今回の帰省中や往復飛行機の中で日本のテレビ番組や映画を色々観たが、どうも気になることがいくつかあったので書き留めておきたい。

タメ口

先ず気になったのが言葉使いの変化。近年私は「タメ口」という言葉を学んだ。最初何のことかわからなかったのだが、文脈からどうやら先輩らに対して敬語や丁寧語を使わず友達同士のような言葉使いをすることをいうらしい。昔は誰かがタメ口を使っているなどと文句を言う人は居なかった。なぜなら誰もそんな言葉使いをテレビ番組でしていなかったから。ところが最近ではバラエティなどの出演者が自分のことを「俺」などといって全くはばからない。例え一緒に出演している人たちが友達だったとしても、視聴者は彼らにとってはお客さんのはずで、お客さんが観てる前でタメ口は失礼だという感覚はないらしい。

かと思うと、全く不適切なところでやたらに丁寧な尊敬語を使う人が居る。アナウンサーなどが若い芸能人の話をしている時ですら、「~さんがおっしゃいました」などと言うのはちょっと変。

NHKのニュースを聴いていたらこんな感じのニュースが流れた「犯人は周りから忠告を受けていたのに出かけ犯行に及びました。でも犯行は未然に防がれました。」ニュースというのは口語ではなく文章語を使うべきであり、従来ならば「、、、いたにも拘わらず」「しかしながら、、、」と言うべきところ。私からいわせるとNHKのニュースでこんな言葉使いをするのは信じがたい。しかしこの傾向はすでに去年から観察しているので、これは間違いではなく、すでに正式な話し方として受け入れられているようだ。

ドラマの吹替

外国ドラマの吹替にも気になる点が非常にあった。以前に吹替の台本を書いている人が「いまだに昔気質の人がいて、言葉使いが古すぎる。今は誰もそんな言葉使いをしないと主張しているのだが、」と言っているのを聞いたことがある。だが、今の吹替を聞いていると、どうやら昔気質の人々は皆引退したようだ。昔なら「キャシー、あなたは私の恋人を奪ったのよ。」というところを今では「キャシー、あなたは私の恋人を奪ったんだよ。」となる。日本人同士の若い人たちの会話ならそれでもいいのかもしれないが、どうも洋画でこういう話方をされるとかなり違和感がある。

それでもまあ、これは時代だから仕方ないとしても、韓国の時代劇を観ていて、これはないだろうというものに遭遇した。三国時代の韓国を舞台にしたドラマで、家来たちが王のことを「王様」と呼んでいたのだ。日本ならさしずめ「殿」と呼ぶところであるが、日本の殿様と区別するということでチョナを「王様」と訳したのであろう。しかしながら、「王様」というのは第三者が使う代名詞であり直接相手に使う呼称ではない。「○○様は××国の王様であられる」は良いが、家来が王様に呼びかける時は「陛下」か「殿下」となる。日本でも天皇のことを「天皇様」と呼ばず「帝」もしくは「陛下」と呼ぶように。また同じドラマの中で、お女中たちが王妃のことを「奥様」と呼んでいた。これは「奥方様」だ。妃はそこいらの奥さんたちとは格が違うのだから。

いったいどうすれば、こんな非常識な言葉使いが台本に通るのだろう? 例え最初の翻訳者が無知で間違えたのだとしても、校正する人が居たはずで、その段階で誰も気が付かなかったとは考えられない。素人の私がおかしいと思うくらいなのだから。だとしたら彼らは故意にこの言葉使いを選んだのだろうか?そうだとすれば余計にその理解できない。

時代劇の現代語

帰りの飛行機で「鎌倉物語」という映画を観た。登場人物の服装や乗ってる車から察するに1950年代もしくはそれ以前を舞台にしているように見えたのだが、主人公の若い女性の言葉使いがまるで現代風。昔ながらの時代劇でも最近は現代語を使うことが多くなってきているとはいうものの、あまりにも感性が現代過ぎると、時代物を観ているという雰囲気に入り込めない。

古い時代になると、当時の言葉使いでは現代人には理解できない場合もあるので完璧に歴史に忠実になれとは言わない。しかし現代人でも理解できる程度の古い言い回しは残しておくべきではないだろうか?少なくとも現代とは違う時代の人々の話なのだという印象を持たせるための手段として、今とは違う言葉を使うべきではないだろうか?

私が古臭いだけ?

まあ、現大日本人に違和感がないのであれば、私ごときが苦情を述べる必要もないのかもしれない。だがこうやって少しづつ伝統が失われていくのだと思うと、なにかちょっと寂しい気がする。


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