ここ2~3日ツイッターで松崎悠希という日本人ハリウッド俳優がマイノリティー(少数民族)の役は当事者のマイノリティーが演じるべきだとツイートしてかなり話題になっている。その元のツイートがこれ。

実写版「ゴールデンカムイ」でアシリパ役に… アイヌの俳優をキャストすべきだと思う人

この投稿に、いいね! アイヌの俳優をキャストしなかったら観に行かない人

この投稿を、リツイート! 金カム実写版制作者にいつもの「いい加減なキャスティング」をしたらどうなるか、見せてやりましょう。

私はこの元の漫画のことはまるで知らないのだが、どうやら役割はアイヌ民族の人らしい。しかし日本でアイヌの血を引いている役者でこの役柄のイメージにあった人がいるのかどうかかなり疑問だし、第一制作者はすでにネームバリューのある女優を配役することは決めているようなので、部外者の俳優が何を言ってみてもあまり意味はないと思う。それにこれはハリウッド映画ではない。マイノリティーがマイノリティーを演じるべきなんてポリコレ発想は日本にはない。

『ちょっと待ってよカカシさん、あなたこの間白人役を黒人がやるべきじゃないと大騒ぎしたじゃありませんか、それってダブルスタンダードでしょ』と言われそうなので言っておく。

私の主張は最初から配役は登場人物のイメージに合った人を選ぶべきだというもので血筋や国籍は関係ない。例えばリトルマーメイドのアリエル役を黒人を含め多人種の混血の人が演じたとしても、彼女の姿かたちがアリエルのイメージに合ってさえいれば問題はない。彼女の血筋に黒人が混ざっていてはいけないなどと言ってるわけではないのだ。

さて、では何故松崎氏はマイノリティー役をマイノリティーが演じなければならないと考えているのか、彼のツイートに長々と説明があるが端的にまとめるのなら、マイノリティー(例えばレズビアンとか)をレズビアンでない制作者が非レズビアンの女優を雇って映画製作をした場合、制作者の独断と偏見による間違ったレズビアン像がつくられ、それが世間にひろめられ人々の間に偏見が広まり差別へと繋がるというもの。

そういうことは確かにあるだろう。しかしあまりにもこのマイノリティー性を強調しすぎると、この間公開されて脚本もプロデューサーも出演者も全員ゲイという鳴り物付きのBrosという映画が、ボックスオフィスで完全にずっこけて散々たる興行成績を得たことでも解るように、そんなゲイによるゲイのための映画なんては誰も観たがらないのだ。観客が求めているのはどれだけゲイが忠実に描写されているかではなく、その映画が映画として面白いかどうかなのである。

松崎氏自身も経験しているように、ハリウッドにおける日本人像の歪みには日本人ならだれでも気が付いている。日本人という設定なのに日本語はカタコト、変な着物を着てたり、普通の女性が温泉芸者みたいな髪型だったり、おかしな字の看板のあるお店がでてきたりと、まあそれはあまりにも良くあることなので私は今更苛立ちもしない。そうした映画に本当に日本人俳優が起用されたとしても、よっぽどのスターでない限り、制作者に苦情など言えないだろう。

しかし松崎氏は知らないかもしれないが、昔のハリウッド映画でも日本を舞台に時代考証や文化考証をきちんとやった映画もいくつかある。

例えばジョン・ウエイン主演の野蛮人と芸者では、幕末の日本に外交官として表れたアメリカ人をジョン・ウェインが演じているが、ロケは明らかに日本で行われ、日本人役は山村総はじめ、ほぼ全員日本人俳優が演じている。この映画では侍の着物姿、建物、外交官に読まれる日程表などもすべて本物の日本のものであった。当時(1959年)のアメリカ観客にそこまでやらなくても多分誰もきにしなかっただろう。だからこそ監督の本物をつくろうという気遣いがうかがわれるのだ。

またデイビッド・ニブン主演の「80日間世界の旅」でも日本を訪れるシーンがあるが、これも明らかに日本でのロケであり、日本人役のエキストラの着物姿はきちんとしていた。つまり昔から、実際に他文化を忠実に描写しようとする監督はいくらも居たのだ。

結局、マイノリティーが忠実に描写されるかどうかは監督の気持ち次第だ。無論ハリウッドで日本人役を応募していたら、日本人が応募して採用され、多少は日本人の意見を口にしていくことも大事だろう。真田広之や渡辺謙くらいのスターになってくれば、ハリウッドと言えども無視はできない。だから松崎氏もアメリカでスターになり、ハリウッドの歪んだ日本人像をかえていけばいいと思う。

