この間、マウントラッシュモアの演説でトランプ大統領も取り上げていた左翼によるキャンセルカルチャーだが、今回はこの風潮は保守派より左翼系の人のほうが犠牲になりやすいという話をしたい。

さていったいキャンセルカルチャーとは何ぞや?これは十分に左翼思想に染まっていない人の何気ない発言を取り上げて、その人の雇用主やスポンサーに大量のメールを送って圧力をかけ、その人の生活手段を奪い社会から抹消する文化のことだ。「だれだれさんがキャンセルされた」というのは、その人が社会から疎外され人生を破壊されることを意味する。

これは何も今に始まったことではない。1980年代にトークラジオで一躍人気者になった右翼保守DJのラッシュ・リンボーなどは、左翼活動家がリンボーの番組のスポンサーの不買運動をするなど圧力をかけ、リンボーのラジオ番組を打ち切らせようとした。その圧力に負けて提供から降りたスポンサーも何社かあったが、それでもリンボーは人気がありすぎたため生き延びることが出来た。今でもフォックスニュースのタッカー・カールソンなどはしょっちゅうこの手の攻撃の的になっている。

しかし、リンボーにしろカールソンにしろ、彼らの右翼保守の立場は誰もが知ることで、今更彼らが保守的な言動をしたからといって誰も驚きはしない。彼らの雇用主もスポンサーもファンも彼らの意見を知ったうえで支持しているのだから左翼から苦情が来たからと言って、だから何なんだといった程度のことだろう。

問題なのは常に敬虔なる左翼リベラルとして生きてきた人や、特に政治的な見解など持ち合わせず無難に生きてきた人々が、十分に*ウォークでないという理由で突如として世界一の悪人と告発されて責められることだ。(*ウォーク:過激な左翼思想に目覚めている人)

例えば今話題のJ.K.ローリング女史などがいい例。同女史著のハリー・ポッターは2000年代に大旋風を巻き起こした人気大作。彼女はイギリスの移民政策などでもかなりバリバリの左翼リベラル。ところが最近彼女のトランスジェンダーに関する見解が元になり、こんな敬虔な左翼リベラルですらもキャンセルされそうな状態である。彼女の犯した罪と言えば、「トランス女性は女性ではない」という常識的な見解。

立派なことにローリング女史はハリーポッターの三主役の役者たちをはじめ作家やセレブなど多くの左翼から袋叩きにあっているが、全く怯む様子を見せない。私は女史のファンではなかったが、このことに関して怖気づかずに自分の主張を押し通している姿に拍手を送りたい。

こうしたキャンセルカルチャーに疑問を抱く左翼系の作家たちがキャンセルカルチャーを批判する声明文を発表した。この声明文の署名に名を連ねているのはローリングはじめノーム・チョムスキー、サルマン・ラシディーといった著名な左翼系作家ばかりである。この中の一人でもトランプに投票したような人は含まれていない。

その内容はといえば非常に常識的なものだ。おおざっぱにまとめると、

最近は意見が違う人間の言論を検閲する傾向がある。過激派右翼ならいざしらず、我々左翼リベラルが、違う意見に不寛容になり複雑な問題を盲目的な道徳観念で恥かしめ社会から疎外するのはよろしくない。我々こそもっと色々な角度から豊富な議論を尊重すべきである。しかし最近ほんの些細な反則と取られる意見でも、速やかかつ厳しい罰をあたえることを求める声が多く聞かれすぎる。さらに問題なのは組織のリーダーたちが評判を失うのを恐れて慌てふためき、慌ただしく不均衡に厳しい罰を与えている。

その例として出版された本が引き下げられたり、記者が特定の記事を書くのを禁じられたり、教授が特定の作家の文章を引用するのを妨げられたり、組織の代表が些細な間違いで辞任を余儀なくされたりしている。個々の件の詳細はどうあれ、我々が罰を恐れずに発言できる範囲がどんどん狭まっている。多数意見から少しでも外れれば、いや、充分に積極的に同意していないというだけで、作家や芸術家や記者たちはその生活手段を奪われる危機に直面する。

無論この声明文に対してはすでに猛攻撃が始まっている。その迅速かつ猛烈な反撃に耐え切れずに、署名を撤回する作家たちも出てきているほどだ。

これに対する反論は「キャンセルカルチャーなどと言うものは存在しない」という意見。クリオ・ロウズのこの反論はもう典型。

ロウズは声明文の言うキャンセルカルチャーなどというものはなく、それは単なる自己責任文化(Consequences culture)だという。コンセクエンスというのは自分のした行動が起こす悪い結果のことを言う。ロウズが言うに、作家が公の場で公表した意見は批判されて当然、それは別に検閲でもキャンセルでもないというのである。

