ここ数回の選挙運動で民主党は共和党が女性に戦いを挑んでいるというプロパガンダを流し続けている。大学などでは在りもしない強姦文化/レイプカルチャーが話題になり、無実の罪を着せられた男子学生が大被害を受けたり、女子学生の繊細な神経を逆撫でするような講義はあらかじめ引き金警告(トリガーワーニング)をするようにとか言われて、大学教授たちはびくびくでまともな授業が出来ない有様。だが、実際にフェミニズム及びは女性全体に戦いを挑んでいるのは共和党や保守派や男子大学生などではなく、超過激派左翼のトランスジェンダー活動家たちなのである

この間ニューヨークタイムスのオプエドに載ったエリノア・バーケット女史のコラムがそれを如実に現しているので、ちょっと読んでみたい。バーケット自身フェミニストのジャーナリストで、元女性研究学の教授。ドキュメンタリー映画製作でアカデミー賞を受賞したこともある。彼女のコラムの題名は「何が女性を作るのか?」という直訳になるが、要するに「女性とは何ぞや」という意味だ。
まず、最近性転換中であると発表した元男子陸上10種目の金メダリストブルース・ジェナーが、自分は女性の脳を持っていると発言したことに対し、女性と男性では脳が違うのか、とバーケットは問いかける。

一昔前、ハーバード大学のローレンス・H・ソマーズ教授が男女の頭脳は違うという学説を発表して大批判を受けたことがある。教授はすぐさま男女差別者だといわれ同僚からは総すかんを食い、卒業生徒会からの献金が取り下げられるというひどい罰を受けたりした。それがブルース・ジェナーが自分は女性の頭脳を持っているというと、いまや左翼リベラルたちはジェナーを聖人かなにかのように崇め奉っている。

カカシ自身は女性と男性では頭脳の働きが違うという説は納得がいく。女性と男性では同じ問題を解いているときでも脳の別の部分を使っているという研究を読んだことがある。また、男性は距離感覚に長けているので、縦列駐車とか女性よりもはるかにうまい。だが女性は言語面に長けているので、外国語を覚えるのは女性のほうが早い。これは別にどちらの性の頭脳が優れているとか劣っているとか言う意味ではない。生物学的に男性の頭脳と女性の頭脳を区別することはペットスキャンを撮ればわかるらしい。だが、ジェナーがそういう身体検査を受けたという話は聞いていない。

バーケット女史が腹を立てているのは、彼女自身がフェミニストとして身体の面では男女の違いは明らかであるが、頭脳の面では男女差はない、男女は平等だと何十年にも渡って主張しつづけ戦ってきたことをトランスたちが破壊しつつあることである。また、ジェナーが女装してバニティーフェアという女性雑誌に胸を押し上げたコルセットを着て女性のステレオタイプな姿で現れたことに関しても、女性の価値は外見だけではないと主張しつづけてきたバーケットの怒りをさらにかきたてる。

私の68年間の人生のほとんどの間私は女性たちの、我々の頭脳、我々の心、我々の身体、そして我々のムードすらもひとつの小さな箱におしこめ作り上げられたステレオタイプと戦ってきた。それが突然私が味方と思っていたひとたちが、自分たちを革新家だと誇るひとたちが自己の信念を熱烈に支持するという人たちが、女性と男性の頭脳における些細な違いによって人々の人生は最初から決められているという考えを受け入れてしまっている。

このようなナンセンスが何世紀にも渡って女性を弾圧してきたのだ。(略)ジェナーやソマーズによって我々は定義されない。それは男性が非常に長い間してきたことだ。

バーケットはトランス女が男性を捨てたいというならそれは勝手だが、自分らのの威厳を獲得するために女性たちの威厳を踏み潰すようなことはやめてもらいたいと語る。

カカシ自身、バーケットの意見には賛成だ。トランス女たちが自分たちのことを昔から女性と感じていたと語る時、彼らにとって実際に女性であることの意味などわかるはずがない。バーケットはビジネス会議の時に男性が自分の胸を見つめていたり、セックスの後でバースコントロールピルを飲んだかどうか忘れた恐怖や、混みあった電車の中で突然生理が来たときの困惑や、同僚男性の給料が自分よりはるかに多かったり、体力の差から強姦魔を恐れる気持ちなど、トランス女たちにそんな女性体験は一度もないという。女性として生きるということは、一生を通してこういう体験をしてきたということにある。トランスジェンダーの人々がやたらに誇張する女性らしさとは程遠いものである。

だいたいからして、ブルース・ジェナーは男性としての特権をフルに生かして生きてきた典型である。ジェナーは若い頃から運動神経が発達していて、大学でも陸上の奨学金で推薦入学。女性で運動競技の奨学金をもらって大学入学するのは非常に難しい。女子スポーツは男子スポーツより虐げられているのは現実。特にジェナーが大学に行った1970年代なら今よりずっとひどかったはず。オリンピック選手としてのトレーニング中も、ジェナーは女子運動選手のようにウエイトレスのアルバイトなどする必要はなかった。背も高く立派な体格のジェナーは夜道を歩いていても何も恐れることなどなかったはず。ジェナーは1976年当時世界一のアスレートだったのだ、男の中の男だったのだ、そんな人間に女性の何がわかるというのだ?

女性の頭脳というのは色々な女性体験を元に序々に形成されたものだとバーケットは言う。「私は間違った身体で生まれてしまった」というのも非常に侮辱的だとバーケットは言う。あたかも女性は乳房と膣によって定義されるかのような言い方だ。

バーケットはラディフェムなので彼女自身も左翼リベラル。であるから少数派の権利をやたらに主張するという面ではトランスジェンダーたちに同情する面もあると語る。だが、トランス活動が主流化するにあたり、どうしても問題になるのは、トランス女たちが自分たちの権利を「女性の権利」として主張することにある。トランスジェンダーの運動は、一般社会からの差別をなくすというよりも女性たちに対して、女性という定義を改定せよと求めるものだ。

最近では女性や女性専門用語を使うことがトランスフォビアだと責めたてられる例がいくつもある。たとえば、2014年1月、人工中絶権利の運動家マーサ・プリムトンが「1000の膣の夜」という催しを主催したとき、「膣」という女性性器の言葉を使うことで膣を持たないトランス女を阻害することになると大批判を受けた。その批判にも負けず「膣」という言葉を遣い続けると主張したプリムトンはターフ(トランス疎外者)というトランスが作り上げた侮蔑的な形容詞を投げかけられた。膣がなければ妊娠できない、そんな女に人工中絶は必要ないだろうが、そういう常識が通用しないのがトランス社会。

この「膣」という言葉が問題になった例として、1990年代にフェミニストの間で大人気になった「ザ・バジャイナモノローグス」(膣の独白)という芝居がある。これは女性独特の性体験について数人の女性たちがそれぞれ語るお芝居。それが、2015年の1月、マウント・ホーリーダイク女子大学では、このお芝居が「女性であることに関して非常に狭い見解を持つもの」という理由で上演をキャンセルした。

トランス女たちは「膣」という言葉を使わず「正面の穴」とか「体内性器」とかいう単語を使えと主張しはじめた。女性性器を穴扱いするな!と私は言いたいね!こういういことを言うことこそ女性を尊敬していない証拠。

最近では「女性」という言葉すら差別用語だと批判する輩が出てきた。拙ブログでも以前に紹介したが、中絶専門の医療センターで「女性」という言葉使いをしないようにと働きかける運動がある。その理屈は中絶は女性だけの問題ではないからというもの。もしこれが中絶の決心は父親にも関係があるというなら解るが、そういう意味ではない。ここで言う女性以外の人というのは、生物学的に女性として生まれながら生殖器だけは残して男性として暮らしていながら妊娠したトランス男たちのことを指している。

以前にも言ったが、女性として究極の役割である妊娠出産をあきらめることが出来ずに、自分は男だと主張する人間の精神状態は明らかに異常である。しかしこれらの異常者からの圧力で女性専門医療センターが「女性」という言葉使いが出来なくなっている。

また、女子大学ではトランス男たちの扱いで複雑な状態が起きている。私から言わせれば自分は男だと言い張る人間が何故女子大にいるんだと思うが、彼女たちは自分は男だといいながら女子大の生徒会などで活躍しているというのだからよくわからない。自分は女だと言い張るトランス女たちを受け入れている女子大はあるのだろうか?女子大でもエリート中のエリートウエルスリー大学では生徒たちの間から「姉妹愛」や「彼女」という代名詞を使わないようにという要求が多く出てきているそうだ。

今や女性という概念を正しく定義つける権限はトランス人間だけに与えられた特権となったのか、トランス人間以外に本当の女性は存在しないのか、とバーケットは問いかける。

もしトランス社会の目的が男女という二つに一つのステレオタイプを壊すことにあるのであれば歓迎するが、もしそれが女性であることのアデンティーを弾圧しこれまでの女性運動の葛藤や苦労を消し去ろうというのであればそれは絶対に受け入れることは出来ないとバーケットは言う。

現実は、まさにバーケットが恐れるとおり。トランス運動家たちの目的は女性という定義の破壊だ。女性の権限弾圧だ。フェミニストたちが男女には全く差がないと主張した時からこの運命は決まっていた。男女は明らかに違うが、それを認めたうえで差別しないという方針を取っていればこういう道にはつながらかっただろう。

今、若かりし頃のブルース・ジェナーのような男子陸上選手が自分は女だと言って女性競技への参加を主張したらどうなる?今後女性競技は全てトランス女によって占拠されてしまう。女性競技は破壊される。

トランス女を女性として認め受け入れることは女性運動を完全に破壊するのみならず、女性の立場を極端に弱める方向へとつながる。女性人権の弾圧につながる。トランス女ほど男尊女卑のグループも存在しない。彼らは普通の男性よりよっぽど差別意識が強く偏狭で汚らしい運動家たちである。そういう意味で普段はラディフェムとは相対する意見を持っているカカシだが、ことこの件に関しては私はラディフェムを前面的に応援したい。


1 response to トランス社会の台頭にたじたじの情けない現代フェミニズム

苺畑カカシ7 years ago

そりゃトランスジェンダーとフェミニズムが対立するはずだ。もう少しすれば同性愛とフェミニズムの対立も起きるだろう。
masudamasterのコメント

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