だいぶ以前からツイッターにおいて槻菟なる御仁からアメリカの保守派が考える民主主義の理想とはいったいどういうものなのかという質問を受けていた。ただ、槻菟さんの質問はかなり漠然としているように思え、質問の主旨がどうもはっきりしないと感じたので、答えを書くのに戸惑っていた。特にカカシがひっかかった点はこの部分。

なぜ国家運営の指針の提議や行政形態の在り方等を個人レベルの観点から行うのですか

ツイッターの制限された語数では議論は難しいので、メールで何度かやり取りをしているうちに、やっと槻菟さんの質問の原点が理解できた。それで本日は槻菟さんからツイッターとメールで頂いた質問について、色々考えてみたいと思う。
槻菟さんの疑問はアメリカ保守派が常に唱える個人主義と、社会福祉や行政とがどう融合するのかということのようだ。アメリカの個人主義は自分のことは自分でやる。自分の家族は自分で守る。自分の土地は自分で守る。といったフロンティア精神から来ている。これは言わずと知れたアメリカがイギリス植民地だった頃の開拓時代に培われた精神である。
だが、社会が大きくなればなるほど、何もかも個人レベルで解決するというわけにはいかなくなる。自分の家の前のドライブウェイは自分で鋪装できるかもしれないが、隣近所一帯の道路はどうする?街全体は?市全体は?自分で何もかも出来る人はいいが、病気だったり障害者だったりする人々の面倒は誰がみるのか?自立出来ない人は見捨てるのか?外敵から国が攻められたらどうする?災害で町が流されたら誰が救済にあたるのだ?といった疑問が湧くのは当然のことだ。
こういう社会レベルの行政や福祉の責任は誰にあるのか、そうしたことのインフラを設立することと個人主義者との矛盾はどう解決すればいいのだろうか。
アメリカ保守派にも色々あるが、槻菟さんのいう保守派とは単に昔ながらの伝統やしきたりを守る文化的な保守ではなく、なるべく小さい政府を望む経済的な保守派を対象にしているように思える。小さい政府とはいっても、以前にも書いたように私はアナーキストではないので、政府の存在そのものを否定してはいない。政府は外敵から国を守り、災害時など国内において国民の安全を守るのが第一の仕事だと思っている。だが、その規模は必要最小限に抑えて、その他のことはなるべく公営ではなく民営レベルでやったほうが能率がよく安上がりだ。お役所仕事がのんびりで能率が悪いというのは世界中で共通する考えだ。
だが、必要最低限とはどの程度のことをいうのか?例えば

もし仮に足のない者に車椅子も義足もなしに走ってみせろと言う者がいたとしたら余りにも非道な発言だとお思いにはなられませんか?足の不自由な人は見れば直ぐに分かるとは存じますが他者の成育過程を想起する事は思いの外難しいものです。一言の下に[当人の努力の問題だ]と切って捨てるべきではないように思うのです。

