過激派イスラムを批判した人気ラジオDJ辞任に追い込まれる

日本ではおなじみないかもしれないが、アメリカでは大人気だった1980年代のテレビ番組「ラブボート」のレギュラーだった元俳優そして元下院議員でもあって、今は人気ラジオトークショーDJのフレッド・グランディーと夫人が過激派イスラム教徒の脅威を語ったことが原因でラジオ局から辞任に追い込まれるという事件がおきた。
過激派イスラム教はイランのアメリカ大使館が襲撃された1979年からずっとアメリカの宿敵である。911は言うまでもないが、それまでも、そしてそれ以後も、過激派イスラム教テロリストたちはアメリカ人を殺し続けている。ついこの間もドイツの空港で過激派イスラム教に感化されたドイツ市民がフランクフルト空港でアメリカ兵二人を射殺した事件がおきたばかり。
ことのおこりは、グラディー夫人のキャサリンさんが番組中に過激派イスラム教の脅威を語ったことで、WMALラジオ局がグラディー自身に過激な発言を改め謝罪するように求めたことがきっかけだ。

私も妻も私たちの番組を通じて過激派イスラム教の国内国外での危険性について過去数ヶ月に渡って語ってきました。先週、キャサリン(番組ではミセスフレッド)は潜伏聖戦(ジハード)に対してかなり厳しい批判をしました。その努力が原因でキャサリンは番組から降ろされました。私は局側にミセスフレッドがマイクの前に座らないなら私も続けることは出来ないことを告げ、今朝を最後に辞任することになりました。

このラジオ局は以前にも国内のイスラム教市民団体から圧力をかけられ、イスラム教を批判したDJを首にした過去があるので、今回もアメリカイスラム教委員会CAIR(ケア)から圧力をかけられたのではないかという噂もある。CAIRのスポークスマンは自分らは全く関係がないと主張しているが、エジプトのモスリム同砲団とつながってるようなテロ団体が真実など述べるはずがないから全く信用できない。
グラディー自身もCAIRが直接関与しているかどうかは知らないと述べているが、2005年にCAIRの抗議で「イスラム教はテロ団体だ」と批判したマイケル・グラハムというDJが解雇された例をあげている。
グラハムの場合はイスラム教全体を批判しているので、クレームがついてもおかしくはないが、(だからといって解雇されるほどのものとも思えないが)ミセスフレッドは過激派イスラム教と言って、イスラム教の特殊な一部の教えについて語っているのであり、特に問題があるとは思えない。
だが、よしんばCAIRは何の圧力をかけていなかったとしても、イスラム教団体からの批判を恐れて局側が自主的にグラディー夫人を解雇した可能性は多いにありうる。
はっきり言って私には過激派イスラム教テロリストは英語でいうところの500ポンドのゴリラに思える。つまり、部屋の真ん中で500ポンドのゴリラが居座って部屋の平和を乱しているのに、部屋のなかにいる人々はそれを完全に無視。なぜ部屋が荒れているのか全くわからないという顔をしている。
何故我々アメリカ人はアメリカ人に最大の脅威を及ぼすイスラム教ジハーディストをおおっぴらに批判することが許されないのだ?彼らのほうはアメリカは悪魔だとかアメリカ人が全員死ぬまで戦いはやめないとか常に公言し、機会があるごとにアメリカ人を殺しているではないか?何故その脅威について述べることがいけないのだ?そんなにイスラム教徒からの報復が怖いのか?
だとしたら、過激派イスラム教はの悪影響は思ったより深刻な問題だといえる。
バージニア反シャリア対策隊のジェームス・ラファティは、CAIRが局に圧力をかけたという話を少なくとも二つの筋から聞いているとし、CAIRの最終目的は全国ネットで放送しているショーン・ハネティを失脚させることだという。ハネティーはラジオだけでなくフォックスニューステレビでもレギュラー番組を持っており、地方局DJのグラディーより広い聴取者数を持っている。


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何故団体交渉はいけないのか?

