日本とアメリカ、共通する差別問題と落とし穴

先日、私が日本の保守派としてよく参考にさせていただいている極右評論の瀬戸さんらが主体となって維新政党・新風という新しい政治運動が結成された。 
この新政党結成にあたり、瀬戸さんが大事な項目として次のことを挙げておられる。

我々は次の項目を維新政党・新風に要望しました。
 教育の正常化        日教組の解体・道徳教育の復活
 安心・安全な社会      不法滞在外国人の強制送還
                  入管法の強化・雇用者罰則強化
 在日特権の廃止      特別永住資格付与制度の見直し
 人権擁護法案に反対   部落解放同盟の同和利権阻止
 外国人参政権に反対   国籍条項の完全徹底を図る
 「政教一致」問題      公明党の政界からの追放!
 国家反逆罪の制定     極左・総連・カルト宗教の解散
 国防体制の強化      非核三原則の廃止・核保有論議の推進
 偏向マスメディア      マスコミ監視制度の創設・特権の廃止

瀬戸さんが挙げておられる多くのことが、アメリカの社会問題とも非常に通じるところがある。 教育問題しかり、同和問題や不法滞在外国人や、在日朝鮮・韓国人への特別永住権の問題などはアメリカ社会の人種問題や移民問題と酷似しているといっていい。
こういう問題を取り上げ、既存の法律を改正すべきであると唱えると、必ず左翼の方から「人種差別だ!」という脊髄反射的反応で批判されるので、保守派がこれらの問題を扱うときには充分な注意が必要だ。 特に改正案が講じて本当の人種差別になってしまう危険が存在することは事実なので、そのようなことは断固避けねばならない。 しかし、だからといって存在する問題にいつまでも目を瞑っていては事態は悪化するばかりである。
そこで私が気になった人権擁護法案と移民問題の二つの項目に絞って日本とアメリカを比べてみたいと思う。 この際読者の皆様にご理解いただきたい点は、私は日本で大人をやったことがないので、日本の社会問題をきちんと理解しているとは言いがたい。 最近になってネットを通じ、日本の状況が以前よりはわかるようになってきたとはいえ、地元で肌で感じるものとは程遠いと考える。 いわゆる鼓動が今ひとつ聞こえてこないといったところだろうか。 だからもし私の比較のなかで日本の状況に関する無知から来る頓珍漢な解釈があったら、読者の皆様からご遠慮なくご指摘いただきたいと思う。
人権擁護法案とアファーマティブアクション 
人権擁護法案というものをネット検索でザット読んだ限り、この法案が言論の自由迫害につながる危険性は充分にある。 また企業などが雇用方針が差別的であるという理由で起訴されやすいという危険性も多く含まれている。 ここで訴訟社会のアメリカにおいて人権擁護の目的で1960年代に設立されたアファーマティブアクションがアメリカ社会にもたらした悪影響を少し考えてみよう。
アファーマティブアクションの当初の目的は、雇用や大学などの入学審査のときに、人種や性別によって差別されないよう少数民族や女性の人権を守ることだった。 それまでジム・クロー法などといった悪法にいより、黒人と白人が同じ公共施設を使用できないという現実があり、同じ職業でも黒人と白人では給料に格差があったり、少数民族や女性がつける職業は限定されていたりと、色々な差別が存在していたことを是正するのが目的であった。
ところが人種・男女差別をしてはいけない、という法律がいつの間にか少数民族や女性を特別扱いする法律へと変貌してしまった。 雇用、大学入試、アパートなどの賃貸契約、レストランのサービスに至るまで、アファーマティブアクションがやたら介入してくるようになったのである。 
大学入試を例にして説明すると、大学入学の際、少数民族だからといって入学を拒否されないように、新入生の人種の枠をつける方針が多くの大学で取り入れられた。 この枠組みはアメリカ社会の人口比率が参考にされており、詳細は学校によって違うがここでは便宜上黒人20%、ラテン系10%、東洋系10%、白人60%としておこう。 ここで問題なのは大学志願者の比率が社会の人口比率とは一致しない点である。 これは文化の違いによるのだが、黒人やラテン系の若者が大学へ進む比率は東洋人や白人のそれよりもずっと低い。 ということは同じ大学へ志願しているにもかかわらず人種によってその倍率が全く違うということになってしまうわけだ。 
たとえば単純計算である大学の100人の枠のなかで、黒人志願者が20人、東洋人志願者が100人だったとする。 同じ大学へ志願したにもかかわらず黒人の志願者は全員入学できるが、東洋人の合格倍率はなんと10倍。 嘘みたいな話だがこれは実際に起きたことなのである。
