性だった。ところがこのハイキングを引率していたのが20代の若い男性で、そのペースのあまりの速さに我々女性陣はとても追いつくことができなかった。無論男性達も若くはないのでそれなりに苦労はしていたが、女性達ほどではなかった。せっかく楽しいはずのハイキングがマラソンになってしまい、ちっとも楽しくなかった。もし最初からあんな風になると知っていたら、我々も参加しなかっただろう。

多額の賞金や栄誉のあるエリートスポーツならばともかく、趣味のスポーツをやるのに、たとえ不公平だと思っても参加者は運営側に強いことが言えないというのは理解できる。トランスジェンダー活動家の狙いはそこにあるのだ。

最初から目立つエリートスポーツに侵略しては人々からの反感をすぐに買ってしまう。だが地方のアマチュアスポーツや小さな運動クラブなどでちまちまとTG女性を侵入させていくことで、女子スポーツは徐々に女装男たちに乗っ取られていくようになる。そして時期が熟した頃にエリートスポーツへと侵攻を進めていくのだ。


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元オリンピック男子十種競技金メダリストでトランスジェンダーのケイトリン・ジェナ―のフォックスニュース参加を批判するトランス活動家たちの偽善

なんだか知らないが、LGBT界隈では何かとLGBT特別の日や月がある。なんで彼らばっかり一年中お祝いをしてるのかは知らないが、昨日はトランスジェンダーが目立つ日とかだったらしい。にも拘わらず、トランスジェンダーとして世界的に多分一番有名なはずの元オリンピック金メダリストのケイトリン・ジェナ―がフォックスニュースの準レギュラーになることで、トランス活動家たちはジェナ―を一斉に叩き始めている。

私はトランスジェンダリズムという概念自体を否定している立場なので、ジェナ―が保守的な考えを持っていても、ジェナ―を女性と認めることはできない。彼はあくまでも自称女性の男性である。

とはいうものの、ジェナ―は自分がエリートアスリートであった経験から、男性体のMtFは女子競技に参加すべきではない、とまともなことを言ってる事実は評価されるべきだろう。

そのジェナ―が、自分がフォックスニュースのレギュラーになることについて、TRA界隈から批判が出るのは偽善だと自身のツイッターで発言した。以下は私の適当な意訳。

一方で私は多分世界中で一番目立つトランスだと思う。左翼のお目覚め連中(WOKE)には呆れてものが言えない。皮肉というより偽善と言った方がいいのかもしれないけど、本当に呆れるわ。

LGBT活動家のシャーロッテ・クライマー(Charlotte Clymer)はニュースウィークのインタビューでジェナ―のことを悪質でナルシシストだと罵りながら、ジェナ―は自分のキャリアのためにトランスやノンバイナリーの人々を見捨てていると語る。

彼女(ジェナ―)はドナルド・トランプが反トランスなのを知っていてずっとトランプ支持者と一緒に活動してるし、トランスの子どもたちのスポーツ参加にも反対しています。

トランスの人々の間でも色々な意見はありますが、大多数のトランスやノンバイナリー界隈はケイトリン・ジェナ―を支持していません。彼女は私たちを代表しません。

彼女は私たちの考えを反映していないし、私たちにとって、とても危険な存在になっています。

左翼活動家というのは、同じ属性に属する人はすべて同じ考えを持っていなければいけないという非常に偏狭な心の持ち主が多い。トランスジェンダーだったら誰もが民主党支持で誰もがトランスジェンダー活動に全く同じ形で参加すべきだというのである。ジェナ―がトランスを代表しないように、クライマーもトランスを代表しない。だいたい自分の性自認が自分の考えを決めるという考えこそおかしいではないか?