ウィスコン州の労働組合の団体交渉権を規制する法案はいまだに民主党議員が他州に逃げ隠れして投票に参加しないので、法律が宙ぶらりんになっているなか、オハイオ州で同様の法案が意外と簡単に州上院議会を通過した。このオハイオ州の法案が法律として施行されるようになれば、ウィスコンシン州の17万5千人より倍以上も多い35万人の組合員に影響を与えることになる。オハイオ州のJohn Kasich知事も共和党。

「これは納税者との労働組合の不均衡をただし、機能させるための大切な第一歩です。」とオハイオ知事。

さて、この団体交渉権 “Collective Barganing”とは一体何か。そして何故それが経済難を抱える諸州で問題にされているのか考えてみよう。
先ず、団体交渉とは何か? これは要するに経営者と労働者が個々に労働条件や賃金を交渉するのではなく、労働者が労働組合という団体を通じてひとつの団体として経営者と交渉するやり方だ。19世紀後半から20世紀初期の労働者は過酷で危険な労働条件で働かされていた。日本でもああ野麦峠などでも描写されているように、当時の労働者は経営者に対して労働条件の向上を求めるなどという発言権はほとんどなかった。
アメリカでは危険な炭鉱の落盤で何百人という労働者が生き埋めになったり、シャツ工場の火事で一度に何百人という女工が焼け死んだ事件(工員がさぼらないようにと出口に外から鍵がかけられていた)などがあり、職場の安全状況を向上させる動きが出た。当時の労働者は皆若く教養もなかったし、現在と違って貧富の差も激しかった。家族経営の中小企業ならばともかく、大企業においては、一個人の工員が経営者と個人的に労働条件や賃金の交渉など、なかなか出来なかったのである。
そういう状態にあれば、労働者が一体となって組合を作り、団体として経営者と交渉するというのも理屈にあうし、効率がいい。よって私は労働組合の発足や初期の役割について否定する気はない。だが、すでに初期の段階から団体交渉が含む問題は明らかだった。1930年代ごろからすでに組合ボスたちの腐敗は悪名高い。現在も大手の組合ボスたちの給料は10万から50万ドルだそうだ。
現在における団体交渉の弊害について、下記のような就職活動者を考えてみよう。
学士を持つAは若く未婚。応募した会社に数年勤めたあとは一旦社会人を止めて修士の資格をとるべく大学にもどるつもりだとしよう。長年勤める気はないので、62歳過ぎなければもらえない年金とか、健康だから健康保険なども特に必要ないと思ってる。後で数年間無収入になるので今のうちに稼ぎたいから多少の残業などなんとも思わない。特に休暇などなくてもいいと思ってる。
もう一人は前の会社をリストラされた中年で子持ちのB。あと10年で定年。いまさら転職の気持ちなどさらさらない。この会社でぎりぎりまで働いて引退するつもり。上の子はそろそろ高校受験。下の子はまだ小学生で病気がち。Bにとって家族ぐるみの健康保険は非情に大事。給料からかなり引かれても仕方ない。家族と過ごす時間が大事だし奥さんとセカンドハネムーンにも行きたいので、長期で取れる休暇は必要不可欠。歳が歳なのであまり残業が多いと体がもたない。
AとBの二人では仕事に求めるものが全く違う。自由市場に任せるならば、AもBも個人的に自分にあった条件で雇用主と交渉し、Aならば保険や年金などのベネフィットはほとんどいらないからその分給料をあげてくれとか交渉することができるし、Bならば基本給料は低くてもいいから年金が高く質のいい健康保険がついてくる条件を求めるだろう。
ところが、労働組合が団体交渉をすると、もしAとBが同じ職種の同じレベルの仕事に応募した場合、二人が受け取る条件は全く同じになる。それでAは欲しくもないのに年金や保険料を給料から差し引かれ、Bは身体がもたないのに長時間の就労を余技無くされる可能性がでる。組合は個人の能力とか必要性とかを全く考慮に入れないからだ。
これは実際にある組合が要求した労働条件なのだが、一日に8時間以上働いた場合は残業手当を払わなければいけない。それはそれでいいのだが、例えば前の日に4時間しかはたらかなかったので、今日は12時間で埋めあわせをする、という融通が利かない。それで、病気がちの子供を病院につれていくためにBが月曜に早引けして火曜日にその埋め合わせ残業をするといったことは簡単に出来ない。あらかじめ、週に40時間以上働かない限り残業はなくてもいい、日によって早い日もあれば遅い日もあるという融通の効くスケジュールをBが経営者と交渉して決めることは不可能なのである。
また、経営者側も、Aのほうが仕事が出来るのでBには辞めてもらってBの給料を上げよう、などと勝手な判断は出来ない。ここでも労働組合が口を出してくる。どういう条件なら従業員を辞めさせることが出来るのか非情に細かい項目があり、公務員の場合、単に仕事が出来ないというだけでは先ず辞めさせられないのが現実。