数年前にカリフォルニアのバークレー大学に志願した中国系の女性が通知表はほとんど完璧、全国学力テストの成績もほぼ99%という優秀な成績だったのに不合格、同時に合格した黒人生徒の学力テストの成績は60%代だったという事件が発覚した。 東洋人も黒人ほどではないにしろ、人種差別の対象になってきたことは事実なのだが、持ち前の努力と勤勉さでいまやアメリカ社会では有能な人種として尊敬されている。 だが、それが裏目に出て東洋人を人種差別から守る目的で決められた下限の枠がかえって東洋人を差別する上限となってしまったという変な状況が起きてしまったのである。
それで生徒達の間でも、黒人生徒は頭が悪いという先入観をもたれるし、学力不足で落第する生徒もあいつぎ、かえって黒人への差別意識を高くしてしまうという悪影響がおきた。 ちなみに東洋人生徒は頭がいいという先入観があることも事実である。 特に理系は得意だというステレオタイプがあるため、私など大学時代化学の実験パートナーになってくれという申し込みが殺到して困った。 カカシは化学は大の苦手なのに~! (カリフォルニアの公立大学では人種による枠決めは14~5年前から廃止されている。)
さて、アファーマティブアクションが適用されるのは大学だけでなく、雇用の際でも同じである。 黒人運動のリーダー的存在に、ジェシー・ジャクソンという人物がいるが、彼とその中間達は、大企業などの雇用方針が黒人差別を行っているといいがかりをつけては訴訟を起こすという行為をくりかえしていた。 大抵の企業は人種差別のレッテルを貼られて訴訟をおこされては会社のイメージにかかわるということで、裁判沙汰になる前に急いで示談にしてしまう。 つまり、ジャクソン氏の一連の訴訟は裁判を脅しにつかった恐喝に他ならない。 日本でも同和開放同盟などが同じような行為をしているのではないだろうか?
アパートの賃貸などでも差別をしてはいけないことになっているが、白人のおばあちゃん一人で管理人をやっているところに、人相の悪い黒人のギャングバンガーのような男がひとりでアパートを借りにきても、おばあちゃんはやたらにこの男性を断れない。 実際に夜中に仲間のギャング達がアパートにおしかけ夜毎大騒ぎをしたり、麻薬売買などをやることは目に見えていてもである。 また私の昔の知り合いのメキシコ系アメリカ人女性は、メキシコ人には部屋は貸さないと私にささやいたことがある。 それはメキシコ系夫婦に部屋を貸すと、いつのまにか親戚一同50人近い人間が合同宿舎のように寝泊りするようになるからだという。 だが、もしこの女性がメキシコ人だから部屋は貸さないなどと言えば、人種差別の法律に触れることになるのである。
また最近では、アラブ系の若い男性に照準をあてて空港などの警備の対象にするいわゆるプロファイリングも、人種差別だと言われて出来ない状態にあることも付け加えておこう。
人種差別をなくす法律はあるのか?
私はそんなものは存在しないと考える。 人種差別という個人的な感情を法律で規制することなど出来ない。 差別をするなといって強制的に嫌いなもの同士を一緒に勉強させたり仕事させたりしては、かえって反感を買うのがおちである。 
ではどうすればいいのか。
私は人種や男女を差別する法律さえ取り除けば、後は市場が解決すると考えている。 (人種差別をする法律とは、過去のジム・クロー法のように、同じ公共施設を黒人と白人が使ってはならないとか、黒人や女性が一定の職種につくのが禁じられているとかいうような悪法を意味する。)
たとえばあるレストランの経営者が、「黒人お断り」の看板を出したとしよう。 このレストランがどういう場所にあるかによるが、黒人客は無論のこと、黒人を含んだ他人種のお客や、白人客でも、「こんな人種差別をするような店で飯など食えん」といって敬遠するだろう。 お客がこなければ商売にならないのに、わざわざ一定の客を遠ざけるような商売方針は愚の骨頂というものだ。
また黒人だからという理由で有能な人材をみすみす見逃せば、企業にとっても痛手である。 たとえば黒人だからとか女性だからという理由で多くの企業が彼らを雇わなかったとする。 これを利用したある企業が有能な黒人や女性を白人男性より低い給料で雇ったとしよう。 雇われたほうも別の企業で低レベルの仕事をしているよりは給料がいいので、この会社にとびつく。 他では雇ってもらえないことがわかっているから企業への忠誠心も強い。 そこでこの企業は人件費を節約して儲けが上がるという寸法だ。
金の力は強いから、他の企業もこれを見習ってだんだんと黒人や女性を雇うようになる。 そうすると彼らの給料はだんだんとあがり、いつの間にか白人と変わらない状態になる。 これにて人種差別は事実上消えてしまうのである。
このように人権擁護法などというものは、一見少数民族の人権を守るために作られるもののように見えるが、現実問題として一部の市民団体の政治勢力強化に悪用されるのがおちであり、実際に差別を受けているひとたちは、この法律によって一般市民が得る反感によってかえって差別がひどくなる可能性の方が大きいと考える。 差別をなくすために必要なのは特別な擁護法ではなく、差別が悪いことだという道徳的な教育からはじめることだ。 差別意識のある人々に法律で差別をするなと押し付けてみてもかえって逆効果である。
長くなるので移民問題に関しては次回へ続く。