無論それはそうだ。家族の居ない、もしくは家族では面倒見切れないお年寄りや障害者の面倒は誰が見るのか、また、戦争などで手足を無くした負傷兵の治療費の負担は誰がするのか、そこに政府という単位が出てくるのは理解できる。
しかし、困っている人の面倒をみるのは必ずしも政府である必要はない。福祉を何もかも公営施設で行わないからといって、決してこれは弱者を「切って捨てる」ということにはならない。実は、多々の福祉を国が政府単位でやるべきなのか、それとも民営でやるべきなのかという点こそが左翼リベラルと我々個人主義の経済保守との根本的な違いなのである。
病人や老人や孤児などを収容する施設が、すべて政府経営の公営施設である必要はない。慈善事業として身よりのない病人や老人や孤児を引き取る民営の施設はあってもいいはずだ。政府がそうした施設を奨励したいなら、支援金を出すのではなく、そうした慈善事業への税金を免除すればいいのである。やたらに政府が支援金を出したりすると経営に細かく口出ししてきてやっかいなだけだ。また、こうした施設が公営になると財政難になっても税金を上げさえすればいいという気持ちがあるから、きちんとした経営をしようという努力が欠けて無駄が多くなる。
我々保守派が国営の皆保険に反対なのも、お役所仕事気分の小役人に我々の健康管理を任せたくないという気持ちから来るもので、経済的に余裕の無い人の医療供給を無視してもいいという冷血な気持ちからではない。
では何故我々保守派が政府の介入を嫌がるのか、その例を一つ二つご紹介しよう。
うちの近所に小学校があるが、付近にある商店や他のビルの前にある芝生は常にきちんと掃除されているのに、校門前の芝生だけは常にゴミが散らばっていて非常に汚い。1970年代に日本の小中学校に通った人間から言わせてもらうなら、芝生のゴミなど生徒に掃除の時拾わせればいいことではないかと考える。だが、左翼リベラルが乗っ取ったアメリカの教育界ではそんなわけにはいかない。生徒に掃除などさせた日には子供の人権を傷つけたとかなんとか言われて学校が訴えられること必定。仕方ないから学校区は掃除夫を雇うことになるが、公立学校の掃除夫は公務員で組合員だからろくな掃除もしないくせに大枚な給料を要求してくる。その給料を払うのは誰かと言えば、言わずと知れた我々納税者である。結局高額な税金が使われた割には学校はちっともきれいになっていないというわけ。
身体が不自由で料理もなかなか作ることが出来ないという人たちのために、あるご婦人が自分の手作り料理を近所に配っていた。しかし、それを嗅ぎ付けた市から料理配給をするためには例え相手からお金を取っていなくても、市から許可証を貰わなければならない法律があると彼通達が来た。しかも許可をもらうためには市の規定した衛生規制にのっとった台所設備が設置されていなければならないという。この婦人の家は普通の家で、市の規定するような仕出し弁当屋のような設備など設置できるはずがない。それでこの女性は不本意ながらボランティア活動をあきらめざるおえなくなった。
これは小さな例ではあるが、私がなぜ行政レベルの話を個人レベルでするのかといえば、個人レベルで出来ることを政府が割来んできて、必要もないのに公営機関や施設を設立し、それを維持するためだからといって税金を取り立てる。それがひどくなってくると国民のほとんどが望んでいないプログラムや施設などの援助のために税金が引き上げられ、間に入った役人が私腹を肥やす税金の無駄遣いとなる。今回連邦政府を閉鎖するかしないかの最後の砦となった妊娠人工中絶施設プランドペアレントフッド(家族計画)への援助金などがそのいい例である。
また、政府が大きくなりすぎると、公共のためだからといって個人の土地が取り上げられたりする。高速道路や空港の建設のためというのであればまだしもだが、ひどいのになってくるとショッピングセンターを建てるためとか、環境保全局が湿地帯とか絶滅危機動物の生息地だとか勝手に指定された個人の土地が政府に確たる保証金もなく取り上げられてしまうといった例がいくつも起きている。
経済保守派がめざす小さな政府というのは、個人や民間レベルで出来ることはなるべく政府が口出ししないで民営でやるべきだというもので、政府が都合のいいように勝手に個人の所有物を没収したりできない政府である。
我々保守派はなんらかの事情で完全に自立出来ない人々を切り捨てるべきだと考えるような冷血人間の集まりではない。実際保守派の市民のほうが左翼リベラル市民よりチャリティーなどへの寄付金は多くしているという。すくなくとも共和党議員の慈善事業への寄付金は大金持ちの多い民主党議員のそれよりずっと多い。
我々は弱者への援助は政府がやるより個々の人々の善意や民間の経営能力に任せた方がずっと良質で効率のよい慈善事業が出来ると考えている。保守派は政府の役割は最低限に抑え、個々のレベルで助け合う社会を求める。私が『国家運営の指針の提議や行政形態の在り方等を個人レベルの観点から行う』のはそれが理由だ。


