ロッキーホラーピクチャーショーといえば、1970年代のカルトクラシック。元々はイギリスの舞台ミュージカルだったのが1975年に映画化され大ヒット。作曲家のリチャード・オブライアン(舞台版脚本家)の歌唱力を始めとし、ティム・カリー、バリー・ボストウィック、スーザン・サランドン、ミート・ローフなど後に大スターになった面々の熱演が印象的であった。その後この映画はカルト映画として親しまれるようになり、毎週末真夜中に上演する零細映画館が全国のあちこちに出没。ファンたちはそれぞれのキャラクターの仮装をするなどして劇場に現れ、キャラクターの台詞に応えて観客が声を合わせて応援の台詞を投げかけるのが慣習となった。多分今でもイギリスやアメリカのあちこちの映画館で同じ光景がくりかえされていることだろう。
さて、今回、フォックステレビ製作の新ロッキーホラーピクチャーショー(ハイライトビデオ)はこの1975年の傑作映画のリメイク。リメイクならリメイクらしく何か新しいものを観客に提供する必要がある。残念ながら迫力満載だったオリジナルに比べ、このリメイクは全体的におとなしすぎて現実味が沸かないという印象を持った。ロッキーホラーのようなファンタジーで現実味が沸かないという批判もおかしいかもしれないが、どうもこの世界にのめりこめないのである。オリジナルで感じたような肌で感じる恐怖と興奮がこのリメイクからは感じられないのだ。
話を知らないひとのためにざっと説明すると、最近婚約したばかりの若い男女、ブラッド(Ryan McCartan)とジャネット(Victoria Justice)は、ブラッドの恩師エベレット・ボン・スコット教授(Ben Vereen )を訪ねにいく途中で大雨のなか道にまよってしまい、挙句に車はパンク。二人は電話を借りられるのではないかと雨のなかずぶぬれになりながらちょっと前に通りすぎた古い城へ向かう。お城の扉を開けて出迎えたのはなにやら薄気味悪い城の使用人リフ・ラフ(Reeve Carney)。お城ではたくさんの奇抜な格好をした客が集まっており、客たちによる激しい踊りが繰り広げられている。怖くなって出て行こうとする二人の前にあらわれたのが世にも不思議な格好をした気違い科学者フランクン・ファーター博士(Laverne Cox )だった。不安ながらも博士に言われるままに二人は城で一夜を過ごすことになるのだが、、、
実はここまで観て私は非常に嫌な予感がした。そしてかなり欲求不満になっている自分を感じた。先ず、全体的に歌手たちの歌声が小さい。ブラッドがジャネットに結婚を申し込むシーンでは、マッカーテンもジャスティスも決して歌が下手だというわけではないのに伴奏の音がやかましすぎて二人の声がよく聞こえない。二人は結婚を決めたことで非常に興奮しているのにその喜びが伝わってこないのだ。
薄気味わるい古びた城の扉をあけて二人を出迎える使用人リフ・ラフ役のリーブ・カーニーは、いくらメイクをしていても元は美形と解るからなのか、オリジナルのオブライアンのような薄気味悪さを全く感じさせない。
城の中に集まっている客たちによるレッツドゥーザタイムワープアガインの踊りも、コーラスの声が小さすぎるし踊りがおとなしすぎる。振り付けもダンサーの技術もオリジナルの時よりかなり高度だ。にもかかわらずつまらないのは、あまりにも整然としているせいでオリジナルのような奇想天外で野生的な雰囲気が出ていないからだ。この踊りはごくごく普通のカップルであるブラッドとジャネットを震え上がらせるような騒然としたものでなければならないのに、なんかみんなでマスゲーム体操でもやってるみたいでつまらない。
そして極めつけはファーター博士のラバーン・コックスが登場する場面。先ずトランスベスタイド(女装男)を演じたティム・カリーの役を、トランスジェンダーのコックスに演らせたのは、はずれだった。コックスはあまりにも女に見えすぎる。ファーター博士はどう見ても男なのに女装して女のように振舞っているというところに不気味さがあるのであって(しかもお世辞にも綺麗とは言い難い厚化粧)、女に見える人間が女の格好をして現れても不気味でもなんでもない。それに歌唱力と存在感抜群のティム・カリーに比べて、コックスは歌唱力もなければ存在感もない。しかも、演技も下手でかつぜつが悪くて(どっかの運転手みたい)何を言ってるのか聞き取りづらい。
映画は先へ進んでも良くならなかった。モーターサイクルで窓を突き破って城へ入ってくるエディ役のアダム・ランバートもミートローフの器ではない。ランバートはミートローフより顔がいいだけに、かえってそれが仇になっている。たった一曲だけの出番で完全にその場を独り占めしてしまったミートローフの衝撃的なパフォーマンスに比べランバートのエディはお行儀が良すぎて存在感なし。バイクを乗り回してパーティをはちゃめちゃにしたエディに怒るファーター博士のエディへの反応もオリジナルの恐ろしく血なまぐさい場面に比べてこちらはおとなしすぎて話にならない。
これ以上個々のシーンの感想を述べても時間の無駄だ。それより何故この映画は全体的に観客を惹き込むことが出来ないのかについて語りたい。このリメイクは映画の世界と観客に距離感をあたえてしまう。その理由として映画に観客席を取り入れたことにある。すでに映画がクラシックなので観客による映画参加を映画の中に取り入れるという演出をしたのはわかるのだが、それがかえって視聴者が映画の世界にはまり込めない一つの壁になってしまっている。ちょっと映画の世界に引き込まれたかなと思うと、カメラが観客席に引いて視聴者を現実の世界に引き戻してしまうのだ。だから視聴者は映画に感情移入することが出来ない。視聴者はあくまでも登場人物たちは俳優であり演技をしているのだという意識を忘れることができないのである。
出演者の歌唱力や演技力は決してオリジナルに劣るとはいえない。コックスとランバートを除けば、ジャネットのジャスティスやロッキーのスタズ・ナイヤーやコロンビアのアナリー・アシュフォードなどかなりいい。コックスとランバートの歌唱力はオリジナルのカリーやニートローフよりずっと劣るとはいうものの、演出次第でそれはどうにでもなったはずだ。
オリジナルのティム・カリーミート・ローフの場面を改めてユーチューブで見てみたが、思ったとおり、役者の顔をアップにし歌声を全面的に前に押し出している。だから視聴者は他のことに気をとられずに主演者に集中することが出来る。リメイクではそれがされていないのだ。あたかも演出者は観客による感情移入を極力避けているかのようである。
さすがに多々の感情を恐れて安全事態(セーフゾーン)を望む2000年世代のリメイクだけある。
つけたし:往年のブロードウェイ役者のベン・ブリーンのボンスコット教授はチャーミングだ。またオリジナルの主役ティム・カリーが犯罪学として解説係を務めているのもおかしい。(でも何か変だなとおもったら数年前に脳卒中をしたとかで、完全回復はできていないようだ。)
この批評を書き終わってニューヨークタイムスの批評を読んだら、カカシとほとんど同じことを言ってるので笑ってしまった。


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