ここ数日、一部のリベラルブロガー達も含め、主にアメリカの保守派ブログスフィアー(ブログ界)の間で、不思議な現象が起きている。それは、前科ある左翼爆弾テロリストによる言論弾圧への一斉応戦である。
金曜日に始まったこのキャンペーンは、なるべく多くのブロガー達があるテロリストの悪行について、ブログやツイートを使って書きまくるというもの。このテロリストは自分について書かれるのを阻止しようと、数年にわたってブロガー達をネット場や訴訟や時として暴力をつかって攻撃してきた。
その名を口にするのも憚られる恐ろしいテロリストの話なのでカカシはこの男のことを、シチズンKとだけ書いておく。
実は2年くらい前から、カカシとミスター苺のブログ仲間のPが、ネットストーカーにつきまとわれて困っているという話をしていた。このストーカーはネット場だけでなくPや彼の妻の職場にまで電話をして、職場の受付嬢や上司にPからつきまとわれている、やめさせてくれ、などという嫌がらせ電話をしていたという。
Pは一応匿名でブログを書いているのだが、彼は地元では結構著名人なので実名は広く知られており、彼の仕事先を調べるのはさほど困難なことではない。だが、Pは昔からよくネット場で他のブロガーたちと議論をしていたので、私もミスター苺も、またPがどっかのリベラルブロガーとやりあっているんだろうくらいに思っていた。
ところが、Pはその時我々には詳細を話さなかったが、実はもうすでにシチズンKという国内テロリストの執拗な攻撃の標的にされていたのである。
Pの身の上に起きたことは非常に恐ろしい。
ことの起こりは、Pが今は亡き突撃保守派ジャーナリストのアンドリュー・ブレイトバートが、1970年代インディアナ州のスピードウェイ市数カ所に爆弾をしかけたスピードウェイ爆弾男と呼ばれるKの話を特集した際、ブレイトバートとは友達だったPが自分のブログでもシチズンKについて書いたのがきっかけだった。
ところが、Pがその記事をブログに掲載した数日後から、Pの悪夢は始まった。Kによる嫌がらせなどという言葉では表現できない執拗な攻撃が始まったのだ。
Kは先ずネット場でPを攻撃しはじめた。P並びにPの妻子の実名、及び自宅の住所やグーグルマップの写真、Pの職場の情報などを自分の仲間のブログで大々的に公表。次にPの職場に度重なる電話をしてPの秘書や上司にPにつきまとわれているなど苦情を述べた。さらにKはPに対して虚偽の苦情をでっちあげて訴訟を起こし、Pはその弁護のために何千ドルという費用をかけるはめになった。
そしてきわめつけは、真夜中にPの家に警察の特別部隊スワットチームがおしかけるという事件だ。警察によると何者かがPを装って警察に「妻を撃ち殺した」と通報したというのだ。真夜中に叩きおこされたPは、家の外に数台のパトカー、そらにはヘリコプターなどという重装備に迎えられた。Pの反応次第では警官に撃ち殺される可能性もあったのだ。なにしろスワットチームの隊員たちはPが危険な殺人犯だと思っていたのだから。
実は、このような目にあっていたブロガーは何もPひとりではなかった。PがKの攻撃を受けていた同時期、Kに関する記事を取り上げた全国の他のブロガーたち数人が、Kの手によって全く同じような目にあっていたのだ。他のブロガーの家にもやはりスワットチームが押し掛けている。このエントリーを書いている間にも自分もスワットチームを呼ばれそうになったと、あるブロガーがツイートした。幸いこの人は地元の警察署長と友達だったので、パトカー二台が彼の家に様子を見に来るだけに収まったという。
そのうちのひとりブロガーで弁護士のAWは、Kが起こした虚偽の被害届の被告として訴えられ、あげくの果てにKによる職場への脅迫電話に恐れおののいた勤め先から、一緒に勤めていた妻と一緒に解雇されるというひどい目にあった。なにせ、Kは前科ある爆弾テロリストである。かかわってぶっとばされてはたまらないと雇い主が思ったとしても仕方ない。
しかし気の毒なのは、AWがKの標的になったきっかけというが非常にくだらなく、Kについて書いたリベラルブロガーがKに訴えられた時に、弁護士のAWにメールで簡単なアドバイスを数回受けたというだけのかかわりだった。AWは正式に雇われた弁護士でもなんでもなく、相談をうけたブロガーとは一度も面識がなかった。
またMという別のブロガーも、妻の職場に脅迫電話がかかり、身の安全を案じて家族もろとも自宅を引き払ってどこかに隠れざる負えない状態となった。
Kの攻撃の対象となったなかには、アンドリュー・ブレイトバートやグレン・ベックという著名人も居るが、奴は特に金銭的にも政治的にも資源のない零細ブロガーを訴訟や暴力で威嚇し、奴に関する記事を書かせないよう言論弾圧するのが好きらしい。
だが、しかしである、Kは一連の爆弾事件の犯人として逮捕され裁判で有罪となり50年の禁固刑を言い渡されたとはいうものの、数年前に正式に釈放されている。何故50年の刑が数年で終わってしまったのかは解らないが、前科ものとは言え今は特に追われる身ではない。いまでも左翼団体と関わりがあるにしても、左翼テロリストが過去の自分の犯罪を、そう神経質に隠す必要はないはずだ。60年代にやはり爆弾を仕掛けて警察官ふたりを死に追いやった自他ともに認める左翼テロリストのビル・エヤーズなどは大学教授までやってふんぞりかえってるくらいだから、前科など左翼運動家にとっては勲章のようなものではないか、なにをそんなに躍起になって隠そうとするのか。
この話はやたらに書くと危ないのでどうしようかなと思っていたが、非常に多くにブロガー達がすでにテロリストの実名を使って書いてるし、私のツイッターもこの話でもちきりになってしまったから、もうそろそろいいかなと思う。
赤信号みんなで渡れば怖くない、、数で勝負よね。


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