5 responses to 民主主義とは何かを考えること、ツイッターでは無理なので、、、

Sachi13 years ago

これだけ丁寧に質問に答えたのだから、相手からも返事があるものと思っていたのだが、何日たっても返事がないので、ついに私の方から返事をうながした。
ichigobatakekak 苺畑カカシ
そろそろあなたの考える民主主義や福祉についてのお話があってもいいような気がするけど、、
17 Apr
substantia521 槻菟
民主主義や国家などに対する私の考え方は私のタイムライン上にて幾つか記述しておりますので、ご覧になりたいのであれば、タイムラインを遡って下さい。
17 Apr
ichigobatakekak 苺畑カカシ
人に散々質問して答え要求してて、それはないと思うな。ま、期待はしてなかったけど、、
17 Apr
@substantia521槻菟
そうですか。そちらがよく記述済みのブログを参照するよう仰っるので人とやり取りなさる時にはかような慣習でおいでなのやもと拝察しておりました。幾つかURLを提示致しますか?
ichigobatakekak 苺畑カカシ
もう結構です。あなたのスタイルはよくわかりましたから
あなたの特定の質問にはかなり丁寧に答えました。それに関しての直接の感想くらいは述べるのが筋でしょう。ま、どうせこんなことだろうと思ったので、URLの提示だけにしたのですが、やっぱそれだけに留めるべきでしたね。
18 Apr
substantia521 槻菟 そうですね。そちらが余り乗り気でない事は承知しておりましたし元々分類が異ります故、分かり難いかと拝察します。今までお付き合い戴き有難うございました。余計な事とは存じますが交流なさるお積りがないのでしたらSNSはお止めになる方が宜しいかと存じます。
見ず知らずの人に一方的な質問をして、相手にこれに答えろあれに答えろと要求しておいて、こちらが丁寧にブログエントリーにまでして答えたのに、それに関する返答はゼロ。挙げ句の果てに自分の数あるツイッターのエントリーを過去をたぐって読めときたもんだ。そんな暇はないと言うと、交流するきがないならソーシャルネットワーキングはやめるべきだと捨て台詞。コミュニケーションというのは一方通行ではないはずだけどね。
これだから左翼リベラルとは文字通り話しにならないのだ。
カカシ

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Sachi13 years ago

上記の槻菟 さんからメール内容を適当に抜粋したとクレームがついたので、全文転載する。
ーーーーーーーーーーーーーー
まずツイッターにおいて交信しました事柄についてですが、以下の
「私の言葉は私の思考に基づくものなので例え質問の形態を為そうと私自身の思考の表れと変わりません。一つ一つの事柄への応答が煩雑とおっしゃるなら、この質問にお答えいただけますか。貴方は、民主主義とはどういった様態かを考察したことがおありですか? 」
「嘗め言ではないのであしからず。誤解なされると癇に障る質問かと存じますが、大切なことですので是非お答えになって下さいね。」
と、私が問いました後日に苺畑さんは返信において以下のようにお答えになりました。
「私はアナーキストではないので、政府の存在そのものを否定してはいない。政府は外敵から国を守り、災害時など国内において国民の安全を守るのが第一の仕事だ。」
しかし上記内容ですと私が既にツイッターにて以下のように述べました通り
「先日の私のRTへのRTとして読みますと、民主主義とは何かを考察することはアナーキニズムであるとお答えになったようになります」
しかし、ツイッターにある「会話を表示」機能を用いますと、件のツイートよりもさらに以前に述べた以下の私のツイートである、
「よって、権利の主張であれば苺畑さんがブログで記述しておいでの通り代表選出の上での議会における議論となるはずですが、なぜ国家運営の指針の提議や行政形態の在り方等を個人レベルの観点から行うのですか?災害や市場の混乱が起きた場合どう対処なさるのですか?」
に対する返信であると解釈できるため上記のツイートにさらに併記して、結果的には以下のような全文となるツイートを致しました。
「先日の私のRTへのRTとして読みますと、民主主義とは何かを考察することはアナーキニズムであるとお答えになったようになりますですが、災害や市場の混乱が生じた際の政府のとるべき対応への認識で宜しいですね?」
ですが、このツイートに対し苺畑さんは以下のように返信なされています。
「違います。ツイッターの限られた字数では誤解が誤解を生む。私のブログにコメントしてくれたら、まとめて応える。」
「違う」と否定なされているため、やはり民主主義について考察することがアナーキニズムであると仰っていることになりますので念のため予め一言申し上げておきますと、民主主義についての考察というだけでは民主主義として存立する既存の秩序に対する対立とはならず、またその機能と可能性を考察することで民主主義によって成立する秩序を考察することとなり、よってアナーキニズムたり得ることもないとすることが可能です。
ですが、
「よって、権利の主張であれば苺畑さんがブログで記述しておいでの通り代表選出の上での議会における議論となるはずですが、なぜ国家運営の指針の提議や行政形態の在り方等を個人レベルの観点から行うのですか?災害や市場の混乱が起きた場合どう対処なさるのですか?」
に対して、
「私はアナーキストではないので、政府の存在そのものを否定してはいない。政府は外敵から国を守り、災害時など国内において国民の安全を守るのが第一の仕事だ。」
と仰られたのであれば、私が苺畑さんを誤解しているという苺畑さんの私への誤解を改めていただきたいと存じます。

