今週は同性愛者の公な軍隊勤務と同性結婚について左翼の矛盾をミスター苺が書いたMartial Arts and Marital Dartsを元に考えている。
本日はその第四話。
結婚の定義における、性別対人種の違い
同性結婚と異人種間結婚における比較には問題がある。それというのも異人種間結婚については、カリフォルニア最高裁の1948年のペレズ対シャープ裁判(Perez v. Sharp, 32 Cal.2d 711, 198 P.2d 17)で人種が結婚の定義に用いられることが違憲であると判断された頃から、市民の間ですでにほぼ合意が得られており、法廷が市民の意見を率先したわけではなかった。
1948年の判例に始まって1967年 (Loving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)) で連邦最高裁において、最終的にアメリカにおける異人種間結婚禁止は違憲であるという判定が出た時には、1865年から1870年に起きた南北戦争も含み1964年の人権法も経て、すでに国民の間では人種差別は不法であるという認識が広く受け入れられていた。
だいたい科学的に人種の差別など証明できないし、黒人や白人や黄色人種などの間に決定的な差など存在しないことは科学者の誰もが認めることだ。
だが同性結婚にはこのどれもあてはまらない。
国民全体どころか州民の間ですら同性結婚が普通の結婚と同じように扱われるべきだなどという合意は存在しない。州によっては同性結婚支持派がかろうじて多数派を占めるというところがあるかもしれないが、(それにしたってかなり疑問だが)同性結婚の合法化が州民全体の意見として受け入れられている州など存在しない。
ここ数年における同性愛活動家による訴訟が起きるまでは、同性結婚を認める州など存在しなかった。同性結婚の前例などまるで存在しなかったのである。
それにくらべて、1776年、合衆国の最初の13州のうち多数派の7州までもが異人種間の結婚を認めていた。同性結婚はあきらかに法廷が率先しており、法廷の判決は市民の間から出た同性結婚をみとめないことが違憲だといった社会的合意への反応ではない。同性結婚憲法改正法だの憲法の見直しだのといった連邦政府の決議など全くされていない。
憲法に関する議論と言えば、1996年の the Defense of Marriage Act of 1996で、結婚は一夫一婦制であるべきという反対の議論はあっても、民主党が与党を占めている2007年から2009年にわたる議会ですらも、一夫一婦制を違憲とするという法案など提案されたこともない。それどころか、あちこちの州で同性結婚を禁止する法律が通されているくらいだ。
つまり、アメリカにおいて全国的にも地方的にも同性結婚を支持するという考えは市民の合意を得ていないのである。これはバーモント州議会のように甘やかされた左翼エリートのペットプロジェクトとして残っているだけなのだ。
そしてもちろん、人の性別(ジェンダー)は人種とは違って、特別な場合を除いて、生物学的にその違いが決定的に証明される。
結論として、結婚に関して語る時、人種と性別では全く比べ物にならないのである。
結婚の定義における性別対人種の違い
同性結婚でステータスを求めるゲイ達
今週は同性愛者の公な軍隊勤務と同性結婚について左翼の矛盾をミスター苺が書いたMartial Arts and Marital Dartsを元に考えている。
本日はその第三話。
同性結婚でステータスを求めるゲイ達
同性結婚は自由の問題じゃない。これはステータスの問題だ。アメリカにおいてゲイであることは違法じゃない。同性行為をすることも、同性同士の同棲も、法律とは関係なく宗教上の結婚式を協会やお寺や聖廟で、友達や親戚を集めてやる分には何の問題もない。ほとんどの州ですでにドメスティックパートナーシップという結婚していない同棲カップルを守る法律が存在しており、不動産の相続や病院での面会などといった権利は保証されている。
法廷の独裁に抵抗している州が主張しているのは、単に州政府が同棲結婚を認めないということだけなのだ。この法律は同性結婚式に警察が手入れに入ってカップルを逮捕したりとかするわけじゃない。ただ、州政府による公式な認定はしないというだけの話である。
にもかかわらず、わずかな少数派である同性結婚活動家たちは社会の根本的な価値観である結婚を変えたいというのである。アメリカだけでなく西洋文明を何千年とつちかってきた価値観を「我々市民」の意志に背いて強制的に押し付けようというのだ。 彼らはアメリカに同性愛結婚に伝統的な結婚というステータスを市民が好むと好まざるとに関わらず授けろと強要するのである。ステータスは自由の権利ではない。同性カップルが夫婦のように振る舞うことを禁止する法律はない。だが、活動家たちは政府がその行動を許容するだけでなく奨励すべきだと言うのである。
これに比べて、同性愛者がオープンに軍隊勤務することを許可することには、アメリカの根本的価値観に違反しない。社会に特別に別の行き方をする人々への奨励も要求しない。国家防衛に必要な人材網を増やすというだけで、むやみに有能な兵士をゆすりの対象にしないということも含め、国家にとってマイナスになるようなことは何もないのである。浮気をしただけで除隊を強制される人がいないように、この悪法さえ取り除かれれば同性愛者であることなど問題ではなくなる。
だが、同性結婚も、好きな相手と結婚する権利という、自由の権利の問題ではないのか、という疑問はどうすればいいのか?
