トロントの大学、男女共同シャワー室で男子生徒が女子生徒の裸を撮影

ここでも何度か紹介したが、アメリカの各地でいわゆるバスルームビル(トイレ法)という悪法が提案されて問題になっている。この法律はトランスジェンダーの人々が自分が正しいと感じる性別のトイレやシャワー室や更衣室の使用を許可するというもの。テキサスやカリフォルニアでは反対派の強い抵抗に合い、11月に行なわれる選挙で市民の直接投票でその是非が決められる予定である。さて、PC派が優勢なカナダではいち早くこの悪法が施行されていたようだが、昨日トロントの大学で男女共同シャワー室で男子生徒が携帯電話のカメラを使って入浴中の女子生徒を隠し撮りするという事件が起きた。大学側はこの事件を真剣に取り扱い、男女共同シャワー室制度は一時的に停止すると発表した。
アホか!
性欲旺盛な大学生の男女を裸で同じ部屋に置いておいて何も起きないと思うほうがおかしい。だが、左翼リベラル典型メディアのタイムスの記事が象徴するように、トイレ法支持者はそんな心配は保守派の被害妄想だと主張している。
注意:タイムスは読者を混乱させるためにか「バスルームビル(トイレ法)」は保守派がトイレやシャワー室の男女共同使用制度を阻止するために提案したものだとしているが、一般にバスルームビルとは男女共同使用促進案のことを指す。混乱のないようにここでは保守派の提案は「反トイレ法」とさせてもらう。

保守派は(反トイレ法)は人々のプライバシーや公共安全のために必要だという。保守派の一部ではトランスジェンダーは妄想を持っていると主張する。「女だと思い込んでいる男が女子トイレに入ってくるなんてとんでもない」とメリーランド州の女性は2014年に行なわれたLGBTの非差別法の公聴会で供述した。しかしもっと一般的な議論は、トランスジェンダー女性に門戸を開けるということは、女性の空間に性犯罪者や十代の男子らの覗きを招き入れる危険があるというものだ。(略)

しかしそんな心配を正当化する根拠は全くない。(強調は本文より、カカシではない) すでにいくつかの州や学校区や企業が、トランスジェンダーの人々が自分らの性アイデンティティーと一致する施設の使用を保証する制度を施行しているが全く問題はおきていないという。革新派(カカシ注:左翼リベラル)のメディア注犬のメディアマタースが、この方針を施行している17つの学校区に、セクハラやわいせつ行為があったかどうか聞いたところ、そのような行為があったという話はまったくなく、(メディアマタースは)こうした心配は保守派や政治家たちが人々の恐怖を煽って自分らのLGBT恐怖症を隠そうとしているにすぎないと主張している。

保守派の被害妄想ね、トランス恐怖性人間が恐怖を煽っているだけね、
ハッ!
私がこういう公聴会で質問を許されたなら、ひとつ聞きたいことがある。
「この制度において、トランスではない普通の男性が自分はトランスだと言い張ったばあい、彼の女子施設への入室は許可されるのか?」
ということだ。いまや小型カメラは誰もが持っている時代。普通に歩いていても女子のスカートの下からパンツの撮影をするようなけしからん変態男がいくらもいるというのに、女子シャワー室に男子の入室を許可しておいて、女子生徒の裸の隠し撮りがおきないと思うほうがおかしい。この事件は起こるべくしておきたことと言える。
メディアマタースが調査したという学校区の関係者たちの証言も当てにならない。彼らはこの法律を完全支持している人々であり、実際に問題が起きているなどということを公表するはずがない。実際に警察沙汰にでもならない限り、問題が起きても学校側や教育委員会がもみ消す可能性が大である。すでに被害を受けている女子生徒や父母たちが脅迫されて沈黙を強いられているとも考えられる。
このトロントの大学での事件は、トイレ法反対派には非常に良い例として、今後の反対運動に多いに使ってもらいたい。


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オーストラリアの銃取締法は効果があったのか?

この間の乱射事件直後まだ犯人が誰かもわからないうちからオバマ王はまたぞろ銃砲取締法の強化を主張しはじめた。最近こういうことがあると必ず持ち出されるのがオーストラリアの銃法。豪州は1996年に35人の犠牲者を出した乱射事件を期に全国的な厳しい銃法を施行した。銃法を所持していた市民は銃提出を強制され、提出された銃を政府が税金5億ドルをかけて買い取った。さて、あれから20年、もし厳しい銃法に効果があったのだとしたら、さぞかしオーストラリアは平和な国になっただろうなあと思いきや、それが一口にそうとは言えないのである。

2012年のワシントンポストの記事を読んでいると、全国的な銃法買取りにより凶悪犯罪が激減したとされるが、よくよく統計を見てみるとそう単純な結論を出すことはできない。

2011年のオーストラリアの調査結果によると、銃による殺人事件は銃法施行後59%も減り、銃法による自殺は65%も減ったとある。しかし豪州は元々殺人事件数はあまり高くなかったので統計的には意味がないとしながらも、自殺数の減少は特筆すべきと同誌は強調している。

しかしフリーリパブリック掲示板に載ったエントリー解釈はちょっと違う。

銃法施行後の1997年から2007年の10年間、確かに銃による自殺は減ったが、何故か銃による事故死が1997年の銃法施行以前の三倍に増えているというのだ。また殺人事件ではない凶悪犯罪が法律施行後激増した。別の記事で読んだのだが、それまでに考えられなかった住人が在宅中の住居への強盗事件も激増したという。

傷害事件は1991年の8倍、法律施行後の2倍となり、凶器を使った強盗や泥棒は銃法施行後1997年から2002年で二倍となった。確かに銃による殺人事件数は減ったが、その分ナイフなどを使った殺人事件が同率に上がってしまったため、殺人事件数そのもには変化がなかったという。またこの間、強姦事件は5.1割の増加をみている。

2015年9月のフェデラリストの記事によると、銃法施行後に自殺が殺人率が激減したというのは嘘で、減ったのは銃による殺人や自殺であり、銃を使わない殺人や自殺は激減した事実はない。

1996年当時に比べて現在のオーストラリアの犯罪率は減っているというのは事実。しかしながら、銃法施行直後の数年は犯罪が帰って増えていた。犯罪率が減り始めるのは銃法施行後10年くらいたってからである。何故豪州の犯罪率がここ10年減っているのかについては色々理由があるだろうが、もしも銃法が理由であったなら、施行直後の犯罪増加や法律施行後10年もたってからの犯罪率減少の説明がつかない。2008年にメルボルーン大学が発表した調査も銃法強制買取が殺人率を減らすのに役に立ったとはいえないという結論をだしている。

もっと興味深いのは同時期、オーストラリアの二倍は銃所持率を誇り、厳しい銃法を全く通していないアメリカでも凶悪犯罪が減少の傾向をみせているという事実である。これについては2013年にカカシも書いている

二十年の間に銃による殺人事件は半数に、他の銃犯罪も急激な減少をみせている。減っているのは銃犯罪だけでなく、犯罪全体がアメリカで劇的な減少をみせているのだ。1993年から2011年の間に銃殺人はなんと39%も減ったという。これが殺人に至らない銃による傷害事件になると69%も減ったというのだから驚く。無論、銃はアメリカの殺人事件ではもっとも頻繁に使われる凶器で、三件のうち二件は銃殺人だという。また同調査では被害者が銃を使って身を守ったという件は1%にも満たなかったという。(略)1990年半ばから20年に渡って銃犯罪激減の原因として考えられるのは、申し込み次第許可が降りる銃砲携帯許可法(CCW)が全国各地に広まったことだ。CCW法は2002年から2012年の間でなんと29州から39州にとひろまった。

というわけで、銃法取締りを厳しくしたオーストラリアでも、銃法携帯をたやすくしたアメリカでも凶悪犯罪は減る傾向にあるとなると、一概にどちらの方針が犯罪減少の役に立っているのかとは言えないことになる。

ところで、これはどこで読んだのか今は資料がみつからないのだが、オーストラリアは1996年の銃法買取が行なわれ、6億丁の銃法が破棄されたそうだが、20年後の現在、オーストラリアにはそのほぼ同数の銃が出回っているというパワーラインに寄せられたコメントでもそういう話が載っている。
諸外国の銃法取締法を持ち出してきて、アメリカも見習うべきだというのであれば、実際に諸外国の法律がどういう効果を上げたのか、きちんと調べてから物を言って欲しいものだ。


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政治トークショーでトランスジェンダー(女装男)に挑戦して脅迫された保守派評論家の反撃

以前にもピアース・モーガンの反銃所持姿勢に真っ向から挑戦して圧勝した保守派政治評論家のベン・シャピーロが、三ヶ月ほど前にテレビのトークショーで番組の途中で別のゲストであるトランスジェンダー(女装男)から首をつかまれ脅迫されるという事件があった。これだけならさほど話題にはならなかっただろうが、番組の翌日シャピーロはこの女装男を傷害罪で警察に訴えたことで大きな話題となった。
ことの起こりは今年の7月、CNNのドクタードリューという政治討論会番組で、左翼リベラル6人対保守派のベン・シャピーロ一人と言う公平なゲスト構成での討論で、元オリンピック陸上金メダル選手のブルース改めケイトリン・ジェナーがアーサーアーシュ賞に輝いたことについての話しが出た。シャピーロ以外のリベラルたちはジェナーのことを褒めちぎっていたが、それに対してシャピーロは、「なぜ妄想を祝福するのだ」と疑問を投げかけた。
シャピーロは、ジェナーの遺伝子はどの細胞をとってみてもXYという男子であり、ジェナーは男性器も取り除いていないレッキとした男性であり、精神病患者の妄想を奨励するのはおかしいと話しはじめると、シャピーロの隣に座っていた元男性リポーターで今はトランスジェンダーでゾーイ・ターと名乗る女装男が「あなたは何を言っているか解っていない、遺伝子で性別が決められないことは誰もが知っている。あなたは遺伝子の知識などない、、」と責め始めた。それに答えてシャピーロは、「あなたの遺伝子は何ですか、サー?」と問いかけた。「サー」というのは男性に向けられる敬称で、尊敬をこめた丁寧な言葉遣いである。シャピーロは決して皮肉で言ったのではなく、意見の違う相手に敬意を評しての言葉使いをしたのであるが、ターは男の敬称で呼ばれたことに激怒し、シャピーロの首筋をつかんでシャピーロを自分のほうに引き寄せ、「それは止めろ、さもないと救急車で送り返すぞ」と脅した。
このおよそ文明人と思えない行為にシャピーロはびっくりして、「それは政治討論会にふさわしくない発言ではありませんか?」と上品な態度を崩さずに質問した。
シャピーロは後に、このビデオをみた母親が「レディとは思えない態度ね。」と感想を述べたことに対し、自分はターの失礼な態度に驚いたため、即座にそういうことは思いつかなかったと語っている。それは当然だ。シャピーロは男なのでターの下品ではあるが男としては珍しくない態度を不思議に思わなかっただけだ。実はこのビデオを見た女性であるカカシの反応もシャピーロのお母さんと同じだった。
後にターをインタビューしたリポーターはターが「普通の女性なら当然な反応をしめしただけよ。」と答えたといっているが、これこそいかにターが女性を理解していないかを顕著に表している。
普通の女性は意見の違う相手に対して暴力的な脅迫はしない。特に相手が男性ならなおさらである。それは物理的に身体も大きく筋力も強い男性に女性は腕力では対抗できないからである。たとえ相手が同じくらいのサイズの人間でも男と女の筋力は比べ物にならない。だから女性は男性と立ち向かうとき、暴力ではなく別なやり方で応戦するのだ。
ターは女装しているとはいえシャピーロよりもずっと図体がでかく腕力もありそうにみえる。理論上で戦えない野蛮な男なら小柄なシャピーロを暴力で威嚇するのはオスとして自然な行為である。だがターが本当の女性であれば、たとえシャピーロが小柄でも男性に対して暴力で脅迫するなどということは普通ありえない。そんなことをしても男性には真剣にあつかってもらえないし、第一女性には男性にないもっと強力な武器があるからだ。
同じ討論会に参加していた本物の女性は、シャピーロのようなトランスに対する憎悪がトランスジェンダーたちの自殺につながるのだ、と感情に訴えた。シャピーロの単なる意見を「憎悪」にすりかえ、トランスたちの自殺をシャピーロのような意見が原因だと罪悪感を押し付ける、卑怯ではあるが、非常に女性的な攻撃である。普通の女性ならこういうふうに感情に訴えた応戦をする。ターのやり方はいじめっ子男子の典型であり、およそ普通の女性の対応ではない。
シャピーロは常に左翼リベラルによる反対意見弾圧を「ブリー」という言葉で表している。「ブリー」とはいじめっ子という意味だが、「いじめる」という動詞にも使われる。シャピーロは左翼リベラルのブリーには断固戦う必要があると述べているが、今回もターの脅迫を警察に訴えるというやり方でシャピーロは左翼リベラルのブリーに応戦した。
無論左翼リベラルの間ではシャピーロが腰抜けだとか、警察い訴えるなど女々しいとか批判しているが、もしもこれが反対にシャピーロが女装男の首をつかんで「黙らないなら救急車で送り返すぞ」などとやった日には、いったい何秒番組で持っただろうか、とシャピーロは後に番組の司会者であるドクタードリューに質問している。
保守派の正当な意見をハラスメントだ人種差別だと大騒ぎする左翼リベラルも、自分らの行為を批判されると相手の反応が大げさだと言う。ひとりのリベラルリポーターなどシャピーロこそが「ブリー」だと言い張る。6対1の討論会で袋叩きにされながら整然と反対意見を述べたシャピーロにゲストの一人が暴力で脅迫したのに、シャピーロこそがいじめっ子だという。
さすがリベラルならではの屁理屈だ。


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本当のレイプカルチャー、欧州一の強姦国となったスウェーデンの悲劇

2012年、スウェーデンの「難民」キャンプで起きた7時間に渡るマラソンレイプは、スウェーデンですでに何年にも渡って起きていた強姦の文化を象徴するものとして背筋を凍らせるものがあった。それまでモスレム移民による地元女性の、その多くはまだ思春期も迎えていない未成年、強姦を政府もメディアも隠し通してきたが、遂にそれが出来なくなった恐ろしい事件である。
29歳の二児の母は、亡命を求めていたアフガニスタン人に騙されて家から連れ出された。女性は難民キャンプに連れて行かれ、そこで十数人のモスレム男たちに7時間にも渡って輪姦された。そのあまりにも暴力的で残虐な暴行により、彼女はいまや車椅子を使い精神病を患っているという。
彼女を襲ったのは少なくとも12人は居た模様。それぞれ酒や麻薬でハイになった男たちが一斉に彼女に襲い掛かり、7時間に渡って彼女を拷問し続けたという。時には三人が同時に彼女の身体を犯したこともあった。そして周りの男たちはそれぞれ歓声を上げ手を叩いて仲間を応援したとリポートにはある。
スウェーデンが大量のモスレム移民を受け入れてから20年あまり、平和だったスウェーデンの強姦率はなんと三倍にもなり、その三分の一の被害者は15歳以下の未成年だという。スウェーデンでは強姦加害者の77.6%以上がモスレム男によるものだという資料がある。モスレム男性はスウェーデン人口の2%にも及ばないのにである。増えているのは強姦だけではない。モスレム移民による他の凶悪犯罪も20年前に比べ急増している。
にも関わらず、左翼リベラルのスウェーデン政府は、自分らの移民受け入れ政策を批判されたくないあまり、加害者がモスレム移民であった場合、ニュースメディアに圧力をかけて犯人の人種や出身国を隠すので、一般市民にはモスレム移民による凶悪犯罪の実態がつかめない。 スウェーデンでは公式発表でも犯罪者の出身国や人種を明らかにしよとしない。凶悪犯罪の報道で犯人の顔写真が出るときはかならず白人。そうでないときは「スウェーデンの何々市住まいの男性」といった書き方で犯人がスウェーデン人であるかのような誤解を招く書き方をする。スウェーデン政府はなんとしてでもモスレム移民による犯罪を過小評価し隠蔽したいのである。
ウェーデンのモスレム移民の統計をみてみよう。
スウェーデンでは公式にモスレム移民の数は発表していないが、アメリカの国務庁の調査によると、2011年のだんかいで45万から50万のモスレム移民がスウェーデンに居住している。同国の全体の人口が9百5十万なので、約5%ということになる。
スウェーデンはEU諸国でも一番移民の受け入れを歓迎している国で、1980年代にはイラク・イラン戦争の難民、1990年代初期にはバルカンの戦争で難民となった10万人を受け入れ、湾岸戦争当時や後のイラク戦争中にもイラク難民を受け入れ、2012年現在、スウェーデンには12万のイラク人が居住しているといわれる。イラク人はなんとスウェーデンではフィンランド系に続く第二の少数民族となっている。
最近ではアフガニスタン、サマリア、そしてシリアからの難民受け入れもしており、その他にもアザバジャン、バングラディッシュ、カメルーン、コンゴ、エジプト、エリトリア、イラン、ヨルダンカザスタン、kレバノン、リビア、マリ、イエメン、、、、といった数々のモスレム圏からの移民を受け入れている。
この記事の書かれた2012年の段階では、2013年までに5万4千の亡命希望者入れる予定で、1990年代から最も多い率となった。2012年スウェーデンは4万4千人を受け入れており、2011年に比べて50%の増加となった。
スウェーデンでは2012年の9月から毎週1250人の割りでモスレム移民を受け入れている。
全体の人口の5%くらないならどうということはないではないかと思うかもしれないが、これが他の文明国からの移民であればそうであるが、ことモスレムとなるとそうはいかない。モスレム移民はホストカントリーの文化に溶け込もうという気持ちが全くないどころか、受け入れた国の文化を自分たちの野蛮な文化へと変えようと考えている。彼らは他国に移住するとき、他国の豊かな文化にあやかろうという考えではなく、他国に侵略しその富を略奪しようと考えているのである。
だから欧州のどこでも(それをいうならアメリカでも)モスレム移民は一箇所に集中して居住し、数が集まると地元市民を圧迫して自分らの文化を強制するようになる。近所にモスレム以外の市民が居れば、暴力などで威圧して追い出し、自分らのシャリア国を建設し非イスラム人を排斥してしまう。
こういう区域は警察も消防署も郵便も交通機関も入っていけなくなる。そしてそれらの居住区のモスレムたちは「ここはシャリア国だ、スウェーデンではない」といって警察すらも入れなくする。
これはスウェーデンだけの話ではない。何度も紹介したがフランス、イギリス、オランダ、ノルウェー、オーストラリア、カナダ、そしてアメリカでも同様なことが起きている。韓国人移民がアメリカ各地でちょぼちょぼと慰安婦像を建ててるなんて柔なもんじゃないのだ!
欧州各国でこのようなことが起きているというのに、オバマ王はアメリカにもこの先10年に渡り百万人以上のシリア難民を受け入れると発表した。全く気違イ沙汰である。
ところでコメンターの方が一般の日本人にとっては難民問題は対岸の火事でぴんと来ないというようなことを書いていたが、モスレム移民の問題が日本に影響を及ぼさないと考えるのは甘い。アラブ諸国やアフリカは日本からは地理的に遠く地つながりでないから難民が日本にやってこないかといえばそんなことはない。
1990年代には日本にかなりのモスレム圏季節労働者がやってきた。日本の経済が低迷したため彼らは国に帰って行ったが、この先日本の経済が立ち直り、ヨーロッパ諸国からの圧力で日本でも難民を受け入れろと要求された、絶対に嫌です、とはいいきれないかもしれない。
言葉も学び、比較的安穏に日本文化に溶け込もうとしているアジア人の移民ですらも、日本はその受け入れに苦労しているというのに、日本侵略を目的にやってくるモスレム移民を受け入れれば、日本がどのようなことになるか、欧米の例からよくよく学んで欲しいものだ。
アップデート:
2017年1月15日
4人に1人の女性が強姦される国とは?アメリカ大学構内ではない!
2016年10月11日スエーデン地元市民、車椅子女性輪姦に激怒、容疑者の正体を隠す警察
2016年9月22日左翼リベラルによってモスレム野蛮人の生贄にされた西洋の女たち
2016年1月19日スエーデン警察、モスレム野蛮人の性犯罪を隠蔽


