以前にもLGBTQ+運動で居場所を奪われた同性愛者たちの苦悩というエントリーで、最近のLGBTQ+界隈では同性愛者たちが肩身の狭い思いをしているという話を紹介したが、今回もそれと同じテーマのオプエドを見つけたので紹介しよう。実はこれはツイッターでJ.K.ローリング女史もリツイートしていた。そのことを批判する新聞記事もあったが、まあそれは置いておこう。

今回紹介するエッセーは新しいホモフォビアで、著者はベン・アぺルというゲイ男性。

今のアメリカでは非常に恐ろしい新しい形のホモフォビア(同性愛者差別)が広まっている。しかも皮肉なことに、それはLGBTQ+活動という隠れ蓑を着ている。この活動は自分のように大人の同性愛者の権利を促進するものなどではなく、我々が平和に社会で生きていくことを困難にし、我々の存在そのものを脅かすものだ。

とアペルは始める。アぺルが最初にこのことに気付いたのは2017年の夏、彼がメジャーなLGBTQ+組織でインターンをした時だった。その夏アペルは高校卒後10年も延期していた大学生活を始めたばかりだった。それまでにも同性結婚やトランスジェンダーの人権といった活動に参加したことのあったアペルの志望は社会正義作家兼活動家になることだった。

しかし彼の夢はすぐに壊れ恐怖と恥に包まれてしまった。アぺルはすぐに自分は正しい「クィア」ではないと知らされた。彼はそれまで聞いたこともなかった「シス(シスジェンダーの略」と呼ばれ、特権階級だといわれた。何しろアぺルは普通に結婚もでき、軍隊にも入れ、父系長社会の抑圧社会に溶け込める「シスヘテロノーマティブ」の一員だからだというのである。今やゲイは新世代のクィアに道を空けるべきであり、セックス(肉体的性)を元にした人権運動や性や性指向といった活動は破壊すべきだという考えに直面したのだ。

当時アペルは同僚の正しい代名詞を覚えたり新しい革新派思想に追いつくのに疲労困憊していた。もしちょっとでも間違えたら責められると恐怖におののいていた。あまりにも圧倒されたため冷静に考えることが出来ず、いったいこんな考えが何処から来たのだろうと質問する余裕もなかった。しかし通っていたコロンビア大学でアメリカのレズビアンとゲイの歴史をというコースを取ったことで、この超クィアな思想を理解できるようになった。

このコースでアぺルはフランスのMichel Foucaultが考え出したクィア説というものを学ぶ。これは社会は人々を男子、女子、異性愛者、同性愛者に分けることによって人々を弾圧するように出来ているという考え。解決策はこの境界線をあやふやにする、つまり「クィアにする」ことだという。同大学ではこのクィアリングがジェンダーや性嗜好を語る際に主流な考え方となっていった。

この考えはツイッターやティックトックやタンブラーといったソーシャルメディア(SNS)で大拡散され、いまや自分を「ノンバイナリー」だの「トランス」だのと自認する若者が爆発的に激増している。

クィア説は白人シスジェンダー男性によって作られた、生まれた時に「割り当てられた」性別を拒絶する必要があると主張する。

もしこれが単に性別によるステレオタイプから逸脱するという考えであるなら特に問題はない。それならゲイもレズもフェミニストも多分保守派ですらも、今の時代歓迎しただろう。しかし問題なのは、単に少年がマニュキュアを塗るとかドレスを着るとかだけでは飽き足らず、危険なホルモン接種をしたり不可逆的な整形手術などを受けてしまうことだ。

非常に稀なケースで、性違和の緩和にホルモン治療が適している場合もあるが、大抵の場合は少なくとも85%の少年少女が思春期を超すと性違和を感じなくなるという調査結果がいくつもある。これらの調査では多くの少年少女が立派なゲイやレズビアンやバイセクシュアルに育つとある。

このような調査がなかったとしても、ほとんどのゲイやレズビアンはそれを体験している。同性愛者はアぺルも含めて子供の頃に男らしくないと言われて虐められることなど普通で、その度に「お前は男か女か」と問い詰められるのだ。そして「おカマ野郎」などと罵倒される。

アぺルは子供の頃姉のドレスを着て遊び、自分は女の子なんだと思ったりもした。しかし結局自分は健康で筋骨たくましい男に育った。そして長年にわたり同性愛差別の中で育ったにも関わらず自分の同性愛志向を受け入れられるようになった。

無論未だに宗教右翼による同性愛差別はある。しかし今日自分が同等に恐れるのは左翼過激派活動家だとアぺルは言う。活動家たちは時代遅れの性別役割ステレオタイプを推進し、ホルモン治療の長期的な問題点を過小評価し自分のアイデンティティーすらも奪おうとしている。なぜなら生物学的性がなければ同性愛も存在しないからだ。

今日、私のような者に一番不寛容な場所は、なんと他でもないLGBT人権組織の中だ。脅威は暴力ではないかもしれない、しかしひどいスティグマと恥という脅威を与える場所なのである。

アぺルは男性だが、これが女性の同性愛者の場合は実際に強姦を含む暴力の脅威にさらされる。だから大学のLGBTQ+サークルにレズビアン達が参加しなくなっているという現実がある。

これこそが、J.K.ローリング女史をして「性は現実だ」と言わしめた理由なのだ。


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