昨日マット・ウォルシのポッドキャストを聴いていたら、カリフォルニア刑務所では自称トランスを名乗る男性囚役者が何人も女子収容所に移転されて、女子受刑者の安全を脅かしているという話をしていた。ある女性は、自認女子の男と同室にされたが、その男は一日中勃起したまま彼女をセクハラ。男は150キロを超すヘラクレスのような体格の大男だったという。しかし女子囚役者が苦情を言えば、罰せられるのは女性の方。男子収容所と違って女子の方は、犯罪の質がそれほど悪くないこともあり、犯罪ごとに分かれているわけではないので、男子の殺人犯や強姦魔でも女子の方に移されると一般受刑者に混じって暮らすことになる。連続殺人犯や強姦魔と一緒に暮らさなければならない女性達の恐怖は想像を絶する。これは残酷で異常な罰といは言えないだろうか?

さて、日本でも自称トランスジェンダーを異性として認めるべきという法律が議論されているが、そのなかで当たり前に起きる懸念が、適合手術を受けていない人が自分は女だと言い張って女子施設に入ってくる危険性である。こういう話が出てくると、トランス活動家の反応はアメリカでも日本でも全く同じ。「心配するな、男性器をつけたまま女湯にはいろうなんてトランスは居ない」とか「トイレは個室だから心配いらない」とか「性犯罪者は今でも存在するのに、トランスと性犯罪者をむずびつけるのは差別」とかいうお惚け作戦に出る。しかし、そんなことをいくら言われても我々女性には全く安心など出来ない。すでに自認のみ女のトランスを女性施設に受け入れた欧米のあちこちで自称女性による性犯罪が多発しているのである。それなのに、日本でだけはそれが起きないなどと言われてもまったく納得がいかない。

今朝自身も自称女のトランスジェンダーである仲岡しゅんという弁護士のエッセーを読んだのだが、この人もまた活動家特有のお惚け作戦に出ている。まず男性器のついたトランスが女湯を使用する可能性について仲岡はこのように説明する。

いないとは言いません。いやむしろ、確実にいるでしょう。極端な主張をおこなう個人というものは、当該主張の是非はともかく、どのような属性の集団の中にも必ずいるからです。 しかし重要なポイントは、いるかいないかではなく、実際問題として、それがどれだけの社会的影響力を持っているか、なのです。少なくとも今の日本では、上記のようなそこまで尖った主張が、何らかの社会的影響力を持ち得るには到底至っていませんし、またMTFトランス及びその支援者の間でも一般的な見解とは思えません。(略)上記のような例外的事例を過剰に重大視し、恐怖を煽ることは、特にその対象が社会的マイノリティである場合、当該マイノリティへの強烈な排除や抑圧の効果をもたらします。

弁護士である仲岡のこの発言は無責任極まりない。未オペのMtFが女湯に入りたがる確率は極めて少ないので心配するなという発言は無責任にもほどがある。どれほど数が少ないにしろ仲岡自身が「確実にいる」と確信している女装男たちの一人でも私が使っている施設に入ってきたら、女性としての私にはこの男を通報したり排除したりする法的権利はあるのか?

極端な差別禁止法が通ったノルウェーでは、女子更衣室に居た女装男子を通報した女性が反対に起訴されるという事件が起きている。差別禁止法を通した日本でもそういうことが起きないという保証はどこにあるのだ?

さて、その上で、MTFが女性用公衆浴場を使えるかどうかは、私が把握している限り、公衆浴場組合では戸籍変更の有無にかかわらず、男性器の有無、すなわち性別適合手術をしているかどうかを基準としているようです。不特定多数が他人に裸体を晒す場の管理者としては、事の性質上やむを得ない判断であり、また合理的な見解と思われます。

これもまた活動家特有のお惚け作戦である。もしも、適合手術を受けていなくても戸籍変更が可能になった場合、浴場所有者は「戸籍変更有無に関わらず男性体の人お断り」という規則を個々に作らなければならない。だが、彼らにこのような規則を施行する権利は法律で認められるのか?

例えば、風呂屋の親父が女装男を捕まえて警察に突き出しても、この男が戸籍上女であった場合、警察は「戸籍上の女が女湯に入るのを取り締まる法律はない」というかもしれない。第一戸籍上の女を男性器のあるなしで排除するのは差別ではないのか?トランス活動家が差別だといって風呂屋を訴える可能性はないのか?いや、風呂屋の親父が差別禁止法に触れたとして反対に逮捕される可能性はないのか?

松浦大悟氏が口を酸っぱくして言っているのはことのことだ。どこかで法律で一線が引かれていなければ、個人がその都度全く違う状況で個々の判断を下さなければならなくなる。しかも間違った判断をした場合法律に触れる可能性があるとなったら、そんな面倒くさい商売を続けたがるひとがどれだけ居るだろうか?

仲岡の女子トイレに関する説明もまったく同じ論理で続く。

まず第一に、「心が女性だ」と当人が言いさえすれば(あるいは当人が思いさえすれば)、直ちにあらゆる女性用スペースを使えるかのような想定が、そもそも日本の法律実務からすれば非現実的なものです。実際の問題状況は、そのように単純なものではありません。

 本人の性自認がたとえどうであれ、我々は他者と社会生活を営んでいます。その中で、MTFトランスによる女性用スペースの使用が妥当かどうかは、”当事者個々の具体的状況と、その女性用スペースの性質との相関関係による“、としか言いようがないと思われます。

トランスというのは、性別移行です。当然、その過程によって変化し得るものであり、かつ、移行の態様や程度は個人差が極めて大きいものであって、合理的な配慮が必要な事柄にも自ずから差異が生じるからです。個々の具体的事情を差し置いて、何か抽象的な基準を語ろうとすること自体が性質上困難なものなのです。

 その上で、当人の個別具体的な状況と、問題となる事柄の性質に応じて、合理的配慮として何が必要なのかという点が問われることになります。

今現在の日本では女子施設の管理人にどのような人がその施設を使えるかを決める権限がある。しかし、活動家は常にその枠を広げようと必死だ。例えばレズビアンバーの経営者がレイディースナイトと言ってその夜だけは女性のみに入店を許すと言っているのに、男性体の自称レズビアンが登場して、自分を入れないのは差別だと大騒ぎしたとしよう(実際に起きた事例)。差別禁止法が通ったら、この経営者にはこの女装男を占め出す権限は保たれるのか?

