カカシにもの申す! ウィスコンシン州教員の立場から抗議

本日、ウィスコンシンで公立学校で夫婦で教員をしているというアメリカ生活はもう長いとおっしゃる日系アメリカ人女性からメールを頂いた。非常に丁寧にご自分たちの立場をご説明いただいたので、こちらもきちんとお答えする必要があると思う。お返事はせっかくなのでメールではなくブログにて書かせてもらう。ただし、メールからの直接の引用は止めてほしいとのことだったので、私の文章でまとめたものを掲載する。
彼女は私が以前に書いた一連のウィスコンシン騒動について異論を述べている。関連記事はこちら。
ウィスコンシン州知事全面勝利、明るみに出た民主党と労組の腐敗ぶり
何故団体交渉はいけないのか?
民間企業の組合よりたちが悪い州公務員労働組合
さて、ではコメンターさんのクレームを順を追って分析してみよう。
ウォーカー知事は州の財政を建て直すために労働組合を廃止しようとしているが、州の経済は組合をつぶさなければならないほどひどい状態ではない。
これは非常に事実を歪曲した言い方だ。先ず第一に、ウォーカー知事は労働組合を廃止したいなどとは一度も言っていない。組合による団体交渉権の一部を限定したいと述べたに過ぎない。知事が財政を建て直すために州公務員に提案した内容は下記の三項目、知事が州公務員にあてて書いた手紙よりまとめると、、

  1. 年金への自己負担について、ウィスコンシン年金システムへの振込の毎月自己負担を50%に引き上げる。これには知事を含む州従業員全体が対象となる。この金額は2011年の年収の5.8%程度であり、民間企業に勤務する人々のほぼ全国平均である。
  2. 健康保険料の負担について、現在州従業員は毎月の健康保険料の6%を負担しているが、これを少なくとも12%に引き上げる。これでも民間従業員の負担よりずっと少ない。(後略)
  3. 団体交渉権について、基本給料の率に関しての交渉権を制限する。昇給の額はthe Consumer Price Index (CPI)を上回ってはならない。契約は一年ごととし新しい契約がむすばれるまで給料は凍結される。組合は一年ごとに選挙をおこない組合としての資格を維持しなければならない。経営者側が組合費を集めることは禁じる。団体交渉の対象となる従業員でも組合費を支払う義務はない。 この法律からは地方警察や消防署及び州パトロール隊の従業員は除外される。

