消費者を無視するESGファシズム、企業がターゲットボイコットから学ぶべきこと

バドライトへのボイコットにより親会社のアナハイザーブッシュは大打撃を受けている。このままではバドライトはもうライトビールブランドとして生き延びることは出来ないのではないかと思われるほど深刻な状況になっている。

実は私にはずっと解らないことがあった。なぜバドライトのような庶民的なビールメーカーがほとんどの消費者が全く好まないであろうお目覚め主義(WOKE)の宣伝をしたのかということだ。今回はバドライトがやり玉に挙がったが、お目覚め主義に迎合しているのはなにもバドライトに限ったことではない。同業者のミラーライトにせよ、今子供向けトランスジェンダー衣服の販売で炎上しているターゲットにせよ、プライドキャンプのスポンサーになってドラアグクィーンをコマーシャルに出してるノースフェイスにせよ大企業がこぞって消費者の意図を無視してお目覚め主義を積極的に取り入れている。商売に政治色を混ぜるのは良くないというのはマーケティングの基本のはずだ。世論が大きく二つに分かれていることのどちらかの肩を持てば、後の半分を敵にまわしてしまうことになる。最初から客の半分を敵に回すような商法は愚かとしか言いようがない。にもかかわらず、どうしてこうした企業はこのようなことをやっているのだろうか?

市場を支配するESG基準とはなにか

実はそれにはESG指標というものが裏にあるのだ。アナリストの*ダン・サンチェズ氏の記事を参考に読んでみよう。

*ダン・サンチェスは、エッセイスト、編集者、教育者。主なテーマは、自由、経済、教育哲学。経済教育財団(FEE)のコンテンツ担当ディレクター、FEE.orgの編集長を務める。FEEでハズリット・プロジェクトを立ち上げ、ミーゼス研究所でミーゼス・アカデミーを立ち上げ、Praxisでライティングを教える

昨今ステークホールダーキャピタリズム(StakeholderCapitalism 利害関係者資本主義)と呼ばれるものが勢いを増している。これは資本主義の新しい形として世界中で奨励されているが、いったいそれは資本主義をどのように「改良」するものなのか。

SC推進者によれば、これは株主中心資本主義(shareholder capitalism)に対抗するもので、企業の短期的な利益だけに焦点を当てるのではなく、株主以外の利害関係者である消費者や供給者や従業員や地方自治体や社会の利益になるように企業方針を進めていくものだというもの。SCはつまり企業経営者たちに利益だけでなくより維持のできる(sustainableサステイナブル)決断を促すというもので、長い目でみて企業の利益にもつながるという理屈だ。

そこで出て来たのがESGである。ESG指標とはなにか。それはenvironmental, social, and corporate governanceの略である。直訳するならば「環境と社会及び企業統治」とでもいったところだろうか。

この名前は最初に2004年の国連リポート「Who Cares Wins」という国連が招いたエリート金融機関の共同取り組みの中で使われたもので、このリポートは「資産運用、証券仲介サービス、関連する調査機能において、環境、社会、企業統治問題をよりよく統合する方法についてのガイドラインと勧告を作成する」ものだった。この取り組みの建前は2000年に国連長官だったコフィ・アナン氏のゴールであった「ビジネスにおける普遍的な原則」を実践するという目的で始められた。

しかし時と共に、ただの「ガイドラインや推薦」だったはずのESGは世界経済の大部分を支配する明示的な基準と化してしまったのである。

そしてこの基準は「the Sustainability Accounting Standards Board (SASB)、維持能力会計基準審議会」といった機関によって厳しく取り締まわれており、その施行はESG基金を管理する投資会社によって行われている。その投資会社で最も力があるとされているのが誰あろうブラックロック(Blackrock)である。ブラックロックの取締役ラリー・フィンク氏はESGとSASBの率先者である。