無論こういう反論は不誠実極まりない。ロウズも十分承知のことだが、主流左翼の意見に少しでも外れたとされる人々は、単に公の場で批判されるというだけでなく、彼らが意見を発表する場を奪われるのだ。声明文が指摘しているように、作家と意見が違うというだけで出版社に圧力をかけてその作家の本の出版を妨げたり、大学教授が大学から首になったり、公演会場を暴力で脅迫して演説かの公演を中止にさせたりするのは単なる批判ではない。

こうした運動の主導権を握っているのがロウズのような超過激派左翼なのである。ロウズは特にローリングへの批判について、

私たち(一人で書いてるのになぜか二人称)はこれをアラシを扇動するために書いているわけではなく、心を広くもって正裁に注目したフェミニストの空間に招待するために書いている。私たちは自己責任と個人がトランスそしてノンバイナリー及び生理平等とインターセクショナルフェミニスト運動により成長することを奨励するために書いている。

この訳の意味が全く分からない読者諸氏、ご安心あれ、原文はもっと訳が分からない。これは英語ではなく左翼ウォーク語だ。我々常識人にわかる範囲ではない。しかし怖いのはこういう頓珍漢な人たちがローリング及び著名な左翼作家や記者たちの言葉を検閲しているということだ。

右翼保守はもうずっと前から講壇を失っていた。SNSは右翼保守には不寛容だ。しかし左翼のなかからも現代のキャンセルカルチャーへの批判が出てきたことはよい傾向だと思う。ローリングやこの声明文に署名した人々のように、多くの人がキャンセルカルチャーを恐れずに勇気をもって発言すれば、こんな文化はすぐにでもつぶせる。

早くそんな時代になってほしいものだ。


3 responses to 左派の方がかえって犠牲になるキャンセルカルチャー

よもぎねこ4 years ago

>主流左翼の意見に少しでも外れたとされる人々は、単に公の場で批判されるというだけでなく、彼らが意見を発表する場を奪われるのだ。

 数年前、カカシさんがここで左翼の「ノープラットフォーム」という運動を紹介しておられましたね。
 あれは左翼が自分達の気にいらない保守派の講演会などを攻撃して、彼等の言論を封殺していくという運動でしたね。

 それで今の状況を見ていると、彼等は保守派を黙らせたので、次に矛先を自分達の仲間内へと向けるようになったのではないですか?

 これってロシア革命の時に、皇帝一家始め帝政時代の政治家や貴族を殺戮し終えた共産主義者が次に自分達の仲間内で粛清を始めたのとまったく同じメカニズムでしょう?

 彼等が銅像を倒す映像を見ていて思ったのですが「コイツラは今は銅像を倒しているけれど、今度は人を倒すだろう」と。
 しかし考える既に結構な数の人間が倒されているわけです。

 こう言うのを見ると「革命」って本当に恐ろしと思います。
 こういう人間達に本当に権力を持たせたら、スターリンや毛沢東が行った大粛清が起きるのは、当然でしょう。

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苺畑カカシ4 years ago

よもぎねこさん、

数年前に私が書いたノープラットフォームを覚えていてくださいましたか、まさしくその通りですね。

フランス革命は皇室を崩壊する目的で始まりましたが、結果的に革命を始めたもの同士で殺し合いとなってしまいましたよね。最初の頃はルイ王政に反対する貴族なども革命派に加わっていましたが、王政が崩壊した後は庶民の矛先はこれら貴族に向けられ、そして当初革命を始めた人々もどんどんギロチンの犠牲になりました。独裁者のナポレオンの台頭でやっと収まったという始末でした。それと全く同じことが左翼の間で起きていますね。

右翼を黙らせるという目的でリベラルは左翼の右翼への言論弾圧を甘んじてきました。でも過激派左翼の攻撃対象が右翼だけでおさまるはずがないことくらいは分かっていたはずです。右翼が弾圧されている時に黙っていたリベラルが今頃文句を言うのは偽善です。

穏健派左翼リベラルは過激派左翼に勝てるでしょうか?もしそれが出来ないのであれば、穏健派リベラルはこぞって共和党に逃げ込むでしょうね。

今後どうなるのか見ものです。

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