とあるイギリス人フェミニストが言っていたが、「トランス女性は女性です」ということを事実とするならば、いったい女性とは何かという疑問が生まれる。トランス「女性」は必然的に医学的には男性なわけだから、彼らを女性に含むとなると生殖機能の差や染色体で女性を定義することはできない。

では何をして女性は女性たるのか?その定義ははっきりさせなければならない。

単に自分は女性だと言い張る人を女性として認めろと言われても、そんなことをしたら女性と言う定義の意味が全く失われてしまう。なんでもありは何もないのと同じだからである。そんな話をしている最中にツイッターでこんなつぶやきを見つけた。

ニューハーフとか言って服を着てれば女性に見えるような人達で下半身手術はまだという人でも嫌なのに、髭面で禿で完全な男性体のおっさんまで女性として認めろというなら、もう女性という言葉には全く意味がない。こんな多様な人達を女湯に入れろというなら、これはただの混浴であって女湯ではない。

それにしても多くの反トランス活動家たちも問いかけているように、何故許容を要求されるのは常に女性なのだろうか?女性が多様だというなら男性も多様なはず。自分が女だと思い込んでいても、男湯に入って何の不都合があるのだろうか?肉体的には同質の男性達と一緒にお風呂にはいることの何が不満なのか?

ちなみに拙ブログでも記事を紹介した三橋順子遠藤まめたも男性器をつけたまま女湯に入れろなどと要求しているトランス「女性」などいないと松浦大悟さんを被害妄想扱いしていたが、結局こういうことになったではないか。

だから左翼の二枚舌に騙されてはならないのだ。彼らの目的は常に非常に過激なものだ。だから左翼思想になじみ深い我々が口を酸っぱくして警告しても、一般人には信じがたいことが多い。それを利用して左翼は常に常識人であるかのように振る舞い、警告する我々を気違い扱いする。だがいずれ彼らは尻尾を出す。今の情報時代、本音をいつまでも隠し通すことなど不可能だ。

我々にとっての救いは、左翼は常に時期尚早に戦いを挑んでくるということ。十分な根回しをして人々の同意を得てから制度を変えようとするのではなく、無理やり制度を変えて人々の服従を要求する。こういうやり方は一時的には成功しても、根本的に人々の理解を得ることにはつながらない。それどころかかえって反感が増すだけだ。

我々はここしばらくは彼らの横暴に付き合わなければならないだろう。だが、彼らの要求が過激になればなるほど、圧倒的多数である人々の中から彼らへの憎しみが強く湧き出るようになる。少数派への気遣いとしてある程度遠慮していた人々も活動家らの傲慢さにいずれ我慢できなくなる時がくる。そうなった時にとばっちりを食うのが、理不尽な要求をせずに埋没して生きていた本当の意味のトランスたちなのだろう。ついでも無関係なLGBたちも迷惑を被るかもしれない。


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