先の選挙で、オクラホマ州では法廷においての決断はアメリカの連邦及びオクラホマ州の法律によって裁断される、国際法の起用や(イスラム教本の)シャリア法を考慮に入れることを禁止する、という内容の法案が州民の70%という圧倒的な支持を受けて通過した。これはオクラホマ代表共和党下院議員レックス・ダンカン発案の質問775番、通称「州を救え」憲法改正案だ。
ことの起こりは、イスラム教徒妻が夫の暴力から逃れようと、法廷に夫に対してrestraining order(差止命令、特定の人物に一定区間以内近づかないようにという命令)を発令してくれるよう申し出た際に、裁判官は夫はイスラム教のシャリア法に従っているだけで犯罪行為はしていないとして、妻の申し入れが拒否された事件がきっかけとなったとされている。
早速オクラホマ州のイスラム教市民団体(the American Muslim Association)やエジプトのモスラムブラザーフッドというテロ団体と深いつながりのあるCAIR (ケア, the Center on American-Islamic Relations)などがしゃしゃり出て来て、この法律はアメリカの憲法違反であるとして、オクラホマ州相手どって訴訟を起こす予定だとか。
彼らのいい分は、この法律は言論の自由を侵害するものだというもの。
州民の70%が支持した法案であるが、法律家の間ではこの法律の持つ問題点を指摘する学者もいる。

法律学者の間ではこの法案には予期せぬ悪影響があると警告する。ある法律専門家によると地元企業と外国企業との取引上の支障が出る可能性があり、十戒を含む宗教法を禁止する前例をつくることになると語る。

オクラホマ大学法律学部のリック・テプカー教授はCNNに法案の一部は「混乱」を招くとして、このような法律への訴訟は歓迎すると語っている。「我々の多くは今朝、頭を掻いて泣きたくないので笑ってるんです。」テプカー教授は水曜日そう語った。「私はオクラホマの政治家に説明してもらいたいですよ。これは法廷が今後十戒を考慮にいれてはいけないという意味なのかとね。十戒も他の文化や国の戒めではないんですか?この法律によって裁判官は今後アメリカの法律の根源が国際法にあるのかどうか、いつどこで考慮に入れればいいのかが解らなくなってしまうのです。」

テプラー教授は十戒も元々他所の国の他所の文化から来たものではないのかというが、ユダヤ・キリスト教は欧米諸国の基盤だ。他所の国もなにもない。だから十戒がアメリカの法律と矛盾するということは先ずあり得ない。アメリカの法律の根源がどこから来たものであろうと、キリスト教の一部の教えが土地の法律と矛盾した場合には、地元の法律が決定権を持つということはアメリカ国民の全てが納得している。
妊娠人口中絶が宗教上の違法行為であると考えているアメリカ国民でも、それが合法である以上、医者や母親を法律上責めることが出来ないことは充分に承知している。だから法律を変えようという動きはあっても、法律を無視して医者を殺害するような行為は絶対に許さない。それがアメリカ社会の基本である。だからテプラー教授のいい分はおかしい。
問題なのは、イスラム教には政治と宗教の分離という概念が存在しない。
実は最近カカシはバーナード・ルイス著のWhat Went Wrong?という本のなかで、キリスト教を基盤とする西洋社会とイスラム社会との政治と宗教の関係について読んだ。
アメリカには国が国教を設立してはいけないという法律がある。これは決して政治と宗教は完全に分離されなければならないという意味ではなく、国がある特定の宗教を国の宗教として設立し、それを使ってそれ以外の宗教を信じる人々を迫害するようなことがあってはならないという意味だ。
このような法律が出来た背景には、ヨーロッパ諸国における何百年にも渡る血みどろで残酷な宗教戦争があった。特にアメリカはイギリスなどで異教徒として宗教的迫害を逃れて来た移民たちによって設立された国だ。西洋社会は異教徒同士が殺し合いをせずに平和に共存していくためには、政治と宗教は分離する必要があることを長年の痛い経験から悟ったのである。
ところがイスラムには宗教戦争という血なまぐさい歴史がない。そういう面でイスラムは「平和な宗教」だと言えなくもないのだが、イスラムにとって宗教の教えと政治とは同じものであり分離など出来ない。つまりイスラム教はユダヤ・キリスト教徒たちと違って、異教徒との平等な平和共存の方法を学んだことがない。
イスラム教徒たちがサダム・フセインやエジプトで暗殺されたサダト大統領などを忌み嫌ったのは、彼らが独裁者だからというよりも、彼らが無宗教者であり国粋主義者だったことにある。
このような背景があるため、シャリア法を多々の異教徒が共存しているアメリカ国内において起用することは不可能なのである。シャリアは十戒のように完全にアメリカの法律と融和できるような代物ではないからだ。
シャリア法はイスラム教徒の男性が一番偉く、異教徒、奴隷、女性はその下の下層階級である。もしシャリア法を一部でも認めれば、アメリカの法律が全国民を平等に庇護するというアメリカの憲法に違反することになる。アメリカの住民はキリスト教徒であろうとイスラム教徒であろうと同じ法律で守られ、同じ法律で裁かれるべきである。
ところで今回のイスラム市民団体による訴訟についてだが、ミスター苺が面白いことを言った。常々アメリカのイスラム市民団体は、アメリカにシャリア法を押し付けるつもりはないと主張してきた。テネシー州でとある聖廟の建設に関して、この聖廟は祈祷の場ではなくシャリア法を推進しアメリカ社会を覆す過激なテロリストの政治運動の場所だとして、地元市民がその建設を反対している件についてもそうなのだが、アメリカの自称穏健派イスラム教徒たちは、地元市民のいい分を被害妄想だと一笑に伏して来た。
だが、もしアメリカの自称穏健派イスラム教徒たちがアメリカにシャリア法を押し付ける気持ちなど全くないのであれば、何故オクラホマの法律に挑戦する必要があるのだ? なぜケアのような団体が訴訟を起こす必要がある?シャリア法を推進する気持ちがないなら、シャリア法が禁止されようとどうしようと興味などないはずだ。イスラム教徒はすでに他のアメリカ人と同じようにアメリカの法律によって守られている。何故そのうえにシャリア法を取り入れる必要があるのだ?
この訴訟にこそイスラム市民団体の本音が表れている。まさに、この訴訟こそがシャリア起用を禁止するこの法律の必要性を証明しているだ。
正直な話、私はイスラム市民団体にどんどん訴訟を起こしてもらいたいと思う。なぜならば、イスラム市民団体が自分らの過激な思想をアメリカ社会に押し付けようとすればするほど、我々一部の市民がずっと感じて来たイスラム過激派の脅威を、より多くの一般市民が理解できるようになるからだ。アメリカにおいてシャリアを許容する隙は一切ない。そのことを過激派イスラム教徒に思い知らせる必要がある。
悲寛容な宗教と寛容な社会の妥協など絶対にあり得ない。シャリア法は完全制覇か完全屈服のどちらかしかないのである。
アメリカ人ならどちらを選ぶか、それはオクラホマ州民が示してくれた。


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