今やESG基金は世界中の基金資産の10%を占めると言われており、今年の春、ブルームバーグは、ESGについて、「推定では、40兆ドル以上の資産に相当する。モーニングスターによると、本物のESGファンドは第4四半期末時点で約2.7兆円の運用資産を保有していた」とある。

そのような資本を利用するためには、もはやビジネスが良い投資収益を提供するだけでは不十分であり、ESG基準を満たす「環境」「社会」指標を報告する必要がある。

だが元々国連という社会主義の中で生まれたこの基準が純粋な資本主義にとって良いことであるはずはない。表向きは株主らによる利潤至上主義を改革するものということになっているが、資本主義というのは市場が企業の方針を決めるものであり、上から何かの委員会によってコントロールできるものではない。市場ではなく権力者が(この場合SASB)企業の経営方針をコントロールするやり方には名前がある。それはファシズムだ。

市場とはなにかといえば、要するに消費者だ。市場は消費者が何を買うか買わないかによって決まる。企業はその消費者の意向を元に経営方針を決めていく。それがレゼーフェアキャピタリズム(laissez faire capitalism)だ。レゼーフェアの最大のステークホールダーは株主ではなく消費者なのだ。

ESG推進者は環境や社会を考慮にいれた企業方針は長い目でみて消費者にとっても良い社会をつくることになると主張してきた。これが自由市場であるならば、ESGは市場によって浮き沈みは判断されるはずだ。しかし問題は市場は全く自由ではないということ。国連のお偉方が決めたこの基準は各国の政権によって自分らの私服を肥やすためにESG基準を色々と操作して市場をコントロールされているのだ。

国家が市場を不正に操作する主要な方法の1つは、中央銀行の政策である。

近年、連邦準備制度理事会(FRB)をはじめとする中央銀行が金融機関に注入した膨大な量の新生金は、一般市民から金融機関へ膨大な量の真の富を移転させた。その結果、金融機関である大手銀行や投資会社は、国家への帰属意識が高まり、消費者への帰属意識は低下している。

つまり、金融機関以外の企業も、FRBの資金供給源、つまり資本を利用したいのであれば、ESGプログラムに参加しなければならない。特に、悲惨な経済政策によって一般消費者がますます貧しくなるにつれ、企業が消費者を喜ばせることで市場利益を得るインセンティブは、国の「社会的」基準を満たすことでFRBの戦利品の流れに乗るというインセンティブに次第に取って代わられつつある。

資本の流れをますますコントロールすることで、国家は経済全体に対する支配力をますます強めている。

企業はESG指標が下がると、いや下げるぞSASBから脅しをかけられるだけで、その株価が暴落してしまうという危険性がある。こうして考えると、企業が消費者の意向を無視してお上の決めたESG基準に躍起になって従おうとするのかがわかるというものだ。

ESGと市場の間に挟まる企業

しかし今回のバドライトボイコットでも解るように、消費者の怒りは恐ろしい。企業はいつまでもESG基準に従って消費者を無視し続けていていいのだろうか。今日ワシントンイグザミナーでジョン・観るティモアが興味深いことを書いている。The ESG empire strikes back following Bud Light embarrassment By Jon Miltimore

ミルティモア―曰く、今回のバドライト崩壊は単なるアナハイザーブッシュ社だけの問題ではなく、ESG基準そのものの危機でもあることに多くに人々がまだ気づいていない。

ESGが今まで猛威を振るって来れたのは、ESGに従わないことで起きる損害に比べ、従うことにかかる経費の方が少なくて済むという前提で成り立っていた。なんのことはない、やくざのみかじめ料と同じ理屈だ。しかしバドライトの大炎上でその見解が変わりつつある。

危機を察したESG帝国は反撃に出ていると著者は言う。先日の金曜日、ヒューマンライツキャンペイン(HRC)はアナハイザーブッシュに対して同社のエクイティー指標を停止すると警告した。これは企業のLGBTQ従業員への待遇を示す指標である。

「アナハイザー・ブッシュは、多様性、公平性、包括性という自社の価値観の重要性を示す重要な場面であったにもかかわらず、その対応は実に不十分だった」とHRCのシニアディレクターであるエリック・ブロームは述べている。