まあ左翼は女性なら皆反トランプであるべきとか思い込んでるので、決して驚きはしないが。

TRAがフォックスを敵視するのは、タッカー・カールソンはじめフォックスの人気キャスターたちはこぞってTRAに批判的であり、全国大学水泳大会の200メートル女子の部で優勝したリア・トーマスについても散々批判していたことなどがある。

ジェナ―自身もトーマスの女子競技参加には非常に批判的で、何度もその意見をフォックスニュースにゲスト出演して語っていた。

クライマーはジェナ―のような有名人がトランスジェンダーの代表のような顔でテレビに出るのは危険だとし、今後は色々なメディアでトランスジェンダーが活躍する必要があると語っている。単にトランスにも色々な人がいるという意見はどうしても受け入れられないのだろう。

しかしクライマーが認めるように、ジェナ―がトランスジェンダーという立場から、男子の女子競技参加に強く反対しているということは、男子の女子競技参加反対派の我々としては助かることではある。

これは公平の問題です。私は生得的少年が学校の女子スポーツで競争するのには反対です。公平ではありません。私たちは学校における女子スポーツを守らなければなりません。

クライマーは, どのマイノリティーにも内部にその属性の利益に反する運動をする人がいると言う。しかしクライマーのような活動家がやっていることが、実際にトランス界隈の当事者の利益になっているとは到底思えない。

実は先日、私はJKRの件でイギリス人のツイッタラーさんたちと色々やり取りをしたが、その際彼女たちのこの問題に関する無知さと無理解には非常に驚いた。イギリスは日本と違ってTRAの横暴が横行していることでもあり、イギリス人は日本人よりこの問題について、もっと色々知っているものと思っていたからである。しかし実際には彼女達も結構TRAについて無知だった。JKRを批判している人たちですら、トランスジェンダーはニューハーフのような綺麗でか弱そうに見える人たちだと思い込んでおり、彼らは女性に対して全く脅威ではないと思っているようだった。イギリス国内ですでにトランスを名乗る自称女の性犯罪者が女性に危害を加える事件が頻発しているというのに、その事実を彼女たちは全くしらないのである。

つまり一般人はトランスジェンダーになど興味がない。自分達とは全く関係のない人たちだと思っているだろう。ところが一般人が最初にみるトランスジェンダーが、トーマスのように女子用水着を着ている以外は完全な筋骨たくましい女装男で、それが女子だと言い張って女子スポーツに参加する姿だとしたら、これはトランスジェンダーにとってよいイメージになるだろうか?

この間ツイッターで話したイギリス人女性達は、私が髭面胸毛すね毛男がミニスカートを履いて女子トイレに入ってきても平気なのかと聞いた時、そんな人は女子トイレにはいってきたりしないと断言していた。もし彼女たちが実際にそういう男にトイレで遭遇したら、いったいどんな気持ちがするだろうか?そしてそれに苦情を言ったら、自分達が差別者として反対に警察に通報されると知ったら、トランスジェンダーについてよい印象を持つだろうか?

ところで先日お話した長距離サイクリングのトランスジェンダー選手、エミリー・ブリジスについて、私は新しい発見をした。ブリジスはつい最近まで男子競技に参加していたという話はしたが、一番最近は先月で、その際ブリジスは全国大学生大会で優勝していたのである。ここで読者の諸氏に立ち止まって考えていただきたいことがある。

ブリジスは一年間女性ホルモンを接種し男性ホルモンのテスタストロン値を下げる「治療」を行っていた。そして今月に入って女子競技参加に必要な低いホルモン値に達成できたため、今回の全国オムニウムチャンピオンシップの女子の部への参加が一旦は許可されたのである。

ということはブリジスはホルモン治療を11か月も受けていたにもかかわらず、男子競技で優勝できるほどの運動神経を保持出来ていたということになり、ホルモン値を下げることは彼のパフォーマンスにはなんの影響も及ぼさなかったか、悪影響があったとしても、その悪影響を克服することが可能だったということになる。

以前に私はホルモン治療で失う運動能力はエリートレベルの選手であれば訓練次第で克復することが出来るという話をしたことがあるが、ブリジスはまさにそれを証明しているのである。

参考:男性ホルモン値を抑えても男性体は圧倒的に有利という調査結果 – Scarecrow in the Strawberry Field (biglizards.net)

それにしてもブリジスは、女性ホルモンを接種しながら男子競技で優勝できる能力があるなら、何故そのまま男子として競い、正々堂々とオリンピックメダル獲得を目指さないのか、本当に不思議である。


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オリンピック女子記録より2分も速い記録を持つ男子全国ジュニアチャンピオンが女子競技に参加決定

