日本の小学校の給食と違って、アメリカの小学校では給食を食べる食べないは子供達の自由。親がお弁当を作って持たせることが出来る児童は、何も無理にまずい学校カフェテリアで食事をする義務はない。ところが最近、ノースカロライナ州のある幼稚園では、学校が子供たちの弁当の中身が栄養不十分であると判断し、無理矢理学校給食を食べさせたうえ、その給食費を親に請求するという信じられない行為にでた。
最初の事件は、ノースカロライナ州公立のウエストホーク小学校付属幼稚園に通う4歳児が、親が持たせたお弁当(ターキーチーズサンドイッチ、バナナ、ポテトチップス、リンゴジュース)が、政府設定の栄養ガイドラインに沿っていないとして、幼稚園がお弁当を幼児にそのまま持ち帰らせたと言うもの。しかも幼稚園側は四歳児にカフェテリアでチキンナゲットをたべさせ、その食費を親に請求したという。
数日後,同じ小学校で、別の4歳児の少女が持参したサラミサンドイッチとアップルジュースが規定にそぐわないとされ、幼女は学校のカフェテリアでやはりチキンナゲットを提供された。
鶏肉の粗肉をかためて油で揚げただけのチキンナゲットがターキーチーズサンドイッチやサラミサンドイッチより栄養度が高いとは信じ難い。しかしよしんばカフェテリアの食事が子供達が持参したお弁当よりも健康的だったとして、学校側に子供に弁当を食べさせずにカフェテリアの食事を強制する権限があるのだろうか?
オバマ政権の保険省に言わせると、政府にその権限はあるらしい。
その日、娘のジャズリンちゃんを幼稚園に迎えに行ったおかあさんのダイアナさんは、娘がお弁当を食べなかった事を心配して担任の教師に事情を聞きに行くと、連邦政府から保険省のお役人が来ていて、こどもたちのお弁当を検査し、栄養素が足りないと判断されたお弁当を持参した子供達は皆カフェテリアに送られたのだという。「こういうことはよくあることなんです。」と先生はダイアナさんに説明したという。
ジャズリンちゃんが保険省のお役人から渡されて持ち帰った今年1月27日付けの通知には、児童が保険省が定めた健康的な昼食の規定にそぐわない弁当を持参した場合、栄養が足りない分カフェテリアの食事で補充する、その場合には食費を親に負担してもらうことになると書かれている。
では、いったい保険省の定める「健康な昼食」とは何なのか? 通知によると下記の四種のものが全て含まれていなければならないという。

  1. 乳製品
  2. 果物もしくは野菜
  3. 穀物もしくはパン
  4. 肉類もしくは植物性タンパク質

ベジタリアンは考慮に入れているが、黒人や東洋人の間に多い乳製品を消化できないラクトースイントラレンスの子供たちのことは考慮にいれていない。穀物にアレルギーのある子供はどうするのだ? 何にしても子供のダイエットは親の責任のはずだ、そんなことまで国がわざわざ幼稚園に保険省の監査官を送り込んで検査する必要があるのか?税金の無駄遣いにもほどがある。
これについて、州には州民の健康を守る義務があると考える革新派リベラルと、州政府にはそれぞれ独立した法律を通す権利があると主張する保守派にたいし、ミスター苺は、左翼と右翼双方に疑問をなげかけている。

  • 革新派リベラルたちは、本気で子育ては村全体(国)ですべきだと考えているのだろうか。そして、村の方針と親の方針が衝突した場合、村のやり方が優先されると本気で信じているのだろうか。
  • 憲法保守派は、連邦政府の憲法に違反しない限り、州や郡が勝手にさまざまな法律を通してもいいと本気で考えているのだろうか?たとえば州は子供だけでなく大人にも必要な栄養摂取を強制できるというのか?

    極端な話、州は州民に菜食主義を強制できるのか?州は肉類の所持及び販売を禁止することが出来るのか?もし出来ないというのであれば、その根拠はなんなのだ?