つまり、アナハイザーブッシュは消費者のボイコットにあった時に、すぐに伝統的な愛国心をそそるコマーシャルを作ったりして、充分にトランスジェンダーのディラン・モルベイニーを弁護しなかったとして同社を罰するというわけだ。消費者とESGの間に立たされてアナハイザーブッシュには気の毒な気もしなくはない。

しかし最早この状況はアナハイザーブッシュ一社の問題では収まらない。ミラーライトや、ノースフェイスや、ターゲットがすでに大炎上していることからみて、今後も消費者による押し戻しが強くなると思われる。

これまで一般市民はLGBT活動などポリコレ運動に抵抗するのは個人的にも危険な行為だと思わされてきた。やたらなことを言えば仕事を首になったり社会的にも疎外されると恐れていた。そしてポリコレはおかしいと思いながらも、そう思っているのは自分だけなのではないかという気持ちもあった。しかし今回のボイコットのおかげで多くの人びとが、このお目覚め主義に嫌気がさしているのは自分だけではないと悟ったのである。

インスタグラムではバドライトやターゲットをおちょくる動画がどんどん上がり、何百万という再生数を挙げている。一般消費者はやっと自分らの声を発見したと言えるだろう。

となってくるとESGはこのまま生存できるのだろうか。それは我々消費者がどれだけ信念を持ってお目覚め主義と戦えるかにかかっている。


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なぜ企業は客を無視してポリコレに従うのか、元アナハイザーブッシュの幹部が語る

先日消費者を無視するESGファシズム、企業がターゲットボイコットから学ぶべきこと – Scarecrow in the Strawberry Field (biglizards.net)でもお話したが大企業の多くが国連の人権委員会Human Rights Commission HRC)が定めたESG指標に従ってポリコレ方針を打ち出しているというお話をしたが、今日はもうすこしそれについて掘り下げてお話をしたい。

先日フォックスニュースのジェシー・ウォーターズ・プライムという番組にもとアナハイザーブッシュの重役だったアンソン・フレリックス氏がゲスト出演し、どのようにしてアナハイザーブッシュのような大企業が顧客を無視するようなポリコレ方針を取るのかについて説明した。

前回も話したブラックロック社、バンガード社、そしてステート・ストリート社は合計で約20兆ドルの資本を管理している。そしてこのお金はアメリカ人の投資信託や州の年金基金の投資である。

この三つの投資会社がほとんどのアメリカ人の年金基金をどこに投資するかを決断する権限があるわけだが、彼等は地元政治家とも深い関係にあり、地元政治家の意向によってどこの会社に投資するかを決める。たとえば、カリフォルニア州知事は化石燃料や石油やガスへの投資ではなく、環境に良いとされる企業への投資を促したりする。ニューヨーク州のビル・でブラジオ市長も同じような圧力をかけた。

それにこの三社は政治家に言われるまでもなく、企業に投資するにあたりESG指標といって多様性や公平性や包括性への姿勢を重要視する。だから企業の方もなるべくこのESG指標で高得点を取るために積極的にポリコレに迎合するのである。

フレリックス氏は、セントルイスのビールメーカーを辞めたのは、政治に関与する際に世論に逆らうという点で、アメリカの企業の多くが行動していたことが理由のひとつであると語った。

コカ・コーラ社やデルタ航空の本拠地であるアトランタでは、ジョージア州議会が選挙管理法を可決したことで激怒したという。

当時、アトランタに住んでいたフレリックス氏は、これらの企業の立法過程への対応を目の当たりにし、また、メジャーリーグがオールスターゲームをより進歩的なコロラド州に移すという罰を与えたことも紹介しました。

「ジョージア州の市民は、選挙管理に関する法律を制定するために、代表者に投票したのです。投票するにはIDが必要で、そのIDがあれば投票できる–これはかなり論理的な法律だと思いました。私は、ジョージア州にそれがないことにちょっと驚きました」と、彼は言いました。