アップデートあり:この土曜日(4/1/22)に予定されている全国オムニアムレースへのブリジスの出場は見送られることとなった。

トランスジェンダーのエミリー・ブリジス(21)はこの土曜日に行われるイギリスのthe National Omnium Championships in Derbyという25マイルのサイクリング競技に女子として参加し、5回連続オリンピック金メダリストのローラ・ケニーと対決することになった。ブリジスは男子だが、1年間の女性ホルモン治療を受け、女子競技への参加資格を得たという。

ブリジスはグレートブリテンアカデミーの競技で先月まで男子として競技に参加していた。彼は2018年、全国ジュニアチャンピオンになったこともあり、その時の記録は現女子オリンピック最速記録より2分も速かった。

2018年全国男子ジュニアチャンピオンになった頃のブリジス

数年前にレイチェル・マッキノンという女装男が、マウンテンバイクの女子シニアの部で優勝した時、人々が抗議の声を上げたが、当時マッキノンは、オリンピックでも同じ規則を起用しているがオリンピックでメダルを取ったトランスは一人もいない、トランスは数も少ないのでエリートスポーツには影響を及ぼさないと言っていた。

しかし私は当時から、いずれマイナーな競技にピークを越えた男子選手や三流選手が参加などというおとなしいものではなく、女子のエリート競技に男子としても高位の選手が参加しだすのは時間の問題だと言って来た。

女子競技を守るために訴え続けている元オリンピックメダリストの水泳選手シャロン・デイビスは、何人もの女子サイクリストから相談の連絡を受けていると語る。そしてほとんどの選手は制裁を恐れて声をあげられないという。

「イギリスサイクリングは恥を知るべきです。何人もの女子たちから心配する電話をもらいました。彼女達は不満と失望を感じています。」

いや、不満とか失望とか言ってる場合じゃないだろ。これには激しい怒りを感じるべきだ。そして声を上げるのが怖いとか言ってないで実際に声を上げるべきだ。自分らが何年も努力してきた競技が女装インチキ野郎に乗っ取られようとしているのだぞ。当事者の彼女達が声をあげずに誰があげるのだ!

ブリジスはこのままいけば2028年のオリンピック参加も可能である。

ブリジスは男子としてもエリート選手である。このまま男子として競争して正々堂々とオリンピックを目指すことも、様々な競技大会で優勝することも夢ではない。だが、男子の部には彼と同等の選手は何人もいる。国内では優秀でも世界を相手にした場合には、いくら彼が優秀でも必ずしも毎回優勝できるという保証はない。しかし、彼の能力をもってすれば、故障でもしていない限り、女子競技を圧倒することは間違いない。ブリジスはこの優勝間違いなしの座を手に入れたいのだ。

これまで女子競技に参加してきた男たちは、ピークを過ぎた中年男性だったり、男子としては下位の三流選手だったりで目立った活動はしてこなかった。参加する競技も地方の高校や大学のみの競技がせいぜいだった。リア・トーマスの件が評判になったのは、全国大学大会という比較的メジャーな競技会への参加だったからだ。

しかしこれがもっとメジャーなスポーツになったらどうなる?サイクリングだけでなく、ゴルフやテニスと言った女子の活躍が目覚ましい競技で、賞金やスポンサーから半端じゃない多額の収益金を得られる女子競技にエリート男子たちが参加したらどうなるのだ?

女子選手たちはその時まで黙っているつもりなのか?

確かに今声を挙げれば自分の選手生命が絶たれる可能性はある。だが今声を挙げなければ自分だけでなく競技そのものの命が絶たれてしまうのだ。怖いのは解る。彼女達だけにこの試練を与えるのは酷な話だ。しかし当事者である彼女達が声を挙げなければ外野がどれほど騒ごうが何も変わらない。

先ず我々はトランス女性は女性ですという間違った概念を捨て去ろう。彼らは女性ではない。彼らは男性だ。男子である。

男子は女子競技には参加できない。そのことをはっきりさせよう。


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テキサス州、息子を無理やりトランスジェンダーに洗脳する前妻に親権を奪われた男性がテキサス州下院議員に立候補、大学での講演で暴力的な活動家たちに邪魔される