ウォーカー知事が組合の権力を弱めようとしていることは確かだが、組合の存在そのものをつぶそうという意図は明らかにされていない。組合が実際に従業員の労働条件を良くしているというのであれば、特に政府が会費を無理矢理とりたてなくても自主的に従業員から組合費を集めることは可能なはずだし、組合が人気があれば、組合の存在自体を承認するかを投票で一年ごとに取り決めることにも問題はないはず。こうしたことが組合をつぶすことになるというのは変な理屈だ。
また、警察や消防などが予算削減の対象から除外されている点についても、コメンターさんは彼らが前の選挙でウォーカー知事にたくさん献金したからだという。だが私から言わせれば、州の安全に直接関わる機関を対象外にするのは当然のことだと思う。少なくとも予算削減は他の部分で決着が着いてからにするというのは懸命だ。最初から警察官や消防官や州警備隊を予算削減の対象にしたりしてそれらの組合にストでもやられた日には教育組合との話合いどころではなくなるからだ。
団体交渉権がなくなると、劣悪な労働条件を強制されても従わなければならなくなる。
以前にも書いたが、民間企業の場合には組合が団体で経営者と交渉する権利が保証されることに問題はない。なぜなら民間の場合、雇用主が従業員に直接給料を払う立場にあるからだ。しかし公務員の場合は、交渉の相手である州政府は公務員の雇用主とはいえ直接給料を払う立場ではない。実際に公務員の給料を払うのは一般の納税者である。ところが、その当の納税者にはこの「交渉」における発言権がない。言ってみれば、公務員労働組合の団体交渉は組合と州政府が組んでいかに納税者から税金を巻き上げるかという相談でしかなく、納税者には異論をとなえるすべがないのである。(こういうのを代表のない課税という)
これまで、ウィスコンシン議会で多数議席を占めていた民主党議員たちは組合に都合のいい条件を通す事によって自分たちは組合から政治献金という見返り金をもらってきた。そうやって州公務員は民間従業員よりずっと良い労働条件を得て来たのである。それが現在の州の財政難のひとつの要因となっているのだ。
ウォーカー知事が団体交渉権の制限を主張し続けている理由は、交渉権さえあれば、共和党が多数議席を持っている間だけ妥協しても、民主党が多数を握った時点で再び公務員優遇体制が舞い戻り、現在の財政難を作った状況が繰り返されるだけだからだ。
ウォーカー知事は公立学校の予算を減らしておきながら、私立学校へ通う生徒にバウチャーという形で授業料を援助しようとしている。
私立へ通う生徒へのバウチャーだが、州は公立学校に生徒の頭数によって資金を供給している。無論学校の資金は税金で賄われているわけだから、子供を私立の学校へ送る家庭は自分の子供が行かない公立学校に行く子供達の授業料を一部負担し、さらに自分の子供が行く私立学校の授業料を払うという二重の負担をしていることになる。
ウォーカー知事が提案していることは、私立学校に子供を通わせる親にも、自分の払った税金の一部が自分の子供の授業料にバウチャーという形であてがわれるようにしただけだ。しかも私立に行く子供に与えられるバウチャーは州が公立学校に支払う一人頭の生徒の金額よりも少ない。つまり、州としては私立に行く生徒にバウチャーを払った方が同じ生徒が公立学校へいくための授業料を払うより安上がりなのだ。公立学校の生徒への資金を減らして私立学校の生徒にあてがったという考え方は正しくない。
州が経済難であるにも関わらず、利益をあげている銀行や大手企業には税金控除がされ、公立学校や生活保護や保険などの公共機関の予算が削られるのは理に合わない。なぜ民営企業にばかり恩恵をあたえ、公共機関を縮小しようとするのか。何故公務員ばかりがリストラされたり減俸を強いられるのか。予算がないのなら税金をあげて州全体で不況を乗り切ればいいではないか。景気のいい時は民営企業の社員は公務員よりずっと高給をもらってその恩恵を受けて来たのだから、不景気の時くらい犠牲を払ってもいいはずだ。
この部分を読んで、教育界というバブルの中で生きていると、こうも世間知らずになるものなのかと感心してしまった。
コメンターさんは自分の夫の給料が民間企業の同じ学歴の人と比べてそれほど高くはないと言い張る。ウィスコンシンの一般市民の平均年収がどのようなものか私は知らないので何ともいえないが、借りに民間企業の従業員が景気のいい時に公務員より高級取りで優遇されていたとしよう。コメンターさんは不景気になった今、こうした民営企業の社員たちがそれまでと同じように優遇されていると本気で思っているのだろうか?
一昔前までは民営企業の給料の方が公務員のそれより高いというのが普通だった。それでも公務員が低い給料で甘んじたのは公務員には安定性があるからだ。一般企業は企業が経営不審になれば従業員を簡単にリストラするし、減俸するにしても特に知事が法律を通したりして全国ニュースになどなったりはしない。民間企業で高給をもらっていた社員たちは、景気が傾いた時点で、もうすでにリストラされたり減俸されたりしているはずだ。民営企業に努める納税者たちはもうとっくの昔に不景気のあおりを食って十分に犠牲を払っているのだ。
ウォーカー知事が民間企業の税金を控除したりしているのは、そうした企業の負担を少しでも和らげ、企業の経営維持がされることで、失業者の数を減らそうという考えからだろう。そして、知事は公務員だけを責め立てているのではなく、こういう時だからこそ民営企業の人々と同じように公務員も犠牲を払うべきだと要求しているにすぎない。
公務員の給料が民営のそれより低かったというのは昔の話。それだけではない。組合の団体交渉のおかげで健康保険料の負担や年金への積み立て負担など、一般企業の人々では想像も出来ないような優遇がされていたことが今回のウォーカー知事の法案で明らかにされたのだ。州公務員のコメンターさんは、すでに不景気でリストラされたり減俸されたりしている民営企業の納税者たちに、さらに公務員の恵まれた生活を守るためにもっと税金を払え犠牲を払えと要求しているのである。
自分らの要求がいかに理不尽であるか、彼女たちは全く気がついていないのだ。
次回に続く、、


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民主主義とは何かを考えること、ツイッターでは無理なので、、、

だいぶ以前からツイッターにおいて槻菟なる御仁からアメリカの保守派が考える民主主義の理想とはいったいどういうものなのかという質問を受けていた。ただ、槻菟さんの質問はかなり漠然としているように思え、質問の主旨がどうもはっきりしないと感じたので、答えを書くのに戸惑っていた。特にカカシがひっかかった点はこの部分。