しかし、私が驚いたのは、事後になってブラックロックが現れ、「我々はこの法律に反対だ」と言ったことです。そして、コカ・コーラやデルタ航空、さらにはメジャーリーグでさえも、この件でオールスターゲームを中止したのです。

ジョージア州の法律に反対したブラックロックが企業の資金力を使ってジョージア州内政に関与したというわけだ。

そして今ESG指標が一番力を入れているのがLGBTQ+α政策である。何故バドライトのような庶民的男性たちのビールを売ってる会社がディラン・モルベイニーのような自称トランスジェンダーのスポンサーになったりするのか、これで謎が解けたというものだ。

消費者が企業に求める姿勢とESG方針が同じか、せめて中立なものであれば問題はないが、今回のバドライトやターゲットのように真逆であった場合、企業は消費者を選ぶのかESGを選ぶのか、その板挟みになってしまう。それでもこれまでは消費者は特に企業のポリコレ方針にさほど興味を持っていなかった。企業がLGBTやBLMに寄付をしたからといって一般市民の生活に何か影響があるというわけではない。客たちは企業のポリコレ方針に多少の苛立ちを感じていたとはいえボイコットをするひど腹を立てていたわけでもない。

では今回は何が違うのか?

これはバドライトへの抗議というより、色々なことの積み重ねの結果だと思う。

昨今のディズニーの映画でこれでもかと出てくるLGBTキャラクター。オンラインゲームでは美人キャラがどんどんブスになり、そのうえファンが慣れ親しんできたキャラクターが突然筋に無関係なカムアウトをしたり、テレビやネットのコマーシャルでは白人美男美女やお父さんお母さん子供という家族が消え、ブスでデブの黒人レズカップルや男か女かわからないともかく醜いトランスジェンダーモデルが出てくる。トランスジェンダー可視化の日だ、トランスジェンダー追悼の日だ、ノンバイナリーだと、もう右を向いても左を向いてもLGBT、LGBT!いい加減にしろ!と人々はうんざりしていた。

そしてさらに、学校教育の場でもLGBTの押し付け教育がされていることがどんどん暴露され、家族向けといわれるドラアグクィーンショーだの、子供の性転換手術だのということが人々の知ることとなった。そして現れたのが「女の子○○日目」のディラン・モルベイニーである。

彼はティックトックで子供たちには大人気になったが、彼の存在で人々のLGBTQ+αへの我慢はほぼ限界に達していた。

そんな時にバドライトがディラン・モルベイニーを宣伝に使ったことで、人々の怒りは爆発したのだ。

パーフェクトストームだった。

バドライトへのボイコットは終わりそうにない。多くの批評家がもうバドライトのブランドは完全に破壊されてしまったのではないかという。ターゲットもこの痛手から立ち直れるかどうかわからない。昨日も書いたように、多くの企業はプライド関係の目立った活動には消極的になっている。

アメリカ企業がESGを諦める日が来たとは思えないが、この行き過ぎなLGBTQ+α運動は間違いなく潮目が変わっている。


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マット・ウォルシの「女とは何ぞや?」ドキュメンタリー一周年記念日ツイッター無料公開が検閲対象になり大混乱

ちょうど一年前、デイリーワイヤー制作のマット・ウォルシ主演ドキュメンタリー映画「What is a woman?(女とは何ぞや公開された。その時の話は拙ブログでもした通り。(マット・ウォルシの「女性とはなんぞや」ドキュメンタリー、プレミアライブ配信が左翼のサイバー攻撃で大混乱 – Scarecrow in the Strawberry Field (biglizards.net)昨日6月1日、デイリーワイヤーはツイッターでこの一周年を記念して24時間だけこの映画を無料で配信すると発表した。デイリーワイヤーの共同取締役のジェラミー・ボアリングによれば、これはツイッター社との協賛でツイッターでも特別公開サイトを作って宣伝もしてくれるという契約だったそうだ。ところが公開当日になってツイッター社は突然この契約を破棄、しかもデイリーワイヤーのツイッターで配信した場合は検閲をかけタイムラインに登ることもリツイートすることも阻止すると警告されたそうだ。なぜかというと、映画内で二回、トランスジェンダーをミスジェンダリングするシーンがあったからだという。

