ツイッターで紹介されていたニューヨークタイムスのこのコラム、De Blasio’s Plan for NYC Schools Isn’t Anti-Asian.  It’s Anti-Racist. (デ・ブラジオ市長のニューヨーク市学校の新計画は反アジア人ではない、むしろ反人種差別計画だ。)を読んでぶっとんでしまった。カカシ注:イタリックをクリックすると元記事につながる。コラムの著者はMinh-Ha T. Pham(ミンハ・T・ファム)というベトナム系の学者でアジア系アメリカ人の教育に関する活動をしていると紹介にある。

で、デ・ブラジオ市長が提案している計画とはどういうものなのかというと、NY市のエリート高校八校への入学審査を従来通り単に高校入試統一試験で上位の受験生から選ぶのではなく、合格生徒の20%をNYの恵まれない地域にある中学の生徒のために枠を取るという計画だ。

市長はいずれ入学試験を一切廃止し、600に及ぶ中学から上位の生徒を受け入れる方針を取る意向だ。こうすることによってニューヨークの高校はNY内の住民の人種と階級を忠実に反映する人口分布になると言う。「これは単に良いということではない、これこそ正しいことなのだ!」とファム氏は言う。

「残念なことに」ニューヨークの東洋系父母たちは、これはアジア人差別につながるといって反発しているそうだ。しかしファム氏は、いや、これはアジア人差別ではない、それどころか反人種差別なのだ、と主張する。

市長の計画を実施すれば、高額な塾に通えない労働階級の子供たちをエリート高校へ進学させることが出来るようになる。ファム氏はこれは人種枠を作るいわゆるアファーマティブアクションでもないという。単に様々な背景を持つ学生たちにレベルの高い公立学校へ通わせる機会を与えるものであり、人種とは無関係だというのである。これらの高校は公立であり、ニューヨーク市民の税金で成り立っているのであるから、すべてのニューヨーク市民に使用の権利があるべきなのに、エリート高校に入れるのはNY高校受験生のたったの5%。去年これらの高校に受け入れられたのは600校あるNY中学のうち21校からだけだった。これは明らかに差別だ!というわけだ。

確かに差別は差別だが、それは学力による差別であって、高校入試が学力で受験生を差別するのは当然だろう。学校は水泳プールや図書館ではない。公営ではあるが、成績によって選りすぐられた生徒のみが勉強する機会を与えられている場所だ。中学でサボって勉強せず、試験もひどい点数を取って来た生徒たちに、両親が税金を払ってるから通わせるべきだというのはどう考えてもおかしい。他にいくらも程度にあった高校があるのだから。

ファム氏はこの計画は人種とは無関係だというがとんでもない。先日もハーバード大学が東洋系の学生が増えるのを懸念して東洋系受験生の判定を故意に下げていたことが判明していることでもわかるように、東洋系の家庭は教育に熱心なので子供たちも他の人種に比べて成績が良いというのは周知の事実。試験によって上位者から選べば必ず圧倒的に東洋人の割合が多くなる。だから試験を無視して程度の低い中学からの受験生枠を20%もとれば、そのぶん優秀な東洋人の入れる枠が減るのである。ただでさえ狭き門のエリート校の20%も試験免除組が取ることのどこが公平なのか?

ファム氏は統一試験が一番偏見のない審査だと言っているNY市会議員のPeter Koo(ピーター・クー、多分中国系)氏は間違っているという。試験では学生の学力を正確に審査できないことは数々の調査で証明されており、特に少数派の生徒に不公平であることも解っていると語る。本当に偏見のない審査をするためにはすべての学生が小学校の頃から同じ環境で勉強をしてこなければならないのだと。

ほ~ら来たあ!人種の問題ではないと言っておきながら「試験は少数派(マイノリティー)にとって不公平」と少数派人種を持ち出してくる。アメリカ後退派左翼の言葉使いをご存知ない読者のために説明すると、彼らがいう「マイノリティー」というのは黒人と中南米系人種のことであり、ここでいう少数民族に東洋人やユダヤ系が含まれていないことは言うまでもない。

だいたいアメリカに住む東洋人というのはどういう人種なのか?ファム氏自身がベトナム系なのだからよくわかってるはずだが、先ずベトナム人はボートピープルといってベトナム戦争後に難民として裸一貫でアメリカに渡って来た人々の子孫。一世目は明らかな労働階級でドーナッツ屋さんやったり日雇い労働したりして一生懸命働いて子供を良い学校へ行かせた人々だ。中国系や日系も100年以上昔に移住して最初は鉄道工事や農園で奴隷同然の仕事をしてきて二世代目三世代目の教育に力を注いできた。移民としては歴史の浅い韓国系も、最初は治安の悪い地域で命がけでコンビニ経営したりして、二世代目からは医者や弁護士になれるように教育熱心に頑張って来た人々。

どうして東洋系の子供たちがエリート小学校や塾に行けるのかといえば、それは親がそのぶんものすごい努力をしたからで、決して恵まれた環境にあったからではない。黒人やラテン系だってやろうと思えばできることで、現にそうやって頑張ってる人々はいくらでもいるのだ。

親が教育熱心だということが恵まれた環境だとはいっても、成績を上げるために努力したのは生徒本人たちだろう。そうやってがんばって受験勉強してきた子供たちを差し置いて、小中学校でさぼってきた学生を20%枠で受け入れるということは、結局成績の良い生徒=東洋人を差別することになるではないか。

ところで、ここでは話題にされていないが、ユダヤ系学生についても東洋人と全く同じことが言える。第二次世界大戦前後に移住して来たユダヤ系は皆貧乏だったが教育熱心だった。ミスター苺は1970年代に南カリフォルニアで中学高校に通ったが、当時エリート中高に設けられた英才教育カリキュラム入れた学生はほぼ全員ユダヤ系だった。(この間同窓会に一緒に行ったが、本当にそうだった。)

何故東洋人及びユダヤ人差別は差別ということにならないのだ?いや、ファム氏の言い分だと、むしろ東洋人を差別することこそ反差別だというおかしな理屈になる。

ファム氏のように、自らが東洋系でありながら、後退派左翼に頭が染まって全く論理だった理屈が考えられなくなるというのは非常に悲しいことであるが、日系でも民主党支持は多いから東洋人だから頭がいいとは言えないということだな。


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