アップデート:2022年12月31日現在。残念ながらテキサス最高裁は父親の言い分を棄却。ジェームス君は母親と共にカリフォルニアに行き、思春期ブロッカー治療を受けることが可能となった。なんという悪判決。

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2019年に当時7歳だったジェームス・ヤンガーという少年が母親に洗脳されて女子として育てられていることに抗議した父親が、共同親権から単独親権を獲得しようと裁判を起こし敗訴した話は拙ブログで何度か紹介した。背景は下記を参照のこと。

7歳の息子のトランス化を強制される父親 - 単独親権を求めていた陪審員裁判で敗訴 – Scarecrow in the Strawberry Field (biglizards.net)

息子はトランス女子だと言い張る母親の意志に反し、男子として学校に行く決意をした7歳児 – Scarecrow in the Strawberry Field (biglizards.net)

最後にこの話を聞いた時、結果的に父親のジェフェリー・ヤンガーは親権を母親に取られたが、息子の性転換治療に関しては父親に拒否権があるということで一応決着がついたことになっている。

しかし未だに息子のジェームスはルナという名前で小学校でもドレスを着せられており、父親が面会の際にも子供を男子として扱うことが禁じられており、キリスト教の教えを説くことも出来ないという。かろうじてジェフェリーに可能なのは、不可逆的な化学的去勢とエストロジェン投与を防ぐことだけだ。

そのジェフェリー・ヤンガーが去年テキサス州の下院議員として共和党から立候補した。彼の一番の目標は児童へのトランス治療を違法とすることだが、家庭裁判所の改正も必要だとしている。テキサス州では先日アボット知事が、子供の化学去勢は児童虐待として扱うと宣言したばかりだが、実際法律上どのようになっているのかはちょっと複雑でわかりにくい。

昨日ヤンガー氏はテキサスのノーステキサス大学で、児童へのトランス治療に反対する講演をするはずだったが、会場に観客として潜入したトランスジェンダー活動家の学生たちが机を叩いたり「くたばれファシスト」と大声で叫んで講演を阻止。警備の警察によって退出したが、会場の外で主催者たちを待ち伏せして暴力行為に及んだ。主催者の一人の女子学生は物置に隠れて暴徒から逃れるという場面すらあった。

ヤンガー氏によれば、息子のジェームスは1歳半の時に女の子のおもちゃを好んだという理由で母親から自分は女の子なのだとずっと言われ続けたのだという。そしてたった一回の精神カウンセラーとの問診でジェンダークリニックを紹介され、そこですぐに性転換治療を始めるように勧められたのだという。

私は最近ユーチューブで2歳半の男の子がお爺ちゃんと夕飯時に話をしているチャンネルをよく観ているのだが、その会話はとてもかわいらしく愛らしい。しかしなにせ2歳半のいうことだから意味をなさないことも多い。この間も去年のクリスマスの時のビデオが上がっていて、お爺ちゃんが「サンタさんに何をお願いしたの?」と聞くと「森林パトロールカーとお、電池とお、、お月様!」と答えていた。そしてまだおむつもとれていない。

サンタさんにお月様をお願いするような子供に自分の「ジェンダー」が何かなど解るはずがない。そんなのは常識で考えれば誰にでも明白なはずだ。だが常識が通じないのがトランスジェンダリズムである。

甲南大学のトランスジェンダー映画

お話変わって日本での出来事。先日甲南大学で女子トイレに入った「トランスジェンダー女子」(女装男子学生)に関して、SNSで多くの苦情が上がったということに監視、同大学の活動家たちが差別をやめさせるという名目で15分ほどの映画を制作発表した。

