今朝見つけたこの記事を読んでて本当に腹が立った。The Effect Of Transgender Athlete Bans On Youth Sports(トランスジェンダー選手排除の若い選手への影響)
自称女子の男子選手たちによって女子競技が破壊されつつある今、テネシー、インディアナ、サウスダコタなどを含む多くの州で男子学生の女子競技参加を禁止する法律が通った。この記事ではこれらの法律が若いトランスアスリートにどのような影響を与えるかという内容。
トランス選手による女子競技参加を規制する動きは、アメリカ内部だけでなく国際的競技の場でも出始めている。先日もイギリスのトライアスロン競技で女子枠と男子及びその他枠とに分ける方針が発表されたが、国際水泳協会も思春期後にトランスした選手の女子競技参加を禁止するなど、トランス活動家と様々なスポーツ競技運営側との対決が起き始めている。
国際オリンピック協会は、各種目ごとにトランスジェンダー方針を考慮するように指示しているが、この記事によればトランス選手を許容するより排除する傾向に向かいつつあるという。
元来アスリートというのは勝負に勝つことを目指すものではないのか?なのにせっかく男として生まれたという優位性を生かさず、わざわざ女性ホルモンなどという体に害を与えるものを摂取して、自らの運動能力を下げるなどというのはおかしくないか?そこまでして女子競技に参加しなければならない理由は何なのだ?
私から言わせてもらうなら、男子に生まれアスリートを目指す人は、たとえ性違和があってもトランスすべきではない。トップアスリートで居られる時間はそれほど長くない。ブルース・ジェナ―がアスリートを引退して何十年も経ってトランスしたように、トランスは引退後まで待つべきだ。そしてジェナ―が今でもアマチュアゴルフの女子競技には参加しないように、トランス選手の女子競技参加は引退後も控えてもらいたい。
ホルモンセラピーによって男子の運動能力が多少落ちるというのは本当かもしれないが、調査によってはトップレベルのアスリートになると、訓練次第でその程度の減少は、いくらも挽回できるという。
例えばイギリスの自転車競技選手のエミリー・ブリジスはホルモンセラピーを受けながら男子競技に参加し続け、大学生男子記録を出すまでに至った。そうして大学卒業後にホルモンレベルが規定内に下がると、すぐに女子枠に登録して女子の部で競技するようになった。その第一回目は無論優勝。男子として参加していた、ほんの2~3か月後の出来事である。つまり、彼にとってホルモンセラピーはさしたる影響がなかったということになる。ホルモン治療済みのリア・トーマスが何十秒と言う差をつけて女子水泳競技で圧勝したのは記憶に新しい。
IOCがトランスジェンダー選手の女子競技出場を条件付きで許可したのは2013年のことで、大学レベルの競技でも10年以上前からトランス選手参加を許可していた。にもかかわらずこれまでトランスジェンダー選手の活躍がそれほど目立ったものではなかったことから、ほれみろ、トランスジェンダーが女子競技を制覇するとかあり得ないのだと言い張るTRAが居る。この記事でも、リア・トーマスはひとつの競技では優勝したが他の競技では女子に負けているとし、彼がすべて独占したわけではないと語っている。しかしその場に居た女子選手たちの話では、いくつかのレースでトーマスはわざと遅く泳いでいたという。
しかしこういう議論は不誠実だ。いままでそういう選手が出てこなかったから問題がないでは済まされない。今後出て来た時の対策を今のうちに取っておかなければ、女子競技は破壊されてしまう。エリートレベルの男子が一人でも女子競技に参加すれば、女子競技は混乱する。それが10人居たらどうなる?
TRAの卑怯な理屈は、トランスジェンダーなんて人口の1%にも満たない。そのなかでエリート級のアスリートなんて片手で数えるほども居ないだろう。だから彼らが女子競技を制覇するなんて心配は要らないというもの。
しかし考えてもみてほしい。オリンピックでは、1980年代に東圏の国々で国が組織的に男性ホルモンを女子に打たせてメダルをかっさらったという歴史がある。女子選手たちの健康に多大なる害を与えることなど全くおかまいなしの独裁国家が、今度は男子選手に女性ホルモンを打たせて本人の健康などお構いなしに組織的にオリンピックに出場させるなど容易に想像できることだ。本人が本当にトランスジェンダーかどうかなど問題ではない。
またテニスのマティーナ・ナブラチロワも言っていたように、数年間トランスを名乗って女子競技でさんざん賞金をかっさらって、引退後男に戻るなどというけしからん奴が出てくるのも時間の問題だ。すでにスケートボードなど、13歳の少女たちに交じって妻子ある27歳の性違和もない男性が賞金をかっさらった例があるのだ。
この記事では、性違和に悩む少年たちの多くが自殺願望があり、スポーツをすることで精神の健康を取り戻すことがよくあると書かれている。だから「彼女」たちをスポーツに参加させることは非常に大事なことなのだと。心の悩みを持つ青少年がスポーツを通じて健康を取り戻すのは大いに奨励されるべきだ。しかし彼らの問題は異性であるという妄想にある。その妄想からの脱出を図るなら、異性スポーツに参加させて、女生徒たちからの反感を買うのは逆効果だろう。
スポーツが好きなら、ちゃんと男子枠に参加すればいい。そうやって自分の身体にあった方の競技に参加することで、性違和の狂気から解き放たれるかもしれない。女子枠への参加はかえって彼らの妄想を助長するだけでとても治療に役立つとは思えない。
それに私が頭に来るのは、TRAですら認めているように、人口の1%にも満たないトランスジェンダーのそのごく一部のアスリートの精神健康のために、人口の50%を占める女性達のスポーツを破壊してもよいという理屈だ。自称女の男子を女子競技に参加させることで、女子たちが受ける精神的肉体的打撃にかんする考慮が全くされていないということだ。
性同一性障害は今に始まった精神病ではない。しかしこれまで何十年も男女で別れていたスポーツで、女子枠に参加できないのを苦に自殺した少年の話など聞いたことがない。そんなことが問題になったこともない。
スポーツ好きな若者はスポーツをどんどんやればいい。才能が及ばずトップレベルでの参加が出来ないとしても、それはトランスジェンダー選手だけでなく、多くのアスリートが直面する挑戦だ。誰もがトップになれるわけではない。いやほとんどの人がトップにはなれない。それでもみんな自分にあったレベルでスポーツを楽しんでいる。トランスジェンダー選手たちも、そうやって自分に合ったカテゴリーとレベルでスポーツを楽しめばいいのである。