なぜ国家運営の指針の提議や行政形態の在り方等を個人レベルの観点から行うのですか

ツイッターの制限された語数では議論は難しいので、メールで何度かやり取りをしているうちに、やっと槻菟さんの質問の原点が理解できた。それで本日は槻菟さんからツイッターとメールで頂いた質問について、色々考えてみたいと思う。
槻菟さんの疑問はアメリカ保守派が常に唱える個人主義と、社会福祉や行政とがどう融合するのかということのようだ。アメリカの個人主義は自分のことは自分でやる。自分の家族は自分で守る。自分の土地は自分で守る。といったフロンティア精神から来ている。これは言わずと知れたアメリカがイギリス植民地だった頃の開拓時代に培われた精神である。
だが、社会が大きくなればなるほど、何もかも個人レベルで解決するというわけにはいかなくなる。自分の家の前のドライブウェイは自分で鋪装できるかもしれないが、隣近所一帯の道路はどうする?街全体は?市全体は?自分で何もかも出来る人はいいが、病気だったり障害者だったりする人々の面倒は誰がみるのか?自立出来ない人は見捨てるのか?外敵から国が攻められたらどうする?災害で町が流されたら誰が救済にあたるのだ?といった疑問が湧くのは当然のことだ。
こういう社会レベルの行政や福祉の責任は誰にあるのか、そうしたことのインフラを設立することと個人主義者との矛盾はどう解決すればいいのだろうか。
アメリカ保守派にも色々あるが、槻菟さんのいう保守派とは単に昔ながらの伝統やしきたりを守る文化的な保守ではなく、なるべく小さい政府を望む経済的な保守派を対象にしているように思える。小さい政府とはいっても、以前にも書いたように私はアナーキストではないので、政府の存在そのものを否定してはいない。政府は外敵から国を守り、災害時など国内において国民の安全を守るのが第一の仕事だと思っている。だが、その規模は必要最小限に抑えて、その他のことはなるべく公営ではなく民営レベルでやったほうが能率がよく安上がりだ。お役所仕事がのんびりで能率が悪いというのは世界中で共通する考えだ。
だが、必要最低限とはどの程度のことをいうのか?例えば

もし仮に足のない者に車椅子も義足もなしに走ってみせろと言う者がいたとしたら余りにも非道な発言だとお思いにはなられませんか?足の不自由な人は見れば直ぐに分かるとは存じますが他者の成育過程を想起する事は思いの外難しいものです。一言の下に[当人の努力の問題だ]と切って捨てるべきではないように思うのです。

無論それはそうだ。家族の居ない、もしくは家族では面倒見切れないお年寄りや障害者の面倒は誰が見るのか、また、戦争などで手足を無くした負傷兵の治療費の負担は誰がするのか、そこに政府という単位が出てくるのは理解できる。
しかし、困っている人の面倒をみるのは必ずしも政府である必要はない。福祉を何もかも公営施設で行わないからといって、決してこれは弱者を「切って捨てる」ということにはならない。実は、多々の福祉を国が政府単位でやるべきなのか、それとも民営でやるべきなのかという点こそが左翼リベラルと我々個人主義の経済保守との根本的な違いなのである。
病人や老人や孤児などを収容する施設が、すべて政府経営の公営施設である必要はない。慈善事業として身よりのない病人や老人や孤児を引き取る民営の施設はあってもいいはずだ。政府がそうした施設を奨励したいなら、支援金を出すのではなく、そうした慈善事業への税金を免除すればいいのである。やたらに政府が支援金を出したりすると経営に細かく口出ししてきてやっかいなだけだ。また、こうした施設が公営になると財政難になっても税金を上げさえすればいいという気持ちがあるから、きちんとした経営をしようという努力が欠けて無駄が多くなる。
我々保守派が国営の皆保険に反対なのも、お役所仕事気分の小役人に我々の健康管理を任せたくないという気持ちから来るもので、経済的に余裕の無い人の医療供給を無視してもいいという冷血な気持ちからではない。
では何故我々保守派が政府の介入を嫌がるのか、その例を一つ二つご紹介しよう。
うちの近所に小学校があるが、付近にある商店や他のビルの前にある芝生は常にきちんと掃除されているのに、校門前の芝生だけは常にゴミが散らばっていて非常に汚い。1970年代に日本の小中学校に通った人間から言わせてもらうなら、芝生のゴミなど生徒に掃除の時拾わせればいいことではないかと考える。だが、左翼リベラルが乗っ取ったアメリカの教育界ではそんなわけにはいかない。生徒に掃除などさせた日には子供の人権を傷つけたとかなんとか言われて学校が訴えられること必定。仕方ないから学校区は掃除夫を雇うことになるが、公立学校の掃除夫は公務員で組合員だからろくな掃除もしないくせに大枚な給料を要求してくる。その給料を払うのは誰かと言えば、言わずと知れた我々納税者である。結局高額な税金が使われた割には学校はちっともきれいになっていないというわけ。
身体が不自由で料理もなかなか作ることが出来ないという人たちのために、あるご婦人が自分の手作り料理を近所に配っていた。しかし、それを嗅ぎ付けた市から料理配給をするためには例え相手からお金を取っていなくても、市から許可証を貰わなければならない法律があると彼通達が来た。しかも許可をもらうためには市の規定した衛生規制にのっとった台所設備が設置されていなければならないという。この婦人の家は普通の家で、市の規定するような仕出し弁当屋のような設備など設置できるはずがない。それでこの女性は不本意ながらボランティア活動をあきらめざるおえなくなった。
これは小さな例ではあるが、私がなぜ行政レベルの話を個人レベルでするのかといえば、個人レベルで出来ることを政府が割来んできて、必要もないのに公営機関や施設を設立し、それを維持するためだからといって税金を取り立てる。それがひどくなってくると国民のほとんどが望んでいないプログラムや施設などの援助のために税金が引き上げられ、間に入った役人が私腹を肥やす税金の無駄遣いとなる。今回連邦政府を閉鎖するかしないかの最後の砦となった妊娠人工中絶施設プランドペアレントフッド(家族計画)への援助金などがそのいい例である。
また、政府が大きくなりすぎると、公共のためだからといって個人の土地が取り上げられたりする。高速道路や空港の建設のためというのであればまだしもだが、ひどいのになってくるとショッピングセンターを建てるためとか、環境保全局が湿地帯とか絶滅危機動物の生息地だとか勝手に指定された個人の土地が政府に確たる保証金もなく取り上げられてしまうといった例がいくつも起きている。
経済保守派がめざす小さな政府というのは、個人や民間レベルで出来ることはなるべく政府が口出ししないで民営でやるべきだというもので、政府が都合のいいように勝手に個人の所有物を没収したりできない政府である。
我々保守派はなんらかの事情で完全に自立出来ない人々を切り捨てるべきだと考えるような冷血人間の集まりではない。実際保守派の市民のほうが左翼リベラル市民よりチャリティーなどへの寄付金は多くしているという。すくなくとも共和党議員の慈善事業への寄付金は大金持ちの多い民主党議員のそれよりずっと多い。
我々は弱者への援助は政府がやるより個々の人々の善意や民間の経営能力に任せた方がずっと良質で効率のよい慈善事業が出来ると考えている。保守派は政府の役割は最低限に抑え、個々のレベルで助け合う社会を求める。私が『国家運営の指針の提議や行政形態の在り方等を個人レベルの観点から行う』のはそれが理由だ。