次回は異人種間の結婚と比べて考えてみたい。
ニュース速報! マサチューセッツ州特別上院選挙、スコット・ブラウン共和党候補大勝利!
なんと、まだ開票も済んでないのに、スコット・ブラウン当選確実。マーサ・コークリーも敗北宣言をしてしまった!
信じられない。
これからミスター苺と一緒にピッザでお祝いしようっと。
さようなら、健康保険改悪法!
『ゲイを軍隊に入隊させろだ? 冗談じゃねえよ』
今週は同性愛者の公な軍隊勤務と同性結婚について左翼の矛盾をミスター苺が書いたMartial Arts and Marital Dartsを元に考えている。
本日はその第二話。
『ゲイを軍隊に入隊させろだ? 冗談じゃねえよ』
同性愛者の公な軍隊勤務を反対するに関しては非常に多くの問題点がある。
俺(ミスター苺)はこれまでゲイが秘密裏に勤務する方がオープンに勤務するよりも望ましいという納得のいく意見を聞いたことがない。
今日において、ゲイ男性がストレート男性より劣っているなどという議論がまともだなんて考える奴はいないだろう。ゲイ男性がひ弱だとか女々しすぎてストレートな男性と並んで闘えないなんて馬鹿げたことを言う奴はいない。ただひとつ聞かれるのは、反対意見としてはかなり弱いが、オープンなゲイがいると(内密にしているのとは違って)回りのストレートな人間が居心地がわるいからといったくだらない理由だけだ。
同性愛行為をする傾向のある人物が軍隊の規律や士気に悪影響を与えるというのは、全く証明されていない偏見にしかすぎない。これは「女はPMSがあるから戦闘パイロットにはなれない」と言ってるのと同じで全く根拠がない。
こんなのは、単にホモに見つめられるのが嫌だという、以前に「黒人と一緒に仕事なんかできるか」といっていた人種差別者たちと同じで、性嗜好の違いへの偏見に過ぎない。どちらの場合も同性愛者とか黒人といった当人に問題があるのではなく、偏見を持った人間の過敏な神経が問題なのだ。
今日、誰かがゲイだということが解ったからと言って、隊の士気が乱れるなどという根拠はない。それどころか、ほんの一部の差別者を除けば、ほとんどの兵士らは同性愛が明らかになって辞任させられる仲間を懸命にかばうくらいだ。
同性愛者が隊の士気を乱すなどという理屈は1950年代かそれ以前なら信じられたかもしれない。黒人と白人兵を混ぜた軍隊への反対論が、社会がヒットラーによる人種差別を見せつけられる以前になら成り立ったように。しかし、いまや、「ゲイは気持ち悪い」などという反論は偏見への執拗な執着以外の何者でもない。
ゲイにその嗜好を隠すことを強要するのは、彼らをゆすりの犠牲者にする可能性が高い。暴露されることを怖れて敵に手助けをする者も出るかもしれない。
ゲイは人口のほんの2〜3%にしか及ばないが、その道徳心は一般人口と変わらないだろう。とすれば、ほとんどのゲイたちは国に危険を及ぼすくらいなら除隊を選ぶだろう。だが、なかにはキャリアの方が何よりも大事だと思う兵士もいるはずだ。ストレートな将校のなかに浮気をする人間がいるように。
単に浮気願望があっても実行に移さない人間を除隊させることが出来ないのとは違って、ゲイ男性やレズ女性は同性愛の傾向があるというだけで除隊されることが合法なのである。現在の法律ではゲイ男性が実際に同性行為を行わなかったとしても、そういう嗜好があるというだけでキャリアを失うという罰を受けるのだ。
同性愛者または両性愛者は、自分の性的嗜好を明らかにした、もしくは同性の人間と結婚しようとした、ということが明かになれば除隊をやむなくされる。たとえ同性結婚が合法な州での結婚であり、入隊前のことで、今は離婚して同性愛主義は止めたと言う人であっても、そいうい過去があったことが暴露されれば強制的に除隊なのである。
他に何の欠点もなく、何の悪行も犯してない人に、多くの人々が生まれつき持っていると信じる性嗜好のみによって、アメリカ市民が軍隊で勤務できないというのである。
我々が我々であることを理由に我々の文明を破壊しようという敵との闘いにおいて、どの市民も武器を持って社会を守る権利があるというのはリバティに関する問題だ。にもかかわらずこの法律は憲法は市民が軍隊において勤務する権利を認めていないと主張するのだ。
法律上はそうなのだろう。だがすべて合憲であることが道徳的に正しいということにはならない。
もし対テロ戦争が西洋文明にとって岐路となるものであると信じるなら、我々は気持ち悪いとかいうくだらない理由で良い兵士を拒絶する余裕はない。
軍隊か結婚か、それが問題だ
このように議論すれば、大抵のアメリカ人はこの「聞かない、言わない」政策は非常に不公平でアメリカ的でないと考えるはずだ。しかもアメリカの防衛に危険を与えるとなればなおさらだ。つまり、ゲイ活動家がその気にさえなれば、簡単に勝利を得られる問題なのである。にもかかわらず、彼らはほとんどこの問題には興味を示さない。
国民の大半が反対している同性結婚にこれだけ熱を入れるのは何故なのだろうか?俺からみたら、ゲイ活動家は現在の結婚制度を変えたいというより、破壊したいという雰囲気すら感じられる。一部の過激派なんて人々の意志を踏みにじって結婚制度を破壊することにオルガズムを感じるんじゃないかと思わせる。
これは決して数の問題ではないだろう。同性同士で結婚したがってるゲイの数が軍隊に入りたい人間より多いってことはないはずだ。いや、それどころか、同性結婚が合法な州での傾向をみていると、ゲイのなかで結婚したいと思う人の割合はストレートな人口より遥かに低い。
じゃあ、何故なんだ? 何故反対が多い困難な問題を、沈黙の多数派から自分らを浮き立たせ切り離すような戦いを、有権者が機会を与えられる度に拒絶してきた問題を選ぶのだ? 何故多数派がほぼ同意できる、保守派ですら味方にできる、アメリカ人の道徳や良心に訴えることが可能な問題を選ばないのだ?
