アメリカの公共放PBSで始まったデイビッド・テナント主演の新シリーズ「80日間世界一周」の第一回を観た。うちにはテレビがないのでアマゾンプライムで3.99ドルはらって観たが、一時間ものを30分観ただけでもう耐えられなくなった。その理由はポリコレを気にしすぎてキャラクター達がおかしくなりすぎてるから。

ここから原作の説明をするので、作品をよくご存じの方は**印のところまで飛ばしてお読みいただきたい。

80日間世界一周はジュール・ヴェルヌ原作で1873年出版された作品。ヴェルヌはSF作家として知られているが、この作品には魔術も存在しない技術も出てこない。しかし状況が奇想天外なので私はかなりSF的な要素が含まれていると思っている。あらすじをウィキから引用すると。

物語は1872年10月2日のロンドンに始まる。独身の紳士、フィリアス・フォッグは物事を尋常ではない正確さで行う習慣と、カードゲームに熱中する癖があったが、ロンドンの紳士クラブ「リフォーム・クラブ」(The Reform Club)のメンバーであること以外は全く謎で、裕福であることの理由も定かではなかった。

フォッグの前の執事はひげそりに使うお湯の温度を華氏で2度間違えたために解雇されてしまい、新たにこれまた規則正しい生活態度を尊ぶフランス人のパスパルトゥーが雇われた。

その日の夜、リフォーム・クラブでフォッグは会員たちと新聞のある記事について議論をした。「イギリス領帝国に新たに鉄道が設けられた」という記事と、それに伴って(略)80日で世界一周ができるという計算結果が載っており、フォッグはこれが実現可能なものであると主張する。

フォッグはこれを立証するために自ら世界一周に出ることを宣言し、自分の全財産の半分にあたる20,000ポンドをクラブの会員たちとの賭け金にする。残りは旅費に充てるため、期限内に世界一周を果たせなかった場合、全財産を失うことになる。フォッグは当惑するパスパルトゥーを伴って、10月2日午後8時45分発の列車でロンドンを発つ。彼のリフォーム・クラブへの帰還は80日後の12月21日の同じ時刻とされた。

主な登場人物は主人公のフィリアス・フォッグ、執事のパスパルトゥー、ロンドン銀行で起きた窃盗事件の容疑者としてフォッグを付け回すスコットランドヤードのフィックス刑事、インドでフォッグに命を救われる女性アウダの四人だ。

この四人の登場人物の性格は正確に描かれる必要がある。なぜなら彼らの性格が後の物語転換に非常に重要な役割を果たすからである。

もともとフォッグは規則正しく時間通りに行動する病的に几帳面な人間だ。だから自分の執事が髭剃り用の湯の温度をちょっと間違えただけで首にするなどという理不尽なことをするのである。そんな性格だから、新聞記事の時間表をみただけで自分には出来ると思い込んだのだ。

そんなフォッグに認められて一緒に旅をすることになったパスパルトゥーは自分の主人の才能を疑わない忠実な助手である。どんな苦境に出会っても、主人と運命を供にすべく命がけの行動をする。

この作品は原作出版当時から何度も舞台や映画やテレビドラマになっているが、なんといっても一番有名なのは1956年アカデミー賞を獲ったマイケル・アンダーソン監督の同名の映画だろう。映画を観たことのない人でもあの主題歌は聞いたことがあるはず。また1989年のテレビシリーズは原作にかなり忠実なのでお薦めである。

**さて、前置きが長くなってしまったのだが、今回のシリーズ一回目を観て私が観てられないと思った理由は、私の中にある登場人物の性格が全くイメージと違うということだ。無論私のイメージは1956年の映画デイビッド・ニブンと1989年シリーズのピアース・ブロスナンで出来あがってしまっているから偏見と言えば偏見だが、それでも今回のデイビッド・テナント主演のフォッグは私のイメージと違いすぎる。

まず第一に、テナントのフォッグが病的に几帳面であるという描写がない。最初のシーンで年寄りの執事がふらふらとお茶をこぼしながら運んでくるが、それに対してフォッグが「もっと大きなカップが必要だな」と執事の落ち度を咎めないところから始まる。これは几帳面で綺麗好きなフォッグからは考えられない行動だ。髭剃りの湯の温度が二度違うというだけで執事を解雇してしまうような男が、お茶をこぼしながら持ってくる年寄り執事を雇って置くはずがない。ここでおのお湯のシーンはなく、どこからか送られてきたハガキに狼狽えるフォッグの描写があるだけ。

紳士クラブで掲載された世界一周の旅の時刻表を読むシーンでも、フォッグが自信を持ってやり遂げられるという安心感を視聴者は持つことが出来ない。フォッグは時間を常に守り通す自分になら出来るという自信より、他に何かを証明するために出かけようとしているかのようで、観てるほうは不安感をぬぐえない。

前の執事が解雇された後にやってきたパスパルトゥー(Ibrahim Koma)も、実はエイジェンシーの紹介ではなく、紳士クラブでケンカをして警察に追われたウエイターが執事経験を偽ってフォッグの家にやってくる設定になっている。今の時代なのでフランス人のパスパルトゥーが黒人なのは別にいいとして、彼の背景がフランスのレジスタンス運動とか、ちょっと待ってよといいたい。パリに着く早々主人のフォッグを置き去りにしてどこかへ行ってしまい、フォッグが暴徒に襲われて身ぐるみはがれるという憂き目にあう。忠実な従者であるパスパルトゥーは絶対こんなことはしない。

そしてもうひとり、原作にはないアビゲール・フィックス・フォ―テスク(Leonie Benesc)という女性記者。名前からしてどうやらこれは原作でフォッグたちを追い回すフィックス刑事の役割を果たすようだ。確かに銀行での窃盗事件が扱われていないので、そういう設定にするならそれはそれでもいいが、だとしたら最初から彼女がフォッグたちと行動を共にするのはおかしい。フィックス刑事のようにフォッグとパスパルトゥーを追いかける形にすべきだっただろう。それにこういう生意気な女を描くなら、80日間、、よりグレート・レースのリメイクの方がよっぽども合っていると思う。なんにしても、どんな場合でも冷静を失わないフォッグが生意気な小娘や反抗的な執事に振り回されるというのがどうしても私にはついていけなかった。

この作品はファンタジーといってもいいものなので、パスパルトゥーが黒人でもフィックスが女でも構わないが、彼らの描き方があまりに現代風だと、フォッグの威厳が保てなくなる。一体誰が主役なんだ、一体この作品の目的はなんなんだと観客は非常に混乱する。

ミニシリーズだから色々加えたいのは解るが、もうすこし話の筋にあったサイドストーリーを加えるべきだったのでは?

この作品には他にいくつも別バージョンの映画やテレビシリーズがあるので、今回のシリーズで時間を無駄にする必要性を感じない。


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