こちらがNHKの記事。放送ビデオもついている

心と体の性が一致しないトランスジェンダーへの偏見やSNSでの悪質な投稿による人権侵害を防ごうと、県内の大学生が動画を制作しました。

トランスジェンダーに対する偏見をなくそうと、動画を制作したのは甲南大学の学生の有志5人です。
28日は、大学内の会場とオンラインで動画の披露試写会が開かれ、あわせておよそ70人が参加しました。
およそ15分の動画では、大学の女性用トイレを使用したトランスジェンダーの学生が「身体が男なのに女子トイレに入るな」などと投稿をされ、思い悩む様子が描かれています。
その上で、SNSでの誹謗中傷や差別的な書き込みは重大な人権侵害で、投稿前に傷つく人がいないかやどんな影響をもたらすかをよく考えるよう呼びかけています。
脚本などを担当した甲南大学4年の田中優奈さんは「トランスジェンダーの当事者とそうでない方がお互いを理解し合い、本人が望む性別で生きることができる世の中の促進につながればと思います」と話していました。

この映画もそしてそれを報道する記事でも、大学側は本人がトランスジェンダーだと名乗りさえすれば、女装男が女子トイレにはいても良いと言う姿勢なのかについて全く説明がない。

日本の法律では施設経営者の意図と反する理由で建造物を利用した場合には建造物侵入罪に問われることになっているが、もし学校側が女装男の女子トイレ使用を認めているというのであれば、女装男に遭遇した女子たちからの苦情をどのように対処しているのかはっきり学校側に問いただす必要がある。

女子学生から「体が大人のに女子トイレに入るな」と投稿されたということは、この学生は男性だと女子たちには明らかだったということになる。女装男がトランスが痴漢かが解らない以上、女子たちが苦情を言うのはあたりまえで、それをSNSで書いたからといって、それは差別でも誹謗中傷でもない。その女子たちの当たり前の反応を差別と言って、女子たちの言論を弾圧しようとするこの映画は全く非道である。

何が「お互いを理解し合い」だ!映画製作者たちは性被害に遭った女子たちの気持ちなどまるで理解しようとしていないではないか!

今の日本には男子が女子施設に入ってはいけないという法律がない。今後こういうことが起きないように、いまのうちに男子が経営者の許可(清掃、警備、修理など)なく女子専用施設に入ることは性犯罪とみなされるという法律を通した方がいい。今のように経営者の判断に任せておくと、それは差別だといって訴訟を起こす奴らが出てくるのは時間の問題だからだ。


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女子スポーツは女子のもの、女の振りをしてる男のものではない!スカッとする選挙広告

きょうはスカッとするCMを見たので読者諸氏にもご紹介しよう。

上記はミズーリ州から上院議員に立候補したビッキー・ハーツラー(現下院議員)の選挙運動広告。字幕のつけ方がわからないので訳は下記参照。

これがウィリアム・トーマスです。男子水泳競技で462位です。
こちらがリア・トーマス。女子水泳競技で一位です。
ただひとつ問題があります。この二人は同一人物なのです。
他の人は怖がって話そうとしませんが、私は違います。
私はビッキー・ハーツラ―です。私は女子陸上競技で競争し、コーチもしました。私はWOKEリベラルが女子スポーツを破壊するのから顔をそむけたりしません。
女子スポーツは女子のためのものです。女子の振りをしている男子のものではありません。
私はビッキー・ハーツラ―です。この広告を承認します。

この広告に関して、早くもトランスジェンダー活動家(TRA)からトランスフォーブだのなんだのと批判が出ているのは想定内だ。

全国LGBTQタスクフォースの広報部長キャシー・リナはこの広告は安っぽい攻撃だと批判。リナはこの広告にはトーマスが性転換する前の写真や名前を使うと言ったことも含め、いくつもトランスジェンダーの人々を傷つける要素があるという。

ここでいう転換とは、トーマスがウイリアムからリアと名前を変えて髪の毛を伸ばして女子の水着を着ているということだけであり、そんなことがトランスになるというなら、私だって今すぐ髪の毛を切ってズボンを履けば男になったというのと同じくらい意味がない。トーマスは女性ホルモンを一年服用して男性ホルモン値を規定値に下げた以外には普通の男子と全く違いはないのである。(トーマスは豊胸手術も去勢手術も受けておらず、性指向は女性)しかしリナはこの広告はトランスフォビックの最たるものだと語る。

これこそトランスフォビックの最たるものです。「これはこの問題を分裂に使おうという人たちが使う教科書から抜き出しです。そして非常に残念なことです。なぜなら現実は、これによって現実の人々が影響を受けるからです 