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連邦政府閉鎖の危機、連邦公務員は無給自宅待機を余儀なくされるのか?

アップデートあり:政府の閉鎖回避 与野党、連邦予算削減で合意
アメリカ国内では今夜零時までに予算案が通らなければ、連邦政府は今年の予算配布をすることができず、連邦政府閉鎖という危機を迎えている。
問題なのは共和党が提案した大幅削減の予算に民主党が全く妥協出来ずにごねているため、共和民主の間で予算案の合意が得られないことにある。そして今年の予算案決算締め切り日は本日零時。その時になっても予算案が通らない場合には、どうしても必要とされる最低限の機関は除いて連邦政府のほぼすべての機関が活動停止となる。連邦政府に勤める二百万という公務員たちは一時的に無給の自宅待機とを余儀なくされる。
さて、ここで問題なのがどうしても必要な最低限の機関とは何かということだ。常識から言って、戦争中の軍隊とか空港の警備員とか空港の管制タワーの職員などは必要最低限の人員だと思うが、そこは常識はずれのオバマ王のことだ、どうなるのかかなり怪しい。
防衛庁勤務で必要最低限と指定された軍人や民間人従業員も、そのお給料の支払いはすでに働いた分の一週間分を除き、残りの供給は予算案が通ってからのことになるので、決議が長引けば長引くほど収入なしでやりくりしていかなければならない。ある程度貯金のある人はいいが、月々の給料でやっとこさ生きている若い兵士やその家族たちは、給料を一ヶ月でも先延ばしにされたらかなり困るだろう。これが戦地で命がけで戦争やってくれている軍人達に対してする行為なのか?
と思った共和党議員たちは議論中も防衛庁だけは悪影響を受けないようにと2011年度末まで防衛庁の予算を限定付きで配分する議案を提案した。しかし、オバマ王は何を思ったのかそのような議案が通った場合には否決すると宣言した。

