最近ツイッターで能川元一という哲学者と何度かやりとりしたが、まあ左翼学者ってのは本当に質(たち)が悪い。自分でいいたいことだけ言って、その内容について質問すると絶対に答えない。私が以前に左翼革新派詭弁講座でお話したように、「そんなこともわからないのか!あんぽんたん」で終わりである。

マット・ウォルシの映画の中でもウォルシは何人かに「女性とは何か」という質問をしているが、トランスジェンダー活動家はその質問には絶対に答えない。その会話は常にこんな風に行われる。

ウォルシ「女性とは何ですか、答えられますか?」

TRA:「女性とは自分が女性だと自認した人が女性です」

ウォルシ:「自分が何と自認した人ですか?」

TRA:「女性とです」

ウォルシ:「だからその『女性』ってなんですか?」

こうやって堂々巡りで全く拉致があかないのだ。能川氏との会話も典型的な会話というか非会話であった。まずトランス女性の定義についてなのだが、能川氏はこう説明する。

まともな議論を始めたいのであれば、まずは「体の性」などという概念を捨ててトランスジェンダーのひとたちの性同一性を認めることです。トランス女性を「身体男性」などと呼ぶ人間との間に議論は成立しません。

そこで私もよせばいいのに口を挟んだ。

身体の性という概念が存在しないなら、いったい性同一性とはどういう意味なのですか?何かと何かが同一するから同一性と言えるわけで、いったい何と何が同一だという状態が性同一性と言えるのでしょうか?

能川氏:

えっ? 「性同一性」の identity をそんなふうに理解してんの? じゃあそちらこそ「何と何が同一」だと言うわけ?

カカシ:

性同一性というのは、身体の性と自分が認識する性別、つまりidentityとが一致した状態を言うと理解してます。つまり身体は男に生まれ自分は男だと認識するのが性同一であり、身体が男なのに自分は女だと認識すれば性違和で、性違和を持つ状態を性同一性障害と呼ぶ、と理解してますが違いますか?

能川氏は私の理解は完全にでたらめであり、トランスジェンダーには性同一性がないなどと言うのかと怒った。それで私は、彼の理解する性同一性とはどのようなものなのかと質問すると、

能川氏:

「あなたの理解する性同一性」じゃなくてごく当たり前の理解だよ。この場合の identity って”the characteristics that make a person or thing who or what they are and make them different from others”(Oxford Academic Engish) って意味なんだから。(概訳:自分特融の性質で、他人とは違うもの)

もちろんこれでは答えになっていない。これはジェンダーアイデンティティーの定義ではなく、単なる辞書にある”identity”という言葉の定義でしかない。そう指摘すると、

能川氏:

その identity の意味で gender identity を理解すればいい、って話に決まってるだろうが。真面目にやる気がないならもう相手しないぞ。

いや、それではその”gender”ジェンダーってのはなんだという話になってしまう。しかし能川氏は、単語を一つ一つ直訳する意味はない、とか言って逃げてしまった。単語の直訳をしたのは自分だったことは都合よく忘れて。

能川氏は答えてくれなかったが、他の人が「性同一性」とは、自分が普遍的に意識する性別のことを指すのではないかと指摘した。つまりこの同一というのは何かと比べて同じという意味ではなく、ずっと同じで変わらないという意味に取れるというのである。なるほどそれなら理解できる。つまり「性同一性」とは「自分が認識する自分のジェンダー」という意味になる。

しかしそれでもまだジェンダーとは何かという答えが出ていない。なにしろジェンダーは身体の性とは無関係だと能川氏は言っている。それでは、いったい人はどうやって自分のジェンダーを知り得るのか? その質問に能川氏が何時まで経っても答えないので誰かが、ジェンダーなどという概念は疑似科学である、少なくとも自然科学とは言い難いと指摘した。それに対して能川氏は、

「ジェンダー」が「科学」であるはずなどそもそもない(カテゴリーが違う)ので、お前の言っていることは意味不明なんだよ。

と答えた。それで私は、もしジェンダーが科学ではないとするなら、どんなカテゴリーに入ってどのように判別するのかという質問をした。私が知りたいのは身体の性と比べられないなら、いったい個人の性同一性とはどうやって決められるのかということだ。

無論そんな面倒くさい質問に能川氏が答えるはずはなく、そんなこと解らないお前が悪い、説明するだけ時間の無駄だ、カテゴリーが違うんだと繰り返すだけ。挙句の果てに私が社会学の一貫としてジェンダースタディーというものがあるが、と言ったことに対して、

「ジェンダー」と「ジェンダースタディ」は違うし、さらに言うならふつうは「ジェンダー・スタディーズ」って言うの。共感性羞恥でどうにかなりそうだよ。

私はジェンダーとジェンダースタディーが同じだとは言っていないし、第一「スタディー」じゃなくて「スタディーズ」だなどと重箱の隅をつっつくような真似は大学教授様とも思えない。そんなくだらない悪態ついてる暇があったら、私の質問にさっさと答えたらいいじゃないかと思うが、無論左翼教授様にそんなことができるわけはない。

以前フェミニスト達は、ジェンダーとセックスは違うと主張していた。ジェンダーとは社会が決めた性別の役割であり、セックスとは身体の性だと言っていた。しかし最近はこのジェンダーとセックスが故意に混乱され、ジェンダーもセックスも一体何を指す言葉なのか解らなくなっている。

無論これは意図的にされていることだ。トランス活動家たちは身体の男女差と性自認とを混同させることによって、身体的男性を女性空間に侵略させようとしている(イギリスやアメリカではすでに侵略している)のだ。だから身体の性など存在しないとか、ジェンダーという概念をはっきり定義せずに話を逸らすことに躍起になるのだ。


Leave a Reply

Your email address will not be published.