アメリカの公立学校の質の低さは悪名高い。これは決して、アメリカに質のいい教師が居ないという意味ではなく、質のいい教師も悪い教師も同じように扱われるし、教師自身の定期的な学力テストや生徒のテストの点で教師の昇給を考えるなどといったことは、いくら校長がやりたくても組合が承知しない。公立学校の教師を辞めさせることは大変なことで、生徒に猥褻行為をした教師ですら有給のまま自宅謹慎で何年も辞めさせられないというひどい状態が起きているのだ。
特にひどいのは公立学校の用務員。ある学校区では組合が用務員は床を一週間に一度しか拭かなくてもいいという労働条件を通させた。これではカフェテリアで子供がスープをこぼしても、用務員は床を掃除しなくてもいいということになる。もっとも公立学校の用務員は何年も学校になど足を踏み入れたことがないという人も多く、しかも給料は年間10万ドルとかいう法外な金額だったりする。つまり、用務員とはたんなるタイトルであって本当の職業ではない。これは地方政治家に多く献金した政治活動家の家族に与えられる褒美のようなものになってることも多い。
それでも組合への加入が個人的な選択によるものであるならばそれでいい。上記のAのように自分には能力があるから他人に交渉など頼む必要はないと思っている人なら、わざわざ会費を払って組合に参加する必要はないだろう。だが、公務員の場合、多くの州において組合加入は強制的である。よしんば加盟しなくても、給料から会費を天引きされるのは普通で、厳密的にはこれは違法なのだが、組合とべたべたのオバマ政権は、この労組の違法行為を見てみぬ振りだ。
ウィスコンシンのウォーカー知事が辞めさせようとしていることのひとつに、この強制加入の禁止だ。労働組合は会費を政治運動に使っている。しかも95%の組合が民主党のみに献金しているのだ。よしんば労働者が共和党支持者で、民主党政策に大反対だったとしても、彼の給料から強制的に差し引かれた会費は直接民主党政治家の懐に入ってしまうのである。こんな理不尽なことが多くの州で長年つづけられてきたのである。
ウォカー知事や他の共和党知事は、こうした労働組合の身勝手な独裁政策を辞めさせようとしているのだ。彼らと民主党政治家たちとの癒着により、州公務員の給料や年金は民間企業の従業員の倍以上になっているという。傾く州財政のなかで、何故民間の納税者が公務員が自分らよりずっといい条件で働くために犠牲を払って税金を負担しなければならないのか、考えただけでも不公平である。
これはまさに、党メンバーだけが贅沢三昧をしていた共産主義国家の体制と全く同じだ。自由市場に反する社会主義だ。
最近の労働組合員たちのデモを見ていると笑ってしまうのは、彼らはウォーカー知事のことを「独裁者だ」とかリビアのカダーフィやエジプトのムバラクと同じだとか言っている。だが、実際に暴力で自分らの意志を通そうとしているのは組合のほうだ。ウィスコンシンでは共和党の議員が労組の暴力団員に囲まれてかなり危ない状態になった。
また、デモ中の組合メンバーにクレームをつけたティーパーティーのメンバーが組合暴力団員から暴行を受けたにも関わらず、警察官組合のメンバーである警察官は反組合の市民を守ろうとしなかった事件なども起きている。
アリゾナで民主党議員の集会が狂人の乱射でめちゃくちゃにされたときは、あれほどサラ・ペイリンやティーパーティーを、暴力をあおっているとして攻撃していた民主党やリベラルメディアは、こうした左翼側の組合やその支持者たちの暴力的な言葉遣いどころか実際の暴力行為すら批判もせず黙認し続けている。
労働組合べったりのオバマ大統領などは、完全に組合に肩入れしている。
通信業労働者(CWA)の電話会議に出席したヒルダ・ソリス労働省長官は、労働組合の抵抗を「誇りに思う」とし、「戦い続けよう」と励ましの声を送った。
政権が明らかに労働組合の味方をしていることに気をよくしたのはCWAの会長。「(長官の言葉は)歴史的な言葉です。政権の人員があきらかに私たちの味方をしてくれている。これは大統領の言葉であることを忘れてはなりません。」
まさしくその通りだ。大統領自らが団体交渉という完全な社会主義を支持しているのだ。
困ったことに、アメリカ国民の多くが労働組合の団体交渉権を支持している。リベラルメディアの報道の仕方にもよるが、共和党知事や議員たちは、ここではっきりと民間の組合と公務員の組合の性質の違いをはっきりと納税者に説明し、共和党は決して労働者を敵に回そうとしているのではないことを明らかにしなければならない。
ウォーカー知事や他州の共和党知事たちが州公務員の労働組合と立ち向かっている理由は、公務員労組の力が増大することによって納税者の負担が高まり州財政が危機に追い込まれるのだ。共和党はそのことを市民に説明し、共和党こそが労働者の真の味方なのだとわかってもらうひつようがある。
そうでないとこの次の選挙でオバマはじめ民主党は、共和党は労働者の大敵だと、またまたプロパガンダを流すこと必定だからである。いまや労働組合こそが真の労働者の敵なのであり、特に公務員労働組合は納税者の敵である。高い税金を払いたくないのであれば、公務員組合の力を激減させることが大切だ。ウォーカー知事はじめ共和党政治家はそのことをよくよく有権者に説明してほしい。


