ジョナサン・ハイト著の「ザ・ライチャスマインド」(‘The Righteous Mind,’ by Jonathan Haidt)という本が最近評判になっている。その批評がニューヨークタイムスに載っていたので読んでみた。それによるとハイトは、リベラルの主張とは裏腹に、リベラルのほうが保守派より心が狭く、相手の思想についてまったく理解度がないと結論づけているという。そんなこと今更言われなくても保守派からみれば歴然としてるのだが。これをバリバリ保守派作家が言うのであれば珍しくもなんともないが、ハイトが自称リベラルだというのが興味深い。ま、こんな本を書いた以上、いつまでもリベラルではいられなくなるだろうが。
ハイトによると、何と言っても難しいのはリベラルに心を広げて違った観念を見直させることだという。たとえばリベラルは、権威、忠誠、尊厳、といった観念を人種差別や男女差別ひいては同性愛恐怖症の種になるといって軽蔑し取り合わない。
2000人のアメリカ人を対象に行った世論調査では、自分をリベラルもしくはかなりのリベラルと言うひとほど中庸もしくは保守派の道徳的な判断を予測することができなかったという。それに比べて中庸や保守派と言う人はリベラルの道徳的判断を割合予測できたという。つまり、保守派はリベラルの価値観を理解しているが、リベラルは保守派を全く理解していないのだ。さらにリベラルは自分たちが保守派を理解していないという事実を認識していない。自分らこそが寛大で崇高で聡明であるから、保守派の道徳観など理解する価値はないと信じ込んでいるのである。
保守派のカカシから言わせてもらえば、そんなことは一目瞭然だ。なにも今更言われることでもない。ただ、こういう世論調査で我々保守派が常に言って来た事が確認されたと言う点では興味深い。是非とも詳しく調査結果を読んでみたいものだ。
これまでにも何度か書いて来たが、保守派にとってリベラルの考えを知るのはさほど難しいことではない。テレビのニュースやトークショーや新聞など、主流メディアでリベラルの考えは嫌というほど見せつけられている。また、政治的な話題が適切ではない場合でも、リベラル連中はおかまいなしに自分らの見解を他人に押し付ける。そうしておいてあまりのひどさに保守派が抗議したり反論したりすれば、不適切な場所で政治の話はするな、といって相手を黙らせる。
保守派は大抵の人が礼儀正しいので、一応は相手の言い分を聞き理解しようとする姿勢を持つが、リベラル連中は保守派の考えになど聞く耳持たぬという姿勢を貫くから、相手の意見など知る事もできないし、ましてや理解などしようがない。
都市占拠をやってるオキュパイヤーたちにしても、大学などの左翼運動家らにしてもそうだが、保守派の講演が大学キャンパスやホテルなどで行われると、観客として参加して質疑応答の時に挑戦的な質問をするといった紳士的行為は絶対にしない。それよりも、講演会場の前でメガホンを使って参加者たちを威嚇したり、会場に入って「マイクチェック、マイクチェック」と大声を張り上げて講演を邪魔。あげくのはてにスピーカーに物を投げたり、講演に参加している年老いた女性を後ろからどついたりする。
リベラル連中が持っている保守派像は自分たちが偏見で作り上げたステレオタイプの妄想でしかない。だから、ティーパーティーなどにリベラル連中が潜入して保守派の評判を落とそうなどとしても、すぐに他の参加者から見破られて追い出されてしまうのだ。奴らの行動は保守派には筒抜けだから当たり前だが。


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