昨晩カリフォルニア時間の5時から映画配信が始まるということで、ツイッター上で4時半からデイリーワイヤーのスペースが始まり、その中でジェラミーが配信が始まったらすぐにリツイートして欲しいと呼びかけた。それで私はスペースが終り映画配信が始まった瞬間にリツイートをした。しかしその直後、ウォルシのツイートでリツートもいいね機能も不能になっていると書かれていた。この間たったの30秒である。明らかにツイッター側がデイリーワイヤーを監視していて、配信が始まった途端に操作したのである。

イーロン・マスクがツイッターを買い取った時、マスク自身がバビロンビーというパロディーアカウントがミスジェンダーをしたという理由で凍結されたことに腹を立てたからだと言われている。マスクはツイッター上の言論の自由を約束していた。それで今回の検閲はそのマスクの方針に逆らうものではないのかとデイリーワイヤーはツイッターでマスクに呼び掛けた。問題なのはマスクはすでに取締役の座を降りて別の女性がCEOになっている。マスク自身はテスラ経営に忙しく今は中国に出張中である。

マスクはすでにツイッターの経営には携わっていない。それでデイリーワイヤ―との契約についてもおおまかなことしか聞いていなかったことだろう。それで自分のツイッターをみたらこんな呼びかけがあったので一体何が起きたのかかなり混乱した印象だ。それで「いや、これは何かの間違いだ」というツイートはしたが、じゃあどうなるのかという質問にはなかなか答えなかった。そりゃそうだろう。マスクはテスラという本業の仕事で大事な会議中。他人に任せたツイッターについて色々質問されたからといってすぐに答えられるはずはない。

結局裏で色々あったようで、突然ツイッターのTrust and Safety(信頼と安全)チームの責任者が辞任したというニュースが入り、今朝になってマスク自身が映画を宣伝するツイートをし、RTやいいね規制は解除され、この混乱劇は幕を閉じた。

今回は言論の自由が一本取って勝利したが、今後もこういうことは起きるだろう。なぜならツイッター社のなかにもWOKE(お目覚め主義)の社員はいくらもいるだろうし、左翼の作戦として敵陣に紛れ込んで中から乗っ取るのはいつものことだからだ。そしてツイッター社としても難しい立場に立たされている。何故ならツイッター社はマスクがCEOになった途端にスポンサーの50%を失った。普通に考えて、ツイッターをより多くの人が使ってくれたほうがスポンサーの企業にとっても良いはずなのだが、そこはESGに牛耳られているためなかなかそうもいかない。

ツイッター社も慈善事業ではない。保守派の言論を許すことでどんどんスポンサーが減ってしまったら元も子もない。スポンサーを取り戻すために言論の自由を規制するのか、それとも言論の自由を尊ぶスポンサーを新しく獲得するのか、ツイッター社としてもつらいところである。


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ポリコレに気を使いすぎて訳の分からなくなったリトルマーメイド実写版とオンラインゲームの行き過ぎたポリコレ

ポリコレに気を使いすぎて訳の分からなくなったリトルマーメイド

戦没者追悼の日の三日連休で公開されたリトルマーメイドの実写版リメイクだが、公開前からアリエルが赤毛の白人少女から黒人になったということなどで色々話題になっていた作品だ。公開されてみると売り上げはあまり芳しくないらしい。国内ではまあまあらしいが海外の売れ行きはかなりひどく、製作費や宣伝費を考えると完全なる赤字で終わりそうだ。

まあそんなことは私はあまり興味がないのだが、作品を観た人たちの感想動画をいくつか観たところ、主役が黒人に変わったということよりも、全体的に一貫性がなく面白くないというのがよく聞く感想である。

私が聞いた批判をいくつか箇条書きにしてると、、

  • アリエルの両親は二人とも白人(魚?)なのにアリエルを含め7人の姉妹たちが全員違う人種なのはどういうわけだ?
  • アリエルの父親役のハビアー・バーダムのやる気のない演技にしらける
  • エリック(王子様)は白人なのにお母さんは黒人なのは変(養子という無理やりのこじつけも説得力がない)
  • 登場人物全員が全く違う方言(アクセント)で話すのは何故なんだ!
  • 画像が暗すぎる
  • CGが安っぽすぎる
  • フラウンダー、セバスチャン、スカトルのCG描写がしょぼすぎる
  • アクアフィナが演じるスカトルの歌が曲も歌声も酷すぎて死にたくなった
  • 原作アニメは一時間半未満だったのに実写版は二時間半で長すぎ
  • 王子様がアリエルに二回も救われる。軟弱でまるで存在感がない

とまあこんな具合だ。もしリトルマーメイドを観たことがない人がこうした批評だけを聞いたら、この映画が人魚姫を描いたミュージカルなのだということを知ることができるだろうか?はっきり言って、こういうどうでもいいことばかりが気になるということは、映画の内容そのものがつまらない証拠だろう。ポリコレばかり気にしすぎて、映画の内容に力を入れないからこういうことになるのだ。

リトルマーメイドは1989年にアニメ版が公開されて以来、ブロードウエイを始め高校や中学の演劇部などによっても何万回と舞台ミュージカルとして再現されている。どうせリメイクをするのであればすべてのキャラクターを人間にやらせるくらいの想像力が欲しかった。この映画を見るくらいなら、近所の高校生が文化祭でやった舞台を観た方がずっとましだ。(高校生の舞台を観たことがあるが、結構よかった)

オンラインゲームの行き過ぎたポリコレ

私はオンラインゲームは全くやらないので内容については無知なのだが、昨今ゲームの世界でも欧米のポリコレが入り込んでおり、内容が不自然に歪められているという。特にゲーマーの間では悪名のたかいフェミニスト、Briana WuとAnitaSarkeesianらによって、プレイヤーの殆どが男性というゲーマーの世界は散々な目にあっている。(BrianaWuについては拙ブログでも過去に書いたことがある。自分の政治運動のために無実の男性を告発する悪質なミーツー運動、ゲーマーの場合 – Scarecrow in the Strawberry Field (biglizards.net)

こちらのキャベツさんのユーチューブチャンネルでキャベツさんは何度もこのポリコレの悪影響について語っている。動画はそれぞれ結構長いので興味のあるかたはそちらをご覧になることをお薦めするが、この過激フェミニスト達のおかげでゲームがどのように改悪されているかというと、、

  • 美女のキャラクターがブスに変わる。何故かフェミニストは美女でグラマーな女性が嫌いなようで、あまりにも美しい主人公は少女たちに非現実的な理想を生むからとかなんとかいう理屈で、可愛かったキャラがだんだんブスになっていく。
  • 露出の多い衣装がなくなる。圧倒的に男子プレイヤーが多いゲームなのだから綺麗な女性が露出の多い服を着るのは当然のはず。
  • 筋に無関係なところで突然ヘテロだったキャラがLGBTに変貌する。文脈に関係ないところで女同士のキスシーンがあったりしてプレイヤーたちは困惑。
  • 不自然に黒人キャラが登場する、白人キャラが突然黒人に変貌したり、北欧を舞台にしたゲームの日本人制作者が登場人物に黒人が少ないと批判されたりしている。

