アメリカで簡単に銃廃止が出来ない事について、経済小説作家の橘玲(たちばなあきら)という人のサイトで面白い分析があったので紹介しよう。
橘は自分自身は銃規制に賛成のようだが、銃社会のアメリカで単に法律を使って銃廃止をするのは困難であることを、数学者ジョン・ナッシュが発見した「ナッシュ均衡」を使って分析している。

ナッシュ均衡は「他のプレイヤーの戦略を所与とした場合、どのプレイヤーも自分の戦略を変更することによってより高い利得を得ることができない戦略の組み合わせ」のことで、この非協力ゲームでは条件によっては複数の均衡解が存在する――(略)

ここで橘は交通規則を例にあげ、多数の人が右側(左側)通行で運転しているのに、自分だけ規則にしたがわないで反対側を走ることの危険さを指摘、銃規制でも同じことが言えると語る。(強調はカカシ)

日本を含むほとんどの国は銃の所持を厳しく規制していて、誰でも簡単に銃を購入できるアメリカ社会は常軌を逸しているように見える。でもナッシュ均衡で考えれば、銃社会にも合理性があることがわかる。

銃を所持しないのが当たり前の社会に生きているぼくたちにとっては、近所の誰かがこっそり銃を持っているというのはきわめて危険な状況だ。当然、そのことを積極的に通報し、警察が厳しく取り締まるよう求めるだろう。
一方、地域のだれもが銃を持っている社会を考えてみよう。このとき法律が改正され、銃の所持を規制することになったとする。その結果もっとも不利益を被るのは、法律を守る善良な市民だ。彼らは違法なことができないから、国の求めに応じて銃を放棄する。ところが無法者は法律を無視するから、自宅に大量の銃を隠し持つにちがいない。善良な市民の家に銃がないことを知った彼らは、いつでも押し入って家族を皆殺しにし、財産を奪うことができる……。このようにいったん銃社会が成立してしまうと、まっとうなひとほど銃規制に反対することになる。

橘は単にナッシュ均衡を使って理屈だった推論をしているだけだが、実際橘の説は現状が証明している。カカシがしつこく書いているように、銃規制で銃を失うのは善良な市民だけで犯罪者から銃を取り上げることには全く役に立たないのだ。
ところで橘は『誰でも簡単に銃を購入できるアメリカ社会』と書いているが、もしこれが合法な銃購入という意味で使われているとしたら正しくない。日本の人は、いや、アメリカに住んでいるアメリカ人ですら誤解していることがあるのだが、我々は普通ウォールマートにいって「あ,アサルトウエポンください、いくらですか、はい、200ドル」何て言ってその場でお金を払って持ち帰れるというわけではないのだ。
これは州によって違うが、銃購入には待機期間というのがあって、2〜3日から2週間近く待たされる。この間に何がされているのかというと、銃購入者に犯罪歴があるかどうか、精神病患者であるかどうか、といった個人の身元調査がされるのである。これらの調査によって銃所持が合法に認められている人(禁止されていない人)のみが銃購入をする事が出来るのだ。
だから、この間小学校でおきた大量殺人事件の犯人が法律に従っていれば、精神病患者であるランザが銃所持をすることは出来なかったはずなのである。つまり、大量殺人鬼に法律など意味がないということだ。
現在銃犯罪を犯す犯罪者たちは銃を違法に所持しており、すでに既存の法律を破っている彼らには、さらに法律が厳しくなったところで全く影響がない。


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