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人権擁護法など必要ない。差別は自由市場が解決する。

私は何度も差別をなくす法律など存在しないと主張してきた。差別をなくすためには差別主義の法律を取り除くことによって、後は市場に任せ、なるべく政府が介入しないことが一番いいことなのだと私は信じている。私は自由市場が差別をなくすことにつながるという話は下記のように何度もしてきた。
日本とアメリカ、共通する差別問題と落とし穴
なんで左翼は自分を左翼と認めないのか?

以前に私は人種差別にしろ男女差別にしろ政府が差別する(女性は何々の仕事についてはいけないとか、黒人はどこそこの公立学校に入学できないといったような)法律さえ取り除きさえすれば、あとは市場が解決してくれると書いた。これは女性や黒人の賃金が白人男性よりも安ければ人種や性別にこだわりのない雇用主が人件費節約のために優秀な黒人や女性を雇うようになるからで、他の企業が人件費が高すぎて経費がかさんで最初の企業と競争できないとなれば、こちらの企業も黒人や女性を雇うようになる。多くの企業が同じことをはじめれば黒人や女性の需要は高まり自然と給料も上がり、そのうち才能のある黒人や女性は白人男性と同等の給料をもらえるようになるというわけだ。

ただ、市場の解決には時間がかかる。市場が人種や男女の差別をほぼ取り除くまでには10年や20年は平気でかかるだろう。だからそういう状況を見ていると差別廃止の速度を早めるために誰かが手助けする必要があるという考えが生まれるのは十分に理解できる。これについて、例の自他共に認める左翼系リベラル、レズビアンフェミニスト(でも絶対マルクス共産主義者ではないと主張する)小山のエミちゃんはこのように語る

…こういう説明が経済学的に間違いであることは、過去エントリ…で解説している。簡単にまとめると、差別にはここでカカシさんが想定しているような「経済合理性の観点から言って非合理な差別」(経済学用語でいうと「選好による差別 taste-based discrimination」だけでなく、経済合理性にかなった「合理的(ここでは、それが正当であるという意味ではなく、行為主体の利益を最大化するという意味)な差別」(「統計型差別 statistical discrimination」)が存在しており、前者についてはカカシさんの言う通り市場による解決が理論上可能だが、後者についてはそれでは解決できない。

