このブログでも、私は何度となく多文化もしくは多様文化主義(multi-culturism)を批判してきたが、本日(2・6・2011)「英首相 「英国での多文化主義は失敗」」という見出しを読んで、やっとイギリスでも多文化主義の弊害を理解できる政治家があらわれたのかとホットしたところだ。

 「多文化主義国家のドクトリンは、様々な文化がお互いに干渉せず、主流文化からも距離をおいて存在することを推奨してきました。そうした、いわば隔離されたコミュニティが我々の価値観と正反対の行動をとることすら許容してきました」(イギリス キャメロン首相)

 これはキャメロン首相が訪問先のドイツで行った講演の中で発言したものです。キャメロン首相は「イギリスでのこうした多文化主義は失敗した」とした上で、異なる価値観を無批判に受け入れる「受動的な寛容社会」ではなく、民主主義や平等、言論の自由、信教の自由といった自由主義的価値観を積極的に推進する「真のリベラル社会」を目指すべきだとの考え方を示しました。

そしてイギリスでイスラム教徒の若者が過激化しテロに至るのも、多文化主義がかれらの英国への同化を妨げてきたからだと語った。
多様な文化を無差別に受け入れるやり方というのは、一見違った文化を持った人を差別しない寛容な社会のような錯覚を持つが、実は多文化主義ほど不寛容で差別的な隔離社会をつくる主義もない。
アメリカは移民の国だが、アメリカは新しい移民にアメリカ文化を受け入れ、英語を学びアメリカのやり方を早く身につけてアメリカ精神を持つことを要求した。だからすぐには馴染めない新しい移民への差別は常に存在していたが、移民も二代目三代目になれば完全なアメリカ人として受け入れられてきた。
アメリカには、新しい移民が集まる少数民族の居住区があるにはあるが、そういう場所に住んでいるのはたいてい一世だけで、教育を得て経済的にも恵まれてくる二世や三世の時代になると、チャイナタウンだのリトル東京だのといった居住区からは遠ざかっていくのが普通である。
だが、最近になってアメリカで生まれ育っていながら英語が話せないラテン系の移民が増えてきた。多文化にも寛容であるべきという考え方が行き過ぎて、外国人が英語をはなせなくてもまったくこまらないような配慮があまりにもされているため、移民はアメリカに溶け込もうという努力を全くしなくなったからだ。少数民族が集まってくる居住区では、スペイン語の話せないほかのアメリカ人は住みたがらなくなる。それで必然的にラテン系の居住区とそうでない人々の居住区が分かれてしまう。
それが何年も続けば、言葉や文化の違いによって居住区がそれぞれ隔離されるという現象が起きるわけだ。
それでもラテン系はカトリック教徒がほとんどなので、アメリカの文化とそんなに違うわけではない。彼らが言葉さえ学べばアメリカ社会に溶け込むのはそれほど難しくないと思う。だが、イスラム教徒の場合はイギリスのような西洋社会とは全く相容れない価値観がある。イスラム教徒を統括するシャリア法はイギリスの法律とは矛盾し衝突することばかりだ。一夫多妻制や名誉殺人や幼女の性器切除など文明社会の価値観では受け入れられないような野蛮(そうだ、野蛮だ!)な文化を受け入れれば、そんな社会に住みたくない一般のイギリス人と、そういう社会を主張するイスラム教徒らが同じ地域に平和共存するなど不可能なのは当たり前だ。
それに、不寛容な文化を寛容に受け入れた場合、不寛容社会が寛容社会を制覇するのは時間の問題だ。相手はこちらの文化を尊重する義務はないが、多文化主義のこちらは相手の不寛容も受け入れなければならないという理不尽な現象がおきるからである。
イギリスが、国産のテロリストに国の安全を脅かされるようになるまで、そのことに気がつかなかったというのも呆れるが、それでも首相がそのことを認識し、そしてそれを口にすることをはばからなかったということはかなりの進歩だと思う。
イギリスを始めヨーロッパ諸国は過去30年にわたって多きな間違いを犯してきた。せっかく悪の帝国ソ連が、アメリカのレーガン大統領とローマのジョン・ポール2世法王の努力で滅びたというのに、その後のヨーロッパはなぜか社会主義社会にむけてまっしぐら。宗教を捨て世俗化した社会は堕落し、少子化を補うために中東から労働者を招いておきながら、彼らを自国民として受け入れるのではなく、多文化主義を口実に差別し隔離してきた。
そして今、そのセカンドクラス市民のイスラム教徒の過激派がヨーロッパの平和を脅かすようになったからといって、それほどの驚きだろうか?
だが、まだ遅くない。いまからなら引き返せる。今こそ我々は多文化主義などという隔離主義を捨て、融合主義をすすめるべきだ。諸外国の良い面はどんどん受け入れるべきだが、自国の価値観を捨ててまで他国の文化を受け入れる義理は誰にもない。イギリスがイスラム過激派に乗っ取られてしまう前に、イギリス首相がそれに気が着いてくれたということは歓迎すべき事実だろう。


2 responses to 多文化主義は移民の同化を妨げる、多文化主義の失敗を認めた英首相

oldman13 years ago

私は以前からヨーロッパのムスリム1000万人の受け入れは歴史的な大失敗だったと考えてきました。
多文化主義であろうがなかろうが、受け入れたこと自体が失敗だったのです。もう手遅れであり、やり直しはききません。
この先に待ち受けるのは巨大な、おそらくはナチスによるユダヤ人虐殺に匹敵する、悲劇であろうと予想しています。
仮にキャメロン首相が目指す「真のリベラル社会」が実現するとしても、信教の自由を認めるのであれば、ムスリムがイスラム教を捨てることはないでしょうし、そうであれば結局は多文化主義となんら変わらない結果になります。
フランスはイギリスとはかなり異なる移民政策を採用してきました。移民をフランス社会に同化し、社会的統合を目指そうとしてきたわけですが、チャドルをめぐる騒動やイスラム系若者の暴動など記憶に新しい出来事を思い起こせば、うまくいっているとはとても言えません。
イギリス式であれフランス式であれ、低賃金労働者として、教育レベルの低い大量のムスリムを移民として受け入れたこと自体が失敗だったということです。
日本では少子高齢化を口実に1000万人移民受け入れを主張する勢力があります。日本がヨーロッパの失敗から学ぶことがあるとすれば、それは「移民を受け入れない」という従来の方針を守りぬくことが大切だということでしょう。
ただし、PhDなどの高レベルの人材については、欧米、インドなどからであれば積極的に受け入れるべきであろうと思いますが、そういう人材は人数が少ないいでしょうから、移民という視点ではなく、科学技術振興という視点から議論されるべき問題であろうと考えます。

ReplyEdit
mhgt13 years ago

そう言えば、オーストラリアの昔から白人至上主義国も、ムスリムの移民入れた途端、海岸沿いで事件があったの2,3年前でしたっけ??
私は、アメリカの大統領には、少々オーストラリアの大統領とフランスの首相のような肝の大きさを求めますね。
「移民して来て、不満があり国の文化に従えないなら、どうぞお引取りください」ってな感じ。
古く言えば…
神が何故、人種と言語の違いを与えたのか…
もう、ここから来るのですけど、この近年、文化発達の為、人種と言語それ又民族的なミングルが多くなりすぎて、トラぶってるんじゃないでしょうかね。
多文化主義は私も上手く行くとは思ってないです。
他人種同文化主義への配置をしなければ、ドンドン国内が荒れていきますって…

ReplyEdit

Leave a Reply to oldman Cancel reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *