2月にカリフォルニア州のロサンゼルス大学で、保守派講演家ベン・シャピーロの演説が左翼過激派によって暴力的な妨害にあったという話をしたが、今度はイギリス人保守派政治評論家のミロ・イヤナポリスのドゥ・ポール大学における演説がブラックライブスマターという過激派左翼運動家らによって暴力的に妨害され、運動家の黒人男女が壇上に上がりマイクを乗っ取って意味もなく笛を吹くという態度にでた。主催者側の生徒がキャンパス警察を呼んだが、現れた警察官たちは何もせずに妨害者は好き勝手にやりたい放題をした。ミロはこの講演にあたり、ミロ及び主催者は1000ドルの警備費用を学校側に支払ったとしている。ミロは後に警察の職務怠慢について学校側から警備費用の返済を求めた。
はっきり言って、主催者側は返済どころか学校側を詐欺の疑いで訴えるべきだろう。警備をするという契約で支払ったのに、現れた警察官たちの態度からして何もしないように学校側から命令がでていたことは明白だ。これはベン・シャピーロの時も同じで、警察官は配置されていたが妨害者の暴力を阻止しようというそぶりも見せなかった。
よく、個人の講演がこういう民間人抗議者らによって妨害されることは言論弾圧ではなく、それこそ抗議者らの言論の自由表現だと主張する輩がいる。(他人の言論の自由を妨害することが言論の自由として守られる?そんな馬鹿な理屈があるか?)彼らの理屈は政府が個人の言論を弾圧しない限り、それは言論の弾圧にはならないというものである。
しかしながらここで考えてみよう。私立大学の場合はともかく、公立大学は公共の場である。そこでひとつの意見は尊重するが別の意見は拒否するというのは明らかに言論弾圧だ。そしてこれが大事なのだが、学校側が保守派の講演を拒否することが違法なのでやむ終えず許可しても、妨害者の暴力を意図的に阻止しないとしたら、これは体制による言論弾圧とはいえないだろうか。体制による直接的な暴力制裁はしなくても、一般人を自分らの手先として暴力を奮わせておいて自分らは見てみぬ振りをするなら、それは単に暴力的制裁を派遣社員に任せたに過ぎない。
これが言論弾圧でなくて何なのだ、と私は聞きたい!
体制派が黙認している以上、左翼リベラル運動家が保守派の集会を暴力によって邪魔する行為は今後どんどんエスカレートするだろう。保守派たちはこうした過激な動きにどのように対応すべきなのか色々対策を取る必要がある。
ある教授は公演中に抗議者が大声を上げ始めたら講演者は黙ってスライドショーを始めてはどうかという。声が聞こえないなら目で抗議者たちが特に嫌がるようなメッセージを見せてはどうだろうかと提案する。だがそういうことが続けば妨害者たちはスクリーンにペンキを投げるなどしてスライドショーを妨害するだろう。
ミスター苺は、保守派は大学構内での講演は諦めて、大学の外で講演場を借りて警備は自分らで補えばいいという。無論講演は有料になるが、抗議者からの暴力的妨害を避けられるなら価値があるのではないかという。有料なら抗議者たちも参加費を払わなければならない。そして参加者の持ち物を厳しく調べ、笛だのラッパだのスローガンの書かれた横帯などは没収の上、そういう物を持参した人間は参加費用を返済せずに追放する。
しかしこれも、講演会場となる場所の持ち主に対して妨害者たちが爆弾脅迫などを行なって講演会場が予約を拒否する可能性は高い。すでにそういうやり方で多くの保守派講演がドタキャンされている。
政府が本当の意味で言論の自由を尊重しないからこういうことが起きるのだ。だからこそ憲法を尊重する人間に政権を握ってもらわなければならないのだが、、
心配だ、、、


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