要するにだ、自分が嫌いな人間とはつきあいたくないという嗜好による差別は不経済なので、いずれは自由市場が解決してくれるが、ある種の人間は統計的に見て劣っているという偏見は市場では解決できないという意味。小山エミは女性の労働者を例にあげて次のように説明している。

統計型差別というのは、集団についての統計的情報をもとに個人を判断することだ。たとえば「女性は早期退職する可能性が高い」という情報が事実なら、女性より男性を優先的に採用したり、男性に優先的に将来的な出世に繋がるような経験を積ませたりすることは経営上理にかなっている。…そうした差別については放置しておいて構わないというならそれも一つの見解ーーわたしに言わせれば、公正性に欠ける見解ーーだが、市場に任せておけば解決するという論理は経済学的に言って間違いだ。

自分が賛同できない議論は「間違いだ」と決めつけてしまうのがエミちゃんの悪い癖なのだが、ま、この際そういう下らないことは無視して現実を考えてみよう。
先ずここで考えなければならないのは、エミちゃんのいう「統計的な差別」の元になっている統計が事実であった場合、雇用主が対象の集団を差別する権利は認められるべきだということだ。もしも女性が早期退職するという傾向が事実だった場合、すぐやめる人を訓練するのは不経済だから雇いたくないと考える雇用主の意志は尊重されるべきだとカカシは考える。
もちろん、女性だからといって誰もが早期退職をするわけではない。女性でも長期就職を望んでいるひとはいくらでもいる。それが単に傾向だけで判断されるのは不公正だというエミちゃんのいい分は理解できる。しかしながら、私はこういう統計的な差別もいずれは自由市場が解決すると考える。何故ならば、どの経営者も全く同じ動機で従業員を雇うとは限らないからだ。
新しい零細企業で企業自体がどれだけ長持ちするか分からないようなところなら、短期でもいいから有能な人を安く雇いたいと思うかもしれない。そういう雇用主なら若い女性を雇うことは多いにありうる。または子育てを終わらせて長期にわたってできる仕事をさがしている中高年の女性なら結婚妊娠による退職の恐れがないため雇われる可能性は高くなる。年齢差別でスーパーのパートのおばさんくらいでしか雇ってもらえない中高年の女性は多少給料が安くてもこうした企業での就職を歓迎するだろう。
私のこのような考えは現実を無視した卓上の空論であり全く間違っているという人は、自分こそ現実を見ていないとカカシは言いたい。
最近の旅客機や銀行で働く女性の容姿や年齢層をみてみれば、20年や30年前とはかなり違うことに気付かれた人は多いはずだ。昔は容姿端麗で妙齢の女性だけしか雇わなかった航空会社や銀行だが、最近のスチュワーデス(最近は機内乗務員と呼ぶのかな?)にはかなり昔は美人だったかもしれないといった風の人が結構多い。これは無論ある程度歳のいった従業員が解雇された時に年齢差別を理由に訴訟を起こしたりしたことが直接の原因だったといえばそうかもしれないが、安い航空運賃を競い合って航空会社同士の競争が激しくなるにつれ、若くて美人の女性ばかりを雇う余裕が経営者にはなくなってきたということのほうが現実だ。
カカシが20代の頃はスチュワーデスといえば女性の職業としては花形だった。(カカシは美貌や才能では決して劣らなかった(?)のだが、いかんせん背が低かったため、涙を飲んであきらめた。笑)しかし2008年の現在、若くて美しい女性が出来る仕事はほかにいくらでもある。それに乗客も昔のように金持ちのエリートばかりではなく、カカシのようにA地点からB地点までなるべく苦労せずに無事につければいいと思ってる働き蜂が大半だ。そんな人間にはスチュワーデスが若いとかきれいだとかなんてことはどうでもいいことだ。
銀行の窓口にしてもそうだ。昔は高卒でかわいい女の子たちが雇われたものだが、最近は子育ての終わった中高年の女性がパートで雇われることは結構ある。カカシの高校生の同級生なども大手銀行で窓口をやっているくらいだ。
これは若い女性は短期で退職するという統計的事実から来る女性の雇用問題を長期就職が期待できる中高年の女性が補うという形で市場が解決したいい例である。
また、1980年代のバブルの時期に、日本企業は世界にずいぶん広く事業を進めた。当時日本国内では女性蔑視がひどすぎてまともな仕事につけなかった日本女性たちは海外へ脱出した。日本相手に商売をしたい海外企業は日本語がはなせる教養高い日本女性を競って雇った。おかげで日本女性は外資会社の従業員として日本企業の男性ビジネスマンと同等に交渉する立場にたった。
海外へ進出した日本企業が雇った地元の職員のなかにも日本を出て海外で暮らしている日本人女性が多かった。もともと日本人だから日本企業のやり方には慣れてるが、日本並みの給料を払わず地元の給料で足りるということで、海外在住の日本人女性は日本企業にとっても重宝な存在だった。つまりだ、女性は短期で退職するから雇わないという統計的な理由での差別は、このように別な形で市場が解決してくれたということである。このように海外で日本人女性や外国人女性と同等に働いた経験のある日本人男性たちによって、女性への偏見はかなり減ったのではないだろうか?それが日本国内において女性の地位が向上することに結びついているといえないだろうか?
これは決して短期で起きたことでも完璧な形で起きたことでもない。まだまだ日本において男女は同等とはいい難い。しかしながらこれに政府が介入することによって早期にもっと良い結果が生まれるはずだという考えには、政府の介入が市場よりも良い結果を生むという根本的に誤った考えがあるのである。
なぜ差別問題に政府が介入することが害あって益なしなのか、話が長くなるので続きはまたこの次。