テキサスのソドミー法(同性愛を含む多々の性行為を禁止する法律)を違憲とする最高裁の審判を考えてみてほしい。国民のほとんどがこの決断に異存を示さなかった。一部の保守派が騒いではいたが、ほとんどのアメリカ人は「今更そんなの当たり前だろ」と思った。これは自由なアメリカ人が自由に愛情を表現する権利の問題だったからだ。
これと同じように自由の権利として、「聞かない、言わない」政策の廃止も可能なはずである。
専門家が語る役に立つ防犯を見直そう
自衛論云々の話が出た時に、『防犯の専門家でもないひとが、誰でもやってるようなくだらない自衛を説くな』と批判する人がいた。こちらの方が典型なのでちょっと引用。
特別、なにか目新しい、効果的な方法をあげることもできていないのに。
「何十年もやってきたので、もうそれは知ってます。それだけでは無理です。防げません。」
と、意味がないよ、と言っているのに。
それをやったこともない人が、「無意味じゃない」って。
何の根拠があって、意味がある、と断言できるのだろう。
だって、自分がしてきたことでもないのに。
防犯や武道のプロでもないのに。
こういうことを書いた人はこの人だけではないが、普通の人が思いつくような自衛など「誰でもしている」という発言には私は非常な疑問を感じていた。何故かと言うと、私自身も、気をつけなければいけないと思いつつ、ついうっかり忘れることがあるし、全く無防備だなと感じる知り合いが私の回りにも結構居るからである。
それで色々検索していたら防犯のプロが書いている、こんなサイトを見つけた。書いてるひとは佐伯幸子という防犯専門家。
さえきゆうこ、安全生活アドバイザー。92年より「頭を使って身を守る方法?知的護身術」を提唱。子どもや女性の安全対策を中心に、暮らしの中のあらゆる場面での危険を指摘、排除する方法を分かりやすく解説。危機管理のスペシャリストとして、講演やTV出演をこなす一方、著書9冊の執筆など精力的に活動。
この人のサイトでは実際に起きた犯罪を元に、どのように防犯するかという話が書かれている。引用する部分は2002年に書かれたもので、今回の一連の討論とは直接関係ないが、やはり私が思った通り、出来ることをしないで被害にあっている人が結構いる。
鍵のかかっていない部屋を狙った連続強姦魔
東京都小平市を中心に平成13年10月頃から、ひとり暮らしの女性をねらった婦女暴行事件が未遂を含めて20件連続発生しています。被害者の多くは学生など二十代の女性で、自宅のカギをかけ忘れたか、かけていなかった、いわゆる「無施錠」のところを侵入されています。
犯行は夜の10時から深夜2時くらいの間に集中しています。ほとんどの被害者が就寝中でした。犯人の男は目出し帽で覆面をして、「騒ぐと殺すぞ」などと脅迫した上で乱暴しています。カッターナイフのような刃物を突きつけられた被害者もいるようです。
佐伯さんによると、親から離れて始めて一人暮らしをするようになった若い女性は、自分が部屋に居る時に部屋の鍵をかける習慣のない人が多いと言う。また、オートロックの建物だからとその効果を過信してしまう人が案外いるという。オートロックでも建物に住む人全員が注意していなければ意味がない。やはり最後の砦は自分の部屋の鍵。
実を言うと、かく言う私も建物内の洗濯部屋に行くだけだからという気軽な気持ちで鍵をかけずに部屋を留守にして、その数分の間に泥棒に入られた事がある。もし、私が戻って来た時、泥棒と鉢合わせになっていたらどういうことになったのか、考えただけでも恐ろしい。
昼間のピンポーンにドアを開けた主婦が被害に
平成15年4月1日この事件の犯人23歳の男が逮捕されました。犯人は外国人を装った日本人の二十代の男3人でした。(内二人は今年初めに逮捕済。最後の一人が捕まったことで報道された)。「引越のあいさつに来ました」と言われれば、ドアを開けてしまう、という人情を逆手に取った卑劣な犯行でした。(2003年4月3日加筆)
真っ昼間からそんなことがあるのかと思うかもしれないが、佐伯さんに言わせると、昼間は男性が居ない家が多いことから、家には女子供だけ、子供は人質にも使えるということで、意外と狙われることが多いのだと言う。
マンションなどで、同じ建物の住人のふりをして、「下の階のものですが、水が漏ってます」とかいってドアを明けさせた例もあるというから、隣近所にどういう人が住んでいるのかということも知っておく必要があると佐伯さんは言う。
また、引っ越しの挨拶に来たというなら、管理人さんに連絡して本当にそんな人が引っ越して来たのかどうかを確認するという手もある。とにかくドアを明けないで、明けたとしてもチェーンをしたままにするとかして、知らない人を中に入れないことが大事だという。
この他にもこのサイトには色々役に立つ防犯方法が書かれているので、女性に限らず男性にも是非読んでほしいと思う。
このサイトを読んでいて思ったのだが、私自身当たり前だろそんなこと、と思っていたことを意外としていない人が多かったり、言われてみればそうだが、自分では気がつかなかったなんてことが沢山あった。
例えば、窓ひとつとってみても、留守なのに窓が開きっぱなしになっている家、レースのカーテンやぬいぐるみが飾ってあって女性の一人暮らしがすぐにバレる部屋、遅くなっても電気が着かない家、といったように、その部屋や家の住人の家族構成や生活パターンが窓を見てるだけでわかるのである。
だから、タイマー付きの電灯を付けるとか、女性の一人暮らしならカーテンは中性的なものを選ぶとか、洗濯物も男物も混ぜて干すとか、工夫が必要かもしれない。
自衛論否定者たちも、「そんな自衛は誰でもしている、そんなんじゃ役に立たない」といって自衛論を踏みつけてしまうのではなく、だったら役に立つ自衛を一緒に考えようよと言えば、もっと説得力があるような気がする。
どうして左翼は同性結婚には熱いのに、ゲイ軍人には冷たいのか?