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ララ・ローガンを襲った暴徒に対し裁きを呼びかける声に批判的なエジプト人たち

アメリカに長年住んでいて、今はカイロ住まいのエジプト人カリム・モーヒーさん31歳は、ホスミ・ムバラク大統領失脚を祝った狂気的な暴徒に襲われたララ・ローガン記者への暴力に抗議する集会を開こうとエジプトの同胞に呼びかけている。だが、この呼びかけに対し、集会に反対する人の声が高まっている。それというのも、実際にローガン記者がエジプト人の暴徒によって暴行を受けたという事件が本当かどうか疑わしいと考えるエジプト人が多くいるからだ。
ローガン記者への暴行事件を最初に取り上げたときに、アラビア語のメディアであるアルジェジーラは完全無視を決め込んだことは書いた。しかし当のCBS以外のアメリカのメディアや日本も含め他国のメディアは一斉にこの事件を取り上げたため、事件があったことを知らないのはアラビア語メディアのみにニュースを頼っているアラビア人だけかもしれない。
とはいうものの、あれだけあちこちで記者団が取材をして何台ものカメラがあったにも関わらず、ローガン記者への攻撃を撮影した映像はない。群集のなかで携帯電話で撮ったビデオがあるという噂はあるが、実際にそれを観たという人でそのビデオを公表できる人はいない。
それで、そんなひどいことが実際に起きたなら、アルジェジーラやアルアラビアが大々的に報道するはずで、それが起きていないのは事件そのものが起きていないのだと言い張るエジプト人も多くいる。
また、襲ったのは反ムバラクの群集ではなく、ムバラク派が大統領の失脚を怒ってアメリカ人記者を襲ったのではないかという意見も多く聞かれる。自分の同胞がそんなひどいことをしたなど信じたくないのが心情というものだろう。
モーヒーさんは、エジプト側からは公式な謝罪は一切なかったとして、抗議の集会を開きたいと意志を示している。
モーヒーさんは、海外生活をするエジプト出身者を対象にしたネットサイト、カイロスカラーズやフェイスブックなどでも、暴徒への裁きを求める記事を載せた。モーヒーさんの目的はララ・ローガン記者への攻撃を抗議することをきっかけに、エジプトで増えている女性虐待について人々の目を覚まさせたいというものだ。そしてエジプト政府と軍隊はローガン記者を襲った暴徒たちを裁くべきだと訴えた。
しかし集まったコメントは皆かなり冷ややかなものだった。