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同和対策が導いた落とし穴

この間私は日本の人権擁護法案とアメリカのアファーマティブアクションが抱えている落とし穴について、日本とアメリカ、共通する差別問題と落とし穴においてこのように書いた。

アファーマティブアクションの当初の目的は、雇用や大学などの入学審査のときに、人種や性別によって差別されないよう少数民族や女性の人権を守ることだった。 それまでジム・クロー法などといった悪法にいより、黒人と白人が同じ公共施設を使用できないという現実があり、同じ職業でも黒人と白人では給料に格差があったり、少数民族や女性がつける職業は限定されていたりと、色々な差別が存在していたことを是正するのが目的であった。

ところが人種・男女差別をしてはいけない、という法律がいつの間にか少数民族や女性を特別扱いする法律へと変貌してしまった…
アファーマティブアクションが適用されるのは大学だけでなく、雇用の際でも同じである。 黒人運動のリーダー的存在に、ジェシー・ジャクソンという人物がいるが、彼とその中間達は、大企業などの雇用方針が黒人差別を行っているといいがかりをつけては訴訟を起こすという行為をくりかえしていた。 大抵の企業は人種差別のレッテルを貼られて訴訟をおこされては会社のイメージにかかわるということで、裁判沙汰になる前に急いで示談にしてしまう。 つまり、ジャクソン氏の一連の訴訟は裁判を脅しにつかった恐喝に他ならない。 日本でも同和開放同盟などが同じような行為をしているのではないだろうか?

しかし板さんの同和対策事業はもう必要ない!を読んでいて、日本の場合はアメリカよりもっと組織的なレベルでの問題になっているということがわかった。

なぜ、本来は“差別の解消”が目的だった同和対策が、このような“特権の世界”になってしまったのか?