同性結婚について何回か書いて来たので、今週は同性愛者の公な軍隊勤務と同性結婚について左翼の矛盾を考えてみたい。
これはカカシが書いたものではなく、去年の5月にミスター苺が書いたものでMartial Arts and Marital Dartsというエントリーから引用した。非常に長いので、何回かに分けて一週間の連続という形で書いてみたいと思う。
本日はその第一話。
どうしてゲイ左翼は同性結婚には熱いのに、ゲイ軍人には冷たいのか?
これは非常に興味深い疑問だ。普通ならゲイにとって利益となることを成し遂げることが同性愛活動家の目的なはずで、軍隊での勤務をゲイが秘密裏にしなければならになどという、間違いなくゲイの自由を理不尽に妨げる法律を取り除くことに先ず力を注ぐべきではないだろうか?
不思議なことに、同性愛活動家達はこの息も止まるような基本的な自由の迫害を無視して、同性結婚の方に力を入れている。もちろんゲイ活動家のウェッブサイトを深く掘り下げて読めば、ゲイを侮蔑する発言をしたどっかの将軍を批判する記事が三ヶ月くらい前に書かれたことがあることは否定しない。
だが、毎日のようにメロドラマよろしく同性結婚の話が新聞の第一面でカラー立体写真でこれぞとばかりに現れるのとは対照的に、ゲイ軍人への対応は冷ややかだ。
しかも、各州の法廷が州民の意思を無視して無理強いしなければ成立しない同性結婚とは違って、今日、いますぐにでもバラク・H・オバマの一筆で1993年の「聞かない、言わない」法によるゲイの公式軍隊勤務禁止法は撤回できるのである。
オバマ王は選挙運動中の公約にも関わらず、その約束を未だに果たしていない。そしてペンタゴン(防衛省)はゲイに関する法律を変える予定は全くないという。
俺(ミスター苺)が聞きたい根本的な質問は、なぜゲイの正式軍隊勤務合法化よりも同性結婚のほうが優先されるのかということなのだ?
読者諸君は驚くかもしれないが、俺には俺なりの回答があるんだよな。
続く。
民主党議員、同性愛者の軍隊勤務禁止法撤回を拒む
同性結婚についてはずいぶん熱弁を振るうリベラルたちが、同性愛者の軍隊勤務合法化についてはあまり興味がないのは何故なのだろう? はっきり言って、こっちのほうがよっぽども違憲だと思う。
国のために闘うというのは市民の基本的な権利のはず。それを同性愛嗜好だというだけで拒否されるのは同性結婚などという特権が与えられないというのとは全く度合いの違う問題がある。
17年前に、民主党のビル・クリントンは大統領になるまえに、同性愛者の軍隊勤務の合法化を公約して当選したが、与党の民主党からの抵抗に怯んで大した運動もせずあっさりと諦めてしまった。私はそれまでクリントンのファンだったが、一気に彼への信頼感を失った。
その時、妥協案として軍隊方針の指導者的立場にあるアイク・スケルトン民主党下院議員(Rep. Ike Skelton (D-Mo.) )が提案し定着したのが「聞かない、言わない」法だ。これは同性愛者が内密に軍隊に勤めている分にはかまわないというもの。つまり同性愛者でもそれがばれなければいいというかなり害ある法律。
大事な職種についている軍人が何かの拍子で同性愛者であることが公になったらこの人のキャリアは終わりなのである。それが勲章をいくつも貰って戦場で勇敢な活躍をした人であってもだ。こんな不公平な法律ってあるだろうか?