個人経営の店ならその都度客を受け入れる入れないという判断を下すことは出来るが、デパートや駅の公衆トイレや更衣室には、特に警備員が居るとは限らない。不特定多数の人々が使用するそうした施設で「当事者個々の具体的状況と、その女性用スペースの性質との相関関係による」などという判断を誰がするのだ?

我々が求めているのは「抽象的な基準」ではない。我々が求めているのは断固として合法と非合法の区別である。

仲岡は多くのトランスジェンダーは自分たちの移行の程度をきちんと理解しているので、問題になるような行動には出ないと主張する。そうだろうか?だとしたら先日裁判で負けた経産省職員の要求はどうなるのだ?周りの人たちは彼を女性と認めていないのに、女子トイレに入れないのは不当だとして訴えたあの件はどうなる?

さて最後に、女子施設で犯罪を犯すのは犯罪者でありトランスジェンダーとは無関係という屁理屈。

更に言うならば、Twitter上で懸念されているような、”MTFトランスを偽装した者”による違法な目的での女性用スペースへの侵入が、「自分はトランスだ」と言いさえすれば直ちに正当化されるかのような想定も、少なくとも日本の刑事司法の実務からすると、現実を極端に単純視しているとしか思えません。
 私も刑事事件を扱い、またこういった問題について警察へのヒアリングもしたことがありますが、日本の警察もそこまでお人好しではありません。結局は生の事実の中で、当人の事情や、あるいは立ち入りの理由や目的、態様といった具体的事実関係からして違法な行為といえるかが問われることになるでしょう。例えば、盗撮など違法な目的での女性用スペースへの立ち入りであれば、シス女性であったとしても建造物侵入罪になり得ます。つまり、トランスかどうかがここでの本質的な問題ではないため、たとえトランスであると偽称したからといって、違法な目的での侵入が直ちに正当化されるわけではないのです。
 それどころか、むしろ日本の刑事実務では、オペ済みのトランス当事者であっても、法律上の性別変更をしていなければ、もともとの戸籍上の性別にしたがった刑務所に割り振られるという現状があるほどです。

刑事事件を扱ったことのある弁護士の言葉とも思えないほど人をバカに仕切った発言だ。もちろん、どんな施設であろうとも盗撮や窃盗という行為が犯罪なのは当然だ。犯人の性別は関係ない。だが我々が話しているのはそういうことではない。

現在の法律では、その場所に居るべきではない人間が、その空間に侵入してくること自体が犯罪だ。だから女子専門施設に男子が立ち入るということは、それ自体が犯罪とみなされる。だが、自認のみの戸籍変更が許されるとなれば、戸籍上の女性をどうやって施設管理者や使用者が排除することが出来るのだ?彼らが盗撮や窃盗を行っている証拠がなければ、自分は単に戸籍上の性にあった施設を使っているだけだと言われたら一般人には反論の余地はあるのか?

そして最後の「日本の刑事実務では、オペ済みのトランス当事者であっても、法律上の性別変更をしていなければ、もともとの戸籍上の性別にしたがった刑務所に割り振られるという現状」という理屈も、裏を返せば戸籍さえ変わっていれば適合手術済有無にかかわらず、自称女の男性体極悪犯罪者が女子収容所に入ることも可能だということになる。未オペ男性でも自認のみで戸籍を女性に変えられることになれば、必然的に起きるこの問題を仲岡は全く言及しない。

ここまで述べたことは、当然ながら、女性用スペースの安全性が害されて良いということを意味しません。結局のところ、この問題の行き着くところは、トランスであろうがなかろうが、また女性であろうが男性であろうが、性的な暴力それ自体に対する刑罰や被害救済、あるいは教育や啓発の問題として捉えられなければならないはずです。

 しかし、なぜか今、一部の尖った例が引き合いに出され、あたかもトランスの問題かのように「議論」されている状況があるように、私には思えてならないのです。

性犯罪を犯すのは圧倒的に男性であり、その被害者は圧倒的に女性や子供だ。その事実を無視して「女性であろうが男性であろうが」という表現は非常に不誠実だ。トランスジェンダーのなかに、例え一部でも男性体のまま女子施設に入って女子にセクハラしたいと言っている人たちが居る以上、むやみやたらにトランスジェンダーを女子施設に受け入れることが女子にとってどれだけ危険な状況かは明白だ。ましてや自認のみのトランスを受け入れるということは、明らかな性犯罪者を女子施設に招き入れるも同然である。

仲岡は他のトランス活動家と全く同じで、女性達が持っているこの懸念について全く言及せず、そんなことはあり得ない、心配いらない、とお惚けを繰り返すだけだ。

追記:特例法廃止提案に関する記事を張っておく。

日本学術会議がトランスジェンダーに焦点をあてた提言を発表「特例法を廃止し、性別記載変更法の制定を」(松岡宗嗣) – 個人 – Yahoo!ニュース


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