キャベツさんは、アニータ・サキ―ジアンについての動画もあげているので興味あるかたはそちらをご覧になるのも良いだろう。

私はこれらの動画をみていて思ったのだが、時々ツイッターで私が萌え漫画のポスターなどについて批判的なツイートをすると敵意丸出しの男性オタクらに絡まれることがあるが、彼等は多分日頃から過激フェミニストによって自分らの好きなアニメやゲームを散々叩かれていることから、フェミニストに対して非常なる敵意を持っているからなのだろう。確かに彼女たちの行動を見ていると、オタク男子たちが怒るのも理解できる。

この美人がブスになるとか、白人キャラが黒人に変わるとか、やたらとLGBTが出てくるというのはテレビドラマの中でもしょっちゅうあることで、私が好きなスタートレックシリーズのディスカバリーなどはもう観ていられないほどのポリコレになっていた。主人公含め登場人物の半分以上が黒人。やたらと女性キャラが多いにもかかわらず、みんなブスかデブかその両方。オリジナルシリーズのようなミニスカートや新世代のぴちぴちスーツの美女は出て来ない。しかも前シーズンの最終回では本物の超左翼リベラル黒人女性政治家本人が登場するという、もういい加減にしろと思ってしまった。私は今シーズンはもう全く観る気ない。

ところでキャベツさんはまだ気づいていないが、こうしたポリコレの裏に居るのは単なる口うるさいフェミニストたちだけではない。フェミだけではこんなにゲーム業界全体の作品を変えてしまうような力はない。これは私が先日ご紹介したESG指標が関連している。つまり黒幕はフェミニストではなくブラックロックのような大企業なのだ。

ESGが幅を利かせている以上、今後もポリコレ迎合映画やゲームがどんどん作られていくことだろう。それに対抗するためには、消費者が抗議の声をあげ作品をボイコットしていく以外に方法はない。


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オサマビンラデンを何度も取り逃がしたクリントン前大統領

911の記念日が近付き、アメリカのテレビ局ではいくつか特別番組が予定されているが、ABC局作成のThe Path To 9/11(911への道)という番組が保守派とリベラル派との間で結構話題を読んでいるようだ。(保守思想のマイクさん紹介)
特にこの番組のなかで、アメリカのCIAがビンラデンの隠れがを囲んでいながら、クリントン大統領から突撃命令が出なかったため、せっかくのビンラデン逮捕作戦がおシャンになってしまった話や、CIAが911事件の犯人の名前を事前に知っていながらFBIと情報交換をしていなかったことからテロが防げなかったことなど、クリントン大統領のテロ対策への優柔不断ぶりが描写されているという。まずは保守派Frongpagemagより。

まず最初にいわせてもらいたいのは、「911への道」は私がこれまでみたテレビ番組のなかで、最高のひとつであり、もっともインテリで、もっとも親アメリカのミニシリーズだ。保守派はこの番組を支持しできる限り積極的に宣伝すべきだ。

この番組ではハリウッド製作では初めて正直にクリントン政権がどれだけビンラデンの捕獲を何度もしくじったかが描かれている。特にある場面ではCIAと北同盟のがアフガニスタンのビンラデンの家を囲んでいる。ビンラデン捕獲まであと一歩というところまできていた。だが、攻撃にはクリントン大統領からの最終命令が必要だった。彼等はクリントンに電話をしたが、クリントンのシニアスタッフはもしも作戦が失敗して一般市民の犠牲がでて政治的に不評を得るのを恐れ、ビンラデン捕獲を許可しなかった。 国家防衛アドバイザーのサンディー·バーガー はチームがビンラデンを捕まえたければ許可なくして独自にやれと告げた。そうすれば何かあってもチームの責任となり、バーガーの責任は問われない。驚いたアフガニスタン現場のCIA工作員はそれが政権の本心なのかと何度も質問した。バーガーは答えを拒否し最後には電話をきってしまった。CIAチームと北同盟はビンラデン捕獲まであと一歩というところで作戦をあきらめなければならなかった。ビンラデンとアルカエダはこの数日後タンザニアとケニアのアメリカ大使館を爆破、女子供を含む225人以上を殺害し、4000人以上にけがをおわせた。
この話はクリントン時代の無責任さと不能さを完璧に物語る例である。

これに関して左翼のブログ、デイリーコスの反応はといえば、、

俺たちはこれが単なる牛の糞(でたらめ)だってことをしってる。だがABCはこのプロパガンダを報道する。そしてこの2週間宣伝に躍起になるに違いない。
企業メディアに立ち向かって不利な活動するってすばらしいじゃないか? 嗚呼…民主主義!
誰が民主主義にとって最高の脅威なのか? テロリストそれともメディア連中?

