愛国太平というブログで、当ブログのエントリーをふたつほど取り上げて貰ったのだが、そのなかで、「サラ・ペイリンのアラスカ」についてぼろくそに書いてるカナダde日本語というそのタイトル通りカナダで日本語教師をしているという極左翼のブログの紹介があった。
カカシはサラ・ペイリンのファンなのだが、気候や自然の面でアラスカとも非常に共通点の多いカナダという国に住んでいながら、ペイリンのアラスカが全く理解できていないペイリン嫌いの偏見に満ち満ちた著者の美爾依さんの文章が面白かったので、ちょっと紹介してみたい。

何がとんでもないかというと、『サラ・ペイリンのアラスカ』っていう番組を見ると、アラスカの大自然はとってもすばらしいんだけど、サラ・ペイリンがいい年をしてアウトドア・スポーツに挑戦してキャアキャアわめきまくったり、ライフルで大自然で生活する野生の動物を殺したり、日本の家に比べたらとてつもなく広い彼女の家には、野生動物の首から上の剥製があったりとちょっと見ただけで不快になってしまう映像のオンパレード。

「いい年して」とはどういう意味だ。サラ・ペイリンはたかが45〜6歳。40過ぎのおばさんがアウトドアスポーツを楽しんじゃいけないって誰が決めたんだよ、と言いたくなる。ブログ主の美爾依さん自身プロフィールを読む限り、大学卒業後どのくらいの期間を置いてカナダに来たかによっては40歳近いはずで、ペイリンと大した差はない。他人のことを「いい年して」とか批判できる年齢ではないと思うのだが。
ま、それはいいとしてだ、カナダの大自然のなかで15年も生きていながら、同じような北国のアラスカ大自然で狩猟しながら生計を立てている地元民の生活が理解できないというのは全くお粗末としか言いようがない。
私がまだ日本に住んでいた頃、うちの近所によく仕事でカナダに行くビジネスマンが住んでいた。この男性は父と飲み友達だったのだが、カナダで外に出る時には野生動物、特にグリズリーから身を守るため、必ず護身用のライフルを持って出かけたという話をよくしていた。
また、都会に住んでいて何もかもスーパーに行けば間に合うような環境に居ない人間にとって、狩猟をするしないは死活問題である。それを「ライフルで大自然で生活する野生の動物を殺したり」などと頓珍漢なことが言えるこの美爾依という女性は、いったいカナダで15年間何をやっていたのだろう?
思うに美爾依という人はカナダに住みながらカナダの大自然を肌で感じたことがないらしい。プロフィールには「冬にはマイナス20℃を越える厳しい気温と大雪にめげそうになりましたが、持ち前のタフさでなんとか乗り切りました。」などと偉そうなことを書いてはいるが、この人がペイリンのようにスノーモービルを乗り回す姿はおよそ想像できない。

何よりも、サラ・ペイリンの不快指数100%の声によるナレーションを最初から最後まで聞かなくてはならないというのはかなり苦痛だ。家族が一番大切として、共和党的な古き良き時代の大家族を、今の時代に自慢げに映しているところも嫌い。「女性は子供を産む機械」という元自民党の厚労相の言葉が浮かんできた。こんな番組を楽しんで見る人の気が知れない。ただただ吐き気がするだけだ。

サラの声は確かに甲高く、しかも彼女はものすごいおしゃべりで、夫のトッドや次女のウィローなどがほとんど何も言わないのに比べてとにかくしゃべりまくる。サラファンのカカシですら多少げんなりするくらいだからサラ嫌いの美爾依が嫌がるのは仕方ないだろう。
ただ、ペイリン家が大家族である点を「今の時代に自慢げに映しているとろろが嫌い」とか、「こんな番組を楽しんで見る人の気が知れない。ただただ吐き気がするだけだ」というところが、さすがリベラルだけあるなと呆れるというより感心してしまった。
少子化が進む欧米や日本などの先進国に住んでいると、子供が少ない事が当たり前のようになってきた。しかし、実はこの少子化こそが今や文明諸国の未来を脅かしているのだという事実を忘れてはならない。サラ・ペイリンが人気があるのは、今は失われつつあるアメリカのフロンティア精神をサラが思い起こしてくれるからだろう。彼女が神を敬い子宝に恵まれた事実に感謝するという、アメリカの原点に戻っているところが彼女の魅力なのである。
美爾依のように、現代社会のデカダンスに完全に汚染された人間には理解できず、考えると吐き気がするような事実かもしれないが、アメリカにはそういうフロンティア精神に同調する気性がまだまだ健在だ(Thank God!)
おなじリベラルでも、ニュースウィークジャパンに書いてる冷泉彰彦の分析はかなり冷静で的を射ている。

どうしてこの「ペイリンのアラスカ」にアメリカ人の保守派は引き寄せられるのでしょう? まず「大自然の中のペイリン」という圧倒的な映像が「アンチ都会」のセンチメントをこれでもかと刺激するという点があります。大自然に敬意を抱き、その自然が美しければ美しいほど人間が謙虚になるとか、都会の生活に疲労しつつ知的な感性を持つ人間にも大自然の魅力が分かる・・・日本の自然観にはそうした感覚がありますが、これは全く別のモノです。

 粗暴なほどの大自然に対して開拓者はちっぽけな存在です。ですが、家族・宗教・武器の力を借りて、一生懸命頑張れば成功が待っている、ただその過程で、大自然に対抗する上で重要な家族・宗教・武器という価値を脅かす存在があれば、まずその敵と徹底的に戦う、そんな自然観です。どうして武器(番組の中では大口径のライフルとかヘリコプター)の使用が無制限に許されているかというと、それは人間が神から許された特別な存在だからであり、その人間がバクテリアや猿から進化したなどという都会やヨーロッパの無神論者は、正に自然と闘う自分たちを妨害する敵だというわけです。
(略)
 そうしたアメリカの開拓者が持っていた価値観は、実際の大平原つまり中西部では理念としては残っていても、生活の上では、大規模化し機械化された農業にしてもかつての自然との緊張感はありません。ある意味で、この「アラスカの大自然の中のペイリン」というのは、その開拓者精神の原風景を感じさせるのです。原風景というのは大自然と闘う姿勢を守ることで、その闘いが同時に自分たちの敵である都会のインテリに対して闘う、あるいは「訳の分からないイスラムや中国などの外敵」と闘う姿勢に通じるという意味です。

冷泉は決してペイリンのファンではないし、ペイリンの政治家としての能力も認めていない。それでもさすがにジャーナリストの端くれだけあって、アメリカの保守派を大分理解していると思う。かなりの誤解はあるものの、アメリカ人を正確に理解しようという姿勢が伺われる。
カナダにもフロンティア精神というものがあったはず。15年もカナダに住んでいながら、そのことを全く学んでいないカナダの日本人女性教師。どこにすんでいても左翼のアカデミーインテリに囲まれているとこうなってしまうという典型的な例だろう。


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