ちょっと今日は哲学的な話をしようと思う。もっとも私は哲学なんて大学で必須課目を一学期取っただけなので学問としての哲学に関してはほぼ無知である。私が本日話したいのは、もっと一般的な正義や道徳の話だ。

昨日私はツイッター上で渡辺(ツイッターでは白江)直弼というツイッタラーと話をしていて改めて気づいたことがある。それは、世の中には道徳観念というものを持ち合わせていない人がいるのだということだ。普通ある行為が良い行為か悪い行為かを判断するためには行為そのもので判断されるべきだ。しかし道徳観念のない人たちは行為そのものが良いか悪いかではなく、行為を行った主役が自分の仲間であるか敵であるかでその罪が良くも悪くもなると考えるのである。

そう思ったきっかけはツイッター上で回ってきた渡辺によるノートエッセーに私がコメントしたことだった。エッセーというより他人のツイッターをコピペしてその下にちょっとしたコメントを書いた程度のお粗末なものだが、彼はLGBTQがやたらとペドフィリアと結び付けられることに文句を言っていた。

渡辺はLGBTQにはペドフィリアも含まれるという言い方は、LGBTQ以外にはペドフィリアは居ないと言っているのと同じで、ペドがLGBTQ特有の性癖であるかのような誤解を与える悪意のある表現だという。

ドラァグクイーンの中にペドフィリアがいることをどれだけ主張しようが、これは(B)LGBTQを属性として見たときの「含んでいる」を示しているにすぎず、「LGBTQ以外もペドフィリアを含んでいること」を否定できません。この路線で「LGBTQはペドフィリアを含んでいる」と主張することは、過激な差別主義者がやることでしょう。

確かにペドフィリアはLGBTQ界隈の専売特許ではない。悲しいことに異性愛者の男性が女児を性的に虐待するという話はいくらでも聞く。このように忌まわしい犯罪を犯すけしからん輩はどこの世界にも存在する。

問題なのは、こうした行為を目のあたりにした時、人がどのような態度をとるのかということだ。幼児虐待は誰がやっても悪いことだからと告発するのか、それとも同胞がやっていることだからと黙認するのか。

残念ながらLGBT界隈にはその自浄作用が機能していない。いや、それどころか小児性愛はセクシュアリティーの一種でありQueerの一部として認めるべきだなどと平気で言う人までいるのだ。下記はトランスアライで有名なジェンダー学者の清水晶子女史の2016年のツイート。

どこから再燃しているのか知らないですが、またTLにあがっているようなので。ペドフィリアはセクシュアリティーの一つだと思いますし、ペドファイルはその意味ではセクシュアルマイノリティーです。それは否定できない。そのことと、性暴力や性虐待を許容しないこととは別の話です。ー 清水晶子

またQueerを自認する学者たちの間で、ペドフィリアという呼び名にはスティグマがあるので「未成年に魅かれる人々」という意味のMAPという呼び名を使うべきだなどと言う人まで出てきており、およそLGBT界隈からはペドを排除する動きが見られない。

それだけではない。最近のLGBT活動家たちの行動を見ていると、ペドを排除するどころか小児性愛を奨励し推進しているかに見える。

例えば幼稚園児や小学校低学年に「性教育」と称したポルノまがいの本を教材にして教えたり、ファミリーフレンドリーと称して子連れ親子を対象に非常に性的で卑猥なパフォーマンスをするドラアグショーを行ったり、父母たちが怒って抗議をするとANTIFA暴力団を放って父母たちを脅迫したりしている。これがペドフィリアを悪いことだと思っている人々のする行為だろうか?

このような話を私がツイッターで延々と描いていたところ、著者である渡辺が白江の名前で「なぜペドフィリアを批判するのにLGBTと結びつける必要があるのですか?」と抗議してきた。

私は先に述べたもろもろの理由からLGBT界隈はペドを排除するどころか奨励しているように見える、そうでないというなら界隈でそれを批判している例をあげてはどうか、先ずは渡辺自身が率先して批判してはどうかと返した。

ここで断っておくが、この話をする際にはLGBTQ+と一緒くたにしないでLGBとTQ以降を分けるべきだと考える。何故かと言うとLGBのなかにはLGB同盟やGays against groomers(グルーマーに対抗するゲイたち)といった、子供を性的に洗脳することや子供の性転換に反対する運動をしている人たちが存在するからである。私の知る限りTQ+でそういう運動をしている人は居ない。

しかし渡辺はLGBTを執拗なまでに一緒に扱い、「ペドとLGBTを結びつけるな」と繰り返すだけだった。

長時間にわたる彼との退屈な会話のなかで私はあることに気が付いた。それは渡辺はドラアグクィーンやゲイカップルによる幼児性虐待について、そうした事件を紹介した私に対しては何度も批判したが、実際に幼児を虐待したドラアグクィーンやゲイカップルに対する批判は一度もしなかったことである。それをいうなら小児性愛が忌まわしい性癖であり、子供を性対象にするなどあってはならない行為だという発言も全くしなかったのだ。ただただ私がペドがLGBTだけの間で起きることのようにいい、異性愛者の間で起きていることを無視していると責めるばかりである。これは私が彼に「ペド行為とその加害者を批判しないのか」と何度も聞いた後でも変わらなかった。私が何度聞いても彼はペドフィリアと言う行為も行為を行った加害者に関しても一切批判することをしなかったのである。

なぜだろうか?

そこで私はハタッと気が付いた。なんでこんな単純なことに今まで気が付かなかったのだろうか?