「セクハラに対して戦う団体を是非みたいとはおもうけれど、外人が襲われたということだけを強調するのはどうかとおもう。(略) 私たちは皆襲われているわ。どこにいても誰にでもおきることよ。エジプトだろうとどこだろうと男からセクハラを受けない女性なんていないわ。人生なんてそういうもんよ。変態はどこにでもいるわ。革命とは関係ないのよ」アーワ・アテフ・シャラビー(女性)

2008年に行われたエジプトの女性人権センター(ECWR)の調査によると、外国人女性の98%、そしてエジプト人女性の83%がエジプト人男性からセクハラを受けたと答えている。そして62%のエジプト人男性がセクハラをしたことがあると認めたが、そのうちの53%は女性に原因があると答えたという。
他の記事でも読んだのだが、エジプト人女性は外を歩いていて男性から痴漢行為をされるのは日常茶飯事だということだ。また、現場を取材していた別のアメリカ人女性記者も群集から臀部や胸部を触られるなどしたという。ただ、彼女の場合は日本の満員電車の痴漢行為程度のものだったようだが、一人の若者は彼女のお尻をかなり強く掴んだそうだ。普通なら彼女は怒って相手に抗議するところだが、状況が状況だっただけに、やたらな抗議はもっと攻撃をエスカレートされるかもしれないと思い無視したという。幸いこの女性記者への痴漢行為はその程度のものだったらしい。
集会に反対しているのはエジプト住まいのエジプト人だけではなく、海外にすむエジプト人からも、どうせ集会を開くならエジプトにおける女性虐待やセクハラに対して一般的に抗議すべきで、外国人記者の事件だけの焦点をあてるべきではないという声も聞かれる。
エジプトのフェミニスト団体は、モーヒーさんがこういう集会を主催するには適していない、もっと女性運動に長年関わってきた団体が主催すべきだと抗議している。もっともエジプトのフェミニスト団体ECWRは、そんな運動をする気配もなければ、ローガン記者への攻撃について何一つ批判的な声明を出していない。ま、フェミニストなんてのはどの国にでも単なる左翼でじっさいに女性の立場向上になんか興味がないので、エジプトも例外ではないのかもしれない。
また、女性虐待問題は今のようにエジプトが動乱状態にあるときに持ち出すような話題ではないという意見もあったが、モーヒーさんは、エジプトが既存の体制を覆そうとしている時こそ女性の人権を訴える絶好の機会であると主張する。「鉄は熱いうちに打て」である。
私もローガン記者への攻撃だけに焦点を当てるべきではないという意見には賛成だが、女性全般という言い方をすると人々の心のなかでは概念が広すぎてぴんとこないような気がする。一人の名前も顔もある女性への攻撃だからこそ、これは無視できないことなのだという実感が沸くのではないだろうか?
ローガン記者事件をきっかけとして、今後二度とこのようなことが起きないよう、暴徒を厳しく処罰すべきだと主張することは決して時間の無駄ではないと思う。
無視できないのは、イスラム教の国では、強姦された女性が鞭打ちの刑に処されるような掟もある。サウジアラビアではデート中に数人の暴徒の集団強姦された女性が鞭打ちの刑を言い渡され、不服であると提訴した女性弁護士が弁護士免許を剥奪されるという事件が数年前に起きてイスラム圏以外の国から強い批判を受けたことがある。
また、イランでは強姦された女性は淫乱女として下半身を埋められて投石処刑される決まりになっている。
エジプトはそこまでひどい国ではないが、それでもイスラム教の影響でかなりの男尊女卑が存在することは事実であり、従って女性虐待などさほどなんとも思わない男性が多いのだろう。
集会は4日に開かれるということだが、どのような集まりになるのか興味深い。