同性愛がばれなければいいということは、ばれたらおしまいということであるから、これはゆすりの原因にもなる。
軍隊に居る間恋愛関係も肉体関係も全くない人などいないだろう。同性愛者は恋人の存在を隠さなければならない。もしも関係が破綻して恨みを持った元恋人に裏切られたらどうなるだろうか?
極秘情報を持つ軍の上層部の人間が同性愛者であることを他国のスパイに知られたらどうなる?
こういう悪法は国家防衛にも悪影響及ぼす。
バラク・オバマも同性愛者軍隊勤務合法化を公約して大統領になったが、クリントンの時と同じスケルトン議員が断固として引かない姿勢をしめしている。オバマにはクリントン異常の根性があるだろうか?
私にはかなり疑わしいのだが。
マサチューセッツ州特別選挙、熱気上がる共和党スコット・ブラウンの人気
昨日もご紹介したように、マサチューセッツ州といえばリベラルな民主党と保守的な共和党が3:1で圧倒的に民主党寄りの州。(すでに同性結婚なども合法になっているくらいだ。)であるから、本来ならば、故テッド・ケネディ上院議員が長年保持していた議席は、よっぽどのことがないかぎり自動的に後がまの民主党員が引き継ぐものと誰もが思っていた。
ところが、今まさに、その『よっぽどのこと』がおこりつつある。
選挙運動専門家のマイケル・グラハムは、マサチューセッツで起きている共和党のブラウン候補人気は前代未聞だという。
彼は過去6年に渡って選挙運動に司っているひとだが、大抵の場合ボランティアを募って有権者に参加してもらうのは並大抵のことではないという。せいぜい有権者の家の前庭に既成の看板を立ててもらうくらいが精一杯で、後のことはお金を払って人を雇わなければならないそうだ。
ところが、今回はブラウン候補の支持者たちが「なにかやらせてくれ」と選挙事務所に殺到して、仕事が足りないくらいだという。看板を立てたい有権者が多すぎて既成の看板が足りなくなり、何と手書きの看板があちこちの家の前庭に見られるという。
なんとしてでも共和党がこの議席を取らなければという有権者たちの意気込みが感じられる。
一方民主党のマーサ・コークリー候補陣営は、12月に州政府の資金を使って労働組合の組合員にコークリー選挙運動のボランティアをするようにと呼びかけ、ブラウン候補側からそれが選挙法違反であるという苦情が出ている。
それまでしても下がり続ける人気に焦ったコークリー側は『2008年マサチューセッツでは1736人の女性が強姦された。スコット・ブラウンは犠牲者たちを病院から門前払いしたいのだ。』という意味のビラを配ると言う汚い手口に出た。
これは全くの事実無根であるため、ブラウン候補は州の民主党委員会に名誉毀損であるとし、正式に抗議の表明をした。
本当なら自動的に受け継げるはずの安全な議席なのに、こんな汚い手段を使わなければ勝てないのか。マサチューセッツの民主党も落ちた物である。
マサチューセッツ州、臨時上院議員選挙で民主党候補苦戦
死去したテッド・ケネディ氏の空席を埋めるべく、今マサチューセッツ州では臨時選挙が行われようとしているが、民主党のマーサ・コークリー女史が意外な苦戦状態にあるという。
意外というのは、先ずマサチューセッツ州はリベラルの象徴みたいな州であり、問題の席は民主党の主ともいえる故ケネディ氏が何年にも渡って保持してきた民主党としては安全な席のはずだからだ。
それが、このコークリーという女性、アフガニスタンにはアルカエダはもう居ないとか、トンでも発言の続発で、支持率がた落ち。突如共和党のスコット・ブラウン候補より5%も遅れをとっているという。
この席の勝敗はオバマ王が押し進めている健康保険改正案が通るか通らないかに大きな影響を与える。それというのも、ブラウンは民主党の改正案には断固反対すると、はっきり宣言しており、賛成票がぎりぎりであることからいって、この席はどうしても民主党が保守したいところ。
それにしても、ケネディがずっと保持してきた民主党の指定席みたいな議席で、しかも全国的にオバマの人気が下がりつつある中、マサチューセッツでのオバマ支持率は何と60%。そんな州で、何故民主党候補が苦戦するのであろうか?
