もう数年前からMTFと呼ばれるトランス女(女装男)たちが生物学的な女子以外を女とは認めないと主張するフェミニストやレズビアンに圧力をかけているという話はすでに拙ブログでも何回かしてきたが、先日もそれにかかわる話題を二つ見つけた。

先ず東ミシガン大学はイーブ・アンスラー著の1994年作の戯曲で女性のセクシュアリティーを全面的に押し出した「バジャイナモノローグ」(膣の独白)を、トランス女性に対する配慮がないとして、今後上演しないことにしたと発表。ここ2~3年、アメリカではこの戯曲の排斥が広がっている。一時は女性の性解放を示すものとして大称賛され、どこの女性グループもこぞって上演したものなのだが、左翼社会のポリコレの変化はめまぐるしい。常にその時代にあった「政治的に正しい」ことをしていないと弾圧される。

さて、それに関連してハフィントンポストがすべてのフェミニストはトランス解放のため戦わねばならない」というオプエドを発表した。トランス連中は、特に女装男たちは、やたらとフェミニストを目の仇に完全服従を要求する。このコラムはその典型。

著者はセンティ・ソジワルという写真からみて明らかな黒人女装男。ソジワルは先ず11月20日はトランスの日だと発表。これは暴力によって殺されたトランスを追悼する日なんだそうだ。ソジワルによると2017年暴力的に殺されたトランスの数は29人と記録的な高さであり、特に有色人種の被害の割合が高いという。この数が多いか少ないかという判断は、他の人口と比べてみないと意味がない。

左翼の黒人が「パーソンオブカラー、色のついてる人」という時は、まず黒人と限定しており、ラテン系や東洋系は年頭にない。残念ながらアメリカ国内で暴力的な死を遂げる黒人の割合は多人種よりも圧倒的に高い。それは、黒人が集中しているシカゴやボルティモアなどで暴力的犯罪が集中して起きているからである。であるから、黒人トランス女が殺される割合が他の黒人男性の殺される割合と同じであったなら、彼の死の原因は必ずしもトランス差別によるものとはいえない。

ソジワルによると、アメリカにおいてトランスにおける失業者やホームレスや健康保険のない割合は非常に高いという。そうして彼らは人種差別やホモフォビアやトランスフォビアの性差別や階級差別といったあらゆる差別の対象となって苦しんでいるという。今日こうした非常に厳しい環境に直面しているトランスコミュニティーが出来ることは、団結してトランスが平等に生きられる社会をつくるべく作戦を立てることだという。

彼に言わせるとトランスになると突然差別されて貧困に陥るかのようだが、もともと労働意欲のない人間がトランスライフに魅かれるという可能性も考えられる。トランスでも普通に仕事をしている人はいるので(明らかな女装男のパイロットを私は見たことがある)なぜトランスに失業者やホームレスが多いのかという問題は真剣に考える必要がある。

トランス人権獲得のための第一の作戦としてソジワルが克服しなければならないと考えるのは、伝統的なフェミニストたちによるトランス(特に女装男)の拒絶意識だ。フェミニストたちは自分たちの空間から女装男を排除してきた。女性弾圧や男性社会における平等といった会話にはトランスが含まれることは先ずない。当たり前だろう、女装男は女じゃないんだから。

フェミニストたちがトランス拒否をしてきた以上、今後はフェミニストたちこそがトランス解放のために最前線に立って戦う必要があるのだという。

トランプ大統領就任を抗議した「女性行進」と呼ばれる左翼女性たちの行進で、女性器を意味する「プシーハット」と呼ばれるピンクの帽子も、ソジワルにあってはトランス差別の象徴。この行進には多々の人種の女性が参加したが、トランス女は含まれなかった。プシーとは膣の俗語であり、それを女性の象徴として活動するということは、膣をもたないトランスやノンバイナリー(男女どちらでもないと主張する変態性の人々を指す)を差別するものだというのである。

ここまで笑わずに読めた人は偉い。今風に言うなら「まじかよ」といった感じの屁理屈だ。ま、彼に言わせるとトランプ大統領はトランスコミュニティーにとっては非常に危険な存在であり、反トランプ活動にトランスを含まないのは差別だというわけだ。

しかし彼はトランス差別はトランプ政権で始まったわけではないと認める。男女差別の問題でトランスは常に会話から排除されてきた、ミーツー運動にトランス女が含まれないのはおかしいとか。

ソジワルはトランス(男女ともに)が性的暴力を受ける割合は非常に高いというが、彼の出す例は要するに売春に携わる人々だ。売春というのは元々危険を伴う商売だ。アメリカのほとんどの州で売春は非合法なので、セックスワーカーなどときれいごとを言っても、顧客には変態が多く、売春婦/夫が暴力を振るわれる可能性は高い。これも、トランスだから受けた暴力なのか、それとも売春婦一般における暴力なのかをきちんと区別しないと意味がない。

しかし、ここでソジワルが無視している現実は、フェミニストが最初に戦った男女差別は個人の選択によって起きたものではないということだ。女性差別は女性という持って生まれた性質によって差別されることであり、本人にはどうしようもない。だが、トランスは自分で選んだ生き方だ。男性優先社会だと本気で信じるなら、なぜ差別されるような女装をわざわざするのだ? 差別が嫌なら普通の男性のように振る舞えばいいではないか。なぜ女装してわざわざ危険な売春という仕事を選ぶのだ?

しかしソジワルは、トランス弾圧を無視する人間にフェミニストを自称する資格はないとまで断言する。特にフェミニストたちのなかでもいまだに勇敢に女装男は女ではないと主張している一部の女性たちのことを彼は「TERFs、トランス排除的過激派フェミニスト」と呼んで侮蔑する。彼はこうした正常な女性たちは右翼保守の家族主義の人々よりもトランスにとって危険な存在だとしている。当然だ左翼同士での亀裂の方が右翼への敵対心より深刻なのは常にあること。

最近のフェミニストたちは全く不甲斐なくトランスの圧力に負けているが、それでもソジワルに言わせれば、まだまだ足りないというのだ。ソジワルにとってフェミニストたちの完全服従がない限り、トランスの人権が守られたことにはならないからだ。まったくなんという男性至上主義!これこそミソジニーだ。

私がトランスコミュニティーに全く同情できないのは、これは彼らが選んだ道だということ。自分らで人に嫌われる行為を選んでおいて、受け入れられないから差別だ、受け入れろと要求するのは理不尽だ。しかも自称トランス女という女装変態男による性犯罪は頻繁に起きている。明らかな男を女性施設に立ち入らせる危険はすでに顕著に表れている。そういうことを常に要求して、やれ平等だやれ人権だと騒ぐ奴らは本当にうっとうしい。

勇ましいことを言っていても、結局アメリカのフェミニストなんてだらしない女たちの集まり。女装男たちのこうした圧力に戦えるのはほんの一部の伝統的フェミニストおばさんたちだけ。まったく情けないもんだ。


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