その最大の原因は“窓口一本化”にある。
そもそも同和関係の団体は、大きく分けて三つあった。部落解放同盟(解同)、全国部落解放運動連合会(全解連)、全日本同和会(同和会)。このうち全解連は共産党系であり、同和会は保守系、そして解同は社会党(現社民党及び民主党)と密接な関係があった。
被差別部落の住民が同和対策事業にともなう施策を受ける時、これらの団体が窓口になることが多かった。ところが、解同が「窓口一本化=全解連や同和会の排除」を要求し、行政がそれに屈服することで、解同が“特別な団体”になってしまったのである。
毎年、国と地方を合わせて何千億円という税金が同和対策事業に投入される。それを解同が一手に取り仕切る。
ここに、被差別部落民は解同に従わなければ同和対策事業が受けられない、また行政は解同の了解がなければ同和対策事業を進められない―そういう同和対策事業の頂点に解同が君臨する構図ができ上がったのである。
こうなると“利にさとい”連中は、皆、解同の下(もと)に結集することになる。そこでは理念も方針も関係がない。とにかく解同にいれば利権にあずかれる。だから暴力団や単なる利権屋も皆、解同ということになる。
そこで何が起こったのか?
“悪貨は良貨を駆逐する”という現象である。まじめに差別の解消に取り組む者より、威嚇と暴力でより多くの税金を分どる者の方が幅をきかせるようになる。

この「窓口一本化」はアメリカの労働組合と非常に似ている。私の職場にも組合があるが、組合のメンバーは毎月会費を給料から差し引かれ、給料の交渉などは個々で出来ず組合が一括してまとめて行う。だが個々の能力はそれぞれ異なるのであり能力のない職員も能力のある職員も一律の給料というのは不公平だ。私はこういう全体主義は非常に嫌いだ。
病気を理由に5年間で数カ月しか働かなかったという職員が交渉の際に机をひっくりかえすなどの暴力をつかって交渉相手を威嚇していたという話をきいて、カカシは私の職場で2年前に起きた事件を思い出した。
私より1年後に入ってきた同僚のAさんは学歴の高い期待の新人だった。カカシより学歴があるということで一年後輩といえどもグレードは私よりずっと上でお給料もずっといい。ところがこのAさん、何をやらしても失敗ばかりで全く役に立たない。Aさんが携わった企画部では部長からAさんはつかいものにならないといってはずされてしまったこともあった。先にはいったということで上司が私にAさんをトレーニングしろといった時も、訓練生を好まない出張先の職場の担当を拝み倒してAさんを加えてもらったのに、当日になって家族に緊急の用ができたのでいかれませんと飛行中に切ってあった私の携帯に伝言がひとこと入っていたきり。無理をいって訓練生を加えてもらったカカシは出張先で面目丸つぶれだった。しかしその後もAさんからは何の説明があるでなし、迷惑かけて申し訳ないというわびのひとつもなかった。
怒った上司は年度末の成績見直しでAさんの昇級を見送ることにした。 ところが次の日Aさんは労働組合のおっかないお兄ちゃんと連れだって上司のオフィスに乗り込んだ。そこでどういう交渉が行われたのかは分からないが、Aさんは単なる年功序列の昇進ではなく、二つぐらい級を飛び越えた大幅昇進となり給料も大幅に跳ね上がってしまったのである! 上司としては悔しかっただろうが「労働組合をおこらせるな」と上から圧力がかかったらしい。
Aさんはいまだにうちの職場にいるが、毎日いったい何をやっているのか誰も知らない。やたらなことをいうとやくざなお兄ちゃんから訪問を受けかねないので誰もなにもいわないでいる。ひとつの団体に給料交渉の権限を一括して与えてしまった以上こうなるのは最初から目に見えていたことだった。そしてこういう団体に暴力団がひっつくのも自然現象というものだろう。
アメリカの労働組合にしろ、日本の解放同盟にしろ、過去に必要な時期があったかもしれないが、いまやその役割をとおに超えて、いまやかえって差別を促進するような悪団体と成り果てた。このような団体はもういらない。

自尊と自律なくしては何一つ解決されない。差別する者と差別される者、加害者と被害者、という思考を脱皮しない限り問題は永遠に解決しないし、逆に差別もなくならない。
解同がなすべきことは、行政に特別扱いを求めることではなく、むしろ特別扱いを必要としない人間を一人でも多く養成することである。

まさにその通りだと思う。


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