これは才能あるアスリートであり善人で良い学生である人に対して、非常に侮蔑的で悪質で公な侮辱です。

正直言ってこれはヘイトクライムと言えると思います。ヘイトクライムと同じように属性全体の人を標的にしているからです。

LGBT活動家たちの言い分は常にこうだ。トランスジェンダーによる社会的問題を誰かが指摘すると、それはトランスフォーブだと言ってすぐに相手を差別者扱いして黙らせようとする。実際に被害を受けている女子選手たちのことや、女子スポーツへの悪影響をどう解決していこうかなどという意見は一切述べず他人にも述べさせない。ただただトランスジェンダーの気持ちが傷つくから黙れの一点張りである。

最近自称女子を名乗る男子選手が女子競技を荒らすことが多くなってきた。それでかなりの州で少なくとも高校生までは男子は女子競技に参加できないことにするという州法を通している。何故高校生までなのかというと、ホルモン治療を未成年に強制することは出来ないからで、自称女子の高校男子は必然的にホルモン値すら下がっていない身体は完全に男のまま女子競技に参加することになってしまうからだ。

大学生の場合はホルモン値さえ規定値に下げていれば女子競技への参加が許可されているため、トーマスのような選手が出てきて来しまう。実はこのような規定はすでに何年も前から存在していたのだが、今まで記録を出すようなトランス選手が出てこなかったため、特にこれと言った問題にはなっていなかった。

トーマスが大学の女子競技で次々と記録を更新し、レースの度に優勝していることで、彼は一般人の間でも知られるほど有名になった。先日は記者が大統領にトーマスに関して意見を聞いたほどである。

実は私はオリンピックにトランスジェンダー「女性」が出場すると決まった時にも思ったのだが、トーマスの件が大々的に主流メディアで取り上げられるのは良いことだと思う。TRAの強さは、周りに気付かれずに水面下で活動することにある。彼らは常に真実を隠して危険な法律を誰も見てない隙に通してしまう。

しかしオリンピックなど主流な競技大会で次々に自称女の男子選手が女子選手を圧倒するようになれば、それまでトランスジェンダーがどんなものかさえほとんど認識していなかった一般の人々にも、これは何かおかしいと考る機会を与えることになる。

TRAが社会に求めることは、常識ある一般人の想像を絶するものだ。普通の人は、まさか誰もそんなことを要求するわけがないと思ってる。TRAはそれを悪用して「男性器つけたまま女湯入る人なんかいないから」「女子スポーツやりたがるトランス女子なんてごく僅かだから」と懸念する方が被害妄想であるかのように言って来た。

しかし男子競技で462位だったトーマスが女子競技で、二位の女子に何往復も差をつけて勝ち続ける姿を一般人が観たら、こんなことが許されていいわけがないと思う人が増えるはずだ。

例えば作家のJ.K.ローリング女史への攻撃にしても、あまりにも大きなニュースになったため、全世界に居る彼女のファンたちも、いったい女史がここまで批判されるほどの何を言ったのだろうと不思議に思っただろう。そして実際に彼女の言ったことを調べてみたら、彼女は単に「男性は女性になれない」「女性を生理のある人などと呼ぶな」「強姦男を女子刑務所に入れるな」といった常識的なことを言っただけだった。あくまでWOKEであり続けたい人は別として、ハリー・ポッターファンのなかにも、ローリング女史への攻撃は理不尽だと感じた人が少なからずいたはずだ。

こうして有名なケースがどんどん報道されるようになり、より多くの人がそれを知ることによってTRAが如何に気違いじみた破壊的な危険な思想であるかが、より多くの人々に理解されるようになると思う。だからTRAには出来るだけ声高に、なんでもかんでもトランスフォーブだと騒いでもらいたい。彼らの恐ろしい本性を晒してもらいたいとおもう。

先ほども述べたように、TRAは常に自分達は可哀そうな少数派で被差別者だという振りをするが、この広告を批判する記事の最後のほうでも、半数以上のトランスジェンダーやノンバイナリーの若者が自殺を考えたり自殺未遂をしたことがあるという、ザ・トレバープロジェクト2021年のアンケート調査を持ち出している。

