私はポップミュージックにはとんと疎いので、藤井風氏なる歌手が存在していることを昨日まで知らなかった。彼の信仰を巡って色々話題になっているみたいなので、どんな人なのだろうと歌を聞いてみた。最近の数曲を聞く限り、かなり才能のあるシンガーソングライターだなという印象を受けた。彼は日本だけでなくアジアを中心にかなり幅広く人気のある人らしく、英語もネイティブ並みだし、今後も世界市場でどんどん活躍できる人だろう。K-Popみたいに人工的な感じではなく、本物さを感じた。

しかし最近、彼の宗教を巡って、彼が音楽を通じてサイババというインドの新興宗教を布教しているのではないかという疑惑が生まれて来た。こちらツイッターで元共産党員のKomugiさんから紹介されたIIYY project によるNote記事から読んでみた。

先ずIIYYプロジェクトとは何か。ホームページではこうある。

「藤井風さんの音楽活動を通じたサティヤサイババの思想伝道における運営の問題の改善」を求めるため、皆さんの声を集めて運営に対し問い合わせという形で送ることにしました。

つきましては、Googleフォームにて、この件に関する藤井風運営へのメッセージを募集します。
・「藤井風さんの音楽活動とサイババの教えとの結びつきに関して、運営に対し何らかの変化、改善を求める」という目的に合意されたものであれば、どんな内容でも構いません。ひとことでも、長文でも大丈夫です。伝えたいことに合わせて、自由にお書きください。(後略)

IIYYは藤井氏の音楽活動運営にどんな問題があると考えているのだろうか。彼らは抗議の要点をこう説明する。強調は原文のまま。

私たちが今回抗議しているのは、
藤井風さんのサティヤ・サイ・ババの思想を絡めた音楽活動が、それが「サイババ思想の入り口」だと全く周知されてこなかったために、
リスナーが風さんの音楽の入り口に立った時に、充分な情報を基に自分の意思に即した判断をすることが非常に困難になっていた点
についてです。

サイババというのはインド発の新興宗教で教祖のサティア・サイ・ババはすでに亡くなっている。この宗教はインドではカルトとは思われていないようで、インドのモディ首相からサイババ御降誕97周年祭お祝いメッセージが届いたというくらいだから、それなりの格式ある宗教ということはできる。

ただ教祖のサイババが多くの男児を性的虐待していたという話もあり、かなり暗い闇の部分のある宗教のようである。無論それをいうならイスラム教のモハメッドにも9歳の娘を嫁にしたという史実があるし、カトリック教会における神父による男児虐待もある。

さて、実を言うと私はサイババという宗教がいかに問題のあるカルト集団かということには全然興味がない。私が興味があるのは、もし藤井氏がサイババの熱心な教徒で彼が彼の歌を通じてこの教えを布教していきたいと思っていたとして、その何が悪いのだろうかということだ。

IIYYは藤井氏が自分の布教の意図を故意に隠してファンを洗脳しようとしているかのように語っているが、IIYY自身が認めているように、藤井氏の最初の二つのアルバムのタイトルはサイババの教えから直接取られたものだという。

藤井風さんは2020年デビューの日本のアーティストで、「HELP EVER HURT  NEVER」「LOVE ALL SERVE ALL」という二つのアルバムを出しています。
彼のレーベルも、ここから名前をとった”HEHN RECORDS”となっています。
またこれらの思想を指す、HEHN精神、LASA精神という言葉は、「藤井風のコアメッセージ」として定着しており、ファンの間ではこの精神を実践することを呼びかけあう声も見られます。
これらの言葉はツアータイトルや彼のグッズにも頻繁に使われ、藤井風さんを象徴するものになっています。
藤井風さんのオフィシャルウェブサイトでは、プロフィールに以下のように記載されています (略)

しかし、この二つの言葉は、実はいずれも、インドのサティヤ・サイ・ババが掲げるスローガン、彼が繰り返し説いていた教えそのものでした。
そして、彼の歌やパフォーマンス、言葉によるメッセージは、サイババの教えに強く基づくものでした。

ということは、藤井氏は自分の意図をかなり明確に示していたということになるのではないか?少なくともひた隠しにしたとは到底言えない行動である。彼のメッセージがサイババの教えに強く基づくものだと彼自身が発表しなくても、インドでは広く信仰されている宗教であるならば、いずれこの教えはサイババのものであることは人々の知るところとなっていただろう。現にIIYYがそれに気づいたように。

IIYYは藤井氏が最初から自分の宗教についてはっきりファンに説明し、自分の行為は布教活動であると明言すべきだったと言いたいらしいのだが、藤井氏にそんな責任があるだろうか?それに彼には自分が宣教師であるという自覚はあるだろうか?

