前回も日本におけるヘイトスピーチ法についてちょっと触れたが、日本の皆さんには、日本でこのような恐ろしい言論弾圧法がまかり通らないように、是非とも欧州における人権擁護法やヘイトスピーチ法がどのようにして彼らの文明社会を滅ぼしつつあるか知っていただきたいと思う。
先月の八日のワシントンポストに載ったジョナサン・ターリー著の記事から紹介しよう。
ターリーは、フランスにとってもっとも危険で驚異的なのはイスラムテロリストでもなんでもない、実はフランス政府及び西側諸国で広がっている言論弾圧にあるという。

フランスが本気でシャルりー・エブドを追悼したいのであれば、『宗教、人種、民族、国籍、身体障害、性別や性的嗜好に関する侮辱や名誉毀損もしくは嫌悪をかもし出す行為を犯罪とする法律』を撤回するところからはじめるべきだ。これらの法律がもう何年にも渡ってかの風刺新聞に嫌がらせをしたり、従業員を脅迫したりしてきた。フランスにおける言論は「責任ある」使い方という条件がつけられている。つまり、問題のある見解を持つものにとって、言論の自由とは権利というよりは特権として扱われてきたのである。

シャルリ・エブドが最初に問題のモハメッドの漫画をよそから転載した2006年、最初に雑誌社を糾弾し「あきらかな挑発」といって脅しをかけたのはイスラム教徒ではなく時の大統領ジャック・シラック氏だった。シラック大統領は他人の宗教や信心を傷つける発言は慎むべきであり、表現の自由は責任の精神をもってされるべきだと批判した。
パリグランドモスクとフランスのイスラム連合は雑誌社を相手どって「イスラムを侮辱した罪」で訴えた。これはフランスでは22500ユーロの罰金か六ヶ月の禁固刑という厳しい罰のつく犯罪である。
2008年に元女優のブリジッド・バルドーさんがイスラムを侮辱した罪で罰金をかけられた話はもう過去にも何回かしたとおり。
2011年にはファッションデザイナーのジョン・ガリアノ氏がパリのカフェで少なくとも三人の人に対して反ユダヤ人種の発言をしたとして有罪となった。
2012年にはアルメニア人大虐殺を否定する行為を犯罪とする法律が通った。この法律は後で法廷によって覆されたが、いまでもフランスでホロコーストを否定することは違法。
2013年、ジハードという名前の息子に母親が「僕は爆弾」と書いたシャツを着て学校に行かせたとして「犯罪を美化した罪」で有罪となった。
そして去年2014年、フランス内務省のマヌエル・バラス氏はDieudonné M’Bala M’Balaというコメディアンの演技を遮断。彼はコメディアンではなく単なる反ユダヤの人種差別者だというのが理由。
この間の反イスラムテロのデモ行進に参加していたユダヤ人学生組合の組長のSasha Reingewirtzさんは、宗教への批判は言論の自由で守られるべきなどと偉そうなことを言っているが、実は彼女自身、2013年にツイッターに掲載された発言が反ユダヤ人行為だとツイッターを訴えてツイッターに、匿名投稿者の本名を明かすことを強制している。他人の宗教は批判してもいいが、自分の宗教への批判は許さないという偽善者である。
最近のフランスにおける言論規正はヘイトスピーチより枠が広がり、普通の発言でも法廷でしょっちゅう規正されている。たとえば去年、フランス法廷はCaroline Doudet さんというブロガーに罰金をかけ、彼女がグーグルに載せた記事の見出しを変えるように命令した。問題となった記事とは、なんとレストラン批評!
こんなんで罰金かけられたりするんじゃ、フェイスブックでレストラン批評をしょっちゅうやってるカカシなんてとっくの昔に破産している。おそろしや~!
ターリーは、このフランス政府の増大する不寛容こそがシャルリー・エブドが多々の宗教を極端におちょくる動機になっているのだという。特に編集長のStéphane Charbonnier はイスラム過激派からの脅迫のみならず、政府からも犯罪者として起訴の脅迫をうけていた。2012年に反イスラム映画の製作を巡って世界のイスラム教徒が抗議をしていた最中、シャルリー・エブドはまたまたモハメッドの漫画を掲載し、Jean-Marc Ayrault 首相から表現の自由は「法と法廷の管轄の範囲に限られるべき」と警告された。
カカシは何度も、言論の自由には脅迫とか公の場所で人々がパニックになるような言論は含まれないと強調してきた。たとえば「金を出せ、さもないと殺すぞ」とか空港で「爆弾をしかけてやる」とか映画館で「火事だ!」とか叫ぶ行為。こういう行為は表現の自由の権利として守られていない。
だが、フランスの場合、言ってはならない表現の枠が広すぎて、何が犯罪とみなされるのかわからない状態。表現の自由は法律の管轄範囲などといわれても、その時の法廷の気分でどんな発言も犯罪とされてしまう可能性があり、こんな法律、守ろうにも守れないのだ。
Carbonnier 編集長は政府の圧力にも一般市民の批判にも、アルカエダの暗殺リストに自分の名前が載ることにも屈しなかった。彼はフランスの新聞レ・モンドでのインタビューでメキシコの革命家エミリアノ・ザパタの言葉を借りて「膝まずいて生きるくらいなら立ったまま死んだほうがまし」と答えた。あの乱射事件の日、Carbonnier氏はテロリストが真っ先に狙った標的であり、最初に殺された一人だった。自分で言ったとおり自由を貫き通し脅しに屈せず立ったまま死んだ勇気ある男である。
言論弾圧が激しくなっているのは何もフランスだけではない。以前から紹介しているが、イギリスやカナダでも人権擁護法やヘイトスピーチ法によって多くの弊害が生じている。そして恐ろしいことにアメリカにもその波は押し寄せている。
自分も隠れイスラム教徒のバラク・フセイン・オバマ王は2009年、イスラム諸国が提案する国際涜神.(とくしん)基準設立を支持する旨を発表。時の国務長官ヒラリー・クリントン女史はワシントンに代表者を招待して基準の施行について会議を開くなどしている。2012年にはオバマ王は国連において、「未来はイスラム預言者を冒涜するものの手にわたしてはならない」と宣言した。アメリカの基盤ユダヤ・キリスト教を常に冒涜し信者を虐殺してる宗教の手に渡してもいいというのか? お前、どこの国の大統領なんだよ、と聞きたいね。全く。
ターリーはフランスで「私はシャルリー」と言って町に繰り出したどれだけ人々が本当の意味でCarbonnier氏のようにシャルリーと一緒に言論弾圧に対抗して戦う勇気を持っているのだろうかと問いかける。フランスがそして自由社会と誇る国々が先ずしなければならないことは、イスラムテロリストとの戦いよりも先に自国に存在する言論弾圧の悪法ヘイトスピーチ撤回からはじめるべきだと。自由社会が自由社会たる基本は宗教と言論の自由があればこそである。それを諦めてしまったら、イスラムテロリストに滅ぼされる前にフランスも他の欧州諸国も、アメリカも日本も、内側から滅びてしまうだろう。


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