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Sachi13 years ago

槻菟さん、お手紙ありがとうございます。
あなたの質問のなかでよく理解できない部分があります。
「よって、権利の主張であれば苺畑さんがブログで記述しておいでの通り代表選出の上での議会における議論となるはずですが、なぜ国家運営の指針の提議や行政形態の在り方等を個人レベルの観点から行うのですか?災害や市場の混乱が起きた場合どう対処なさるのですか?」
この「国家運営の指針、、、を何故個人レベルの観点から行うの」かという部分ですが、私の書いたどの部分について私が国家レベルの運営を個人レベルで議論していると指摘しているのか、そこを具体的に書いてほしいのです。そうでないと応えようがないので。
それから、自分はアナーキストではないと断りを入れたのは、あなたの 「災害や市場の混乱が起きた場合どう対処なさるのですか?」と言う質問が、『政府を否定するのであれば』という前置きがあったように感じたからです。
つまり、民主主義とはなんぞや、と考える事自体が無政府主義であるなどとは考えていないという意味で、「違います」と申し上げたのです。
この部分がはっきりしましたら、まとめてお返事します。
カカシ

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Sachi13 years ago

槻菟さんの二通目:
ーーーーーーーーーーーーーー
さて、本題ですが以下の
「具体的に何の話ですか? 漠然としていて応えようがありません。」
という苺畑さんの私のRTへのご質問ですが、私がこれまでのように問うて参りましたのは、私がアメリカの政治政体にとりいかなる構築様態が望ましいものとアメリカの人々が考えているのか知りたいと思っているからに相違ありません。
以前にもお伝え致しました通り、アメリカの事柄をアメリカの方々以外に求問することは適切ではありません。ですのでお答えいただけましたら有り難く存じます。
アメリカのコミュニティーとはその維持のために何を為し、意志を決定するに当たってどのような思想を指針としているのでしょうか。
例えば社会保障の拡充や雇用創出が民意であるからこそ前大統領選で選出されたのはそれらを掲げたオバマ氏だったのではありませんか。
現在難航していようと民衆が望んでいることが変容したわけではありませんよね?
不足している故に望まれもするのではないかと思うのですが、同一の国家に籍を置く人々が国内の需要に無関係でいられるからとしても無関心でいて良いものでしょうか。特に自立に支援が必要な人々を放置したままではいつまでも解決を得られないように思います。
コミュニティーという形態は己一人では成立しないものです。ですが公共の福祉と個人の自由との折衝が命題としてありますし、生産の場としての社会では優れた個の増幅が社会全体の水準を向上させることにつながります。教育の普及などはその典型ではないかと思われます。
ですのでアメリカの人々が自分達の国家であるアメリカをどのように形成していきたいと望んでいるのか私は知りたく存ずるのです。
こういった事柄は立場や個々人にとり様々あるかとは存じますが、保守派の方としての苺畑さんのご意見を是非お聞かせ願いたく存じます。
なお、この送信に用いましたメールアドレスはさほど多用しておりませんので、お手数ですがご返事いただけました折にはツイッターにて御一報いただけますと助かります。