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共和党大統領立候補者ベン・カーソン氏からメッセージ

共和党から大統領に立候補している一人、ドクター・ベン・カーソンについてお話しよう。彼はカーリー・フィオリナと同じくプロ政治家ではない一般の民間人。ドクター・カーソンは元脳外科の医師で黒人。別に黒人でも白人でも私は興味はないのだが、民主党はやたらと共和党のことを人種差別者だと侮辱するので、あえて言わせてもらう。共和党にも黒人はいくらでも居るし、ドクター・カーソンの支持者は結構いるのだ。
さて、そのドクター・カーソンが何かのインタビューで、自分はイスラム教徒がアメリカの大統領になることは支持できない、というような発言をしてイスラム恐怖症だとかなんとか批判の的になっている。そこで彼は自分の価値観について有権者にメッセージを送っている。無論これは政治コマーシャルなのだが、保守派でもイスラム教批判には消極的な政治家が多い中、こういうことをちゃんと言える人はめずらしい。読む価値ありだと思う。
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親愛なる友へ、

はっきり言わせてもらう。アメリカはユダヤ・キリスト教の価値観によって建設された国だ。
我々は偉大な国家となった地上で最高の多分歴史上でも最も偉大な国となったのも、これらの価値観のおかげである。
政治的に正しい(P.C)警察が独占するメディアは、この価値観と戦争状態にある。
最近私はこれらの価値観を守ったことで非常な批判の的となった。
私は後退する気はない。なぜなら私は他の人々と同じであることになど興味がないからだ。
私は私の価値観や信念を政治的に正しくあるために諦める気はない。
大統領として私は偉大なアメリカの価値観のために戦うつもりだ。
私はアメリカの夢とアメリカのやり方を信じる人々のために戦っているのだ。
アメリカはアメリカに来る誰でも歓迎する。だが彼らはアメリカ人として生きるために来るべきだ。彼らが我々の生き方や自由や憲法を変えようとするのを許してはならない。
私は大統領として憲法を信じ守る人間なら誰でも支持する。
Iだが私はシャリア法を支持したり、シャリア法を破棄しない候補者を支持することはできない。
シャリア法は我等の憲法と自由とは真っ向から対立するものである。
P.C.連中はそれを聞きたくないのだ。
はっきり言って、彼らは私のことも私の政治運動も好きではない。
だが、私の政治運動は私だけのものではない。これはわが国がどの方角に向かっているかということなのだ。
我々は立場をはっきりさせて戦う必要があるのだ。(以下略)

またドクター・カーソンは、イスラム市民団体として非課税対象となっているCAIRをその対象から除くべきだと呼びかけている。なぜならば、CAIRはモスレム同胞団などのテロリストと深い関係があるだけでなく、ドクターカーソンの立候補を取り下げるべきだと政治運動をしているからで、宗教団体や慈善事業団体の政治運動は法律で禁止されている。保守派の宗教団体がささいなことでやたらと税務署の摘発対象になっているのに対し、CAIRはそのあからさまな違法行為を罰せられていない。今こそCAIRは非課税対象からはずされるべきだとドクターは言うのである。
ドクター・カーソンが共和党候補に選ばれる可能性はかなり低い。だが、最初から取り合ってもらえないと思っていたドクター・カーソンの支持率はこの発言以来上昇中である。有力候補と言われていたジェブ・ブッシュなど、もう風前の灯。
プロの政治家ではないドナルド・トランプやカーリー・フィオリナやドクター・カーソンが人気があるのことで、どれだけ共和党の有権者が体制派共和党員に嫌気がさしているかが解るというもの。
マーク・ルビオとかテッドー・クルーズは政治家でも結構革新派。これは決してリベラルという意味ではない。体制派ではないという意味。共和党政治家たちは何故かリベラルのPC度に遠慮して本音が言えないでいる。だが本音を言ってるアマチュア政治家たちの人気が上がっていることからプロも学ぶべき点がいくらもあるはずだ。
いい加減ルビオやクルーズがアメリカの価値観を守るべきというのを聞きたいものだ。
私はトランプは信用していないが、カーソンやフィオリナは好きだ。ただ、彼らに大統領が務まるかどうかとなるとかなり疑わしいと思う。彼らは政権内の長官などには最適だと思うが。やはり大統領は政治家にやってもらいたい。だが、政治家でもジェブ・ブッシュのような体制派では駄目だ。
なんとか若手政治家にがんばってもらいたい。


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またまた銃所持禁止地区で起きた乱射大量殺人事件、銃規制法が守れなかった9人の命

