実は私は67歳になって年金がもらえるようになったら、今の仕事は辞めて、この家を売り、どっか小さいマンションでも購入して引っ越したいと思っている。しかしそうするためには、今の家にある多々のものを処分する必要がある。それで数か月前から五年計画で家の中のものをどんどん処分し始めた。

家の整理をするとき、いったいどこから手を付けてよいものか解らなくなるのが普通。整理整頓の動画をユーチューブで色々観ていて、どこか一か所だけ片付けようと決めて、そこから始めるというやり方と、カテゴリーを決めてそこから整理していくという方法の二つがあることが解った。

完全にすべて処分してしまうつもりなら第一のやり方が普通だが、実際まだ住んでいる家の整理だと第二の所謂(いわゆる)コンマリ式が適切ではないかなと思うようになった。

それで最初に手掛けたのは衣類。これは結構うまく行って、ほとんどいらない服はなくなった。おかげで長年使っていた取っ手がすべて取れていた箪笥を一つ処分できたし、洋服用クロゼットもひとつ空になった。

次に手掛けたのが本。しかしこれには手こずっている。

うちは主人も私も読書家だったのでやたら本が多い。今は二人とも目が悪くて長い間読書は無理。それにもう読んだ昔の本をいつまでも持っていてもしょうがない。そろそろ古本屋にでも引き取ってもらって若い人たちに読んでもらった方が本にとってもよいことだろう。とはいうものの、これは要らない、これは要ると整理してる間に懐かしくなって本に読むふけってしまうことも度々で、一向にはかどらない。

そんななかで見つけたのが野村胡堂著の銭形平次。これは昭和37年に発行された野村胡堂作品集の一冊。かなり古くてカバーの箱がボロボロ。触るとどんどん粉になってしまうほど痛んでいる。ただ中身の本は表紙も頑丈で、ページの紙は黄ばんではいるもののしっかりしている。文字は旧仮名遣い。昭和37年刊行なのに何故旧仮名遣いなのかというと、原作の初刊は昭和7年だったからだ。

実はこの本は亡き父方の祖父の遺品である。

私の父は祖父の7人目になる末っ子である。長男との年の差は親子ほどもあり、子供のしつけには厳しかった祖父も父とそのすぐ上の伯父の頃には、すっかりしつけに興味がなくなったようで、二人はかなり甘やかされて育ったと父からきいたことがある。父とすぐ上の伯父が物心ついたころには兄たちは皆大学に行っており家にはいなかった。だから父は、7人兄弟とはいうものの二歳違いの兄と、年の離れた姉と一緒に育ち、上の兄たちとは盆と正月に顔を合わせる程度だったという。

7人の子どもたちにより、それぞれ2~3人づつの孫を授かった祖父にとって、私は何十人目かの孫であり、名前も顔も一致しない存在だった。父は大学進学で東京に出てしまい、以後祖父とは一緒に住んでいなかった。なので私が祖父と会うのはお盆や法事くらいであった。しかし私は祖父の家が好きだった。

父の元々の実家は戦争中空襲で全焼したため、祖父は後に大きな古い武家屋敷を買った。地元はすべて焼野原になったのに、焼け残った家があったようである。この家はいくつもの部屋が繋がっていたが、昔の家特有の廊下から入れるようになっていた。祖父は正面玄関に面している大きな部屋をオフィスに改造し、そこで法律事務所を営んでいた。

私はこの祖父のオフィスがすごく好きだった。父が実家に帰る度、私は滞在中しょっちゅう祖父のオフィスに入り込み、祖父の本を漁るのが習慣になっていた。オフィスは古い昭和初期の内装で、大きなビクトリアン風の椅子があった。机の上には祖父が趣味で作った瓶のなかの模型の船が飾られていた。そして壁に取り付けられた本棚には法律関係の本がびっしりと詰まっていた。しかしその中に源氏物語集や野村胡堂の本も混じっていた。

それで私は当時人気テレビ番組で馴染みのあった銭形平次捕り物帖を見つけ祖父の大きな椅子にちょこんと座って読み始めたのである。

実は原作はテレビ番組と違って内容は非常に大人向けで、小学校4年生の私には、かなりきわどい描写もあった。第一旧仮名遣いという手強い相手。しかし読書好きだった私は必死で読んだ。

そんな折、祖父がオフィスに入ってきた。祖父は最初大きな椅子に埋もれていた私に気付かず、趣味の模型をいじり始めた、しかし私の気配に気づいた祖父は私を見て驚いた様子だった。

「や、そんなところにいたのか?お前はどっちの子じゃ?」

「(父)の娘です」

「おう、そうか、〇子か」

「違います。カカシです」

「おう、そうかカラシか。」

なんて会話をしたような気がする。覚えてはいないが。ともかく祖父は私の名前など憶えていなかった。しかし祖父は私が持っていた本をみて

「それを読んでいたのか?」

と聞いた。勝手に本棚から取り出して読んだりして叱られるかと思ったが、特に怒っている様子でもなかった。

「はい」

「面白いか?」

「はい」

「よし、では持って行きなさい。あげるから」

「え?本当に?いいの、、いいんですか?」

「いいよ。持っておいき。でも私は仕事するからもう出ていきなさい」

「ハイ!ありがとう、お爺さん」

無論はっきり覚えているわけではないが、祖父は気前よく私にその本をくれた。後で考えてこの本は作品集の一部だったのだから、一冊欠けるのは嫌ではなかったのだろうか?それともただ私を追い出したいだけだったとか。まあ今となっては知る由もないが。

祖父はその後二年ほどして亡くなった。母が電話をとって、「あなた、お父様が亡くなったそうです」と受話器を父に渡した瞬間を今も覚えている。享年91歳だった。

私の名前すら憶えていなかった祖父だが、私にはちゃんと遺産を残してくれており、それは私の学費となった。

そして祖父からもらったこの一冊が私が持つ唯一の祖父の遺品となったのである。

やっぱりこれは棚に戻しておこう。

さて、お片付け、お片付け。


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