リベラル側の主張も保守派の主張も政府による独裁主義の匂いがぷんぷんする、とミスター苺は言う。

これは個人の根本的な自由を迫害するものであり、あえていうなら、プで始まる言葉、プライバシーの侵害だ。ここでいうプライバシーとは「我々を形成する最も親密な時間を政府から介入されない自由」のことを意味する。

左翼連中は常に子育ては専門家に任せるべきであると考え、親などは単に政府の方針を施行する道具としかみていない。政府の役人が親に成り代わって子育てをし、親の意志も存在も完全無視だ。(もちろん自分らの子供達の教育は完全に例外におく。)
左翼リベラルの思想の根本には、ものごとは正しく教育を受けたエリートの専門家に任せるべきだというもの。もちろんここでいう正しい教育とは充分に革新派と言う意味。だからリベラルは自由や自由市場を毛嫌いするのだ。
しかし、ミスター苺は同時に、憲法主義保守派の間にも政府独裁主義の傾向は充分にあるという。彼らは、連邦政府が尊重すべき個人の権利とは連邦憲法に明記されているもののみと考える。彼らもまた左翼リベラルと同じように個人の自由にはあまり興味がない。法律が州や郡レベルで施行される場合には、それがどれほどがんじがらめに個人の生活を規制するものであっても正当な手続きさえ踏んでいれば構わないと考えている。
たとえば、憲法保守派は政府が国教を設立することには反対するし、本や演説や手紙の内容は言論の自由という憲法第一条で守られていると考える。しかし、文字になっていないものには同じ自由を認めていない。つまり、ある種の音楽や「野蛮」な踊りや、保守派が気に入らない「悪趣味」な彫刻や絵画など、芸術品を禁止することには抵抗がない。料理のレシピなども保証しない。
特にひどい例として、ローレンス対テキサスというソドミー禁止法を撤回する裁判がある。これは最高裁判所が「プライバシーの侵害」だとしてソドミー禁止法廃止を認めたもの。これに対して保守派たちは、200年前に書かれた憲法に明記されていないプライバシーなどという権利は裁断の根拠にすべきではないと激怒した。
しかし、このソドミー禁止法は、納得しあった大人が自分らの寝室でする行為を規制するものであり、隣近所の人が誰々さんは違法な〜という性行為をしていると警察に密告したら、警察はずかずか他人の寝室に上がり込んで「違法な性行為」を行っている市民を逮捕することができるというものだった。一部の保守派がこの法律を支持していた理由は、これが主に同性愛者を迫害するために使われてきたからで、同性愛というと鳥肌が立つ連中には特に悪法とは思えなかったからだ。しかし、この同じ法律は厳密には男女間の性行為も厳しく規制しており、オーラルセックスやある種の体位などは禁じていた。だから当局が文字通り正しく法を施行した場合には、夫婦が閉じられた寝室で行っている親密な行為にまで政府が介入する権限があったのである。
さて、今回の保険省の規定だが、厳密にいうと、”The Division of Child Development and Early Education at the Department of Health and Human Services”という組織が出したもの。他に呼び名が思いつかないのでカカシは保険省と書いて来たが、正しい名前はデパートメントオブヘルスアンドヒューマンサービス(略してHHS)の子供の教育及び初期教育を担当する支部だ。
HHSの責任者はといえば、宗教上の教えを無視してカトリック教会関係の施設に無理矢理避妊や堕胎薬を保険で保証しろと命令した、あの悪名高きキャサリーン・シベリウスその人である。
子供の体質にも色々あるのに、全国の児童に全く同じ栄養規制を強制するとは、さすが市民を機械の一部品としか考えない革新派だけある。下々の者に健康な食生活の判断を任せることは出来ない、庶民はミッシェル王妃とシベリウス代官が指定する食品を黙って食べろというわけである。
この規則には、個々の子供の健康状態は全く考慮に入れられていない。例えばアレルギーとか小児糖尿とか消化器不良といった病気を持ち、医者から厳しい食事制限をされている子供達はどうなる?そんなこどもでも、親が丹念に気をつけて作ったお弁当を捨てさせ、リベラルエリートが決めたまずいカフェテリアの食事を強制すると言うのか?役人の命令に抗議出来ずにピーナッツを食べた四歳児がショックで死んだりしたらシベリウス代官は責任取ってくれるのか?親は保険省を訴えることができるのか?ミッシェル王妃は母親に土下座してくれるというのか?
もちろん、そんなことはあり得ない。栄養のバランスの取れた食事を児童に指導するためには、ひとりふたり子供が死んだから何だと言うのだ。てなぐあいだ。
国の横暴を見逃せば、こういう細かいところにまで政府が介入してくる。これに関しては革新派も憲法保守派も同罪だ。


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