あの恐ろしい日からもうすでに10年も経ったなんて信じられない。私は今でもあの時のことは鮮明に覚えている。
2001年9月11日、火曜日。私は今の仕事を始めてまだ三週間目だった。あの日が火曜日だったと覚えているのは、火曜日は新入社員の対テロ研修がある日だったからである。研修は9時からの予定だったが、7時までには出社しておきたかったので家を出たのは6時をちょっと過ぎた頃だった。
高速に乗る時に何時ものようにカーラジオをつけると、地元ラジオ局のDJでラリー・エルダーの声が聞こえてきた。変だと思ったのは、このDJの番組は普段は午後で、朝の担当は別の人だったことだ。当時の朝番組は確かニューヨークからの全国ネットだったので、貿易センター攻撃のせいでNYからの放送が途絶えて急遽地方局の放送となったせいなのかもしれない。
その彼が「アメリカ史上で最悪のテロが起きた。」と語ったのを聞いて、「え?何、何がおきたって?」と声高にラジオに問いかけたのを覚えている。その後にエルダーが感情的に何か色々はなしていたが、私には何が起きたのかよくわからず、「だから何が起きたのよ?」と何度もラジオに怒鳴りつけた。そのうちにやっとニューヨークの貿易センターに旅客機が二機続けて突っ込んだということが解った。
ニューヨークから中継をしていたラジオのアナウンサーが貿易センターの中にはまだ何千人の人が避難出来ずに居て、窓から手を降って助けを求めている人や高い階から人々が飛び降りているという話をしていた。そして中継をしていたアナウンサーは突然話すのを止めて、「何の音だ?」と叫んだ。「何かが爆発したような音がしました、、、あ、第一棟が崩れています!なんてことだ、まだ沢山人が残ってるのに、、、」そして続けて第二棟が崩れ落ちたのを聞いた。
そして三機目がペンタゴンに突っ込んだことや、行方不明になっていたユナイテッド93機がピッツバーグに墜落したらしいというニュースが次々に入って来た。
私の通勤時間は車で一時間ちょっと。この恐ろしい話を聞きながら運転していたら、だんだんと頭がぼーっとなってきてめまいがしてきた。そんな状態で高速道路を運転しているのは危険だと思ったので、高速を下りようかなと考えているうちに何時もの出口がでて来た。なんとか職場にたどり着くと、職場の門の前はいつにないものすごい警備体制。いつもより時間をかけて身分証明や車の審査が行われた。
長い警備の列を通り抜けて、やっと車を駐めて外に出ると、私は足下がふらついて思わず車によりかかるように倒れ込んだ。頭がふらふらしていた。「ああ、なんてことだ、なんてことだ」と頭の中で繰り返しているつもりだったが、実際に声に出していたように思う。
朝早く出勤していた同僚達の間では、すでにこの話でもちきりになっており、9時になって研修室には一応行ったが、CIAから派遣されていた指導員の人が、「私が話そうと思っていた事は意味がなくなってしまった」と言って、研修は中止。結局研修室でみんなでテレビ中継のニュースに見入っていた。私は恐ろしくて涙もでなかった。隣に座っていた人に「なんだか気持ちが悪くなって来た」と話したのを覚えている。
誰も普通の仕事など出来る状態ではなかったので、私たちは午前10時頃に家に帰された。ミスター苺に電話しようとしたが、何故か電話は通じなかった。
帰宅してみると、夜遅くまで仕事をしていて朝寝坊をしていたミスター苺は、まだ朝のニュースを見ておらず、「大変な事が起きた」という私の言葉の意味をすぐに理解できなかった。「テレビ付けて、大変な事が起きたのよ!」その後私がどんなふうにミスター苺に事の詳細を説明したのかは覚えていない。ただ、「大変な事が、大変な事が」と繰り返していたような覚えがある。
ミスター苺はリビングにすっ飛んで行きテレビを付けた。どのチャンネルも同じような映像を繰り返し映していた。
私はあのテロが起きた時に、ジョージ・W・ブッシュが大統領で本当に良かったと思う。不幸中の幸いとはこういうことをいうのだ。ブッシュはWTCの攻撃がテロであることがわかると、指定された政府の飛行機以外、アメリカ上空におけるすべての飛行機の航空を禁止した。アメリカの航空圏内への出入りは一切禁止されたのだ。あんなことはアメリカの歴史始まって以来前代未聞の出来事だった。
しかし、あの命令がでなかったら、もっと多くの旅客機が乗っ取られていたことは間違いない。テロリスト達はニューヨークに続いてシカゴやロサンゼルスへも突っ込む計画だったことは後の調べて明らかになっている。誰がどの旅客機に乗り込んでいて、どのようにハイジャックするつもりだったのかまでは明らかにされていないが、多分テロリスト達は飛行機が飛び立たないと悟った時点で人ごみのなかに姿をくらませてしまったのだろう。
もし当時の大統領がアル・ゴアだったらどんなことになっていたのか、考えただけでも恐ろしい。
あれから10年、アメリカは二つの戦争を闘った。タリバン政権を倒しフセイン政権を倒した。アルカイダはほぼ壊滅状態となったが、アラブの紛争はまだ始まったばかり。まだまだ世界は安全とは言えない。いや、今アラブで起きてる紛争は世界中に悪影響を及ぼすだろう。油断大敵である。
あの恐ろしい日を我々は忘れてはならない。我々を皆殺しにしたい悪の存在を忘れてはならない。我々の敵が誰なのか、それを忘れた日に我々は再び攻撃されるからである。


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