「そのような法案は今年度の予算案妥協という肝腎な仕事や、連邦政府閉鎖というけしからん行為を避けることの邪魔になる。」

というのがその屁理屈。
連邦政府閉鎖はクリントン大統領時代の1995年に二回連続して行われた事がある。その時は民主党の発案に共和党が妥協せずに起きたため、有権者の多くが共和党を責めて次の選挙で共和党は大敗したという歴史がある。実際に閉鎖の原因が共和党にあったかどうかは別として、市民が民主党より共和党に腹を立てた事は事実である。
共和党はその過去の歴史を教訓として、今回はなんとしてでも政府閉鎖だけは避けたいと言い続けて来た。そして共和党は自分らのこれだけの努力にも関わらず民主党は政府閉鎖を決行しようとしていると民主党を攻め続けている。また、民主党側も共和党が無理難題を押し通すのなら政府閉鎖も覚悟の上だと大騒ぎしているので、市民の間では政府閉鎖の責任は民主党の方にあるという印象が強くなっている。
そのことで、次の選挙で再選がかかっている民主党議員の間では、国民に余り腹を立てられないように、せめて軍隊の予算だけでも確保しておこうと思う議員も多いだろう。ということは防衛省の本年度予算一時確保の法案は共和民主の共同で通る可能性は多いにあり得る。
その法案をオバマ王が否決したりすれば、完全にオバマ王の反軍隊意識があからさまになり、こんな奴に総指揮官などやらせておけないと思う国民が多くでるかもしれない。そうなれば2012年の選挙ではオバマにしろ民主党にしろかなり危ないことになるだろう。
ともかくだ、おい、議会の政治家連中!税金無駄遣いすな!ごたごたごねるならごねてる間無給料でやれ!なんでお前らの優柔不断のせいで無関係な公務員が給料なしで働かなきゃなんないんだ!いい加減にしろ!
アップデート:政府の閉鎖回避 与野党、連邦予算削減で合意

ワシントン古本陽荘:米連邦政府の暫定予算の期限が切れる8日、11会計年度(10年10月~11年9月)の予算案について与野党は約390億ドル(約3兆3000億円)を削減することで大筋合意した。これにより連邦政府の一時閉鎖という最悪の事態は回避された。
 法案策定作業は同日中には間に合わないため、上下両院は1週間の暫定予算案を賛成多数で可決し、大統領の署名で成立。11年度予算案については来週中には成立する見通しとなった。
 与野党の合意が発表されたのは暫定予算の期限が切れる約1時間前の午後11時ごろという土壇場だった。(略)
 今年度予算をめぐっては、(略)大胆な財政削減を求める共和党と、極端な財政削減は経済成長の妨げとなると主張するオバマ大統領・民主党との間で対立が続いてきた。会計年度が始まったのは昨年10月で、半年たっても予算が成立しない異常事態に陥っていた。


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テロリストの脅しに怯むな! コーラン燃やしを違法にするな!

フロリダの田舎でコーランを燃やしたアホ牧師に刺激されて、アフガニスタン過激派が暴動を起こしたことで、アフガニスタン戦争の総指揮官ペトラエウス将軍は、コーラン燃やしはアフガニスタンにいるアメリカ兵の身を危険にさらすものですべきではないと語った。
私はペトラエウス将軍のことは非常に尊敬している。彼の対テロ作戦はイラクにおいて大成功を収めたという実績もあり、将軍が『何はすべきで何はすべきでない』と言えば、普通ならそれに大賛成するのがカカシの立場だ。しかし、ことコーラン燃やしに関しては、非常に残念なことではあるが、将軍の意見に反対せざる負えない。
ペトラエウス将軍は軍人なので、今の戦争でどのように勝つかということしか考えていない。これは当たり前の話で、現在行っている戦争の勝敗だけを考えるなら、将軍の言いたい事はかなり理解できる。だが、我々自由国とテロリストたちとの戦争には単にアフガニスタンがどうのイラクがどうのということだけではなく、今後世界ぐるみで自由が勝つかイスラム過激派が勝つかという大事な問題がかかっている。局部的な戦闘で勝って戦争全体に負けるというようなことがあってはならない。
アフガニスタンの暴動を心配したアメリカの腰抜け議員たちのなかから、共和民主を問わずコーランを燃やす行為を違法にすべきだなどと馬鹿げたことを言い出す輩が出て来た。議員らの理屈はコーラン燃やしのような挑発行為はアフガニスタンの米軍や国連職員たちの身に危険を及ぼすからというものだ。だが、イスラム過激派が我々を殺したいのは普通の状態であり、ことによって程度の差こそあれ、我々のすることなすこと気に入らない事ばかりなのである。そんな奴らが腹をたてることにいちいち過敏に反応していてはこちらの身が持たない。
やつらはモハメッドを描写したというだけで、くだらない新聞の一こま漫画に腹を立てて世界中で暴動を起こしたりする。イスラム教国で行われた美人コンテストで女性が水着姿で現れたというだけでミスコンの会場を囲んで暴力沙汰を起こしたりする。ローマ法王がイスラム教には暴力的な傾向があると言っただけで、アフリカの病院でボランティア活動をしていたカトリックの尼さん看護婦が地元のイスラム過激派に惨殺されたりする。
つまりだ、過激派イスラム教徒は我々文明人には理解に苦しむ些細な事で血が上ってすぐさま町に繰り出して暴動を起こし殺人を起こすような野蛮な人間以下の生き物なのだ。そんな奴らのご機嫌伺いをして、我々文明人がいちいち我々の言動を変えたり、あげくの果てに法律まで変えたりするのであれば、我々はすでにイスラム過激派に闘わずした負けたも同然だ。そんなことがまかり通るのであれば、アメリカにシャリア法が設立されるなど時間の問題だ。
もしもイスラム諸国の過激派が豚肉を食べる西洋人に腹を立てたら、我々は肉屋から豚肉を取り除くのか? 野蛮人がアメリカ人女性が化粧をするのが気に入らないと言えば、我々は女性の化粧を違法にするのか? イスラム過激派が婚前交渉は投石死刑に処すべきだと大騒ぎしたら我々は処女でない未婚の娘達を生き埋めにして石を投げつけて殺すのか?親が自分の反対を押し切って親の認めない相手と結婚した娘を殺すことは合法にするのか?
我々が奴らの原始人以下の自制心のない暴力性を恐れて我々の生活態度を変えたりすれば、奴らの態度は和らぐどころかどんどん極端になり、奴らの要求はどんどん理不尽なものとなっていくのだ。
これはカカシが勝手に考えだした妄想ではない。
すでにイギリスでは地方によって一部シャリア法が認められている。フランスではフランスに増え過ぎるイスラム人口は問題だと発言した政治家がイスラム教団体から訴えられている。
イスラム教過激派は惜しみなく奪う。軒先貸せば母屋を取られる。奴らには一歩たりとも譲ってはならない。よって、コーラン燃やしは趣味の悪い行為ではあるが、それがイスラム教の癪に触るというのであれば、どんどんやるべきだ。奴ら野蛮人の気持ちなど我々文明人がいちいち気にする必要はない。奴らはすでに文明社会を破壊すべく戦争を挑んで来ている。何故我々が好き好んで敵の手助けをしなけりゃならないのだ?
わけわからん!


