私とミスター苺は一応中高年ではあるが、まだまだ死と向き合うには若すぎる年代。両親の代(80歳代)になってくると回りの人がどんどん死んでいって寂しいということもあるが、我々はまだちょっとという感じ。それでもちょっと年上の友達などは深刻な成人病に悩んでいる人も結構いる。だから突然の死の知らせは全くあり得ないことではない。

近い知り合いが三人続けて亡くなった。(このエントリーを書いてる時は二人だったのに、昨日もう一人なくなり三人になってしまった。)一人は同僚で数年前までカープールをしていた仲間。そして数日間のうちに続けて亡くなったのが我々夫婦とは長年の友達で、ひとりはミスター苺のビジネスパートナーでもあった人だ。

カープールと言うのは車の相乗りのこと。自宅が近い数人の同僚が毎日交代で運転して通勤するシステム。公共交通機関が発達していないカリフォルニアでは必要なシステムだ。Mさんは私と同年代だったと思うが、仕事熱心で病欠などしたことがない人だった。いや、彼が病気だなどと言っているのを聞いたことがなかった。カープールは数年続けたが、Mさんは仕事熱心過ぎて仕事に熱が入ると我々が待っていることも忘れて何時間でも仕事に没頭してしまった。三時間待たされることなどざらにあった。それで結局彼はカープールから追い出されてしまった。Mさんの仕事熱心さは度を越していたので、多分身体の調子が悪いのも無視して仕事をしていたのだろう。なにせ彼が病欠したという話は聞いたことがなかったから。

その彼が入院したと聞いた時はもう駄目だなと思った。あの人が入院するくらいだからよっぽどの重病だろうと同僚たちは口々に言っていたが、案の定数日後に亡くなったという知らせを聞いた。たしかまだ50代だったはず。どうしてもっと自分の身体を気遣わなかったのか、残念で仕方ない。

その次に亡くなったという知らせをもらったのが友人のN。実はミスター苺と付き合い始めた頃、カップルとして初めて参加したバーティがNの家だった。Nは若いころから超肥満で、まあ大食いだった。共通の友人が心臓発作で倒れ見舞いに行った帰りに寄ったレストランで食べ放題パスタを三回もお替りしてまわりのみんなに呆れられていた。パーティの時、私が持って行った50個の餃子の皿を自分の膝の上にのせて一人で食べそうになったくらい(私が途中で取り上げなければ、、)だ。

アメリカ人の肥満というのは太り気味どころの騒ぎじゃない。特にNの場合は標準体重の三倍以上はあった。よくもあんな体で生きてられるもんだとミスター苺も私もずっと思っていたのでNが心臓発作で倒れひん死の状態だという知らせを聞いた時も、誰も驚かなかった。 60歳まで生きたということ自体が奇跡だったのだ。 健康管理ゼロの人間だったからしょうがないだろう。

そして昨日ミスター苺の親友Bが亡くなった。これは私もミスター苺もショックだった。Bとミスター苺は30年来の親友で、同じSF作家として共作で何冊か連載小説を書いていたビジネスパートナーでもある。Bは短編集の編集の仕事などもしていた。売れない作家時代によく我が家に来てはただ飯を食って帰っていった。何度外食を奢ってやったか数えきれないほどだ。それでも人柄がよく誰からも好かれたので、ボヘミアンのように友達の家を転々と泊まり歩く生活を20年以上もしていた。車も持っておらず、どこへもてくてく歩いて行ったり、他人に運転してもらったりしていた。それでも書いても大したお金にならない短編小説やテレビの脚本などを書きながら、あの頃のBは貧乏でも生き生きしていた。

それが10年くらい前、大金持ちの両親が亡くなって遺産ががっぽり入った途端、Bは作家を廃業して引退。フロリダの田舎で悠々自適なご隠居生活を始めた。はっきり言ってこれがいけなかった。Bは実家に帰って一人暮らしを始めたが、隠居生活を満喫し過ぎてどこへも行かず、我々や他の友達の居るカリフォルニアにもあまり帰ってこなくなり、時々会うと10キロ、20キロと体重が増えていた。お金も暇もあったのに医者にはキチンと行っていなかったらしく、前立腺癌だと解った時はもうステージ4という末期状態。癌と解って亡くなるまで三か月も持たなかった。Bは我々より数年年上だったが、まだ60代だった。

亡くなった人達の悪口は言いたくないが、この三人に共通している点は自己の健康管理が全くできていなかったという点だ。NはしょうがないとしてもMさんやBは医者に行けなかったわけじゃない。それなのに一年に一度の健康診断さえ受けていなかったのだろう。きょうび50代や60代で死ぬなんて早すぎる。昔の人だって100歳まで生きられる時代だ。

私たち苺畑夫婦は絶対100歳以上生きて見せると決断したのであった。

Mさん、NとB。三人のご冥福を祈るものなり。God bless. RIP.


3 responses to 友人の死

出雲の乙5 years ago

僕はこれでもバイク乗りの端くれで、天気さえよければ仕事にもバイクで行きます。で、「バイク速報」というまとめサイト、アメリカにあるかないか知りませんが有名掲示板の特定の話題(スレッド)をまとめたサイト、があります。
あるとき、ある話題のスレッドで、ある人がこう書き込みをしたのです。

「誰かが、どんな状況でどういう死に方をしようと、
 結局のところそれが彼の寿命であり、天寿を全うしたのだ」

僕はこの意見に賛同します。てか、そう思うしかないんですよ。
人の命は牡丹花火のよう。そういうものなんです。

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出雲の乙5 years ago

↑賢いあなたは気づいただろうけど「牡丹花火」じゃなくて、「線香花火」ね。
最近花火はしないから間違えましたm(_ _)m

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苺畑カカシ5 years ago

出雲の乙さん、コメントありがとうございます。

線香花火は懐かしいですね。アメリカでは個人的に花火で遊べる場所が少ないので、もうそういう遊びはずっとしていません。今年は独立記念日も病気してしまい花火大会にも行けなかったし。

おっしゃる通り、人の命ははかないものです。私たち夫婦の友達は、一人ジムラット(ジム通いが趣味の男)の健康男が居るだけで他は超肥満体で糖尿だのパーキンソンだのに病んでる50代ばっかなのです。大学時代からの仲間が一人、また一人と早死にするのを見るのはつらいです。

カカシ

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