先日10月1日、オレゴン州にあるコミュニティーカレッジ(短大)で乱射事件がおき、9人の生徒が死亡、十数人が重傷を負った。こういう事件が起きると、アメリカ左翼リベラルの間では事件の詳細が明らかになる前からすぐに「銃砲規制法」の強化を声高にとなえるのが通常となっている。だが、我々のように銃犯罪に常に注目している人間なら誰でも、またしても乱射事件がガンフリーゾーンと呼ばれる「銃砲持込禁止地域」で起きたことに気がつくはずである。
カカシの拙ブログをご愛読の皆さんならもうお気づきだと思うが、乱射事件の起きる場所には共通点がある。先ずダントツなのが学校構内、その次が皮肉にも軍事基地。聡明な読者諸氏はすでにお分かりだろう。これらの施設は銃砲持込を断固禁じているガンフリーゾーン(銃砲持込禁止地域)なのである。
ガンフリーゾーンで乱射による大量殺人が起きるというのも皮肉ではあるが、理屈で考えれば当然の結果だ。大量殺人を目指す人間なら、重武装した人々が大勢居る場所で乱射しようなどとは思わないだろう。ここでも何度も紹介しているように、大量殺人を試みた殺人犯が銃を持った警備員や一般人によって即殺害され、数秒でその犯罪行為が阻止されたという件はいくらでもある。だとしたら大量殺人要望者なら、誰も銃を持って居ないと確信できる場所を選ぶのは当然。それはどこかといえば、
ガンフリーゾーンである!
実は乱射事件の起きたオレゴン州のUmpqua Community College大学では、昨年警備員を武装させるかどうかという議論がおき、その時は武装支持と非武装支持が五分五分にわかれ、校長が警備員の武装は学校の文化を変えることになるからと反対し、結局警備員は丸腰だったという経歴がある。
さて、何度も繰り返しているが、もしもオレゴン州にもっと厳しい銃砲規正法があったとして、この乱射事件を防ぐことが出来たであろうか?すでに述べたように同学校区内での銃砲所持はすでに違法である。ひとつのマガジンに入る銃弾の数も減らされていたが、犯人は複数の銃を所持していた。
犯人が既存の銃砲規正法を厳守していたら、この事件は起きなかったのだ!
もっとも殺人自体が違法だから、大量殺人をしようなんて人間が銃砲規正法を守ると思うほうがどうかしてるけどね。
ところで、余談ではないのだが、この犯人は生徒たちを殺す前に生徒たちの宗教を問いただし、キリスト教徒と答えた生徒は撃ち殺し、そうでない生徒は足などを撃って怪我をさせたという。犯人は友達がそれほど居たようではなく、ソーシャルメディアには友達が二人しかいなかった。
興味深いのはその二人のうちの一人は過激派イスラム教徒で、ユダヤ人は皆殺しにしろとか暴力的なことを言ってるアラブ系の人間だった。
今の段階では犯人がこおのイスラム過激派の友たちに感化されていたかはわからないが、キリスト教徒ばかりを標的にしたということには注目されるべきである。これが単なる気違い男の行為なのかテロ行為なのかそのへんははっきりさせる必要がある。
また、もうひとつ私が非常に気になった点は、犯人はいくつも銃を持っていたとはいえ、たった一人である。何故生徒たちは犯人に言われるままに一列に並んで自分はキリスト教徒だといって一人一人撃ち殺されてしまったのか?何故最初の生徒が殺された段階で他の生徒がこの男に襲いかかるとかしなかったのだろうか?誰も彼もがこの男の正面に居たわけではないだろう。机の後ろに隠れていた人間らが男の背後から襲いかかることは出来なかったのか?
この事件とこの間のフランスの列車の中で起きた事件を比べてみると、その差は顕著になる。あちらの事件ではお手洗いから武装して出てきた犯人に、非武装のフランス人乗客が素手で取っ組みかかった。この男性は犯人に撃たれて重傷を負ったが、その後にまた別の乗客が犯人を追いかけた。居合わせたアメリカ人三人も丸腰だったが、そんなことをお構いなしに男性らは犯人につかみかかった。これらの英雄たちは自分らの危険を顧みずに重武装したテロリストを取り押さえたのである。
大学構内には若い男性がいくらも居たはず。一人丸腰で犯人に立ち向かい五発も撃たれたのは元陸軍兵のクリス・ミンツさん30歳。
もちろん私はその場に居たわけではないので、私自身が勇気を出してアクティブシューターに襲いかかれるかどうかは解らない。口で言うのは簡単だが実際に自分が何が出来るか、その場になってみなければわからない。
もう二年近く前になるが、ワシントンDCの海軍基地で乱射事件があったあと、職場や学校ではアクティブシューター訓練というものが盛んに行なわれるようになった。これは火災避難訓練と同じように、もしも乱射人間が職場や構内に現れたとき、我々はどう対処すべきかという訓練である。
だが、問題なのは、これらの訓練では、隙を見て犯人に襲い掛かり暴力で犯行を阻止せよとは絶対に指導されていない。いやそれどころか、警察や救急隊の人の邪魔にならないように、隙を見て逃げ出すか、犯人が入ってこれないように隠れてドアをバリケードしろと指導されている。犯人に見つかって銃を向けられたらどうすべきなのか、同僚やクラスメートがすぐ横で銃を向けらたらどうすべきなのか、といった状況での指導は一切ないのだ。
たったの一人の気違い人間が、大量殺人が出来るのは、被害者側が自己防衛を出来る手段を奪われているからだ。もしもこの大学に一人でも銃を持った警備員がいたら、生徒の何人かが合法に銃所持を許可されていたら、勇気ある男子生徒が何人かでも居たら、この悲劇は防げただろう。
テキサスのモハメッド漫画コンテストで重装備をしたモスレムテロリストがすべて射殺され、警備員一人が怪我をした以外は誰も被害にあわなかったのも、主催者側が重装した警備員を数人整備していたからである。
テロ攻撃が日常茶飯事のイスラエルでは、どこの学校でも武装した警備員が複数常任されている。
なぜアメリカは学ばない?
いったいどれだけの無防備な生徒たちが殺されれば、この愚かなガンフリーゾーンは消えるのだろうか?
オバマ王の演説を聞く限り、民主党が政権を握っている限りは無理だということがわかる。


