手術前の手続きやらなにやらを済ませるために5時半に来いと言われたので、5時半に来院。特に付き添いは必要ないが、手術が終わった時点で連絡できる番号だけ教えてほしいと言われた。手術は3時間程度で終る予定。朝7時に手術は始まった。

目覚め

これまでにも何回か私は全身麻酔を体験しているが、この目覚めはそんな生易しいものと違って非常に暴力的なものだった。私は生まれてこのかたあんな恐ろしい思いをしたことがない。

「起きなさい!起きなさい!」というG先生の声。いきなり喉の中に恐ろしい物体が挿入されたような気がした。私が目が覚める前からその装置は喉にはいっていたのか、眼が覚めたので入れられたのかはわからない。これがコロナ禍初期で噂になった例のベントレーターである。私にはこのベントレーターが私の息を阻止しているような気がして思わず自由の効く手で口から外そうとした。「ダメダメ」と医師の声。私は赤子のようにヤダヤダと首を左右に振ってまたベントレーターを外そうとした。「抑えて」と医師が看護婦に支持する声。「目を開けて!」とG医師。だが私は断固として譲らない。そしてそのまま私は再び眠りについた。ベントレーターとの出会いはこの時だけで、次に目が覚めた時にはすでにそれは口から外されていた。ほ~っと文字通り息をついた。

集中治療室(ICU)

目覚めたのはすでに手術室ではなく集中治療室だった。私の身体からはあらゆる装置と繋がる大小色々な管があちこちから突き出ていた。鼻には酸素吸入器がつけられ、右腕にはIVと繋がる管。どこか痛い?と看護婦さんに聞かれた気がする。このあと24時間は私の記憶はところどころしかない。ただ長時間続けて寝ているということはなかったようで、もうずいぶん長く寝たのではと思って目を開けると、まだ数分しか経っていなかったりして、外の時間の流れと自分の時間とかまるで合っていないという感じがした。

ICUの看護婦さん達はほぼ全員フィリピン人女性だった。彼女たちは非常にてきぱきと動いており、私が何か言おうとするとすぐに解ってくれた。「痛みを我慢しちゃだめよ。我慢すると治りが遅くなるから」とその一人が言った。痛みは回復の兆候を表す。だからどこがどう痛いのかが解らないと、看護婦も医師も適切な判断ができなくなるのである。

この時期にどんな痛みを感じていたのか私はまるで覚えていない。感じていた時は確かに痛いと思ったし看護婦にもうそう伝えたが今はまるで思い出せない。ただ私が嫌だったのは痛みよりも鎮痛剤による副作用だ。私は昔からnarcoticsと呼ばれる強い鎮痛剤は苦手で、これを摂取するとすぐさま血圧が下がって奈落の底に落ちていくような気分になるのだ。ものすごい激痛と戦っている間はこのような劇薬も必要となるが、あのどこまでも限りのない深い穴の中を落ちていく気分はどうしても好きになれない。ああいう鎮痛剤に中毒になって痛みが消えた後でも使い続ける人がいるというのが私にはとても信じられない。

ところで看護婦たちはほとんどフィリピン女性で非常にプロフェッショナルな感じがしたが、orderly(オーダーリー)と呼ばれる看護師補佐達はその質も人種も様々だった。看護師補佐の役割は患者のベッドシーツを取り替えたり、患者の下の世話などをすることだ。手術前には二日目くらいからは隔離病棟に移され、トイレも看護師にささえられながら歩いていけるようになると言われていた。しかし私は最初の二日間まるで動けなかった。それで腸の動きがあった時はすぐにボタンを押して看護師補佐に来てもらう必要があった。

患者にとって下の世話を他人にしてもらうほど屈辱的なことはない。特に女性患者に男性のオーダーリーがついた場合には、この男性の挙動ひとつで患者は不安にもなり安心もする。入れ替わり立ち代わ来たオーダーリーの殆どの人は男性も含めて、とても優しく、私は安心して任せることが出来た。しかし一度だけ来たアフリカ人(アフリカ系アメリカ人ではなくアフリカ出身の移民)の男性にだけは、嫌な気持ちがした。このアフリカ人には私が人間扱いされていないのではないかという気がしたのだ。尻を拭く動作ひとつとっても、気を使ってしてくれているのと、無造作に機械的に人形でも扱うように済ませてしまうのとでは患者の気持ちは大きく変わる。

本来ならば手術した日の翌日には隔離病棟の方へ移されるのが普通だが、私の場合は血圧と脈が安定せず非常に危険な状況が続いたため二日経っても出してもらえなかった。

私は最初からこの手術で三日から五日で退院できるなんて信じていなかったが、この状況でその疑惑は確信に変わった。こんな状況では4日でも5日にでもICUに釘付けにされるに違いない。そうおもうほど絶望的に酷い状態だった。

しかしその数時間後、手の甲にするどい痛みを感じて目を覚ませた。すると私の周りで数人の看護婦たちが古い管を外して新しい管を取り付けるなど忙しそうに働いていた。「ICUから出て隔離病棟に移るのよ」とそのうちの一人が言った。え?本当に?嘘?!

私が横たわっていたベッドを看護婦たちが小走りに押し始めた。良く映画などで病院のシーンで患者視線で天井の模様がすばやく動いているのを見ることがあるが、まさにそんな感じだった。

別の部屋に移されると、別の看護婦が待ち構えていた。この中年看護婦はその名前や訛りからロシア人だと思われた。

ハプニング

新しい部屋で寝ていると、激しい胸騒ぎに襲われて目が覚めた。するとさっきのロシア人看護婦と他数名、見たことのない看護婦たちが慌てた顔をして部屋の中に駆け込んできた。「どうしたの!」と叱るような口調でロシア人看護婦が言う。どうしたも何も私は自分の激しい動機に起こされただけだ、’私に何が起きたのかなんて解るわけないでしょう。などと無駄なことを考えている間も看護チームはてきぱきと忙しく働いた。

肝心の私は胸がどきどきして、その晩一睡もできなかった。


2 responses to 開胸手術体験談その2,集中治療室

バカ王子2 months ago

入院なさっていたのですね。退院おめでとうございます。御身体お大事に。

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    苺畑カカシ2 months ago

    ありがとうございます。なんとか退院できました。

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