自分らの主張がメディアに支えられている時はどんなでたらめ報道でもなにも言わないくせに、ちょっとでも自分らと反対意見が取り上げられるとヒステリーをおこすのだからしょうがない。自分らの言論の自由は保証されなければならないが反対派の意見は報道されるべきではないというのか? たいした民主主義だな。
我々保守派がいつも左翼メディアの偏向報道にどれだけ苛立ちを覚えているか、たまには左翼連中も思い知るがいい。
デイリーコスがリンクしているDemocratic Undergroundでウィリアム·ピット氏が(WilliamPitt)クリントン政権がどれだけ積極的にテロ対策をとってきたかということをまとめている。

1995年にはじまってクリントンがテロリズムにたいしてとった行動はアメリカの歴史上前代未聞であった。彼は何億という金額を対テロ行動のため諜報部全体に注ぎ込んだのである…

アメリカ国内では、このことを知った人々は少ない。クリントンの切羽詰まったテロ脅威の警告、クリントンによ秘密でもない大掛かりな作戦によってテロを防いだことなど、全くメディアによって報道されなかった。メディアはしみのついたドレスや、根拠のない麻薬使用のうわさ話で大忙しだったからである。
クリントン政権が実際にビンラデンのテロ組織にたいして軍事行動をしたときも、メディアと議会は「犬を振る」作戦(無関係な話題をつくって本題から目をそらさせようとする行動)といって取り上げなかった.現にあるテレビ局などは映画の “Wag The Dog” (犬を振る)の場面の一部を報道しクリントン政権のすることはすべて偽物であるという印象を強調した。

クリントン時代を生きてきた経験のある私には当時、クリントンがCIA局長との面接を何度も拒否したことや、イラクへの査察団からイラク政府の妨害で査察がうまくいかないという苦情がでているにも関わらずなにもしなかったこと、スダンからビンラデンの身柄引き渡しをオファーされたのに拒絶したこと、たまに全く無意味な空爆をしてらくだの尻をふっ飛ばす程度のことしかしていなかったことなど、さほど遠くない記憶としてちゃんとおぼえている。当時からクリントン政権へのテロへの無関心さ、もしくは不能さは悪名高かったのである。
ピット氏は特にスダンの製薬工場爆破の一件について、化学兵器に使われる薬品が発見されたにも関わらず、メディアをはじめ議会からも意味のないパフォーマンスだと非難されたことを語っている。 だが、ピット氏が無視している大事な点は、クリントンがこのような派手な攻撃をする時は、決まってセクハラ事件の聴講の日であったりとか、何か別のスキャンダルでクリントンの評判が落ちている時と一致していたのである。
クリントンのスキャンダルは共和党やメディアが作り出したものではなく、クリントン自身が作り出したものだ。選挙前に人格は関係ないといっていたクリントン支持者たちだが、彼が後から後から犯した個人的な失態により、彼の政権がまじめにとりあつかってもらえなかったのだとしたら、それは一重に彼の人格失格の結果ではないか。
それにもしピット氏のいうとおり、クリントンがテロ対策に力を入れて大金を注ぎ込んでいたのだとしても、それならなおさらクリントン時代に起きた度重なるアメリカ人へのテロ攻撃は、クリントンの政策がどれほど不能であったかを物語る。ブッシュ大統領の対テロ作戦によって、戦場以外の土地では、911以後アメリカ人へのテロ行為は全く起きていない。
とにかくこの番組は楽しみである。


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