エリートスポーツを目指す女子選手たちには、女子たちが直面する様々な弊害を取り除こうと各種目ごとに色々な団体がある。しかしトランスジェンダー選手が直面する弊害について言及する団体はないと活動家達は言う。

トランスやノンバイナリの精神的な問題や彼らのスポーツ参加の機会を作ることと、男子が女子競技に参加することとは何の関係もない。

半数以上ものトランスやノンバイナリが自殺願望であるというなら、先ず何故彼らにはそのような精神疾患者が多いのか根本的な精神面での問題と取り組むべきなのであって、男子に女子の振りをさせて女子競技に参加させることと一緒にすべきではない。

もしトランスやノンバイナリがスポーツに参加することが精神面の治療になるというなら、彼らだけの特別な競技を作るか、身体の性に適した方の競技に参加すればよいことであり、女子競技を犠牲にする理由にはならない。

本当にTRAは身勝手だ。自分達の気持ちが傷つかないということが最優先で、それによって機会を奪われる女子たちのことなど全く眼中にないのだ。

ビッキー・ハーツラ―議員は私とは州が違うので投票は出来ないが、是非とも頑張って上院議員になって、トランスジェンダーの狂気からアメリカを救ってほしい。


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日本もすでにここまで来た?女装男の女子トイレ侵入で犯人がトランスかどうかで悩む警察、トランスへの誤解が広まると心配する活動家たち

本日ヤフーニュースでこんな記事を見つけた。【取材記者ノート】取り調べで「性自認は女性」と供述 女性トイレや女湯に女装して侵入した疑いで書類送検 トランスジェンダーへの誤解や偏見に繋がる恐れ

ちょっと前に大阪府の女子トイレで逮捕された女装男性と、同じく大阪のスーパー銭湯の女湯に使っていた女装男の事件を取り扱った記事なのだが、非常に気になったことがあった。それは女装して女子施設を使って逮捕されたこの男たちが、本当にトランスジェンダーだったのかどうか警察が取り扱いに戸惑ったと言う点である。

先ず女子トイレに週末ごとに入っていた40代の女装男に関して、

 利用客は警察に対し、「子どもの頃から性の不一致を自覚していて、成人してから人知れず女装をするようになった。いけないこととわかっていたが、女性として女性トイレを使いたかった」と供述。自分が心と体の性が一致しないトランスジェンダーであることを説明しました。しかし、医師の診断書はなく、性別適合手術も受けていませんでした。職場では男性として働いていて、休日に女装し、女性トイレを利用していたということです。

私が不思議なのは、本人が自分をトランスジェンダーだと主張していたら、そしてそれを証明する診断書が存在していたら警察はいったいどうするつもりだったのかということだ。普通に男が女装して女子施設に入ったら建造物侵入の罪に問われるのに、性同一性障害の男なら罪には問われないのか?日本にはそんな法律はないはずだ。

次にスーパー銭湯の女湯に入っていた女装男について、

府警によると、通報されたのは40代の利用客で、戸籍上は男性。かつらをかぶって化粧をするなど女装をし、下半身には透明のフィルムを貼り付けて入浴していました。女性客からフロントに「男っぽい人が女湯にいる」と苦情があったそうです。  

40代の利用客は任意の調べに対し、「性別は男だが心は女。以前から女性として女湯に入りたいと思っていた」と、自分がトランスジェンダーであることを主張していました。  ところが途中から、「私はLGBTではない。女装をしている自分に興奮する。女湯に入り女装の完成度を確認したかった」などと供述を変えたため、トランスジェンダーを装っていた男性であることがわかりました。「性的指向も女性で、男性には興味がない」とも話しているということです。(略)

こうして女湯の事件は決着が着きましたが、捜査関係者は女性トイレの事件について、「本当にトランスジェンダーかどうかは最後までわからなかった」と語りました。

ここでも問題なのは、警察はこの男性が本当にトランスジェンダーだと「わかった」ら、どうするつもりだったのかということだ。繰り返すが日本では自分がトランスだと自称する人間が女湯に入ってもいいという法律はない。日本はカリフォルニアではないのだ。