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民間企業の組合よりたちが悪い州公務員労働組合

ウィスコンシン州を初め、カリフォルニア州でも州公務員の多額な給与や年金や保険料が州の財政を破産に追い込んでいるところが少なくない。ウィスコンシン州では共和党の新知事スコットー・ウォーカー氏が、州公務員の保険料と年金負担の増額、そして労働組合の団体交渉権の規制を求めたことで、反対派の労働組合員たちから激しいデモを起こされて二週間になる。少数派の民主党州上院議員たちは法案の投票をすれば負けることがわかりきっているので、投票を逃れるために近隣の州に逃げ込み身を潜めている。
私はもともと労働組合なる組織が好きではない。ただ、民間の場合は、産業革命が起きた頃の醜悪な労働条件を向上させるために自然と出来たもので、当初の目的は充分に理解できる。民間企業の労働組合は労働者を人とも思わないむごい扱いをする雇用主との敵対によって成立したともいえる。
昔は労働者を一部屋に閉じ込めて外から鍵をかける工場とか、休憩時間一時間も取らせず一日12時間以上働かせるとか、危険な場所での労働であるにも関わらず安全設備が全く整っていない炭鉱とか、産業の発達に人間性が全くついていけない時代があった。労働者が少しでも抗議をすれば、経営者側が暴力団を雇って従業員に暴力を振るうなど日常茶飯事という時代があった。
そんな時代なら、悪質な経営者と戦うために一般労働者が連帯して組合を結成し、雇用主に団体で就労条件の向上を目指して交渉にあたったのも充分に理解できる。
今は従業員をそんなふうに扱う企業などアメリカでは先ず存在しないが、今でも組合と雇用者側は多少なりとも敵対関係にあることは確かだ。それでも民間企業の労働組合が企業の経営難を無視して理不尽な要求をすれば、企業自体が倒産してしまったりリストラを余儀なくされたりして、かえって労働者に損害を与えることになる。だから民間企業の組合はある程度のところで給料を上げたくない経営者と妥協しなければならない。
しかし、これが公務員になってくると状況は全く違う。公務員の雇用主は政府であるが、政府の収入源は自由市場での競争によって得た利益ではなく国民の税金を集めたものだ。政府にとって公務員の給料を組合の要求どおり受け入れるためには国民の税金を上げればそれで解決するのである。
特に組合員の合意なしで会費を好きな政治家に献金することが可能な労働組合の要求となれば、組合が潤えば自分への献金も増える民主党の政治家たちが組合の要求を拒む理由などどこにもない。つまり、州公務員組合の要求は組合と親交な民主党政治家らとの癒着によってまるで抵抗なくどんどん受け入れられてしまうのである。
ウィスコンシン州のウォーカー知事は、この際限のない労働組合と政府の癒着を取り除くために、労働組合による団体交渉権を規制しようとしているのだ。労働組合が年金と保険金の一部負担は妥協すると言っているにも関わらず、ウォーカー知事が断固拒絶している理由はそこにある。現在共和党知事や共和党州議会が与党であるときは一時的に妥協しても、これが民主党の議会になれば、また交渉次第で以前の約束などどんどん撤回することが出来る。ウォーカー知事はその回転ドアを永久的に閉めようとしているのだ。
また公務員労働組合側が、たとえ従業員のリストラという犠牲を払っても、団体交渉権をあきらめないのは、自分らの持つ政治家への影響力をあきらめたくないからなのだ。最近の労働組合は労働者のことなど本当はどうでもいいのである。奴らの真の目的は自分らの権力拡大に過ぎない。
どっかのリベラルメディアの記者がウォーカー知事が組合の妥協を受け入れずに交渉権に拘るのは、金儲けが目当てだと話していたが、金の話をするなら、組合とその支持者である民主党こそ金儲けがs先決で肝心の労働者や民間の納税者のことなどなんとも思っていないではないか?


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