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大スキャンダル!! アメリカ政府がメキシコの麻薬暴力団に武器を提供していた!

数週間前から、メキシコのドラッグカーテル(麻薬暴力団)にアメリカから武器蜜輸出がされているという噂は聞いていた。こんな行為は誰がやっても違法なはずだが、なんとメキシコに銃砲を密輸出をしていたのはアメリカ政府そのものだったということが、ミッシェル・モルキンら保守派ジャーナリスト達の取材ではっきりしてきた。これまでの調査で暴力団に渡った銃によって少なくとも一人のアメリカ人国境警備員が射殺されており、移民局税関特別隊員の死との関連もあるとされている。
銃砲密輸作戦はブッシュ前大統領時代の2005年から、ATF(the Bureau of Alcohol, Tobacco, Firearms and Explosives、アルコール・タバコ・銃砲及び爆破物を取り締まる局)によってメキシコの麻薬暴力団との銃砲密輸を取り締まる目的で、おとり作戦として始められた。ところが、何故かそれがいつの間にかATF局が私腹を肥やすための本当の武器輸出へと変わってしまったのである。
2008年になると、銃砲密輸の支部はメキシコ国内の9つの米領事館にまで広がっていた。ATF局は、ラテン系有権者に迎合する共和党政治家らがごり押ししたメリダ法案という法律を通じて200万ドルという大金を儲けていた。アメリカ司法局はこのATF銃砲密輸作戦は見直す必要があると警告したにも関わらず、企画はどんどん拡大され、数十人だった従業員がなんと2009年には200人にまでふくれあがっていた。オバマ政権になってからは、 ATFは銃砲密輸作戦の予算をさらに$二千百九十万ドルに増額し、オバマ政権の経済活性予算の約半分があてがわれた。そしてオバマ政権はさらに、2011年度の銃砲密輸作戦予算に一千二百万ドルを要求した。
おとりに使われるはずの銃砲が危険な暴力団の手に渡ってしまっているという、内部告発や他の省からの警告にも関わらず、ATF銃砲密輸作戦はどんどんとその権限や活動範囲を拡大していった。CBSニュースは先月、銃砲所持権活動家のデイビッド・コドレア(David Codrea)やwww.cleanupatf.orgの記事を元にし、ATFが調達した何千という銃砲がメキシコ暴力団の手に渡ってしまったらしいと報道した。
去年の12月、アメリカの国境警備隊員ブライアン・テリーがメキシコ暴力団員に射殺された事件で、その時暴力団員によって使われたのがアメリカからメキシコにわたった銃の一丁だったことが解っている。
少なくとも6人の元ATF役員が、局がいかにしてオバマがしょっちゅう悪者扱いしている民間の銃砲取り扱い店の反対を押し切って武器を調達し、メキシコ暴力団に売りつけたか証言している。
内部告発をした密告者の一人は、CBSのインタビューで”Operation Fast and Furious”(迅速かつ猛烈作戦)と呼ばれた作戦では50カリバーを含む2500丁の銃砲がメキシコ暴力団の手に渡されたと証言している。これらの銃のなかには移民税関局特別職員ジェイミー・ザパタ隊員が射殺された時の銃が含まれている可能性が強いという。
共和党のチャールス・グラスリー上院議員とダレル・イサ下院議員はオバマ政権に対して、誰が何時この不祥事について知っていたのか明白にするよう圧力をかけている。無論オバマ王は一切の事情について関知していなかったと断言している。
オバマ王はスペイン語テレビの番組において次のように語った。