マイノリティーが普通の日本人を演じるのはありか

松崎氏がもうひとつ押してるのがこれ。少数民族の人が普通に日本人として登場する作品だ。実はアメリカでも1980年代くらいまでは、少数民族が映画に出演する場合、それは特定の人種を想定した配役であり、最近のように普通に隣人とか友達とかに白人以外の人種が登場するということはあまりなかった。

しかしこの普通の人として登場するマイノリティーも行き過ぎると不自然なことになる。イギリスやアメリカでもロンドンやロサンゼルスやニューヨークなら色々な人種の人が集まっているという設定はおかしくない。だがいったん南部の田舎とかにいくと、東洋人なんて一人もみかけない地域がいくらもある。私の知り合いが大昔にジョージア州のメイコンの大學に留学したとき、全校生徒で東洋人は彼女だけだったと言っていた。そういう場所を設定した話で東洋人が自然にフツーの人として出てくるのはちょっと無理がある。その土地には珍しい人であるなら、珍しいことを一応説明すべきではないだろうか?(彼女のように留学生とか、旅行客とか、)

私が観ているスタートレックのディスカバリーというシリーズでは、あまりにもマイノリティーを強調しすぎてマジョリティーである白人ストレート男性がひとりも登場しない。主役の女性とその恋人は黒人、ブリッジのクルーはほぼ半数以上女性でそのほとんどが黒人。他の男性クルーも黒人と東洋人。白人男性は若干一名で彼はゲイ。彼の恋人は黒人で、エンジニアリングのクルーはレズビアン、ノンバイナリそしてもちろんトランスジェンダー!これがフツーの状況だろうか?こんな職場どこにあるんだ?

さて日本に戻るが、もしも日本の刑事もので黒人婦人警官がフツーの日本人として登場したとしよう。警察署の人も犯罪者も町の人も、この女性をフツーの日本人として扱うだろうか?現実的にそれは無理ではないか?だったらうちの部署にはハーフの婦人警官が居ると最初に紹介して、それでおきる問題点などに注目した方がよいのではないか?

多人種の人が普通に溢れている都会が舞台ならそれはそれでいい。しかしそういう人が珍しい場所設定でそういうことをやると、観てる方はそっちが気になって筋に入り込めない。

そしてもとに戻るが、制作側はキャラクターのイメージにあった人を配役するのであり、普通の日本人をイメージしてるのにミックス人種の人をわざわざ雇うということはしないだろう。なぜならまだまだ日本では異人種系の人はマイノリティーなのであり、そういう人と出会うのはフツーの状況ではないからだ。

カカシ注:今日(10・25)になってバカみたいなことに気付いた。日本には昔からハーフとかコーターのミックス(混血)俳優や女優がいくらでもいる。私の年代なら草刈正雄さんとか。そしてこの人たちは普通の日本人役を「フツー」に演じている。あんまり自然に溶け込んでいたからすっかり忘れていた。いや、これこそが松崎氏のいうマイノリティーが普通の人を演じるということではないのか?松崎氏もこの人たちの存在は忘れていたのだと思う。

結局、日本でももっと多くのミックス人種の人を起用したいというなら、松崎氏自身がプロデュースして監督してそういう映画を作ったらいいと思う。以前にラテン系の大スター、リカード・モンテバンがインタビューで言っていた。金髪碧目のハンサム男優ですら、主流映画に出演できるのは応募者のほんの一部。そこでラテン系のようなマイノリティーが仕事を得たいと思うなら、自分らで映画を作っていくしかない。実際にそうやって映画作りをしている人はいくらもいる。すでにいる制作者や監督に注文をつけるより、自分の手で切り開いてはどうなのかな。観客が観たいとおもえば投資してくれる人もいるかもしれないから。


1 response to マイノリティーの役はマイノリティーが演じるべきなのか?

苺畑カカシ1 year ago

松崎氏はハリウッド映画が日本出身の日本人俳優を雇いたいと思う時、彼らのイメージする日本人でない人は採用されないと語っている。それで氏は日本でも混血の人が多く俳優/女優として活躍していれば、ハリウッドの見解も変わるに違いないという。

しかし私はそうは思わない。典型的な日本人を探してるのに、典型的日本人でない人を雇う理由はないからだ。だが、混血の人にはそれなりの利点もある。それは彼・彼女たちは必ずしも東洋人に見えない。だとしたらハリウッドで活躍したいのであれば、東洋人役だけに拘る必要はない。もちろんそのためには英語が堪能でなければならないが、ハリウッドで生きて行こうというならそのくらい勉強して当然だろう。

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