彼は小児に性愛を感じることや性行為をすることが悪いことだとは思ってないのだ!

彼の中には幼児虐待は加害者がヘテロだろうがゲイだろうが絶対にあってはならない行為だという感覚がまるでないのだ。渡辺からすると、

幼児とのセックスなんて誰でもやっていることで、別に悪いことでも何でもないのに、LGBT界隈がそれをすると悪いことであるかのように責め立てられるのは不公平だ。なんで異性愛者のペドフィリアは批判されないんだ。なんで異性愛者はお咎めなしなんだ。

という感覚なのだ。だから彼は長年カトリック教会の神父が男児を虐待してきたこと(これってゲイだけど?)や、男性が上半身裸で男児と走っている写真を挙げて「これを批判しないのか?批判しろ!」と鬼の首でも取ったようにわめきたてた。カトリック神父の件はカトリック教徒の間でも十分に非難されたし、だいたい告発者自身がカトリック教徒だ。そして写真については、これがどういう状況で撮られた写真かわからないので判断のしようがないというと、ほれみろヘテロの虐待は批判しないんだなと大騒ぎ。

実はこういうやり方は渡辺だけではなくアメリカのLGBT界隈が良く使う手段だ。例えば右翼保守派が子供のドラアグクィーンを批判すると、女児の美人コンテストの例を出して「これはいいのか?これは批判しないのか?」とやってくる。だが彼らにわからないのは、我々右翼保守には道徳観念というものがあるということ。女児の美人コンテストはよくて男児のドラアグはいけないなどとダブルスタンダードを言い出すような右翼保守はいない。どちらも悪いに決まってる。だから我々はどちらも悪いという。其れで話は終わってしまう。だいたいこれが反論になっていると思う彼らの思考こそ浅はかなのだ。

だから渡辺のような男には、人々がLGBT界隈のペドとの関係について批判すると、それはペドが悪いのではなく、LGBT界隈がやっているから悪いと批判されているに違いないと思い込んでしまうのだ。彼らには誰がやっても悪い行為は悪いという観念は理解できないのである。

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余談だが、私はアメリカ文化や英語を良く分からない人が、英語の文章だけを直訳してわかったようなことを言うのを見るとすごく苛立つ。その国に住んで背景をよく理解していない人にはなかなかわからないことは色々あるのだ。Case in point.

それをいうならあなたが出してるこの画像なんてちゃんと服も着てますし露出ないですよね。何が問題でどのあたりがペドフィリアだと言ってるんですか? -白江直弼

Image

この写真を見ておかしいと思わないその感覚がすでにおかしいのだが、これはテキサスはダラズのおカマバーで行われた「家族向け」と称したドラアグクィーンショーの一部。ごてごてに子供が悪夢でみそうな化粧をしたドラアグクィーンのお腹の上に男児が寝そべっている。そしてその横にあるサイン、”It’s not gonna lick itself” (自分では舐められない)は非常に性的に意味深である。

渡辺はこのフレーズはテキサスのアイスクリームチェーンのキャッチフレーズであり、ドラアグショーとは無関係だと主張する。だがこういうダブルミーニング(二重の意味)の看板がおカマバーに飾ってあるのは偶然ではない。下記の写真をみるとそれが良く分かる。

Image

もしこのサインが単にアイスクリームを宣伝しているだけのものであるなら、何故舞台の後ろ側にでかでかとピンクのネオンサインで掲げられているのだ?明らかにイベント主催者はこのフレーズを強調したくて掲げたのである。こんな子供だましの言い訳に誰がのると思ってるんだろうか?

もっともこれはアイスクリーム会社のキャッチフレーズでドラアグショーとは関係ないというアホなことを書いたのは実は渡辺ではなくアメリカ人ツイッタラーなので(笑)余計にアホかと思ってしまう。左翼ってどれだけ右翼保守をバカにしてんだか。


1 response to 道徳観念がないと理解できない他人の正義感

苺畑カカシ1 year ago

渡辺(白江)のツイッターアカウントはブロックしていたのだが、彼のツイートを元にエントリーを書いたので一応「書きました」と連絡を入れたら、連続してツイートが来た。それをいちいち読んだのだが、渡辺には一般論というか普遍性が理解できないのだなと改めて思った。

私が小児性愛は断じて許容できない。すべての小児性愛者を糾弾すると何度繰り返しても、彼には「すぺて」が100%であるという概念が理解できないようなのだ。だから私が同調しそうな集団に属する人、例えば共和党政治家とか、保守派インフルエンサーとか、のわいせつ行為やスキャンダルを取り上げて、これについてはどう思うのかといちいち聞いてくるのである。無論それらの行為はすべて悪い行為であり糾弾すると何度言っても、これはどうだ、あれはどうだ、と延々と続くのだ。

私が「すべて」と言ったら本当に「すべて」なのだということが彼には全く分からないのだ。

だれかがこれは自閉症の人に良くある症状だと言っていた。確かに昔、一部の自閉症患者は普遍性が理解できず、例えば木という属性を説明しても個々の木を見る度に全く別のものだと認識するため、木という観念が理解できないと言う話を聞いたことがある。よって彼らには世の中がどういう規則で機能しているかが理解できないのである。

彼等にとってひとつひとつの状況はユニークであり共通性がない。だから過去の経験を生かすこともできないし、こういう場合はこういう応対をすべきだという規則が理解できない。そしてもちろん、この属性の人はこういうことをする傾向があるなどという概念は絶対に理解できないのだ。

ま、精神障碍だからどうしようもないけど。

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