深刻な不祥事が生じた事態があったかもしれません。もしそうであるならば、我々は事実を追求し責任を取らせます。

ミッシェル・モルキンは、新ブラックパンサーや労働組合員の暴力的選挙妨害など、左翼リベラルの数々の犯罪を見て見ぬ振りしている司法局のエリック・ホールダー長官を任命するような男の口から何を約束されても何も期待できないと語っている。


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矛盾に満ちたオバマ王のリビア政策

先日の月曜日、オバマ王はリビアへのアメリカ軍による空爆について説明する演説を行った。だいたい空爆を始めて一週間半以上もたってから、国民に対してアメリカ軍がリビアで何をやっているのかを説明するということ自体が大統領として無責任な態度ではあるが、その説明すら全く説明になっていないという情けなさだった。
先ずオバマ王はこのように演説を始めた。

今夜、私はアメリカの人々に私たちの指揮のもとにリビアで行われている国際的努力について、私たちがこれまでにしたこと、これからしようとしていること、そしてそれがどのように私たちに関係があるのかを説明いたします。

アメリカはリビア戦で指揮を取ったりはしていないので、ここでいう「私たち」というのがアメリカのことなのか国際NATO軍のことなのかよくわからない。
しかし、軍隊を嫌いな大統領が軍隊の総指揮官をやると、こういう情けない演説になるのかという典型がこの部分だろう。

..私たちは世界における色々な試練に関して武力を使うことは好みません。しかし私たちの価値観や国益がかかる場合には責任ある行動に出なければなりません。ここ6週間に渡りリビアで起きた事がまさにそれなのです。

オバマ王はここでリビアが最近革命のあったチュニジアとエジプトの真ん中に位置している事、カダーフィが長年に渡って独裁政権をおこなって人々を弾圧してきたことなどを語り、アメリカ市民がカダフィー政権によって殺されたことも持ち出した。
そして先月、近隣国の革命に刺激されたリビア市民がついにカダーフィ政権に立ち向かって反乱を起こした事に対して、カダーフィが自国民にを攻撃し始めたと背景を説明。
で、オバマ王は大統領として何を最初に行ったかといえば、リビアにいるアメリカ市民の批難。そして数日のうちにカダーフィの暴力に対して「迅速に数々の対応」をした。迅速に行った数々の対応というのは、カダーフィの外国にある資産を凍結したこと、国際安全保障理事会の指導に従ってリビアへの武器輸出を禁止したこと、カダーフィを戦争犯罪者と指定したことだ。そして我らが大統領オバマ王がリビアの独裁者カダーフィに向ってどのような勇敢な態度を取ったかと言えば、、

私は、カダーフィは今すぐ権力の座から身を引く必要があると申し上げました。

す、すばらしい〜! こんな勇敢な態度にカダーフィはさぞかし恐れをなして身震いしたことだろう。
ま、とにかくだ、オバマ王はカダーフィに対してヨーロッパの同盟国と協力し合いながら色々と軍事行使以外の対策を取ってきたが、カダーフィが自国民への空爆を止めないので止む負えず10日前から空爆をカダーフィ軍に対して空爆を始めたと説明した。
このまま放っておけばリビアの何千という人々がカダーフィに虐殺されてしまう、そのようなことを放っておくのはアメリカにとってもいいことではない。自分は放っておけないと。
なんで? ここが問題だ。自国に直接攻撃してきていない国にアメリカ軍を出動させるのであれば、その理由はもっとはっきりしていなければならないはずだ。それがブッシュ大統領のイラク侵略の時にも問題になったのはないか? オバマ王を始め、民主党や左翼リベラル連中がブッシュのイラク戦争に大反対だったのは、イラクが直接アメリカに攻撃をかけてこなかったからで、そういう国の政権交替を武力で行うことがアメリカにとって何故大事なのかということが、討論の焦点となったからではなかったのか?
自国の市民を大量に虐殺しているというだけなら、イラクもリビアも何の変わりはない。イラクへの武力行使が正当でないというなら、何故リビアへの武力行使は正当ということになるのだ?
オバマ王は無論、今回のリビア攻撃が前大統領のブッシュと比べられることは充分に承知の上だ。それでオバマ王はすかさずここで、自分のリビア攻撃がブッシュ前大統領のイラク武力行使とどう違うのかを説明し始めた。