私が非常に心配しているのは、女装痴漢男が自分はトランスジェンダーだと言っていることに関して、警察が少なからず困惑しているという事実である。昔なら、本人がどう言おうと男が女装して女子施設に入るなど駄目に決まっている、そんなことは言い訳にならないと一笑に付していたはずである。それが警察官がトランスジェンダーを名乗る人間に特別配慮をしなければならないと考えていることがすでに恐ろしいのだ。トランス活動の悪影響がすでに日本の警察にも及んでいる証拠である。

そしてこの記事の主旨は女装変態痴漢男たちによって迷惑を被っている女性たちや施設経営者の立場にたったものではなく、トランスジェンダー活動達への悪影響に配慮したものなのである。

性別に悩む3000人近いトランスジェンダーが受診している岡山大学病院ジェンダークリニックの医師・中塚幹也さんは「女装した痴漢と、女性として生きたいというトランスジェンダーは、見た目で区別がつきにくかったとしても、決して同じではない」と強調します。

 「トランスジェンダー女性は、痴漢に遭遇したら思わず悲鳴をあげるような人が大半です。そんな人たちが痴漢として女湯に入ろうとすることはありません。女装した痴漢は昔からいます。女装した痴漢とトランスジェンダー女性を同一視するのは間違っています」  

女湯の事件については、 「痴漢目的ではなかった可能性はあるものの、心は女性という言葉に騙されずに犯罪を取り締まることができてよかった」と、警察の捜査を評価しました。

先日もご紹介したが、ジェンダークリニックでは一回20分程度の問診を三回繰り返しただけで性同一性障害の診断書を簡単にもらうことが出来る。見た目で区別がつかなくても中身は違うなどと言われても、こんなに簡単に診断書をもらえるなら痴漢目的で診断書を取得した変態男がその診断書を常時携帯して痴漢行為を行うことは十分に予測できる。

ジェンダークリニックの精神科医も女装痴漢とトランスジェンダーの区別などつかないし、実際に区別しようなどという努力さえしていない。彼らは単にトランス治療を始めてもらえれば相談者が本当にトランスかどうかなどどうでもいいのである。

こういう事件が起きる度に、トランス活動家達はどうやってこのような犯罪を防ぐかという話をするでもなく、トランスに成りすます痴漢男たちを批判するでもなく、自分達への誤解や差別が増加することへの懸念しか見せない。

この記事でもすでに手術もして戸籍も変え、見かけは完全に女性に見えるトランスジェンダーにインタビューをして、普通のトランスは男性に見える間は女子施設を使おうなどとはしない、という話しを繰り返している。

だが実際に女子施設を利用している女装男たちが本物のトランスジェンダーではないという判断は誰がするのだ?どれだけ努力しても、どうみても女性には見えないトランスジェンダーも存在する、いやそういう人の方が圧倒的に多いのに、綺麗なニューハーフみたいなトランスしか女性施設を使ってはいけないというなら、それこそルッキズムじゃないのか?ブス差別ではないのか?

問題なのは女子専用施設を使った女装男たちが実際にトランスジェンダーだったかどうかではない。彼らが心の中でどう思っているかなど、どうでもいいことなのである。どう見ても男に見える男性体の人間が女子施設を利用すること自体が違法なのであり、それは今後も全く変えるべきではない。

自称トランスジェンダーによる女子空間侵略を防ぐためには施設経営者が厳しい規則を作ればいいという活動家も居るが、実際そんなことが可能ではなくなるのが性自認法である。ロサンゼルスのWiSpaというスーパー銭湯で起きた事件を忘れたのか?

先ず我々は「トランス女性は女性です」という概念を徹底的に拒絶するところから始めなければならない。なぜならトランス女性が本当に女性であるなら、男性器が付いていようがどうしようが他の女性と同じように扱われないのは差別ということになるからだ。

このような記事を書く記者は、これをトランスジェンダーの問題だとしてとらえるのではなく、女性や女児に多大なる悪影響を及ぼす防犯に関する問題なのだとしてとらえるべきだ。この記事に関して被害者の女性達や施設経営者へのインタビューが全くないことも、この記者の偏向がうかがわれるというものだ。


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