昨日用事で隣の町まで出かけた時、ちょうどスーパーの前を通りかかった。ミスター苺がソーダの大瓶を何本か買って行こうというので、一リットル瓶を何本か買ってレジに行くと、レジのオバさんが、「袋要りますか?それともそのまま持って行きますか?」と聞いた。以前からチョコレートとかガムとか小さいものを購入した際には、どうせすぐ食べるし袋などに入れてくれなくてもいいという場合はあった。だが、大瓶のソーダを何本も買ったのに、まさか袋なくしてどうやって持つんだ、と私は冗談かと思ってきょとんとしていると。レジのおばさんが、「紙袋はひとつ10セントです。」という。「紙袋じゃ切れちゃうでしょう?ビニール袋はどうしたの?」と聞くと「ビニール袋は9月1日から廃止になりました。市の法律です。」と言われた。
がーん!ついにその日が来たのか!
サンフランシスコ市ではもう数年前からビニール袋が廃止されていた。南カリフォルニアでもいずれそんな時が来るだろうと覚悟はしていたが、遂に先日ロサンゼルス市でも同じ法律が通り、近隣の市もあちこちで同法律が施行されるようになったらしい。それが昨日9月1日だったというわけ。
これだけ大量に使われていたビニール袋を廃止したら、ビニール袋生産の産業はどうなるんだろう?この不景気にまたぞろ不必要に産業を潰すことになるんじゃないのか、これによってどれだけの人々が失業するんだろうか?
カカシが子供の頃は、うちの近所では、まだお豆腐屋さんが屋台でお豆腐を売りに来ていた。お豆腐屋さんには独特のラッパがあって、「とお〜ふ〜」というおじさんの声を聞くと、こどもたちは瀬戸物のどんぶりやティンのボールを持って外へ走って行き、そこにお豆腐を入れてもらった。
あの頃は奥さん達は毎日買い物籠をぶら下げて商店街まで買い物に行くのが普通だった。野菜や肉はビニールではなく新聞紙やわら半紙に包んでもらうだけだった。お魚や肉とか液体が漏れるような水物はどうやって持って帰っていたのだろう?今考えるとかなり不衛生な買い物の仕方だったわけだ。
近所で最初のスーパーが開店した時、お豆腐売りの係の人がお豆腐をちいさなビニール袋に入れてくれた。私は母がその袋を妹の乳母車の横にかけて買い物していたのを覚えている。便利になったようなあ、とつくづく思ったものである。
それが、いまや、我々はその時代に逆戻りしようというのだ。いったい何のために?
ビニール袋はそんなに環境汚染につながっているのか?
ビニール袋を廃止することでどれだけ環境保全に役に立つと言うのだ?その証拠はきちんと科学的に証明されているのか?
紙袋を使うことによる弊害は考えているのか?
ビニール袋生産の産業はどうなる?
そういう産業で勤める従業員の大幅リストラによる社会影響は?
環境保全を唱える左翼リベラルの奴らは、本当は環境のことなんか何も考えていない。奴らの本当の目的は文明社会崩壊にある。なぜか奴らにとって文明そのものが敵なのであり、温暖化だの環境破壊だのというのは単なる口実。
我々の生活そのものを破壊することこそ奴らの真の目的だ。
世の中は時とともに良くなって行くのが普通だろう。本当の意味での進歩や前進を求めるのが普通だ。だが、左翼リベラルに任せていると、我々の未来は後退するばかり。
いまやアメリカを左翼リベラルの独裁から取り戻す時だ!


2 responses to 遂に来た、スーパーからビニール袋が消えた日

sikibu12 years ago

肉はたしか竹の皮やそれを摸した表側に蝋引きをしてある紙に包み、真中を紐で結んであったと思いますよ。薄いへぎを使っている場合も。そして、さらに水気が多いものを買うときは、容器を持って行ったと思います。でも今となっては、不便ですねえ。

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Sachi12 years ago

sikibuさん、コメントありがとうございます。
竹の皮に食べ物を包むというのはよくありましたね。今はお土産物屋さんとかでファッション風にやるところもありますが。お寿司とかも小さい織に入れてもらったかすかな記憶がありますよ。
発泡スチロールとかがない時代、結構不便でしたよね。
あんな時代に戻りたいと左翼リベラルの環境保全ヒステリー人間たちは本当に考えているんでしょうか?
中華のテイクアウトとかどうやって持ち帰るつもりなんだろう?
まさか日本の昔の出前みたいに丼鉢を洗って後で持ってってもらうとか?
考えられないです。
カカシ

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