(リビア攻撃に関して)アメリカは単独で行動に出たのではありません。それどころか私たちは強く増大する同盟軍に参加しました。この同盟軍には英国、フランス、カナダ、デンマーク、ノルウェー、イタリア、スペイン、ギリシャそしてトルコといった長年に渡って一緒に闘ってきた親しい同盟国が含まれています。そしてそのなかにはカタールやUAEといった、リビア市民を守る責任を取ろうというアラブ同胞も含まれています。

イラク戦争ではアメリカには同盟軍は一つも参加していなかったと言うのか? 勇敢に闘ったイギリス、オーストラリア、オランダ、日本の軍隊は私たちが夢見た幻だったとでも? 単に国際社会の協力があり、多くの同盟国が参加していたということだけなら、ブッシュのイラク侵攻の時の方が今回のリビア攻撃より同盟国の数は二倍以上多かった。これではリビア戦争の正当化になど全くなっていない。
オバマの演説はやたらと国際社会との協力云々といったことが強調されており、アメリカが指揮をとって色々対策を取っているといった内容ではない。しかも、この演説で何度も強調されたことは、オバマ王にはカダーフィ政権を倒す意志が全くないということ、従って陸軍を侵攻させる気もないこと、アメリカの役割は限られており、リビア市民の安全確保が達成された今となっては指導権はNATOに移譲し、アメリカは援助するのみの助演役者に徹するということだ。
オバマは国際社会と協力してカダーフィが辞任するよう圧力をかけていくつもりだと語っているが、カダーフィ将軍は権力の座から退くべきだと断言した割には、実際にリビアで政権交替があるかどうかは国際社会とリビア市民の問題だ、政権交替はアメリカの仕事ではない、自分は直接関係ないと語っている。やたらに関わってアメリカの税金を無駄遣いしたくないと。
だが、リビア状況が直接アメリカに関係ないのであれば、何故ちょっとでも軍事行使に参加したりするのだ?関係ないなら放っておけばいいではないか。最後まで見届ける気持ちがないのなら、何故最初からかかわり合いになるのだ?
ラルフ・ウォルドー・エマソンという詩人が言っていたなあ、「王に挑むなら王を殺さねばならない」と。戦いを挑むなら最後までやれ。敵の大将にやたらな情けを見せて塔に幽閉したり外国に追放したりすると、必ずやっかいものが大将を担ぎ上げて反乱を起こす。追放された源の頼朝が後に平家を滅ぼしたように、パリに追放されたホメイニが後にイスラム宗教革命をイランで起こしたように、パパブッシュが湾岸戦争で見逃したサダム・フセイン政権と息子のジョージ・Wがイラク戦争で闘わなければならなかったように。
今、国際社会がカダーフィの辞任を迫りながらも、実際にカダーフィ打倒の努力を全くせず限られた役割でリビアで空爆を行ってみたところで、お金が底を付き世論に見放された西側諸国が飽きてリビアから去った後には、カダーフィの勢力はこれまで以上に強靭なものとなるだけだ。
革命や反乱に参加したリビア市民は想像を絶する虐待の目に合うだろう。アメリカだけに限らないが、西側諸国がリビアの内乱に口出しするのなら、カダーフィ政権の完全打倒をまっとうすべきである。特にカダーフィ自身、そして彼の息子や部下など一族郎党皆殺しにしなければならない。追放などといったなまっちょろいやり方では駄目である。
そこまでする勇気がないなら、最初から関わりになどなるべきではないが、今となってはもう遅い。被害の少ないうちにさっさと手を引いた方がいいだろう。だが、中途半端に手を出してめんどうだからと言って放っぽり投げるとなると、最初から何もしなかった時よりオバマ王は国内でひどい打撃を受けることになるだろう。
オバマ政権はカダーフィ打倒のために直接手を汚したくないことから、リビアの反乱分子に武器調達を行うなどというバカなことを言っている。反乱分子が単に反カダーフィだからといって、彼らが親米とは限らない。彼らが自由平等を求める文明人だという保証はどこにもない。いや、それどころか、彼らがアメリカの宿敵アルカイダの一味であるという情報もあるくらいなのだ。そんな怪しげな勢力を武装したりすれば、リビアは後々アフガニスタンやパキスタンよりやっかいな国になってしまう。
ではオバマ王はいったいどうしたら良いのだろうか? カダーフィ政権を倒し、リビアが自由民主主義国になるよう再建に協力するか? いや、それはできないだろう。それではブッシュ前大統領が正しかったと認めるようなものだからな。


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