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大量のモスレム移民流入に対応できないヨーロッパ諸国

ワシントンポストに載ったこの記事によると、何千という数カ国のイスラム圏から迎えて難民キャンプを作ったドイツの町が、突然膨れ上がったキャンプ住人による暴動などで頭を抱えているとある。
最初は気の毒な難民を助けるべきと思って歓迎した地元民も、度重なるキャンプ住人による暴力や犯罪に今や恐怖を覚え、キャンプ付近でのジョギングをやめ、地元のスーパーなどは警備員を雇うなど、平和だった町の様子は一変してしまった。
ユーチューブでフランスやイタリアやオランダの難民キャンプでも、同じような出来事がおき、地元民が非常な迷惑をしているというニュースをいくつも観た。フランスのとある町ではボランティアの女性たちがキャンプに食料を持っていくと、キャンプの住民は一人筒列に並ぶなどということはせず、一斉に食料の詰まれたミニバンを囲ってボランティアを無視して食料を奪ってしまったり、他のキャンプでは持って行った缶詰食料の賞味期限が切れているといって文句を言った「難民」たちが缶の中身を捨て、ボランティアたちに罵声を浴びせかける模様なども写されていた。
イタリアでは難民を乗せたバスが地元民からの反発で追い返される事件も起きている。
思うに、突然多くの難民キャンプがヨーロッパ諸国のあちこちに出来ているというのは、ある意味でよいことなのではないかと思う。良いというのは決して難民救済が慈善事業だという意味ではなく、「難民」と呼ばれるイスラム圏の外国人たちが実は野蛮な侵略者たちなのだとヨーロッパの市民に理解してもらうために、左翼政治家の口車に乗せられてナイーブに難民救済を信じていたヨーロッパ市民にその実態を知らしめるための良い機会だという意味だ。
地元の人口がせいぜい一万人程度の町に、突然言葉もわからない千人を超える、しかも人相の悪い若い男たちがほとんどの、外国人が乗り込んできたらどういうことになるか想像していただきたい。彼らには仕事があるわけではない。近所の空き地にテントを張って毎日することもなく地元市民のボランティアからもらう食料を待っているだけなのだ。若い男たちが四六時中なにもすることもなく、手持ち無沙汰にしていれば、おとなしくしていると思うほうがおかしい。すぐによからぬ行為に出ることは誰にでも予想がつくはず。
ハンガリーを除くヨーロッパ諸国の政治家たちは、急激な「難民」の発生に受け入れ態勢も整えないまま大量の外国人を受け入れてしまっている。その直接の被害を受けているのが地元の市民たちなのだ。イスラム圏の外国人たちは地元の文化を尊重する気持ちなどこれっぽちも持っていない。ただただ地元の富を略奪し地元市民を虐待することしか考えていない。
今、ヨーロッパ諸国は大変な危機を迎えている。今ここで侵略者たちと真っ向から立ち向かわなければ、ヨーロッパはモスレム侵略者たちに制覇されてしまうのだ。近いうちに地元市民からの圧力で政治家たちも目を覚まさなければ、政権そのものが覆されてしまうだろう。ヨーロッパは内側から崩れつつあるのだ。


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EUを侵略するモスレムたち、あるウクライナ女性が目撃した「シリア難民」の実態

読者諸氏は今ヨーロッパが迎えている大量移民流入の危機をご存知だろうか。この違法移民たちの流入はこれまでのような季節労働者とか難民とかいった柔なものではない。彼らは何千何万単位でヨーロッパ諸国の国境を完全無視して船や電車を利用して乱入しているのだ。
シリアやリビアで起きている内乱のため、多くの市民が難民として近隣のヨーロッパ諸国に流れ込んでいると報道されているが、実際には彼らは難民ではない。シリアからの難民も居るには居るが、多くがイラク、イラン、サマリア及びアフリカ諸国から、難民を装って豊かなヨーロッパの福祉施設を悪用しようとやってきた侵略者たちなのである。
ところが欧州連盟(EU)は彼らは難民であり救出が必要だと言い張っている。ドイツやイギリスなどがその典型例だ。しかし実情はそんな甘いものではない。
これらの移民者たちはヨーロッパ諸国の波止場や駅などに居座り、国内の人々による交通手段の使用を邪魔している。
下記はブタペストからウィーンに旅行中の女性がハンガリーのある駅で体験した模様をインタビューしたビデオについていた英語の字幕をさらにカカシが概訳したもの。このウクライナ人の女性は旅行中にハンガリーで、ドイツに移動しようとしている大量の移民たちに遭遇した。女性はアラブ国に五年間も住んでいたことがありアラビア語に堪能。そうと知らない移民たちは彼女の前で好き勝手なことを言っていた。彼女の体験は「難民」と呼ばれる移民たちの実情を垣間見る非常に貴重な一こまである。

私はアラビア諸国に五年間も住んでいたことがあり、アラビア語には堪能で、コーランも熟知しています。ですから私が他国の宗教について悪意を持っている責めることは不可能です。

私はブタペストで友達に合うために行きました。ケレティ駅に着いたとき、目の前でみた光景に唖然としました。大量のアラブ人のような人々が汚い格好で大声を張り上げてたむろしており、入り口をふさいで私を通してくれないのです。私に数々の罵声をあびせかけ私の荷物を奪い取ろうとしました。お話したように私はアラビア語は堪能なので彼らが言っている全てが理解できました。
電車を待っている間、駅で起きていることを目撃しました。人々は恥じかしげもなくその場で排尿便をし、女たちは警察ではなく自分らの男たちに殴られていると喚きたてていました。警察は彼ら指ひとつ触れません。子供たちは喚きたて、周りはごみの山。誰も一言のヨーロッパの言葉を話せません。彼らはうるさく喚きたて、通りすがりの人々に罵声を浴びせかけ荷物を奪い取ることしか考えていません。90%の人たちが18歳から45歳くらいの健康な男性です。彼らはそのへんにいる他人の子供を無造作に抱きかかえて楯にして電車に乗り込もうとしていました。

切符を持った五人ほどの人が電車に乗り込み座ったとき、信じられないことが起きたのです。大きな悲鳴がし、窓ガラスはきしみ、信じられない状況が起きました。暗雲のように大量の人々が電車に乗り込んできたのです。人々の間で衝突がおき喧嘩や他の恐ろしいことが起きはじめました。状況が頂点を迎えたのは彼らが普通に我々(正規の乗客)の持ち物を奪おうかと相談し始めたことです。私たちはインファデル(無信心者、非イスラム教徒)なのでそうすることがアラーの神を喜ばせることになる、特に私に対しては強姦することが神お思し召しだと、なぜなら私はきちんとした服を着ていない、私はヒジャブをつけていませんでしたしイスラム教徒ではないので、悪い女だから強姦されて当然なのだというのです。
電車が停まり、英語とドイツ語で電車はこの先は行かないと放送がありました。切符をもっていたほかの四人の乗客と私は群集の間を苦労して抜けながら電車から降りようとしました。最初群集は私たちを通してくれませんでした。私たちを人質にしようと言って私たちを止めようとしました。
駅は移民たちに完全に占領されていました。さらに他の移民たちが現れました。彼らはパンやフルーツやビスケットなどの食べ物を持っており、無造作に通り道に広げ始めました。人々はお互いを踏み超えながら金をくれと喚きたてました。行きかう人から貴重品を奪おうとしました。通行人のかばんや荷物を奪い取ろうとしました。
彼らはヨーロッパの福祉を悪用しようとしているだけです。誰も商売をしようとか何かを学んで社会に貢献しようなどと考えていません。憎しみと悪意以外に彼らがヨーロッパに与えるものは何もありません。なのに何故人々はこの間アムステルダムの電車の中で起きた事件に驚いているのですか?これらがヨーロッパが寛容の名の下に受け入れた同じ人々なのです。これらの人々を助ける前にヨーロッパ人はアラビア語を学び、彼らが我々に微笑みながら我々の背後で唾を吐きかけていることを知るべきです。私がこの目ではっきりと見たように。

多くの移民を難民キャンプに収容しているオランダやドイツなどでも、近所の若い女性が「難民」たちに襲われる事件が相次いでおり、地元の若い女性たちは顔や身体を覆うように勧告されたりしている。これが戦争で全てを失って逃げてきた難民を寛大に迎える国々がさらされる状況といえるだろうか?
彼らは難民ではない。彼らは侵略者である。ヨーロッパ諸国がそれを見極めずに何十万という移民を突然受け入れたなら、ヨーロッパ諸国はイスラム文化に完全に制覇されてしまうだろう。この女性も言っているように、イスラム教徒にとって非イスラム教徒は人間ではない。どのように扱おうとかまわないのだ。ヒジャブをかぶっていない女は強姦されて当然。男児はモスレム男たちの性奴隷にされる。他の非イスラム教徒はすべて奴隷とされる。
ヨーロッパは今やぎりぎりの岐路に立たされているのだ。にも関わらず、いまだに多くのヨーロッパ指導者たちがこの事実に目を向けようとしない。いや、ヨーロッパだけでなくオバマ王はアメリカにもシリア「難民」を何十万人も受け入れると宣言している。全く冗談じゃない。
欧米は戦争もせずにイスラム教徒に国を受け渡すのか?世の中を彼らの望む6世紀の野蛮な時代に戻したいのか?我々はそうなることを指をくわえて観ているわけにはいかないのだ。


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