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Sachi13 years ago

槻菟さんからの三通目:
ーーーーーーーーー
先日はご返信いただきありがとうございました。
以下にご質問への回答を述べさせていただきます。
>>「よって、権利の主張であれば苺畑さんがブログで記述しておいでの通り代表選出の上での議会における議論となるはずですが、なぜ国家運営の指針の提議や行政形態の在り方等を個人レベルの観点から行うのですか?災害や市場の混乱が起きた場合どう対処なさるのですか?」
>この「国家運営の指針…を何故個人レベルの観点から行うの」かという部分ですが、私の書いたどの部分について私が国家レベルの運営を個人レベルで議論していると指摘しているのか、そこを具体的に書いてほしいのです。そうでないと応えようがないので。
上記のご質問に対しお答え致しますと、ただ一点にのみ着目して断定してしまっている訳ではないのですが主に具体的に提示致しますならば苺畑さんが以前にブログにてコーヒーパーティーの創始をフェイスブックにて呼びかけた方について提起なされた折に、[分断]という語について分断ではなく議論であるといった趣旨などを書かれていたくだりが挙げられます。
斯申しますのは確かに各々の要する主張を為すことは社会というダイナミズムの中では重要な態度であるとは存ずるのですが、しかし同時に[自己の側の主張のみに終始するを良しとし自己の属する階層ないし母体を越えて利害的関わりのない他者と協力したり、あるいは欠損を補う事でひいては社会環境を充足ないし浮揚せしめたりする事を望んでいる訳ではないのだろうか]と疑問を抱いた次第です。つまり極端に表現しますならば、自分の敷地の外でなら見知らぬ者が非もなく死に到らしめられていても構わないのだろうか、と。不適切な表現でご不快に思われましたらすみません。
>それから、自分はアナーキストではないと断りを入れたのは、あなたの
>「災害や市場の混乱が起きた場合どう対処なさるのですか?」と言う質問が、『政府を否定するのであれば』という前置きがあったように感じたからです。
>
>つまり、民主主義とはなんぞや、と考える事自体が無政府主義であるなどとは考えていないという意味で、「違います」と申し上げたのです。
>
>この部分がはっきりしましたら、まとめてお返事します。
では私が苺畑さんを誤解しているという誤解は解いていただけたと判断して宜しいでしょうか?
また、
>「災害や市場の混乱が起きた場合どう対処なさるのですか?」と言う質問が、『政府を否定するのであれば』という前置きがあったように感じたからです。
という上記の点に一言申し上げておきますと「政府の否定」ではなく[同一国家内にて無償ないし即時的には無償と見做し得る提供を拒むかのような姿勢で社会に臨んでいる]ようにお見受けした故に、個人では即応し得ない有事の際にはいかがするおつもりなのだろうかと疑問を抱いた次第です。
[提供を拒むかのような姿勢]と申しますのは保守派の方達の意見が概ね[自力で自己の領分を達成し、その領分を越えない]という姿勢に見受けられ、ひいては[だから他人も自分でできないなら他人の助けなど得る資格はない]と見做しているように思える故です。なお、何故私が上述のような心証を抱いたかについては一つめの回答と類似する理由であると思っていただいて構いません。
ですが、例えばもし仮に足のない者に車椅子も義足もなしに走ってみせろと言う者がいたとしたら余りにも非道な発言だとお思いにはなられませんか?足の不自由な人は見れば直ぐに分かるとは存じますが他者の成育過程を想起する事は思いの外難しいものです。一言の下に[当人の努力の問題だ]と切って捨てるべきではないように思うのです。
ただ、政府の介入により利権が生じ大義名分から内実が逸れてしまう危険性は確かに実在するとは存じますが、しかし政府という公的で広範に関与し得る正当性をある程度有している機関でなければ行えない事もあると存じ、また政府を経由する事で多くの瑣雑な意志が効率化され得るのではないかと存じます。
逼迫して必要とする人々の代弁としての施政を困る故に否定するのであれば代替案など提起されないものでしょうか。
宜しければこちらの疑問にもお答えいただければ嬉しく存じます。
苺畑さんには漠然としているように思われるやもと拝察致しますが、社会に限らず時間とともに推移する動態を捉えんとする場合には限定的な見方は仇となりがちであり、尚且つ国外の直接触れ得ない事柄に関して思考しておりますので、なるべく単一の事例よりも広汎な事象を捉えたいと志向しております。余り視野を広げ過ぎても見落とす事物が増える危険がある事も承知致しておりますが、木を見て森を見ざる誤謬には陥りたくなく留意しております。どうぞご了承下さい。

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