民主党のアナリストたちは、これはオバマ支持率とは無関係な、コークリー自身のキャンペーンの不行き届きが原因だとして、オバマの悪影響度を過小評価する作戦に入った。
しかし、オバマ王の健康保険改正案に対する国民の反感が強まる中、コークリー候補が負けた場合、2012年に次期再選が必要な民主党議員たちの間で、改正案を支持するのは政治的に命取りになるのではないかという疑問が生まれるのではないだろうか?
多くの民主党議員は、改正案に反対すればリベラル支持を失うが、賛成すれば中庸や無所属の有権者を怒らせるという難しい立場に立たされている。
ミスター苺にいわせると、もし共和党のブラウンが勝ったら、民主党議会はマサチューセッツに圧力をかけて即、ブラウンを就任させ、急いで改正案の投票を行ってしまうべきだという。ブラウンの一票で改正案が駄目になれば、民主党議員たちは、通したくない改正案を阻止することができるだけでなく、共和党に邪魔されて改正できなかったと言って次の選挙運動で共和党を責めることができる。
もしかするとコークリー落選は、オバマとその取り巻き連中以外の誰もが求めていることなのかもしれない。
と、書き終わってネットサーフしていたら、オバマ王がマサチューセッツに行ってコークリーの応援をすることになったという記事を読んだ。
これぞブラウン候補にとってはもってこいのニュース。これでコークリーが負けたら、オバマには全く何の影響力もないということになる。それにしても苦戦しているコークリーの応援に駆けつけるとは、オバマ王は相当自分の影響力に自信があるようだ。
私としてもオバマ王にはシカゴにオリンピックを持って来てくれた時みたいに頑張ってほしいね。(あれ?オリンピックはシカゴって決まったんじゃなかったけ?)
2012年大統領選挙、国民の半分がオバマの対抗者に投票すると回答
就任一年目にして、アメリカ国民がオバマ王の無能さと邪悪さを見せつけられるにつけ、オバマ王の人気は降下の一途を辿っている。
オバマの任期降下を象徴するように、ミスター苺が紹介しているthe Allstate/National Journal Heartland Monitor pollというこの世論調査では、もしも選挙が今行われた場合、50%の回答者がオバマのライバル候補に投票すると答えた。オバマに再選票を投じるとしたのは39%だったが、絶対オバマに投票すると答えたのはたったの23%だった。それに対して絶対に違う人間に投票すると答えたのは37%にも及んだ。
もちろん支持率が50%以下でも再選する例はいくらでもあるので、(クリントン大統領は確か47%とかで再選されたし)だからオバマの二期目はないとは断言出来ない。
もしも共和党がボブ・ドールみたいな候補者を上げたら、まあ先ずオバマは安泰だが、ロナルド・レーガンみたいな候補だったら、大敗退というシナリオもあり得る。
ただ、今のところ共和党の方にレーガンのような人気者候補は見当たらない。2012年はすぐ目とハナの先。次の選挙で圧倒的勝利を得るためには今頃はすでにかなり著名になっていなければ駄目だ。
あえていうならサラ・ペイリンかもしれないが、まだ彼女は新人。歳も若いし、来期はちょっと早過ぎるのではないかな、という気がする。