アメリカは以前に比べるとかなり世俗的になったとはいえ、まだまだ地元の教会に属している人は多くいるし、道を歩けば教会にあたるというくらい信心深い国だ。宗教というのは日ごろの生活に密接に関連してくるものであり、普通の会話でも「神のご加護を!」「神が私の証人だ!」なんてことは平気で言うし、食事前のお祈りをする家庭も多いとはいわないが少なくもない。

カントリーウエスタンの歌詞にはしょっちゅう神だ、お祈りだ、というフレーズが登場するが、これらの歌は必ずしもクリスチャンミュージックとはとられないし、70年代にティーンアイドルとして一世を風靡したオズモンドブラザースも敬虔なモルモン教徒で、常に兄弟愛や家族愛について歌ったり語ったりしているがこれはモルモン教の布教だなんて誰も思わない。

歌手自身が敬虔な信者であれば、音楽がそれに影響をうけるのは当然の話で、その歌詞のあらゆるところでその宗教心が現れたとしても、それは必ずしも布教しているということにはならないと思う。いや、よしんばそれが布教でも、それが何故いけないのか。布教活動も宗教の自由の一貫だろう。

音楽が特定の宗教や政治思想を広めるために使われるなんてことは太古の昔からあることだ。西洋で芸術とされる音楽の多くが讃美歌である。

新しいところでは1940年代のアメリカのフォークソングでは労働者の歌としてピート・スィーガーなど共産党員の歌手が人気を博した。ベトナム戦争が始まるとボブ・ディランなどのフォーク歌手たちは、あからさまに反戦歌を唄うようになった。日本でも加藤登紀子など、東大在籍中に学生運動に参加しご主人はその関係で逮捕されたりもしていた。70年代に妹に誘われて長谷川きよしのコンサートに行ったら、当時売り出し中の左翼政治家で元歌手の中山千夏がゲスト出演し、歌う前に二人で長々と左翼政治について演説をぶった。2003年にイラク戦争前夜、カントリーのデキシーチックスがコンサート中に反戦演説をして話題になったのも記憶に新しい(私の記憶ではだが、笑)。

つまり、音楽を通じて宗教や政治活動がされるのは珍しいことでもなんでもない。

それをいうならハリウッド映画など、昔から共産主義者の巣窟で、冷戦時代に共産主義のプロパガンダ映画がいくらも作られていた。(ブラックリストで実際の共産党員は締め出されたが)今でもWOKEカルトが実験を握ってダイバーシティーだあ~インクルーシブだ~という目も当てられないプロパガンダフィルムを作り続けている。

私は藤井風の活動や運営姿勢が特に変化する必要性を感じない。それにマーケティングの上でも自分の音楽活動がサイババ布教活動だなどと宣言することは、彼の音楽を宗教とは無関係に幅広いファンに届けようというビジネスの面でも全く良いやり方ではない。何故彼がサイババ信者以外の人から敬遠されるような運営をすることを強制されなければならないのだ?そんなことを強制するのは彼の歌手としてのキャリアに関わることであり、彼のビジネスへの営業妨害ではないか?

IIYYや他の人達が、彼の活動が布教に当たり若いファンたちを洗脳していて危険だと思うのであれば、人々が藤井氏の宗教感を知らずに布教されていることに気付かないまま信者になったりしないようにと忠告するのは悪いことではないし、どんどんやればいいと思う。

人々は藤井氏の宗教感を知ったうえで彼の音楽を楽しめばいいし、彼のメッセージに共感するなら、サイババに加入するもよし、ここは人々の自由意志に任せてはどうなのか。


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